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はてなキーワード: テヘランとは

2019-07-12

もう待ったなしだな

ムン政権になって一気にフッ化水素輸入を増やし、さらに毎年とんでもない量行方不明になる(核やミサイル開発に使うから0.1%でも失ったらあかん)

フッ化水素の件で日本日韓閣僚会談申請しても韓国は徹底的に無視

17から北が飛ばしてるミサイルの数急激に増やした。

韓国イランから物々交換で」石油輸入始める(何とは言ってない)。

太平洋管轄厚木レーダー機が日本海頻繁に飛ぶようになる。

年末レーダー照射騒動

直後に英仏海軍駆逐艦せどり監視日本派遣

安倍晋三イラン訪問

ムンちゃん置いてきぼりでトランプ正恩と緊急会談

ムン政権石油輸入のために日本フッ化水素を北経由でイランに流してて、ミサイル開発一気に進んでテヘラン核ミサイルパリロンドンベルリン届くようになってる

韓国アイドルTシャツの柄とかミュージックビデオキノコ

2019-06-15

大統領「今回のタンカー攻撃にはテヘランが関与している!証拠はない!」

佐官「(イランこと言わんでええねん…)」

2018-08-20

anond:20180820174607

宗教警察服装の取り締まりを強化したところで、「指導員が今ここにいます!」みたいなスマホアプリが出るんだよなあ…

(そういうアプリテヘランで今好評を博しているらしい)

2018-07-19

anond:20180718203609

東京と同じ緯度にテヘランがあってな

まり暑いのでハンドレッド・ディグリー・シティとか言われてるとかいないとか

2017-07-20

2016年以降に起こったTBS関連の炎上不祥事

TBS世界の怖い夜」で放送心霊写真は合成か 元画像には霊が写っておらず持ち主は怒り(2017/7/20)
TBSマツコの知らない世界」が出演者の貴重資料を紛失 提供者は「考えられない理由だった」(2017/7/10)
TBSひるおび!」で誤報「完全なるフェイニュース」と指摘(2017/7/6)
TBS社員危険ドラッグ所持か 警視庁任意聴取(2017/6/21)
TBS世界の怖い夜」で放送心霊写真は合成か 元画像には霊が写っておらず持ち主は怒り(2017/7/20)
TBSマツコの知らない世界」が出演者の貴重資料を紛失 提供者は「考えられない理由だった」(2017/7/10)
TBSひるおび!」で誤報「完全なるフェイニュース」と指摘(2017/7/6)
TBS社員危険ドラッグ所持か 警視庁任意聴取(2017/6/21)
カナダ製おもちゃを「メイドインジャパン」 「日本スゴイ」系番組が物議(2017/4/10)
TBS社長謝罪不適切な内容だった」 1月放送の「白熱ライブ ビビット」、ホームレス男性らを「犬男爵」と表現(2017/3/20)
マツコの知らない世界」で“ねつ造” 掃除前後キーボードが別のものに TBS謝罪(2016/11/30)
炎上TBS字幕捏造しまくって都合のいい内容にすり替えていた!朝日新聞テヘラン支局長が指摘 | netgeek(2016/10/2)
「『マツコの知らない世界』で名誉毀損」 出演者の元夫がTBS賠償求める(2016/9/9)
TBS、「ピラミッドダービーヤラセ疑惑について当事者謝罪(2016/6/26)
「私はレイプされた」 28歳詩織さん“顔出し”で涙の訴え 元TBS記者「法に触れること一切してない」(2016/6/3)
熊本地震TBSにブチ切れたおじさんの姪っ子が降臨して知られざる事情説明。「マスコミは本当に酷いのでおじさんが怒るのも無理はないんです」 | netgeek(2016/4/22)


これ抜けてるって物があったら教えてくれよな~

2016-07-14

1-3 鳥越俊太郎

1940年3月   福岡県吉井町(現うきは市)生まれ

  58年3月   久留米大附設高校

  65年3月   京都大学文学部国史学専攻)卒

     4月   毎日新聞社入社

          新潟支局大阪社会部東京社会部サンデー毎日編集部

  82年〜83年 アメリカペンシルバニア州クエーカー タウンフリープレス紙に職場留学 

           帰国後、外信部(テヘラン特派員)を経て

  88年4月   サンデー毎日編集長

  89年8月   毎日新聞社退社

  89年10月〜 テレビ朝日系列ザ・スクープキャスター

  95年10月〜 「サンデージャングル」  

2002年10月〜テレビ朝日系列ザ・スクープスペシャルキャスター

2002年10月〜2011年3月  「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)月~木曜日コメンテーター            

2002年10月〜2005年3月  TBSラジオCUBE

2003年4月〜2005年3月  関西大学社会学部教授マスコミ専攻)

2005年4月〜2007年3月 関西大学客員教授   

2004年4月〜2005年3月 「僕らの音楽」(フジテレビ系列)   

2005年4月〜 TBS ラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド」(月曜日スーパートーク)

2008年4月~ BS朝日鳥越俊太郎 医療現場!」 

【賞罰】

2001年4月  「日本記者クラブ賞」(桶川女子大生ストーカー殺人事件報道に対し)

2004年5月 ギャラクシー賞報道活動部門大賞

         (ザ・スクープスペシャル警察裏金追及第一弾、第二弾』に対して。     

著書   『あめりか記者修業』(中公文庫

     『異見ー鳥越 俊太郎ジャーナリズム日誌』(現代人文社)

     『うちのお父さんは優しい 検証金属バット殺人事件』(共著明窓出版

     『「あのくさ、こればい」』(プラネット出版

     『桶川女子大生ストーカー殺人事件』(メディアファクトリー

     『そのニュース ちょっと待った!』(PHP研究所

     『ニュース職人 「真実」をどう伝えるか』 (PHP研究所

     『報道欠陥商品と疑え』(ウエイツ)

