「袂を分かつ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 袂を分かつとは

2019-06-21

anond:20190620093231

その分、公式やらかしたら袂を分かつくらいの人のも多いよ

刀あつめゲームで馬とか和素材パクり(公式がやった)が判明したとき、やめた人おおかった。

てかそもそもシステムが艦あつめゲームパクリである点も艦側から苦言があったし

そういうものを好きでいるのはうしろぐらいよ

 

男はちんこ羅針盤なんだってね 実社会でもオタ社会でもなあなあで勢いのみで公式側も大変だな

2019-05-17

anond:20190517165114

知らんけど、取引先が剽窃たからってそれに対してネガキャンしたら結果的喧嘩にはなるじゃろ。裁定がどうあれ攻撃事実だしそれで袂を分かつことになるのも別におかしい噺でもなかろ。

2019-03-23

anond:20190323011029

バカだなあ。下手に出れば女はつけあがる。

外で女作って気に食わないなら離婚でいいぞって態度をとる。向こうからすり寄ってくるぞ。

それで強気離婚だって来た場合はもう何やってもダメ。一生奴隷として生きるか袂を分かつかだな。

自分否定する人間と一緒にいても何もいいことないぞ。自分を変えろよ。

2018-09-24

安倍葬式朝日が出す

国会de漢字クイズ

麻生首相への意味不明個人攻撃(ほっけの煮つけ、カップ麺の値段

霞が関埋蔵金

実現する訳ない公約

から鳩山政権爆誕日本崩壊寸前に急降下

菅政権で更に降下

超絶円高が加速して金融資産壊滅&会社倒産寸前でお先真っ暗

の一連のリベラルコンボトラウマで、左翼メディアがアホな批判すればするほど、現政権を守らなければ自分(と社員)の生活を守れないという防御反応がでるという自覚がある。左翼の反対が概ね正解だと考えている自覚もある。それだけ第一安倍政権以降、第二次安倍政権誕生までの時間に恐怖を感じたという事だな。よほどまともな野党が現われて10単位継続的自民党と同等の政治感覚証明し続けない限りは支持できない。

現実的に期待するのは、公明党が何らかの意見の相違で袂を分かって第一野党になる事だけど、個人的には創価は嫌いだし世間の大半もそうだろうから難しいのだろうな。希望の党がブレる事無く、旧民主党系を拒絶して保守系色を維持して第一野党の座を確保していれば、それこそ希望になり得たのにと思う。あれも左翼のいう事の反対が正解だったという一つの事例だろう。自民から石破が分離されたとしても現在言動を見る限り、民主党系との合流は不可避だろうから期待は出来ない。保守系議員であれば安倍首相と袂を分かつ理由合理的には存在しない。

左派議員自発的賢明になるしか道がないが、それはウサギに芸を仕込む位の難題ではないかというような絶望から消極的選択肢を消している状況。安倍首相に強い不満がある訳ではないが、他に賢明と思われる選択肢存在しない事に強い不満と不安を感じているというのが実情。

今後、想定しうる最低のケースは、安倍首相及び麻生副首相などの与党幹部金銭がらみのスキャンダルが出て来て、左派議員低能なまま世論によって政権交代が実現してしま民主党政権の再来を招くこと。三期目の安倍政権に望むのは、それだけは絶対にやめてくれということ。安倍政権の現状の政策には、総論で賛成できるし方向に異を唱える必要を感じてない。各論では強い支持が出来るもの消極的な反対のものとがあるけど、TPP批准が正解だったことを見ても消極的な反対も無知故というのはあるかもしれないと思う。この6年間の外交経済の成果については評価できるし、テロ対策法案については絶賛しかない。今後の国会では敵となる左派が育つことは期待できないかもしれないけど、ソフトランディングで三期目を終えて欲しい。

id:aquatofona 熱湯浴脳内からリーマンショック麻生政権が抹消された模様。歴史修正主義万歳

麻生政権リーマンショックを乗り切りつつあったのに、鳩山政権で急降下したことが忘れられている模様。歴史捏造主義万歳

https://ameblo.jp/the-snark2/entry-12223134579.html

何度でもいいます麻生政権リーマンショック他国と歩調を合わせて乗り切っていましたか記憶捏造しないように。

麻生政権が続いていれば、もっと早く経済復興果たしていたのは明らかなので記憶捏造しない様に。

2018-05-14

anond:20180513153401

家族構成が全く違う他人に言うのも何ですが...

