はてなキーワード: 唐突とは
一人暮らしを始めて8年経ってそこそこ自炊してるけど初めて里芋炊いた。
鍋を新調したことと実家から唐突に八つ頭が送られてきたタイミングでゴールデンクロスが発生したので炊くことにした。
シンプルに醤油と砂糖と出汁で炊く実家の味を再現しようと母親に電話してレシピを聞いた。
相手はとにかく話が面白くオシャレで頭の回転が速い子で、気が強く見えて繊細だったりアーテイスト気質
自分のようなフツーの人間から見るとカッコよくて個性的でいいなぁと思うが、本人は「普通になりたかった」と言っている
twitter相互からスタートしたものの、毎日LINEするようなかなり親しい仲になりすでに数年経っている
1泊で旅行に行った後から突然連絡を絶たれたので、間違いなくターニングポイントはそこだと思うんだけれども
どうしても自分が何をしたのかどれが嫌だったのかわからなくて苦しい
1日目は本当に楽しくて相手からもそれがちゃんと伝わってきて、
ちょっと疲れたから予定繰り上げて宿に行きたいと申告があったのでそのまま宿に行って
夜は流星群だったから流れ星も見て1:00すぎくらいにすんなり寝た
2日目は朝8:00くらいに起きてそのままご飯食べたけれど
少し寝てから出発したいと言われたから「そうだねゆっくり出よう」と二人で二度寝
起きたらなんと9:55で二人で慌てて準備して、なんとかチェックアウトして荷物も預けて
もうその時点でほとんど会話もしてくれなくて、とにかくつまらなさそうだった
そこからはもうトントン拍子に機嫌が悪くなって、疲れたから予定より3時間ほど早く乗換駅まで行きたいと申し出があって
「じゃあ早めに行って早めにご飯食べて解散しようか」と伝えて駅まで行ったのだけれど
乗換駅から地元に帰るまでの切符が交換できず、そこから5時間ほど時間が空いてしまった
話しかけても最低限の返事しかせず、目も合わず目の前でずっとゲームをしていたので
本当に疲れて不機嫌で、他人と気を使って会話をする元気がないんだなと思い
こちらも静かにお土産やTwitterで時間を紛らわせた(正直「せっかくの旅行なんだからもう少し態度なんとかならんのか」とも思ったんだけど)
電車に乗ってからは相手がずっと寝ていたので話をしていないけれど、
別れ際に「楽しかったね」と伝えると「楽しかったね」と返ってきた
でも次の日からもうLINEは敬語だったし明らかに態度が変わっていた
昔から話したくない時がある子だったので自分も少し連絡を控えてしまった
どの時点で何が嫌だったのだろうか、自分の中で言い訳をつけつつグルグル考えてしまう
まずそもそも体力差があったんだろうか(自分は旅行なら1日くらい6時間睡眠でもイケるタイプ)
疲れたのにフロント対応をしてもらったからだろうか(予約者以外はこちらでって案内されたからなのだけれど)
お風呂2回も入りたくなかったのだろうか(せっかくだから2回入ろ!とは言ったけど嫌なら無理しなくてもよかったのに)
流星群を見るより早く寝たかったのだろうか(確かに自分は目がよくはしゃいでいたけれど彼女は乱視で1,2つしか見られなかったな)
テンションを上げてあげられなかったから?そうっとしておいたのが間違いだった?
それとも自分が何かとんでもない失言をしてしまった?相手の地雷は大体把握してるはずなんだけど何か踏み抜いたか??
お金は自分の分払ったよね?払い済ってメモと履歴はあるんだけど、まさか他になにか借りてたっけ!?(ないはず…)
いままで何度も自宅に泊まったりはしたけれど、その時から嫌だったのか
でも旅行に誘ってきたのも相手なんだよな…計画段階で嫌なことがあったとか?
たとえ全部だったとしても、ぶちまけてくれたほうがよかったなぁ
毎日でも楽しく話せる友人が減ったことももちろんかなしいけれど、
何年も本当に仲良くしていたのに理由も言わずすべてブロックされてしまうような関係だということがわかったことがかなしい
「仲良くしていた」って思っていたのは自分だけじゃないはずだって今でも思ってしまう
いままで彼女が友人を切るところを何度も見て、何度も話を聞いて「増田のおかげで関係修復した」って言われたこともあったけど
いったんひとつ無理になるとすべてが無理になってしまって何もかもが嫌になる、と常々言っていたから自分も何かしたことはわかるんだけど
主観的にはどれも「旅先ではよくあること」だから気にもならなかったんだ…言い訳にしかならないけど…
というかほかの友人とも何度も旅行に行ったりしているけれど、その子たちにも何か嫌な思いをさせているのか?もうわからない
1か月以上時間をおいても、理由を聞いても話すどころか怒ってもくれなかったから、
もう話したくないかもしれないけれど自分はあなたが好きということ、気が向いたらまた話しかけてほしいことだけは伝えた(そのあとブロックされたんだけどな!)
今は縁が離れてしまっても、またどこかでめぐってくるといいな~~
ここまで読んでくれた人ほんとうにありがとう
自分のぐだぐだ長ったらしい文章と沈んだ感情の吐き出しに付き合ってくれてありがとうございます
なんかこう、あったかくておいしいものを食べつつ素敵な夜をお過ごしください
せっかく頂いたので、少しですがまとめてお返事させてください
新しい価値観だとおっしゃってくださった方
唐突に別れることもあると教えてくださった方
数いるフォロワーさんの中でも、本名や勤務先はもちろん、家族ぐるみで仲良くして結婚式などのつながりがあったので
自分の中ではすっかり「フォロワー」というより「友人」、ひいては「親友」に近くなっていたのだけれど
幸いまだほかにも友人たちがいますので、その人たちを大切にしつつ、もっと軽やかにしなやかに生きようと思います
優しいコメントありがとうございます…そう、自分のすべてを疑い始めちゃうんですよね…どれ!?って…
無言で去るのも性格というか気質ですよね…相手が「怒りを言葉で表明すること」がとても苦手なことを知っていたので
相手が落ち着いてから話したいなと思った矢先だったので、本当にタイミングも縁のひとつだなぁと思います
この年になって所属環境(会社とか)抜きで大切だなぁと思える人と会えることは滅多にないので
そういう存在に出会えたらこれにめげず!大切にしていきたいと思います
ほうっておいてもいいとおっしゃってくださった方
たしかに、おそらく相手も何かの積み重ねがあって、最後の一押しだったのかもしれません…
実は先日自分に少しおめでたいことがあり、その件を揶揄したような、少しささくれだった言い方をされたことも(旅行ではなく日常で)あった気がします
その件も踏まえて共通の友人にそうっと聞いたところ「あなたは何も悪くないと思う、彼女は自分の気持ちに正直すぎただけ」とも言われたので、
自分もいまは拒絶を受け止めて、また自分か相手が変わって温度がちょうどよくなったら仲良くできればと思います
(自分も人も変わる、って結構元気でる言葉ですね!うれしかったです)
モラハラだとおっしゃってくださった方
あなたのコメントが一番ハッとしました…たしかに…そうかも…?
