はてなキーワード: 便宜上とは
あのタグに参加していた人たちの発想と画力は凄くて、見ていてとても楽しかった。
せっかく素敵なタグを発信してくださったのに、本当に大変な目に遭っておられたと思う。
タグ発信者さんに非は全く無いことを前提として、ちょっと思ったことを書きたい。
騒動は、確か「育てたものが育てられたものに恋人的な役割を求めるという気持ちを現実に持ってきてはいけないよ」的なツイートがあって、それに「想像と現実を混同するな!」「これはあくまで人間ではないものと人間の話だ!」と反発があがって、そこからいろいろな人がいろいろな意見を述べて…というものだったように思う。
最初は、「現実に持ってきてはいけない」ツイートを読んで、水をさされた、と思った。
だけど、そのツイートの発言者さん(便宜上『彼』とする)のその後のツイートを見て、じょじょに考えが変わった。
彼はなにも某集会を否定したのではなく、ただ、創作者として、『そういう気持ちを現実に持ち込んではいけない』ということを自覚しろ、と述べただけだった。
創作の世界は何をしても良い。ただ、『現実に持ち込んではいけない感情』を『創作物として』自分は今『楽しんでいる』ことを自覚しなければならない。
育てるものと育てられるものには明確な力の差がある。性別に関係なく、育てるもののほうが上位に立つ。
だからこそ、いつ『育てるもの』になるともしれない人達(親になったり先生になったりいろいろある)は、『自覚』をもたなければならない。薄暗いものを、薄暗いものとして愛でるのは大事だ、と。
たぶん、そういうことだったのだろう。
それはまあ、確かにそうだな、と思った。
他にも、これは彼の意見ではなかったが『最初から愛玩用として育てたんならまだしも、実子のつもりで育てたら、愛されて恋人になるなんて気持ち悪い』という意見があったように思う。
と、まあそのような感じで『育てるもの』と『育てられるもの』の意識についての問題的があったわけだ。
育てるって、身近な行為で、そのわりに与える影響がでかすぎるから。
この件について、彼がまたツイートしているのを見かけた。
正直、言い方がきつかったのは認める。自分はかつて母親に恋人の役割を求められたことがあって、そのトラウマがあるから、あれがたとえ創作なのだとしても見るのが辛かったんだ、と。
大体そんなようなことを言っていて、なるほど、トラウマを刺激されてしまったんだな、と思った。
創作があって、その創作を楽しんでいた人達がいて、でもちょっとそれは薄暗い内容で、中には薄暗いものを薄暗いものだと感じる意識が薄い人がいて、それを見た人の中にトラウマがある人がいて、嫌悪感をもつ人もいて、それが騒動になった。
母親ないし父親がみんな優しい、理想的だとは限らないから育てるものと育てられるものにまつわるトラウマの発生率は結構高いんだろう。だからこそ騒動は大きくなった。
結局、どうあれば良かったのだろう?
創作は自由なんだから、文句をつけないで!現実と創作は別物! という意見もわかる。
創作だって現実に影響力はあるし、薄暗いものと薄暗いものとしてきちんと自覚しておくことは必要、という意見もわかる。
たぶん、『どんな創作をしても良いけど薄暗いものは薄暗いものとして自覚をもとうね』が結論なんだろうな。
自覚が無いなら、その自覚が無いという点につき危機感を抱こうね、と。
うーん、難しい。
悲しいことに、あの創作は、一人の人間のトラウマを刺激し、辛い思いをさせてしまったようだ。
『そんなつもりはなかった』で相手を傷つけることができるのが悲しいな。
いつかなにかで傷ついて、トラウマをもっている人がいて。
そしてその人が、別にその人に直接向けられたわけではないものでトラウマを呼び起こされて、きつい言葉を使ってしまう。
ループしてるね。
彼の言いたいことはわかるし、トラウマは辛かったんだろう。
でも、彼の発言で創作に水をさされた人は『傷ついた』と言っちゃいけないんだろうか?
まあ、要するに「トラウマがあるから○○してしまった、許してくれ」という言い方に違和感を覚えたって話。
許さなきゃいけないのかね。
その為された○○によって、別の誰かが傷ついているじゃないか。
でも、トラウマがあるから○○してしまって、それは多分止められるものじゃないんだよな。
だからやるわけだし…。
どうすれば良いんだろう。
このループは、だれのところで止めたら良いんだ?
anond:20170907175522 に対する何かしらの反論記事。先にこちらを読んでおかないと意味が通じないのでご注意。
『アイドルマスター シンデレラガールズ』に登場するアイドルに、「上田鈴帆」という子がいる。
今回は、この増田Pにヘイトがたまったわけではない。つまり反論というほど反論でもない。
ただ知ってもらいたいことはあったりもする。鈴帆Pは見ないほうが良いかもしれない。
デレステで彼女はほとんど露出はないのだ。今なおサマカニ!っきりだ。
リンク先の増田Pの話は、「上田鈴帆が人気がなく個性的なだけでボイスがついて、SSRも確約されている」といった趣旨だったが、あれから半年、彼女はデレステに顔を出してはいない。
気になったPはデレステで少しで良いのでメンバーに上田鈴帆を入れてプレイしてみた後、コミュを見てほしい。彼女のコミュの数を。
2。2だ。メモリアル2でここまでです、だ。
他の声付きアイドルのメモリアルは2ですか?こんな運営に冷遇されているアイドルに嫉妬する必要は、まずない。安心しろ。
「個性的な顔や衣装だからSSRでも色物扱いになり回す人は少なくなる」との言葉もあった。彼女は個性的で、正統派からは程遠い、と。
便宜上)「彼」は見た目にこだわりすぎているような気がした。上田鈴帆に見た目以上の魅力がないと思われているのかな、と。
例えば上田鈴帆の場合、まずは奇抜な恒常衣装だろう。間違いなく。だが恒常だ。つまりいつでも手に入る。
彼女をうっかりでも手に入れたからにはどうする?とりあえず踊る姿を見るだろう。そういう魅力は彼女にはある。
それで嬉しいか?と言われれば、とりあえずスクショを撮る人のほうが間違いなく多い。
そして、「コミュで見ることが出来る魅力は一部でしかない」との言葉があったが、それはそうだ。
見た目で興味を持ってもらえる子、「ただ可愛い子」ではない上田鈴帆という子に対して「スクショを撮る」興味は好きか嫌いかの判断材料にはなりうる。
その上でその時追加されたコミュを見て好きになってくれればいい。それだけだ。
諸星きらり。180cmオーバーの色物として出た彼女に、人気がないといえるのだろうか。
双葉杏。あんずのうたが正統派アイドルソングと呼ばれたことはいまだかつてあっただろうか。
わかり易い例であんきらを出したが、そもシンデレラガールズは色濃いキャラクター、尖りきった原石をアイドルに仕立て上げるゲームだ。
色物が揃っている中で、私は「上田鈴帆が浮いている」とは微塵も考えてはいない。個性の一つだ。
「彼」の担当だって、何かしらの個性を抱えたアイドルなはずだ。
否定されるとキツいのもそうだが、個性の否定って実際何になるのだろう。いくらべっぴんだろうとみんながみんな同じこと言っていればゲームに魅力はないと思う。
だって、いくらこのゲームが人気で収益がすごいとはいえ、誰にでもSSRを実装するほどの状況にはまだないはずだ。
本当に「彼」が上田鈴帆が嫌いなら、「SSRが出たからといっても回さない」というPが大勢いた所で不都合はないはずだ。
不都合があるのは、「回すわけ無いじゃんw」なんて言われた担当P側であって。これ言われるときっっっっっっついぞ。
もちろん、「彼」が運営側の人間なら、お金が入らなくてヒィヒィ言ったのかもしれないが、Pの視点で語っているのでそうではないだろう。
「彼」は一体何と戦っているんだろう。
「あんな不人気が声付きなだけでSSRになるなら正統派の可愛い子を」の発想なのかなとは思うが、もしそうなら安心してほしい。
不人気だからデレステが冷遇する、人気だからデレステが優遇するといった事実はないのだ。むしろ51位のアイドルのSSRラッシュに、私は喜び震えている。
早くしてくれ。頼む。上田鈴帆。
もしあなたが上田鈴帆さんが嫌い、個性派が嫌いだとしても、それもまたアイマスなので受け止めます。
でも、あなたの担当の万年51位のアイドルは「個性がない正統派」アイドルなのですか?
