はてなキーワード: 道央とは
例えば、品揃えのいい本屋があるから、こいつつぶそうってのをやるわけでしょ。
この二者はまさにそうなんだよ。
そういうことをすると、人から心が失われる。
心は金では買えない。
北海道の道央みたいなイオンもファミレスもない街で、周りが中卒と高卒しかいない陸の孤島みたいな地域が量産される。
北海道だけではなく、中卒と高卒が占拠してしまって、高学歴者が逃走した地域はもっとある。
高学歴者の逃走率は一定にしないといけないのに、倍以上に上げてしまった。日本に関する限り4倍くらいだろう。
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新自由主義が存在していなかったころは、どのくらいの規模の儲けにするかは人それぞれだった。
ところが、それを企業が平坦化してしまうと、町から個性が失われる。
個性が失われた町からは、奨学金すらも支払われなくなる。(北海道は道内格差があって、誰も直そうとしない)
新自由主義は大学の進学率がピークに達したアメリカ合衆国では有効でも、その途上の日本では有効ではない。
断っておくが、私は新自由主義が存在しなかった昭和の時代を賛美していない。むしろ否定しているほうだ。
低学歴9割の町ってのが日本にそこらじゅうあって、低学歴が音頭を取っていた昭和の地獄を蘇らせてはならない。
2020年の日本、日本の音楽大学の教員勢も国際コンクール組が主流となり、学生たちの人権は大いに向上したと思われる。しかし、目に見えないところで、少しづつ知的水準の劣化は進んでいる。
まだNHK-AM第1でアルフレド・デ・アンジェリスのタンゴが放送されていた当時、日本は極貧国家だった。小平邦彦さんは「日本の大学生の質が劣化した」と喝破していた。けれども、彼の世代は大学に行けるのが7%で、喝破当時14%なのだから当たり前である。小平さんはそんな統計データにも気が付かなかったのだが、自分が正しく自分以外はすべて間違いだと錯覚している日本人は珍しくない。今でも日本の田舎と地方は、自分が正しい人たちでいっぱいだ。
その極貧国家で高卒で国際コンクールのグランプリの取得に成功した人物が、武満徹さんであった。彼がグランプリを取得したことで、現代音楽に学歴は関係ないと錯覚する人物が多く出たのだが、そのおかげで注目してくれるスポンサーが大量に見つかったのだから、結果的には好都合であった。ミルトン・バビットさんはピッチクラスセット理論を開発していたが、そんなことに気が付く日本人は今とは比べ物にならないほど少なく、日本人の娯楽は酒と風俗とパチンコとたばこしかなかった。「低学歴で何が悪い!」が、通ったのである。ピッチクラスセット理論といっても、ここにいる増田の何人に通じるだろうか?
そんな日本も新幹線授業や新数学のおかげで教育熱が盛り上がり、教育ママゴンなる単語が出現した日本ではピアノブームが起きたが、相変わらず日本勢は国際コンクールで敗北の日々であった。園田高弘さんは1980年のルービンシュタイン国際ピアノコンクールの審査員席で、怒られたらしい。日本勢は何をやっているのかと。もう少しましに弾けと。それはそのはずで、ピアノをやらせている親はお金のある中卒か高卒なので、教養の質はいきなり向上できないのである。金は持っていても、無教養だよねえ日本人ってという言葉が40年前のヨーロッパではよく飛んだ。
その当時の日本ではピアノブームはあっても作曲ブームなんてものは全く存在しなかったので、作曲専攻は大いに肩身が狭かったと思われる。当時作曲科の受験は和声法、対位法、フーガ、ソナタを18歳で全部完クリしなければならず、そのためのレッスン費用もバカ高くなる。この間世間を騒がせた道央増田には想像もできない世界であるが、それでも片道5時間でレッスンを受けた人物も大勢いたのである。片道5時間程の悲劇ではない普通の家から作曲家としてダッラピッコラ国際作曲賞に輝いたのが西村朗さんであり、片道5時間レッスンを拒否して自称独学の作曲家になったのが、ルトスワフスキ国際作曲賞の江村哲二さんである。独学といっても、彼は各種国際マスタークラスに参加しているので、厳密には違う。
