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2020-08-01

年表(近現代

関ヶ原の戦い日露戦争

1600-10-21 関ヶ原の戦い

1615-05-07 大阪城落城し、大坂夏の陣終わる。豊臣氏滅亡

1853-05-23 アメリカ艦隊浦賀沖に来航(黒船来航)

1861-04-12 アメリカ南北戦争1865年5月9日まで)

1865-04-15 リンカーンアメリカ大統領暗殺

1867-01-30 孝明天皇崩御

1867-02-13 睦仁親王践祚

1867-11-09 大政奉還

1868-01-03 王政復古

1868-01-27 戊辰戦争1869年6月27日まで)

1868-07-17 東京奠都(「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」煥発)

1868-10-23 元号慶応から明治に改められる。

1871-08-29 廃藩置県

1872-10-16 琉球処分琉球藩設置)

1875-06-28 讒謗律太政官布告)及び新聞紙条例太政官布告公布

1877-02-14 西南戦争1877年9月24日まで)

1877-05-26 木戸孝允死去

1878-05-14 紀尾井坂の変(大久保利通暗殺

1879-04-04 琉球藩廃止沖縄県設置

1888-03-09 ヴィルヘルム1世プロイセン王兼ドイツ皇帝崩御

        フリードリヒ皇太子(フリードリヒ3世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1888-06-15 フリードリヒ3世崩御。ヴィルヘルム皇太子(ヴィルヘルム2世)がプロイセン王兼ドイツ皇帝即位

1894-07-25 日清戦争1895年4月17日まで。宣戦布告1894年8月1日台湾平定終了は1895年11月30日)

1898-07-30 ビスマルク死去

1901-01-22 ヴィクトリアイギリス女王崩御

1902-01-30 日英同盟成立(1923年8月17日失効)

1904-02-10 日露戦争1905年9月5日まで) 

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日露戦争終結太平洋戦争勃発

1905-09-05 日露両国講和条約ポーツマス条約)締結(日露戦争終了、条約発効は同年11月25日)

1909-10-26 伊藤博文暗殺

1910-08-22 韓国併合ニ関スル条約調印

1910-08-29 韓国併合ニ関スル条約発効

1912-07-30 明治天皇崩御皇太子嘉仁親王践祚元号明治から大正に改められる。

1914-07-28 第一次世界大戦1918年1111日まで)

1921-11-25 皇太子裕仁親王摂政就任

1922-02-01 山縣有朋死去

1922-02-06 ワシントン海軍軍縮条約調印

1923-08-17 ワシントン海軍軍縮条約発効

1925-04-22 治安維持法公布

1925-05-05 普通選挙公布

1926-12-25 大正天皇崩御皇太子裕仁親王摂政)が践祚元号大正から昭和に改められる。

1927-03   昭和金融恐慌

1927-04-05 鈴木商店破綻

1928-06-04 張作霖爆殺事件

1929-10-24 大恐慌

1930      昭和恐慌

1930-10-02 日本ロンドン海軍軍縮条約批准

1931-09-18 満州事変柳条湖事件に始まる)

1932-03-01 満州国建国

1932-05-15 五・一五事件

1936-01-15 日本ロンドン海軍軍縮条約を脱退

1936-02-26 二・二六事件

1936-12-31 ワシントン海軍軍縮条約失効

1937-07-07 日中戦争1945年9月9日まで。盧溝橋事件に始まる。当初は宣戦布告をせず、「支那事変」と呼称

1939-05-11 ノモンハン事件

1939-07-26 アメリカ政府が日米通商航海条約の廃棄を通告

1939-09-01 第二次世界大戦ドイツポーランドに侵攻して始まる。1945年9月2日まで)

1940-01-26 日米通商航海条約失効

1940-03-30 中国汪兆銘政権成立

1940     アメリカ、対日石油輸出を制限

1940-09   アメリカ、対日屑鉄全面禁輸

1940-09-23 北部仏印進駐

1940-09-27 日独伊三国同盟調印

1940-11   日本アメリカの各種交渉1941年12月まで)

1940-11-30 日本中華民国間基本関係ニ関スル条約日華基本条約)調印

1941-01-08 戦陣訓(陸訓一号)示達

1941-04-13 日ソ中立条約調印

1941-06-22 独ソ戦ドイツバルバロッサ作戦を発動したことにより始まる。1945年5月8日まで)

