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はてなキーワード: 人権宣言とは

2024-04-21

anond:20240421221428

その1860-1900年代ってのは「(当時の)西欧で受け入れ可能か」って実験が終わっただけやし

地域ごとに受け入れるかどうかはまだ証明されてないってのが事実やろ

言われてるSDGs人権宣言基本的には西欧中心的な組織によって形成されてるわけでインドムスリムの上位知識人は中心的な役割果たしてない

それ考えたらまあフェミニズム自体は残っても今の「西欧的なフェミニズム」が残るとは限らんやろ

anond:20240421220159

SDGs条約人権宣言法学政治学一般的じゃないとか1宗教教義と同等なんて初めて聞いたし意味不明なんだけど

喧嘩売りたいわけじゃなくて、イスラムの一派とかキリスト教一派がとかいうなら、洋服とか禁豚肉食とかアッラー以外の神の禁止かのことも、「ある種の信仰上の一教義」ではなくて「世界一般常識」と思ってんのかな?

2024-04-09

anond:20240409191449

Twitterで「ポリコレが」「ポリコレのせいで」的な冷笑系アカウントたくさん見たけど

アンチポリコレする割にはどいつもブラック企業には批判的だったり、「移民LGBT権利侵害します!」みたいな全く信じてないはずの人権概念引用するしで

お前らみんなフランス革命人権宣言の「奴隷」になってることだけは認めた方がええでと思ったね。

まあ戦前人間に比べれば今の極右ですらリベラルだっていう誰かの指摘は当たってるわ。

2024-01-08

anond:20240108020434

いい加減妄想で喋るのやめて海上保安庁の人事に聞いたらどうですかね

憲法人権宣言も読めない差別を学んですらいないバカがこの災害時にデタラメ騒ぐの社会にとって有害なんで黙ってもらっていいですかね

勉強したこともない素人意見なんか百害しかないんで

2024-01-07

anond:20240107093612

女性の権利なんて憲法国連人権宣言に載ってるし大学で取り扱う学問だし正当でアカデミックな内容だよね

お前がアンフェミ拗らせた情弱科学ヤバイキチガイなだけよな、学んだことも無いのに素人知識でめちゃくちゃ言ってるという

臭いから帰ってくれ

2023-08-26

[] そのななひゃくろくじゅうろく

マサヤーッス

 

本日ナミビアの日、人権宣言記念日、シルマンデー、ユースホステルの日、日本においてはパワプロの日となっております

出先での急な予定の変更で宿泊場所を探さなきゃいけない時って時々ありますよね。

私は基本的ネカフェとかを使っておりますが、まぁ自分けが泊まる分にはそんな感じでいいですよね。

ユースホステルかいうのも教育している児童を連れて旅行している時に大雨に降られて小学校に泊まらざるを得なくなった時に思いついたそうです。

私はそういうのを利用した記憶は薄いのですが、もしかしたら修学旅行とかの時に使ってたのかも知れませんね。

なんにせよ、もしもの時のプランを考えておくのは大事です。

気を付けていきましょう。

 

ということで本日は【十分な計画いか】でいきたいと思います

十分な計画いか!十分な計画ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2023-08-22

anond:20230821184627

フランス革命期の力関係短期間で人間が目まぐるしく入れ替わってたし(というかジャコバン独裁の期間自体が短い)、制度的な責任者を問うのが難しいのはわかるのよ

一方で、なんだかんだ10年やってたナチスだと独裁政治体制制度的に整えたのは確かだし、実際の意思決定の関与具合でいって軍幹部ワイマール貴族資本層もそれなりに意図して政権に関わった共犯であったとして、まあヒトラーの、あの特徴的な顔に集約させちゃうよな、というのは、理屈ではね、まあね、そうね、ってとこではあるのだが

けど、やっぱり顔の良し悪しで歴史的文脈でも印象の良い悪いが決まるのかー、と思えてしまうのよね

 

でもまあ、ナチスはお悩みの少ないバカ集団だし、真面目に語るほどナチスのが救われないのか

頭いい連中がどんどん煮詰まっていって見境なく殺しまくるほうが怖い気もするんだけどね

バカトップに立ってデタラメやる実例トランプやイーロンでまじかに見てしみじみ怖いし、どっちも難しいな

頭いいけど煮詰った官僚現場運営能力センス皆無なバカ政治家が寄り集まってる日本怖いなー

 