     『歳には勝てる』(マガジンハウス

     『人間力の磨き方』(講談社新書

     『本当は知らなかった日本のこと』(ミシマ社

     『〜現代ニュス用語から読み解く〜2時間でわかる

      問題ニッポン』(主婦と生活社

     『 鳥越俊太郎エンディングノート 葬送曲はショパンでよろしく』

     『 がん患者』(講談社)

趣味   ニュース、車の運転、映画最近DVD)、歌うこと、

2013-11-29

戦争について知ること、勉強すること、考えること

戦争について、学ぶことはなんの意味があるのだろうか。ふとそう思った。そして、それをいくつかの切り口に分けて考えてみた。

私が生まれたのは平成がはじまってすぐのこと、ちょうどソ連崩壊した時期だ。

もちろん、私にとっての戦争は、まったくもって身近なものではない。

ただ、平和とか戦争について考えているうちに、あえて書いて、いまのところの自分の考えを残してみたくなった。

特にここでは、日本が直接関わった直近の戦争であり、当事者が生存している第二次世界大戦もしくは大東亜戦争について書きたい。

それでも、もう70年も昔のことだ。もう30年過ぎて、あっという間に終戦から100年くらい経ってしまうだろう。


1) 戦争とはどのようなものだったのかを学ぶ

戦地に赴かない限り、また時代を遡らない限り、戦争経験するというのは不可能である。そこで、戦争とはなんだったのかというアプローチが一番初めにくる。その方法は、博物館に行く、写真をみるなどなど様々である特に昭和のひと桁年代に生まれた方々が生きている間は、彼らが直接経験したその記憶から学ぶという方法が可能だ。国民の高揚もしくは虚脱、戦争の残虐性を生の声で聞くことができる。ただ、これはあと10年もしたらほとんど不可能になってしまうかもしれない。

2) なぜ戦争が起こったのかを学ぶ

なぜ人は戦うのか、なぜ領土拡大を目指したのか、なぜ支那事変は起きたのか。戦争という歴史的事実の起点に対して、なんで、と問いかけてみるのは素朴ながら、ものすごく頭の回転を必要とする。当時の国際情勢はどうだったのか、リーダーたちはどのような野望と認識を持っていたのか、国民はそれにどのように反応したのか。様々な要素が重なりなって、奇襲や宣戦布告へと結びつく。今後、自分たちの国を戦争に巻き込まないためにも、なぜ戦争は始められたのかという視点重要だ。

3) なぜ戦争に負けたのかを学ぶ

戦争は悪だという考えで、考えることそのものを停止するのは簡単だ。負けてしまった戦争の敗因を考えても仕方がない、という声もあるだろう。ただ、同じ過ちを繰り返さないという意味でも、その分析意味を持つ。たとえば、地図をみながら、その伸びきった補給線に嘆息するのもそうだし、インパール作戦など、個別の作戦の是非を問うてみることもできる。ミッドウェー海戦ひとつの転機とするならば、ガダルカナルなどその後の日本軍の行動をチェックしてみるのもいい。失敗から学ぶ、その絶好の材料がここにあるはずだ。

4) 戦争のあとに何が起こったのかを学ぶ

玉音放送を流したのが8月15日日本降伏文書に調印したのは9月2日である敗戦を迎えた日本はどのような戦後処理を受けたのか。それは戦争によって決められた勝者と敗者の間における、責任と今後の関係性の規定だ。東京裁判はじめ戦争犯罪人断罪や、大日本帝国憲法の破棄と日本国憲法制定のプロセス国体及び皇室制度政治責任に関する議論など、その射程は広い。もちろんサンフランシスコ平和条約も外せない。戦争の前と後でどのような変化があったか。それまでの常識非常識になり、非常識常識になったその転換を捉えることは、私たちが生きる時代のはじまりを知ることができる。

5) 戦争の裏で何が起きていたのかを学ぶ

戦争から何十年も立ち、研究も進んだいま、私たちひとつのできごとをいろんな視点から見ることができる。日本必死になって戦争していた裏で、連合国はその後の戦後秩序についての議論を重ねていた。その反対側のやりとりを見ることは、面白くもあり、悲しくもある。例えばカイロ会談、テヘラン会談、ポツダム会談では、その後の大国による世界秩序の土台がどのように作られていったのかを知ることができる。往々にして、物事は知らないところで決定されているものだ。

6) その後の人びとは戦争をどのように捉えたのかを学ぶ

最後に、後世に生きる人びとはどのように戦争を捉えたのかを考えることは、非常に重要だ。戦争を知る世代はそれをどう形容したのか。戦後歴史おいて、知識人市民がもがきながらその形容詞を見つけていく過程から戦争日本、そして市民との関係を考える際のヒントが眠っている。もちろん、戦争のもの完璧見方で統一することは出来ないし、しなくてもいい。だけど、その議論をときに批判的に、とき肯定的に見つめ直しつつ、あえて自由に考えてみよう。戦争の総括というものが不在だからこそ、自分で考えることが必要になる。

