はてなキーワード: 杉本博司とは
今、写真の勉強をしているが、写真家と呼ばれる人達が高学歴になってきたので学がない自分にとっては非常に辛い時代になってきた。
写真家と呼ばれる職業の人達が意外と高学歴が多い。ここでいう写真家とはプロカメラマンと呼ばれるような職種の人達ではない。
今でこそコンセプチュアルアーティストとも芸術家とも呼べるような写真家達だ。
以前は東京写真専門学校やビジュアル系専門学校卒やどこかのカメラマンのアシから写真技術を駆使しながらも作品を完成し、コンテストに応募し
優秀の美を飾るようなことがステータスだったが、ここ最近の写真作品はどれも現代アートのようにコンセプト重視となってきたため、写真技術だけ
ではなく写真と言葉、ステートメント、ポートフォリオの見せ方、プレゼンが重視になってきたように思える。
港 千尋ー早稲田大
奥山由之ー慶応義塾
木藤公紀ー東北大学
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そのほかにも最近の写真受賞をしている方を見るとコンセプトがしっかりしておりとても哲学的で視点が面白い。
プレゼンスタイルも高学歴だと簡単だし、コンセプト文章を作るのも簡単なのだろう。
勿論、これだけではないので東京芸大であったり、京都市立芸大、その他の多摩美、日大、武蔵美、大芸大なども
多くいるが、それらの人は芸大できっちりと教育を受けてきた人達ばかりだ。他にも海外で写真を学んできている人もいるだろう。
写真ポートフォリオレビューでもフランス人やアメリカ人のポートフォリオレビュアーが増えてきており、一通りに
まずは英語が最低でもできていないと自分の写真の意図が通じない。自分はF欄大卒であるが故に英会話はおろか人のステートメントさえ理解できない、
書けない、プレゼンすらできる能力もない。はっきり言う「バカ」だ。
「明るい部屋」や「写真論」を読んでもプンクトゥムも理解できず3行で寝てしまうという始末。
元々、コンセプト写真は海外写真家が活発に制作してきたものではあるものの、写真の技術とセンスはなんとかなるが、頭を使って文章を組み立てる
特に最近は写真家と名乗る人が少なくなってきており、写真=芸術とみなし、芸術家と自称する人も多いので写真家と呼ばれる人も少なくなってきたように
思えるし、InstagramやSNSの発達で従来の写真表現の在り方も日々変化しつつある。それらにもうついていけない。
写真集は集めてみるものの、どの写真が良いのかわからない。自分が良いと思った写真は周囲からは「そんな写真家の写真集が良いの?」
と揶揄される始末。マイナー・ホワイトやピーター・ウィトキンなどの写真には特に強く惹かれるが未だに「どこが良いの、そんな写真が。」と言われる。
マイナー・ホワイトが良いと言ってる時点で写真を見る目やセンスすらないのかもしれない。
先日ひさびさに中学生のドラマを見た。主演の少女がとてもキュートで、存在感があった。ブラウン管に釘付けとはこういうことを言うのだろうというくらい凝視していた。しかし、ジュニアアイドルをとりまく絶望的な環境と同様に作り手の無能さを感じざるを得なかった。彼らはなぜかくも無能なのか。無能者達は彼女がいかなる存在なのかついてまったく無知なのだ。無能者達に共通して欠損した能力と言わざるを得ない。なぜ彼らはかくも凡庸なのか。彼らがただ凡庸なまま生きていくならまだしも、その凡庸さは、なによりも少女の足かせとなる害悪なのである。存在に無知な凡庸な無能者が、嬉々として、空疎な内容を埋めるべく、存在を貶めゆく様は、悲劇を通り越し、滑稽としか言いようがない。中学生のドラマに内容などはない。あるのはフレームと、光や音、編集を含めたいくつかの操作、そして、それらが織りなす最小限の政治的空間を軽々と逸脱してゆく少女の存在だけである。無能者は内容に囚われる。凡庸な内容によって非凡な存在を支配しようとする。凡庸な表情、凡庸な仕草、凡庸な台詞。これらは無能者どもが、すべての対象を等しく消費物と見なし、支配せんとする、凡庸な権力欲の所産である。非凡であるのは彼女の存在、それだけである。しかし、無能者達はそれに、そしてそれが自らの能力では近づきえない存在であることに、気づく能力がまったく欠けている。なぜなのか。悲劇としか言いようがない。彼らはなぜかくも無能なのか。そしてやはり何にも増して、ジュニアアイドルの無能な作り手には絶望せざるを得ない。もうすべては手遅れなのかもしれない。かの十四歳の少女は、今年にも水着を脱がなければ、一生無能者と無能な取り巻きたちの餌食となり、消えていくのだろう。もうすべては遅すぎるのかもしれない。絶望的なのかもしれない。杉本博司の写真、建築シリーズにある、ある種の建築物のごとき、フレームの中に溶け消え去ることなく、存在を、あるいは亡霊のごとき存在の影を誇示しうる、かの少女が、無能者たちの、あるいは無能な取り巻きたちの、狭隘な視線の中で、腑を喰い尽くされ、残骸も残さずに、消えていくのだろうか。憂鬱だ。