もしあなたの担当にSSRが来た時、それで「ガシャを回す」興味を持ってもらえるのは、ある程度「デレマスを、その子を知っている」人だけでしょう。
なぜなら、有名な声付き正統派アイドルだっていますから。知らないし話題にならないし声がついていない子で回す入りたての人はそうそういないでしょうね。
あなたのいう「スポットライトを浴びる」というのは、話題性あってのものですので、個性がなければ埋もれるのでしょう。
その考えでは、その子がスポットライトを浴びる日は永劫来ません。スポットライトは当てるものだからです。うじうじしてんじゃねえ。
>公式でファスライ組のことをスタメンと呼んでおり、その時点で格差を生んでいる。
>その他のユニットは一部を覗けば全員ファスライ組と同じく初期からいたユニットであり、ただ「早くに声がついただけ」で格差を作るというところが運営に不満が集まる原因かと。
公式でそんなこと言ってるんですか!?と知らなかったので調べてみました。
確かにアニメに関するインタビューで「6つのユニットをスターティングメンバーとして描くことにしました」と明言していますね。
これに関して私はですが、文章を読むと「6ユニットをメインのユニットとする」と明言しているわけではなく
あくまでスターティング、先陣を切るのはこの6ユニット、と受け取ったのでそこまで気になりませんでした。
ですが、スタメン=レギュラーやベストメンバーに近い認識になっていること
「先発」に過敏になっている人が多いこと
運営のこれまでの行いでまた格差がつくのは目に見えていることを考えると
スターティングメンバーという言い方は軽率というか、Pやファンの気持ちをわかっていないんだな……と感じます。
>人気のあるユニットの露出が増えるのならばなんの問題もないが、スタメン組のユニットは「早くに声がついただけ」のユニットであり人気ユニットの集まりではない。
>不人気なのに露出が多ければ、「運営に贔屓されている」と考えるのは自然だし、当然いい気はしないだろう。
まだ浅いので感覚では人気不人気は分かりませんが、昔の人気投票やボーダーなどを参考にすると確かに違っていそうですね。
ただ、攻撃的につぶやいている人やその内容を見ていると
多分この人たち人気ユニットが優遇されていても文句言うんだろうな、と感じています……。
人気ユニット優遇は売り方の一つですし、売れる方法を考えたうえで
いわゆるスタメン組を推していく形をとったのであれば私は全然良いと思っています。
(その売り方が実際に良いか、好きかどうかは置いておいて)
>自分も理解できない。一部のただの馬鹿か性格の悪い馬鹿だと思う。
>そういうひとは大抵主語も声も大きくて厄介なのでブロックするといい。
>本当に馬鹿みたいに格差のあるジャンルなので、どちらかと言えば不人気なのに運営に優遇されているユニットやキャラの担当の方の多くは、無神経に喜ぶひとは少なく心苦しく思っているひとの方が多いと感じる。
>それでジャンルを離れるひとも沢山見てきた。
ですよね、ほんの一部だと、その人たちの声が大きいだけだと信じたいです。
心苦しく思う気持ちとても分かります……正直、私も担当(まだ新人なのでおこがましいですが、便宜上こう呼びます)がスタメン組だと
あ!それでそこまで憎しみがないのかもしれません。
担当が優遇されて曲はいっぱい出るかわりに悪意を向けられて神経をすり減らすくらいなら
多少不遇でも細々好きでいられる方が良いと思っているのかもしれません。
残念ですが、おそらくPには向いていない思考ですね。
>あとは憶測になるが、このジャンルでは声優の発言がキャラクターの発言にされる逆輸入という現象があり(これもどう考えても上手くやらない運営が悪い)、それで何となく一部の中の人を苦手に思うひともいるのだと思う。
声優さんにそういった意図はなかったようなのに、運営のせいで声優さんもPもファンも嫌な思いをしたという感じですね……。
少し自分の中で腑に落ちました。
自分が正社員で、周りに契約社員やパートの人が多いので、何にどの程度使うのが普通なのかよく分からなくなっている。
自分の感覚ではランチは1,000円ぐらいが普通で、ちょっと相場の高い場所ならプラス200円とか300円かかっても仕方ないと思うけど、カップ麺一つとおにぎりとかでランチを済ませる人もいるので自分がいくらのランチを食べているのか言いにくい。
ブランドものの洋服とかにはあまり興味がないけど、ユニクロぐらいの値段のものなら、欲しいと思ったときにすぐ買いたい。懐が暖かくて物欲が盛り上がっているときは2~3万ぐらいのものも躊躇せず買う。
さすがに5万円超えとか10万円単位のものは悩むけど、ボーナス直後とかなら買っちゃうかも。これって贅沢なの?それとも扶養家族とかいなければ普通なのかな?
追記:以前「贅沢をしても全然楽しくない」みたいな桁違いのお金持ちの人が投稿してたけど、そういう自分とかけ離れた世界で生きてる人より、「自分もそのくらいの収入が欲しかった」と思われるレベルの小金持ち(便宜上そう呼んでおく)の方が妬まれやすいんだろうか…。私もそこそこ恵まれてるんだろうけど、あまりにもセレブな人の生活って想像つかなすぎて羨ましがる気もしない。
大東亜帝国なんて受験界では呼ばれてる大学の1つに通う大学3年生。
便宜上タイトルではFランって言ったけど正直Fランとは思っていない。まぁ早稲田生とかから見れば思いっきりFランなんだろうけど。
就職活動をしなければならない。
どうしたらいいんだろう。
なりたいものなんてない。
金融は嫌だ(多分向いてない)、アパレルは嫌だ、バイトでもできる仕事(店舗勤務)は嫌だ、家賃補助が欲しいもしくは社宅に住みたい、東京で働きたい、給料が割といいところで働きたい、完全週休二日制が良い、残業はあまりないほうがいい、やりがいのある仕事がいい、職場の人間関係が良好なところに勤めたい
本音はコレ。
ただそんなの贅沢なのは知ってる。
もっと言うと
大企業に勤めてみたい、自己肯定感が低いからそういう分かりやすいステータスみたいなのを得れば少しは自己肯定感を得られるのでは?でも大企業に勤めたところで自分はきっと役に立つ人材じゃないから自己肯定感なんて得られず寧ろ劣等感を感じるかもしれない。あ゛ー、社会人になったら出会いないっていうし、大学時代の彼氏とそのまま結婚もしくは新卒で入った会社の同期と付き合って結婚とかじゃないともう遅いって聞くし、大企業に入って出会いを求めるのもアリなのでは?てかそもそもこの学歴で大企業なんて無理だから考えるだけ無駄じゃね?ワロタwwww
とかそんな感じのことばっか考えてる
自分が目指したいところ、ゴールが見つからないから、ゴールから逆算して就職活動のために何をするかっていう計画を全くたてることができない。
ゴールがないまま就職活動なんかしても多分無理だ。でもゴールが見つからない。やりたことって何だろう?得意なことってなんだろう?
好きなことはインターネットだ。
ツイッターで人の人生とか考え方、リアルでは聞かない部分を垣間見るのが好きだ。同じような理由でブログ巡りも人のインタビュー記事を読むのもツイキャスを聞くのもアイドルも好き。あとは化粧品が好き。
う〜〜ん
便宜上名乗った方が良いと思うので、名乗ります。310のファンです。
これは某俳優のカノバレ炎上に際して、推しの名前に傷が付けられまくっていることに憤ったオタクの地獄のような恨み言です。
論点はただ一点
●310の茶の間は全員、某俳優へのリプライを消して無断転載アイコンを変えろ
本当にこれだけです
加えて言うなら
●せめて某俳優アイコンに変えてbio欄も某俳優の名前を入れてからリプライしてくれ
………………………
茶の間、と言う言葉の語源や意味に関して論じる気はありませんが、ここでは金も落とさないで声だけでかいクソみたいなファンのことを指しています。そして何故か茶の間程、無断転載の俳優アイコンなんだよな、なんでなの?頭悪いの?(口が悪くて失礼、育ちがあんまり良くねーんだわ)
そういった方達に、推しの画像を無断転載したアイコンを使って無責任な発言をされるのは我慢がならないし、これだから310のオタクは…と言われている現状にも気付いて欲しい。「大丈夫」とか「気にしてない」とか「謝らなくていい」とか「応援してる」とか…茶の間であろうと無かろうと、310にお金を使っていようといまいと、推しの顔面を貼り付けた状態で他の俳優に向かっていい加減なこと言わないでくれ。
ファンは俳優の鏡などと良く言われますが、だからこそ、ファンの軽率な行動が推しの評判になることを自覚してくれ、いやほんと、頼むよ。頼むから。
茶の間は黙れというようなことを口にすると、乱暴な切り口だと攻撃される風潮が大嫌いです。だって茶の間はあくまで茶の間で、発言権がないものでしょ。
私にだって月のお小遣いが3000円とか、バイト禁止とか、そういうかわいいキッズの時もあったし、なけなしのお小遣いを貯めて大切に使う人を悪いと言っている訳ではありません。その時できる最大限のお金を使って、消費して、それで得たものって何であれ掛け替えがないよね。
例えば年に1度だけ見に行ける舞台とか、何枚もの限定盤の中から悩みに悩んで一種類だけ買ったCDとか、ね。
でも、無料で提供されるものや、非合法で無料になっているものをだけを享受してそれできちんと消費した気にだけなって声が大きいオタクには我慢ならないんです。 今はSNSもネットも発達してるからそういう状態に陥り易いんだよね、わかるわかる。でも本来はお金払って、対価として得て、それで初めて消費って成立するからさ。お金や時間を使えないけど気持ちとか愛を尊重して欲しいみたいなのは、全部嘘だと思ってる。
私が茶の間で弱いキッズオタクだった頃でさえ、分かってたよ。今自分が雀の涙みたいなお金で得ることができてる〇〇くんは、大勢の、〇〇くんにお金を惜しみなく出してくれるお姉さん達に買い支えられてるおかげなんだなって。
俳優やアイドルは商品だしコンテンツだから、お金を使わなきゃ存続しないもん。お金はニアリーイコール時間で、お金を稼ぐのにまず時間を使ってて、そのコンテンツを消費するために更に時間を使うんです。
お金や時間を使ったオタクと、使ってないオタクが同列な訳がない。
310は人気があるとか言われるけど、実際お金と時間を使うオタクがすごい少ない。これ、現場にいて肌で感じることです。
そうじゃなかったらナルステだってsoldしたし、おちゃろく平日こんなに出回ってないでしょ。みんな求めてるの千秋楽だけだよどういうことだよ。
310の茶の間の中にも「いつか茶の間じゃなくなる」と決意してる人はいるだろうし、そういう人に対して、私は「待ってるよそれまでこっちで買い支えとくからね」って思ってます。でも永遠に茶の間するつもりの奴はまじで身の程を知って、肩身を狭くしながら生きて欲しい。