6つ項目をあげて書いてみた。もちろん諸外国から視点、人道的な視点など、まだまだ様々な切り口がある。

戦争について知ること、勉強すること、考えること。

平和世界希求する、実現するためにも、そうでなかった時代もっともっと知っておいたほうがいい。

今まで書いてきたのは、全て日本の話だけ。あらゆるところで紛争は起きているし、その火種はどこにだってある。

このような問題に対して、目をそむけるのは簡単だけど、目を見開いて、向き合っていたい。

2013-09-11

妄想・定年後、ウィークリーマンションを根城に各地旅行三昧

自分旅行趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、

極めて非効率な気がする。

例えば北海道であれば、札幌ウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、

(東京の自宅から何回も北海道へ飛ぶよりも)効率的だと思う。

もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。

から例えば

月曜日積丹方面日帰り旅行

火曜日支笏湖方面日帰り旅行

水曜日休み(旅行記の執筆・整理・洗濯)

木曜日夕張方面日帰り旅行

金曜日日高方面日帰り旅行

土曜日休み(旅行記の執筆・整理・洗濯)

日曜日休み(次の週の計画作成)

てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、

体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。

(少なくとも、東京から北海道に何回も往復するより安上がり)

休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。

札幌も200万都市から、それなりに観光スポットがある。

場合によっては日帰りじゃなく、1泊2日旅行を適宜混ぜる。

「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、

「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。

「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、

それを「ハシゴ」する。

ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本世界都市の主要スポット訪問できるような

タイムすげジュールを組んでみた。

65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。

A期間=4月10日~4月25日

B期間=5月15日~7月15日

C期間=9月1日~10月31日

D期間=11月15日~12月15日

E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)

65歳A期間:岡山を拠点に岡山県内制覇

65歳B期間:ロンドンを拠点にイギリスアイルランド制覇

65歳C期間:ニューヨークを拠点にアメリカ東海岸制覇

65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇

65歳E期間:香港を拠点に中国華南制覇

66歳A期間:金沢を拠点に北陸県制

66歳B期間:パリを拠点にフランス制覇

66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇

66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇

66歳E期間:バンコクを拠点に、タイカンボジアラオス制覇

67歳A期間:盛岡を拠点に、岩手県制覇

67歳B期間:ローマを拠点に、イタリア制覇

67歳C期間:北京を拠点に、華北制覇

67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇

67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇

68歳A期間:仙台を拠点に、宮城県制覇

68歳B期間:ベルリンを拠点に、ドイツ制覇

68歳C期間:京都を拠点に、京都府制覇

68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇

68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部ネパール等を制覇

69歳A期間:松本を拠点に、長野県を制覇

69歳B期間:上海を拠点に、華中制覇

69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇

69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇

69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇

70歳A期間:秋田を拠点に、秋田県を制覇

70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇

70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇

70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇

70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇

71歳A期間:青森を拠点に、青森県制覇

71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇

71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇

71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇

71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇

72歳A期間:山形を拠点に、山形県を制覇

72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)

72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇

72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇

72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇

73歳A期間:新潟を拠点に新潟県を制覇

73歳B期間:ソウルを拠点に韓国を制覇

73歳C期間:大阪を拠点に、大阪府制覇

73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇

73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇

・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている

 (ゴールデンウィークお盆紅葉シーズン、年末年始)

・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。

・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。

 確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?

・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、

 1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。

・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、

 その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州中四国韓国中国旅行しまくる、というのもいいかも。

・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。

東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。

 カーシェアの6時間レンタルが3,900円。(距離料金)

 12時間レンタルだと、6,500円+距離×15円。

 100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。

 栃木まで何回も9,500円レンタルを繰り返すなら、5,600円以下の安宿に腰を落ち着けて、

 3,900円のショートレンタルを繰り返した方がいい・・・

 因みに24時間レンタルは8,000円+距離×15円

2013-09-09

トルコほっこりするなら

せめてエルトゥールル号の件と100年後の恩返しの件を日本人もっと知ろうぜ

俺も知らんかったから偉そうなことは言えん。

トルコ旅行した時ガイドさんに教えてもらった。

http://shuchi.php.co.jp/article/1325

そして両国の友情を考える際、日本人が決して忘れてはならない事件が、昭和60年
(1985)に起きていますイランイラク戦争下のテヘランから日本人救出です。

 イランイラク戦争昭和55年(1980)に始まりましたが、昭和60年3月、イラクによる
イラン都市空爆を契機に両国都市攻撃が激化。イラン首都テヘランにもイラク空軍機が
襲来するなど、情勢は一気に緊迫化します。さらイラクフセイン大統領は、3月17日に
「48時間以降、イラン上空の航空機を、民間機であろうと無差別攻撃する」と宣言しました。

 各国は大慌てで、自国民救出のための救援機を送りますしか日本の救援機は来ません。
自衛隊海外派遣不可の原則のために自衛隊機を送ることができず、日本航空労組の反対も
あって「航行安全保証がない限り臨時便は出せない」という方針を打ち出したのです。現地
の日本人は八方手を尽くしますが、他国の航空会社はどこも自国民優先で、乗れる飛行機はほ
とんどありません。

 いよいよ刻限が迫り、現地邦人の誰もが絶望の淵に沈んだ時、手を差し伸べてくれたのがト
ルコでした。トルコ航空機が危険をおして215名の日本人を救出してくれたのです。しかも、
当時、テヘランには600名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人を優先して助けて
くれました。

 「なぜ、トルコが?」。日本人は皆、不思議に思いました。直接のきっかけは、1つは駐イ
ラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏が、駐イラン日本大使の野村豊氏の懇願を受け、
本国に救援機派遣要請してくれたこと。もう1つは当時、イスタンブール駐在していた伊
藤忠商事森永堯氏が、知己であったトルコのオザル首相に直接、救援を依頼したことでした。

 しかし、それらがあったとはいえ、自国民より日本人を優先して救出するほどの決断を、な
ぜトルコは下してくれたのでしょうか。その背景には、この救出劇から95年も前に起きた、あ
る事件で結ばれた強い絆がありました。トルコの人々は、それを忘れずに日本人を助けに来て
くれたのです。その事件こそ、エルトゥールル号遭難事件です。

