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2018-03-18

anond:20180318163044

移動時間もかかるので、全部は難しいです。

移動は車で、駅からレンタカー借りて乗り捨て、もしくは、自家用車おすすめします。

海沿いなら、白浜串本勝浦で、山なら、川湯温泉、わたらせ温泉龍神温泉で宿を取るのがいいと思います

2014-08-02

また馬鹿なお人好しの日本人がチョンに技術を渡した


マグロ http://2chcopipe.com/archives/51948757.html

近大勉強してた韓国人学生養殖技術の資料を丸ごと持って韓国帰国。でその韓国人がその養殖技術特許申請してるらしい。ご丁寧にも昨年末韓国船が串本近大マグロ養殖場傍に突っ込んで座礁…近大養殖場の壊滅まで画策?


いちご http://blog.livedoor.jp/nico3q3q/archives/68082188.html

苗を利用しないって嘘ついて、日本農家からもらって、その後、韓国勝手栽培→販売、支払いは当然拒否


ジジイ10年かけて、すごい美味いイチゴの新品種を作り出す。

韓国人が、絶対他人に譲らないからウリにも作らせてと懇願

ジジイ、熱意に負けてその韓国人だけは生産することを許す。

韓国の4割を占めるほどの人気品種に。

ちょ、おま、なんで流行ってんの、分けるなって言ってんやろがー!

ウリは分けてないニダ。親戚が勝手に配ったニダよ。

ウリはルール守ってるニダよ、ウリはね。

ジジイイチゴと別の品種を掛け合わせたイチゴ

韓国イチゴとして正式に登録される。

これでもうジジイには1円も払う必要すら無くなったニダw



他にも馬鹿企業がたくさんたくさんある。

車>三菱現代

造船>川崎現代

新幹線川崎中国

原発東芝韓国

鉄鋼>新日鉄韓国

液晶シャープサムスン

バイクスズキ韓国



すごいね!!これからもどんどん韓国中国技術お金を渡していこうね!

日本人貧乏人が損しても、韓国人中国人貧乏になるのは放っとけないからね!!

2013-09-09

トルコほっこりするなら

せめてエルトゥールル号の件と100年後の恩返しの件を日本人もっと知ろうぜ

俺も知らんかったから偉そうなことは言えん。

トルコ旅行した時ガイドさんに教えてもらった。

http://shuchi.php.co.jp/article/1325

そして両国の友情を考える際、日本人が決して忘れてはならない事件が、昭和60年
(1985)に起きていますイランイラク戦争下のテヘランから日本人救出です。

 イランイラク戦争昭和55年(1980)に始まりましたが、昭和60年3月、イラクによる
イラン都市空爆を契機に両国都市攻撃が激化。イラン首都テヘランにもイラク空軍機が
襲来するなど、情勢は一気に緊迫化します。さらイラクフセイン大統領は、3月17日に
「48時間以降、イラン上空の航空機を、民間機であろうと無差別攻撃する」と宣言しました。

 各国は大慌てで、自国民救出のための救援機を送りますしか日本の救援機は来ません。
自衛隊海外派遣不可の原則のために自衛隊機を送ることができず、日本航空労組の反対も
あって「航行安全保証がない限り臨時便は出せない」という方針を打ち出したのです。現地
の日本人は八方手を尽くしますが、他国の航空会社はどこも自国民優先で、乗れる飛行機はほ
とんどありません。

 いよいよ刻限が迫り、現地邦人の誰もが絶望の淵に沈んだ時、手を差し伸べてくれたのがト
ルコでした。トルコ航空機が危険をおして215名の日本人を救出してくれたのです。しかも、
当時、テヘランには600名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人を優先して助けて
くれました。

 「なぜ、トルコが?」。日本人は皆、不思議に思いました。直接のきっかけは、1つは駐イ
ラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏が、駐イラン日本大使の野村豊氏の懇願を受け、
本国に救援機派遣要請してくれたこと。もう1つは当時、イスタンブール駐在していた伊
藤忠商事森永堯氏が、知己であったトルコのオザル首相に直接、救援を依頼したことでした。

 しかし、それらがあったとはいえ、自国民より日本人を優先して救出するほどの決断を、な
ぜトルコは下してくれたのでしょうか。その背景には、この救出劇から95年も前に起きた、あ
る事件で結ばれた強い絆がありました。トルコの人々は、それを忘れずに日本人を助けに来て
くれたのです。その事件こそ、エルトゥールル号遭難事件です。

 明治23年(1890)9月16日夜半、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オス
マン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号遭難。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・
パシャはじめ500名以上が死亡または行方不明という大惨事になります。

 彼らは、明治20年(1886)に日本小松宮彰仁親王トルコイスタンブール訪問した
ことへの答礼使節でした。東京明治天皇に拝謁し、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路
に悲劇に見舞われたのです。

 これに対し、事故現場串本紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒
しながら69名を救出しました。当初トルコ人を収容した樫野地区は60戸はどの小さな集落で、
しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではあり
ませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月しか食べ
ない白米を炊き出して食べさせ、さらに時を知らせる鶏もつぶして振る舞ったのです。

 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い
看護を受けた後、日本海軍軍艦で翌年1月2日にイスタンブールに帰還しました。また、こ
の事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きが澎湃として沸き起こり、現
在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのです。

 この日本人の真撃な気持ちはトルコに伝わり、トルコ親日感情が大きく高まりました。こ
れが後の、イランイラク戦争への対応などの一連の動きにつながっていくことになったので
す。
 
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