はてなキーワード: イラクとは
“不自然なまでの「障害者バッシング」や「高齢者バッシング」の背景には、こういったことも繫がっているんじゃないかと思う。厚労省はわかっていながら放ったらかすハラだったのでは?”
なんかイラクの3バカ祭り思い出すのよな。スロープ作り付けておくべきところを人力頼りにしてるとかの類の。
“末端の労働者に負担を押し付けて解決すべきなんてことは誰も言ってないのでそもそも負担を考えろなどというのは的外れな指摘だしそういった所で自分らが表現の自由だの言って権利を主張する癖に他人に対しては我儘と言ってしまうその都合の良さを説明できていない。”
“経営者や政治が解決すべき問題を末端の労働者の負担云々に矮小化して無効化しようとするような権力者に忖度し基本逆らわないというような奴隷根性の座ったような輩が表現の自由などと言って戦っているようなつもりになっているのだから笑わせる。”
“「そこまでの対応をするとなると、他の仕事に使う時間を減らさないとダメなので、今の報酬のままではできません」と学校側にお伝えすることはある。あとは経営側の判断である。不思議なことに「では報酬を加算しますので合理的配慮を実施してください」と言われたことは一度もないのだけど。”
山崎監督っていきなり監督になったというか、よくある「下働きやって助監督やって20年くらいしてから監督」みたいなルート辿ってない人なんだよな。
VFX極めてそっからいきなりメガホンとって、そっからアカデミー賞まで行った。
なんか本人もどっかのインタビューで「下働きしてないから申し訳ない」的なこと言ってた記憶ある。
修行しないでも寿司職人になれるみたいなのがちょっと前話題になってたけど
山崎監督の場合VFXは極めてたけど監督になるための「一般的な修行」はしてないからある意味ちょっと当てはまるよな。
寿司職人になる普通のルートとは別の、たとえば魚の生態を極めたさかなクンが寿司職人になったみたいな感じみたいな。
そういえばスラダンも原作者がいきなりメガホンとって第一作でアレができて興行収入一位みたいなのもあった。
もしかしたら日本映画の実写があんまりアレなのって(もちろん名作も多いけど平均したまあさあ……)これが原因なんじゃないん?
ああいう育成方法してたら監督にペコペコの太鼓持ちみたいなのしか上にいけなさそうだし、しょうもない腰巾着みたいな発想しか出てこん人が多くなりそうじゃん?
別分野でヤバげな才能の人がリーダーシップの部分だけちょちょっと学んで監督なったほうがとれるんじゃね?覇権とか。
(追記)
メガホンと覇権で思い出したけど、ちょい前に日本映画が覇権とるのは時代劇しかねぇ!!!!みたいなやつ書いたけど(検索めんどいので!リンクはねえ!)
まあ日本映画じゃなくて海外制作だけど。てかメガホン日本人じゃないけど。あと映画じゃなくてドラマだけど。いやそんなんどうでもいい。どえりゃあモンがでてきたで。
あとさあワイの予想2%くらいカスった気せん?時代劇だし!ひろゆきがプロデューサーに入ってるし日本スタッフ参戦しとるし5%くらいは日本映画だし!
山崎監督は永遠のゼロ(はてな人気ゼロ)を全米公開したいみたいな噂を聞いたけど
やっぱワイが全米メガホンしてほしいのは「BALLAD 名もなき恋のうた」なんよ。ジダイゲキタカシハリウッドリメク!!
あとさあ「山崎監督がアカデミー獲ったのはVFXだから!低予算がウケた!ストーリーはクソ!」って言う人めっちゃおるけどアカデミーが低予算で工夫すりゃいけまっせみたいなわけないやろ。
低予算がウケたは山崎監督の日本人TOKUYUUのKENSONだぞ!ストーリーこそばかウケだからGENCHIでは。
イラクとかアフガンで心に傷をおった復員兵めっちゃおんねん。リアルにめちゃ刺さりよんねん。
(追記)
マジなんやなーこれが。Wikipediaにものっとるで。https://ja.wikipedia.org/wiki/SHOGUN_%E5%B0%86%E8%BB%8D (親切)
最近はEUも北欧も「移民もう無理ー><」となってるが、それはどのくらいからなのか?
2020年時点で
ドイツ 19%
ノルウェー 16%
アメリカ 15%
イギリス 14%
フランス 13%
日本 2%
こう見ると、大体10%超えてくると国内が荒れて反対派が多くなるっぽい
これ、10%ちょいと見ると少ないように見えるが、おそらく都市部に集中してるんじゃないかな?