 明治23年(1890)9月16日夜半、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オス
マン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号遭難。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・
パシャはじめ500名以上が死亡または行方不明という大惨事になります。

 彼らは、明治20年(1886)に日本小松宮彰仁親王トルコイスタンブール訪問した
ことへの答礼使節でした。東京明治天皇に拝謁し、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路
に悲劇に見舞われたのです。

 これに対し、事故現場串本紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒
しながら69名を救出しました。当初トルコ人を収容した樫野地区は60戸はどの小さな集落で、
しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではあり
ませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月しか食べ
ない白米を炊き出して食べさせ、さらに時を知らせる鶏もつぶして振る舞ったのです。

 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い
看護を受けた後、日本海軍軍艦で翌年1月2日にイスタンブールに帰還しました。また、こ
の事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きが澎湃として沸き起こり、現
在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのです。

 この日本人の真撃な気持ちはトルコに伝わり、トルコ親日感情が大きく高まりました。こ
れが後の、イランイラク戦争への対応などの一連の動きにつながっていくことになったので
す。

2012-10-26

Pocket Planes 都市解説日本語

アフリカ

Al Fashir
エル・ファシールは、周辺地域でつくられた穀物や果物を供給する農業市場です。
Algiers
アルジェは、海から迫り上がるように建てられた白く輝く建築群のために、別名「白のアルジェ」と呼ばれています。
Bamako
バマコという名前はバンバラ語で「ワニの河」を意味する言葉に由来しています。
Beira
ベイラは、ジンバブエ、マラウィ、ザンビアなど南アフリカ諸国が輸出入を行う、古くからの主要な交易地です。
Benghazi
ベンガジの地は、2011年のリビア内戦で転換点となりました。
Cairo
カイロは、スフィンクス像やギザのピラミッドに近いことから、古代エジプトとも関係が深い都市です。
Cape Town
ケープ・タウンは、東アフリカインド、極東への供給基地として、オランダ東インド会社によって開発された都市です。
Casablanca
カサブランカ港は世界でもっとも大きな人工港の一つで、モロッコの経済、ビジネスの中心とされています。
Dakar
ダカールは、かの有名なダカールラリーの終着点でした。
Djibouti
異国情緒あふれる建築群が立ちならぶジブチは、「紅海におけるフランスの香港」と呼ばれてきました。
Durban
ダーバン市の有名な海浜地帯は、ゴールデンマイル、あるいは日常的に「マイル」という名前で呼ばれています。
Harare
ハラレ(1982年以前はサリスベリー)は、ジンバブエ最大の都市であり、首都でもあります。
In Salah
サラという名前は「よい泉」という意味の言葉に由来していますが、イン・サラの水はむしろ悪質で塩辛いことで知られています。
Johannesburg
ヨハネスブルグは世界の輝かしい首都であると主張していますが、その栄冠を主張する都市は他にもあります。
Juba
(Wiki のリンク先がムンバイになっています)
Kaduna
カドゥナのシンボルは、現地ハウサ語でカダと呼ばれるワニです。
Kampala
ブガンダのカバカ(王)、ムテサ・イは、やがてカンパラと呼ばれるようになるこの地域をお気に入りの狩り場としていました。
Kananga
カナンガとは「平和と愛の場所」という意味です。植民地時代以前は、領土問題を解決する条約の制定会議のために首長たちがここに集まったためです。
Khartoum
(Wiki のリンク先が長崎になっています)
Kinshasa
キンシャサは、コンゴ川リビングストン滝上流において航行可能な、初めての港として建設されました。
Kisangani
サンガニは、コンゴ密林地帯最大の都市です。
Lagos
ラゴスは、小川に隔てられた、ラゴス潟湖の南西口を縁取る島々に生まれた大都市です。
Lilongwe
リロングウェにはたくさんのヨーロッパ人と南アフリカ人が住んでおり、多くの国際支援機関がここを本拠地にしています。
Livingstone
リビングストンは、巨大で美しいビクトリア滝の水源地です。またの名をモシ・オア・ツニャ、「雷鳴轟く煙」という意味です。
Lobito
ロビトは、アフリカで最も良質な天然港を利用するために、ポルトガルマリア二世の命令で1843年に建設されました。
Mahajanga
マハジャンガは、美しい浜辺、ココナッツの木が並ぶ遊歩道を備え、そして雨のふらない晴れ間が8ヶ月続く、人気の観光地です。
Mogadishu
モガディシュは、インド洋沿岸のベナディール地方にあり、数世紀にわたって重要な港として機能してきました。
Mombasa
モンバサは、近代において香辛料、黄金、象牙貿易の重要な中心地でした。
Monrovia
1822年に建設されたモンロビアの名前は、リベリア植民地化の突出した支援者であった合衆国大統領ジェームズ・モンローにちなんで名付けられました。
Nairobi
ナイロビ国立公園にはライオンキリン、クロサイなどたくさんの動物がおり、また400種以上の鳥たちの繁殖地にもなっています。
Port Elizabeth
ポート・エリザベスにある聖ジョージ公園のクリケット競技場は、オーストラリアイングランド以外の地で練習試合が開かれた最初の会場です。
Port Sudan
ポート・スーダンは、紅海からナイル川までを繋ぐ鉄道の終着駅として、1909年イギリスによって建設されました。
Timbuktu
ティンブクトゥはサハラ砂漠の南の端にあります。砂丘に囲まれ、道路は砂で覆われています。
Tripoli
トリポリは、そのターコイズブルーの海と白亜の建物で、情緒を込めて地中海の人魚と呼ばれています。
Windhoek
ナミビア大学、ナミビアで唯一の劇場、中央省庁本庁舎、また主要なメディア金融機関はすべてウィンドフックにあります。
Zanzibar
ザンジバルの主要産業は香辛料、ラフィア椰子と観光業です。特に島嶼部では、クローブナツメグシナモン、胡椒を産出しています。

