はてなキーワード: 義捐金とは
・都知事選で小池百合子と一騎打ちの票数と予想していたため、しょぼくれる
・暇アノンの宇佐美典也、暇空は最低でも20万票は行くと予測していたので結果にがっかりし「政治的に誰にも相手にされない順位」と発言。暇空がブチギレて総括が行われる。宇佐美に対し「女々しい」連呼
・「カンパ金で高級天ぷら食ってる」と嘘を言われて開示した相手の住所氏名をTwitterで晒して逆に訴えられた裁判の第一回目だが、暇空側が反論書面提出し忘れ9月に延期
・暇アノンの江藤貴紀が仁藤に「ストーカー」と言われたのを訴えた件の裁判。暇空のcolabo追求は江藤が長年やっていたのをパクっており、暇空への言及がかなり多い。3.11が起こった際に仁藤が大福を売って、売上を義捐金にまわしたことを「大福は金玉のこと」などと江藤がセクハラした話も
調べりゃ出てくるだろ
良く分かって無いんだが、義捐金って何に使われるの?
そこに義捐金が足されたら単に使われる税金が減るだけで、税金払ってるのは国民だから
逆に義捐金が集まったから増税しません、ってなったら義捐金払ってない高額所得者は丸儲けだよね
個人の住宅修繕や企業の工場修繕なんかは地震保険と税金ベースの補助金があるはずで
地震保険入ってない人への補償へ義捐金使ったら、地震保険に入ってる人がバカを見るよね
ベーシックインカム的に全員に一律配るとしても、それは補助金なりがやることだからやっぱり税金なのでは?
非常時に人や物資が不足するからボランティアや支援物資は意味があるとよくわかるんだけど
日本人として誇らしい
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者のうち、何人かが暗闇の中を灯台の明かりをたよりに断崖を這い登って灯台にたどりついた[2]。
灯台には逓信省管轄下の雇員2名が灯台守として勤務しており、生存者の介護とともに大島村(現在の串本町)樫野地区の区長に急報した[2]。灯台守は応急手当を行ったが、お互いの言葉が通じないことから国際信号旗を使用し、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦であることを知った[3]。
樫野地区の区長は島の反対側にある大島地区にいた大島村長の沖周()にも使者を送り、翌日午前10時30分頃に伝えられた[2]。沖村長は郡役所と和歌山県庁に使者を派遣し、村に居住する3人の医師とともに午前11時30分頃に現場に到着し、村民を大動員して生存者の探索と負傷者の救済を行った[2]。この時、台風によって出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、米、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果、656名中、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還に成功した。その一方、司令官のオスマン・パシャを含めた587名は死亡または行方不明という大惨事となった。
茶道宗徧流の跡取りである山田寅次郎も、この事件に衝撃を受けた日本人のひとりであった。山田は日本国内で民間から『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年、当時外務大臣だった青木周蔵の提案から、集まった義捐金を携えて一人でオスマン帝国の首都・イスタンブールに渡った。
山田が民間人でありながら義捐金を持って訪れたことが判明するや彼は国民から熱烈な歓迎を受け、数日後には皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。このとき、皇帝の要請でオスマン帝国に留まることを決意した山田はイスタンブールに貿易商店「中村商店」を開き、士官学校にて少壮の士官に日本語や日本の文化を教え、政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した。山田が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には、後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされる。
それともなんだ
311のとき北朝鮮は日本にやさしい言葉をかけたのに日本は恩を仇で返すンだな
北朝鮮:朝鮮赤十字会は14日、日本赤十字社の近衞忠煇社長に「貴国の東北部地方で発生した前例のない地震と津波により、多くの人命被害と物質的損失があったという不幸な便りに接し、朝鮮民主主義人民共和国赤十字会の名であなたと被害者、その家族に深い同情と慰問を伝える」とお見舞いの電文を送った。北朝鮮が東日本大震災について公式にコメント
25日には朝鮮総連の許宗萬責任副議長が日本赤十字社を訪れ、北朝鮮から送られた義援金10万ドルを近衞忠煇社長に手渡した。朝鮮中央通信は、北朝鮮が今回の震災の支援として金正日総書記名義で日本赤十字社に10万ドルを、在日同胞(在日朝鮮人)には50万ドルの義捐金を送ると報じている[54]。また、朝鮮総連は、被災した在日朝鮮人のために「総連中央緊急対策委員会」を設置、安否情報の収集や支援に乗り出している[55]。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180720/k10011541781000.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20180720/k10011541781000.html
yas-mal ↓東日本大震災では、日本赤十字が大韓赤十字から受けとった分だけで32億円の義援金/救援金をもらったらしいのだけど、それで何か恩着せがましいこと言われたっけ?
