はてなキーワード: 過食症とは
これから書くことは、すべて本当のことです。
嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間が人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。
知り合いの大塚くんが、わざわざ電車とタクシーを乗り継いで、東京の郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。
とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このときの自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝の言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、
といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。
そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくりと侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。
まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓から、きれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。
そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分の欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家と生活するというのは、彼女の生活よりも、はるかに地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。
浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。
「どうした?」
彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコンで暖房をつけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。
「仕事……無くなりました」
「お金か?なら僕が」
「いいえ、いりません」
貧乏な人。
僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。
「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。
彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女のなすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。
だから僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。
寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。
もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。
彼女の体重は僕が最後に彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパートの大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老の女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。
「過食症ですよ、ご存じですか」
「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。
「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから、今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」
いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。
「ほかにも、死んだ人が?」
「いますよ。伝染病が流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」
一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。
もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女の遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます。
寂しい
この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。
彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアムな人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。
特に、テレビの報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥なものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判のタネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。
一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。
僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。
雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女の墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています。
*
949。
この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だって、あんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから。
僕は狭い6畳のアパートにいます。学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。
若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。
コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たちは自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。
そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章をネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まりの文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから。
大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。
みんなと同じ。
そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナースの彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独だから、寂しいから、みんな、死んでいくのです。
みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。
