はてなキーワード: しっぺ返し戦略とは
SNSをやるのは寂しいからなんだけど、かといってやってみても反応も少ないし私に対して興味を持つ人っていないよなぁと言う感じ
ゲーム理論では「しっぺ返し戦略」といって、利益のために相手のやっていることを模倣するらしいのだけど、
SNSでも「フォローバック」とか「ふだんいいねしてくれる人にいいねを返す」とか言う形でしっぺ返しをしているっぽい
これがめんどくさいんだよね
見ず知らずのひとをなんでフォローバック狙いでフォローしに行くの?なんでつまらんポストに社交辞令でいいねするの?って感じ
このしっぺ返しについても、誰かが誰かに興味があってやっているわけではないと思う
コンテンツを増やせば増やすほど検索される可能性が高まるんだけど、「あ、またあの人だ」という認知が生まれると徐々に好感を持つようになる
これもまためんどくさい
Youtubeで毎日投稿して何年もそれを続けている人がいるけど、なぜそんなに忍耐力があるのかがわからない
根本的に言って、閲覧者の増加率はコンテンツの面白さによってある程度決まってくるから、私のようなつまらない人間なんて何年投稿しても知られることのない存在なんだよね
そうなるとSNSに求めるのは有名度とかじゃなく、知人との交流とかそっち方面になるけど、知人はSNSを積極的にやっていない
私は地方のとある場所にいるんだけど、その地域名でツイートを検索しても大したものが出てこない
つまり東京にいる一部のノイジーマイノリティが発狂しているのがSNSの正体
そんで、そういう人たちはADHD傾向を持ちがちだったりする
私も「インターネットで何か有意義なことはできないか」といって何年も徘徊しているから、もしかしたらノイジーマイノリティの側かもしれない
今日は病院へ行きました。お注射です。お注射をしてしばらくは精神があまり安定しないようです。被害妄想を持ったりしてしまいます。
精神というのは、変動を検出すると不快感を持つような気がします。鬱の時も一定の心持ちであればそれなりに安定しますが、いきなり躁になったりすると錯乱するのかもしれません。
そういえば、私はインターネット上に残した自分の黒歴史の削除を試みました。
統合失調症+自分の名前で検索すると、誰かが勝手に私のYoutube動画(躁状態のときのもの)の音声をテキスト化したものが置いてありましたが、どうやらそのサイトは自然言語のアノテーションのサイトらしく、編集は誰でも行えるようでした。そしてその情報に「著作権侵害です」とラベルをつけて削除してきました。
そうそう、あと黒歴史ブログも残っていました。精神を錯乱して浮世離れしていた時のブログですが、「フロントカメラが不細工でバックカメラがイケメンなのは、介入する観察者が異なるからだ!」みたいな意味不明なことを書き、セルフィーまで載せていたのです。
このブログはまだ削除できていません。というのも、Googleアカウントのパスワードを紛失したからです。
Twitterにもいくつか精神錯乱時のアカウントが残っているのですが、それらも2段階認証を設定しており、ログインできなくなっているのです。
まあ、黒歴史というのはこのようにして、精神をおかしくしている時に生成してしまうものだとわかります。
ところで、インターネットを徘徊していたら、こんな文章を見ました。
つまり「人生の意味を問うても無駄。その代わり人生があなたに問うている」というものです。
もしそれが本当ならば、精神を錯乱して残した黒歴史を正常になってから振り返り、「この黒歴史、君自身はどう感じるのか?」と問うていることになります。
まったく、人生って本当に性格が悪いですね。私が嫌な思いをしていることがわからないのでしょうか。それともその嫌な経験こそが、哲学的深淵なのでしょうか。
私はその性格上、刺激を欲しがっているのです。SNSをやるのは、誰かから刺激をもらえないかというちょっとした期待に基づいています。
でも「いいねの応酬」はしっぺ返し戦略的、機械的なものになります。私が誰かにいいねすれば、その分のいいねが返ってくるというわけです。