1941-07-26 アメリカ在米日本資産の凍結を実施

1941-07-28 南部仏印進駐

1941-08   アメリカ、対日石油全面禁輸

1941-08-28 近衛首相ルーズベルトアメリカ大統領に首脳会談提案(結局、沙汰止みとなる)

1941-11-26 アメリカ日本に対しハルノート提示

1941-12-08 太平洋戦争日本英米に対する宣戦布告及び真珠湾攻撃に始まる。1945年9月2日まで)

        1941年12月(開戦)~1942年7月頃(フィリピン全土占領)まで日本軍の占領区域は拡大を続ける。

1941-12-16 戦艦大和竣工

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太平洋戦争

1942-04-18 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲東京空襲

1942-06-05 ミッドウェー海戦

1942-07   日本軍、フィリピン全土占領

1942-08-07 米軍ソロモン諸島ガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸

        (ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)

1943-04-18 山本五十六連合艦隊司令長官ブーゲンビル島上空で戦死海軍事件)。

1943-05-12 米軍アッツ島上陸5月29日まで。日本軍は全滅し、「玉砕」の語の使用始まる)。

1943-09-30 御前会議絶対国防圏構想を決定。

1943-10-01 在学徴集延期臨時特例(勅令)の公布

1943-11-05 東京で大東亜会議を開催(6日まで)、大東亜共同宣言を発表。

1943-11-22 エジプトカイロ英米首脳会談カイロ会談。26日まで)

1943-11-28 イランテヘラン英米首脳会談テヘラン会談。同年12月1日まで)

1944-03-08 日本軍、インパール作戦開始

1944-04-17 大陸打通作戦(同年1210日まで)

1944-06-19 マリアナ海戦日本軍は旗艦大鳳以下空母3隻と搭載機400機を失い、西太平洋制海権制空権喪失

1944-07   ブレトン・ウッズ協定

1944-07-04 本軍、インパール作戦を中止。

1944-07-18 東條英機内閣総辞職

1944-07-22 小磯国昭内閣成立。

1944-08-02 テニアン島日本玉砕テニアンの戦い)

1944-08-11 グアム島日本玉砕グアムの戦い)

1944-09-11 米軍ペリリュー島上陸ペリリューの戦い

1944-10-20 米軍フィリピンレイテ島に上陸レイテ島の戦い)

1944-10-23 レイテ海戦始まる。

1944-11-24 米軍の新型爆撃機B-29マリアナ諸島より東京を初空襲

1944-12-10 日本軍、大陸打通作戦完了

1945-01-06 ルソン島の戦い(同年8月15日まで)

1945-02-04 クリミア半島ヤルタ英米首脳会談ヤルタ会談11日まで)

1945-02-18 硫黄島の戦い(同年3月22日まで)

1945-03-10 東京空襲

1945-04-01 沖縄戦(同年6月23日まで)

1945-04-12 ルーズベルトアメリカ大統領死去。トルーマン副大統領アメリカ大統領に就任

1945-05-02 ベルリン陥落

1945-08-06 アメリカ広島県広島市原子爆弾を投下

1945-08-08 ソ連日本に対し宣戦布告

1945-08-09 アメリカ長崎県長崎市原子爆弾を投下

1945-08-14 日本ポツダム宣言を受諾

1945-08-15 玉音放送

1945-09-02 日本政府ミズーリ号にて降伏文書調印(太平洋戦争大東亜戦争終結

1945-09-09 日本政府中華民国南京にて降伏文書調印(日中戦争終結

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戦後占領バブル崩壊

1945-09-10 国共内戦

1950-06-25 朝鮮戦争

1950-08-10 警察予備隊設置(後身は陸上自衛隊

1951-09-08 日本国との平和条約サンフランシスコ平和条約)並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約

        (日米安保条約)調印

1952-04-26 海上警備隊設置(後身は海上自衛隊

1952-04-28 日本国との平和条約並びに日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約発効

        日本占領状態が終了し、独立国

1952-08-05 日本国と中華民国との間の平和条約発効

1952-10-15 警察予備隊保安隊に改組される。浜松に航空学校が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1953-03-05 スターリン死去