自分はそういう被害にあったことはないですが、不機嫌になる+不機嫌の理由を言わない+察してくれないと拒絶するのは
ちょっと心にクるなぁ…しんど…と何度か思ったことがありました
大体そういう時は離れたほうがいいと思って解散しちゃうんですけど、旅行ではそれができず悪化した感じでした
もしかしたら相手とは直接遊ぶのは1日が限度、それ以上はそういう傾向になってしまうのかもとうっすら思ったこともあります
何年も楽しく(本当に楽しく)遊んでいたので、その思い出はそのままに未来に目を向けようと思います
その他、百合として消費してくださった方(たぬき顔個性派ときつね顔没個性でご想像ください…)
友人がいない方、でも隣にいられると困る方(そういうときネットって便利ですよね)
お疲れさまをくださった方(心に沁みました)クチャラーを指摘してくださった方(多分ちがいます…が声はデカいので気を付けます)
ガイジ論を展開してくださった方(すごい略し方ですね…)
みなさま楽しい一日をお過ごしください
妻にいえ。
いや皮肉じゃなくて。
夜になってから唐突に抱き締めるとかでセックスに行こうとして、そして拒否られ、なんか傷ついて誘わなくなったりしただろ。どうせ俺みたいに。
そういう時妻は、ムダ毛の処理をしてないからとか、こっちからしたらどうでもいい理由で拒否してたりする。であるから、抱くときは事前に言う。
「私はこの週末に妻を抱きます。なぜなら僕はセックスがしたいからです」と真剣な顔で言っておく。
妻と話すことが第一のはずだ。
あるいはお前のチンコがデカすぎて痛いか、お前が独りよがりのセックスしてるのか、そういうのもあるかもしれん。そういう話も真顔で妻と話さないと結局はわからないので。
昨年の後半から当店で働き始めた女子大生アルバイトさんは凄く可愛い。元から凄く可愛い女子大生アルバイトさんが、先日は髪を縦ロールに巻いて来たので凄く可愛いの二乗となり、いつも以上に男性客から構われていた。
そんな男性客の中にはかなりの割合で、女の子を誉める時に当店の他の店員や他店の店員をdisって女の子をアゲる奴がいるのだけれども、そういう誉められ方をすると誉められた女の子当人はかなり気分が悪い、ということは知られていない。そういう悪い誉め方は女の子にとっては心労のもとでしかない。
女子大生アルバイトさんが午後2時から夜の8時まで、みっちり六時間働いていることをAさんがいぶかしがっていた。大学生ってそんなに暇なんですか? と。その言い方に、客から可愛がられはしても理不尽に怒られることの少ない女子大生アルバイトさんへの妬みとか僻みがモリモリにこもっていて哀れだ。
去年、四ヶ月ばかりで辞めてしまった男子大学生アルバイトさんを引合いに出して、女子大生アルバイトさんをdisり出すAさんだった。男子大学生アルバイトさんは、男であるが故に客からもオーナーからも集中攻撃されて疲れ果ててしまったのと、本人いわく「大学の授業が思ったよりも忙しくてバイトとの両立が難しくなった」のを苦に、仕事に慣れてきた頃に唐突に辞めてしまったのだ。
女子大生アルバイトさんと男子大学生アルバイトさんのいうことが何から何まで矛盾していて、女子大生アルバイトさんは大学生活を手抜きしつつバイトは顔で渡って、楽してズルばかりしているのではないか? とAさんが口角泡を飛ばして女子大生アルバイトさんを空想で批判しだす。空想でそこまで怒るかよ。
男子大学生アルバイトさんの通う大学は、当店から車で片道最短四十分もかかる大学で、そもそもそんなに長時間を通学にかけていて長時間バイトするのは難しい。
彼は確か政治経済学部だということだった。政治経済学部の忙しさはどれ程のもんだか知らないけれど、今の大学で特に面倒見のいいところは一年次からダラケないようにカリキュラムを組んでるそうなので、高校生の延長みたいな暮らしぶりをする大学生というのは、今や珍しくはない。
一方で、昔ながらに学生の自主性に任せている大学ならば、学年によっては必修科目がほんの数科目しかなく、自分で時間割を調整してある年度は死ぬほど多忙だがある年度はすごい暇、という風にすることができるだろう。基本的に、一二年と三四年に分けて、自分の就活の都合に合わせてどっちかに暇を偏らせるものではないだろうか。
こういう点、大学に行ったことのない人に解ってもらうのは難しく、私も大学生時代には両親に時間割のことであれこれ文句を言われて、説得するの大変だったなぁ、なんて思い出した。
とある増田経由でこのtogetterまとめにたどり着いたが。これはひどい。
山口先生の解析では山口(2008)で“男女の所得格差は男性に比べ女性に非正規雇用が多いことが一因ではあるが、より大きな原因は正規雇用者中の男女格差で、特に女性の管理職昇進率が男性に比べ著しく低いことが要因だ”ということが示され、さらに山口(2014ab)で勤続年数・就業時間・年齢・学歴・職場の種類だけでは男女の管理職割合/所得の格差を説明しきれない(これらの項目が全て同じだったとしてもまだ大きな男女格差が残る)ことが示された(※1,2)。
つまり、ショーン君の「山口一男氏を始めとして、多くの研究から所得の男女格差は女性が辞めたり時短にした結果によって生じているもので、そうしなければ女性の所得は男性並みであることが分かっておりますので、女性も自信をもって主たる家計支持者になって大丈夫ですよ。」は間違い。
むしろ何で山口先生の名前出したん?たぶん読んでないでしょ君。それで本人から訂正されるって一番恥ずかしいやつぅ。
……とまあ本来はここで終わり。あるいは、少し後退して「賃金の男女格差の要因の一部には女性が辞めたり時短にすることが含まれうる」と主張を弱めるか。はたまた「貴方の論文/解析は間違っている」と文献を挙げるか自分の研究結果を出すか。
※1:就業時間と管理職割合の関係は因果が両方向(長く労働する社員は管理職になりやすい/管理職になると労働時間が長くなる)だが、前者だけを考慮している。そのため、就業時間の実際の説明力は解析結果よりもっと弱い。
※2:平均の就業時間ではなく、就業時間区分に分けてその割合で解析している。理由としては平均値だとあまり男女差は無いが、区分分けすると“長時間労働者”区分の割合で男女差が大きくなるため。平均差より区分分けして解析した方が労働時間の説明力が高くなる。山口(2014a)では具体的に述べてはいないが山口(2014b)では週当たり平均労働時間の男女差は約4時間だが区分分けすると労働時間50時間以上の区分で女性割合が男性の3分の1になる。
ここからショーン君は鮮やかな論点ずらしを見せる。「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」という自分の発端のツイートとそれへの指摘は無視して、別の話を始める。
まあショーン君も実際に解析結果見て「あ、ヤベ」って思ったんだろうなあ。他の人の研究でも女の時短とか離職は数あるファクターの一つに過ぎないし。
『「男女格差は女性が辞めたり時短にした結果」ではありませんよ。要素の一つにすぎません』に反論しようがない。
でも凄いよショーン君は。まるで最初っからそう言ってたみたいに論点ずらすんだもん。ネット論客かくあるべし、みたいな?尊敬はしないけど。
1) 日本でも同じ勤続年数・職位・職階であれば所得の男女差はない
2) 日本の所得の男女差はa.勤続年数・職位・職階の分布の違いとb.職種の分布の違いで説明できる
というのが基本かと思います。
うんうん。まあもう少し言えば補正後も男女差は残るし、職階の分布の男女差の説明変数の一つが勤続年数なんだけど、まあ細かいことはいいんだよ。
山口先生と私が違っているのはそのファクトの解釈です。山口先生は例えば《意思決定ラインの登用には男性が優先されていると考えられ》とここに男女差別があるのだという解釈になっています。ですが、この解釈には直接的なエビデンスがありません。
うん?差別?突然出てきたが何の話だ。実際に解析結果では「係長‐課長‐部長という意思決定ラインの登用には男性が優先されている」し、少なくとも引用元では山口先生はそれを差別と呼んでいないぞ。
事務職コースみたいな、女性が多く(というか実質女性向け職)かつ賃金・昇給が低く抑えられている企業内コース制度のことは間接差別だと言ってるけど。
2020年管理職30%目標など企業も努力しており、その中で問題になってくるのが「女性に昇進を打診しても断られる」「管理職候補だった女性が寿退社してしまう」という問題です。女性の昇進意欲については山口先生の間接的データの解釈とは別に直接的エビデンスが存在します。
うぅん!?“昇進意欲”なるものが唐突に出てきた。え?女の時短や離職で賃金格差が生じてるんじゃなかったの?