ルトスワフスキ国際作曲賞の江村さんの受賞作とダッラピッコラ国際作曲賞の西村さんの受賞作を、お聴きの増田はいるだろうか?おそらくいないはずだ。日本の知的水準の劣化はもうこの時に始まっていた。劣化が始まると、始めた人物が急に偉そうな態度をとるようになり、それが多数決になった瞬間に文化は崩壊する。
現代音楽の様変わりが始まったのは日本に関する限り1990年代で間違いがないが、二極化が進行していた。東京藝術大学を出ても調性音楽しか書けない連中から、高校と大学を飛ばしてヨーロッパ在住10年組になってまで国際コンクールのタイトル奪取を心掛ける者とに、分化が始まっていた。なぜこのような分化が始まったのかはわかっていないが、1980年代のフリードリヒ・ホンメルさん時代のダルムシュタット講習会がもうジェイムズ・ディロンさんやクリス・デンクさんやリチャード・バーレットさんやカイヤ・サーリアホさんやアレッサンドロ・メルキオーレさんを擁するレヴェルであったため、日本人の知的水準では理解できないところにまで遠くなってしまったのが大きかったのではないだろうか。
長髪のディロンおじさんがクラーニヒシュタイナー音楽賞を獲った曲ってなんだったっけ?Parjanya-Vataだよね。これを弾けるアジア人のチェリストは2020年の現在、まだ存在していない。もう40年前のチェロ独奏曲だが、もう日本人では弾けないだろう。40年前の音楽すら消化できないのが、日本のチェロ業界である。
2000年代に入ると、日本は現代音楽の報道をほとんどしなくなり、藤倉大さんや望月京さんのようなヨーロッパ在住10年組の応援だけはNHKとTBSでやる、いびつな国家になった。武満徹さんがもしも生きていたら、このような偏向報道に異を唱えたであろうが、もう遅かった。日本人はいくら知的水準が劣化しようが、自分の頭だけが大事で、他はもうどうでもよいのだ。私は「それは仕方がない」という立場に立つことはできない。日本人が今のロシア人のように、すべての領域で国際コンクールを制覇する程の教育の底力があるのであれば私は折れるが、今の日本人はガチで勝負して来いといわれると一発で刎ねられるのだ。
そのガチ勝負の典型例が今年のブゾーニ国際の予備審査とロシアのNew Classics国際の譜面審査ではないだろうか。私の想定の範囲内だったが、日本人は全員落ちた。これに危機感を持てないようでは、どこの分野でも日本人は早晩通用しなくなるだろう。そして、2030年代は、落ちる人も通る人も、すべてが中国勢にとってかわるのである。
落ちてもいいという増田もいるだろう。しかし、落ちてもいいが多数派になったとき、日本の知的水準は1960年代に逆戻りし、だれが何をやってもうまくいかないという未来が待っているはずである。まだ日本はヨーロッパ在住10年組でかろうじて最先端についていけているが、10年後はこれができなくなるはずである。今の日本の大学生はMusik-Konzepteも読まないし、Perspectives of New Musicも読めない。鬼滅の刃は読めるらしいが、いったん劣化した知性は、元に戻ることがないのである。道央増田のような人材を放置し続けた結果が、日本の今の現代音楽である。東京が腐ると地方も腐り、田舎も腐る。
この増田が道央出身1990年代生まれであれば、おそらく1985年から1996年までの東大入試のことは何も知らないに違いない。
東大といっても、1960年代と1990年代と2020年代では全く以て意味が違う。ネット上に大量にアップロードされているので、時間があれば1985年から1996年入試までの東大の理系数学の問題を読んでみるとよいだろう。後期のいくつかは、完答を想定していないのではないかと思わせるものもあった。
かつての東大生ならedition text+kritikのMusik-Konzepteを読めたのである。これは嘘ではない。実際に読んでいた東大生が私の知人で、名前は伏せさせていただくが、その方は還暦を過ぎた。今の東大生はどうだろう?櫻坂46を聴くのが関の山ではないだろうか?