1954-02-01 保安庁に航空準備室が設置される(後の航空自衛隊に繋がる)

1954-05-29 ビルダーバーグ会議初開催

         (於オランダ、ヘルダーラント州レンクム、オーステルベーク(Oosterbeek)、ビルダーバーホテル

1954-06-01 保安隊臨時松島派遣隊編成

1954-07-01 自衛隊法施行自衛隊成立)

        陸上自衛隊保安隊から改組)、海上自衛隊海上警備隊から改組)、航空自衛隊(新設)設置

1954-12   高度経済成長1973年10月まで)

1955-11-15 自由民主党成立(保守合同

1955年11月  1975年4月30日 ベトナム戦争

1956-07   昭和31年度年次経済報告(経済白書)発表(「もはや戦後ではない」)

1956-12-12 日ソ共同宣言発効

1956-12-18 日本国際連合に加盟

1958-08   大躍進政策

1960-06-23 新日安全保障条約発効

1960-12-27 池田勇人内閣、「国民所得倍増計画」を閣議決定する。

1962-10-15 キューバ危機

1963-11-22 ケネディアメリカ大統領暗殺

1964-08-02 トンキン湾事件8月2日及び4日。アメリカによるベトナム戦争への本格的な介入が始まる)

1964-10-01 東海道新幹線開業

1964-10-10 1964年東京オリンピック(同年1024日まで)

1966-05-16 無産階級文化大革命文化大革命)(1976年10月6日まで)

1971-01   世界経済フォーラムダボス会議を開催)設立

1971-06-17 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)締結

1971-07-15 ニクソン訪中宣言

1971-08-15 ドル・ショック

1971-12-18 スミソニアン協定

1972-05-15 琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定沖縄返還協定)発効(沖縄復帰)

1972-09-29 日本政府中華人民共和国政府共同声明

1973-10-06 第四次中東戦争

         勃発後に産油国による原油公示価格値上げや産油制限が発表され、オイルショックとなる。

1973-10-21 日米欧三極委員会の初会合(於東京

1975-04-30 ベトナム戦争終結

1975-11-15 G7サミット初開催(於フランス・ランブイエ)

1978-01-07 イラン革命(1979年2月11日まで)

1978-08-12 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約調印

1978-10-23 日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約発効

1978-12-22 改革開放(中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議にて提唱

1985-09-22 プラザ合意

1986-12   バブル景気1991年2月まで)

1987-10-27 1987年大韓民国国民投票

1987-12-08 中距離核戦力全廃条約INF条約)発効(2019年8月2日失効)

1989-01-07 昭和天皇崩御元号昭和から平成に改められる。

1989-04-01 消費税導入(当初は3%)

1989-06-04 六四天安門事件

1989-12-03 マルタ会談終了(冷戦終結

1989-12-29 日経平均株価取引時間中に38,957円44銭の最高値を付ける(史上最高値)。終値は38,915円87銭。

1990-03-27 総量規制バブル崩壊の始まり

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現代バブル崩壊パンデミック

1990-10-03 東西ドイツ統一

1991-01-17 湾岸戦争

1991-12-25 ソ連崩壊

1993-07   衆院選自民党が敗北し、非自民連立政権誕生する(55年体制終焉

1993-11-11 欧州連合条約マーストリヒト条約)発効(調印は1992年2月7日)

1995-01-17 阪神淡路大震災

1995-03-20 オウム真理教による地下鉄サリン事件

1995-11-23 Windows95日本国内で発売される。

1996-03-23 台湾民主化総統民選となる)

1997-04-01 消費税率が3%から5%に上がる。

1997-07-01 香港返還

1997-07   アジア通貨危機

1997-11-03 三洋証券経営破綻会社更生法適用申請する)

1997-11-17 北海道拓殖銀行経営破綻公表

1997-11-24 山一證券経営破綻公表

1998-10-23 日本長期信用銀行、破産国有化

1998-12-13 日本債券信用銀行、債務超過国有化

2001-01-06 中央省庁再編

2001-09-11 アメリカ同時多発テロ事件

2003-03-20 イラク戦争201112月15日まで)