ところで、先進国が耐えられる移民のキャパはどのくらいだろうか?
ざっくりヨーロッパの受け入れ国の人口が3億人で最大15%だとすると、キャパはたったの4500万人で、それはもうほとんど埋まっている
思ったよりも少ないんだよね
もし日本で受け入れる場合、あと10%くらいは耐えられると考えれば、大体1200万人は受け入れられる(というかそこまで行くと社会問題になる)
1200万人のうち例えば半分が東京圏に来たとすると、大体3000万人に600万人を追加することになるので、イメージとしては6人に1人は外国出身者となる感じだ
多いと感じるだろうか?
〈佐藤優現象〉を支えている護憲派の中心は、雑誌としては『世界』であり、学者では山口二郎と和田春樹である。この顔ぶれを見て、既視感を覚える人はいないだろうか。すなわち、「平和基本法」である。これは、山口や和田らが執筆し、共同提言として、『世界』一九九三年四月号に発表された。その後、二度の補足を経ている(56)。
私は、〈佐藤優現象〉はこの「平和基本法」からの流れの中で位置づけるべきだと考える。
同提言は、①「創憲論」の立場、②自衛隊の合憲化(57)、③日本の経済的地位に見合った国際貢献の必要性、④国連軍や国連の警察活動への日本軍の参加(58)、⑤「国際テロリストや武装難民」を「対処すべき脅威」として設定、⑥日米安保の「脱軍事化」、といった特徴を持つが、これが、民主党の「憲法提言」(二〇〇五年一〇月発表)における安全保障論と論理を同じくしていることは明白だろう。実際に、山口二郎は、二〇〇四年五月時点で、新聞記者の「いま改憲は必要なのか」との問いに対して、「十年ほど前から、護憲の立場からの改憲案を出すべきだと主張してきた。しかし、いまは小泉首相のもとで論理不在の憲法論議が横行している。具体的な憲法改正をやるべき時期ではないと思う」と答えている(59)。「創憲論」とは、やはり、改憲論だったのである。
同提言の二〇〇五年版では、「憲法九条の維持」が唱えられているが、これは、政権が「小泉首相のもと」にあるからだ、と解釈した方がいいだろう。「平和基本法」は、戦争をできる国、「普通の国」づくりのための改憲論である。同提言は軍縮を謳っているが、一九九三年版では、軍縮は「周辺諸国の軍縮過程と連動させつつ」行われるとされているのだから、北朝鮮や中国の軍事的脅威が強調される状況では、実現する見込みはないだろう(60)。また、「かつて侵略したアジアとの本当の和解」、二〇〇五年版では、周辺諸国への謝罪と過去清算への誠実な取組みの必要性が強調されているが、リベラルは過去清算は終わったと認識しているのであるから、これも実効性があるとは思えない。要するに、同提言には、論理内在的にみて、軍事大国化への本質的な歯止めがないのである。
佐藤が語る、愛国心の必要性(61)、国家による市民監視(62)、諜報機関の設置等は、「普通の国」にとっては不可欠なものである。佐藤の饒舌から、私たちは、「平和基本法」の論理がどこまで行き着くかを学ぶことができる。
馬場は、小泉純一郎首相(当時)の靖国参拝について、「今後PKOなどの国際的軍事・平和維持活動において殉死・殉職した日本人の慰霊をどう処理し追悼するか、といった冷戦後の平和に対する構想を踏まえた追悼のビジョンもそこからは得られない」と述べている(63)。逆に言えば、馬場は、今後生じる戦死者の「慰霊」追悼施設が必要だ、と言っているわけである。「普通の国」においては、靖国神社でないならば、そうした施設はもちろん、不可欠だろう。私は、〈佐藤優現象〉を通じて、このままではジャーナリズム内の護憲派は、国民投票を待たずして解体してしまう、と前に述べた。だが、むしろ、すでに解体は終わっているのであって、「〈佐藤優現象〉を通じて、残骸すら消えてしまう」と言うべきだったのかもしれない。
ここで、テロ特措法延長問題に触れておこう(64)。国連本部政務官の川端清隆は、小沢一郎民主党代表の、テロ特措法延長反対の発言について、「対米協調」一辺倒の日本外交を批判しつつ、「もし本当に対テロ戦争への参加を拒絶した場合、日本には国連活動への支援も含めて、不参加を補うだけの実績がない」、「ドイツが独自のイラク政策を採ることができたのは、アフガニスタンをはじめ、世界の各地で展開している国連PKOや多国籍軍に参加して、国際社会を納得させるだけの十分な実績を積んでいたからである。翻って日本の場合、多国籍軍は言うに及ばず、PKO参加もきわめて貧弱で、とても米国や国際社会の理解を得られるものとはいえない」と述べている(65)。