いま、Musik-Konzepteの近刊はなんだろうか?各自で検索してみればよいだろう。そこで取り上げられている存命作曲家のほとんどを、もう日本人は消化できない。日本は没落したのだ。
東大が日本最高の最高学府で、なおかつ日本最高のエリートを揃えることができたのは1990年までだ。それ以降は下る一方でしかない。下っていけば、道央増田ですら乗り越えられるハードルになるのは当たり前である。あと30年たつと、東大でも吹奏楽か合唱にトライするのが限度で、フルオーケストラは書けなくなる可能性が極めて高い。新実徳英さんや柴田南雄さんは、かつて、書けた東大生であった。
東大がどこまで下るのかは東大生の間でもわかっていないが、日本の新生児が60万くらいになるまでは下るだけの存在である。上ることはない。
これは田舎だと普通にある話だが、楽器のレッスンの片道数時間は当たり前である。ピアノのレッスンに片道5時間なんてことをやっていた私のような存在も、もう過去のものになりつつあるし誰も信用はしないだろう。途中下車で降りて、駄菓子屋さんによってお菓子を買うなんてことをやっていた。その土地にはコンビニがまだなかったのである。
2週間の滞在のためのビザを取るのに片道4時間30分もやったことがある。特殊なビザなので、渡航地域は限定されてしまうが、各自で察していただきたい。
何をするにも片道数時間の経験を持つ学生は、有能な人が多い。最近は、片道数時間の教員もいる。その方は、退官されたが優秀な方であった。道央増田も、文面を読む限り優秀な方であることは間違いがない。専門書をバイトして買う、というのが引っ掛かったので、いろいろと調べてみたが、ハーツホーン、松村、マックレーン、ジェイコブソンあたりなのかもしれない。(ゲルファントではないだろう)
この道央増田の怒りを鎮めるには、東大よりレヴェルの高い大学を作るしか方法がないのだが、日本にそのような財力は、ない。いずれ理III以外の東大生の学力は、2040年代には全ての地方大学医学部の学生の能力を下回るだろう。2020年代末期の理III以外の偏差値は、おそらくは単科医科大のすべてを下回っている。
今の学生は与えられたことはきっちりやってくるものの、それ以外が全くないので、国際競争に耐えられるかどうかは疑問である。1990年までの東大は、賛否両論はあれど、何とか耐えられたのである。
今、人口統計を調べてみたら、この道央増田の出身地より、私の出身地の人口のほうが少なかった。これは調べるまで分からなかった。ただし、交通網は私の出身地のほうが勝っているため、バスや電車で目的地に着くことは当然ながら容易である。
道央増田の出身地近辺を調べてみると、私の出身地近辺も同様の問題が発生していた。
まず「潰れる本屋」である。私のところは4軒もつぶれて、2軒の新規が入ってきたが、品揃えは元に戻らない。大学生を想定する書籍は今もなお少なく、元通りにならなくなってしまったジャンルもあった。
その次は「教育水準の低下」だ。大学進学率が上がっているのに下がることなどあるのだろうか?田舎ではこれは頻繁に起きている。私の中学校の進学率は、全盛期の1/10である。ここまで減ることは想定していなかった。
教材格差や講義格差がなければ、田舎や地方の児童はどこまで飛びあがるのだろうかという問題は、実は1990年代から提起されている。1990年の時点では「どうやっても田舎者や地方人が勝利することなどない」という主張で世論は一貫していたが、この問題を危惧する教育者はもういた(一部の東大生が杉浦の解析入門を読めなくなったため)。2035年には、この問題が表面化しているに違いない。
私は愚痴るだけの人間ではないので、解決策を挙げておく。国内の全ての公立学校に、偏差値別クラスの併設を義務付けることではないだろうか?昭和の時代なら一笑に付されたのだろうが、今はYoutubeで配信された映像をRaspberry Pi 400で視聴することが日本国内ではどこでも可能である。これなら、通学2時間に耐える必要はない。
北海道の某道央バス会社はちゃんと行きと帰りでしっかりと2つバス停を用意してくれている。これは素晴らしい。私の故郷はもうそれもできなくなってしまい、片側に1つあるだけだった。