2006-12-30 サッダーム・フセイン死刑執行

2008-09-15 リーマン・ショック

2009-09-16 鳩山由紀夫内閣総理大臣に指名される(政権

2018-12-17

武井俊輔議員へ 何を仰りたいのか全くわかりません

https://www.facebook.com/100002110983459/posts/2131123246968021/

読解力には自信ある方なんだがマジで何言いたいのかわからない。

仕事でこんな文章上げてくるやついたら一年目の新入社員でも赤ペン入れまくってしばきます

国会議員自民党先生と言うのはこんなクソ文でオッケーなんでしょうかね。




武井 俊輔

12月15日 6:35 ·

【なぜこの時期に訪韓したのか】※長文ご注意

長文でもいいんだよ。

内容があればね。その文字数必要だったと納得させるだけの内容があれば。

日韓議連全日程が終わりました。参加すれば当然厳しい意見はあろうかと思っておりました。帰ってくるな!裏金をもらっているのか!売国!ガン!落としてやる!...なかなかなものです。

一つひとつに何か申し上げる気はありませんが、改めて私個人という意味においては、合理性という観点でみるならば、確かに極めて非合理的だったかもしれません。しかしそれでも行って良かったとも思っています。なかなか不思議感覚です。

不思議感覚です」じゃなくて、

それでも行って良かったと思えるのは何故なのかの理由を書こう?


ていうかもうこの時点で文章無駄にダラダラしてるんだが

「改めて私個人という意味においては、」「合理性という観点でみるならば、」とか、全部要りませんよね。

こういう馬鹿学生レポート文字数稼ぎみたいな無駄なセンテンスもずーっと続くので見て行こう

そもそも今回の訪韓は党から議連からも経費も出ません。全て自弁です。従って行く義務もまったくありません。しかも行き先は温暖なリゾート地でもなんでもない氷点下10度にもなる厳寒のソウルです。

この「僕個人は損をしてるんだ」(だからどうした馬鹿が)という同じ話がこれから何度も何度も何度も何度も出てきます


しかし私には私なりの思いがあって訪韓しました。私はいま国政の一席をお預かりしていますが、それまでに私は2度と会社を辞め、それなりに安定した生活を捨てて政治の道を歩んでいます。もちろん様々な葛藤は日々ありますが、その中でも自らの信念として歩むべきことは歩まなければ、政治家になった意味価値もありません。

私の事務所には小村寿太郎侯のポスターを貼っています。わがふるさと宮崎県の生んだ大政治家です。

小村がポーツマス条約を締結し帰国したとき日比谷焼き討ち事件が起こりました。日露戦争勝利したにも関わらず10年前の日清戦争と異なり賠償金が取れなかったことについて、国民の怒りとそれを煽動した者によって起こされた新聞社などへの放火を伴う暴動です。

しかし時の桂太郎内閣も、小村自身も当時の日本の戦力、ロシアの戦力を考えれば講和しかないと確信していました。(このあたりに興味のある方は吉村昭の『ポーツマスの旗』をぜひお読み下さい)

小村は当時の人、特に政治家には珍しく日記つけませんでした。歴史は後世が評価するという思いからだといわれていますが、小村の交渉術、成果はいまなお歴史においても、外務省においても高く評価されています

しかし私には私なりの思いがあって訪韓しました。」から

その思いと言うのが具体的にどういうものかについて全く説明が無い。

から長々書いてるけど内容が何も無いすごい駄文


なんで突如長々と小村寿太郎の話が始まるんだよ。

それよりお前がお前の現在の行動について説明するんじゃないのか。

するんならしろよ。それだけだろ。


話が逸れましたが、いまの訪韓がいま厳しい評価を受けることはやむを得ないと思いますしかし今回の対応、文大統領発言対応などについては一定の成果があったと思います

大統領公式に面会をするという一事は極めて重いことですし、それを額賀会長が直接伝えたことは意味があります総理からメッセージが出なかったのは事実です。しかしそれも含めての額賀会長発言であり、外交の極めて微妙駆け引きとはそういうものです。

からその一定の成果ってなんだよ。

大統領から現在の懸案についてなんか具体的な提案や表明を引き出せたの?

ないよね。

公式に面会したからなんなのw

ただの定例行事だよね。

「文大統領に会った(いつものこと)」

微妙駆け引きをした(具体的な報告は何もできましぇーん)」

これさあ、何の成果も無いのにわざわざ行ったっていうだけのことだよね。


どうしてこんな時期に行ったのかの説明も出来ず、

行ったことで獲得した成果の報告も何も出来ず、

まりやらなくてもいいことをやったってだけだよね?