なんとか、なる。
そう書いた作家もおりました。みんな同じです。
みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます。
僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。
僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車に飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。
みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。
いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在」から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。
でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。
経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。
それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。
僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます。
それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。
自分の中で不安な気持ちやストレスが高まると、コンビニやスーパーのお惣菜や弁当を2-3個食いしてしまう。体にはすごく悪いことをしている自覚はある。ただ無性に食べたくなる。食べたくなるっていうか、脂っこくて味の濃いものを口いっぱいに頬張って飲み込むと胸のあたりにある穴が少しだけ埋まる感じがする。今日もそうだった。スーパーで弁当を2個買って、人目の少ない物陰で一緒に買ったエナドリで流し込むように食道の方に押し込んだ。何でこんなことしてしまうんだろう。お金も勿体無いし、体にも悪い。でも定期的にやってしまう。長らく健康診断の類は受けていないけど、内臓はボロボロなんだろうなぁ。一通り飲み込んで冷静になった後はこんな感じで自己嫌悪タイムになる。吐いたりとかはしたことないので過食症まではいかないのかな?よく分からん。何か「またやっちゃった、あーあ」っていつもの感じで思った流れで投稿してみてる。ひとまず次のかかりつけ精神科でのカウンセリングで報告してみることにする。脳に騙されて腸が泣いてるよ…。あーあ、いい年した大人の男が何やってるんだろう。
※一部汚い話になるので注意
きっかけはダイエットだったんだけど、もっと根本的な原因があったんだと思う。
よく摂食障害は母親との関係が原因とか言われてて、認めたくないけど本当かもしれん。
自分は母とわりと仲がいい方だと思ってたし幸いお金に困るような家庭じゃない。だけど小学生の頃、やたらと私の体型をいじってきた。お尻大きいとか、足太いとか。今思うといたって普通体型だったし写真を見てもそう思う。むしろ他の子より痩せてるくらい。でも母の言うことを気にして、小5くらいからカロリー計算を始めた。小学生のくせに食べ物とか栄養にやたら詳しいっていう(笑)
中学生になったらもっと気にして、減量を始めたら面白いほど落ちて、気付いたら自分でも引くほど痩せてた。数字よりも体の脂肪が嫌で、そのことを考えるとものが食べられなかった。ガリガリになった私を見て母親は「ちょっと痩せすぎちゃっただけだよね?もう少し食べなさい。」と言った。そのことに何故かイライラして部屋で泣いた。30kgしかないの知ってるくせに。
高校進学して過食症に転じてしまってからは食べる量がめちゃくちゃ増えて体重も戻った。ある日私が食べたパンの包装(ゴミ)を見て母は「またこんなもん食べてる!だからブクブク太るんだよ」って言ったんだ。その日を境に吐くようになった。
半年かそれくらい続いた。最初はもうあれもこれも食べたい!って頭がいっぱいで、とにかく好きなものを食べた。1日の終わりにはいろんな人に申し訳なく思って泣いて、そのくせ翌朝はまた食べ物のこと考えてた。自分じゃセーブできない。歯も心配で必要以上に磨いていた。(止めれば済む話なのに)
とはいえ何故かだんだん飽きてきて、食べたいものがなくなってった。あんなに食べたかったのに、もうめんどくさかった。脳が、受験勉強の方がやばいよって思ったのかも。進学校だったし周りに負けたくなくて勉強に集中した。
運良く大学に進学した今では本当に不思議なくらい食べ物への執着がない。カロリー計算もしようと思えばできるけど、前みたいに無意識にできない。
自分がなんで摂食障害だったのかすらわからないし、もう戻らないだろうと思っている。完治はしない病気と言われているが、私はもう二度とあんな風にならないというか、なれない。正直、摂食障害患ってたときはすごく頑張ってた。勉強も部活も何もかも頑張ってた。今はあの頃に比べたら怠けすぎて無理だ。だからああはなれない。無理に食べないようにするのも、異常なほど食べるのも吐くのも泣くのもすごく疲れる。
Twitterには長く苦しんでる人の声が沢山あって、偶にそういったツイートがバズるたびに少しだけ思い出してしまう。自分はあくまでギリギリ引き返せただけだから、もっと苦しんでる人たちの痛みはどれほどのものかと考えると泣きそうになる。彼らのほうが泣きたいはずなのに。
成人してからやっと母と喧嘩もできるようになって、その精神性というか人間性がやっとわかってきた。私に言われたくないだろうけど、子供のままなんだなって思った。
そういう意味でも反抗期ってあったほうが絶対いいやつやん〜親は完璧じゃないし完璧を求めちゃいけないんだって早く気づくべきだった。
まーでもあの頃は親が全てだったから無理か。
長くてすまん
読んでくれた人(もしいたら)ありがとう
過食症の人などは病気なので自分のキャパ以上に食べてしまうのは理解できる
普通の人もストレス解消で手当たり次第にものを食べて過食してしまったりすることがある。たまになら仕方ないかなと思う。
しかし、食い意地がはっていて、空腹ではないのにものを食べようとする習慣がある奴が気持ち悪い
食事をしたあとにプリンやアイスやケーキやデザートを食べるのは普通だと思うが、そのあとも食事が続行して、ポテトチップス等のお菓子を食べたりするのは明らかに過食なので端から見ていて気持ち悪い。
お腹がすいてるんじゃなくて、口が寂しいから、とかストレス解消でとか、深い考えもなくものを口に運んでるんだと思うと気持ち悪い
身内にそういうやつがいて、食事後に毎回お菓子を食べてジュースを飲むのが習慣になっている。食事をしたんだから満腹になっているはずなのに…
そいつの体型は太っておらず頻繁に飲み物を飲むし、すでに頻尿になっているため、もう糖尿病になっているかもしれない。昼食はいつも菓子パンを食べている。菓子パンは体に悪いのでたまにならいいけどほぼ毎日摂取だからヤバイかも。
大嫌いな奴なのでバチが当たって、早く糖尿病になればいいのにと思う
「ゲーム脳の恐怖」が話題になっていた頃、非科学的なデマだと笑う人間が多かったけど、これって程度問題だよな。
ゲーム完全禁止は極端だし、男子学生だったら同級生との会話についていけなくなる。
でも「ゲーム脳の恐怖」が話題になって笑われていたころ、WHOの認定基準レベルの病的な依存状態に陥っていた子供もいたはずで、
ゲーム依存を原因とした不登校や低学歴化という問題はあったはずなんだよ。
性依存症についても、相手を異常な頻度で取り換えたり、病気うつされてもカードローンかさんでも風俗に行きまくるのをやめられなかったり、
1日5時間エロ動画見たり、そういう病的な程度というものがあるんだが、というか程度こそがキモなんだが、
程度の話をすべて無視して「性欲を否定するのか?少子化、国力衰退、人類の否定」みたいな話に持っていく人間がいる。
ゲーム依存や性依存を問題としてとりあげることは、ゲームと性を否定しているわけではない。程度の話をしている。
摂食障害の問題をとりあげることが、食事を否定することになるのか?