しれっと別の話始めないでよショーン君。たぶん山口先生も混乱したでよ。
例えば、『多様な選択を可能にする学びに関する調査報告書』(gender.go.jp/research/kenky…)では女性の昇進意欲は男性のそれの半分です。パーソルの調査(rc.persol-group.co.jp/research/activ…)でも同様の結果で、日本の女性はアジアの中でも管理職昇進意欲が最低で、男女のオッズ比も最も大きい。
「女性に昇進を打診したのに断られる」という企業の困惑は実際そうでしょう。引用先から図表を持ってくるとこのようになります。
この問題は日本に限った話ではなく、例えばスーザン・ピンカーが「なぜ女は昇進を拒むのか」(hanmoto.com/bd/isbn/978415…)という本を書いていたりしますが、この本の主張はともあれ多かれ少なかれ「女性に昇進を断られる」という問題は現実的な話ではあります。
いやしれっと進めないでよね。それに女は昇進意欲が小さいんじゃい!と連呼されてもさ、それが職階分布の男女差をどれくらい説明できるのかなんも言ってないじゃん?(※3)
いやはややっぱりすり替えがうまい。女は昇進意欲が小さいというエビデンスを、それによって職階分布の男女差ひいては男女の賃金格差が生じているというエビデンスに誤認させてる。
山口先生がただ結果を述べているだけなのを「男女差別があるのだという解釈」ということにして信頼を毀損しようとする。
やりますねえ!
※3:たしか昇進・労働意欲の影響を調べた解析もあった気がする。あ、これだ馬&乾(2016)。これだと係長への昇進は意欲で一部説明可能だが課長以上はできないって結果。ちなみにこの調査では、管理職割合については属性格差(人的資本の男女差)より評価格差(人的資本の評価における男女格差。例えば同じ人的資本を持つ男女では男性の方がより評価されるなど)の影響の方が大きく、男女の職階差は差別的扱いに由来するものと結論付けている。馬ら(2017)でも昇進意欲の影響を見てるがこちらはもっと説明力が少ない。
次に、寿退社の話です。スローター「仕事と家庭は両立できない?」とその種になっているコラム"Why Women Still Can’t Have It All"(theatlantic.com/magazine/archi…)やサンドバーグ「Lean In」では夫選びの重要性が説かれます。妻の出世に協力的な夫でないと出世は難しいと言う話です。
こらまたアクロバティックな方向転換。なぜに夫選びの話に?
43歳でFacebookのCOO(その前はGoogle、さらにその前は米財務省の首席補佐官、その前はetc.)のスーパーウーマン、シェリル・サンドバーグが「女のリーダー少なすぎ!女だからって仕事辞めなくていいよ!子育ても仕事も両立できるし、バリバリ働けばキャリアだって男に負けない!頑張れ頑張れできるできる!!」と抜かすLean In (悪意的要約)と、それに「いや無理だし」と返しているアン・マリー・スローターを同じ意図で引用するってどういう脳みそだ。ほんとに読んだん?
夫選びに限定したって、サンドバーグは「理解のある夫くんが居れば無問題」、スローターは「夫は重要だけど、それだけじゃ無理」と言っている。
ちなみにショーン君の引用しているアン・マリー・スローターの文は日本語訳があるので置いとくよ。→https://courrier.jp/news/archives/77602/
最近の共働き志向の中では「出世に伴う転勤・引っ越しについてくる配偶者か否か」という問題で表出しやすくなっています。先生も研究者ですからポストを得るのに引っ越しが必要であり、現実的に引っ越しについてくる配偶者か別居を選ぶかしか選択肢がないのはご存じでしょう。
ただし、引っ越しについてくる夫を選ぶ女性が極めて少ないのは、中野円佳「育休世代のジレンマ」(kobunsha.com/shelf/book/isb…)4章2「なぜ夫選びに失敗するのか?」や、
あるいは有名どころで上野千鶴子のインタビュー(toyokeizai.net/articles/-/224…)にもそれは表れています。他人に白河桃子『「専業主夫」になりたい男たち』も同じ旨が書かれます。
女性が結婚相手選びで所得を重視するのは婚活産業や少子化関連の調査から明瞭で、言ってしまえば女性は自分の出世の邪魔になる夫を選んでしまうのですが、ここを変えようとしてもプライバシーへの干渉になるので、現実問題としてはここが非常に大きなボトルネックになっています。
まだまだ続くよ夫選びの話。ええい印象論はいい。エビデンスを出せエビデンスを。
って言うか最初に言ってた寿退社の話はどうなった。転勤・引っ越しと寿退社に何の関係があるんじゃ。
ちなみに山口(2014a)は制約は多いながらも「既婚および子供の有る女性/男性は、そうでない場合より昇進し難い/易い」という解析結果をだしている。あとさっき引用した馬&乾(2016)では結婚は女性の昇進に影響なし、男性にプラス。
しかし解釈は容易ではない(※4)。「夫が足引っ張るせいで妻が出世できない」のエビデンスには全く足りない。
あとこのツイートからわかるのはショーン君の「女が悪いフィルター」の強さかな。
「出世の邪魔になる夫」の問題じゃなくて『「出世の邪魔になる夫」を選ぶ女』の問題って言うんだぜ。賭けてもいいが、ショーン君ならDV被害はDV男を選ぶ女の問題って言ってくれるはず。
①/② 結婚が男性/女性(の昇進)にプラス/マイナスの効果を生じる
③/④ 独身が男性/女性(の昇進)にマイナス/プラスの効果を生じる
⑤/⑥ 昇進が男性/女性の結婚にプラス/マイナスの効果を生じる
①~⑥は全部同時に成立しうるし、①③⑤は⑦と、②④⑥は⑧と、⑦は⑧と排他である。
さらにプラス/マイナスが具体的に何によってもたらされるかも考えねばならない。超複雑!
最後に専門職の話。これは、実は「ジェンダーギャップ指数が良好な国ほど女性のSTEM系進学率が低くなる」現象があり、Gender-Equality Paradoxという名前で他国でも問題提起されています(eprints.leedsbeckett.ac.uk/id/eprint/4753…)。
問題提起?されたなあ確かに。その論文Stoet&Geary (2018)の信頼性についてだがね。
発端はこの論文に興味を持った他の研究者がデータから結果の再現を試みるも失敗したこと。よく見たらデータ自体も合わない(例えばポーランドの女性のSTEM学位取得率は43%だが、論文中では27%くらいになってる)ことが判明。著者らに問い合わせたんだ。
すると――聞いて驚け!――この論文の著者らはMethodsにも書いていない、非公開の独自の計算方法を用いて数値を算出していたのだと。
でまあ指摘を受けた著者は論文の大幅な――元論文の1割以上、1,113語にも及ぶ――修正をしている(Stoet&Geary, 2020)。
その訂正の多さもさることながら、元論文では言い切っていたところを「傾向(propensity)」という弱い表現に差し替えてる。つまり非公開の手法でデータいじって主張を誇張してたわけだ元論文は。
ぶっちゃけ個人的にはアウトもアウトな話だと思うんだけど、皆さんどう思う?
さらにそれを指摘した学者らの出したRichardson et al. (2020)では、国の数や男女平等の指標等が変わるだけで男女平等とSTEM分野の男女格差の相関は消えることが示された(=Stoet&Geary (2018)に再現性なし)。Richardsonら曰く「複数の指標や手法を試して結果の一貫性を確認すべき。自説に合う結果が出たやつだけ使うのはダメ」とのこと。
おっと、引用元の解説を長々しすぎた。Gender-Equality Paradox云々は置いといて、ショーン君が言いたいことは分かるよ。「女の選好のせい。女が悪い」でしょう?