からもっともらしく装った口調で

こんな内容皆無の水ぶくれした文章書いてんだよ。


その上で、いまの訪韓国益に反する、との意見について申し上げます

そもそも私達は勝手政府与党の反対を押し切っていったのではなければ、隠密裏に行ったのでもありません。

そもそも、いつ、誰が行くかは公知の内容であり、私自身も岸田会長にも報告して参加していますそもそも自民党で最も多く参加していたのは幹事長派閥二階派です。

もし我々の行動が本当に国益に反すると政府与党判断があれば、表裏問わず勧告”があったはずです。超党派ですから、極端な話、わが党が全員出なくても成立するのです。

しかしそのような動きは全くありませんでしたし、また当日の開会式には長嶺駐韓大使も出席頂きました。この議連活動問題があれば、現場のロジ(足回りのお世話)はともかく大使が出席することにはなりません。

なんだこりゃw

「強く止められなかったか責任は党にあるんだもん!」ってか。

マジで1年目の新入社員みたいなやつだな。

お前の判断についてと、その判断理由と、お前の行動成果とを報告するターンだろ。


「行って良かったと言う不思議感覚

「僕は批判覚悟で行ったんだ」

「成果は微妙駆け引きだ」

自民党が止めなかったもん!」

お前さあ、何年目の何歳だよ?

こんな奴が議員でいいのか?自民党さあ。


批判される方はこのようにご説明しても批判されるとは思いますが、かくの如きをみても、政府与党としてもこの議連一定の意義と期待を持ってのことであろうことは、元外務政務官としての経験から確信を持っていえます

「僕達は期待されてたんだもん!」

「強く止められなかったのがその証拠!」

本当に重要役割として期待されてるならそれこそ

党の偉い誰かから「頑張ってきてほしい」「こういう交渉してきてほしい」とか激励なり指示なりなんかあるもんじゃないの?


「具体的に誰にもそんなこと言われてないけど外務政務官としての経験でそう思うんだもん」

話にならねえなこいつ。

冒頭に合理性と述べましたが、合理性だけを問えば東京に残って部会で厳しい発言をすることが費用対効果的にも最も合理的です。それだけで産経新聞評価してくれますし、こんな発言しました!といえば一定賞賛は得られるでしょう。

しかし逆に訪韓すれば冒頭のごとく叩かれますし、わが党の議員でもツイッターで煽るような意見を述べる方もいました。(それはそれで構いませんが、同じ党の議員なのですからネットに書き込む前にぜひ直接聞いて頂ければとは思いますが)

しかし、このような厳しいときこそ足を運ぶというのは私の政治的信念です。

私は日中次世代交流委員会という超党派議員団で毎年訪中しています公明遠山清彦代議士団長に私は副団長を務めていますが、今年で6回を数えます

6年前、初めて訪中したとき政権交代直後ではありましたが、野田政権での尖閣国有化の余韻が冷めやらず、極めて厳しい対応、いわゆる”塩対応”でした。第1回は日中国交回復35周年の年で、団として訪問したのは私達だけでしたし、訪中自体に厳しい意見も多く頂きました。

しかし私達はとにかく毎年、誰に会える会わないは問わず訪問するということで、訪中を続けました。

からその「政治的信念」って具体的に何よ?

そしてその信念でどんな成果を挙げてきたのよ?

それを説明・報告してくれよ。


Q「その行動の理由は?」

A「僕の信念です」

 「僕個人の損得ならこんな行動はしないのが合理的でした」

Q「うんそっか、で、行動の理由は?」

 「信念が理由ですじゃ説明になってないよね。あと君の信念って具体的には?」

 「んでその信念の行動でどんなよいものを獲得してくれたの?」

A「先輩も強く止めなかったですよね」

 「社が僕に期待してることははっきりわかりました」

 「成果は特にありません」「微妙駆け引きとだけ言っておきます

Q「お前ぶっ飛ばすぞ」

 

ってなるやろ。

こんなわけわからん会話が成り立たないやつ1年目のガキでも嫌だわあおれ。

指導したくないわあ。

会話通じないやつにはどうしてもキレ気味ぽくなっちゃうもん。


そしていま、まだまだ課題はあるもの安倍総理訪中、そして習近平国家主席訪日視野に入るまでになりました。いまは政治においても双方多くの交流が続いています。厳しい時期でも訪問を続けたことは間違いはなかったと思っています

から関係が非常に厳しくてボール相手にあるときに出向いていくのは

間違ったメッセージを送ることになる、って言うのがよくある批判の声だよね?