ほっといてあげて欲しいと思う。

書いている姉にとっては家族というのは一緒にいて楽しい存在だったのでしょうよ。

でも、弟さんにとっては袂を分かつだけの理由が元々あって、帰ってきた数年の間にそれが決定的なものになったのだろうと思う。

一度は説得されて帰ってきたけれど、姉が知らないか自覚していないかのどちらかなどうしても許せないことをたぶんしちゃっているんだと思う。

そうじゃないとそこまでの離縁はしないよ。

子供って愛玩用搾取用があると良く言うけれど、自分場合搾取の子供として扱われているということに気づいちゃったんだよね。

兄弟から見ると因果応報と思うんだけれど、母親にはそうは見えないらしく、愛玩用馬鹿息子ばかりかわいがる。

2017-08-17

もが

でんぱ組最上もがが脱退した件

ずいぶんと脱退があっさりしていて腑に落ちない部分を感じているファンも多いと思うし自分もそう。

不仲説とかよく言われているけど自分はそこではないと思っている。

おそらくだけど単体の仕事のほうが単価が高いのではないかと。

最上もがグループ内でもドラマバラエティーなどテレビ出演多く一般認知度が高い。

でんぱ組ブレイクして武道館コンサート成功率させるなどアイドルとしてはトップクラスではあるが正直なところ昨今では第一線にいるとは言えなくなっているだろうと思う。

でんぱ組としての仕事の単価と最上もが単体としての仕事の単価にかなり開きが出てきたのでは。

そうだとしたらでんぱ組仕事スケジュールを割くより単体の仕事を受けた方が儲かる。

でんぱ組ライブをやらなくなったのもその辺が絡んでいるのかなと思ってはいる。最上もがライブに向けての準備に時間が取れない状況がずっと続いていたんだろう。

この辺は最上もが意向というより事務所等の大人の事情が強いのでは。

一人だけ群を抜いて知名度が高く単体仕事も多い。だからでんぱ組としての活動順位が低くなる。

でも他のメンバーはこの状況が面白いはずない。不満があって不思議じゃない。最上もがが嫌いというよりそういった状況に耐えられなくなってきたのかもしれない。

不仲というよりも格差袂を分かつ方がお互いに幸せかもしれない。

おそらくライブ停止発表の時点である程度今回の最上もが脱退の筋書きはできていたのではないか

からずいぶんあっさりとした脱退発表なんだろうしメンバー予定調和的な反応なんだろう。

たぶん彼女たちがお互いに活動を続けていける答えとして最適解が最上もがの脱退なのかもしれない。

本当のところを知りたい気持ちはあるけどまあ知れることは無いよな。

アイドルファンはいつもおいてけぼりにされるもんだ…。

2016-06-17

1.0から学ぶJava

タイトルを見て釣られクマーな皆さんこんにちは

ホッテントリメーカーで作るような煽りタイトルって、みなさんもう見飽きてると思うんですよね。

今調べたらホッテントリメーカー2008年だそうで。どうりでねー。古臭いなーと思いましたよー。

「一から学ぶJava」ってのをね、1.0にするだけでこんなに素敵なタイトルになるんだから面白いですねー。

タイトルを思いついただけだったんですけど、思いついたらやっぱりちゃんと中身も書かないと行けないじゃないですか。やだー

面倒くさいんですけどね。ちょっと1.0から学んでみましょうか。

Java 1.0 1996年1月23日

Javaの1.0がリリースされたのは1996年1月23日ですね。発表されたのが1995年5月23日でJavaの誕生日といった場合にどちらを取るかで揉めることがあります。

かれこれ20年前なわけで、当時のパソコンというとハードウェアはCPU が Pentium 133MHz メモリ16M とかそんな感じだったかなあ。今どきの携帯電話の例としてiPhone 6sを挙げるとCPUが1.85GHz メモリ 2G ってんだから凄いですね。OSは1995年11月23日リリースされたWindows95とかそんな時代背景です。インターネットがようやく一般に普及し始めたところでしょうか。

今から思うと相当弱いハードウェアですけども、そろそろVM方式を採用しても良さそうな、そんな時代でした。インタープリタだと流石に遅い、でもC言語のようなコンパイル言語だと"Write once, run anywhere"とはいかない、という判断もあったのだろうと思います。Javaが純粋なオブジェクト指向言語ではなくintなどのプリミティブ型を持つというのは、当時のマシンスペックを考えた場合、ある程度妥当な判断だったと言えるでしょう。これが後々苦しくなってくるわけなのですが。

Javaを作った会社はSun Microsystems(サン・マイクロシステムズ)というアメリカの会社で、2010年1月27日オラクルにより吸収合併され今はありません。SolarisというOSとSPARCプロセッサでUNIXサーバーの販売で90年代後半までは一人勝ちのような状況だったと聞きます。当時にすでに「ネットワークこそがコンピュータ」(The Network is the Computer)というモットーを掲げてたんだからおかしい。1996年リリースのJavaが標準でネットワーク機能を備えていたのもこのあたりの思想から来ているのかもしれませんね。

