はてなキーワード: 田作とは
このところ、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」がやたら引き合いに出されてるんだけど、どうにも違和感がある。
会田誠の作品(エロじゃなかった)が「表現の不自由展」から排除されたのをみんな覚えていないんだろうか?
会田作品の性表現は余りにも過激すぎて、表現の自由を尊重する「表現の不自由展」ですら擁護しきれない、党派を問わず絶対的に表現すべきでない物はある、だから会田作品の中でエロじゃないやつだったとしても展示は許されない。
そう判断されたんだよね。
「表現の不自由展」に関わったスタッフさんも、今回のような水着の撮影会や萌えキャラに対してはかなり懐疑的な目を向けているらしいね。
最初、洗面所の天井に張り付いてるのを見かけた時は小さいてんとう虫かと思った。
数日経ち、やたら見かける数が多いことに気付く。
家中を見て回ると、食品庫の天面に数匹張り付いてる。ここが発生源か。
食品庫内の物を外に出しつつ、瓢虫(ではない虫)を見つけ次第に掃除機で吸わせる。
ついに発生源の大元に辿り着く。
食品庫の奥のほうに放置された古くなった田作(たつくり、カタクチイワシの幼魚の乾燥品)だった。
ビニール袋が破れ、半分粉になった田作が大量に零れてる。その周囲に無数の紅娘(ではない虫)。
調べたところ、テントウムシではなくヒメマルカツオブシムシらしい。
「シン・ゴジラ」界隈でリアリティについて盛んに議論になったけど
「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」なんかはテーマは地獄ファンタジーなのに
現実の事故とバッティングして不運にも上映延期になったり皮肉なもんだと思う。
「シン・ゴジラ」もあまりにもリアルすぎると上映できなかったかもしれない。
あえて捨てたプロットとかもあったんだろうね。
「シン・ゴジラ」は製作委員会方式を採らなかったから良作になったという説と、
にも関わらずキャストの誰々は東宝のごり押しだ!という説が現れたのも面白い。
でも長澤まさみの声、あんま違和感なかったしいい仕事したんかなあ、とか。
あれが大根演技だった日には、ごり押し批判や非声優起用批判もあったことでしょう。
「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」の夏への延期で
宮崎・細田作品に続いて新海作品に出演とのことで、売れっ子だね。
顔のせいかごり押し感あんまない。シン・エヴァにも出てきたりして。
実はまだ観てない「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」も結構楽しみだったりする。
気合の入った名作も良いけど、肩の力抜けたB級ノリの映画も良いよね、とか。
まとまりないけど、リアリティの有無や、製作委員会方式か否かや、ごり押し出演の有無や、
神木くんが出てるかどうかだけでは、一概に面白いかどうかはわからんね。
なんで神木くんだけくん付けなんだろうね。
(追記)
id:atoh 「でもザ・東宝看板女優の長澤まさみが出演してますやん、とか。」主役の上白石萌音の立場は。
ご指摘ありがとうございます。
トラバのひと
いい話だけど、
量と質は、もう限界に来ている。
次の日本アニメの旗手は細田氏だっていう世間的な期待とプレッシャーは
あるんだろうけど、
びっくりするほど興ざめだった。
心の中にどういう化学反応を起こすのかというところが
エンターテインメントとして一番の肝でしょ。
それをさ、全部わざわざセリフでご丁寧に説明したら、なんの余韻も想像の余地もないじゃない。
どんなお客さん想定して作ってんのよ。
あと、ビジュアルにこだわっているのにほとんど演出上意味のないシーンが多かったのも
正直まったく共感できなかった。
なんだこれっていう。
これね、たぶん細田氏が悪いんじゃないよ。
NHK番組見てて思ったけど、誰も細田氏に対して何も言えてない感じっていうか、
完全に細田氏の「おれのかんがえるさいきょうのシナリオ」になってて
それが全肯定されてると見えるんだが。
どんな能力あるクリエイターでも、映画みたいに巨大なプロジェクトになったら、
ひとりの考えだけで進んだら歪んでいって、お客さんを置き去りにした
それを組織文化として、徹底的にこの20年間やり続けてきたのが、ピクサー。
チームで人を育て、チームで面白い映画を作り続けることをミッションに、
一方でスタジオジブリの宮崎氏も、細田氏の手法も、完全に1人の監督依存スタイル。
あるいは監督に親しい有力者が介入して作品をスポイルしていく危険だとかが野放しになっているし
実際最後のほうの宮崎作品とか、今回の細田作品とかも、その危険が実際の作品の質の
低下につながっていると思える。
あと、この方法だとまったく人が育たないよね。
宮崎氏の引退で、日本アニメの終わりみたいな現象が起きてる時点で、詰んでる。
俺、一時期、アカデミー賞のアニメーション映画でピクサーばっかりが受賞してたとき
日本アニメは正しく評価されてないんじゃないかと思ってたんだけど、
今ならそれは間違った思い込みだったとよく分かる。
持続的に、クオリティの高いエンターテインメントを出し続ける方法。
オスカー受賞し続けるのは当たり前。
2001年の千と千尋の神隠しが受賞したのは、天才宮崎の属人手法の日本アニメ選手がたまたま傑作を生んだだけ。
かつバケモノの子くらいの映画が本当に面白いと思ってしまう人が沢山いる時点で、
これから日本のアニメーション映画の質が持続的に高くなる可能性は極めて低いと言わざるをえない。
残念だ。
残念なガラパゴス。
俺はピクサーを見るよ。
ここ数週間の金曜日の週刊細田守でツイッター眺めてて思ったことなんだけど、「私はこれが憎い」じゃなくて、「これに嫌悪感を抱かない人間が憎い」みたいなものを感じた。
作品は作品なので、例えばそれを視聴することで自分の経験と照らし合わせて憎悪を燃やすのはなんてことないと思う。私もすることがある(細田作品に対してという意味ではない)
でも、「これに違和感を抱かない人間はおかしい」というか、本人にその自覚があるのか無いのか、「これは私の道徳的におかしいので皆も当然嫌悪感を抱くべき」といった物言いをしている人が目に付いた。
「嫌悪感を感じない人」というのは、きっと「違和感や嫌な思いを感じたことが無い人」で、「そういう人生を送ってきた鈍い人間が憎い」。そして「鈍いあなたへ私が違和感に気づかせてあげよう」
道徳ってのは法律じゃないし、嫌悪感を抱くかどうかは個人の感性だと思う。鈍い人間がいることが許せないみたいな気持ちはちょっと分かる。私も決して聡い側じゃなくて鈍い側なんだけど、でも、かけられた思いやりのない言葉に対してそれってこういう意味だとツラくないですか?って聞いて、あっ、そうだね、って言われると「そこまで分かってるのにどうして自分の言葉に疑問を抱かないの?」って思うこともあるし。
まあ、ただの妄想だけど。