良い手だが、それは結局ファクターの一つを提示したに過ぎない。それの説明力や、それがどの程度社会的に形成されたものであるのかが重要だ。
ちなみに山口先生の解析では、男女の専攻の選好は理工学部を除き、男女の職業分を説明しない。その理工学部にしても最大推定で約50%しか男女の職業分離を減少させない(※5)。
勘違いしないでほしいが、男女の選好の違いは男女のSTEM分野ないしより広い範囲の職業選択において重要なファクターの一つであることは間違いない。
論点はそれがどれくらい生物学的(対処不能)でどれくらい社会的(対処可能)であるかということだ。極端な主張の人達――100%生物学的 or 100%社会的――もいるがね。
※5:
男女の大学の選好の違いの多くは、男女の職業分離を説明しないが、例外は理工学部の女性の増大で、もし理工学部女性の割合が男性と同等になり、かつ彼女たちの職業分布が男性の理工学部卒の職業分布と同じになるという2条件が満たされるなら、タイプ1型(※6)の専門職割合の男女格差が最大の推定でほぼ半減すると期待できる。
※6: タイプ2専門職=教育・養育、医療・健康・看護、社会福祉分野の専門職から医師・歯科医師、大学教授(教員)を除いたもの。
タイプ1専門職=医師・歯科医師、大学教授(教員)およびタイプ2に含まれない専門職。
1) 元々出世意欲が低く打診しても断られる
まるで“山口先生が知らない問題”であるかのような口ぶりだが、2)と3)は山口先生の解析で男女の賃金格差の主因足りえないことが示されている(個別でも組み合わせても)。山口先生が研究で(たぶん)扱っていない1)についても要因の一つたり得るがエビデンスは少ない。
1) → 出世意欲の男女差では賃金/管理職割合格差を説明しきれない(調査も少ない)。
2) → 勤続年数が同じ(寿退社しない)でも格差は残る。また夫選びは勤続年数に影響を与えるファクターたり得るが、勤続年数そのものは
小さい頃から、唐突にものすごく不安なような寂しいような嫌な気持ちに取り憑かれることが時折あった。
それは例えば家族旅行の最中や、友達に誕生日をお祝いされているときや、好きな人と抱き合っているときや、とにかくうんと幸せなはずの瞬間に突然やってくるものだった。
日常で感じる不安や寂しさとは明らかに異質の感情で、不安や寂しさ、罪悪感、虚しさ、焦り、悲しみ、孤独、嫉妬、その他全ての負の感情と少しの懐かしさを混ぜ合わせて水で薄めたような不思議な感覚だった。
とにかく猛烈に嫌な感じだ。その感じが30秒〜1分ほど続くので、その間はとにかくじっと耐える。そうすればふっと消えるのだった。
成長して、異性と関係を持つようになると、行為の最中にそれが訪れるようになった。いつもじゃないし来るタイミングもまちまちで、頻繁に来る時期もあれば、数ヶ月来ない時期もある。
他人に共感を得られそうな内容でもないので、ずっとなんなんだこれは…という気持ちでいた。別に生活に支障があるわけではないが、ものすごく不思議だ。
ところがある日、たまたまネットで同じような現象を味わっている人を発見した。インターネットすごい。もう何年も前の投稿で、「これはなんですか、同じような人いますか」と書かれてあった。その文章があまりに私のイメージする感覚と重なっていたので、あっこれは、この人が言ってる感覚は、絶対に私の感じているそれだ!と感激し、同時にとてもほっとした。
その後調べてみると、全く解明されていないしこの現象が共有できる人もかなり少ないけれど、いないわけではなく一定数はいるのだと言うことがわかった。彼らはみんなそれが何なのかわからず共感も得られず一人で混乱したり、あるいは慣れたりしていた。
本当に言葉で言い表せない感覚なので表現はばらばらだったが、それでもあなたの感覚とわたしの感覚の正体が同じであるということを確信できた。ある人はそれを「学校のプールの匂いをかいだときのような、ノスタルジックな感じ」と表現した。ある人は「とても大切なものが永遠に失われてしまった時の感情」と表現した。不思議とどちらもしっくりくる表現だった。
こんな特殊な私的感覚をこうも共有することができるものなんだなあと嬉しく思った。ここ半年くらいそれは訪れていない。でも今度それがきたら、じっと耐えながらそうそうこれこれ、と少しニヤリとできるかもしれない。
唐突にサービスの終了を通告され、はてなブログへ強制移住された。
はてなブログには過去の記事を流し読みする機能がなく、もうあの当時の日記は読めない、自分の過去の記憶が裁断されスクラップにされたような酷い苦痛を味わった。
最近はてなブログに画像を貼るのはすごいお手軽な事に気付き、もっぱらはてなブログ万歳。画像があれば文章だけと違ってとても脳みそに残る。
はてなダイアリーが恋しいという気持ちはどこか遠くに吹き飛んだ。
で。はてなダイアリーってどんな画面だったのか、どういう仕様だったのか、というのがはてなブログに移住して月日が経つにつれ忘れてしまった。
日記のテキストデータは手元にxmlファイルとして残ってる。これをあの当時のはてなダイアリーのUIで読み込む方法が分からない。だれか教えてクレメンス
たまに紙のノートに書いたりして吐き出してたけど、どうもモヤモヤが晴れないので初増田してみる。
まず自分は俗に言うアスペとかそういうやつで、小学校からほぼマトモに学校に行けず、なんとか高校から支援学校に入って卒業。そこからバイトを半年ぐらいやってたけど唐突にクローン病が発覚したりして、全部面倒くさくなってニートに逆戻りしたのを経てA型支援事業所に入って半年ぐらいになる。
そこですら人間関係が上手く築けなくてメンタルが死にかけてるけど、これはまあいい。
タイトルに話を戻すと、事業所で自分たちみたいな人間を世話する役として支援員が存在してる。この中の一人の言動が、タイトルの感情を抱いた日からいちいち癇に障ってしょうがない。
まず、通っている事業所は休憩時間とかに外出してコンビニとかに行く場合は上で書いた支援員が一人はついて行かないと駄目な規則になってる。その日は昼食の弁当を持ってくるのを忘れたから、仕方なく同じように通ってる人達がコンビニに買いに行くらしかったからついて行った。
まずイラっときたのが、信号が変わって交差点を渡る時に「さ!変わったんで早く行きましょう!」と言いながらジェスチャーしたこと。んなこと言われんでも分かるわ。
そこから先も「今、車来てないんで渡りましょう!」だの、「道路の側は危ないので近寄らないでくださいね!(別に近寄ってない)」だの指示してくる。
まあそういう事を言うのも分からなくもない、自分含めてこんな場所に来る奴なんてだいたい診断書に「一人での生活は困難」とかそんな文章が書かれてた奴だろうから。ただ、事業所に戻るまでずっっっとそんな調子だったから(俺達は幼稚園児か?)と思ってしまったし、そういう言動を自覚してるのかしてないのか、自分はいいことをしているみたいな感情が見え見えの支援員にどうしても反感を抱いてしまった。
確かにアスペ持ちの人間なんて危なっかしく見えるかもしれないけど、もうちょっと気遣い方ってのがあるんじゃないか、とその日以来度々思う。
彼はガセの健康情報を流して炎上したり再生数工作的なテクニックが話題になったりと度々炎上騒動を起こし、自然とアンチスレが盛り上がるくらいにはアンチの多い存在となった。
彼は炎上スレや個人攻撃スレが盛り上がってると唐突に現れスクリプト爆撃でスレの機能停止を試み、『ネットイナゴから個人を救う』という名目で各板を荒らしまくり5ch中で恐らく最も嫌われている存在であった。(皮肉なことに、5chは書き込みの多いスレほど目立つ仕組みなので大抵の場合は逆効果)
その他になんJ、ニュー速、嫌儲、VIP、ゲハなど5ch(2ch時代も含む)の各板、したらば、ふたば、ニコニコ、ガルちゃん等、ネットに生息した古今東西の100人以上のクソコテや荒らし達、はたまた、対立煽りやガセを流しまくる無責任なコピペブログ管理人。
実はネット中の嫌われ者である彼らは全員が歌い手鋼兵と同一人物であり、彼は多数のプロバイダーと契約して回線を切替まくってネット中を100以上のそれぞれの名義のコテとして意思を持って長年同時進行的に大規模に荒らしまくったネット史上最大の荒らしだったというトンデモ疑惑が一部のネットでは囁かれている。
このトンデモ陰謀論はまとめwikiが作られるほどに進行していて、
https://w.atwiki.jp/f9kawamoto/pages/13.html