そして、某俳優に「応援してます」「私たちがついてるよ」というようなリプをした310のオタクは、是非これから彼の出演する舞台のチケットを少なくとも半分以上買って、お花を出せたら2.5万以上のフラスタを出して、公演に入ったら毎回アンケの目当て欄に彼の名前を書いて、個人ブロマを積んであげて欲しい。自分の収入や自由になる時間をちょっとだけ無理して削って、彼に使ってあげて欲しい。それが、あなた達が言う「応援する」の言葉の重みだと思う。
それができないなら今すぐリプを消して、アイコンを変えてくれ
そして今回のカノバレで身を削られらるような想いで悲しんで、苦しんでいるのはそういうことをしてきたファンの人だって知って欲しい。そういう人達が、彼に裏切られた、もう彼を信じられないと思ってしまうことを糾弾する権利は310のファンにはないのです。茶の間なら、尚更。
ちなみに私は推しの「ここまで来たらもう裏切れない」といった旨の発言を信じてここまで来てますが、だからこそ俳優 310という商品に傷を付けたり泥を塗ったら、それが310自身でも許さないし裏切られたと思うとおもいます。
嬉しくて嬉しくて、一通り読んでからツイッターで感想を送った。
何度か推敲をし、長文になりすぎないように。
反応はなく、いいねも付かなかった。
数日後に他の作家さんとやり取りしているのを見て、スルーされたんだなと自覚した。
相互フォローではあったが単純に気付かなかった可能性はいくらでもあるし、作家さんには仲良くする相手を選ぶ権利は勿論あるし、『感想の感想を求める』なんていうことも本末転倒だ。
正論ではそうだと思う。そう頭では理解していても、そこそこ勇気を出して感想を送った私の心は結構傷ついてしまった。
感想を送って喜んでもらえる、というのをかなり期待していた。さもしいことに。
恐らく今後、私はあらゆる感想を知らない作家さんに送るのをやめてしまうだろう。
こういった感情を抱くのは私だけではないと思う。多分。
感想がほしい、感想がなくてモチベが続かない、という作家さんのツイートをRTでよく見るので『感想を受け取る側と送る側の心理』というようなものを考えてみようと思いこのブログを立ち上げた。
※便宜上プロアマ問わず創作する側を『作家さん』で統一しています。
まず、作家さん側と消費者側とで感想に対する考えに違いがあるように思う。
「簡単に作家さんに感想が送れるテンプレート」のような画像をたまに見かけるが、あれがその大きな例だと思う。
消費者は一般的に画像に自分で文字入れするなんて発想は少ない。
そして作家さんは苦労して創作したものに感想が貰える喜びを知っているので、知り合いの作家さんに気軽にバンバン感想を送る。創作することに比べれば感想の数十文字を打つことなんか容易い。
そして、やはり創作する人間からの感想、というものは嬉しいものだと思う。すべての人からもらう感想が同価値だと思える作家さんは少ないのではなかろうか。
それに対して消費するのみの人間からの感想、それも全く知らない他人となると、返事に困るものが増える。
真摯な感想も勿論あると思うが、的の外れた指摘、唐突な自分語り、様々なものが混じる。
それらをスルーするのは作家の当然の権利であり自由だ。いちいち構うものではない。
ただ、消費者側からすると、そんな感想の一つ自体が自身の創作物なのだ。
それを無視されると傷つく。なにか気に食わないことを言ってしまったのではないかと悩む。
求められていないかもしれないものを送りつけるというのには相当なパワーがいる。送って良かった、と思えるなにかが欲しいと思うのは間違っているのだろうか。
ツイッターは良くも悪くも作家と消費者の距離が近いように錯覚してしまうツールだ。
漫画家にファンレターを送って必ず返事がくると思っていた人はあまりいないだろう。送れば送ったきりで当然、でもその後きっと読んでもらえた、喜んでもらえたという想像をして満足することが出来た。
ツイッターは感想をリアルタイムで送れて送ったその後が視認出来てしまう。喜んでもらえたかどうかを判断しようとしてしまう。
返事をしない作家が悪いのではない。
ここでプロフェッショナル中のプロフェッショナルの例を出すのもどうかと思うのだが、感想を送る側のモチベを上手く引き出しているな、と思う声優さんがいる。
ツイッターで毎回「●●のイベントで頂いたお手紙は全て読ませていただきました」と報告している方だ。
容易なことではない。が、送った側の嬉しさは大きい。また送ろう、という気持ちにさせてもらえる。
感想がほしい、感想が来なくてモチベが下がってしまい創るのを辞めた。
辞めてから「あなたの作品が好きだったのに」と言ってもらえた、でももう遅い。何故それを現役中に言ってくれなかったのか。
こういうものがよくRTされてくる。さも消費者側が感想を送らなかった怠慢が原因だと。でもこれは完全に作家側の言い分だ。
感想を送って良かったと思える何か、感想を送りやすい環境、そういうものが必要なのではないか。
匿名で短文が簡単に送れ、お礼イラストが見れたような、ああいうものが今の時代また必要になってきているのではないかと思う。
自分は、以前からのゴール裏中心(主にコールリーダー様)の言動に疑問を持っていて、
2016-2017オフシーズンのゴタゴタでその疑問から発した不信感が決定的なものになり、
先日の天皇杯決勝において最早戻れないと認識したので、もうあの場所から離れます。たぶん年チケも買いません。
順序だてて説明するにはなかなか難しいのですが、自分がコールリーダー様(以下「あのお方」と称する)に最も不信感を抱いたのは、
2016-2017オフシーズンの騒動に乗っかって、旧体制(と便宜上称する)を徹底的に擁護し、新体制(と便宜上称する/CFG体制)を批判していたことです。
【(旧体制下でも)チームのルールで禁じられている】【練習場への横断幕の設置】というタブーさえ破って。
どんなに立派な主義主張であっても、最低限守るべきルールはないか?
あの時、まだ公式戦は残っていました。あれを見た選手はどう感じたでしょうか。同調したのはおそらくあのオフにチームを去った選手でしょうね。
残る(であろう)選手に疑念を抱かせて、あれが自己満足でなくてなんですか。自分にはそうとしか思えない。
【自分は内情を知っている】感を前面に出してるものですから、まあライトなゴール裏の方は騙せたでしょうね。
※関係ないですが、2010年の【横浜で闘う覚悟はできたか】(でしたっけ?)幕のその後って何か決着ついたんでしたか。あれは本当に失礼なメッセージだったよな!
あのお方がどんな大きな内情を知っていたのか自分なんかにはまっっっったく計り知れませんが、
2017年のチームは破綻せずに1年過ごしましたね。どんな内情をご存知だったんですかね。知りませんが。
その後、チームはそれなりに好成績を収め、4年振りに天皇杯決勝まで駒を進めます。
決勝の試合後、退任する監督をねぎらうコールなし!!!!!!!
「敗戦が悔しくてコール出せませんでした」とかならともかく、あのお方のお答えは「1人のために試合してるんじゃないんで」!!!!!!!
「個人の好き嫌いを反映してるわけじゃない」とかなんとか言ってましたけど、笑っちゃいました。
でしたらホーム最終戦、【その場の試合に出ていなかった(もう一度言いますあの試合に彼は出ていなかった、引退するわけでもない、そしてあの試合を戦った11人へは何のコールもなかった)キャプテン】のビッグジャージ(特注?)+コール出しとの整合性は?
あの時も、「監督へもコール出しすべきだったのではないか」との意見があり、あのお方は「まだ天皇杯があるので」と答えていた記憶があります。
それもそうだとその時はなんとか納得したのですが、自分が甘かったです。言うことコロコロ変わるんでしたね、あのお方は(苦笑)
決勝ではビッグジャージ3枚出したとお話しされてましたけど、そこにひとつコールを加えることすら嫌だったんですね!わかった!わからん!
もうひとつ付け加えると、「個人の好き嫌いを反映してるわけじゃない」という言葉は、
小林祐三選手のチャントを2年半も作らなかった時点で説得力皆無です(こことても強調したい)
チャントを作るタイミングなんかについては考え方の相違なので割愛しますが、少なくとも、【活躍した選手には】チャントが作られて然るべきではないでしょうか。
移籍初年度からレギュラーとして出場を重ねた選手に、あれだけの期間チャントがないのは異常です。
ほーら、(あのお方個人とは断定できませんが)コアの好き嫌い充分反映するじゃないですか(苦笑)。
ん?5年近く前のことを蒸し返すなって?
前科があれば色眼鏡で見られるのは当たり前だろうが!としか!言えません
結局彼らはエリクを受け入れなかった最後まで。その癖、前任者だったら芽が出てなかったであろう(100%とは言えないが95%は断言する)選手の活躍は、尻馬に乗って喜ぶ。
確かに、ツイッターなんかの見るに堪えない罵詈雑言とか負けた腹いせをぶつけてるだけの乱暴な言葉とかはよろしくないし、
あのお方のことが嫌いな自分でさえも、もっと言い方あるだろとか、それはあのお方にぶつけることじゃないよとか思う。
ああいうのは間違いなくやめるべきだしやめさせなくてはいけないし誰も得をしない。
しかし、「(応援に)ただ乗っかってる分際で偉そうに」だの「あのお方も頑張ってる」だの、そういう擁護は鼻で笑ってしまう。
だって、ゴール裏で直接冷静に話に行っても「前に立ったことのない人間にわかるわけがない」って突っぱねられるんですけど?
そんなの、ほとんどの人が何も言えないんじゃ?イエスマンだけ固めて楽しくやってろよ
あと、お子ちゃまにはわからないかもしれないけど、【頑張ってれば何をしても許される訳ではない】。ここテストに出るよー
ま、ライト層と若年層をうまく騙してるんだなって感じ。
自分があの場所(ゴール裏)に行くことは、少なくともあのお方がいなくならない限り二度とないと断言するので関係ないが、
自分の周囲には、あのお方が嫌であの場所、最悪はスタジアムから離れてしまった人もいる。
たかが1人、されど1人。
Jリーグでは上位の経営規模とはいえ、一般的に見たら小さな会社であるクラブにとっては、これが少しでも積み上がったら死活問題にもなりかねん。
他にも言いたいことはとてもたくさんありますが、もう自分には関係ない場所なので黙ります。
あ、ゴール裏ならともかく、メインとかバックに来てトラメガで話すときはもっとゆっくり話そうね!何言ってるのかわからないって一般の友人に言われた!