フランス革命人権宣言含む意思決定、向かう方向がホントに良かったのかってのも、人権宣言以後に生きる我々の根幹であるがゆえに、判断難しいじゃないですか

いま現在、まさに「基本的人権の敵だ、吊るせ!」ていうフランス革命のやり残した問題大炎上中だし

2023-06-12

anond:20230611014035

左翼も昔は女性人権への理解が低かったがアップデートされたというだけだと思う

このあたりの言説って、たまに出るけどさ

真面目な左派にすげぇ失礼だよな

昔は、女性もっと奔放に生きたかったわけだよ

抑圧が酷くて貞淑であれと言われた

男性社会保守的

からこそ、性の開放は分かりやすい「女性人権宣言」だった

人権への理解が低いとか、何目線だよ

いや本当に心からマジで思うんだよね

当時の女性に関して、今のラディフェミが言ってるような事を押し付けたら、それこそ「名誉男性」側だろ

ある程度の性の開放を経て

女性の性欲が社会的にきちんと商売として成り立つ時代になった

昔では考えられないことだ



不謹慎万歳女性を道具として使おうなんてな運動じゃなかったろ

猥褻けしからんという保守的思想への反発であったはずだ

それを弾圧規制しようとする権力への反逆であったはずだ

そういうことの系譜が、性器の3Dデータ販売だったり、靖国ヌードという活動なわけで

こういうことに唾吐きかけて「人権への理解が低かった」とか言うわけ?

酷い後弾だ…

2023-03-06

ベトナム独立宣言

全国の同胞たちよ、

全ての人はみな、平等権利を持って生まれています創造主は誰も侵すことのできない権利を与えました。その権利には、生存権自由権幸福追求権があります

 

この不滅の文言は、アメリカの1776年独立宣言の中にあるものです。より広く言えば、この文言は、世界の全ての民族がみな平等に生まれ、どの民族生存権幸福権、自由権を持つということを意味しています

 

1791年フランス革命における人間と市民の権利の宣言(※人権宣言)も、「人は生まれながら自由であり、平等権利を有し、常に自由であり、権利について平等でなければならない」と言っています。これは、誰も否定することはできません。

 

それにもかかわらず、この80年間、フランス帝国主義者たちは、自由平等博愛の旗を悪用し、私たちの国を強奪し、私たち同胞を抑圧してきました。彼らの行動は、人道と正義に反するものです。

統治において彼らは、私たち人民自由民主を僅かでも与えることはありませでした。

 

彼らは野蛮な法律施行しました。彼らは中部南部北部でそれぞれ異なる制度を作り、私たち国家統一妨害し、私たち民族団結を妨げました。

彼らは学校よりも数多く監獄を建てました。彼らは、私たちの国を愛し民族愛する人々を斬り殺しました。彼らは、血の海に私たちの蜂起を沈めたのです。

彼らは言論を統制し、愚民政策実施しました。

彼らは、アヘンアルコールを使って、私たち民族を衰弱させました。

経済において、彼らは私たち民族を骨の髄まで搾取し、私たち民族を困窮、欠乏させ、私たちの国をずたずたにし不況に導きました。

彼らは田畑を、坑道を、資源を奪いました。

彼らは紙幣印刷や、輸出入権利を独占しました。

彼らは数百の理不尽徴税を行い、私たち民族特に農民商人貧困に陥れました。

彼らは私たちブルジョワ台頭を許しませんでした。彼らは私たち労働者を情け容赦なく搾取しました。

 

1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本ファシストインドシナ侵略し、フランス帝国主義者らは跪いて日本私たちの国を明け渡しました。そのときから私たち民族フランス日本という二重の枷をかけられたのです。そのときから私たち民族は、日増しに困窮し、貧困にあえぎました。その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞餓死しました。

 

今年の3月9日日本フランス軍を武装解除しました(※仏印処理)。フランス帝国主義者は逃げる者もいれば、降伏する者もいました。

まり、彼らは私たち保護するどころか、5年の間に2回も私たちの国を日本に売ったのです。

3月9日以前に、ベトミン(※ベトナム独立同盟会)は何度もフランス人に対して、日本に対抗すべく同盟しようと呼びかけました。フランス帝国主義者はこれに応じず、より一層ベトミン迫害しました。更には、敗走の際、彼らはイエンバイとカオバン政治犯を多数虐殺しました。