都民増田のホームアイランドは式根島だよ。行政区としては東京都新島村になります。
といても増田、山手線内で産湯を遣い、わずかな期間以外は23区内を転々と暮らしているので、些かその「ホーム」は勝手にこっちが思っているだけだけどね。後述するよう、向こうにとってはかなり迷惑な客であることは認めざるを得ない。ただし一応まだ客のうちだとは思うけど。
ちなみに、小中あたりの地理では「東京に村は一つだけ、桧原村」と教わります。うん、つまりなんだ、島嶼部はあんまりやらないんだよね。都領土に島嶼が含まれるのはトリビアルな知識、例えば沖ノ鳥島が東京都だとか、そういうことで意識する気がする。そしてそれはトリビアルであるがゆえに全員必修ではないわけさ。
さて、なんで式根島をホームアイランドに据えたのかというと、単に学生時代に増田所属のパーティでキャンプしに行ったことに始まるわけです。この島、4平方㌔ほど(つまり2キロ×2キロに収まるってことさ)で、形としては天気予報の地図位デフォルメした北海道に似ている。方角も同じだ。そのサロマ湖あたりがフェリーがつく港、釧網線沿いに民家・学校・役場(支所)が密集し、その外れの釧路あたりにアウトシーズンのキャンプ場がある。道南・道央辺りは人もおらず開発されていない(と思う)。襟裳岬あたりに2湯3カ所の露天風呂が湧いている。オンシーズンのキャンプ場は天塩辺りに存在し、町からやや離れる。で、肝心なのはキャンプ無料、温泉無料、狭い島だから歩けばどこでもたどり着ける、という手ごろさにあるわけです。シーズンなら人がいない=超きれいな海で遊び放題だ。海水浴は皆入り江で安心感がある。釣りもいいらしいけれど増田にそれは判らない。
かといって、全く社会から途絶したところでもないので、飯酒生活具の類はパッと買うことが出来る。電波もバリ3。これは楽。交通は船だけで、これは夜行便で寝てる間に着いちゃうし、パッキングしておけば仕事終わりでも突っ込める。船賃は値切る手もあるし、何より船旅はそれが近代化されきったフェリーとはいえ、旅情があってよろしい。
なので、暇を見つけてはテントかついでソロで通ったわけです。就活疲れもここで癒したし、付き合ってたねぇちゃんを連れてったこともある(その時はさすがに民宿を取って俺も出世した屋根のあるところに入ったと思った)し、その別れの傷をナメに戻ったこともある(このときはテントに逆戻り)。特に震災のちょっと前は数年連続で年越しキャンプまでしていた。
ただねぇ、このフリーさが島にとっては仇になった。増田が数年年越しを欠席していた間に、年末キャンパーが火の粉を飛ばしてあわや火事になるというインシデント(と伝え聞いたが本火事だったかもしれない)で、冬季のキャンプがダメになりました。冬場は風が強いんだよここ。まあ、しょうがないね・・・。あと、キャンパーなんだか、プロの野宿者なんだかわからない人間が数人伊豆諸島を回遊している、という話があってこれもキャンパーがうさんくさがられる理由であった。2・3カ月すると役場の奴がやんわりと追い出すのだという。それを4・5島で繰り返して一年過ごすんだそうだが・・・。こっちはニアミスしたことがある。古い馬鹿でかいテントがキャンプ場の奥にあって異常に生活感があるんだが、動いている気配がない。あと、こういうところに遊びに来るような奴は挨拶ぐらいはできるんだけど、一切そういうの無し。これが噂のそれか、と感服した(が、持ち物の管理は厳しくやった)。
あと、航路にジェット船が投入されてオフシーズンは夜行船がなくなった。加えて増田は小金を持つようになり、他のところに行けるようになっちゃった。休みの数に限りがある以上、他のところに行くとどうしてもご無沙汰になっちゃうわけで(というほどの顔見知りがいるわけでもない)。
無論、東京都の伊豆群島はもちろん、他の県の離島なんかも行ったことはあるけど、思い入れがあるのはやはり式根で基準も式根。だからまあ、増田の中ではホームアイランドは式根島、ってことになるわけです。まあそんなきもいの設定してる奴はそんなにいないと思うけど。
あと、都民的な興味では小笠原も一回は行きたい(都民でなくても多分行きたくなったと思う)んだが、あそこは、ほれ、"日帰り"で行くのは勿体ないじゃない? だから当分は無理だねぇ・・・。