匿名ブログで申し訳ないが、友人知人にあのお方の取り巻きがそこそこいまして、自分ももうスタジアムには滅多に行かないとはいえ、
命が惜しい(モヤシなので万が一のことを考えて)ので許してくださいwww
あと、ゴール裏に友人がおり、迷惑かけたらまずいという考えもあります。
多様性の時代が進み、差別の問題が国際的に取り沙汰される現代において、ヤフコメのような馬鹿げた言葉遊びに時間を浪費しない為に、また国際的な基準を頭の片隅にでも置いておくために、次のことは差別問題において重要である。
重要なのは、差別意識の問題ではもはやない。日本人の論調では、意識のない差別は差別ではない。しかし、意識があるかどうかは客観的な根拠になり得ない。それゆえ、差別意識は問題ではない。ところで、問題となる差別には歴史がある。その文脈の上で考えてみるのが異文化理解である。それゆえ、文脈を持たないというのは端的にその歴史について無知であるといわれる。この場合の無知は恥である。これが国際的な基準である。(それゆえ、日本人の基準とは全く別物と考えるべきである。)
2. 差別に対する態度
差別の問題は個人的なものと社会的なものがある。人種差別を訴える人はそうでない人よりも差別意識が強い。私達日本人がそんな気が全くなくても、差別を訴える人がいるのはそのためである。彼ないし彼女達が過剰なほどに訴えるのは自分たちに自信を持てないからだという。しかし、そういう人たちが自信を持ちうるような社会であるだろうか。今まで差別されてきたのに、自信を持つ余地があっただろうか。人々が自信を持って生活できる社会は健全な社会である。ところで差別の問題は社会的なものである。それゆえ、被差別者も差別者(便宜上の区分である)も共に努力を必要とする。また、差別の問題は個人的なものである。それゆえ、被差別者は自信を持てるよう努力すべきであるし、差別者はそうした試みを挫かせてはならない。被差別者はすべてを差別ととらえる必要はないし、差別者は被差別者を触発させるような言動に配慮すべきである。社会的な、それゆえ差別者、被差別者に関わらず皆の努力なくして平等はない。
どうも腐女子です。
痛いファンです。
あの二人は中野腐女子スターズと事務所一緒だったりして売れる前から腐女子文化は知ってたっぽい。売れてからは彼らも知るところ、ご覧の通りで痛いファンがたくさんだ。こんな風に。
いやでも彼らの腐女子ファンの割合が他のお笑いコンビと比べて有意に多いかどうかは分かんなくて分母が多いだけではとも。ピクシブ芸人1000users入りでの彼らがしめる比率を思ってもそもそも普通のファンが多いからファンアート創作ファンも多くなりさらに痛い二次創作ファンもどうしても多くなるというだけの話だと私は思ってるけど。
あの人(便宜上四文字熟語で司会専念と呼ばしてもらう)は2010s初頭の腐女子にとっては革命的だったんだ。卑屈で等身大で顔が可愛くて死ぬほど才能がある人たらし。そして彼(便宜上私たちの初恋)は今も昔もダメスパダリだ。
余談だが最近、初恋の思想に時代が追い付いたなと感じる。初恋は絶対に相手を悪いようにはしないお笑いをやるから、一昔前の悪口全盛バラエティじゃ映えなかったけど、そのじつ、今の寛容な時代を用意したのは、初恋ですよ。
話は戻るが彼らの普通のファンで「私はBLに嫌悪感がわくのだが最近彼らの活動を見ていてひょっとしたら実際にそうなのかもしれないと考え始めた、万が一そうならば私のこの嫌悪感は差別なのかと悩んでいる」と仰っておられた人を見たことがある。まあ、あの二人、正直仲いいんすよ。
で、嫌悪感にも種類があって、
①単純な同性愛嫌悪
②はあって当然というのが今実際現実問題共有されやすい感覚だろう。
ただ②も①にもとづくあれでアレなんちゃうかと混ぜ返されたら黙ってしまう。アレなんかな?いや、そんなつもりちゃうんやけど、でも(万が一)^2実際ホンマにそうやったら?
まあそんな悩みを仰っておられる人もいたなあということを思い出した。そういう悩みはただの悩みとして終わった。
楽しい杞憂は杞憂で終わって私はなんだかこざっぱりした気分だ。ちょうど、そう、10年だった。
めちゃくちゃいい夢からさめた。
AmazonでBose Acoustimass 300 bass module サブウーファー ブラック【国内正規品】を購入したら、届かないのでレビューしたら掲載できませんと来たからここに。
商品が届きません。
この商品は重量物なので、商品が発送予定日に書いてある日には絶対に届かないそうです。
書いてある日にちは単にお飾りだそうです。便宜上書いてあるのだとか。
早く欲しいなとサウンドバーやリアスピーカーと3点セットで購入しましたが、この商品だけ届きません。
そう届きません。
全部同じ日に届くはずが、このウーファーだけ届かないのです。20日に発注し、配送予定日が最初22日〜23日と表示されていたものが、22日になり突如29日に書き換えられたので、慌てて何事かとAmazonサポートに電話したところ、問題無く23日には届くとの回答を得られ一安心していました。
しかし、23日になって配送業者から30日にしか届けられないと電話がありました。しかも、30日限定。なんで?
おかしいでしょという話で再度Amazonに電話したところ、昨日は昨日、今日は今日という回答。
素晴らしい回答です。
昨日確認できたものが今日は確認できないの一点ばりで、もはや出荷したものは配送業者の責任なので、勝手に配送業者とお客さんでやり取りして届くのが早くできるかどうかは調整してくれとの話。
外資系ですね。
しかも、現時点でAmazonのこの商品を覗くと、今発注すれば25日までにお届け♡と表示されています。おかしくないですか?と質問したところ、今後の参考にしますとの回答だけ。おやおや。
サウンドバーとリアスピーカーの音質は最高で、今までのホームシアターよりもとても良い音質で、テレビも音楽も良い音質で聴けるだけにウーファーも楽しみにしていましたが、残念です。届けば最高の音質が聴けるのでしょうけれども。届けば。
コールセンターといっても様々な種類があると思うが、自分が働いているコールセンターの業務は比較的シンプル。注文を受けたり、商品についての問い合わせに答えたりする。テレアポみたいなことは一切しない。
主な顧客層も40〜70代の女性で、基本的に温厚な方が多いので助かる。
しかしひとつだけ困ったことがある。電話の最初と最後に必ず「名乗り」を行うのだが、自分の名字が非常に珍しいので、かなり高い確率で聞き返されるのだ。
「〇〇が承りました」
「はい?〇△?」
「ええと、〇〇です」
「えっ?△△?」
誰が担当者かをメモしておきたいお客様は多い。その度に何度も聞き返される。漢字でどう書くかを説明したり、最初の文字はまみむめもの「ま」です、という風に一字ずつ説明したりすることで、やっと相手に伝わる。
そうしてやっと伝わると、一部のお客様は笑いながらこう言うのだ。
面白くない。面白くないんだけれど、ここはコールセンターで、相手は大事なお客様。そうですねえ、変わってますよねえ、と話を合わせる。
もちろん相手に悪意はないし、たまにあるクレーム対応に比べればどうってことはない。でもなんだかモヤっとする。
音が似ているメジャーな名字があるので、それに聞き間違えられることも多い(便宜上、「松田」ということにしておく)。その時はもう、自分は松田だということにしている。本当は最初から松田と名乗っておけばすんなりと話が進むのかなと思うけれど、嘘を言っていることになるのでそれはできない。通話は録音されてるし。
コールセンターの仕事は飲食などに比べて、自分が休んでも代わりを探す必要がない、時間の融通が利く、社員がまとも、身体への負担が少ない、時給は高い、などと良い面が多いので、できれば学生のうちは続けたい。
今のところ名字を変える予定はないけれど、社会に出てもこういうことが続くのか、と思うとちょっとだけ自分の名字が嫌になってくる。両親、ごめん。
各所で話題(?)になっている『Wake Up, Girls! 新章』についてです。
作画、ライブCGに関しては他の人が十分言ってるからいいや、っていうのと前のアニメの時作画さえ変われば、って言ってたオタクが作画叩いてるのなんなんだ以外の感想は特にないです。"そういうもの"として見るしかないかと思います。
本題として新章のキラキラ感があるのはなぜか、という話です。
多くの人が知ってるかと思いますが、新章から監督が変わってます。前章(便宜上、Wake Up,Girls(テレビ版)・七人のアイドル・青春の影・Beyond the Bottomを前章とします)では山本寛氏、新章では板垣伸氏がそれぞれ監督を務めています。
ぶっちゃけアイドルというものがあまり分からなかったんですよ。得意じゃないといいますか、皆さんアイドルのどこを好きになるんだろうって…。私、個人的な見解ですが、アイドルは絶対に自分の彼女とかにはならない。つまり自分のものにはならないにも関わらず、なぜ好きになるんだろうって、小学校の時からずっと思ってました。私が小学校の時にもアイドルブームはありましたが、ポスターとか貼ってるのを冷ややかな目で見ていましたね(笑)自分の彼女になる訳でもないのに、どうしてここまで熱を入れられるんだろうって。この考えは未だに変わってませんが、脚光を浴びてお客さんの前に出たいと言う気持ちはどのような感じなんだろうと想像するのが面白いと感じるようになりました。これが自分の中でのアイドル観なんですけどね。
山本寛氏はアイドルファン視点、板垣伸氏はアイドル視点でアイドルを見て作ってるから前章と新章では傾向が変わるのは当たり前です。
アイドル視点で作るからア○マスやラ○ライブ!と似たようなキラキラ感が新章で強くなるのは当然な気もします。
ただ、"WUGらしさ"はアイドル視点で作られたものではなくアイドルファン視点なんじゃないかなぁ、という個人的意見です。
(なんでアイドルよくわからん、って言ってる人がアイドルアニメの監督やってるんだ……)
舞台「Wake Up, Girls!-青葉の記録-」を8回見に行ったオタクの戯れ言。
自己紹介のところで黒の見せパンだった某声優がライブのシーンでは白に変えてたのをこの目で見たから話題になってる声優のパンツdisは本当なのかなぁ感。
アイドルマスターSideMアニメ放送始まりましたね。
でも前々から持っている“アイドルマスター”という作品に対する嫌悪感だけは現在も無くならん。厳密に言うと、アニマス、デレアニ、ムビマスは何だかんだ履修済のただの男性アイドルが好きなオタクの私にはアイドルマスターのファン(便宜上Pとは言わない)の空気感が耐えられん。
○○担当Pの○○ファンですって言わなきゃいかん空気、本当に良くないよ。
(私がよく例えるのは担当アイドルのエロ同人で抜けるのか抜けないのか、はたまた抜く時のエロ同人ですけべなことしてるアイドルは担当とは別のアイドルなのか。)
一応SideM以外もアニメで履修してる分知り合いのオタクからも他の事務所勧められて気になる子はいるけど、正直一アイドルのファンとして触れていきたいところはある。
そこんとこどうなの?