2018/07/21
この方は純粋にご存じなくて善意で言ってるのだろうけど、残念ながら恩着せがましいことは言いまくっている。
具体的に言えば竹島の件なんだけれども、東日本大震災で韓国からどんな支援があっても日本の立場として竹島は日本の領土であり、震災以降もことごとにその主張はしている。
「猿達は殴りまくってこそ精神がまともになる」
「感謝を知らない猿達」
これは本当だよ。
注意して欲しいのは、これは韓国の先鋭化した一部の人ではないということ。
(ちなみに日本人を「猿」と呼ぶのもネットの狭い界隈の悪習とかではなく韓国人一般に伝わるニュアンスで、
「殴りまくってこそ精神がまともになる」も対象が日本だけとは限らない慣用句的な言い回し。)
何故もらわないほうがいいかと言うと、事実として彼等は滅茶苦茶恩に着せるから。
「仮に恩に着せててもそんな言葉を自分は聞いてないし、言ってても無視すりゃいい」って思った?
そうじゃないんだよなー。
義捐金は韓国の人たちの中でつまり「ますます日本を憎み差別しまくるための大義名分」として作用しちゃうの。
だからもらわないほうがいい。
(とは言ってもお断りも出来ないのが難しいんだけど)
「それを言ったら日本こそ韓国をたくさん支援してきた面もあるじゃないか」って思った?
韓国の人はそれを知らないし、知ってる人も認めない。
たまに韓国人の中でそれを言う人がいたら「植民地史観に毒されている売国奴」って罵られる。
事実かどうかで反論されるんじゃなくて、「モラルがない」っていう責め方をされるから再反論不能。
(そもそもネットならまだしもリアルでそんなこという韓国人はいない。社会で抹殺されるから。)
韓国ではそれはだめなんだよ。
そういう韓国が、大っ嫌いな日本(世論調査でダントツで「嫌いな国1位の日本」)に支援をするのはどういう意味が含まれるかな?
単純な「善意」だと思う人はどうかしてるよ。
というより見たい側面だけ見て現実逃避してるよね。
あと実際
「東日本大震災で支援をしてやったにもかかわらず竹島領有権を取り下げず韓国にひれ伏しもしない日本人」
への反発といっそうのヘイトは韓国のネットでは高まってるのね。
そういう意味で民間義捐金は減ってる。(けどこれは期せずしていいことだと思う。理由は前述のとおり。)
(これですら危ないんだよ。大きな額だとムンジェイン政権が叩かれるからね。)
あと韓国のネットでは日本に地震や災害が起きるたびにお祭り騒ぎで狂喜乱舞してることももっと知ったほうがいいと思う。
いわゆる「ネトウヨ」みたいな一部じゃないからね、何度も言うけど。
あとこれは謎なんだけど、「災害=悪への天の裁き」みたいな感覚が冗談やネタではなく素朴にある。
客先で見積もりや予算の交渉とかをすると、最初に提示した金額で請け負うことはまずない。
見積もり時にこの仕事なら40万円とかかる費用を出して、相手の条件や予算を聞いて、削れるところは削っていくんだけど、費用に応じてやる気も削れていく。
40万円で提示した仕事を受けた時のやる気を100%と仮定して、割引して30万円で受けた場合、その時点でのやる気は75%になるかというと、実際はもっと低い。
感情的なものなのかはわからないが、実際は40%前後くらいな気がする。
会社員なら一日働いて手取りで一万円もらえるってのが根底にあって、一日のやる気が100%だとして、
今日は8,000円しか出せないけど、いつも以上に頑張って仕事に励みましょう!とか社長やリーダーが朝礼なんかで発言しようものなら正気を疑うと思う。
何か災害があって義捐金的なものとか、他の会社が苦しいのを助けるから今回だけとか理由があったりすると金額は下がっても自分ならやる気は出る。
しかし、実際はそうはならないし、そういう予算が出せない仕事ほど、通常費用の時以上の仕事量を求めてくる。
決まった事に対する修正依頼とか、時間がかかると事前に伝えてある仕様の見直しを作業途中にするとか。
しかも、見積もりや交渉の時ならともかく、費用を支払う時点になって値切って来る客はフェアではないなと感じる。
たまにこちらが提示する費用をすんなりOK出してくれたり、成功報酬的に上乗せを提案してくれる客もいるが、器がでかいというか、人の動かし方とかコントロールをよくわかっていると思う。