ちなみに、F9と同一人物疑惑のある荒らし一覧というwikiページにはこのように100人以上の荒らしの名前が同一人物疑惑として列挙されている。
これが事実だとすると、F9は単に炎上スレを潰す単なる荒らしではなく「生活すべてをかけてネット中を荒らし続けるとんでもないモンスター」という怪物像ができあがる。
『一部は虚偽も含む』とかではなく、この疑惑そのものがすべて嘘と妄想だけで構築されている。
例えば特定騒動で有名である長谷川某君の場合では、本人の過去の書き込みやアップロードした合格証画像から大学→出身高校→mixiの内容と次々掘られていったとか、
某色盲絵師の場合だと、IPログが残る掲示板に書き込んだ内容と本人っぽいIPが一致していたとか、
単なる炎上や個人攻撃騒動であっても、一応ちゃんと客観的に事実であると納得させるだけの一定以上の裏付けとそれが理路整然と書かれたまとめがあった。
根拠っぽいものを示してたりwikiにそれらしい経緯が綴られていることもあるが、
どれも「F9アンチスレにいきなり自称F9が降臨して鋼兵時代の行いを謝罪しだした」とか(鋼兵本人はTwitterで完全否定している)、
特に酷かったのは「何故かいつものトリップやbeをつけていない状態(要するに誰でもなりすませる状態)の自称有名荒らしが鋼兵アンチスレに自ら降臨し自白しだした」とか謎の人物の自白がほとんどベースになっている。
その他にも、居住地がコテごとにバラバラだったり鋼兵氏がニコニコの公式生放送出演中に上記のクソコテが普通に書き込んでいたりアホらしい矛盾だらけだ。
こんなレベルの証拠が積み重ねっていき、いつの間にか100人以上と同一人物というモンスター像ができあがった。
こういった経緯を見るに、恐らくだが炎上歌い手に粘着したい愉快犯がリテラシー低い陰謀論者相手に面白くてやってるんだろうと自分は見ている。
本スレ的なところで「この荒らしと鋼兵が同一人物だという証拠はあるの?」なんて質問しても恐らくはまともに答えられる奴は皆無だろう。
「(根拠皆無の)まとめwikiを見ろ!」とか「まーたいつもの奴が湧いてきたよw」みたいな反応をされて誤魔化されるのが関の山だ。
(もし↑を否定できる人がいるのなら、トラックバックでちゃんと第三者も納得できるエビデンスを上げて否定してみてほしい、絶対できないだろうけど)
ちゃんと昔の2ちゃんねるを知る古参の2ちゃんねらーからすると、突っ込むのもアホらしすぎるトンデモ陰謀論なのだが、何故かニコニコやニュー速を中心とした馬鹿の集まる一部のインターネットでは広く信じられている。
ちなみに、この陰謀論者が想定する『とんでもないモンスター荒らし』の本名とか個人情報のベースとなっているのは炎上歌い手鋼兵氏なので、一番ダメージを受けているのは特定された彼である。
見ず知らずのクソコテの過去の不謹慎書き込みやF9の荒らし行為の責任を何故か一身に背負わされ、本人のニコニコ大百科記事にはこの陰謀論が事実として綴られ、妄想だらけの『大規模荒らしと鋼兵は同一人物と確定!』というニコニコのまとめ動画はランキングに載り何も知らないニコニコユーザーに瞬く間に広まった。
参照 馬鹿どもの巣窟: https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%8B%BC%E5%85%B5
現在は落ち着いたが、一昔前は自宅にポスティングされたり近所に不審者情報のビラを撒かれるなどの物理的な嫌がらせもあったようだ。
愉快犯的に嘘振りまいてる人物の話であれば、それが人としては正しくないとしてもまあやってることはわかる。
ただ、ほんの少しググるなり頭使って考えるなりすればこんなアホみたいな話ありえるわけないってわかるだろうに、こんな穴だらけの陰謀論を信じてる馬鹿どもの頭の構造が自分にはどうしてもわからない。
クソコテ達も歌い手本人も、それぞれがそれぞれに嫌われる理由は持っている。
ただこれが全部同一人物だった、となるとそれはあまりに荒唐無稽な話になってしまうだろう。
その上証拠もない、なら別人だろう。これだけの話が何故わからない?
日本の超大手企業(繊維系)の内製システムのエンジニア採用を受けて落ちた時の記録
虚実織り交ぜて書いてるので真にうけないように
受かった人の話を聞いてみたい
割と普通の内容だったがRubyのコードを見せられたときは面食らった
サービスのアーキテクチャ設計するときに気をつけていることは何?
セキュリティ面で気をつけていることは何?
唐突にRubyのコードを見せられ、このコードの悪いところはどこですか?
サービス規模の割に社員数が少ないけどどんな編成になってるのか
なんでもクラウドベンダーの特定技術に縛られたくないからKubernetes使いたいみたいなことを言っていた気がする(そういうための技術じゃないけど)
なぜアプリエンジニアと面接したか不明(当方の専門はバックエンド)
経営陣がクラウドの予算を出さないが24/365守れと言われたらどうする
交渉してだめだったら
24/365関連の質問です。サービスをスパイクさせないためにはどうしますか?
あなたの考える最強のバックエンドアーキテクチャをおしえてください
質問を変えます、月の予算1億円もらったらどんな構成にしますか
// 過去にアプリ開発をしたことがあったのでアプリ開発について質問を受ける
iOS/Androidのアーキテクチャを設計するとしてどこまで同じ技術を使うように強制しますか
SwiftUIはメモリ食いまくりで大規模アプリでは使い物にならないことですね(ドヤ)
SwiftUIではメモリ食いすぎてインフィニットスクロールが使えません(ドヤ)
先ほどSwiftUIについての質問を受けましたが御社のアプリではSwiftUIを導入されてますか?
頬はモチモチとしていて、目は細く、嫌みのない笑みが愛らしい。子供の頃は大体そんなものだろう。そんな顔を思い出した。今はどうにも陰鬱とした気分である。
中学に通い始めた頃、自宅のマンションで飛び降りがあった。当時の友人と昼頃に遊んでいた記憶があるので、おそらく休日だったと思う。私の家で一緒に遊ぶために帰ってきたのだ。その時に事件を知った。
一階に設けられた公園の茂みに黄色い規制線が張られており、マスコミらしき大人たちが機材か何かの準備をしていた。すぐに飛び降りだと直感した。野次馬の数は意外にも少なく、私と友人も足早にその場を離れた。そういった空気が既に出来上がっていたのだ。結局その日はどうにも事件が気になり、早い内に遊びを切り上げてしまった。
結論を言ってしまえば、飛び降りたのは私の幼少期の友人だった。一つ年上で姉の同級生である。事件の発端はイジメで、その日は加害者の二人に飛び降りを強要されたらしい。即死だった。
葬式にも家族と参列したが、当時の私にとってはまるで記憶にない人物の葬式で、あまり印象には残っていない。加害者の内の一人が出席していたという噂だけは覚えている。それが先ほど、唐突に昔の顔を思い出した。
マンションに侵入防止用の金網が設置されているのは私たちが登っていたからだ。エントランスに「飲食・遊び禁止」の張り紙がされているのも私たちが原因だ。
時折無茶苦茶なことを言い始めますが、自分が怒りにとらわれていた時点での感情であって、日ごろから自分がそういった主張の人間というわけではありません。
ただ、そういう風な思考回路を辿ったよという事実が誰かの参考になるんじゃないかと思い記録しています。
また、タイトルの「理不尽な怒り」というのは、自分が勝手に理不尽に相手に怒りの感情を抱いたという意味です。
理不尽なのは私の考えがであって、叱責した側がではありません。
まずはどのような叱責であったかについて。
内容は、数日前の仕事においてある方にサポートしてもらったことについて、一言何かあってもいいんじゃないのかといった類のもの。
単純に私が忘れていたのが悪いので、叱責の内容自体はもっともなものだと思っています。
場所は職場の休憩所で、人が多く集まっている時間帯。非常に威圧的な態度での言葉で、言われている間私はすくみあがっていました。
いわゆる「人前で叱責する」というパワハラの一種みたいな感じです。上司ではなく先輩なのでパワハラとも少々異なる気がしますが。
申し訳ない気持ちと相手の威圧感に押されて頭が真っ白になった。
始業直後のことであったので、とりあえず仕事に取り掛かるもそのことが気になって頭が回らなくなる。この時点ではまだ叱責されたことを気にしている段階。