心はEpisode of Jupiterに出てくる厄介出待ち女オタぐらいの気持ちだよ?????(出待ちは絶対しないけど)
便宜上鷹城恭二P名乗ったけどただのガチ恋拗らせオタクですよ、それでもP名乗っても真面目なPさんたち許してくれるん?
二次創作にあるようなP×アイドル(SideMなら逆もあるかな?)とは違うんですよ。
普通に鷹城恭二と一般人(業界の人ではない)として婚活したい!!!!!!!!
この空気感さえ無ければアイドルマスター界隈が閉鎖的とか言われないと思うけどどうなんだろう。
個人的に様々な分野で意識高い人を演じてるような人たちが嫌いなので界隈の「自分Pです(ドヤ顔)」みたいなオタク全員ブロックしたい(これはただの私怨なのでつっこまないでください。)
なんでもいいけど、ソシャゲで触れやすくなってるから初めてのアイドルマスターがデレステです、ミリシタです、っていう人たちが住みやすい環境作るべき。
なんかの時の内田雄馬すげえ!の流れでアイドルマスターSideM販促してた人たちめちゃくちゃ痛々しかったよ。宗教勧誘かよ。
アイドルマスター関連で気になるアイドル(キャラクター)がいるって人ならそれとなくこの人はこういう人だよって話したりするけど、さすがに出演声優からアイドルマスターSideMは勧めたくない。曲は良いから聞けって言う可能性はあるけど、こんな生き地獄に道連れにしたくない。
話がぐちゃぐちゃしていろんな話行ったり来たりしてるけど、言いたい事まとめるとこの有名な狂歌が一番まとまってるので、 意味は山川日本史Bを読むなりそのシャンシャンしてる携帯端末で調べてくれ。
突然だが、私には本命のバンドマンがいる。それこそ今回話のメインとなる、昨年2月から今年の半ばまでおよそ1年半私のエネルギーを全集中させたバンドマンだ。以後便宜上、彼のことを王子と呼称する。
王子に出会ったのは2016年2月5日。諸々の縁あって、とあるイベントライブに当日券で入ったのがきっかけだ。私はとても守備範囲の狭いバンギャだったので、その日のライブには目当てとなるバンドはいなかった。スタンディングで見る気力がなかったので2階席へ移動して幕の隙間から見える機材搬入をする真っ赤な衣装に身を包んだ人影をぼんやりと眺めていた。やがて幕が開いた。5年ほど前に一度だけ見たことがある、やたら覚えにくい名前のそのバンドの上手ギターが王子だった。真っ赤な衣装に真っ赤なリップ、派手な金髪、赤と緑のオッドアイ、テクニカルなギタープレイ、ギターソロを弾く真面目な顔、ソロを終えた後に大きな口をパカっとあけて笑う顔。彼の動き全てに目を奪われた。心が震えた。そんな状態のときに、王子は時たま2階を見上げてこちらを指差したりするものだから、完全にハートを撃ち抜かれてしまった。25分のステージが終わりメンバーが捌けるのを見送ったあと、すぐさま近くのCDショップへ走り最新アルバムを2枚購入した。我ながらちょろすぎる。私は王子と衝撃の出会いからおよそ30分で翌月の2ショット撮影会の参加券を手に入れた。
翌月3月14日。ホワイトデーイベントということで30秒トーク&2ショット撮影会が行われた。ガチガチになりながら初めてのイベントへ向かう。ライブ以来の王子。衣装着用時はつけまに派手なカラコン、赤リップ、とキャバ嬢のような見た目をしていたが、衣装でないときは薄いメイクになるようで、男らしさを感じてドキドキした。至近距離で見た王子はむき卵のように白くてツルツルしていて、隣に座るとなんだかいい匂いがした。優しくてかっこよくてトークも軽妙で、30秒間の間に100000000000回惚れ直した。この日の帰りさらに8枚アルバムを買い足して帰った。
4月、5月は毎週のようにライブとインストに通った。王子は3度2ショットを撮るころには私を認知してくれたし、手元にあるインストチケットがなくなる頃には自発的に名前を呼んでくれるようになった。以前通っていたバンドでは空気を貫いていた自分にとってはこれはかなり新鮮で嬉しいことだった。認知されたからには頑張らなきゃ(?)という謎の使命感からライブの本数を増やした。元々ワンマンライブ以外は行きたくないたちだったが、30分でも20分でも王子がステージにたつ公演のチケットはすぐに買うようにした。
7月にはツアーファイナルのため大阪へ飛んだ。王子のバンドの拠点は関西のため大きなライブは必ず地元大阪で行われる。実は私はギャ歴に比べると経験値が非常に浅く、ライブのための遠征の経験がほとんどと言っていいほどなかった。このライブが私の初遠征の皮切りとなり、以降東京大阪間の移動へのハードルがぐんと下がったように思う。
本当にこの頃、王子が好きで好きでたまらなかった。早いチケットを買い直してライブに行った。王子が構ってくれないと楽しくなかったからだ。構ってくれた日は浮かれて浮かれて、だらだらとツイッターに感想を垂れ流した。ライブの合間に行われるインストのために、バカみたいにCDを予約した。たくさん王子と写真を撮った。写真なんていらなかったけど王子に私という存在を忘れられるのが嫌だったから、毎週毎週飽きもせず撮影会へ向かった。私の顔を見て名前を呼んでくれるのが嬉しかった。
こう何度も現場に出向くようになると、周囲にいるファンの誰が王子を好きなのかも分かるようになってくる。いつも同じ列に並んでいる他のファンにたいして無駄に対抗心を持つようになった。こいつらが見てない王子を見たいという一心でたかだか20分程度しか持ち時間のないイベントライブのために地方へ行ったこともあった。とにかく私しか知らない王子を求めていろんなことをした。結果、何かが手に入ったわけではなかったけどその場限りの優越感を楽しんだ。
頻繁にライブに行くようになったある時。王子が贔屓にしている人が誰なのか、分かってしまった瞬間があった。周年記念のワンマンライブ中、そのうえ2列目にいたにも関わらずワンワン泣いた。その日、王子とは目も合わなかった。あまりにショックで翌週の大阪遠征も取りやめた。チケットは捨てた。10月のことだった。
しばらくの間、ショックでライブの本数をかなり減らした。11月に一度話す機会があったのでそこで少し会話をして、クリスマスにライブに行った程度。どちらも大したことは話せなかった。代わりに時々ファンメールを送った。ファンメールといっても、王子に対する八つ当たりのようなことばかりかいていたので、実際には迷惑メールだったが。迷惑メールを送り続けたことで、1月の接触では「痛い女」と王子に言われてこれまた泣いた。しかしそんな風にいいつつも、王子は優しいところがあるので迷惑メールに書いた私のお願いを結構聞いてくれることがあった。私信とまではいかないが、ツイッターやブログ、接触等で律儀にレスを返してくれる王子がやはり好きだなあとその度に実感していた。
ファンメールから徐々にモチベーションを取り戻した私は2月からまた少しずつライブの本数を増やしていった。麺被りは殺す精神はそのままだったので、とりあえず王子に構ってもらいやすい位置をキープすることでなんとか精神衛生を保っていた。その頃春からのツアーが発表された。モチベーション絶好調の私はウキウキで東名阪のチケットを押さえた。なんとこれが中々のあたりで全公演そこそこの早番だったうえ、そのうち1つは最前確実だった。狂喜乱舞した。王子にそのことを伝えると「ほんまか!最高やな!」とハイタッチしてくれた。可愛かった。
ツアーが始まった。気分は最悪だった。どうして目の前にいる私を見てくれないの。なんで私がいること分かってるのに別の人構うの。そればっかり考えていた。王子の目の前にいるのに王子の目に私は映らない。死にたかった。私はこんなに色々なものを犠牲にしてきてるのに、なんで、お前は。
公演のあと、メンバーと写真を撮るイベントがあった。能面のような顔で撮影場所にきた私に王子は言った。
「私のこと見えてたんですか」
もう本当に死にたかった。
私のことを見ない王子が嫌だったし、ファンの分際で見られたいという気持ちが肥大している自分が気持ち悪かった。私なんてたまたまチケット運が良かっただけの金なし乳なしブスだ。私よりお金をつぎ込んでる人も可愛い人もごまんといる。私が無視されることも、そういった人たちが気に入られるのも当たり前だ。でも我慢ができなかった。「次のライブも同じとこにいる」と王子に告げて撮影場所を後にした。1週間後、私はまた王子の前にいた。その日も王子はこちらを見なかった。私は限界だった。
好きだった頃に買ってしまったチケットが十数枚残っていた。ほとんどは売った。売れなかった3枚は捨てた。友達と行く約束をしていた2枚はちゃんと公演を観にいった。最前列で見たけど、やっぱり王子の目に私が映ったという実感を持てる瞬間はなかった。そして明後日、友人たちと約束しているライブで最後の1枚を使う予定だ。一体この日はどうなるだろうか。
好きというエゴが肥大して好きなものを好きだと思えなくなってしまった。少し前に起こったアイドルの殺傷事件。正直気持ちが少しわかるのだ。好きなのに、好きなのに、好きだから、憎い。まるで病気だ。
今も王子のことが好きだ。でも王子が憎くてたまらない。この感情と決別するまでは、王子に会いにいってはならないと、そう思ってる。
今更感あるけど、最近知り合いが未来人の予言の類を真に受けて、勝手に終末思想にハマり出したので書いておく。
断っておくが俺はSFが好きだ。ジョン・タイターも2062も、読み物としてめちゃワクワクした。
まず、未来人にはいくつかお約束があるので、おさらいしてみる。
これらの基礎になっているのが、パラレルワールドやバタフライ効果といった概念だ。
パラレルワールドは、大雑把にいうと「〇〇が、起こった世界/起こらなかった世界」が分離して並行するようなイメージだ。