当時のプログラミング言語としてC++が挙げられますが、C++でのプログラマへの負担といいますか、ヒューマンエラーの起きやすさといいますか、その辺を改善する目的で開発されたのがJavaだったわけです。

1996年の時点にこんな言語が登場したのですから革新的でした。

いろんな企業がJavaに賛同します。その中にはMicrosoftもありました。この時期、Microsoftは次期のWindows開発用のプラットフォームにJavaを据えようと考えていました。その後、袂を分かつことになるのですが……。

プログラム言語として構文などを見ると、C++を強く意識した構文なのは間違いなく、しかしポインタ演算を廃してポインタを機能を限定した「参照」に置き換えるなど簡素化が多く見られます。C++からはいろんな機能が削られています。関数ポインタ、構造体、演算子オーバーロードテンプレート((テンプレートについては実装が間に合わなかったという話を聞きます))などなど。そのためC++の劣化であるように揶揄する人もいますが、こうしたものを捨てて言語仕様を比較的小さくシンプルに抑えた点は評価に値すると思います。しかし、今でもこうした削減された機能を愛する人からはJavaを腐す要素として挙げられてしまうのでした。

Java 1.1 1997年2月19日

Wikipediaからピックアップすると1.1での大きな機能追加は

といったところです。当初よりJavaの内部文字コードUnicodeで文字を表すchar型は16bitで設計されていました。Unicodeは当時それほど普及しておらず、Unicode対応のテキストエディタさえ少なかったと記憶しています。時代を先取りしていると言えますが、大きな誤算はUnicodeが当初16bitのコードポイントに世界のあらゆる文字を格納しようとしていたことで、漢字圏の我々からすると16bit=65,536程度の空間に文字が全部入るわけないだろ!というものだったが故に早々に破綻し、Unicodeは21bitのコードポイントに拡張されることになるのです。これはまた後の話。

なんにせよ、日本語が対応されたのは1.1からで、日本でのJavaの採用が始まったのはこの頃からと言えましょう。

当時のJavaのGUIはAWTというものでしたが、これを用いたGUIの開発は当時は結構行われていたイメージですね。Visual BASIC でGUIを作るプロダクトも結構あったと思います。GUIのためのオブジェクト指向言語としてJavaが使われていたイメージがありますね。JavaBeansもそのための仕様でした。件のsetter/getterの話題に繋がっていくのですが。

JDBCはJavaとデータベースをつなぐインターフェースです。RMIではあるJava VMから別のJava VMにオブジェクトを送って実行する、といったことができます。こうした機能が用意されたことで、ソフトウェアフロントとしてのGUI、裏方の実装のためのネットワーク機能、データベース機能、さらにはソフトウェアを配布するためのJava Appletという布陣でJavaでのソフトウェア開発が加速していた時代といえます。

Microsoft Visual J++ もこの時代ですよ。

Java 1.1以降のバージョンのものは互換性確認のためにOracle Java Archiveからダウンロードすることができ、今でも入手することができます。もちろん、Java7ですら2015年4月にEOL(End of Life,サポート終了)となっているので、通常利用するのはJava8としてください(本稿執筆時点)。

当時のドキュメントを見るのも一興です。現在と比べると標準APIがかなり小さい。なお、当時のjavadocは今とはデザインが大きく異なります。

  • java.applet
  • java.awt
  • java.awt.datatransfer
  • java.awt.event
  • java.awt.image
  • java.beans
  • java.io
  • java.lang
  • java.lang.reflect
  • java.math
  • java.net
  • java.rmi
  • java.rmi.dgc
  • java.rmi.registry
  • java.rmi.server
  • java.security
  • java.security.acl
  • java.security.interfaces
  • java.sql
  • java.text
  • java.util
  • java.util.zip

この時代であれば、全パッケージを舐めて標準APIを学ぶこともそう難しくはありませんでした。この時代から触っている人間は新バージョンが出るたびに増えるAPIを順に学んでいけたのです。しかし、現代にJavaを学ぶ場合、どのバージョンでは何があって……というのをいちいち学ぶ必要はほぼありません。Java5以前は一緒くたでいいと思いますし、一部のAPIで歴史的経緯があってねーというのを知っていればおそらく十分ではないでしょうか。

Java 1.2 1998年12月8日

strictfpキーワード浮動小数点演算をやる人は覚えておきましょう。JavaはパフォーマンスのためにCPUの浮動小数点演算を扱うことが許されており、そのため実行するCPUによって精度が異なることがあるんですね。まあ今時のCPUだと大丈夫だとは思うんですが。

リフレクション機能ではJavaのクラスを抽象的に扱うことができます。設定ファイルに書かれたクラス名のclassロードして実行する……みたいなことができるんですね。フレームワーク的なものを作る場合には多用することになります。