脳細胞の稼働率が普段と比較して70%ぐらいまで落ちているという感じがする。
思い返せば、あの日特に大きなミスを起こさなかった自分はよくやったと思う。
怒られたことを反芻しているうちに、言われた内容や場所、その時の相手の表情態度などパーツ分けをしてそれぞれに思いを巡らすようになる。
やはり仕事は片手間でやっている状態。脳細胞稼働率が70%で、30%ほどは常に怒られたことについて考えている。
「内容についてはわかるけど、何もあんな風に言わなくても」「そもそもあんな注目を集める場所で言うか」「挨拶を忘れていただけなのにあそこまで言われる必要はあったのか」「怒られたせいで仕事に手がつかない」
といった具合。思考が迷走を始め、相手自体への嫌悪感や怒りが混じり始める。
仕事が終わり余裕が出てきたことでさらに思考が迷走し、半ば個人攻撃、差別的思考のような内容が中心になっていく。
「そもそも日ごろから威圧感出しまくりで鬱陶しい」「前職が○○だって聞いたけど、研修で人間性を否定されたっていうんだったら人間のいるところに帰ってくるなよ」「普段から他の後輩も偉そうに見下してるしそんな態度で感謝してもらえると思ってるのか」等。
ベトナム帰還兵の悲哀を描いた名作で、母国に帰ってきても碌な仕事も貰えない青年、ランボーが感情を爆発させるシーンは映画史上屈指の名シーンだと思う。
私はそのシーンを見て帰還兵の苦しみに思いをはせた事があったが、ここで一つ実感した。
上下関係に異様に厳しく、威圧感があり、言葉はぶっきらぼうだが鋭く、暴力的で何をするか分からない。そのうえ何かあったときに物理的に制圧することも不可能。
前3つでも相当きつい。全部そろった帰還兵を自分が職場で受け入れられる自信はない。
考えてばかりで疲れたので、強めのアルコールを摂取し思考を吹っ飛ばす。
あまり気にならなくはなったがそれでも時折辛く感じる。
とりあず当日はここまで、明日は休日なので何とかなるだろうと考えて就寝。
テレビを見て気を紛らわそうとするが、一定間隔で怒られた時の声音と顔がフラッシュバックし始める。
傷が熱を持ち始めた時のようにじんじんと痛みとフラッシュバックが繰り返し、まるで自分の視界上に怒り色のペンキをぶちまけられたみたいだとか考え始めた時点で察する。
「やばいこれトラウマか、トラウマになりかけなのかこれは」なってる。
余りに繰り返し続けるので、発覚しにくい方向での嫌がらせの方法について考え始める。
あれでもないこれでもないと考えた上で「まだ陽性出てないコロナ患者がいたら、体液でも貰ってあの人中心にクラスター発生させたいなぁ」とか考えだした時点で瀕死だった理性が復活する。
ものすごく不毛だこの思考は。不毛だとわかっているのに思考がコントロールできない。
そもそも相手の主張内容自体は間違っていないのに、相手の人格を否定するような考えや相手を貶めるにはどうすればいいかという想像が頭をめぐって止まらない。
ここでまた唐突にあることを思い出す。この展開、三国志で死ぬほど見たやつだ。
人前で叱責されたことを根に持ち謀反を計画するも、事前にバレて族滅されたり。
酔っぱらった状態でのパワハラを根に持ち、出陣前の上司を裏切り殺したり。
気に食わない上司に不満をもちそれを口にしたことを讒言され、庶民に落とされたり。
張飛と関羽の部下は悪者扱いされがちだが、その気持ちを不覚にも理解してしまった。
あの人も主君に酷い仕打ちを受けつつもその場は耐え、のちに謀反に手を貸し復讐を果たした人物だった。
よく耐えられるもんだと思った。自分ならその場で動揺して打ち首だ。マジリスペクト。
さらに「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を思い出し、そんなわけがあるかと叫びたくなる。
自分が忘れたくても関係なく興味を引き、頭の一部を支配して、マイナスの感情と心身への不調をもたらす感情。
完全に好きの反対だ。バフとデバフの関係であり、興味という原点から正反対のベクトルを描く感じだ。
「好きの反対は……」などといった小洒落た言葉に何の意味もない。好きの反対は嫌いだという事実を直視したほうがいい。
嫌いな対象に対してばかり思考が向いて建設的なことを考えられない状態というのはかなり堪えた。
とりあえずこの感情はろくでもないものだという自覚を持ったので何とかしようと思って、鬼滅の刃のアニメを見始める。
漫画は読んだけどアニメは見てなかった。今無限列車編の4dxが上映されてるらしいのでこの休暇中に全部見ようと思いマラソンをスタートする。
水の呼吸って映像化するとこんなに奇麗なのとかそういう今更感あふれることを想いつつ全話見てそのまま勢いで映画館に行ってみてきた。
前々から「こんなまっすぐな主人公が評価されるなんて凄い時代だ」と思っていたけれど、改めて炭治郎君凄いな。
相手のことを否定したり、食って掛かったりしない。伊之助との会話で特に顕著で、話の腰を折らずにうまく相手を動かす技術が突き抜けている。
これぐらい器用かつまっすぐに人付き合いができたら素晴らしいだろうなと思いつつ感動のまま映画視聴終了。
大迫力で素晴らしい体験ができたが、常に微振動が続くので、途中でトイレのために退室する客がいたのが印象に残った。
怒られた話? そんなものどうでもいいや。
あの××のために思考回路を割いたこの数日間は完全に無駄だった。
負の感情に思考のリソースを割くの本当に無駄でしかないよね。あー無駄無駄。
↑のような思考をするようになったらかなり精神的に楽になった。
それなりに落ち着いたうえで、休み明け、同僚に「この前のアレなんだったの?」と聞かれたので「仕事関係で気が利いてないってちょっと怒られてねー」と軽く話をして独り相撲終了。
独り相撲をさんざんやったけど、なんだかんだで人に話を聞いてもらうのも大事だよねという話であった。
・怒りは二次感情と言うが、困惑や恐怖が怒りに煮詰まっていく過程を確認できたのはよかった。
・ハラスメントが成立するにあたっての、内容以外の要素の影響の大きさを実感できた。
・嫌いという感情がいかに不毛なものかを理解できた。これからは嫌わず憎まず梯子を外すよう努力します。
・謀反ってこうやって起こるんだなというのを肌で体験し、スケールの大きい経験をした気になった。歴史は繰り返す。
怒りに囚われているときの自分の感情がまるで自分でないみたいに制御できないことが非常に厄介で印象深かったのでみんなにもっと知られてほしいなと思う。
自分は普段から、「嫌いな相手のためにエネルギーを使うのが勿体ない」という理由で他人を嫌わないことをモットーにしていたから、怒りを抱いている状態でもある程度理性が働いたが、本当に自分ではない何かを必死で抑え込んでるような感覚を覚えた。
「ごめん無理なのおおおおお必死でやってるけど無理なのおおおおおうおおおおお本来の俺はこんなのじゃないいいいいい俺の思考に侵入するなぁあ脳のリソースを奪うなぁぁぁぁぁ助けてぇぇぇぇマジ無理いいいいい」という具合で悲鳴をあげながら向き合いました。善逸かよ。
中学のころ(俺にそんな時代があったとは!)、好きな女の子がいた。よくある話だ。
俗に言うスクールカーストのこともあり、まあ憧れに近いような存在ではあったが、
たびたび目が合うと、お互いじっと見つめ合っていたのだ。
僕の記憶以上に僕が彼女を意識して見てしまっていたのだろうし、
彼女としてもからかい甲斐があったか何も言わない僕に戸惑いもあったのだろうが、それは幸せなひとときではあった。
給食前のちょっとした空き時間なんかに目が合うと、そのまま2、3分くらいじーっとはにかんだような表情で曖昧に笑って、
見つめ合っていた。開け放った窓から入り込む風がクリーム色のカーテンをたなびかせ、真昼のけだるい光を透かしていた…
みたいなね。どこまで美化されているのかはもう定かではないが、甘い記憶だ。
で、まあ、よくある話だが、あるとき僕が言った何気ない一言が彼女を傷つけてしまった。
僕としては悪意のない軽口だったのだ。
ある出来事に付随し、単に彼女と長く一緒にいられる可能性がなくなってしまったことへの残念な思いが出てしまっただけだったのだが、
だが時と場合というものがある。それは今考えてもひどい言葉だった。
それで彼女は泣きだしてしまって、周りの女子に諫められながら僕はただ謝ることしかできなかった。
で、まあ、それで彼女とは疎遠になったまま、中学を卒業して、その後は何もない。