 

しかし、フランス人に対して私たち同胞は依然として寛大で人道的な態度を保ちました。3月9日の変動後、ベトミン辺境へ逃れた数多くのフランス人を助け、日本収容所から多数のフランス人を救出し、彼らの生命資産保護しました。

 

実際、1940年の秋から私たちの国は日本領土となり、もはやフランス領土ではありませんでした。

日本連合国降伏したとき、全国の私たち民族は立ち上がり政権を奪取して、ベトナム民主共和国を築いたのです。

実際には、私たち民族は、フランスの手からではなく日本の手からベトナム国を取り戻したのです。

 

フランスは逃げ、日本降伏し、バオダイ帝は退位しました。私たち民族独立したベトナム国建設するために、100年近く帝国主義者たちと戦いました。私たち民族は、何十世紀も君主制と戦い、民主共和制を築いたのです。

 

ですから私たちベトナム国臨時政府は、ベトナム国民代表して、フランスとの関係離脱し、フランス署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています

 

私たちは、テヘラン及びサンフランシスコ会議民族平等原則を認めた連合国が、ベトナム民族独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています

ある民族がこの80年以上にわたりフランス奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族自由を得なければなりません! その民族独立を得なければなりません!

 

これらの理由から私たちベトナム民主共和国臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。

ベトナム国自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由独立した国となりました。ベトナム国民は、この自由独立を維持するために、精神軍隊生命、そして財産のすべてを持つ権利があります

 

これを以て「ベトナム日本ファシストから独立した」って喧伝してる人がいるけど、

 

ですから私たちベトナム国臨時政府は、ベトナム国民代表して、フランスとの関係離脱し、フランス署名したベトナムに関する全ての協定を破棄し、ベトナム国におけるフランスの全ての権限を破棄することを宣言します。ベトナム国民は、フランス植民地主義者の陰謀に対抗する覚悟を固めています

 

私たちは、テヘラン及びサンフランシスコ会議民族平等原則を認めた連合国が、ベトナム民族独立する権利を認めないということはあり得ないと信じています

ある民族がこの80年以上にわたりフランス奴隷であることに勇敢に対抗しました。ある民族が数年にわたり連合国と共にファシストに対抗しました。その民族自由を得なければなりません! その民族独立を得なければなりません!

 

これらの理由から私たちベトナム民主共和国臨時政府は、世界に向けて改めて宣言します。

ベトナム国自由及び独立する権利を持ち、実際に、自由独立した国となりました。ベトナム国民は、この自由独立を維持するために、精神軍隊生命、そして財産のすべてを持つ権利があります

 

普通にフランス支配から卒業しか言ってないんだよなぁ。

第二次世界大戦中の日本天皇制ファシズムに侵されていたという言説は今でも普通にあるわけだし。

2023-03-03

Google Fonts のサンプルテキスト

https://fonts.google.com/noto/specimen/Noto+Sans+JP

いつもは当たり障りのない文例が使われていたんだが、今見ると文例が世界人権宣言序文になっていた。

太字で言われると圧が強い。

人類社会のすべての構成員の固有の尊厳平等で譲ることのできない権利とを承認することは、世界における自由正義及び平和の基礎であるので、 人権無視及び軽侮が、人類良心を踏みにじった野蛮行為をもたらし、言論及び信仰自由が受けられ、恐怖及び欠乏のない世界の到来が、一般の人々の最高の願望として宣言されたので、 人間専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要であるので、 諸国間の友好関係の発展を促進することが肝要であるので、国際連合諸国民は、国連憲章において、基本的人権人間尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由のうちで社会進歩生活水準の向上とを促進することを決意したので、 加盟国は、国際連合と協力して、人権及び基本的自由普遍的尊重及び遵守の促進を達成することを誓約したので、 これらの権利及び自由に対する共通理解は、この誓約を完全にするためにもっとも重要であるので、 よって、ここに、国連総会は、 社会の各個人及び各機関が、この世界人権宣言を常に念頭に置きながら、加盟国自身人民の間にも、また、加盟国管轄下にある地域人民の間にも、これらの権利自由との尊重指導及び教育によって促進すること並びにそれらの普遍的措置によって確保することに努力するように、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通基準として、この人権宣言公布する。