そういう良くある批判に対する反論説明すらないのかよ。

だめな企業サポート以下か。


かに今回の訪韓超党派ゆえの難しい部分もありました。一部政党幹部の方の文大統領をはじめとする先方に対する発言分科会での主張などは相手にわが国の主張の一貫性を誤解させる危惧も感じました。

しかしそれは超党派性格上やむを得ない部分でもあり、それは改めて政府与党が正確に伝えておかなければならないと実感しました。

こいつ駄目な点はわかってるのに

そこの説明になると自分意思判断希薄化させて

自民党が強く止めなかった」

超党派性格上難しい部分があった」

みたいに他人事っぽくまとめるのな。


その危惧デメリットが見えてた行動を敢えてとった理由説明

そこまでしたからには当然何か手柄をたててきたのだろうからその披露を頼むわ

って言うのがお前に今求められてることだろ。

そこについてはなんにも説明できないか意味不明な冗長駄文で逃げ回ってるわけだろ。


お前が今回の行動にきちんと説明できるものなんかもってないこと、

何かを誤魔化そうと言う邪心があることは逆にはっきりわかるわ。


その上で、ですが、もちろん私達の訪韓で劇的に変わることはないでしょう。課題は引き続くと思いますし、厳しい局面もあると思います

しかし、日韓引っ越しできない永遠隣国です。訪日韓国人は過去最高を記録していますし、ミョンドンを歩いても日本観光客が回復しつつあるこを実感しています政治が厳しいときなればこそ、経済観光役割果たして行かなければなりません。

わがふるさと宮崎アシアナ航空イースター航空と2社がソウルと結んでいます。この時期は温暖な気候を求めて、特に多くのゴルファーが訪れます。国と国との関係が厳しい時期なればこそ、しっかりおもてなししたいものです。

冒頭にも述べましたが、今回の訪韓は私個人合理性を考えればまったくメリットはありませんでした。しかし国政の一席を預かる者としての役割は果たすことができたと確信しています

から具体的に言えよ。

何をしてきてどんなよいものを獲得したのか。

何回も内容の無い言葉を繰り返すな。

胡散臭いやつだって自分からばればれにしてるだけだぞ。

また、私は安易アジテーター扇動者)にはなりたくありません。小村はけしからん擁護する新聞社けしからん!と煽れば、それは暴動になるのてす。

政治は常に抑制的でなければなりません。

あーあ。結局そんなことが言いたいのかよ。

「ぼくちんを批判するのは扇動者だーー!」「暴動こわーい」ってか。最低だな。

暴動が起きるほど注目される大物かよお前は。

んで、普通に非難されてるだけなのに「暴動だ!」とかいって被害者ぶるのは卑怯だろ。


そうやってひたすら言を左右にしたり暴動(笑)被害者ごっこまでしながら

あくま自分の行動や意思については新入社員レベル説明と報告もしない・出来ない・逃げ回るってことは

これはよっぽどやましいやつかよっぽどの無能ってことだろう。


前歴が外務政務官だってうから実務能力はあるのだとすれば

これはやっぱりなんか筋の悪うい人物なのではないかな?



私がお世話になっていた宮崎交通創業者である岩切章太郎言葉を集めた『無尽灯』(むじんとう)にこんな言葉があります

宮崎交通”が”あってよかった。宮崎交通”で”あってよかった。そんな会社になりたい。』

私も、たけい”が”いてよかった。たけい”で”よかった。

そう思われる政治家であり続けられるよう、精進して参ります

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

あーはいはい

小村寿太郎だの岩切章太郎だの人の言葉引用ばっかりで

自分の行動を自分言葉説明することは全く出来ずに逃げ回るやつなんだってことはよくわかったよ。

自民党という党のレベルもよくわかった。

 
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