今日、とんでもない量を食べた。ざっとあげると、パン、チョコ、モンブラン、パスタ、唐揚げ、ご飯、ピザ…etc。それぞれ1個ずつじゃないからやばい。量がやばい。
でもねえ、食べちまったよ。食べ切っちゃった。
初めは美味しい美味しいって食べるけど、後から胃が辛くなってくるんだよね。ただそれを飲み込む作業になる。でも美味しいからさ。辛いけど、美味しいから全部食べる。甘いもん食べたらしょっぱいもん食べて、また別の甘いもんって風に。
今めちゃくちゃ腹が痛い。そりゃあ胃にそぐわないもん詰め込んじゃったからね。正直、コンビニとドラッグストアで食べ物を買う時に思ったよ。「これ食べきったら腹はち切れるな」って。でもさ、そんなことより口と腹に入れたいって欲望が勝つんだよね。まあ、結局後悔するんだけど。
こんなドカ食いばっかりしてるから、体重は重いよ。普通の女子よりは確実に重い。だからドカ食いの度に絶食してる。そんで体重落として、またドカ食い。無限ループ。
でもさ、最近はちゃんと栄養を考えて、しっかり食べながらダイエットしてて、だから大丈夫だって思ってたんだよね。「私、人並みの食生活できてる!」って思ってた。
友人とケーキを1個食べたらスイッチが入っちゃいました。自制心の欠片もなく、我慢の2文字すら思い出せずにドカ食いしました。
ケーキ1個でなんで満足出来なかったんだろうね。お茶碗1杯のご飯で、パン1個で、なんで我慢出来なかったんだろうね。幼稚園児かな。それとも野生児かな。本能のまま生きる猿かな。
あー阿呆だ。普通に嗜好品を窘める人間になりたいね。ダイエットのストレスなんか無かったのに。なんでドカ食いなんてしてしまったのか分からないよ。野生児だからか。そっか。
今すっごく吐きそう。食道まで上がってきてるのが分かる。過食症とか過食嘔吐とか拒食症とか歯が溶けるとかそんなもんが怖いから吐かないけど。めちゃくちゃ吐きてえ。苦しい。
俺摂食障害(過食症)なんだけど、まあわかりやすく言うとDE・BUなんだけど、なんで過食するかって腹が減るからなんだよね。もう常に食べてないと腹ペコあおむし。それがさあ、これ以上太るといろいろやばいって医者に言われるとこまで来てしまい、しゃーなしにオーソドックスなダイエットはじめたのね。タンパク質食って筋トレしてテキトーに歩く。んでびっくりしたんだけどタンパク質ってすごい腹持ち良くてあんまりお腹すかない。必要タンパク取ったらマジで胃のスペースが余ってなくて過食する余裕がない……今まで朝飯食って10時ごろこっそりおやつ食べる必要あったけど、今もそりゃ食べたいけど飢餓感がない。すごい。
要は過食症名乗ってて太ってる奴は皆ただのデブの言い訳に病気利用してるゴミっていいたいの?
私は摂食障害とも巨デブとも無縁だし特別スタイル良くもない普通体型だからよく知らないけどさ、あんただって世界中の過食症の人間全部見てきたわけじゃないんでしょ?もし本当に過食症が原因で肥満になった人がいたらどうするの?
てか本当の摂食障害って何?その病気に苦しんでいる人は等しく同じ病人で偽も本当もないんじゃないの?その子が絶対努力していないってなんで赤の他人のあんたが言い切れるの?
医者でもないたかが一病人風情が全部わかったような口利かないほうがいいよ。
みんなが同じ悩み持ってるっていうけど、そのみんなってたかがTwitterとか狭い世界の数十人程度のフォロワーの話でしょ?それで自分達と同じように痩せていない人は摂食障害じゃなくて甘えってなんで言い切れるの?
