はてなキーワード: おせち料理とは
自分は甘いものが全然好きでない女性。どのくらいかというと、デザートにすてきなケーキを一つ選べるレストランがあったとして、断るか友達にあげるくらい。干し芋とかビターチョコ、フルーツポンチは好きだけど、いわゆる砂糖の入った菓子はもらっても誰かにあげてしまうくらい好きではない。
味覚の刺激としての甘さが強すぎて、お菓子の味の違いはあまりよくわからない。
小さい頃は甘いものもそこそこ好きだったらしいけど、母に虫歯になるからと止められていて、ケーキはほとんど食べたことがなかった。誕生日はいつもフルーツポンチで、それでとても満足だった。
いとこや兄弟、家族など周りを見ていると、女性も男性も関係なく甘いものが好きな人は多いように見える。
おおっぴらに「ケーキ食べたい!」というのはかわいらしすぎるから男性は言いづらい、というだけじゃないのかな。人類みんな甘いものが好きで、昭和の男性は甘いものを好きと言えなかったけど、最近そうでもないのでみんな甘いもの好きと公に言っている、というのが正しいように思う。
女性は生理の時に甘いものが食べたくなる、という感覚はわかって、自分もときどきそういう感覚になるので、だいたいビターチョコとかヨーグルト(加糖)とか食べている。でも、せいぜい1ヶ月に2日あるかどうかというくらい。
フランス料理とか郷土料理とか見ても昔の貴族やハレの日は男女構わず甘いものを食べて喜んでいたようだし、やっぱり「女性は甘いものが好き」というのは先天的なものではなく文化的に作られたものだよなあとおもう。おせち料理を食べていて甘すぎて箸が進まないな、と思ったときに考えた。
最近、「アメコミの多様性の方向性って、いわゆる『多様性の統一』(かみ砕いて言えば、おせち料理の具の多様性みたいなもの)じゃないの?」に対して「そんなことはない、アメコミにも日本の漫画並みの多様性がある」みたいな反論をする人々がいて、調べるとまあまあ、『最近は』色々な種類の漫画がみられるんだけど
ただ、これって調べていくとさ、別にアメリカのコミックに元々日本の漫画のような多様性があったわけじゃなくて、ようするに『日本の漫画を見たアメリカ人が「ああ、コミックでこういうことを表現していいんだ」と気がついて描き始めた』最近の動向のように思えるんだ。実際それ以前のアメコミには『ヒーロー系』と『(社会批判性の濃い)日常系』以外のものはほとんど見られない
つまり、そもそも(ポリコレ推進以前に)アメコミに多様性なんてあんまりなかったし、だからアメコミはフェミズムに基づく、表現を『さらに』不自由にする圧力を難なく受け入れたと
逆に、もし日本の漫画がアメリカにまったく浸透していなかったら、表現の場としてのアメリカのコミックはもっと悲惨な状況になっていたんだろうと
盆や彼岸の準備とか年末の大掃除とか季節飾りの用意とか、祖父の主導で男手メインにやってたからそういうもんかと思ってたけど、世の中的にはそうではないらしい
おせち料理とか、時期の仏前のお供えのご飯とかは祖母と時々母がやってたから、料理とそれ以外っていう住み分けだったのか…?