元国連職員の吉田康彦は「国連憲章の履行という点ではハンディキャップなしの「普通の国」になるべきだと確信している。(中略)安保理決議による集団安全保障としての武力行使には無条件で参加できるよう憲法の条文を明確化するのが望ましい」と述べている(66)。川端と吉田の主張をまとめれば、「対米協調一辺倒を避けるため、国連PKOや多国籍軍の軍事活動に積極的に参加して「国際貢献」を行わなければならない。そのためには改憲しなければならない」ということになろう。民主党路線と言ってもよい。今の護憲派ジャーナリズムに、この論理に反論できる可能性はない。「8」で指摘したように、対北朝鮮武力行使を容認してしまえば、改憲した方が整合性があるのと同じである。
なお、佐藤は、『世界』二〇〇七年五月号に掲載された論文「山川均の平和憲法擁護戦略」において、「現実の国際政治の中で、山川はソ連の侵略性を警戒するのであるから、統整的理念としては非武装中立を唱えるが、現実には西側の一員の日本を前提として、外交戦略を組み立てるのである。」「山川には統整的理念という、人間の努力によっては到底達成できない夢と、同時にいまこの場所にある社会生活を改善していくという面が並存している」と述べている。私は発刊当初この論文を一読して、「また佐藤が柄谷行人への点数稼ぎをやっている」として読み捨ててしまっていたが、この「9」で指摘した文脈で読むと意味合いが変わってくる。佐藤は、「平和憲法擁護」という建前と、本音が分裂している護憲派ジャーナリズムに対して、「君はそのままでいいんだよ」と優しく囁いてくれているのだ。護憲派ジャーナリズムにとって、これほど〈癒し〉を与えてくれる恋人もいるまい(67)。
10.おわりに
これまでの〈佐藤優現象〉の検討から、このままでは護憲派ジャーナリズムは、自民党主導の改憲案には一〇〇%対抗できないこと、民主党主導の改憲案には一二〇%対抗できないことが分かった。また、いずれの改憲案になるにしても、成立した「普通の国」においては、「7」で指摘したように、人種差別規制すらないまま「国益」を中心として「社会問題」が再編されることも分かった。佐藤は沖縄でのシンポジウムで、「北朝鮮やアルカイダの脅威」と戦いながら、理想を達成しようとする「現実的平和主義」を聴衆に勧めている(68)が、いずれの改憲案が実現するとしても、佐藤が想定する形の、侵略と植民地支配の反省も不十分な、「国益」を軸とした〈侵略ができる国〉が生まれることは間違いあるまい。「自分は国家主義者じゃないから、「国益」論なんかにとりこまれるはずがない」などとは言えない。先進国の「国民」として、高い生活水準や「安全」を享受することを当然とする感覚、それこそが「国益」論を支えている。その感覚は、そうした生存の状況を安定的に保障する国家―先進国主導の戦争に積極的に参加し、南北間格差の固定化を推進する国家―を必要とするからだ。その感覚は、経済的水準が劣る国の人々への人種主義、「先進国」としての自国を美化する歴史修正主義の温床である。
大雑把にまとめると、〈佐藤優現象〉とは、九〇年代以降、保守派の大国化路線に対抗して、日本の経済的地位に見合った政治大国化を志向する人々の主導の下、謝罪と補償は必要とした路線が、東アジア諸国の民衆の抗議を契機として一頓挫したことや、新自由主義の進行による社会統合の破綻といった状況に規定された、リベラル・左派の危機意識から生じている。九〇年代の東アジア諸国の民衆からの謝罪と補償を求める声に対して、他国の「利益のためではなく、日本の私たちが、進んで過ちを正しみずからに正義を回復する、即ち日本の利益のために」(69)(傍点ママ)歴史の清算を行おうとする姿勢は、リベラル内にも確かにあり、そしてその「日本の利益」とは、政治大国を前提とした「国益」ではなく、侵略戦争や植民地支配を可能にした社会のあり方を克服した上でつくられる、今とは別の「日本」を想定したものであったろう。私たちが目撃している〈佐藤優現象〉は、改憲後の国家体制に適合的な形で生き残ろうと浮き足立つリベラル・左派が、「人民戦線」の名の下、微かに残っているそうした道を志向する痕跡を消失もしくは変質させて清算する過程、いわば蛹の段階である。改憲後、蛹は蛾となる。