2022-08-26

[] そのよんひゃくいち

タンゴールーッス

 

本日ナミビアの日、パワプロの日、フランス憲法制定国民議会が1789年に人間市民管理宣言を採択したことから人権宣言記念日、と呼ばれてる日でもあります。ちなみに人権デーは世界人権宣言が12月10日。

マグナカルタ承認されたのは1215年の6月15日、日本人基本的人権が設けられたのが1946年から

まぁ、なんというか正確な日付以上に持て余しがちなものを持たされてるなぁという感じですね。

今でもその権利を持ってる自覚とその権利行使しきれているのかって感覚はありますね。

とはいえお互いのラインを見極めながらコミュニケーションを取らないと、よくわからないところで反抗されるのはありがちなところなので

そこら辺は見極めていきましょう。

 

ということで本日は【ラインの見極めよいか】でいきたいと思います

ラインの見極めよいかラインの見極めヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-08-15

共感にあらがえ - 内田樹の研究室を読んで

これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。

ただ、内田が、

感情の器」って、あくまでも個人的身体条件のようなものから

というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。

たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミス道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会規範構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。

そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。

家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。

アレックス・カー20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。

おりしも建設省代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代

アメリカの7倍のコンクリートを使って日本山河コンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。

その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。

「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。


A・カーは、フェアプレイ精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者トップ黒海に豪奢な別荘を保有し、人民実質的農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。

「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司説教ブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖

最近、想起するのはやはり旧統一教会家族価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族崩壊している、といった、「おまゆう問題崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするとき動機付けメカニズムなのだ

内田永井議論テーマひとつである人権平等。あたか普遍的原理についても、

それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。

アメリカ建国者の一人、トーマスジェファーソン人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。

これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。

どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質人民に備わっていると信じて建国者デモクラシー設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権矛盾が、南北戦争北軍正当性を決定的にする。

内田議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要キーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。

自分でうまく整理がつかなかった。内田はいう。

「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。

これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係いかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。

内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。

まず外付けの倫理から。どのように受容されてきたか

舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後憲法のものアメリカ経験に基づいたものだ。

しかし、日本人権教育は、残念なことに、人権普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。

戦後人権を外付け実装してきた日本は、そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。

現在、旧統一教会問題話題の、国家宗教というテーマにしてもそうだ。

政教分離キーワードとなるのは、恐怖から解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西課題だ。宗教いかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴ勝利した古代ローマ

そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要再確認された。それが言論の自由関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場比喩が生まれる背景ともなった。

他方、旧世界フランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会権威苛烈弾圧が恐怖であった。だから公共空間合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランス言論の自由は、その意味カトリック否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したこと歴史的な背景は深い。

このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。

それは、実は国によって微妙コンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的価値なら、なぜ何千年も克服できなかったか意味を問うというか。

しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後日本裁判所も含めて。

でも、それこそが日本人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。


その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。

内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは自分の国や自分家族自分自身の歴史だと俺は思う。

自分自分先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理けが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本アジア欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。

歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。

自分理想とするもの現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。

自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。

ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要キーになるし、国家宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米経験教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決行政戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料支出したこと違憲とした歴史的判決で、戦争経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。

しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通体験共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代

50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。

「あの頃は」という共通過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。

まり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。

それが、失われ、外付けの価値観だけがカラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。

永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代

「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。

と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。

また、日本憲法に組み込まれ歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。

高度成長期に「あの頃」といえば戦争時代だった。

それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、

視聴者からは、おしん私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。

しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ

しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争記憶との関連が薄まった。当然、日本憲法リアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。

しかし、いずれにしても過去記憶憲法規範が直接に結び付かない、その世代経験、そこに、永井紛争国の辺境の地を自分テーマに選んだヒントがあるように思えてならない。

紛争リアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生ときに知った人権、そして憲法価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。

しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。

永井氏が、内田氏との対話のなかで

私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこから自分母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親単身赴任でしたし。

といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。

全然人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。

動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的ロールモデルとは限らないのだ。

この体験辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。


ともあれアレックス・カー面白い

読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。

A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.