でも端午の節句の笹巻きとか、ぼた餅おはぎとか、年末の餅つきとかは家族全員でやる行事だったし、クリスマスとかハロウィンとかバレンタインとかは父が張り切ってなんか用意とかしてた
誰かと暮らす予定は今のところないけど、特別な日の用意の方針が生まれつき違うときどう折り合いをつけていくんだろうか…
長年付き合って結婚するなら、季節の行事の話なんかもすることあるんだろうけど、出会って二、三ヶ月で結婚までこなすような婚活してると結婚してから拗れたりしないのかな
そのせいか、田舎にしてはまあまあな贅沢な生活をしているので、田舎のフランス料理や日本懐石の高級店などは顔なじみだった。
当然ながら美味しい食事は大好きで、酒もたくさん飲むし、よく来るので上客だったと思う
だが最近行く頻度がめっきり減っている。この前半年以上ぶりになじみのフランス料理屋に行った。今までは月二~週一ペースだったのにだ。
お店としては当然、お久しぶりですね、もっと来て欲しい、と言うことを言うのだが、行けなくなった理由は一つだけ。
「年取ってフルコースが食えねえ」
懐石もそうだ。ずらっとテーブルに並べられたたくさんの料理はもう入らない。
料理の質を上げて量を減らしてくれていい、というのだが、「食べられなかったら残して貰ってかまわない」と言われる。
いや、わかるよ~わかるんだけどさ~昭和の人間には「出された物を残す」ってすげえストレスなんだよ~
俺なんて特に、若造で金がない頃にもらいもののごはんに醤油だけかけて食べる様な生活して会社をでっかくした人間だから食事を残すとか無理なんだよ
そりゃ数万円のお値段とって、「前菜と魚とごはんだけでいいです」みたいなの嫌だと思うよ、でもマジ食えないんだよ~
おいしいから残したくないけど腹が苦しいのに食べるの苦痛でしかないし。
おせち料理とかは頼むけどさ。
食べたくないわけじゃないしその料理人の料理は好きなだけに申し訳ない。
ちょろっと気軽にパスタ食べたい、とかいえればいいがまあそういう店じゃないし、あっちも店で十万以上ぽーんと使う俺を望んでいるのであって、数千円のパスタ食う俺は望んでないだろうしな
あまりにホットクックに感動しすぎて全体的にステマ?ダイマ?みたいになってるけど許してほしい。
私は30年間実家暮らしで仕事と趣味に明け暮れてたのでもともと食事にさほど興味がなかった。
どれくらい興味がなかったかと言うと、中学生の時は夏休みに菓子パン+母の作った夕飯だけで一月に5キロ痩せてもなんとも思わなかったし、
同棲はじめてとりあえずキッチンの形作りのためだけに買った炊飯器がほんの3000円の激安品でも「まあ米のおいしさは変わらん」とまったく気にせずに使いまくってるほどだ。
さすがに同棲初期の頃に考えていた共働きの食事の問題の解決策として「そのへんのホームセンターで買った大鍋でカレーを常に作りおいて毎日食べる」作戦は旦那がいやな顔をしたので即ボツになった。
さてここに当たって問題が発生した。
カレーはスパイスの味しかわからないから気にならなかったのだが、それ以外の料理を食べると、あまりにも母の作ってくれた料理と味が乖離しすぎていてマズいのだ。
思えば昼に菓子パンしか食べなかった私でも夕飯は母のご飯を食べていた。
大人になり社会に出て金銭的にも余裕が出ても食事に興味のない、つまり外食で何かを食べたいという欲求のなかった私は、仕事から帰ってきたら当然のように母のご飯を食べていた。
同棲を始めて親元を離れ、外食も惣菜も弁当も食べた私は唐突に理解した。
母の料理が一番おいしいからそれ以外の食事に興味がなかったのだ。と。
完全に想定外である。まさか同棲しながら毎日母親にご飯をもらいに行くわけにはいかないし常識的に考えておかしい。
当然の帰結として母にLINEの通話でレシピや料理法を聞きながらの週末ワンツーマンレッスンになった。
しかし平日は働いて週末は料理は大変すぎた。旦那ももちろん作り置きに一品二品は作ってくれるがそれでも大変だった。
趣味のゲームも友人とのオンラインゲームもやってられない。なにせ掃除に料理に作り置きに洗濯にとくるくる動き回ってるうちに貴重な休日の半分は細切れにされてなくなってしまうのだ。
それでもおいしい料理は食べたい。母レシピを食べたい。できたら簡単に。
そんな折にTwitterでホットクックをめちゃくちゃ宣伝してるツイートを見つけた。