この記事見てニセコに行きたくなった人たちに全力でプレゼンしてみる
まず、滑りたい人たちへ。といっても自分はヒラフしか詳しくないけど
ニセコは雪がいいとは言う。パウダーの軽さなら道北や道央の方が軽いのだけど、軽すぎると失速したときに立て直しが出来ないのである程度の腕前がない限りは軽すぎると却って楽しみを損なってしまうものだ。
その点ニセコの良さは、軽すぎないというところ。
コースレイアウトも一箇所を除いて、すばらしく長いコースをビギナーの腕前でもなんとか降りてこられるし、最高に広くて速くて風にも強いゴンドラ(これは愛知万博で使用されていたものを買い取ってカスタマイズしたもの)で快適に周回できる。
滑り終えたどの地点にも広いヒュッテが配置されており、休憩のタイミングがバラついても全く問題にならない。ゲレンデが広すぎて集合に苦戦するかもしれないので事前の打ち合わせは必要だとは思うが、スマートフォンをなくさないように数名(できれば全員)持っていれば済む。
コースレイアウトで例外的に不可避な難所は「第二の壁」という地点なのだけど、ここも相当変則的に避ける方法が一つあるのと、スノーボードでなければそこまで難しい斜面というわけではないので無理せず木の葉落としで降りてもらうしかない。
スノーボード初心者の人たちだとむしろニセコ連山のアンヌプリがおすすめになるのかもしれない。しかし初級者以降の腕前か体力がある、スキーヤーが多いなどといった場合はヒラフ&花園をおすすめしたい。あのゲレンデには雪山の魅力のほぼ全てがある。地形、圧雪非圧雪モーグルのバーン、近年どんどん良くなっているパークレイアウト。
もっと気軽に観光メインでという人々に耳よりなのは、ヒラフエリアはオシャレなカフェレストランがとても多いと言う事だ。
簡単に行ける範囲でおすすめを列挙する。定番のjojo's cafeとグラウビュンデンの両雄はどちらも素晴らしい軽食とスイーツが楽しめるカフェで、老舗故にアメニティすらもひたすら良い。もし天気が悪く宿泊先からこの二店舗に行っただけで一日を終えてしまったとしても、全然すばらしい休日になることを賭けてもいいくらいだ。食事はどちらも王道のメニューで、このエリアでは例外的なコスパがある。jojoカフェのブラウニーとフレンチプレスのコーヒー、グラウビュンデンのチーズケーキと紅茶は滞在中の滑る時間を削ってでも試しておくべき。
滑り志向の方々にはゲレンデ内の食事も、割高にはなるがスキーブームの頃を知っているならば隔世の感があるのではないかと思う。エースヒル、タンタアン、HANAZONO308はもう一つのヒュッテキングベルに比べればカフェ飯志向(やや割高)。ウェルカムセンターのホテルアルペンの食堂か食彩比羅夫もある。
ラーメンでベストは風花だ。ひらふ坂の店が目に入るとは思うが、空腹が過ぎるのでなければ5分ほど無料シャトルバス乗り場で待ち、でひっきりなしに周回しているハイエースのようなバスの「泉郷」を経由するものに乗りましょう。(因みにこのバスは完全無料で4パターンの行き先があり、使いこなすと飛躍的にひらふの満足度が高まります。)
風花もメニューは王道のニセコラーメンがおすすめ。ちぢれ中太麺に絡む味噌のクラシカルな味わいの上に、じゃがいもポタージュのエスプーマとバターの香りが合わさる濃密な味わい。超達者な英語でテキパキとホールをさばく店長さんの美しさも行くたび感動する。
風花が泉郷に移転してしまったが、ここには前述したグラウビュンデンともう一個、スープカレーのつばらつばらという3つの良店が固まるエリアになったので却って紹介するぶんにはわかりやすくなった。
泉郷から更に先にはそばのいちむら、格調高いカフェMozart、絶品シュークリームとイタリアンディナーのL'ocanda、更に少し離れてジェラートのルヒエルがある。ルヒエルは特に車がないと行けないレベルだが、サイクリストでもある方がおられたら羊蹄山周遊の折、地元パン屋の雄ホワイトロックの直営カフェと並んで居心地の良い休憩スポットになるだろう。
ついでに倶知安の店も少し。中華はベーシックな広華、点心の籠堂がおすすめ。和食な日本料理 佐藤が酒も肴も握りも良い。素材は北海道、腕は都会の洗練がある最高のやつ。しかし一番のおすすめは成吉思汗の廣松。ここはあえて説明をしないが、タイムスリップしたかのようにかつての倶知安も味わえる名店。おっちゃんおばちゃん元気でね。