Dogs and Demons, 2002, A

2022-08-12

統一教会の「国際会議」で何が行われたか

日本では安倍追悼のプログラムばかり取り上げられたが、もともと毎年のように行われていて、今年は文鮮明死去10周忌で更に盛大に開催されているイベントである事件がなければ安倍も再びビデオメッセージを送り、自民党から安倍に近い議員複数出席していただろう。

追悼やって終わりではなくて「国際会議」がメインイベントである。現地の世界日報レポート記事複数出ている。

今回の会議では特別セッションで「宗教自由」について講演がなされたという。マイク・ペンスに「全ての指導者宗教迫害に遭う全ての人のために正義を実現せよ」と演説させた後で、日本から参加した統一教会幹部が「日本宗教弾圧人権侵害が起きている」と、参加した世界VIPに向けて訴えた。さら統一教会から脱会を求める実の家族らを拉致監禁だと訴えて民事裁判で高額賠償金が認められた後藤徹氏も会場で証言した。そして世界日報統一教会本部トップであるユンヨンホが「日本統一教会信徒への弾圧やめろ」と遺憾の意を表明し、「宗教普遍的人権宣言」が採択されたという。

統一教会日本人に何をやってきたか無視して「我々は被害者だ」と世界の首脳経験者らに必死アピールしている。日本がこれから行わねばならないことは、このような反日政治団体世界政治家が参加することは日本との友好関係で不利になることを伝えて参加させないように促すことであろう。これこそまさに日本政府や本来保守がやらなければならない「歴史戦である

2022-07-22

anond:20220722091302

イデオロギーなんてそんなもんでしょ。実は民主主義だって人権思想だって自然権思想(全ての人は生まれながらにして…奪い去ることの出来ない….)だって、そういう面はあるんよ。人権宣言も国連憲章合衆国憲法日本国憲法もね。

2022-07-17

あの日職場が騒然として誰かが地震速報用に置かれているテレビの電源を入れた直後、俺は確かに生きる力を貰った

「世の中って思ったより面白いし色々ワンチャンあるじゃん……」

顔が思わずニヤつきそうになった。

流石に状況が状況なので表向きは抑えていたが、目だけは煌々爛々とするのを抑えきれなかった気がする。

戦争が始まろうが、流行病が蔓延しようが、結局世界は昨日までと大きく変わらずに動いていく中で、テレビが伝える情報世界の壊れる音を聞かせてくれた。

世界は壊れる。

誰かが壊せる。

俺が壊さなくても誰かが勝手に壊してくれる。

胸のうちから溢れるのは希望が8に恐怖が2。

数年ぶりに心のエネルギーポジティブの側へと傾くのを感じた。

このままもうこの人生終わってもいい頃合いじゃねえかな?

そう思ったのはファウスト最後世界をよりよくせんと誰かが振るうツルハシの音を聞いたと勘違いしながら息を引き取る場面が脳裏をかすめたからだ。

俺にとっては、テレビが空砲と伝えた破裂音、鉄パイプガムテープグルグル巻きにしたガラクタのような何かから火薬が弾けた音が、希望のラッパみたいに聞こえたんだろうな。

地獄ラグナロク)だ。

クソったれのお偉いさんども賢しさ振りかざしのエリートども皆皆逃げ場のねえコロシアイの始まりだ。

沸騰しそうな頭の中でそんなサンダードームみてーな謳い文句必死に考えてる自分がいた。

まれた時から無能貧乏で結局ソレをなにも変えられないまま偏差値50未満のアホの群れとして年収手取り300万の人生がずっと続いていく世界に本当にうんざりしているのが我ながらよくわかった。

ぶっちゃけ万人の闘争は既に始まっていて、だから優秀な人間無能人間貧乏くじを押し付け続けられているわけだが、突然ルールが変われば、その勢いで誰にでもワンチャンが出る。

戦後闇市がまさにそうだったわけだが、俺は大戦争までは望んでない。

ただ今椅子取りゲームの頂点にいる連中が、突然自分がぶっ殺される側になると怯えてくれるだけで満足なのだ

万人が万人にとってのダモクレスの剣となり、誰もが誰もを本気出したら殺せる世界、そんな世界じゃなきゃ人権宣言なんて紙くず扱いだ。

俺はもういい加減強いやつが強いからという理由ハラスメントを繰り返して、それを告発しようとしても報復に怯えて皆で隠し合う社会ウンザリしてんだ。

調子こいたらぶっ殺される。

そのルールを下層だけが強要されて、上の人間が都合よくそレベルを調整して、上を不快にさせたら調子こいてるのでぶっ殺していいって勝手決めちまうような社会がもう懲り懲りなんだ。