この場合はパラレル時間軸という方が正しいかもしれない。カッコよく「世界線」と表現されたりもする。
そして、バタフライ効果とは予測の困難性を表す表現で、初期値のわずかな差が、結果に大きな違いを生むことを指す。
「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」という問いに対して、その羽ばたきが他の何かに影響を及ぼし、それらが要因として積もりながら伝搬していく可能性を考えると、「起こり得るとしか言えない」という考えだ。
ベルリンの壁は、たった一人の伝達ミスを発端に崩壊に至ったと言われている。
その彼が伝達ミスを犯した要因は、疲れていたのかもしれないし、食あたりだったのかもしれない。
さらにその疲れや食あたりの要因は、隣人による前日深夜のどんちゃん騒ぎだったかもしれないし、食材の遅配だったかもしれない。
さらにさらにもっと手前の要因に遡ると、降雨の一滴や、小隕石の衝突に辿り着くかもしれない。
逆もまた然りで、今日あなたが蹴飛ばした小石がきっかけで、人類が滅亡することだって無いとは言い切れない。
バタフライ効果を否定できない以上、未来から過去へのタイムトラベルにはパラレルワールドの概念が必須になる。
大小はあれど、バタフライ効果によって引き起こされる「タイムパラドックス」を「新たな時間軸への分岐」という形で吸収できるようになるからだ。
そして、パラレルワールドを基礎にしたタイムトラベルには致命的な欠陥がある。
とても都合よく時間を分岐させない限り、パラレルワールドは無限に存在することになる。
係数が0でない限り、「1掛ける無限」も、「3掛ける無限」も、無限以外の解を生まない。
するとどうなるか。どこかの時間軸の一人のジョン・タイターが現代を目指した段階で、
文字通り無限のジョン・タイターたちが、同時に現代にタイムトラベルしてくることになる。
無限のジョン・タイターが物理的に出現すると、質量も無限になり、すぐさまブラックホールと化してしまう。
これが、今までに噂された未来人の出現が全て作り話だという理由だ。
仮に、無限の可能性やタイムパラドックスの壁も超えて、本当にタイムトラベルしてきたというなら、
その技はもう神の所業としか言いようが無く、解釈の揺れ幅を持った暗号伝達のようなケチくさい真似をせず、
堂々と神として降臨して、現代の迷える子羊たちを救ってくれることを期待する。
無限のジョン・タイターのくだりがイマイチ伝わりにくかったかもしれないので追記する。
このようなコメントがあったので、
便宜上、ジョン・タイターの言う第三次大戦で大雑把な分岐をイメージしてみる。
この場合、一見Aタイターだけがタイムトラベルを行い、それを俺たちが観測したものとして自然に見える。
3つの時間軸のうち、1つの時間軸からジョン・タイターがやって来たのだ。
無限のパラレルワールド分岐を認めた時点で、これは成り立たなくなる。
現在と未来は、1:1の関係性では無く、無限:無限の関係性になる。
上記の例では「全タイターのうち33%がタイムトラベルを行う」計算だが、
仮に、もっと色んな時間軸に分岐させて、ものすごく確率の低そうな「全タイターのうち0.0000000001%がタイムトラベルを行う」と仮定しても、
無限に試行すれば結果も無限にしかならない。0%でない限り、無限に何を掛けても無限にしかならないのだ。
1億とか1兆とか1京ではない。無限だ。
つまり、Aタイターがタイムトラベルに成功した(確率が0より大きくなった)時点で、∞タイターが押し寄せて来てしまうのだ。
確かに「現代の時間軸に、無限のジョン・タイターがやって来る」のは都合が良すぎたかもしれない。
バタフライ効果で無限にブレた結果、「全ての過去、未来が、無限のジョン・タイターで溢れる」の方が正しい。
やっぱり神じゃないか。
http://tablets-nano.blogspot.jp/2012/03/new-ipad-ipad-ipad.html
正式名称は初代と同じ「iPad」に戻り、アップルは「新しいiPad」と呼んでいる。当初は「iPad 3」になるのではないかという観測が多く見られたが、あえてオリジナルの名称に戻したことから、同社の「これこそが『iPad』なのだ」という気概が感じられる。
そもそもおまえが紹介している記事でもよく読めば「3だとかHDだとかではないただのiPadだから新しいiPadとしか呼びようがないのだ」と説明されている。
それを面白がって「新しいiPadが正式名称!」とネタにしていたのを馬鹿が真に受けただけ。
Internet Archiveでも確認してみる?
次期iPhoneがiPhoneXと名付けられるとしたらそれは正式な商品名であって、「新しいiPad」のようなただの便宜上の呼称・通称とは性質が異なることは明らか。
現時点で、本人が参加を辞退している以上、もう掘り起こさなくても良いんじゃないかとも思うけど、今回の件で色々と考えさせられたので、自分の中のもやもやを整理するためにこの日記を書いています。
なので、自分と違う価値観の方には全然落ちてこない内容かもしれない。そして私は、コミケや同人誌即売会というイベントにサークル参加した経験はないが、一般参加は何度もした事があり、友人に同人サークル活動をしている人もいて売り子で協力した事があります。このため、出来る限り中立的な目線を持ちたいですが、所謂コミケ参加者側の"オタク"の価値観に寄った意見になる事をご容赦ください。
ただ、自分にも真剣に応援している推し俳優がいるので、今回の一連の騒動はなんだか他人事とは思えなかったので。
まず、問題は一つではなく複数あり、複数の問題が複合的に重なった結果、今回の騒動が起きてしまったんだと思う。混ぜて話すと分かりにくくなるので、1個ずつ取り上げてみることにする。
また、「真木よう子にコミケ参戦を促した黒幕が別にいるから彼女には何も落ち度はない」という意見もあるかもしれませんが、ここでは論点が少しずれるので詳細には言及しないこととします。
まず問題なかった点というか、これは是非とも賛同したいなと思えた点から。
「オタクは普段から表現の自由を訴えている癖に、彼女の表現する機会や表現する自由を奪った」という記事や意見を多数見かけたが、コミケ参戦反対派のオタク(以降、便宜上「オタク」と略す)の中で「写真集を作成する」という行為自体を否定している人はほぼいなかったと思う。写真集を作成し、彼女が写真やエッセイ等で自分自身を表現すること自体はとても素敵で素晴らしいことだ。今回は残念ながらプロジェクトが頓挫してしまったが、今後また別の機会があれば是非とも再挑戦してほしい。
ただしその時は、その作品を発表・発売するのに一番適切な環境や手法について熟慮して頂くことを心から願いたい。
これは既に多くの記事でも言われている通り「クラウドファンディング」自体は資金集めの手段としては画期的であるし、彼女を応援するファンが支援できる、という事は全く悪いことではないと思う。ただ、「クラウドファンディング」というビジネスモデルに頼って「多額の出資金」で作成された「プロライクな作品」を「コミケのアマチュアサークルとして頒布する」となると、やはり違和感が拭えない。
正式にルール化されていなくても、アマチュアサークルで作品を作り頒布する人のほとんどは、例外を除き自費制作が主流。これは、出す作品が同人誌でも写真集でも雑貨でもCDや映像作品でも一緒だと思う。当然、自費制作なので多額の資金を準備するのは大変だし、制作数にも限りがある。そういう制約の中で最大限の努力をして、自分の作品を出す。コミケというのはこういうDIY精神がベースに根付いているし、そういう人達の活力で出来ている。
「クラウドファンディング」の「制作したいものがあっても資金がないので、パトロンを募って出資してもらおう」という精神は今の時代の風潮に合う素晴らしいものかもしれないが、「コミケ」の中の主流である「自分達の制作・頒布するものは基本的に自分達の資金力・能力の範囲内で準備する」という精神とはやっぱり相容れない部分が大きい気がする。
多くのオタクが拒否反応を示したのはこの部分のはずなので、同じことを別の人がやってもやっぱり叩かれていたと思うが、真木さんほどの有名人がやろうとしてしまったことが大炎上に繋がったのだろう。
コミケの企業ブースであれば、出展料金はアマチュア向けブースよりもかなり高くつくものの、そもそもが商用のスペースなので、企業ブースに出展する企業とコラボレーションして参加するという話であれば、もしかしたら成功していたかもしれない。(企業ブースには声優等の有名人が登場することもある)
何故コミケに参加したいのかという質問に対し、真木さんは「ファンの方と交流したい」という回答をされているのを拝見した。コミケは、確かに作品の頒布者とそのファンが交流できる場でもある。ただそれは、あくまで作品を頒布する際に生まれる「副産物」であって、そもそもファンとの交流に適した場所ではまったくもって無い。
コミケは、毎年ニュースになるほどの人混みになる。アマチュア向けサークルのブースは基本的に長机を半分で1サークルが使い、サークル側の1ブース内に入れる人数は2人程。大手サークルでも2スペースで長机一つ分。一般参加者が歩き回れる通路もとても広いとは言えず、移動したくても身動きが取れなくなってその場で立往生するなんてことは当たり前に発生する。人混みではない場所でもブースの周りにずっと人だかりが出来ていたら、近隣のサークルに迷惑がかかる。そもそも、入場するまでの待機列から目的の場所に辿り着くまでに3~4時間以上経っている…なんてことも当たり前に起き得る。夏コミなら炎天下の灼熱地獄の中で長時間外で並ぶことになるし、冬コミなら早朝の凍え死にそうな寒さの中で長時間並ぶことになる。