そんなくだらない刺激のために黒歴史を残すなんていうのは、一体どういうことなんでしょうか。
SNSの繋がりなんて、所詮は浅い繋がりです。オンラインだと、相手がリアルに存在するものだと忘れてしまう人もいるようなのです。
やはり一期一会というのは、実際にオフラインで対面で会話したことのある相手の存在に対する「出会い」に感謝するような言葉であり、私をおもちゃにしようとしているネットトロールとの出会いというのは、そこまで感謝できるようなことではないと思うのです。
インターネットで発言すれば、好感を持たれたり、恨まれたり、見下されたりします。しかもその発言が、本来の私の精神状態ではないことだってあります。
「私」というものを、他人に誤解されることの恐怖が、SNSにはあります。もはや他人の目を気にして怯える場所です。
だから私は、発言する時は匿名性を重視するのです。箴言にも、愚か者が言葉数を増やしてしまうことに対する戒めがあるので、実名で語るシーンでは黙っておいた方が賢く見えるのです。
「話すは離す」という言葉もあります。結局、ネットであれカウンセリングであれ、悩みをぶちまけられる場所があれば、精神のデトックスになります。
そうやってぶちまけた内容というのは、恥ずかしい内容なので、やはり実名と紐づいてしまうと「目」の恐怖を感じます。
まあ、浅い繋がりの人たちに「見下すな」と言うのが、そもそも無理なのかもしれません。字下げ増田を「高学歴の愚者」などといって嘲笑う人たちがいますが、彼らは人の心を尊重することを軽視し、おもちゃにしています。
確かに、愚者は他人から見下されるような行動をしてしまいます。しかし、それが人間の弱さであり、弱さをお互いに認め合えるようになれば、「お前は愚かだ」などとインテリぶらずに優しい関係になれるのではないでしょうか。
共産党に失望した三十代オタクだけど、今回の水着撮影会中止騒動で「流石にダメだろ……」としか言えなくなったので、共産党に入れないを超えて共産党は議会から追い出すべきだと思うようになった。もちろん民主的な手段で。
同意を得た上での未成年の水着姿の撮影自体は現状ではまったくの合法なのだから(そうでなかったら旅行先での家族写真や友達と海に行ったときの記念写真すらも撮れなくなる)、たとえばガッツリ違法行為である未成年との淫行などと違って「行為が判明したので即座に許可取り消し」のような処分が許容されるとは思えない。「今月から禁止になったから、きちんと年齢確認やってね」とか、「今回は許可出したからやっていいけど、今後は貸さないから」のようなもっと穏健な手段はいくらでもあった。
(未成年の水着姿の撮影はキモいかキモくないかでいえばキモいし、無理強いのようなことがあってはならないが、たとえば性行為と違ってそれ自体が身体的な健康を害する行為ではない。だってただの写真撮影であり、隠すべき部位も隠れているんだから。である以上、性行為と同列の厳しい規制を行うことが適切とも思えない。ピアス穴を開けたりするのと同程度の自己決定権が未成年にも認められていいんじゃないだろうか。まあ俺はピアス開けたことないけど……)
(というかこの手の話は、10歳と17歳を「未成年」と一括りに論じているのがおかしい。小学生のピアスは児童虐待が疑われるので校則で禁止するのも妥当性があるかもしれないが、高校2年生がピアスをつけるのは、小遣いやバイト代の範囲で勝手にしろ、体育の授業や工業高校の実習では危ないから外せ、程度の介入で構わないと思う。セックスのような重大事項ならともかく、たかだか水着での写真撮影程度のことにピアス以上の重みを与えるのは賛同しない。というかほんと、そこまで言うなら子役の禁止も主張しろよ、と言いたくなる案件が多すぎる。まあはてなーの多くは子役も禁止すべきと考えているのかもしれないが……)