ただし、私は〈佐藤優現象〉を、リベラル・左派が意図的に計画したものと捉えているわけではない。むしろ、無自覚的、野合的に成立したものだと考えている。藤田省三は、翼賛体制を「集団転向の寄り合い」とし、戦略戦術的な全体統合ではなく、諸勢力のからみあい、もつれあいがそのまま大政翼賛会に発展したからこそ、デマゴギーそれ自体ではなく、近衛文麿のようなあらゆる政治的立場から期待されている人物が統合の象徴となったとし、「主体が不在であるところでは、時の状況に丁度ふさわしい人物が実態のまま象徴として働く」、「翼賛会成立史は、この象徴と人物の未分性という日本政治の特質をそれこそ象徴的に示している」と述べている(70)が、〈佐藤優現象〉という名の集団転向現象においては、近衛のかわりに佐藤が「象徴」としての機能を果たしている。この「象徴」の下で、惰性や商売で「護憲」を唱えているメディア、そのメディアに追従して原稿を書かせてもらおうとするジャーナリストや発言力を確保しようとする学者、無様な醜態を晒す本質的には落ち目の思想家やその取り巻き、「何かいいことはないか」として寄ってくる政治家や精神科医ら無内容な連中、運動に行き詰った市民運動家、マイノリティ集団などが、お互いに頷きあいながら、「たがいにからみあい、もつれあって」、集団転向は進行している。
ところで、佐藤は、「仮に日本国家と国民が正しくない道を歩んでいると筆者に見えるような事態が生じることがあっても、筆者は自分ひとりだけが「正しい」道を歩むという選択はしたくない。日本国家、同胞の日本人とともに同じ「正しくない」道を歩む中で、自分が「正しい」と考える事柄の実現を図りたい」と述べている(71)。佐藤は、リベラル・左派に対して、戦争に反対の立場であっても、戦争が起こってしまったからには、自国の国防、「国益」を前提にして行動せよと要求しているのだ。佐藤を賞賛するような人間は、いざ開戦となれば、反戦運動を行う人間を異端者扱いするのが目に見えている。
この佐藤の発言は、安倍晋三前首相の目指していた「美しい国」づくりのための見解とも一致する。私見によれば、安倍の『美しい国へ』(新潮新書、二〇〇六年七月)全二三二頁の本のキモは、イランでのアメリカ大使館人質事件(一九七九年)をめぐる以下の一節である。「(注・反カーター陣営の)演説会で、意外に思ったことがある。人質事件に触れると、どの候補者もかならず、「私は大統領とともにある」(I am behind the President.)というのだ。ほかのことではカーターをこきおろす候補者が、そこだけは口をそろえる。/もちろん、人質にされている大使館員たちの家族に配慮するという意図からだろうが、アメリカは一丸となって事件に対処しているのだ、という明確なメッセージを内外に発しようとするのである。国益がからむと、圧倒的な求心力がはたらくアメリカ。これこそがアメリカの強さなのだ。」(八七~八八頁)
文中の、「人質事件」を拉致問題に、「大統領」を安倍に、「アメリカ」を日本に置き換えてみよ。含意は明白であろう。安倍は辞任したとはいえ、総連弾圧をめぐる日本の言論状況や、〈佐藤優現象〉は、安倍の狙いが実現したことを物語っている。安倍政権は倒れる前、日朝国交正常化に向けて動きかけた(正確には米朝協議の進展で動かされたと言うべきだが)が、こうなるのは少なくとも今年春からは明らかだったにもかかわらず、リベラル・左派の大多数は、「日朝国交正常化」を公然と言い出せなかった。安倍政権が北朝鮮外交に敗北したのは明らかである。だが、日本のリベラル・左派は安倍政権ごときに敗北したのである。
〈佐藤優現象〉は、改憲後に成立する「普通の国」としての〈侵略ができる国〉に対して、リベラル・左派の大部分が違和感を持っていないことの表れである。侵略と植民地支配の過去清算(在日朝鮮人の人権の擁護も、そこには含まれる)の不十分なままに成立する「普通の国」は、普通の「普通の国」よりはるかに抑圧的・差別的・侵略的にならざるを得ない。〈佐藤優現象〉のもとで、対北朝鮮武力行使の言説や、在日朝鮮人弾圧の言説を容認することは、戦争国家体制に対する抵抗感を無くすことに帰結する。改憲に反対する立場の者がたたかうべきポイントは、改憲か護憲(反改憲)かではない。対北朝鮮武力行使を容認するか、「対テロ戦争」という枠組み(72)を容認するかどうかである。容認してしまえば、護憲(反改憲)派に勝ち目はない。過去清算も不十分なまま、札束ではたいて第三世界の諸国の票を米国のためにとりまとめ、国連の民主的改革にも一貫して反対してきた日本が、改憲し、常任理事国化・軍事大国化して、(国連主導ではあれ)米軍中心の武力行使を容易にすることは、東アジア、世界の平和にとって大きな災厄である(73)。