そんな場所で、所謂有名人である彼女が参加することで起きるであろうリスクを考えるのは簡単だろう。コミケ参加者・彼女のファンを問わず、真木よう子というネームバリューがあれば大量の人達がそのブースに押し掛ける。コミケ参加に不慣れな彼女のファンとコミケ常連客との間でトラブルが起きるかもしれない。それによって、近隣のブースで作品を頒布するサークルに迷惑行為や被害が及ぶかもしれない。コミケに不慣れなファンが長時間外で並ぶことで体調不良者が続出したり、救急車が出動することもあるかもしれない。
こういった可能性に対するリスクマネジメントをきちんと行い、徹底的に対策することまで考慮されていたのかは定かではないが、少なくとも頒布する場所がコミケではなく、個別に専用の会場を抑えてファンミーティング・握手会等といったイベントを開催した方がよっぽどリスクが軽減されるはずである。それに、彼女程の女優であればそのようなイベントを開催することも可能なはずだ。つまり、芸能人とファンとの交流に重きを置いているのであれば、コミケという場は正直不適切としか言いようがない。
これは、自分の推し俳優に当て嵌めて考えても、やはりコミケに出たいと言われたら絶対に全力で反対するだろうし、専用の会場を抑えてファンイベントを開催してくれた方が正直何百倍もありがたい。というか、あんな過酷な空間に推しを放り出すのはファンとしてとてつもなく心配である。
あとこれは、個人的な意思が多分に含まれるが、コミケというのはそもそも芸能人とファン交流の場ではないので、それを正々堂々と「ファン交流のためにコミケに参加したい」と芸能人が言ってしまうのはコミケを私物化したいと言っているようにも捉えられかねないと思う。やはり、ファン交流が目的ならば別の会場をブッキングするべきである。
もちろん、今年の夏コミでの叶姉妹のように上記リスクを全て懸念の上、事前のリサーチと対策を徹底的に行い、かつ準備を入念にしているというのをアナウンスをしてくれれば「そこまでしてでも参加したいのであれば…」と参加を応援する声が増えていたかもしれない。コミケに来るオタクの一部は、とてもトラブルに敏感である。そして「有名人が参加する」という事はそれだけでアマチュアサークルの何倍ものトラブル勃発の可能性を内包している。有名人とアマチュアサークルのコミケ参加にはそれくらいの差があることを、彼女のファンの方々にも是非知って頂きたい。
これは想定の話になってしまうが、発表時点で「クラウドファンディングで写真集を作成をする」という事だけが公表されていて、「コミケ参加」は当選が確定した後に発表されていれば、ここまで批判する者はいなかったように思える。もちろん、コミケ参加を発表する際には、先述のリスクに関する対策案も同時に発表しなければ結局炎上していた可能性はあるが。
毎年多数のアマチュアサークルからの応募があるが、その分落選するサークルだっている。そういった背景があるにも関わらず、確定前に「コミケに参加する」という発表をするのは「芸能人だからたぶん当選するだろう」という驕りにも見えるし、「コミケ」というキーワードを使えば話題性も高まるのでクラウドファンディングで資金集めをするネタにしようとしていたようにも見える。この辺も、オタクからの反論を買うことになってしまった要因の一つだと思う。
この辺は所属事務所の規定にも関わってくると思うが、本人のみで完全に非公式プライベートでコミケに参加するというのであれば、会社員をやりながらコミケに参加するアマチュアサークルと形式は一緒な気がするが、クラウドファンディングというのは一つのビジネスであり、実際の必要経費よりはかなり少ない額とはいえ800万円もの資金を所属事務所を通さず、大々的に公表して集めて、事務所側から何も文句は言われないのか?というところも疑問である。
コミケという場を借りててっとり早く本を出すよりも、少し時間はかかるかもしれないが、事務所と相談するなり、事務所を移籍するなりして、事務所側に彼女自身が望む企画を理解してもらえるように働きかけるべきだったのではないかと思う。
今となっては、あの発表内容に書かれていた文章が、本人による言葉なのかどうかは分からないが、ファンから集めたお金を使う以上、沢山のファンやコミケに関わる全ての人が閲覧できる場所で、あの内容を「本人の言葉」として発表する事を許容してしまったのは、一端の大人であり、女優という注目されやすい仕事をしている社会人として、あまりにも配慮が足らなかったと言えると思う。
これは、かなり個人的な意見になるが、Twitterにて批判を受けた際に、数あるリプライの中から、特に暴力的なツイートを引用して、謝罪文を投稿した事は正直ドン引きだった。彼女の元に来ていたリプライを見ていた人なら分かると思うが、その中には暴言だけでなく、建設的な助言や意見が多数寄せられていた。にも関わらず、謝罪ツイートにそれらの意見を引用するならまだしも、敢えて特別ひどい暴言を引用した意図が全く意味不明だった。
正直、自分のファンに「こんな酷い暴言を受けても謝罪しているアタシって可哀想」というアピールをしているように見えても仕方ないやり方だった。事実、その後Twitterでの論争は更に広がり、彼女の擁護派対オタクでの言い争いが巻き起こっている。こういった状況を誘発する事すら想像できなかったのだろうか。
世間には何も考えずに心無い暴言を吐く人間が山程いる。特にTwitterをやっている有名人というのは、そういう人間には格好の餌食だ。そういうのを真に受ける必要はどこにもないし、逆に相手にすることによって、相手の負の感情を助長してしまう事もあるので、そういう相手へのスルースキルを持つべきである。
逆に、彼女のことを親身に考えてアドバイスをしていたオタクやファンも沢山いたのだから、そういう意見を尊重し引用すべきだったのではないだろうか。そうすることで、擁護派の人もオタクの意見に寄り添えたかもしれないし、オタク側の理解者も増えていたと思う。少なくとも、今よりもう少し、平和な状況になってたと思う。
このTwitterでの一連のやり取りから感じた彼女への印象は、SNSの煽り耐性の無い人なんだなぁ、という印象である。仮にも34歳の立派な大人なのだから、SNSで発言すること、インターネットという世界中に開かれた場所で情報を発信する意味を、もっときちんと考えるべきだと思う。
最近この騒動を受けてか、Twitterアカウントを削除されたようだが、一旦彼女自身がSNSとの距離感を考える良い機会になってくれたら良いなぁと思う。
…以上が、一連の真木さんのコミケ参入に関する一連の騒動への所感です。素人意見なので、色々と間違っているところもあるかもしれないですが、自分なりに整理してみました。
いつか真木さんご自身が、これらの問題をすべてクリアにして作品を発表できる事になったら、その時は快く応援させて頂きたいですね…!
その日が来ることをお待ちしております。
私は「ゲーム・アニメなどを主食としている、主に女性向け二次創作も嗜むオタク」だ。主に、なだけであって男性向けも読むこともままある。
さらに言えば、萌えればBLだろうが百合だろうがノマカプだろうが種族を超えていようがクロスオーバーしてようが夢小説だろうが何でもいいスーパー雑食だ。
様々な原作を様々な媒体で摂取し、自分の琴線に何かしら触れたらネットの海にダイブする。
そこには同じオタクたちが素晴らしい二次創作を生み出しているのだから。
私は腐女子でもある訳だが、そんな腐女子がよく言う「固定」「雑食」「地雷」という概念に関しては、尽きることのない議論がある。
「固定」は自分が信じる絶対的な組み合わせ以外受け付けないということ。
「地雷」は自分が受け付けないもののこと。これがキャラクター(カップリング)の組み合わせなのか、シチュエーションなのかは人による。
固定でもリバを受け付けるかどうか…などもっと細かい分類もできるが、便宜上「固定」と「雑食」を中心に語りたい。
固定と雑食は根本的に分かり合えない。一神教信者と多神教信者のようなものだ。
自分が信じる何か以外はあり得ないと思っている固定は、雑草どころかその辺の土を食べているような雑食が理解できないだろう。
絶対的に信じるものが一つだけということは、信じられないものが世にはびこっているということだ。
Twitter等でよく刃物の絵文字を並べたり、ゴリラになって他者を威嚇したりする腐女子は、ほとんど苦しみのあまり武装するしかなくなった固定の人たちだろう。
では私のような、CPの組み合わせに限らずあらゆるものを食べるスーパー雑食は、何でも食べられるから苦しみはないのだろうか。
それは断じて違う。
組み合わせという食材に関してのこだわりは薄いが、シチュエーションという味付けの好みはあるからだ。
さらに困ったことに、自分ですら何がいけて何がいけないのかが分からなかったり、いざ苦手要素を並べるとクソ面倒なことになったりなどする。
プロフに「地雷は自衛するのでお気遣いなく」と書く雑食も多いが、「地雷とか苦手を書かないことがいいことだとでも思ってるの?」と苦言を呈される。
たとえば苦手を書くとどうなるか。(※あくまで個人の意見です)
・元々女々しいキャラや女の子のような見た目でないのに受けが女々しくなる
・女体化、男性の妊娠出産。オメガバースは話を振られても話せません。
・AとBをくっつけるためにAと親しいCのキャラを改変して悪人にするのも苦手です。
・パロは別人感が強まる他の要素と重なると地雷です。(例:現パロ→○、現パロ女体化オメガバース→×)
・百合と書いてあるのに蓋を開けるとふたなりになること。マジでやめてくれ。百合は百合でふたはふたで愛したい。
・百合と書いてあるのに蓋を開けると女体化なこと。女体化は女体化で百合は百合だ。やめてくれ。
etc...