そもそも、主催団体が「県の許可条件に反した写真は弊社ではない」って言ってるんだけど、そのへんちゃんと確認したんすか? 条件守ってるところまで一律で排除されるのはどう考えてもおかしい。ある音楽団体が県営ホールで狼藉を行ったから、二度と県営ホールは音楽家には貸しません、というのが乱暴な話なのは誰だってわかると思うんだけど、どうして撮影会は排除してオッケーということになるのか。ホワイトリスト制で貸し出すこともできただろう。民営ならともかく、公営なんだからそこは偏見で対処しちゃいけない領域でしょうよ。
(「タトゥー入れてるやつはろくなやつじゃないから入居を断る」といったような偏見に基づく対応ができるのは民間の大家だけで、公営住宅はそんな差別をすべきではない、っていうのと同じ話。もちろん本来は民間でもタトゥーの有無で差別されるべきではないんだけど……公衆浴場のタトゥー禁止、ふつうに人権問題でしょ)
とにかく規則の後出しが最悪。一度は許可を出したものを、直前になって撤回させるよう働きかけるとか、行政のあり方としてそれでいいのかという話だよ。「今回のことは仕方ないが、二度と許可しないように」みたいな穏健な働きかけじゃダメだったのか? 弁当を注文されてたご飯屋さんも困ってるじゃん。市井の小さな飯屋の仕入れを台無しにするのが共産党の正義なのか? 俺はそういう市井の人々のささやかな暮らしを守ってくれそうだから共産党に入れてたのに、撮影会を中止させて、主催者や出演者や飯屋の商売を邪魔して、カメコをガッカリさせる、それが共産党の目指す社会なのか?
ゾーニングだの公共の場だのといった言い訳が出てきていることがもう本当にここまで来たかという感じ。ゾーニングされてるよな? 最近の日本では6月前半からプール開きするのか? 気候変動の影響ってやつか? プールが営業してない時期に開かれる撮影会なんて完璧にゾーニングできてるだろ。水遊びに来た親子連れがそれを目にする可能性はゼロに等しい。ゾーニングされた県営公園は公共の場だから挑発的な催しはけしからん、と言うなら、入場券を買わないと入れない愛知芸術文化センターで挑発的な展示をすることも許されないだろ。バカなのか? あいちトリエンナーレが河村たかしみたいなクソ野郎に弾圧されたときには俺は津田大介を応援したけど、今回の件では、津田大介は「少なくない人が顔をしかめるようなイベントが「堂々と」開催されていたら、そりゃその範囲を狭めましょうって動きは必然的に出てくる」とか言ってるんだよな。卑劣な裏切り行為だろ。俺は表現の自由戦士だからこんな連中の展示も制限されるべきじゃないって言い続けるけど、そこまで自由主義にコミットしてないふつうのオタクがこいつらの展示に敵対的になるのは責められんよ。あなた……『覚悟して表現を弾圧しにきた人』……ですよね。人の表現を「弾圧」しようとするって事は、逆に「弾圧」されるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね……
でもって、やっぱりこれは共産党が議員を送り込んで権力を持っているからこういうことになるんだろうな、と。とにかく、市井の人々のふつうの暮らしを守ってくれる共産党は死んだんだと思うしかない。歪んだイデオロギーに染まって俺たちお前たちの自由な暮らしに制約をかけようとしてくるのが共産党だ、と認識しないといけない。俺はこれまで他人の支持政党に口出ししてこなかった。俺の友人には自民党支持者や公明党支持者もいるし、そいつらと政治の話もしたりするが、お互いに意見を述べつつも説得や勧誘はしてこなかった。だが共産党は別だ。もしも友人に共産党支持者がいたら友情の許す範囲で共産党に入れるべきではないと説得しようと思う。やるやる詐欺で十年も棚晒しの憲法改正なんかよりも、今目の前にある弾圧の方がよっぽど危機なのだから。
選挙権を得てからこのかた、自民党(+維新)にだけは入れたことがなかった。ずっと民主党(解党後は立憲民主党)や共産党、たまにれいわに入れてきた。なぜなら自民党への拒否感が強かったからだ。けど気づけば、自民党への拒否感を共産党への拒否感が強く上回ってしまっている。憲法改正やるやる詐欺で、圧倒的多数を握っていながら発議の気配すら見せない自民党と、現在進行形で色んなことにクレームを入れて潰そうとする共産党。温泉むすめ、戸定梨香、月曜日のたわわ、そして撮影会。どちらがより差し迫った危険かなんて、少し考えればわかることだ。俺がずっと入れてきた一票がこんな連中に権力を与えていたなんて。EU離脱で後悔してるイギリスのブレグジット派の気持ちがよくわかったわ。俺のこれまでの投票は間違っていたんだ。ようやく気づいた。