改憲と戦争国家体制を拒否したい人間は、明確に、対北朝鮮武力行使の是非、対テロ戦争の是非という争点を設定して絶対的に反対し、〈佐藤優現象〉及び同質の現象を煽るメディア・知識人等を徹底的に批判すべきである。
註
(1)岩波書店労働組合「壁新聞」二八一九号(二〇〇七年四月)。
(2)ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」二〇〇七年五月一六日付。
(3)ただし、編集者は佐藤が右翼であることを百も承知の上で使っていることを付言しておく。〈騙されている〉わけではない。
(4)「佐藤優という罠」(『AERA』二〇〇七年四月二三日号)中のコメントより。
(5)インターネットサイト「フジサンケイ ビジネスアイ」でほぼ週一回連載中の〈 Permalink | 記事への反応(0) | 18:37
ある作品で「首都が国土の中央部にないのはおかしい」というツッコミが入ったという。
だが、そもそも首都は国土の中央部にあるものだろうか。現代を舞台に検証してみよう。(シンガポール、モナコのような都市国家は考慮しない)
お手本のように中央部にある国といえばまずここだろう
そもそも北部のフラマン語(オランダ語)圏と南部のフランス語圏の中間に作った都市なので
アフリカ大陸の南東にある世界で4番目に大きい島+付属島を国土とする島国である。
・ベラルーシ(ミンスク) ・スロベニア(リュブリャナ) ・ラトビア(リガ) ・バングラデシュ(ダッカ) ・イラク(バグダッド) ・チリ(サンティアゴ) ・エチオピア(アディスアベバ) ・コロンビア(ボゴタ) ・パナマ(パナマシティ) ・ナミビア(ウイントフック) ・ナイジェリア(アブジャ) ・コートジボワール(ヤムスクロ)
厳密な中央はヌベールあたりか? ともかくCatBは初手がここであるからお察し。
厳密にはもっと内陸へ行ったところだと思うけれど、海洋国家だし。
厳密な中央はもう少し南西だと思う。
北島と南島が主な国土で南島の方が広い。首都のウェリントンは北島の最南部。
中央はもう少し南だとおもうけれど、まあ。
・メキシコ(メキシコシティ) ・セルビア(ベオグラード) ・チェコ(プラハ) ・スーダン(ハルツーム) ・カメルーン(ヤウンデ) ・ペルー(リマ)
・アメリカ合衆国(ワシントンDC) ・カナダ(オタワ) ・ロシア連邦(モスクワ) ・ドイツ(ベルリン) ・イギリス(ロンドン) ・ノルウェー(オスロ) ・スウェーデン(ストックホルム) ・フィンランド(ヘルシンキ) ・デンマーク(コペンハーゲン) ・オーストラリア(キャンベラ) ・中国(北京) ・韓国(ソウル) ・インド(デリー)
・日本
日本の四大島と付属島が均一な平面であるとすると、重心の場所は能登半島と佐渡島の間の海上になるらしい。
・インドネシア
島国はこういうときは分かりにくい。日本と同様に重心を出すとスラウェシ島あたりになりそうな気がする。
・イタリア
シチリア島とサルディーニャ島まで含めて考えれば、ローマは中央付近か?
国土が三日月型の国も難しい。首都のザグレブは割り引けば中央付近かも?
マレー半島部だけを見ればクアラルンプールは中央の範疇かもしれないが、カリマンタン島部を含めた重心は大ナトゥナ島あたりだろうか? ただし、大ナトゥナ島はインドネシア領である。
まとめ
・巨大な大陸国家では、水運(特に海運)の都合上どこかの海岸や大河沿いが首都になりやすい(アメリカ合衆国、ロシア、中国、オーストラリア、インド等)
・一方向でしか海に面していない国も、海運の都合上その海岸線近くが首都になりやすい(アフリカのギニア湾沿岸で顕著。あと北欧)
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだしたやつ。
去年の8月にも書いたが最近の岸田内閣で支持率の変動があったので追記。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典