アジア

Aden
アデンは、1937年までイギリスインドの一部として統治され、アデン居留地として知られていました。
Ahmedabad
アフマダバードは、20世紀前半におけるインド独立運動の最前線でした。
Anadyr
アナディリは、ロシア東端の街であると同時に、ロシア極東地方にとって重要な港と空港になっています。
Baghdad
チグリス川沿岸に位置するバグダードの街は8世紀に成立し、アッバース朝の首都となりました。
Bangalore
バンガロールは庭園都市とも呼ばれ、かつては隠居生活天国と呼ばれていました。
Bangkok
バンコクでは、夜の繁華街に加えて文化的建造物やアトラクション異国情緒を醸し出しています。
Beijing
北京首都国際空港は、世界で二番めに多い利用者でごった返す空港です。
Butwal
ブトワールは、西ネバールカトマンズ都心を繋ぐ主要な玄関口です。
Cebu
セブでもっとも有名なランドマークマゼラン十字架です。1521年に、フェルディナンド・マゼランが鋳造したと言われています。
Chengdu
成都には、世界的に有名なジャイアントパンダ生育研究所が設立されています。
Delhi
ニューデリーの設立記念碑は、英国王ジョージ5世とマリー妃によって1911年12月15日キングスウェイキャンプに定礎されました。
Dhaka
ダッカの街では毎日40万台の自転車リキシャが走り回っており、世界一のリキシャの首都として知られています。
Guangzhou
1514年、欧州人として初めて広州にたどり着いたポルトガル人は、遠隔貿易の独占権を確立しました。
Hanoi
ベトナムの首都ハノイは、2010年、公式に建設から1000年を迎えました。
Harbin
ハルピン国際雪祭りは、世界四大雪祭りの一つです。
Hong Kong
香港は、1997年に中国が統治権を取り戻すまで、大英帝国植民地となっていました。
Hyderabad
ハイデラバードは、トリウッドとして有名なテレグの映画産業の中心地です。
Istanbul
今はイスタンブールです。コンスタンチノープルではありません。
Jakarta
ジャカルタは、別名ビッグドリアンといいます。ビッグアップルと呼ばれるニューヨーク市インドネシア版と目されているためです。
Jerusalem
イェルサレムは、三つのアブラハムの宗教、ユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地です。
Kabul
カブールは3500年の歴史を持っています。交易路に位置するその立地の戦略性のために、多くの帝国がカブールの谷を巡って戦ってきました。
Kandahar
カンダハール地方は、高級フルーツ、特にザクロブドウの産地です。
Karachi
カラチは、南アジアと広域イスラム世界における高等教育の中心地です。
Kolkata
かつては英語綴りの Calcutta が正式名称でしたが、ベンガル語の発音にあわせるため2001年に Kolkata に変更されました。
Kuching
クチンはブルネイ首長国の一部でしたが、1841年に、英国人冒険家ジェイムズブルックの個人王国として割譲されました。
Kuwait City
1936年の油田発見によって、衛生、教育サービスなどクウェート市の生活水準は劇的に向上しました。
Lhasa
ラサは、ポタラ宮、ヨハン寺院やノルブリンカ宮殿など、チベット仏教の強い文化的特徴をもつ土地です。
Magadan
マガダン経済の主な収入源は、金鉱業と漁業です。
Manila
マニラは、1平方キロメートルあたり43,079人が住む、世界一人口密集率が高い都市です。
Mumbai
かつてボンベイとして知られたムンバイは、インドで1番、また世界では4番めに人口が多い都市です。
Muscat
マスカットは、アラビア海オマーン湾岸、戦略地であるホルムズ海峡の近くに位置しています。
Nagasaki
1945年8月9日、長崎はアメリカによる2度目の原爆攻撃の標的になりました。
Nanping
南平を取り囲む高い城壁は、古代に敵襲に備える防壁としてつくられ、砲撃を防ぐために使われました。
Norilsk
リリスク、タルナクのニッケル鉱床は、世界最大のニッケル、銅、パラジウム鉱床です。
Novosibirsk
ノボシビルスクは、モスクワサンクトペテルブルグに続いてロシアで3番めに人口が多く、アジアンロシアでは最大の都市です。
Osaka
大阪では、大阪湾湾岸にある人工島につくられた関西国際空港が営業しています。
Padang
(Wiki 記載の英文が他の街のものになっているような…。)パダンは、平均年間降水量が4,300ミリで、インドネシアでもっとも湿度の高い都市の一つです。
Palu
パルの主婦業は、木材彫刻、木材加工、編み物、さらにカゴづくりや敷物づくりを含みます。
Pevek
20世紀を通してソ連に錫、ウラニウムを供給したペヴェクの労働者は、強制労働制度による囚人たちでした。
Port Moresby
1975年9月、パプワニューギニアはポート・モレスビーを首都として独立しました。
Rangoon
ラングーンの下町は、緑に包まれた通りと、デカダン調の建築物で知られています。
Riyadh
サウジアラビアの首都として、リヤド南アジアイエメンスーダンなどの出身の住民も住む多様性のある都市です。
Sapporo
札幌は、サッポロビールと、有名なホワイトチョコビスケット、白い恋人の地元です。
Sendai
2011年3月、マグニチュード9.0の地震とそれに続く大規模な津波が仙台を襲い、深刻な災害を引き起こしました。
Seoul
ソウルは、世界でもっともインターネット接続率が高い都市です。全人口の半分以上がブロードバンド接続を活用しています。
Shanghai
上海は、人口において中国、世界でもっとも大きな都市です。
Shenyang
瀋陽は、中国東北地方における主に日本、ロシア、朝鮮との交通、商業の中心地です。
Singapore
シンガポールは、シンガポール島、またの名をプラウ・ウジョン島として有名な本島を含む63の島々で構成されています。
Taipei
台北101は、101階建ての超高層ビルで、完成時には世界で一番高い建物でした。今は2番めです。
Tehran
イランはその歴史上、何度も遷都をおこなってきました。テヘランイラン国家の首都として32番めになります。
Tiksi
ティクシの冬はとても寒く、11月から2月まで、気温はずっと氷点下です。
Tokyo
東京は日本の首都で、世界最大の都市です。ゴジラなどの巨大怪獣に定期的に破壊されます。
Ulan Bator
ウランバートルは、1639年に遊牧民仏教修行の中心地として建設されました。1778年に、現在の位置に恒久的に落ち着きました。
Urumqi
中国西域最大の都市ウルムチは、世界一海から遠い都市の記録を保持しています。
Vladivostok
ウラジオストクロシア太平洋艦隊の母港であり、太平洋におけるロシア最大の港です。
Xi'an
秦始皇帝陵と兵馬俑は、西安郊外にあります。
Xining
西寧は、夏の涼しさから中国避暑地の首都とも呼ばれてきました。
Yakutsk
ヤクーツクは、1880年から1890年代に金やそのほかの鉱物の大規模な埋蔵が発見されて以降、都市として発展しました。
Yinchuan
銀川は、周辺草原地帯の遊牧民が飼う家畜の群れから生産される動物製品を取り扱っています。