ひらふから反対に行けばまた色々あって、東山でソフトクリームの高橋ミルク工房、ベジビュッフェのプラティーボ、エリア最高のジンギスカンが楽しめるロフト倶楽部、紅茶専門店ルピシア直営カフェ
ニセコ町エリアはほんとに詳しくないけど本格ナポリピッツェリアのデルソーレ、そばの楽一、SEEDベーグル、高野珈琲店はどれも名店。
車があるなら更に進んで真狩エリアの温泉&高級フレンチマッカリーナ、ブーランジェリーJinで買ったパンにトゥルモンのコンフィチュールとニセコチーズ工房のフレッシュチーズを併せるなんていう世界一の朝食を取ることだってできる。
京極町のうどん野乃傘も忘れ難い、夏前の輪行で食べた天ぷらにはアスパラの概念を覆される衝撃を受けた。
なんか食い気に走りすぎたけど、滑り以外の人が多いかと思ってひとまずこんな感じで
本当はまだまだまだまだ語り尽くせぬ思い出とそれ以上の魅力がこのエリアには満ちています。
今年はちょっと久々に雪も足りてるそうだし、行かない手はないんじゃないでしょうか。
元記事でもありましたけど、この貧しくなったと言われている日本でも尚、世界と比べればウィンタースポーツを楽しむために必要なハードルはとてつもなく低く、かつ得られるクオリティは世界有数です。
この優位さをぜひ一度は享受してみて欲しいです。因みにレンタルギアはニセコ、ルスツともにクオリティが高いものも使用できるようになっていたりします。が、繁忙期は予約が必要なほどなのでひらふの場合はグランヒラフレンタルかニセコBOOMSPORTを利用するのがベストです。レンタル最大手のRYTHEMはジャパニーズスピーカーが少ないので英語ならば細かい対応を受けられるはずです
・海産物
ほぼ北海道の圧勝。東京はほたてちっちゃいし、しゃけ生臭いし、いくら高すぎ
でも、鯛とか鯵とかは北海道ではあまりみないし、東京の方がおいしいんだと思う
・野菜
北海道のスーパーや給食に出てる野菜が同級生の畑のものだったりする
特にじゃがいもは北海道のおいしいよ。ぎっしりだよ。玉ねぎも違いがわかる。とうもろこしも
平均的な飲食店は大して変わらないし、むしろ東京の方がおいしく感じる。やっぱ競争力あるからかな
・寒さ
北海道の温度的に寒いけど、東京の方が歩くし風強いしで寒さを感じやすい
あと東京のコート薄いし冬靴なのに防寒しないので役目を果たしてない
・家の中
東京さむい。窓とドアが二重じゃないのがいけない
東京の家は窓とドアは二重にするべき。二重じゃないとスタイロフォーム入れられないじゃないか
・結論
海産物と野菜は北海道おいしいよ!道央や道東・道北に食べに来て!
・他県のこういう話きいてみたい
自分は旅行が趣味だが、定年を迎えた後、「東京から各地へ1泊2日のワンショット旅行を繰り返す」というのは、
極めて非効率な気がする。
例えば北海道であれば、札幌のウィークリーマンションに腰を落ち着けて、そこから日帰り旅行なり1泊2日旅行を繰り返す、という方が、
もっとも、定年を迎えたら体力も衰えるから、毎日旅行するのはツライし、そんなにカネも続かない。
だから例えば
てな按配で、1ヶ月程度札幌に滞在すれば、札幌200キロ圏は概ね旅行し尽くして、
体力も温存でき(荷物移動がないから)、費用もそんなに掛からない、という気がする。
「休み」の日も家に閉じこもるんじゃなく、適度に札幌市内の近場を楽しむ。
「土日」は混雑するから、定年後の身分としてはなるだけ外出は避けたいが、
「土日しかやってないイベント」の類もあるから、その辺は適宜。
「ウイークリーマンション」の類は、調べてみたら、県庁所在都市レベルの大きさの町だと存在しているようなので、
それを「ハシゴ」する。
ということで、65歳定年迎えてから、74歳になるまで、9年間で、概ね日本・世界都市の主要スポットを訪問できるような
65歳になって、カネと健康に恵まれていたら、実践してみたいものだ。
A期間=4月10日~4月25日
B期間=5月15日~7月15日
C期間=9月1日~10月31日
D期間=11月15日~12月15日
E期間=1月15日~3月15日(この期間は春節に注意!)