よくある話だ。だが…と続くわけでもない。何のオチもない。ここで再会するような大団円もない。
僕は過去に戻って彼女と再会した。未来から来た僕を彼女は不思議がらず、微笑んで迎えてくれた。
目が覚めて、気づいた。
あの一言がなかったら、どうだっただろう。というのを今まで考えたことがなかったことに。
その後の僕の人生も後悔の連続だったが、彼女のことは幾度となく考えた。後悔もした。
だが、今の今までそのことを考えたことがなかったのだ。
そうして次々に記憶から引き出されてきた、幾つか分岐点のようなものがあったのではないかということも。
中学の時、その後もいろんな場面で言葉を交わしたこと、高校の時も駅で彼女が遠くから手を振っていたこと。
僕はここに、この後悔にまみれた人生の原初的な後悔の形を見つけた。
それは盲点となり死角となり、僕の人生を封じていた。自ら蓋をしたようなものだ。
そうして人はそれを「人生」と呼ぶ。ここに至って気づく、ああこれが…、テレビとか小説でよく見てきた人生というやつか、と。
残念なことに、愚者は経験から学ぶことしかできない。それに気づくのに、僕はいささか年を取りすぎてしまっていた。
そうそう、そうだよね人生って。テレビで観たことあるわそういうの。よくある話、よくある人生。
ただ過ぎていくだけの、信じがたいほどに意味もなくただ過ぎていくだけの。
いざわが身に起こってみれば、どうしようもない。あらゆる可能性が閉ざされていくのだ。
でも、手を振って呼んでる、まだそう思ってる。
手遅れなのに。わかっているのに。
「XX民主党」・・・ 自由民主党、立憲民主党、国民民主党 のことを指してます。
この人らって、「相手を納得させるために、自分の意思をロジカルに表現しようとする習慣」
が欠如しているように見える。これってなんなんだろう。なぜなんだろう。と、考えています。
論理性の無さの具体例がコレ。
https://note.com/edanoyukio0531/n/n5fab565585bc
提案内容の良し悪しは僕には分からないが、立論のしかたが超イケてない。
枝野なんて政治家のなかではかなり頭いい方(僕よりも全然頭イイはず)なのに、これですよ。
冒頭で、台湾やNZうまくいってるよね、参考にできるよね と始めています。
本当は冒頭は「各国がコロナに苦しむ中、NZや台湾では感染封じ込めに概ね成功し、経済も順調に回復しています」とかの方が
うまく行っている理由が、ゼロコロナを目指して「徹底的な感染の封じ込めに取り組んだ」ことが奏功、
としている。これはさすがに雑すぎるだろう。
ゼロコロナを目指すことは、原因ではなくて、結果なのだろうに。
というのも。そもそも はじめから Withコロナを目指す国なんて いるわけがない。
仕方なく Withコロナでいかにして国民生活を回していけるか考えているわけですよね。
ゼロコロナを目指しさえすれば、ゼロコロナが達成できる、だったらパンデミックなんて起こってない。
んじゃ、なぜ台湾やNZではゼロコロナが達成できてるんだろうか?
この問いを立て、彼らのやっていることを分析し、日本も真似よう! まあそういう筋立てになるべきですよね。
ところがこの問いに対する答えは、「台湾とNZは島国!日本も同じ島国だからできるはずだ」で終わっているw
おいおい。
こんなふんわりした掛け声から、どう具体的な対策はが生み出されるかというと
台湾やNZの成功との関連性が全く見えない、3つのプランが唐突に出てきておわり。
なにこの「ぼくの考えたさいきょうのたいさく」。
なんとも、極めて残念な立論だと思うのですね。
たとえ提案内容が正しく、丹念に検討されたものだったとしても、それを納得させるための論理が破綻している。
これじゃ誰も立ち止まって聞いてくれやしないっすよ、残念極まりない。
なんでこんなことに、なってしまうのでしょうか。
僕が思うに。「自分の意見を、違う意見の持ち主に納得させようとする」
という良い大人なら、極めて日常的に行われる営み、XX民主党の人たちには欠如しているのではないか。
本来は選挙で勝つための王道っていうのは、自分の意見を、異なる意見をもつ有権者に訴えて、
ほおアイツの言うこともモットモだ、と思わせること(小泉純一郎なんかはそれだな)。
野党であればなおのこと、その戦略に頼らざるを得ないはずなんだが
XX民主党は与野党とわず、全員この試みを放棄して、次の戦略をとっている。
そうして票を集めるために、最初から結論を多数派意見に合わせようとするから、論理がおざなりになる。
論理がおざなりになるということは、大変深刻だと思うのですね。
「結論が正しければ正しいんだ」「連合の意見と一致したからこれがいいんだ」
で政策を決められると、困る。なぜか。
結論に至るプロセスがブラックボックス化されると何が問題かというと、
状況の変化に対して政策を柔軟に変えることができなくなる。
政策の前提となるINPUTに変化があれば、それは政策変更のトリガになるべきなのに
どのようなINPUTから政策が立案されているか可視化されていないと、その変化を検知できない。
かくして1945.8.15まで戦争が続けられる、と、まあこれは飛躍ですが
この問題が、自民党だけでなく、すべての XX民主党の政策立案で共通してんだよな。
この構造を変えるには、まずは人を全取り換えしてみるしかなさそうな気がしてます。
唐突にオーナーのやる気が爆上がりし、結果、夜の納品が充実した。21時くらいになると米飯とサンドイッチの棚がみっしりと埋まる。
そうなったのは、夕勤夜勤にオーナーが入らないようにシフトが調整されたからだ。なんか、Bさんが本業の影響でシフトに入れる曜日が変わったので、Aさんの出る曜日も変わり、上手いこと綺麗にシフトが埋まった。
オーナーはバイトの私どもがどんなに多忙でてんてこ舞いになろうが知ったこっちゃないので、バイトだけでシフトが回るなら、沢山品物が入荷するように発注する。
それにしたって、おにぎりの棚の手前から奥までギチギチに埋まるというのは久しぶりだ。ちゃんと朝のピークの途中に売り切れないようになっている。
でもって、週半ばからのFF商品フェアの宣伝に余念がない。クリスマスでさえ、「もっと売れますよ」という本部社員の説得を「いやうちはそういうの売れないから」と袖にしてフライヤーを早仕舞いしてしまったのに。
ただ、例年今頃っていうのは客足があまり多くない時期だ。今週の頭に世間の人達は給料日を迎えているが、お正月を過ぎるとお客様達の財布の紐は固くなりがち。そんな全力で唐揚げ揚げまくって売れるのかは知らない。
それに、コロナのご時世にやたら混雑するようなことをされても、店頭に立つ私どもバイトは、感染リスクが上がって給料は据え置きなので、あまり嬉しくはないよなぁと思う。当店、売上が上がったからといってバイトに平等に還元されることはないので。
オーナーがよく「明日の仕事を前倒ししてやってるので暫く話し掛けないでくれ」と言って事務所に引き込もって出てこないことがある。そういう時、実はオーナーはただ寝ているだけだとAさんが言った。そもそも、オーナーの「明日の仕事」と言ったって、発注業務など、コンビニの事務仕事は前倒しが利かないようになっていると、Aさんは言う。
ストーカー客がやたら高価なお菓子を日曜日にくれたので、Aさんがストーカー客にお礼を言った。ストーカー客は「皆で食べて」とか言わずに無言でAさんに大量の菓子を押し付けるようにくれたので、私も貰ったからといって私からも礼を言うのは変だということで、私は礼を言わなかった。そもそも色々忙しくてストーカー客が来た時には私はレジに居なかったし。
品出ししていたらストーカー客が私をガン見していて、私もお礼を言うべきなのだろうかと思ったけど、下手に礼を述べてプレゼントがエスカレートするのも困るので、徹底無視を決め込んだ。
唐突にreviewerがいない、とか何の話だよw
Nature is a weekly international journal publishing the finest peer-reviewed research in all fields of science and technology on the basis of its originality, importance, interdisciplinary interest, timeliness, accessibility, elegance and surprising conclusions.