2009-09-09

オバマアフガン戦争の指揮を執り始めてから志気は顕著に低下

タリバンはもはや『米海兵隊』並みの強さ、英米の見通しは真っ暗

****************************************

アフガン戦争絶望の暗い淵にたった。

カブールの北方は、ウズベク、タジク人も多い地域で、従来はタリバンが追い出された筈だった。

クンドスから南へ数十キロ国道で、タンクローリーが二台乗っ取られ、NATO空軍を出動させて空から攻撃、最初の発表では「91人のタリバンを殺害」だった。

詳細調査チームが現場派遣され、驚くなかれ、というより想像した通り、犠牲者の多くが民間人だった。

こういうことである。

タリバンは囮のようにタンクローリーを襲って、英米軍の注目を誘いこみ、ついで付近の住民を銃で脅し、武器らしきものを持たせて現場付近に立たせた。

NATO空軍機は上空から現場を見れば、武器を携行した兵士が密集しているかに錯覚し、爆弾を投下。実際には百名以上が死んだ。

NATO機はドイツ空軍だった。ドイツでは責任を追及する声があがる。交戦規定では民間人の混ざる場所を攻撃してはいけない、とある。

タリバンはベトコン戦術を学んだ。

多くの民間人意図的に戦闘に巻き込み、夜間は人混みを移動し、人口密集地帯で作戦をとる。

米軍ならびにNATO軍兵士は作戦上、手枷足枷をはめられたも同然の作戦上の劣化した環境にあり、恐怖の闇との勝負となり、英米軍犠牲は再び鰻登りとなる。

ところがイラク撤退を表明し、アフガン増派を決めたオバマ大統領素人であるにもかかわらず、軍事作戦にまで容喙するため、ますます収拾がつかないのである。

イラクは前任者の戦争、だからわたしはアフガンにこだわり、はやく終わらせる」という自負がオバマ脳幹のなかで逆噴射してしまったようである。

▲英米のアフガニスタン戦争の敗北が見えてきた

1980年、カーター大統領は武装ヘリにより、イラン急襲部隊を砂漠に飛ばしてテヘランへ潜入させ、人質奪還を図ろうとしたが、自ら作戦まで指揮したので無様な失敗を演じた。

やがてカーターレーガンに惨敗する。

オバマポピュリズムだけの政治家ゆえにカーターの二の舞を演じるだろう。

現場を知らない戦場指揮官というのは想像を絶する悲劇を産む。

ベトナム戦争を指導したのは当時米国最高の知性を謳われた人々だった(ベストブライテスト)。ゆえに戦争は失敗し、当時国防長官という任務に当たったマクナマラは、後日「あの戦争は間違いだった」と猛省するが、遅いって。

ベトナム戦争、もうひとつの敗因はマスコミである。

自ら国益のためと信じて戦線に赴き、その兵隊たちが必死の戦争をしている背後から、「この戦争は汚い」と猛烈な批判を展開し「手も足も出すな」と引っ張るのだ。

当時、そうした米マスコミ工作を行ったのはKGBスパイや、影響力のある代理人だった。ソ連の高度な情報作戦だった。 

米国は謀略に負けた一面がある。

タリバンの当面の戦術は持久戦である。

米軍の兵器や電子通信による高度の軍事力に正面から闘いを挑んで勝とうという考えは最初から存在しない。

西側が援助した道路学校、公共の建物を攻撃目標として、多くの民間人を巻き込み、犠牲を懼れず、心理的にNATO米軍を追い込み、持久性を発揮して勝利するのだ。

彼らは最近迫撃砲を入手した。

夜間の襲撃は頻繁になった。アフガン人主体の治安部隊は訓練が不十分な上、タリバンスパイが混入しているので、作戦時間が展開兵力の情報が筒抜けになっている。

タリバンを背後で操り、軍事訓練をしているのはいったい誰だろう?