私は何も考えずに購入した。旦那には事後報告だったが快くOKしてくれた。
約三日後、届いた箱を開封するとレシピ本と無駄に横にでかい炊飯器のような真っ赤な鍋が箱から出てきた。
説明書を読んで簡単に手入れ方法を理解すると、ホットクックを説明書に書かれているとおりにセットして、次にレシピ本を読む。
レシピ本には写真付きでかなり詳細に料理を完成させるために必要な食材と調味料、そしてホットクックに命じるための番号が書かれていた。
そもそもお互いにどんな料理がこの世にあるのだというリサーチも不足していたのだ。私たちはレシピの写真を見ながら「あれを食べたい、これを食べたい」と会話し始めた。
そしてそこに書かれているままに食材と必要な調味料から我が家になかったぶんをメモすると、すぐに買い物に出掛けた。
アラームが鳴ったら料理を耐熱の保存容器に移し、軽く中を洗って、また食材を放り込んで趣味に戻る。
夕方までに簡単に3〜4品をゲームをやりながら作ることができた。
最初のうちはレシピ通りにつくったりしたらあまりのマズさにびっくりしたりもしたが、以前の模索時期に母に聞いた調味料配分を元にホットクックようにアレンジしたらほぼ解決した。一言で言うとダシとめんつゆは偉大だった。企業努力を信じろ。
そして我が家の平日のご飯の選択肢から外食と惣菜と弁当はほぼ消え去った。たいていそれらよりホットクックから出来上がる料理のほうが美味しいから当然である。
平日は見事リモート業務にうつれた旦那が鍋をセットしてホットクックの再度あたため機能を押すだけなのだから作業も簡単。私は家に帰ると悠々と自分好みに味付けした暖かい晩ご飯を食べられるという次第である。
それから半年、同じものが連続すると静かにいやな顔をする旦那にはレシピ本を追加で買って与え、「この中で食べたいやつを選んでくれたら作るよ」と聞くようにしたら、いい感じのを選んでくれるので私が選んだやつも合わせてすべての食材の買い出しまでやってくれるようになった。
私がやるべきは用意された食材を書いてあるとおりにカットし、書いてあるままに(たまにアレンジしつつ)調味料を入れるだけである。あとは料理後の片付けと洗い物くらいか。
緩和策は多々考えられるので、ここでは極論に近い対策を挙げています。他にもこれが危ないとかもっと良い対策があればぜひご紹介くださいね。
普段会わない偉い人や同じ職場でもあまり会話しない人と話す機会もあるでしょうから飛沫喰らうこともあるでしょうし、飛沫が降下した食品を口にしてしまうかもしれません。
忘年会でウイルス貰って帰省して地元に拡散、地元でウイルス貰って新年会で拡散、どちらのシナリオもあり得ます。
深刻な感染状況の地域から他の地域へとウイルスを拡散させることもあるでしょう。
特に長距離・長時間の移動であれば、その道中で感染してしまうこともあるかもしれません。
数十分や数時間と並んで参拝するのは屋外とは言え飛沫喰らうこともあるでしょう。飛沫は前方だけではなく横方向にも拡散します。かと言って他人に無言待ち行列を強要することはできません(今年はマスクをしていないとか大声で長時間喋っているとかで小競り合いが起きるかも知れませんね)。
堂内に大人数を収容して一定時間を要して行われる形式の護摩にもリスクがあると考えられます。大人数が大声で喋るわけではないという意味では、満員電車が本当に安全なのであれば護摩も似たようなものかもしれませんが、たとえ出入り口を解放したとしても換気能力は窓を開けて走行中の電車より劣ると考えられます。
退屈した子供がそこら辺のものをベタベタ触ったその手で、参道の出店の食品を食べて感染することもあるかもしれません。そして家庭内感染からの新年会で他地域へ拡散というシナリオもあるでしょう。
帰省した家族が居なければ普段と大した差は無いかもしれませんが、大皿料理は直箸によるリスクと飛沫が料理に降下するリスクが高まります。
自分や誰かの命を賭けてまで正月に挨拶に来いって強制する神様なんて居ないし、毎年恒例だからとか、正月だからを理由に今それを絶対にしなければならないなんてことは殆ど無くないですか。
これからずっとお先真っ暗という訳ではなく、海外ではワクチン接種が始まっていたり、明るい話題もあるのですから、今しなくてもいいことは数か月くらい先送りしてもいいじゃないですか。