加えて。近年の国際情勢に対する態度がありえなさすぎるというのもある。ロシア・ウクライナ戦争での岸田文雄の外交は日本外交の枠内ではパーフェクトだった。安倍晋三や菅義偉といった無能どもが外交をかき回すのを見た後だと、岸田のウクライナを支持するという一貫した姿勢は敬意に値するものだと思えるし、戦後日本の平和主義の体現だとも思った。だが、侵略戦争と防衛戦争とを「反戦」の名の下に一緒くたにし即時停戦を求める連中には心底呆れ返る。戦争への反省ってのは侵略戦争への反省ってことなんだよ、知らなかったのか? 大日本帝国の侵略と大日本帝国に対する中国人民の抵抗は、同じ「戦争」でも倫理的にまったく別物だろう。だが彼らにはこんな簡単なことがわからないらしい。
(沖縄の左翼に関しては、正直同情する。沖縄人は防衛という名目で自国軍から集団自決を強いられたのだから、防衛戦争にすらアレルギーを起こすのは当たり前だろう。少なくとも沖縄戦に関しては、日本軍がさっさと降伏していればあれだけ多くの沖縄人が死に沖縄の文化や歴史が壊され沖縄の土地が奪われることはなかったのだから……)
これまでは、共産党の国際情勢への認識がおかしくても許していた。地方議会でなら外交も防衛も関係ない。地域住民の暮らしを守ってくれていれば、ふつうの民衆の自由や権利を擁護してくれるなら、多少外交安保への認識がおかしくたって許せる。だからずっと共産党に入れてきた。自分の生活を良くするために。だけど彼らが自分たちの自由を奪おうとするなら、もう彼らに入れる必要なんて何一つなくなる。それどころか打倒すべき対象だろう。
とにかく選挙で共産党を地方議会から追い出さなければいけない。モリカケサクラみたいな疑獄の追及用に国会に数議席ある程度で十分だろう。自分にできることはなるべくやってみる。共産党には入れない。知人が共産党支持者だったら可能な限り説得する。地元で共産党やフェミニズム関係の催しがあるなら、行政にクレームを入れられる材料を探す(もちろん本来はそういうのも自由であるべきなんだけど、流石にそろそろしっぺ返し戦略を適用しても許されるでしょ……)。そうやって彼らに対抗していかないと。こんな連中に議席や権力を与えてはいけないのだから。
公共施設で過激なポーズのグラビア撮影や女子中学生の水着の撮影してた事を法律に違反してないから良い、そんな事言ったら家族写真も取れなくなるで通すのは無理だって。。こんなチキンレースは止めようよ。。
直ちに法律に違反してはいない、のだから、ここまで直前になっての中止要請は正当化しづらいだろう、というのはいい? 今後は年齢に関する新しい規則を厳格に適用しますよ、というのであればともかく、去年未成年を出してたから、今年作った規則に違反です! なんていうのはおかしいよね? これが「未成年との性行為」であれば問答無用でお取り潰しに遭うのも仕方ないけど、それほどの悪行ではないでしょう。「今月から新しい規則で未成年NGにするから年齢確認ちゃんとやれよ」程度の話ならここまで言わないよ。
っていうか、「過激なポーズ」って何? どういうポーズが過激なの? 俺はグラビアとか見ないからまったくわからん。健全なポーズ is 何? 何が過激で何が健全かを誰が判定するのか? 公共施設で過激なポーズはよくない、なるほど確かに、では公共施設で過激なアートを展示するのもいけませんね、と言われたらどう返すのか? 「過激なのはけしからんですなぁ」ってのは保守派のオッサンの決め台詞だろう。未成年云々の話には、未成年がまだ判断能力が未熟であることを考えると首肯できる点もあるが(たとえば「ドラマや映画で18歳未満の役者を使ってはいけない」という主張をする人が撮影会を叩くのは理解できる)、なんら具体性のない「過激なポーズ」はまったくの理解不能。「ならぬことはならぬものです」ってやつですか?