誰もが、誰もに対して不快を叫んで良くて、そして不快を叫ばれた奴が怯えるべきは追求ではなく銃弾であるって社会で良いんだ。

全米ライフル協会なんぞはどうせ権力で凝り固まった老害組織から信用してないが、銃によって赤ん坊大人をぶっ殺せるという社会でなければ人間同士の相互監視は実現しないんじゃねえだろうか。

相互監視が実現しなければ、結局人権ってものの在り処さえその場その場の権力者が好きに決める社会なっちまうんじゃねえか。

人が人を自分より下層の雑魚から何やってもいいと思いこむことそのものさえ恐れるような社会誕生鐘の音あの日聞こえた。

まだ、小さい種だが、たしか世界には可能性が産まれた。

成り行きを見守りたいと思ったよ。

自分人生も、好きなゲームの続きもとっくにどうでもよくなっちゃいるが、それでも何かもうちょっと観測できるんじゃねえかと生き長らえてきた。

結果を観測してから死んでおきたいものに一応出会えたわけだよ。

さあ、どうなる?

これでもまだクソッタレカースト制度をダラダラ続ける気か?

ノブリス・オブリージュのないゼニゲバの成金の2世3世が人間人間扱いを放棄することで社会を回そうとし続けるのかい

それともビビって表向きだけでも数だけは多い下層の人間どもに媚でもへつらうかい

見せてくれよ。

俺はそれを見るために生きることにしたんだよ。

2022-06-22

anond:20220621154753

人権宣言ヨーロッパから出されててずっと男尊女卑してる人権意識の弱い日本よりあっちのが進んでるからでしょ

別に欧米だって先進的な思想の国があれば参考にしてるけど

2022-05-18

anond:20220518182004

現代とはだいぶ違うのでは

数百年前に人権宣言なんてない

風邪を引いて悪魔祓いをしてた時代

2021-09-25

anond:20210925101501

紀元前539年にキュロス大王が、バビロンという都市占領した後、誰もが全く予想もしなかったことを行いました。奴隷になっていた人々を全員解放し、故郷に帰したのです。さらにキュロス大王は、人は自分信仰する宗教自分で選んでよいと宣言しました。彼のこの声明が刻まれた、「キュロス大王円筒」という粘土でできた平板は、史上初の人権宣言となりました。

人には権利があるという考え方は急速に広がり、インドギリシャ、やがてローマにまで伝わっていきました

2021-08-03

昭和生まれアラフォー以上)って基本的人権意識がないよね

生存権』とかガチ理解してなさそう。

生存権?お前生きるだけで権利必要なの!奴隷じゃん!生殺与奪権が人に奪われてるじゃん!」

とか平気で言いそうなレベル基本的人権認識がなさそう。

多分だけど、政治家にしたって同じなんだよね。

健康で文化的な最低限度の生活』という言葉は知っているけど、それを目指す気持ちなんて無い。

障害者は野垂死ねばいいし、優秀であっても自分に逆らう人間は鎖に繋がれて死ぬまで拷問でも受けていて欲しいと思ってそうですらである

人権宣言から既に二世紀半弱たってるわけだけど、日本人人権を天賦のものだと理解しだしたのは本当につい最近なんじゃないだろうか。

いや、理解したと言うよりも「理解は出来ないが、そうしないと何故か世界の笑いものになるらしいから、分かっているふりをするようになった」が正しい気もする。

でも形だけでもやるだけで何だかんだ効果があるのか、今の若い子を見てるとなんだかんだで「人間というものは皆基本的人権を持って生まれるらしい」ということが精神の根幹にはうっすらと敷かれているように思える。

虐めや暴力と行った行為を全く行わいわけではないが、それらが「基本的人権侵害している」という意識がどこかにあるようには見える。

これが昭和生まれアラフォーより上になると「そもそも人権なるものは偉い人間弱者にくばるものであるからして、弱者最初から人権を持っているはずなど無い。つまり社会的弱者を痛めつけることは、単に人権最初から与えていないだけであり、与えていない人権侵害されているはずなどないのだ」といった考え方をしている者が未だに多く見える。