理解ある彼くん現象とは、精神疾患や引きこもり等の女性が『女性の生きづらさ』『困窮した状況から立ち直った方法』をテーマに描いたコラムや漫画の中で『理解ある彼氏』が最終ページ辺りに唐突に登場し、男性パートナーの経済的・精神的な支えによっていきなりすべての問題がなんとかなってしまうというある意味デウス・エクス・マキナ的な超展開パターンがあまりにも多いため、皮肉や嫉妬を込めて『理解ある彼くん現象』とか『そ理彼(そんな私にも理解ある彼くんがいますの略)』などと言われるようになったネットスラングである。
逆に障害者や引きこもり男性の人生にこのような『理解ある彼女』が登場し経済的・精神的に支えられ人生におけるセーフティネットとして機能するケースはそ理彼に比べると極めて稀で(健常男性だったパートナーが結婚後に鬱病を発症したケースや数十年前の国民皆婚時代の話であれば例外的にないこともないが)、自由恋愛化した現代日本においての生まれながらの性的価値の差による男女の非対称性の象徴としてよく扱われている。
また、男性の自殺率などを持ち出し『男性と女性どちらが本当の弱者であるか』というテーマの議論でもよく議題に上がる内容だ。
ちなみにこれは『無能の世界』の男女の対比の話であって、例えばそこそこ良い大学を卒業していたりコミュニケーション能力が高かったりと男だろうと女だろうと現代社会で就業や恋愛や結婚に特に困ることのないような五体満足の男女とは全く別次元の社会問題であることは予め頭に入れておいてほしい。
解説するが、理解ある彼くんの正体とは『一応定職にはついているが健常者の女性に相手にされなかった冴えない非モテ男性』のことである。
恋愛競争に敗北したチー牛顔の彼らは『無職や障害者のメンヘラ女性を養う』という戦略を取ることでギリギリの境界で恋愛競争に振り落とされないように必死にしがみついているのだ。
男としての性的魅力は低いが『優しい』『メンヘラ相手でも面倒を見れる』『嫁を養えるレベルにはまともな経済力』という属性がたまたま彼女らのセーフティネットとしてマッチングし、双方の妥協と打算の歪な結果生まれたのがあの物語なのだ。
しかし、この構図は同時に、後世の男性に対する重大な加害行為ではないだろうか?
この漫画で描かれる多くの『性を売ることでしか生きていけない無能な女性』というのは、言い換えるともし彼女がたまたま男であれば生きていけない人間だったということだ。
この『性を売る』というのは売春行為だけでなく当然恋愛での優位性を利用して婚姻等の社会制度の中で『理解ある彼くんに面倒を見てもらう』ことも含まれる。
男性パートナーに依存して生きていくということは、大人として成熟していけば結婚、出産などのイベントからは多くの場合逃れられないだろう。
そして、精神疾患や発達障害などは高確率で子供に遺伝してしまう。
私が『理解ある彼くんに支えてもらいか弱い女性が幸せになったお話』を見たときに一番違和感を感じるのは、彼女らの間に生まれるかもしれない男の子、つまりは不幸の再生産による後世の男性に対する加害行為があまりにも見て見ぬ振りされすぎではないだろうか?という点だ。
生活や承認のために様々なものに目をつぶって『ただ女だから生きていけた無能な女性』が『男だというだけでは生きていけない無能な男性』をこの世界に生み出すことはあまりにも残酷ではないか?
生き方が多様化した現代社会、中には「私は理解ある彼くんと無能な女性の間に生まれた性的弱者の無能な男性であるが、それでも趣味や宗教に打ち込むことによって幸せな人生を送ることができた。」というような男性も、ミクロレベルにはいるのかもしれない、だがそんなレアケースが生まれることを期待して恋愛や生殖のような生物としての根源とも言える選択肢を生まれながらにして当人の意思とは関係なく奪われた弱者を生み出すことは果たして人道的であろうか?
Twitterなどで男女論で議論しているフェミニストやこのような論説に異を唱えているアカウントを追っていると、(勿論漫画化などされていない)暗数も含め『無能な女性が理解ある彼くんと結ばれることで不幸な人生を歩むであろう男の子を生産する』パターンはかなり多いように見える。
現代の発達障害者の男女の生涯未婚率などを比較すると、統計としてもより顕著になるだろう。
もしかすると、この歪な関係の男女の間に生まれてくるのが運良く女児である可能性もある、その場合、その娘は母親と同じように将来『理解ある彼くん』を生やすことで幸福や承認を掴むことは可能なのかもしれない。
しかし、結局は彼女らの子孫から男の子が生まれてしまうまで問題を先送りするだけのことだ。
弱い男性が恋愛や人間関係の中で淘汰され苦しまざるを得ない現代の構造は誰が悪いという話ではない。
それが自然の摂理、といえばそれまでだし、ほぼ全国民が見合い結婚をしていた数十年前の方が生物としてはおかしかったのかもしれない。
これは黒人の奴隷制や昭和時代の女性蔑視な法体制のように国家による責任でも、ましてや『彼らを選ばなかった女性』の責任でもないだろう。
国民に自由を与えた結果、たまたま彼らは選ばれなかっただけだ。
LGBTや黒人のように歴史的な道徳的優位性もなければ、彼らは被害者ですらないだろう。
しかし、そんな歴史の都合は本人達の苦しみとは何一つ関係ない。
100年前であれば、現代では考えられないような碌でなしの男ですら皆何も考えず結婚できていたのだろう。 労働者階級が農民中心の時代では、現代では無能扱いされる彼らも無能ではなかったのかもしれない。
もっと昔の狩猟時代であれば、生きることに必死でこんなことは考えすらしなかったのだろう。
たまたま時代と自己の存在がミスマッチしてしまった不幸な存在が現代の無能な男性なのである。
社会は自動化が進み労働環境は複雑化し続け、教育費は高騰。経済格差は今後も広がり続ける。
無能な社員を雇い続け海外からは『日本式経営』と揶揄される現代の終身雇用形態も合理性のもといつ終焉を迎えるのか誰にもわからない。
きっと無能男性に対して厳しい社会は今後も長い間続いていくのだろう。
社会が形を変え、自殺率や幸福度が更に悲惨な状態になり、無能な世界の男女格差がどれだけ広がっても、きっと彼らは被差別階級にすらなれないのだろう。
情報化によって無能な男がどんな惨めな末路を辿るのか、現代はこんなにもはっきりと知ることができてしまう。
今の世界は、無能な男が笑って胸を張って生きていけるほどまだ優しいものではない。
政治的な正しさなんて概念も、そこまで万能ではない。 『多様性』なんて甘い言葉にきっと苦しむ彼らの存在は含まれていない。
現代における政治的な正しさにおいては「どんな人間であれ恋愛や生殖の権利はあるし、か弱い彼女らがパートナーに救済され子供を持つことは何一つ間違っていない」という主張の方が圧倒的に正しいのだろう。
しかし、どんなに取り繕っても現代の自由経済・自由恋愛社会というものは性淘汰と優生思想の理のもとに機能していて、結局は彼女らの救済の物語とは性淘汰の苦しみを後世の男性にすべて押し付けているだけではないだろうか?
実の子供というのは親にとっては可愛いものだ。 それは多分、種としては出来損ないの息子であったとしてもだ。
理解ある彼くんと無能な女子との間に生まれてきた子供の存在意義を無理やりこじつけるとすれば、それはきっと弱い女性と冴えない男の人生に多少の彩りを与える愛玩動物なのであろう。
彼らの存在は、さしずめカップルが寂しさを紛らわすためにペットショップから貰ってきた去勢済みのポメラニアンと何も変わらないのだ。
悲しいことに、愛玩動物として生を全うするには人類は幾分賢すぎる。
もし今後このような物語を見たとき、少しでも思い出してほしい。
か弱い女性が『理解彼くん』に救われた明るい物語の陰には、その皺寄せにより生涯苦しみ抜かねばならない後世の男性がいるかもしれないことを。