おかげで、こちらが専門家や他の人に仕事を依頼する際は適正な費用で仕事をしてくれると判断したら即決したり、多く予算を提示したり、成功報酬で上乗せをするようになった。
その効果か、フォローがちゃんとしていたり、期待に見合った仕事をしてくれることに当たることが凄く多くなった。
やる気=お金
せめてエルトゥールル号の件と100年後の恩返しの件を日本人ももっと知ろうぜ
俺も知らんかったから偉そうなことは言えん。
http://shuchi.php.co.jp/article/1325
そして両国の友情を考える際、日本人が決して忘れてはならない事件が、昭和60年 (1985)に起きています。イラン・イラク戦争下のテヘランからの日本人救出です。 イラン・イラク戦争は昭和55年(1980)に始まりましたが、昭和60年3月、イラクによる イランの都市空爆を契機に両国の都市攻撃が激化。イランの首都テヘランにもイラク空軍機が 襲来するなど、情勢は一気に緊迫化します。さらにイラクのフセイン大統領は、3月17日に 「48時間以降、イラン上空の航空機を、民間機であろうと無差別攻撃する」と宣言しました。 各国は大慌てで、自国民救出のための救援機を送ります。しかし日本の救援機は来ません。 自衛隊の海外派遣不可の原則のために自衛隊機を送ることができず、日本航空は労組の反対も あって「航行安全の保証がない限り臨時便は出せない」という方針を打ち出したのです。現地 の日本人は八方手を尽くしますが、他国の航空会社はどこも自国民優先で、乗れる飛行機はほ とんどありません。 いよいよ刻限が迫り、現地邦人の誰もが絶望の淵に沈んだ時、手を差し伸べてくれたのがト ルコでした。トルコ航空機が危険をおして215名の日本人を救出してくれたのです。しかも、 当時、テヘランには600名を超えるトルコ人がいたにもかかわらず、日本人を優先して助けて くれました。 「なぜ、トルコが?」。日本人は皆、不思議に思いました。直接のきっかけは、1つは駐イ ラン・トルコ大使のイスメット・ビルセル氏が、駐イラン日本大使の野村豊氏の懇願を受け、 本国に救援機派遣を要請してくれたこと。もう1つは当時、イスタンブールに駐在していた伊 藤忠商事の森永堯氏が、知己であったトルコのオザル首相に直接、救援を依頼したことでした。 しかし、それらがあったとはいえ、自国民より日本人を優先して救出するほどの決断を、な ぜトルコは下してくれたのでしょうか。その背景には、この救出劇から95年も前に起きた、あ る事件で結ばれた強い絆がありました。トルコの人々は、それを忘れずに日本人を助けに来て くれたのです。その事件こそ、エルトゥールル号遭難事件です。 明治23年(1890)9月16日夜半、台風の荒れ狂う和歌山県串本沖で、オスマン帝国(オス マン・トルコ)の軍艦エルトゥールル号が遭難。600名余の乗組員のうち、司令官オスマン・ パシャはじめ500名以上が死亡または行方不明という大惨事になります。 彼らは、明治20年(1886)に日本の小松宮彰仁親王がトルコのイスタンブールを訪問した ことへの答礼使節でした。東京で明治天皇に拝謁し、オスマン帝国の最高勲章を奉呈した帰路 に悲劇に見舞われたのです。 これに対し、事故現場の串本・紀伊大島の人々は、遭難者の救助に全力であたり、危険を冒 しながら69名を救出しました。当初トルコ人を収容した樫野地区は60戸はどの小さな集落で、 しかも裕福な暮らしではありませんでしたから、トルコ人の介抱は決して容易なことではあり ませんでした。しかし、なけなしの食料や衣類を惜しげもなく提供し、普段は正月にしか食べ ない白米を炊き出して食べさせ、さらに時を知らせる鶏もつぶして振る舞ったのです。 明治天皇も知らせを受けるや、政府を挙げての救援を命じ、トルコ人の生存者たちは手厚い 看護を受けた後、日本海軍の軍艦で翌年1月2日にイスタンブールに帰還しました。また、こ の事件が報道されると、日本全国でトルコへの義捐金を募る動きが澎湃として沸き起こり、現 在の貨幣価値で1億円ともいわれる金額がトルコへ届けられたのです。 この日本人の真撃な気持ちはトルコに伝わり、トルコで親日感情が大きく高まりました。こ れが後の、イラン・イラク戦争への対応などの一連の動きにつながっていくことになったので す。
親学がらみでまた名が出てきてるけど、はてならしい小バカにしきったものばかり。それ以前に彼の親学について触れたもの読んでも分らない。