なんとも情けないものだ。

日本人権意識は単純計算二世紀遅れているのだ。

いや、日本以外の国であっても、人権というもの理解したのはここ100年ぐらいであって、日本の遅れなどせいぜい半世紀にも満たないのかも知れない。

だが確実に遅れているだろう。

日本人大日本帝国の影をなぞることを正しいと信じてきた時代が長すぎた。

大日本帝国には基本的人権認識がない。

から大日本帝国のやりかたをなぞれば基本的人権理解することなど一生できないのだ。

日本という国の世界的な立場が弱ってきて、内向きな前例踏襲主義が幅を利かせることが出来なくなったことでようやく日本人基本的人権を知るようになったのである

2021-07-27

人権」のバージョンヒストリー

最近、「人権感覚アップデート」とか言われることが多い。しかし、人権思想は短く見積もっても200年~300年以上の歴史があるので、過去アップデートがあったのは間違いない。

そこで、人権バージョンヒストリーを眺めていこう。

人権β~RC

人権思想の走りと言うべきもの。いわゆるマグナ・カルタ権利の章典などで人権思想の基本となる考えが整備されていった。

人権1.0

いわゆる「国家から自由」と平等政府が令状なしに逮捕したり、法律規定裁判なしに刑罰を与えたり、特権階級をもうけたりすることを禁じた。

18世紀末のアメリカ独立フランス革命人権宣言)

人権1.5

いわゆる「国家への自由」。要するに参政権必然的にこれもついてきた。

人権2.0

人権における画期的アップデートである国家による自由」が実装された。19世紀末~20世紀前半に成立し、これにより近代的な人権制度が一応の完成を見たといってよいだろう。

単に自由なだけでは恵まれない人が割を食うばかりになるので、生存権教育を受ける権利などのように最低限保障すべき権利規定し、政府施策により実現することを義務とした。もちろん、これが特権であり平等性に反するという主張もあったが、現実に劣位に置かれている人を、平等な水準にするということで理論的な解決を見た。

人権3.0

今まさに、問題になっているのがこの人権3.0。

「かわいそうな人」の権利を守るために、そうではない人の権利を制約しようと言う思想

アンチファによるヘイトスピーチ規制の主張や、フェミニストによる表現規制の主張、性犯罪に対する要件の緩和や厳罰化などが人権3.0。

しかし、これは当然に、権利の制約になるので、人権1.0と真っ向からぶつかることになる。

もちろん、人権1.0でも、他人人権侵害する行為禁止する(=政府処罰する)ことはできる。殺人を行う自由という人権は認められない。

しかし、これは同時に、他人人権侵害したことが明確に立証できないことは禁止(=処罰)できない、ということと等価である。これを問題視する向きが人権3.0を主張し、人権1.0を攻撃している。

本多議員の離党に寄せて

今日の、立憲民主党本多議員の離党騒動はまさに、この人権1.0vs人権3.0という問題である人権1.0の立場に立てば、明白な権利侵害があることに対して「のみ」規制されるべきと考える。だから、様々な限界事例を例示して、規制問題点を指摘する。対して、人権3.0の立場に立てば、明白な権利侵害があるかどうかはっきりしない事例でも、加害者処罰漏れることが到底許し難い。これに対して人権1.0の立場からは「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜を罰する勿れ」「刑法典はならず者権利章典である」といった原則が掲げられ、被害者やその周辺の感情に寄り添わないことが美徳とされる。

増田は、この人権3.0へのアップデートを、バグが多く、危険ものだと考えている。罪刑法定主義や法の適正手続きといった手法権利の衝突の解決手段としての公共の福祉明白かつ現在の危険、こういったさまざまな近代的な人権法制度に基づく道具立てとコンフリクトをする思想は、最早、人権とは呼べないだろう。単なる魔女狩り裁判正当化し、フォークデビルを火あぶりにする、俗情との結託である。こんなものは、全く「立憲主義」などではない。

2021-02-16

anond:20210216200426

そもそも人権宣言をうのみにしてるのもどうかと思うけどな

まずはそこから考えようや

2020-07-26

anond:20200726144054

人は人であるだけで価値があるって人権宣言しちゃったし

なにが保護されるべき人権なのかは議論余地ある

2019-02-21

anond:20190204012919

味方のいる状況と敵のいる状況

人権宣言シャーデンフロイデ

あるべき社会とはどういったもの

結論として

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