1.2からは新しいGUIのSwingが採用されました。AWTがOSごとのGUIパーツを用いていたためデザインに違いがあったのに対し、Swingでは統一的なルック・アンド・フィールが用いられるようになりました。まぁ今ならJavaFXを使うのが良いと思います。

初期のJavaはやはりVM方式の実行速度の遅さが指摘されていました。実行時の構文解析を伴わないだけインタープリタよりは早いものの、実行バイナリを作るC/C++よりは遅い、そうした評価です。ここではサン・マイクロシステムズのVMにJIT(ジャストインタイムコンパイラ)が乗ったことが挙げられていますが、JIT自体は別の会社が先駆けて開発していたことは記しておきたいと思います。

JITコンパイラは実行時にJavaのバイトコードを環境のネイティブコードコンパイルして動かす技術です。この後、JITコンパイラ、動的再コンパイル技術、世代別ガベージコレクションを備えたHotspotといった様にJavaVMは進化していきます。現代では実行時の最適化が進み、大きなスケールで見た場合、Javaの実行速度はC/C++での実装と比べてそれほど遅れるものではありません。遅くても倍の時間は掛からない程度といったところでしょうか。

あとは特記すべきはコレクションフレームワークです。皆が多用しているであろうjava.util.Listやjava.util.Mapといったライブラリが整備されたのがこの時なのです。それ以前はjava.util.Vectorやjava.util.Hachtableというクラスが可変長配列の機能を一手に担っていました。今ではVectorやHashtableは使うべきではありません。

Microsoft 離反

Java の開発はSun Microsystems が主導していたけども、すべてがSunのものだったというわけでもなく。Javaには多くの会社が出資していてその中のひとつMicrosoftだったわけですね。

Microsoft の Visual J++ では delegate とか独自機能拡張もありましたけど、裁判で問題になったのは J++ でコンパイルしたclassファイルMicrosoftのVMでしか動かないという部分ですね(他社製のVMで動くclassファイルを作ることもできる)。classファイルがどこのVMでも動くの大事だろ、"Write once, run anywhere"だろ、お前何してくれてんの!と喧嘩になったわけです。当時のMicrosoftブラウザまわりでも独自拡張がやりたい放題、標準規格?なにそれ美味しいの?みたいなスタンスをあちこちで見せていたものです。

結局、この事件でMicrosoftのJavaはバージョン1.1相当でストップ。好き勝手にやれないなら独自に言語作るわーとばかりに.NET フレームワークと C# といった方向に舵を取ります。

JavaがPC上でのUI開発の主力になろうとした勢いはここで潰えます。

Java EE

Java SE とは別にこの時代に Java EEリリースされていることは特記しておきたいですね。これ以後、それまでのCGIに取って代わって、JavaはWebサービスの開発のプラットフォームとして多用されるようになります。

2000年あたりからはJavaはGUI開発というよりは、Webサービスの開発が主流という流れになっていきます。インターネットサービスが非常に発達していった時代、背後ではとてつもない量のJavaのプログラムが支えていたわけです。ただまあ、こうした産業利用は一般的ユーザーの目にはあまり入らないわけです。一般人からすればJavaといえばJava Appletみたいなイメージはずっと残っていたでしょうが、実体としてはJavaといえばServletという時代になっていたわけです。

企業で用いられる社内システムにもServletは多く採用されました。

理由はいろいろ挙げれると思うのですが

というのが大きな理由だろうと思います。JSPというテンプレートエンジンを用いてHTMLを整形してWebページを作り出す、というアーキテクチャある意味では便利で簡単でした。

もっともHTMLの表現力に足を引きずられるため、GUIの機能性という点では後退したわけなのですが。それでもメリットが大きいと判断されたのでしょう。というか、まともにGUIを組めるプログラマがほとんどいないから、GUIのシステム開発がなかなか成功しないってのもあったんでしょうけどね。

iアプリ Javaアプリ EZアプリ

2000年あたりというと携帯電話の普及も取り上げなければなりません。現代のスマホガラケーに比べれば非常に機能は貧弱で、まさに携帯「電話」でした。要するに電話とメールぐらいしかできなかったんですね。

そこにdocomoiアプリJフォン(ボーダフォンを経て現ソフトバンク)のJavaアプリ、auのEZアプリという携帯電話上でちょっとしたアプリが動くよ!というのが乗るようになってきたんです。これがJavaを組込み用途にコンパクトにしたJava MEというものが土台となっていて(正確にはiアプリちょっと違う)Servletと並ぶJava言語の大きなもうひとつの領域となっていました。

iアプリは当初は容量が10k byteまでといった制約があり、容量制限が非常に厳しかったのですが、新機種が出るたびに容量は緩和されていきました。

docomoiアプリ含めiモードによって一世を風靡します。こうした土台を作ると、その上で商売をしたい人がたくさんやってきて、勝手にコンテンツを作ってくれる。docomoはそれらから手数料を取るので労せずして大金を稼げるというわけです。賭場の胴元というわけです。

