変化はそれだけで人に負担をかける。
「あなたが一見不本意なその状態に留まっているのは、その状態が心地いいから」なんだよ。普通そういう理屈は力のない子供には適用されないが、母をも殺す行動(突破)力を持つ(そしてそれが大人になっても変わらない)人間がひと所に留まっているのには理由がある。尾形は、身体は縦横無尽に北海道を奔走するけど頭の中では証明にこだわり、他者と他者からもたらされる変化も拒み頑なに自分の理屈を守り通そうとする。それは(尾形の本当の望みを考えれば)望ましい変化のために自分の矜持を犠牲にすることに耐えられなかったからだよ。そこで明確に尾形は、愛を認めること、愛されたいと認めることよりも、矜持を守り、目の前にある愛の受け取り難さがなぜなのかを深く考えない楽さを優先した。孤独の道を選び取った。だから尾形の主体性を尊重するなら、尾形の顛末の原因を他者に負わせることはできないし、辛うじて同情できるとしたら、時代や運の悪さはあるかもしれないがそれだって本人が心底満足して人生を終えたことを考えると(再度、尾形を主体性ある人間と考えてやるならば)意味をなさないことだろう。
作中わりかし作者に丁寧に扱われ、土方パーティや杉元パーティなど社会に属するチャンスは何度も与えられていて、なのに全てはねのけたのは尾形。
それをいつまでも受け入れられずうだうだと尾形の周りの人間を責めるのなら、それはそう思うあなた自身がまだ未熟さのなかにいてそこから脱しきれていないのだと思う。