感覚的にはまったくの別物だけど、法的に禁止できるか? っていうと、いや厳しいでしょ、って話になるやつなので。友達の水着写真を撮ることや子役が出演する映画や子供の出るスポーツ大会(典型的には甲子園など。池江璃花子が日本代表入りしたのは15歳、宇野昌磨が世界ジュニアで優勝したのは17歳のときだっけ?)の中継はよくて、撮影会はダメ、というのは、感覚としては納得がいくけど理屈で考え出すと根拠がわからない(映画もスポーツ大会も撮影会もダメ、という立場は理解できる。子供には十分な判断能力がないから全部禁止、は、賛成反対は別として納得がいく見解)。
子供の判断能力を考えるなら、17歳のグラビアより、10歳の子役の方がよっぽど強制性高くて悪質でしょ、という判断になると思う。17歳でも未成年は未成年だ! グラビア撮影なんて認められん! という立場もあり得るけど、そうすると、たとえば16歳の高校球児は無理やりやらされてるんじゃないんですか、みたいな話になってくる。まあでも最近は、高校球児が投げたいと言っていても無理やり休ませるべきだ、という話になりつつあるようなので、未成年アイドルが脱ぎたいと言っていても無理やり止めるべきだ、という話になるのもわからなくはないけれど。
えっ!? 撮影者の性的興奮が基準なの!? そうすると、たとえばノンケの友人に頼まれて女子の水着姿を撮影しにきたゲイはセーフで、イケメン球児に興奮する女子アナや女子カメラマンは甲子園の中継や取材から外されるべきなの!? そんな馬鹿な! もっと真面目に考えてください。
こと規制の後出しやら突然の一律中止を決定したのは施設や行政という理解なのだが?共産党がアレコレ言っても規約や法に従って粛々と対応すべきだったと思うけどな。イレギュラーな対応した背景は気になる。
こういう見解には一理あると思っていて、とにかく役所側が何でもかんでもクレームに屈するのは、真っ当なクレームを入れようとする一部の人を萎縮させ、クレーマーを勢いづかせるだけなので、基本的には役所の側ももっとスルースキルを鍛えるべきという話はよくわかる。「自分のクレームですぐに変わったりはしない」と思えば少しはクレームを言いやすくもなるだろう。ただやっぱり、地方議会の議員さんは地方政府から見れば権力者でしょう、普通に……。
ところで、都議会自民党が都教育委員会に圧力をかけた結果、障害児向けの性教育が大幅に縮小されたとしたら、それは都議会自民党じゃなくて都教育委員会の責任ってことでいいですか? 自民党はクレームを言っただけで、屈する行政が悪いんですもんね? 俺のようなリベラル派は、んなもん自民党が悪いに決まってんだろ、って思っちゃうけれども。
完全に無料で、私的な時間を費やして書いていて、当然一銭の得にもならない。安倍晋三をこき下ろす増田も無償で書いたし、東京五輪への反対も無償で書いたし、それと同様に、これも無償で書いたということ。勝手に期待して勝手に失望しただけです。まあ所詮は根無し草の無名のリベラル派ですので。
吉良よし子に投票したり自民党支持者の友人の前で共産党への投票を公言したりしててもこんなふうに嘘認定されるんっすね~~~~~~。
まあ、国政や首長選では立憲やれいわに入れたりもしてたから、忠実な支持者ってわけじゃないけど、地方議会選挙はマジで欠かさず共産党に入れてたのに党からも支持者からもこの仕打ちよ。
こういうタイプの支持者がいるんだって知らなかった? 共産党に投票する人はみ~~~んな同じ考え方の人だとでも思ってました? 熱心に活動する人たちだけが票田だって思ってましたか? 違うんだよなぁ! 俺みたいに「外交と安保はゴミカスだけど福祉の充実や雇用の安定では頼りになるから比例と地方議会は共産党に入れとくか」って思って入れてた人もいたんですよ! そういう人からの支持は要らないみたいなんで、もう入れませんけどね!