この賭場が、将来にAppleiPhone, GoogleAndroidに荒らされることになります。docomoがなかなかiPhoneを出さなかったのもiモードという自前の賭場を失うことを良しとしなかったためです。金づるを失ったdocomoSamsungと組んで独自の携帯向けOSであるTizenの開発に乗り出します。そんなTizenですが鳴かず飛ばず。噂ではインドあたりではリリースされたとか、なんとか。

RIA時代

話を2001年に戻しましょう。

Microsoft離反でGUIのプラットフォームとしてのJavaというものは存在感を弱めていました。この分野の復権に寄与したのはJava 1.4 (2002年2月6日)で導入されたJava Web Startです。

Java Appletブラウザ埋め込みで動作したのに対し、Java Web Startではブラウザから起動しつつも独立したアプリとして起動するのです。

Webシステムが企業の社内システムに採用された話は先に述べたとおりですが、やはりWebシステムのGUIというのはHTMLに引きずられて貧弱だったんですね。

端的に言えば入力値が数字かどうか?みたいなチェックがなかなか難しい。HTML上でJavaScriptでやるわけなんですが、なかなか気持よく入力できるような感じにはならなかったんですね。

また、Ajaxによるブラウザのページ遷移を伴わない通信というのが出てきたのも2005年ぐらいなので、入力値に対してサーバ問い合わせするようなことはできなかった。当時だと一旦画面遷移させないとできなかったわけです。

こうした事情から、クライアントサイド、要するにPC側でもっとリッチなUIが使いたい!という要望があったわけです。Webシステム使いにくい!という不満の噴出と言ってもいい。そこで出てきたのがRIA (Rich Internet Applications)というわけです。

Javaは1.0時代のAppletからそうですが、ネットワークを介して別のPCにプログラムを送り込み、そこで動作させるという能力を持っていました。それこそまさにRIAに求められる機能性だったわけですね。

RIAの代表とされるのは

あたりです。三つ巴の戦い、どこに軍配が上がるのか!?と注目されましたが、勝利したのはHTML / JavaScriptでした。

Google MAP で注目を浴びたAjax技術、それまでブラウザでは不可能と思われていた高級なGUIをHTML / JavaScriptで実現させました。もうやめて欲しいですよね。せっかく脱ブラウザの流れが来たと思ったのにまたWebシステムに逆戻りですよ。

RIAが失速した理由として考慮して置かなければいけないのはスマートフォンの台頭です。RIAでは端末を選ばずどこでも同じアプリが動かせる点がポイントひとつでしたが、スマートフォンではそうは行かない。"Write once, run anywhere"を破壊したのはスマートフォンだったというわけです。

しかし、先日インストールなしでアプリを実行するAndroid Instant Appsが発表されたりしまして、結局RIAの思想といいますか、要求というのは今でも息づいているのだなと思った次第です。

Java 5 (2004年9月30日)

1.3 / 1.4 では機能追加はあっても言語構文が大きく変わることはありませんでした。大きく変わったのはJava 5です。この時からバージョニングが変わって1.5ではなく5と表記されるようになりました。

Java5の特徴はなんといってもジェネリクス。それまでjava.util.Listにデータを出し入れするのにはキャストが必須だったわけですが、ようやくキャストから開放され型の安全度がぐっと高まりました。その他に以下のような変更があります。

言語としては随分変わっったわけですが、もうかれこれ10年以上前のことですからこれらの機能が「Java5から導入された」という知識は今となってはあまり必要とされません。これらの機能が使えないJava 1.4で開発をする事案が殆ど無いからです。0ではないのが悲しいところではありますが。

その後

Java 6 (2006年12月11日)がリリースされた後、Java 7 (2011年7月28日) が出るまでJavaは停滞してしまいます。その間にSun Microsystemsという会社がなくなってしまったためです。

Sun Microsystems の経営状況が悪化しており、ついに身売りをすることになりました。身売り先はIBMともGoogleとも噂されましたが結局2010年1月27日オラクル吸収合併されました。

Javaの停滞中にはJava VM上で動く非Java言語も台頭してきました。Scalaなどですね。

やや戻って2007年Androidが発表されます。Androidの開発言語にはJavaが採用されていますが、実行環境はJava VMではなく、ライセンス的な事情でJava(TM)は名乗らない微妙な位置関係にあります。

Java 5 以降で大きく言語仕様に手が入るのは Java 8 (2014年3月18日)です。並列処理を行うためのStream APIと、そのために簡易に関数を定義するためのラムダ式が導入された点が大きいですね。日付APIも刷新されました。