アフガニスタンは「タリバニスタン」に!

一方、米軍はと言えば兵力不足を補うために民間警備会社(「ブラックウォータ」ーが最大手)と契約し、『戦争プロ』や退役軍人イラクからアフガニスタンへ移動した。

かれらも武装している。たとえばカブール米国大使館の警備も、これら民間警備会社が請け負い、かれらは外国人を、ちょっと訓練を施すだけでインスタントの警備につかせる。

志気は低く、備品から武器を盗み出し、警備はおろそかになる。

NGO政府監視計画」の調査ではカブール米国大使館警備は450名、このうちの300名がグルカ兵の末裔と見られるネパール人、仕事中に遊んでいるという。

次のシナリオがみえてきた。アフガニスタンは「タリバニスタン」になる?

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

    平成21年(2009年)9月8日(火曜日

       通巻第2700号  (増刊号)

2009-06-17

荒訳:サルでも分かる#iranelectionサイバー戦争ガイド

サルでも分かる#iranelectionサイバー戦争ガイド

追記

政府が云々かんぬん」つってる方がいますが、Twitterの#iranelection見てると政府の工作(笑)でこんなんなるかいな、と訳者は思います。

原文:http://reinikainen.co.uk/2009/06/iranelection-cyberwar-guide-for-beginners/

訳し終わったらページがAccount Suspendedになってた。これはひどい

二次原文: Cyberwar guide for Iran elections - Boing Boing

  1. TwitterプロキシIPを公開しない。#iranelectionハッシュタグを使う時は特に注意せよ。Security forces(憲兵?)はこのタグを監視しており、発見されればそのプロキシIPイラン国内からブロックされてしまう。イランブロガーのために新しいプロキシを作成した場合、@stopAhmadiか@iran09へDMで通知せよ。弾圧されているイランブロガーへ直接情報を届けられる。
  2. ハッシュタグイランブロガーに使われている正式なタグは、#iranelectionと#gr88の2つである。他のタグ使用情報を錯綜させる可能性がある。
  3. Keep you bull$hit filter up!(く*ったれを排除しろ! ?) 憲兵イランの抵抗者たちに扮してTwitterで偽の情報を流している。慌ててRTしてはならない。信頼できる情報源からの正しい情報をRTせよ。信頼できる情報源を見つけ、フォローするのは難しくない。
  4. ブロガーたちを匿え:Twitterの設定で住所を「テヘラン」、タイムゾーンGMT +3.30に変更せよ。憲兵たちは住所とタイムゾーン検索ブロガーたちを捕らえている。我々が全員「イラン人」になってしまえば彼らを見つける事は難しくなる。
  5. 彼らの隠れ蓑を剥ぎ取るな! あなたが(現地からの)本物の情報を見つけても、彼らの名前、住所、ウェブサイトを公開するな。彼らは現実の危機の中にいる。それらの文章を直接あなたのネットワークに広めろ。しかし、憲兵にそれを教えてはならない。人々は現実にそこで殺されている。それを忘れるな。
  6. サービス妨害攻撃。もしあなたが自分が何をしているか分からないなら、このゲームから抜けろ。狙いは良心的なイランブロガーを(当局に)特定させないことだ。(後段良く分からんので誰か頼んだ。他の似たようなガイドラインでは「イラン政府機関等へのF5攻撃イラン国内全体の通信速度を悪化させてブロガーたちにも悪影響を与えるからやめろ!」って書いてた。)
  7. (正式な)言葉タグ?)を広めろ。それが役に立つ! ブロガーたちはTwitterメンテナンス延期を求めて#nomeintenanceタグを使い、それは望みどおりの効果を挙げた。正しい情報を広める事はブロガーたちの心に支えになり、効果的な貢献になる。

イランの人々の未来について考えて欲しい。(気力が以下略

二次原文の方で抜けてる部分のコピーがあったので以下に掲載

6. Denial of Service attacks. If you don’t know what you are doing, stay out of this game. Only target those sites the legitimate Iranian bloggers are designating. Be aware that these attacks can have detrimental effects to the network the protesters are relying on. Keep monitoring their traffic to note when you should turn the taps on or off.

7. Do spread the (legitimate) word, it works! When the bloggers asked for twitter maintenance to be postponed using the #nomaintenance tag, it had the desired effect. As long as we spread good information, provide moral support to the protesters, and take our lead from the legitimate bloggers, we can make a constructive contribution.

Please remember that this is about the future of the Iranian people, while it might be exciting to get caught up in the flow of participating in a new meme, do not lose sight of what this is really about.

hoge

増田にゃんねるβ」(http://masuda.livedoor.biz/archives/51269766.html)さんに載りました。

2009-06-04

グレートゲームの大激変、米国オバマ政権、闘う前に敗れたり。

イランのガスはパキスタンから中国ルートが確定、米国勢は敗退

▲第一幕 イラン悪魔、でもタリバン交渉相手だった

 

そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。

中東から南アジアにかけての資源争奪戦争冷戦後新しい局面を迎えていた。

ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治コネクションが薄く、主流のメジャー共和党系が多いため、ユノカル民主党を頼った。

出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。

クリントン大統領ホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。

後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁クリントンは危機を切り抜けた。

そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。

要件はなにか。

トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。

米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。

第二にロシアを通過しないこと。クリントンは乗った。

ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。

クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアメジャーユノカル」はトルクメニスタンアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。

インド工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。

これをトルクメニスタンアフガニスタンパキスタンインドの頭文字をとって「TAPI」という。

直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。

クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホークミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。

当時、カブールタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国企業だった。不発弾トマホーク中国タリバン政府から買った。