あんたに何の権利があってそこまで口汚く罵れるんだろう。摂食障害の前に頭の病気疑ったほうがいいんじゃない?あんたの方がよっぽどクソだわ。きもすぎ
わかる。過食って単語だけ見て、自分が食べる事を我慢できないだけの問題を病気のせいにしたい奴多いんだよね。代償行動がある事も知らないで過食症だから食べるのやめられないわー太ったわー辛いわーって、アホかよ笑
私ら摂食障害持ちは何年も過食嘔吐と拒食繰り返して苦しんでるのに
お前はただ自制なくダラダラ食べて、毎日毎日グダグダ 自堕落な生活続けて、その結果ぶくぶく太っただけじゃん
ストレスで我慢できずにお菓子食べちゃって太りました〜って当たり前だろ
呑気にお気楽に暴飲暴食繰り返して百貫デブになっただけで摂食障害名乗るとかクズ過ぎて逆に尊敬するわ
そんなの際限なく食ったら誰でも太るに決まってるだろ
お前は過食症って大量に食べるだけだと思ってるんだろうけど代償行動ってものが起きるから過食症のせいで何10キロも太るなんてことは無い。体重や体型は変わらないまま症状だけがひどくなる、だから拒食症より変化をわかってもらいづらくて苦しむって人もいたよ。
私みたいに拒食症と交互に起きるタイプなら過食しても吐くし、飲み込むことすら出来なくなるし、ずっとそんなんばっかりだからガリガリにやつれていくんだよ。痩せてるとかスリムなんて綺麗なもんじゃない。醜いよ。大嫌いだよこんな自分
これは私だけじゃなく同じ症状で悩んでる子フォロワーにもたくさんいて、みんながそれぞれ同じような悩みとたたかってる。
本当の摂食障害持ちの症状や悩み、苦しみってこういうのなんだよ。つまり何が言いたいかってお前みたいな摂食障害患者あり得ないんだよ。ただの肥満のくせになめてんのかクソ巨デブ
通院もしてる、治したいと思って努力してるけどそれでも過食嘔吐とか拒食に苦しんでる摂食障害持ちの気持ちわからないくせに
ただ馬鹿みたいに食って太った自制心のないお前のだらしなさを正当化すんな
何がムカつくってどうせ暴飲暴食やめたり運動したり努力次第で治るただの肥満のくせに、まるで私たちと同じ辛さ苦しさを抱えてるみたいな、あたしが太ったのはあたし悪くないんです太りたくて太ってるんじゃないんですわかってくれるよねっていうその甘ったれた根性がムカつくんだよ
お前のそれは病気なんかじゃなくて
ただの怠慢、甘えなんだよ
お前みたいなクズが、自制心のなさの言い訳に摂食障害を簡単に使うせいで世間からの摂食障害に対する誤解や風当たりが強くなっていくんだよ
本当の摂食障害のつらさわからないくせにファッション摂食障害やめろ
お前の甘えと私たちの苦しみ一緒にすんな
40万円で任意整理かー。
私、20歳のときに生活費のためにキャッシングリボ払いで借金して、最終的に50万円くらいになって、さらに当時は法規制が緩くとんでもない金利だったので、払っても払っても元本が減らないという時期を経て、最終的に3年以上かかって完済したよ。
過払い金の請求はしなかった。
20歳当時の手取りは12万円だったかな。なんために生きてるのか、死ぬほどつらい仕事をするために生きてるみたいな感じだった。仕事をするために生きてるなら、こんなにつらい思いをしてまで生きなきゃならないなら、生きてる意味がないと思ってた。
当時は本当に死にたいと思ってたけど、あのとき痛い目にあったから借金の怖さが分かったし、今はおそろしく高くついた社会勉強だと思ってる。
35歳の今は貯金が約600万円。借金は一切しない、ローンも組まない。すべて一括払い主義。投資もしてない。元本割れの可能性があることはしない主義。ギャンブルも当然しない。あのときと違うのは自分第一主義になったこと。誰よりもまず自分の利益を第一に考える。善き行いは余裕がある人の余暇なのだ。カツカツの人間は他人のことより自分の利益が一番でいい。20歳当時は頭がおかしくなってて過食症になってデブになるわ食費で生活費が嵩むわで大変だったけど、自分で認知行動療法を勉強して2年くらいかかったけど過食症も治った。ダイエットして今は痩せてる。ちなみに私は双極性障害で手帳2級。障害年金はなし(初診がいったいどこのクリニックだったか不明なため)。薬は全然効かないときとすごく効く時がある。効かない時は耐えるしかない。時間が過ぎるのを待つ。自立支援は旧32条時代から利用してる(命の電話に相談したときに教えてもらった)。公的な相談先をたくさん見つけておくとよいと思う。元増田は今がいちばんつらいときだと思うので、今だけ耐えて、あとはその苦しみから何かを学び取れたらそれを次に活かせばよりよい人生が待ってると思う。