このように、Javaは1.1の黄金時代から今に至るまで利用ジャンルを転戦しながら産業の土台となって支えてきた歴史があります。ジャンルの趨勢により浮き沈みもあります。今後についても決して楽観視はできないでしょう。Javaを学ぶことはプログラミングを学ぶステップとしては意義はあると思いますが、Javaを学べばゴールというわけではありません。プログラム言語次世代へと移りつつあります。業界動向には注視していきましょう。

2016-04-08

戯言、妄想でございます

グループKとSのファンなのだけど、なんだか色々と大変なグループを好きになるなあと思うこともある。

でも彼らのそういう問題に対するファンへの対応とかもろもろとか、それは全く違うなあと思った。

Kは今まで人数を減らしながらも圧倒的なものを持って、ファン安心というか納得させてきたと思う。

なんというか本当に海賊みたい。

船長たちは前で戦う舵を切る。その背中心配させない、うそはつかない。

からクルーは一緒に戦う盛り上げる。ファンクルーみたい。

違う選択を持ったら袂を分かつ。それでも同じ海のどこかで違う目的を持って、違う方法を持って戦っている。

そういう感じ。

一方Sは、責任をいっぱい抱えてる。守るものをたくさんもってる。

こちらは王国って感じ。

どちらかを選べばどちらかを失う。そういう選択に正誤はないから、苦しんでも苦しんでもいっしょに苦しんで良き方を目指す。

あり方(でかい)は決められているけど、変えていくことはできるかもしれない。

から僕たちといっしょに幸せな輝く国を作ろうよ!っていうイメージ

ファン国民。だから国は彼らを守る責任を持っていると思っている。それぐらい大事にしているなあと思う。

彼らは国そのものであり、彼らの意見尊重されるべきってぐらい、ファンへの言葉をよく発するなあと感じる。

でもそれぞれの王様にも個性はあって、もちろん支持する王様によっては国民は違う意見を持っているわけで…みたいな。

全く似て非なるグループだけど、両方とも真剣不器用なほどまっすぐ人たちなところが好きです。

きっとSは大きく輝けるし、Kはいつまでも私たちを驚かせ引きつけてくれると思う。

比喩が楽しすぎた夜中の遊び。

2015-09-01

なにをしたいのか全く分からない人

どこかで見た光景だ。

現在維新分裂、いや橋下氏の行動のことだ。

政治理念先行とばかりに、高い政治目標を掲げ、その熱狂一定集団をまとめあげる。

しか逆境になればいとも簡単にその結束は崩れ、本人は純化路線の掛け声とともに党を割る。

そう、小沢一郎氏のたどった道そのものである

いや、小沢氏を三段階ほどスケールダウンした姿そのものである

最も共通するのは、両氏ともに、結局何がしたいのかよく分からないことだ。

大阪都構想を旗幟に、石原太郎氏と国政政党を創り上げ、それを割ってまでくっついた江田氏の結の党と、わずか1年で袂を分かつ

本人にすれば色々小理屈はあるのだろうが、国民からすれば極めて分かりにくい。

自民党を割り、新進党を割り、自由党を割り、民主党を割ってきた小沢氏もまた、その都度錦を変えながら純化路線を走ってきた人である

しか小沢氏の方は、まだ分かりやすかった。彼の場合政権交代のもの目的であり、そのために政治改革を成した。念願の政権交代も成した。そして消費税増税に反して民主党を割った。

なにをしたいのか分かりづらいが、政権交代という「政治手段」を「政治目的」に動いてきたのだと思えばまだ理解できる。

ひきかえ、橋本氏は一体何がしたいのか?