もちろん1560キロのパイプラインプロジェクト[TAPI]はご破算になった。

▲第二幕 NATOの勝利が上海シックスを刺激した

01年9月11日、NY貿易センタービルワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。

旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。

米本土からは長距離爆撃機ウクライナ上空をかすめ、NATOトルコ基地から旧ソ連イスラム国家の上空を飛んだ。

そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンキルギスンは空軍基地米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地パキスタンも四つの空軍基地を貸した。

この時点での図式は米軍NATOの大勝利だった。

グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦ゲリラ戦抵抗をかるく想定してしまった。

仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的米軍NATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。

そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタン誕生した。

一応は合法政権ゆえに外交権をもつ。

ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンアフガニスタンパキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。

これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。

密かな反撃が準備された。

イラン中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イラン中国からえるものは武器と核技術である。

中国上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イランインドパキスタンモンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。

解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国グルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。

プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国ウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。

同時に欧州ロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルート建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。

とくにオーストラリアブルガリアドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。

 

▲第三幕 「中東金正日」=ニヤゾフ大統領の怪死

トルクメニスタン独裁者が「突如」死んだ。

トルクメニスタン砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシア流通依存せざるを得ない。

だからこそニヤゾフ大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワ不愉快である。

 

ニヤゾフが突如急逝、主治医ドイツ人は前日に逃亡していた。

直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。

そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。

いや、というよりも投げやりになった。

(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。

つまり米国事実上の敗北が見えた。

トルクメニスタンは変心した。

イランはこの機会を待ち望んでいた。

もともと内陸部のトルクメニスタンアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。

米国イラン悪魔と呼びつつけた。

だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。

地図凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。

中国は古くから、この地政学的利点に目をつけた。

すでにパキスタンムシャラフ政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。

つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインパキスタン西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン中国パキスタンの利害は完全に一致した。

これが「IPCルートと呼ばれる。

▲第四幕 パキスタンイラン反米

パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。

五月下旬にパキスタンイラン契約したのだ。

中国が最終ユーザーとなり、中国パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。

パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国資本技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。

げんに中国の六隻の軍艦アラビア海ソマリア沖の海賊退治に参加している。

パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。

中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプライン建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。

中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。

パキスタンはこのパイプライン通貨収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。

イランパキスタンとの正式調印はイラン大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)

敗者はインドアフガニスタン米国、勝者はイランパキスタン中国

くそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。

2009-04-06

テロの温床=スーダンにある「もうひとつの闇」

中国武器のほかにイランが提供したロケット砲の工場が稼働

アフガニスタン軍事基地や施設が米軍によって空爆され、タリバン政権が崩壊、アルカィーダはイェーメンからスーダンへ逃げた。2001年暮れのことである。

どうやらテロリストらは陸路、イランへ潜入し、イランイスラムコネクションを経由して次の拠点に向かったらしい。

それはスーダンだった。

昨年来、イスラエルガザから打ち込まれるロケットの襲撃に悩まされた。

4月5日、北朝鮮が発射したミサイル日本の上空を通過した。あれが日本ばんばん打ち込まれたらどうするか。実際にイスラエルは、毎日のようにガザからミサイルを撃ち込まれた。

報復にでたイスラエル戦車を投入したのも主権行為として当然だろう。

ハマスが撃ち込んだミサイルは、エジプトから秘密トンネルを通じて大量の武器ガザに持ちこまれていたものである。

イランからイェーメンを経由してスーダンの沿岸部ポート・オブ・スーダンに集荷され、そこからエジプト密輸されていた事実イスラエル情報機関「モサッド」が把握した(英誌『エコノミスト』、09年4月4日号)。

一月下旬、ポート・オブ・スーダンを出航した23隻の小型船が、おそらくイスラエル空軍機によって爆撃され、沈没した。

これらの船舶にはイラン武器が大量に積まれていた。

イスラエル空軍機の練度の良さは世界がしっているように、81年にはイラクオシラ原子炉を襲い破壊した。2007年にはシリア建設途中だった原子炉北朝鮮技術)を破壊した。

この武器密輸船舶の沈没事件以後、ハマスロケット砲攻撃は数週間、なりを潜めた。

イラン製ラジャ・ロケットは射程距離40キロ。

スーダンイスラム革命政権の後ろ盾はテヘランだった

ここで歴史を振り返る。

スーダンのバシル独裁政権は、背後にイランの策動があった。1989年、スーダンは、イラン革命防衛隊にクーデタの方法を学んだハッサン・アル・ツラビ師によって策定され、バシルは軍事権力を、ツラビ師はアヤトラ・ホメイニ師スーダン版になる予定だった。

スーダン革命成功後、当時のラフサンジャニ(イラン大統領は157名の大型使節団を率いてハルツームを訪問した。1991年だった。

「テヘラン―ハルツーム枢軸」が形成された。

レバノンヒズボラに軍事訓練を施してきたハッサン・アズダが、以後、ハルツームに送り込まれた。ハルツームの北側にはイランの肝いりで武器工場がつくられ、いまやスーダンアフリカ第三位の武器大国ともなっている。

08年にはイラン国防相がハルツームを四日間にわたって訪問し軍事技術協力、軍事訓練などの協定に署名した。国連イラン制裁に断固反対する側にスーダンがおり、スーダンのバシル大統領国際法廷喚問にはイランが断固、反対票を投じるという両国の蜜月関係は密接に続いている。

ダルフールの虐殺に武器供与して間接的に手を貸したのは北京だけではなかった。

中国イラン存在は、スーダン独裁政権の背後に拡がる闇に透けて見える。

 
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