はてなキーワード: 鳥子とは
ゲスパーしたつもりで揚げ足取ってるつもりの野郎が、特に揚げ足取れてるわけでもなく、ていうか自分の揚げ足取ってるね、っていう指摘だよ。そもそも反論とかではねーっす。
みたいな反応だよ
製品買ったら夜鳥子物語なのに、何絶賛してんの?ばーかばーかとか上げ足にならんよ
ahomakotom氏はそれすらできてへんからね。「有料部分も読まずに~」ではなく、「無料部分すら読めずに~」つってんの。
「無料部分での「正しい」反応」をできてないのがahomakotom氏なの。
元増田ではそう書いたし、読んでくれたら伝わった筈だと思う。
全く読めてないわ
彼は間違いなく無料部分での正しい反応をしたんだよ
そういう構成だろ
製作者はきちんと情報を発信しているにも関わらず、それを正確に読解できなかった受け手が、誤読ベースで事実に反する人格攻撃をしてきました。
それすらも含めて「製作者の落ち度だ」は無理でしょ。
なにいってんだ?
馬鹿か
逆だよ逆
これがゲームなら、本なら、映画なら、「公開されてる序盤部分だけで品質や製作者の人格を予断して、フルスイングの悪口いいまくってるやつ」がどれだけ愚か者扱いされるだろうかって、それくらいは想像できるでしょ?
なんで「序盤部分を公開」したの?
匿名顕名議論やら、著名人へのネット暴力みたいな話でも思うんだが
そのメリットを享受しようとする側が、デメリットに遭遇した途端、僕にはデメリットをぶつけるな、お前ら愚民はメリットだけを提供しろ
みたいになるの滑稽じゃね?
しかもそれをさも「正しい事」かのように語る
何様だよって思うんだよね
序盤を公開したのなら、そこで興味を引けないといけないんだよ
それを触った人が良い感触を持ちそれを広めてくれるために公開するんだから
「品質や製作者の人格を予断して、フルスイングの悪口」を言われるようなのは制作者の落ち度だ
それが嫌なら公開しなきゃいいんだよ
んじゃ件の記事は何だ?
逆だよ
タイトルと序盤で、ナニカへの反発を感じ取って欲しいんだよ
でなければ有料部分に繋がらないだろ?
位のもんで
「公開されてる序盤部分だけで品質や製作者の人格を予断して、フルスイングの悪口いいまくってるやつ」
みたいな反応だよ
これに、本編やらずに大絶賛するなって言ってるの滑稽だと思わんか?
大絶賛するなら本編買え?
的外れだと思わんか?
裏世界ピクニックの原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。
コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。
この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。
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原作は電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。
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空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。
原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある。別に原作の一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネームを口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。
「人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然。
私はなんとなく、人間、かかし、ヒトガタ・ニンゲン、ムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。
自分の解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体は別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議なものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。
見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルー」なのだ。くねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒を理解していない。
ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”
アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。
鳥瞰のカットに鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。
このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。
OPがCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベルで原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。
モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。
これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。
アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすくビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合、アニメ版の描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。
ちょっと、絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説は受け手の想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。
前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。
六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉の大宮のロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報は視聴者を不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。
私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談(洒落怖)については原作者自身が単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談『くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。
リッチなアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。
空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。
アニメでは、アバンの最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。
緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしまい憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。
扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。
空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別なものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットではいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグを排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。
アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときのスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。
六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常が侵食されていくふうには演出できなかったのかな。
うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然になっちゃったというかさ、ねえ。
金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか。
「終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。
アバンで授業料や奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティールである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公の動機づけができていないのは問題だ。
「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないから無視させたのかな。
5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねのビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくまで日常の範疇に、怪異的存在が侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。
心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。
個人的に、怪異同士や無関係な神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界の怪異たちを「人間の意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるものが洒落怖だったので、そのテキストを抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。
くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくねの特性を分かりやすく描写したカットが欲しかった。
現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触で攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。
原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこからが発声しているのか分かりづらい。
ただ、ここは私が原作で特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキストで表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。
鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子の処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。
打ち上げがギャグとして処理されてしまっている。非日常である裏世界との対比として、表世界はリアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。
OPでは普通の作画で打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。
前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在も理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。
引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画とCGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。
アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年のアニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式のアニメは増えていくのだろう。
https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874
空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションなりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。
さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。
オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。
ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供に原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供、ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本のおかしな現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪や都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。
https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7
原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖をベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。
所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。
みなさん。
ファミコン、スーファミ、PS、ネオジオ、メガドラと数々の往年の名ハードがミニ化しています。
次に続くのはなんでしょうか?
ですが、それだけではつまらないですよね。
PCエンジンといえば、なんですか?
ボイスです!
もう一度いいます、ボイスです!
なので、収録作10本を予想した上で、その収録作を発表する際に出演する声優も予想します。
以下まずは、収録作です。
どうですか?