65歳D期間:下関を拠点に山口県制覇した後、熊本へ行って、熊本を拠点に熊本県制覇
66歳C期間:釧路を拠点に道東制覇した後、旭川へ行って、旭川を拠点に道北制覇
66歳D期間:神戸を拠点に兵庫県制覇した後、大分へ行って、大分を拠点に大分県制覇
67歳D期間:広島を拠点に広島県制覇した後、鹿児島へ行って、鹿児島を拠点に鹿児島県制覇
67歳E期間:ナイロビを拠点にアフリカ東部制覇した後、ケープタウンへ行って、アフリカ南部を制覇
68歳D期間:名古屋を拠点に、愛知県岐阜県三重県を制覇した後、宮崎へ行って、宮崎を拠点に宮崎県制覇
68歳E期間:ムンバイを拠点に、インド西部を制覇した後、デリーに行って、インド北部・ネパール等を制覇
69歳C期間:ウィーンを拠点に、オーストリアやハンガリーなどを制覇した後、ワルシャワに行って、ポーランドを制覇
69歳D期間:徳島を拠点に、徳島県制覇した後、高知に行って、高知県を制覇
69歳E期間:リオデジャネイロを拠点にブラジル制覇した後、ブエノスアイレスに行って、アルゼンチンを制覇
70歳B期間:コペンハーゲンを拠点に、デンマークを制覇した後、ストックホルムに行って、スカンジナビア3国を制覇
70歳C期間:ロサンゼルスを拠点にアメリカ西海岸制覇した後、バンクーバーに行って、カナダ制覇
70歳D期間:福岡を拠点に福岡県を制覇後、長崎に行って、長崎県佐賀県を制覇
70歳E期間:ホーチミンを拠点にベトナムを制覇後、マニラに行って、フィリピンを制覇
71歳B期間:シドニーを拠点にオーストラリアを制覇後、オークランドに行って、ニュージーランドを制覇
71歳C期間:ドバイを拠点に、アラブ諸国を制覇後、テヘランに行って、イランを制覇
71歳D期間:高松を拠点に香川県を制覇後、松山へ行って、愛媛県を制覇
71歳E期間:マドリッドを拠点にスペイン制覇後、リスボンへ行って、ポルトガルを制覇
72歳B期間:モスクワを拠点に、ロシアを制覇(ヨーロッパロシアだけだが)
72歳C期間:札幌を拠点に道央を制覇後、函館に行って、道南を制覇
72歳D期間:松江を拠点に山陰を制覇後、那覇に行って、沖縄を制覇
72歳E期間:イスタンブールを拠点にトルコを制覇後、アテネに行って、ギリシャを制覇
73歳D期間:静岡を拠点に静岡県を制覇後、和歌山へ行き、和歌山県制覇
73歳E期間:シンガポールを拠点にシンガポールマレーシアを制覇後、ジャカルタへ行き、インドネシアを制覇
・A、B、C、D、E期間:ハイシーズンを避けている
・たまに(2~3ヶ月に1回)、東京の自宅に戻ることを想定している。
・「キャンピングカーを買えばいい」という話もある。
確かにその通りだが、キャンピングカーで連泊するのは、体力的にどうかなあ?
・いっそのこと、東京の自宅を売り払って、
1~2年は札幌を自宅とし、その後は福岡に移り住んで・・・というジプシー生活を送るのも、いいかも。
・定年を迎えたら、世界一周航空周遊券を買って1年間世界を豪遊し、
その後で福岡辺りで再就職&転居して、九州・中四国・韓国・中国を旅行しまくる、というのもいいかも。
・でも結局、孫ができたら、それを最優先にするんだろうなあ。
・東京から100キロ離れた県(例:栃木)を複数周遊する場合、カーシェア使用前提だと、宇都宮に拠点移した方が、安いのかなあ。
100キロ先まで観光するなら、6,500円+100キロ×2×15円=9,500円。その差5,600円。