もう一度都構想を再デザインしたいと言う。

しかし、都構想は今年6月住民投票で否決された話ではないか。本人も都構想はきっちりとあきらめると言っていたではないか。

否決された錦を旗に、純化路線名目に、わずか1年で党を割る。

それも政党助成金を目当てに年内に分党だとのたまう。

正直に言えば、私は橋本氏を支持してきた人間だ。

彼の言うふわっとした民意に属する人間だ。

そんな私でも、この1週間の彼の行動は呆れかえった。

自分は頭は悪くない、ちゃんと考えていると述べる。

わざわざ自分でそう述べなくてはならないほど、彼の一連の言動は支離滅裂だ。

本当に政治家を辞めるつもりなら、晩節を汚さないでもらいたい。

もう一度政治家として再起を期すおつもりなら、直近の言動を冷静に見つめなおしてもらいたい。

そして将来、大臣を志すおつもりなら、せめて一政党を率いることができる程度の度量を身につけてもらいたい。

才余りありて識足らず。

しかも、現在の彼の才は小才であり、小賢しいだけだ。

から、悲しい。

2014-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20140422030951

仲の良かった人間が金に目が眩んでダークサイドに堕ちていくのは悲しいもんだね。

マルチに嵌った人間ってのは今までの人間関係が断たれ、似たような人間ばかりでつるんでるからカルト信者のようにすげー異質な感じになっていくんだよな。

他人が辞めろと言っても絶対に辞めないよ。今まで手にしたことの無い金がわんさか入って浮かれてるからね。

その先輩が元増田の大切な人であれば付き合い続ければいいよ。いづれ袂を分かつことになるかも知れないけど。

2010-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20100802200426

愚痴になるが書き捨てる。不快になる人も多いと思うので予め謝罪しておく

自分がいた会社と似た部分があり怒りがわいて来てしまったので書かずにはおれなかった

自分がいた会社社長ワンマン宗教じみていた

会社家族だ」「俺はお前たちを見捨てない」「自分給与よりお前らの給与を優先する」

美辞麗句を並べ立てるが社長自身の行動はひたすら自己中心的なもので社員は振り回されていた

それでも初期メンバとして耐えた。成果を出しているにも関わらず給与が上がらなくても耐えた

「俺は自分給与は取ってない、自己資金を投入してるくらいだ、理念のために皆で頑張ろう」と言う社長言葉を全員信じていたからだ

振り返ると分かるが、自宅に帰る暇もないほど激務の中で洗脳されていたのだった

蓋を開けてみれば、会社の経費で愛人1と平日に温泉旅行愛人2を業務委託として採用愛人3を社員として採用会社負担で家も借りていることが判明した

社員全員のBLOGTWITTERSNSをチェックし、社内用のスケジュール表と照らし合わせちょっとした相違でも査定時にネチネチいびっていたことも分かった

社員間で待遇契約条件についての情報交換を断絶し其々の条件を其々が共有できないようにしていた

担当者のひとりがこの問題は自分だけで抱えられないとこっそり教えてくれたのだった

コイツは自分の周りにYESマンしか欲しくないのだと急に目が覚めた

自分の意のままに操れる人間だけいればいいのだと理解した瞬間に袂を分かつことにした

都合のいいことだけを並べ代表メッセージで「わが社の理念共感しともに『成長』出来る人を待っています」とのたまう

付き合いきれない、と何人かの優秀と思われる社員を引き連れて会社を去った

世に「社長」と呼ばれる人間ゴマンといる

もちろん立派な経営者もいるが、理念コロコロ変え、大手企業著名人にへつらい、経験はないが夢と情熱だけはあるような若い人間搾取し上手く使い捨てていく、「自分王国を作りたいだけ」のヤツも多くいる

だがしかし、悪い面ばかりでもなく、ある一面から見ればやりがいもあり華やかな優良ベンチャーに見えることもあるのだろう

まだまだ玉石混合だ、早く淘汰されればいいのにと思う

2009-03-15

はてなアカウントしか持たない読者のための水伝案内

はじめに

ログのすなどりに嫌気がさし、大半の人は「水伝」との係わりを渋ります。折りしも「●かな●さん(他称?のため)」のコメ欄で騒動が再開されました。予備知識がなく二の足を踏むのはもっともですが、人物が整理され、構図も実相も鮮明となっています。臆することなくフリーハンドで結び目を解く新人が参入して良い頃、読者にとっても良い機会ではないでしょうか。

人物(A・B・C・D)

論理派(A・B)、共感派(C・D)に袂を分かつ

現在共感派」を構成するのは、二年前の不用意な記事がやり玉となったブロガー同盟ではなく、Cを起点にはじけた「連座制が嫌で黙っていたけど、心中は穏やかではなかったです」タイプの中間層の繰り上げ。

四人には「蜜月時代が嘘のような」という紋切り型は相応しません。不即不離、木箱(親和的ではないサークルに向けるあなたの呼びかけは、共感論理派以前の分岐点となります)に居心地良く収まった当時の様子はたやすく思い描くことができるでしょう。論理派(世間知を蔑ろにするトラブルメーカー!)が、数多のブログから応答が困難な共感派(反知性主義の擁護者!)の文章を今もこぞって俎上にのせるのは、私怨だけで説明がつくものではありません。