フェミを長年観察し続けてる趣味の者だが、この考察は非常に浅いな。浅すぎる。
変数が1つの正誤問題ではない。そう捉えてるのはさすがに理解の次元が低い。ゲームの勝利条件を設定し忘れている。
数学的にはそうであることは承知の上で社会学的な文脈による敢えての差別発言だと考察している。
これは日本男児が日本社会で長年やってきた「女は○○」という偏見や差別的言動に対するカウンター、差別に対する差別的な返し、ゲーム理論で言うところの「しっぺ返し戦略」なのではないかと考えている。
一応、男は泣くなとか男に対する偏見や差別もあったんだが、日本男児の男に対する偏見は女に対する偏見と違って抑圧的ではあっても不利益的には働かないケースが多かったからね。
迷惑をかける生き方というか、迷惑をかけてくるやつの見極め方と逃げ方やな。
恩に恩で返してくれるやつには親切にしたらいい。
お人好しは見栄っ張りで、良し悪しの基準を持たない選択眼のない人という話がある。
加えて、しっぺ返し戦略というのもあるので、まず第一回目は親切に挑んだらいい。
しっぺ返し戦略は、ゲーム理論の一つで最強に近い理論の一つ(なお、最強は王様と奴隷戦略)親切にするか裏切るかの洗濯で、
一回目は親切、二回目以降はその前の相手の反応と同じ戦略を取るというもの。
そのうえで、迷惑な返ししかしないやつからは距離を起き逃げていったらいい。
見極めるというのはスキルだから、今からでもひとりひとりからででも見極めて逃げていったらいい。
ああ、でも、迷惑かけるやつは周りを巻き込んで同調して屈させようとするから、その場合、迷惑なやつに加担する周りも切らんとならんで。
優しさや楽しさは男友達でも提供できているし、料理や掃除は自動家電が提供できているよね。
医師、テニュア持ちの研究者、士業の女でも自分より年収の高い男性としか結婚したがらない統計結果が出ているから、お金を提供するというのは、ほとんどの人に当てはまらないね。私の年収は低いので、あまり関係ない話だが。
追記
多少コメントが有ったので
私自身彼氏に喜んでもらえるエッチが出来るように努力しているから・・・・・・ですかね。実際、彼氏も喜んでくれていますし。
new3 彼氏のいる女ユーザーではないのでお答えするのが大変恐縮なのですが、彼氏彼女/夫婦というのは価値の提供/受領ではなく"価値の共有"だと思います。
共有という文脈では、時間と空間を共有するという意味で、デート(非日常)でしょうか。エッチも共有ですね。結婚(日常)もそうですし、子供もそうです。
ただ、価値の提供/受領は、恋愛や結婚では結構重視されていると思います。「恋人の条件」、「結婚相手の条件」といった言葉はよく出てきますし。「価値の共有」なら、友人関係の方がより適しているような気がします。「友人の条件」とかそういった言葉は聞きませんから。特に男性でしたら、男同士の友情(BL的文脈ではなく)でよくわかってらっしゃるのではないかと思います。
kidspong つまりその彼氏は増田の事をセックス要員でしか見てない下衆な男って事だよね。増田のその「私の価値はセックスだけ」という思いは同時に彼氏の価値も下げる事になるんだけど、そこには自覚的なのかな、とは。
セックス要員としか見做していないのなら、おそらく風俗を利用するのではないかと思います。一応、セックスだけする関係ではありませんから。ただ、ふとした時に、彼氏の周りにいる人や物で、私が提供できている価値の最もたるものが、セックス・・・・・・と、思いついただけです。
信頼
結構なるほど、と思いました。ワンピース的な仲間や絆といった文脈の「信頼」ではなく、世界の複雑性を縮減・単純化する意味合いであるニコラスルーマンの「信頼」なら、確かにその通りだと。
蛇口をひねる時に水が出るかどうか悶々としないで済む様に、疑いの余地のないシステム的な振る舞いができるようになりたいですね。