3.11の義捐金の送り先の一つに「あしなが育英会」も含めた結果、『NEW あしながファミリー 号外』というのが送られてくるようになった。その、直近2号に「編集長特別インタビュー」として下村博文文部科学大臣が大々的に取り上げられている。(さらに、少なくとももう1号は続く)
このインタビューが興味深い。
肩書きが文科相のほか、「あしなが育英会前副会長・高校奨学生第一期生」。たしかに、途中までは交通遺児として苦労しながら……という話。鈴木宗男さんを何となく連想した。
とある通り、ディスクレシア(識字障害)の子についての対処や思いが、けっこうな分量を占める。
注目すべきなのは、これを読む限り、下村氏の対処は全然間違っていないように見えること。もちろん気づくまでは「手を上げたこともあります」というようなものなのだが、ひとたび障害が分ってからは、この分野での先進国であったイギリスに留学させるなど(これはそれだけの余裕がないとできないが)頑張っている。
おかしな療法に手を出して結果オーライからのめり込む、なんてのとは全く無縁だ。紙面での言葉ももっともに思える。というより立派だ。
ということで、読んでの疑問。これ、高橋史朗氏の言う「親学」と両立できるの?
いや、高橋氏どころか、自分が別のとこで言ってることと整合性取れるの?
問題:次の文 発達障害を予防する伝統的子育てとは | 下村博文 を読んで作者の真意を答えなさい。
正答:学習障害の子を持つ親として、長所を伸ばす、どのような子どもも受け入れる多様性を持った教育をすすめようという願い。
私はブログのほうは、(政策秘書などの)別人が書いている可能性も疑っている。そもそも文体が冷たすぎて、こちらのインタビューと全然肌合いが違う。
まあ、いずれにしてももう少し詳しく、下村氏と「親学」の関わりについて知りたい。小バカにするだけではなしに。自民党の特質の一つとして、「ぬえ」みたいな性格挙げることができると思うけど、それが「親学」というものにも当て嵌まるのではないか?
『NEW あしながファミリー 号外』、あしながから送ってもらってる人、ここにははもちろんたくさんいると思うから、細かいインタビューの内容は誰かが補足してくれるでしょう。それから著書もあるので、それを使うのが一番なのかもしれません。では
募金を送れなくなったからアンケートを取って、何割かの職員が竹島基金にしてくれと回答したから、募金額の何割かをそちらに回した、とかだったよね。
ふーん。事実はこうだけど↓
「独島を自国領土と捏造した内容をすべての中学校教科書に採択するような
敵対的な態度を見せる日本に義捐金を送る必要などないという意見が多数出てきたため、
3月31日と4月1日の2日間、職員を対象に『日本の地震被害支援募金の使用方法について』の
衿川区長チャ・ソンス氏は4月5日、アンケート結果を尊重して、
はいじゃあ見直して行こうね。
送れなくなったから(ってなんだよ?w)ではなく
「日本なんかに送るな」という声が多数だったのでアンケートを取りました。
何割かじゃなくて過半数以上、70%の職員です。
お前さあ、
とかほざいておいて
自分は全然根拠もなくデタラメ吹きまくってるよなあさっきから。
韓国に有利なデタラメばっか書いて「通らば通れ!」みたいなお前のその姿勢で誰を非難できるの?
まとめサイトと同等かそれ以下じゃんお前って。
「韓国は嫌々義捐金を送っている」とか「韓国は感謝を要求している」とかの根拠が「だってまとめサイトで見たもん」程度でしかなさそうなのがアレなんだよ。
素直にお礼ができなくなるし、そんな恩着せがましく言うなら、はじめからやらないで!って思う
まぁ、やんなきゃやんないでうちのネトウヨがアレコレ言うしめんどうだけどね
俺韓国大嫌いだけど
向こうは嫌々だからいたわりではなく「感謝しろ」みたいなことほざくし
(これは調査の数字から言ってもそうだし韓国人自身が誇らしげに言ってる。)
そんな国が無理して半端に義捐金なんか送るのが間違いなんだよ。
受け取る方だってつき返せばよかった。
このあいだの記念式典だって韓国大使は招待されたのにブッチしたんだぜ。
そんなことした国は韓国だけだ。(中国大使は台湾関連の体裁があったから理由は理解できる。)
もっと疎遠になりゃいいんだ。