水伝には「的確な人物評は罵倒と見分けがつかない」という魔法言葉存在する。

  o A 「軽はずみな謝罪を行い、軽はずみに謝罪を求める」人物とされる。「怒りの表明と記事の削除、言明(反省)を促す行為は、謝罪要求にあたらない」といった理屈を受け止めることができるならば、あなたはこちらのグループ論理派)に入る。

  o B そのパートナー踊り子の軽快なステップ武道家の重厚なさばきを併せ持つ論客を自負する。まるで組み手上等の伊東富士子だが、場に響くのはきしみ、無理強いした関節の悲痛。

  o C その友人。職業スキルに信頼を置く千の衆望を担った元メルマガ行人。耳目をそばだてるフレーズを多用し、自身への火の粉を振り払うためでも、育成したスキルネット社会での応用を頑なに拒む。

  o D その崇拝者。コピペブロガーの上位にあたる引用ブロガー。三行を超えたコメント通読苦痛をもたらすのは、選択と長短が不適切だから。「違和感は読者を立ち止まらせるための文章術」という評判は拾えず。

人物(E・F)

先の四人とは趣が異なり、リアルで交流を楽しむ情景(たとえばBとEのテーブルを挟んでの談笑)は、どれほど想像をたくましくしても浮かびません。

左翼的言論を活発に展開していた四人は異質を迂回できず、受容か拒絶の択一を自身に課しました。Eグループ騎士団と呼ばれ、Fグループカルト信者)に喩えられたのは、EとFがシンボル祭り上げられた(落とし込まれた)からです。二人への直接批判は無益と下部が了解している節があり、強い批判が引き受けた支持者らへ向きます(沈黙は肯定か逃亡とみなされます)。

E・Fにカリスマ性は露も認められませんが、サークルクラッシャー資質は備えます。隙が多いのも特徴的で、Eはそれを「観測気球」、Fは「無頼」とする演出が見え隠れしますが、今に至るまでその効能は明らかになっていません。

背景

水伝一幕は、科学リテラシーを感情で語る者と品格論理で語る者との争いでした。ネットの論争で前者に勝ち目はありません。その「論理」で科学を語り、ほころびが露になる前に敵失によりステージが一気に変動したのです(トラバ論争)。qed「水に脳はないから水伝はいんちき」は、外野の「理系」にも含みを招いたことでしょう(一人が対話を試みましたが、Eの「謝罪認定」で終了します。そのブロガーはようやく「事情」を悟り、取るに足りない汚名と引き換えに撤収できました)

前者が退いた後もネットリテラシー主観論、運動論を引きずり、メンバーの参入と離合が劇的に行われます。グループ分け終了後の大きな対立軸としては、Eの「邪推が成り立つ」、Fの「ハラスメント」問題があります。語りつくされた疲弊感も漂いますが、「謝罪論争」直前のBの失言など踊る余地も残されています。

渦中へ

G(A)のコメ欄に向かう前に、読者は論点に対する見解を用意します。

  o「双方論争」から引いた「卑怯者論争」は正当か?

  o Gの回答(ハラスメント)はなぜ無効とされるのか?

  o グループ内で発せられた嘲り、暴言に論理派が倫理の判定を「忌避」した理由は何か?(流れを読め、発言者本人に尋ねよ、罵倒芸だ、訴えればどうかと回答した人々の真意は何か?)

  o 過去ログから相手側への謝罪が提出された場合、論理派は詰みではないか?

  o 論理派の張った狭義(「双方」は頻度と深刻をデータ化し、等量である事を明示)、予防線性的言辞は最大値、蔑称は最小値をとる)は妥当か?

  o 一般認識、文脈大問題は「邪推が成り立つ」を問われた場合、詰みではないか?

  o 「嘲笑」目的以外の、コメント削除を行いながら投稿禁止の処置をとらない理由は何か?

過去

ひと続きの古い結び目から解きたいと希望する読者は、出典をみずから発掘し、不明な部分の詳細を確認することが条件になります。引用を避けたのは、騒動の教訓に「人は埋め込まれたリンク先すら読まない」とあるからです。

関連を訪ね、水伝以前までログを遡ることで「神の視点」を体感し、デッドエンドの憂鬱記録を「ハッピーな」団欒シーンで読み終えることができます。

「春樹受賞の弁」を踏み台にするのは良い考えではありません(デッドエンド)。会話はA・B・C・Dに限ること。他と応答する義務はなく、価値も認められません。四人は確かに傷を負い、自分に借りを作りました。伝言ゲームの応酬では勘定が合わないはずです。

おわりに 

嘲笑や恫喝は慣れっこだが、家族への言及には耐えられない、尽力する保護事業に累が及ぶのは不当だと考えるなら、goo


※劣勢の共感派への疑問を追加(しかしAE混成チームに痛み分け以上の戦績を残せる者が何人いることか)。

共感派は論理の不備を質されている訳ではなく、誰かのそれに乗じて済ました過去を見咎められている(みんなで笑ってやろう)。その「論理」が牙を向いたとき、なすすべもなく動転し、次に誰かの当てこすり、空騒ぎに乗った。以前の踊り場がどれだけ狭量なものであったかに目を背け、遥かに刺々しい場所を臨んだのではないか。

 
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