みなさん、往年の懐かしいゲームがたくさんですね。
続いては、これらの作品を紹介してくれる、声優さんの予想です。
広井王子の作品に横山智佐が出ていないわけがないので、調べてないけど天外魔境にだって出ているに決まっている。
庵野秀明が宣伝アニメ作ってたような記憶が薄ぼんやりとあり、庵野の作品に宮村優子が出ていないわけがないので、調べていないけどヴァリスにだって出ているに決まっている。
同じ事務所なので彼らはもう同じ釜の飯を食べた仲間、一緒に志倉千代丸のバナナを食べた仲間に違いない。
OVA版の監督を見れば山本麻里安が噛んでいるのは一目瞭然、なんでも一人で出来るやつだなんてね貴方にどこかで思われたら悲しいので、井戸を通じて天使にプレゼントを渡します。
ユリを見れば浜崎あゆみ、アテナを見ればさとう珠緒、K9999を見ればAKIRA、こういう脳直なネタの繰り返しを平成に置いていくべきではないと思いました。
これぐらい夜鳥子と心中するつもりがあるなら、あれも許せる気がしてきませんか?
あすか120%のことを茶化すことは許されないので、僕の持ちキャラだった豊田可莉奈役の荒木香恵さんに来てもらいたいですね。
全然関係ありませんが、センチメンタルグラフィティの沢渡ほのかと豊田可莉奈が排泄物であれこれする薄い本が中学の生徒会室に保管してあったの、今思うと人生がこうなりだした一旦だと思うんですよねえ。
俺は今さっき和食さとで早めの夕食を済ませる際に、ドリンクバーに落ちていた携帯電話を持ち主のテーブルに届けるというウェイトレス行為をしたので、ヴァリアブルジオに参加する権利がある。
ぶっちゃけ、ググっても声優の情報が出てこないので、カンで書きます。
このぐらいの時期のこういうゲームにこおろぎさとみは絶対いるんだ! なんかこう! こおろぎさとみ! らしいああいうの! セラフィムコールの寺本たんぽぽみたいな!(セラフィムコールの寺本たんぽぽは川田妙子では?)
頼む! いてくれ!
ドラえもんの声を演じることができると言うことはアルカノイドについて詳しいのと同義です。
そんなわけないやろ。
僕はこの「アルカノイドの宣伝に来た水田わさび」を書くためだけに、残り9本を声優から逆算して選ぶという面倒臭い作業を頑張ったんやぞ?
第一、アルカノイドが出てないゲーム機がなんてあるわけないやろ。
こんなんね、今時Wikipediaを見れば一目瞭然で……
それでは聞いてください、永井真理子でミラクルガールの替え歌で、スグ来るガール。
唇でペロリィ、いつでもシコる夕暮れ
街で見抜きしたい、君のパンツ見たい
シコりきれない、白のパンツ捨てないで
もう一度その胸、触らせておくれよ
ラブホテルの人の流れ
今、誰、どこ、『ナニ』してる?
口の中に陰毛とか、はさまるみたいな、ドスケベ
スグ来るガール
即尺はいつも、俺の財布次第
スグ来るガール
顔射の願いはいつか叶うはずよ
イく! イく! スグ来るガール
ゲームがなぜ駄目だと言われるかはシステム面でも物語面でもよくわかっているつもりだし実際その通りだと思っているけど、それでも好きなキャラはそのゲームの中にしかいないし俺屍2の物語無しには存在しない。
もしも万が一奇跡的な何かが起きて俺屍3とかが出たとしても2に関する諸々はなかったことにされるだろうし。
叩きでもいいからそのキャラに言及した文章か何か見つからないかと日々ネットの海をさまよっているけれど発売当初はちらほらみたそれも次第に減ってきていて最近ではひと月に一度ツイッターで何か一言言ってる人がいたら運がいい方でひたすら一人で妄想して悶々としてる。
せめてこれで好きなのが夜鳥子だったらゲームの中では持ち上げられてるし批判の一環としての言及はネット上に数多くあるからもう少しましだったのかもなーとかときどき思うけど(彼女に関してはいろいろと言いたいこともあるが内面が描かれていないぶん掘り下げるとそれはそれで面白いと感じている、ただ彼女無しには俺屍2はそもそも作られなかった(そして好きなキャラも存在しなかった)だろうことと彼女が作中であんな扱いでなければ俺屍2はもうちょっと愛されたかもしれないということを考えると非常に複雑)
二次創作を公開するなどして大っぴらに萌えを発散すればもしかしたら一人くらい同調してくれる人がいるかもしれないと思うこともあるけれど、前作ファンの心を踏みにじったゲームだというのは確かだしその気持ちはよくわかるので、なんかこう萌えを叫ぶだけでその踏みにじった行為を肯定してしまうように思えて感じどうにも発表する踏ん切りがつかずにいる。(臆病なだけと言われると否定はできない)
だからどうということもないのだけどただの愚痴。叶うなら俺屍2がよくできたゲームで某キャラもいろんな人に好かれている世界線に生きたかった。