後半は腐女子という観念から離れているが、我ながら面倒くさい。
こんなのがプロフにずらっと書いてあったら「お前の細かすぎる苦手意識なんて知るかよ」とならないだろうか。
こういう時は固定派の「AB以外地雷です! その他は見たくないのでブロックします!」くらいに割り切ってすっぱり言えるのが羨ましく感じてしまう。
こんな面倒くさいことを書きたくも説明したくもないので、「地雷は自衛します」と濁している人は他にもいると信じたい。
さらに雑食は固定の作品を読めるが、固定は雑食の作品を読めないことがあるので、そこに交流が生まれないというデメリットもある。
「ABは苦手だけど○○さんのABなら読めます!」という言葉もあるが、それは他のAB好きを傷つける諸刃の剣だ。
雑食であってもホイホイ気軽に誰とでも繋がれることはない。もちろん、固定同士も解釈が違ったら受け付けないだろうし、誰でも同じことだろう。
また、組み合わせよりもこうしたシチュエーションや要素が苦手・地雷なことが多いと、多くの場合「作品を読むまで分からない」という欠点がある。
R18なものは「無理やり」とか「女装攻め」とかシチュに応じたタグをつける作者も多いが、全年齢のものは多くの場合タグがついていない。注意書きにも書かれない些細な要素がじわじわと苦しめてくる。
「地雷」や「注意書き」という概念が強く根付いているのは女性向け、特に女性向けの中でもBLが中心だと当社比で感じられるため、BL以外のもので被弾することが多い。
好きなキャラの夢小説をウキウキで読んでいたら、2番目に好きなキャラが当て馬としてがっつりフラれるシーンつきで登場したり。
未知なる世界を求めたクロスオーバーに手を出したら一方がもう一方を説教する展開ばかりで萎えたり。
人外×人間だ!と異種間交流に心を躍らせていたら不思議パワーであっさり人間になってしまったり。
雑草や土塊も口に入れるけれども、味が合わないとそっと残していく。人知れず被弾してうへえと落ち込んでいるのだ。
組み合わせのみならず、シチュエーション苦手も一切ないウルトラハイパー雑食の方がいたらただただ崇めたい。
これは、私の経験則なので、中には当てはまらない人もいると思う。
下痢だ。
何が原因なのかは知らないが、厄介なことに、前触れもなく突然やってくる。
あの痛みって、なんなのだろう。
ひょっとしたら、そんなものを通り越して、いきなり肛門にダイレクトアタックの人もいるかもしれないが。
あの痛みは、例えるなら、腹を開かれて、腸をぎゅっとつかまれたような、そんなような痛みだ。
私の場合は、痛い→落ち着く→痛い→落ち着く→……のサイクルが、おおよそ5分程の周期で延々と続く。
そうして、最終的に、あいつが来る。
便意だ。
ダッシュでトイレに駆け込み、無事に出したら、「はぁ~サッパリサッパリー」。
と、素直に出せれば良いけど、私のお腹はそんなに素直じゃない。
だいたい、格闘することになる。
私の場合、「コイツが出るまで腹痛やめないぜー!」みたいなヤツが出るまでおさまらない。
私はこれを、便宜上「核便」とよんでいる。
この核便、出るまでになかなか時間がかかる。
今日も30分くらい格闘した。
こいつが出るまで、私の腹痛は続く。
加えて私は慢性的に痔なので、便が肛門を通過するたびに痛みが伴う。
さすがに大声を出すわけにもいかないので、頭のなかで大声を上げる。ああああああああああ(ry
今日、応援している声優さんがお誕生日を迎えられたので、初めてTwitterでリプを飛ばしてみた。
できるだけ目立たないよう、当たり障りのない言葉を選ぶのに一生懸命になっていたら30文字程度なのに10分もかかってしまった。
けど、送れた。緊張した。
沢山のリプが来ているから、きっと埋もれてしまうだろう。表示数の上限とかに引っかかって見れないかもしれない。
けど、それでいいと思う。
それでいい、という事にしたい。
私は、その声優さんに関してはライトなファンでいたいと考えているからだ。
私がその声優さんのファンになってから、まだ1年も経っていない。
中高生の頃はアニメをよく見ていたけれど、2次元は随分とご無沙汰だった。
ジャンルはぼかすが、お笑い・舞台・アイドル・バンドなどの「ステージを観に行く」系のものだと思ってほしい。
元々高校生の頃からそのジャンルのファンではあったのだが、大学生の頃にとある人に興味を持ち、その人を目当てに見に行く回数が増えていった。
Aの規模は決して大きくない。
「若手」とか「マイナー」とか「インディーズ」とか、そんな感じだと思ってほしい。
aさんと出会うまでは同じジャンルでももっと規模の大きなところに通っていた私は、Aでカルチャーショックを受けることになる。
距離の近さだ。
小さな会場だと、一番後ろでも表情がわかる。目が合う。
Twitterでリプを送ると反応が返ってくることがある。
そしてそういう事を繰り返していくうちに、相手に自分を覚えてもらえる。
自分の存在が相手に影響を与えているということがあんなに嬉しいとは知らなかった。
そして、そういった体験は私をどんどんaさんに夢中にさせていくことになった。
当時を振り返って、私がaさんという「沼」の深みにはまってしまった原因はなんだったんだろう?と最近考えることがあったのだけれど、決定打(致命傷というべきか)を与えたのは「チケット」かもしれない。
私は、チケットを取るのが上手かった。
なのでいつ買っても良いのだが、同じ席種のチケットでも優劣があるのは良く知られている事だと思う。
座席が決まっているものでも整理番号入場で自由席でも、基本的には先着順で良いチケットは無くなっていく。
そしてそれは運の要素ももちろんあるのだが、先着順で先頭になるテクニックというものが存在する。
決して特別なことではないのだが、私はそれをするのがどうも一般的な人よりは上手かったらしい。
Aの公演に通い始めてしばらくして、初めてチケットの発売日にチケ発をしたら最前列でみれるチケットが取れた。
本当に特別な事はしていないので驚くと共に、私は不安に襲われる。
どんなジャンルでもそうだと思うのだけれど、最前列は熱心なファン、「強火」なファンが多いものである。
そんなファンの中に、まだにわかな私が入っていっていいものなのだろうか。
いじわるをされたりしないだろうか。
遮るもののない視界。
手を伸ばせば届きそうな距離。
やっべちょうたのしい。
こうして私は、だんだんと公演を見に行く回数が増え、「前方で見ること」にこだわるようにもなっていったのだった。
それから1~2ヵ月経つ頃には、一般的に「追っかけ」というレベルになっていた。
公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。
地方の公演にも行くようになった。
出待ちも毎回するようになった。
そうするうちに、aさんもAに所属する他の演者も私の事を覚えてくれて、お互い軽口を叩ける位の関係性になっていった。
そうなるともうやめられない。
結果として私は、1年間に70~80公演、イベントも含めると100回近く、それくらいのペースでaさんに会いに行くようになった。
どんなに時間や体力や懐が厳しくても、会いに行くことをやめられなかった。
1~3年目は大学生だったので、公演がない日は隙間なくバイトのシフトを入れ、単位を落とさない程度に授業に出ていた。
キャリーバッグを持ってバイトに行き、終わり次第夜行バスに乗って地方公演に行ったり、
地方公演に行った後空港で徹夜して、始発の飛行機で戻りそのまま大荷物で大学に行ったりとなかなかアグレッシブだったと思う。
しかし、結局就職先が決まらずにフリーターをしながら資格の勉強をする道を選ぶことになる。
名前が書ければ入れるような大学ではなかったことと、その年の就活事情が「氷河期よりひどい」と言われるレベルだったことを一応言い訳させてほしい……首都圏で大卒初任給額面15万(残業代出ない)の求人を蹴ったのは間違いではないと思うんだ……。勿論私が追っかけにかまけて就活を真面目にしていなかったことが一番の原因なのだけれど。
何となく察していらっしゃるかと思うが、フリーターになったことで追っかけはとてもしやすくなった。
よく働いた。そして給料は全てaさんのために。
2年後にようやく就職するまで、私は大学生の時以上に追っかけに精を出すことになってしまったのであった。
なお、資格は3ヶ月で諦めている。費用は全て自分持ちだったので勿体ないことをした。どうせならその費用を追っかけに使えばよかったと未だに思っている。
aさんの追っかけをしていたのは正味5年間くらいだと思うのだけれど、その内4年間くらいはずっと「強火」だったんじゃないだろうか。
さっき、「公演には9割方行っていたし、その大半は前方数列以内で見ていた。」と書いたが、前方数列以内では基本的に満足せず、最前列をいつも狙っていた。
理由は色々ある。
誰よりも近くで見たかったし、他のファンが目に入るのが嫌だった。
それに、最前列にいると「誰よりも近くにいる」という優越感も出てくる。
中にはAの他のファンと結託してチケットを取っている人たちもいたから、その戦争に打ち勝ち最前列を勝ち取るのは大変だったし、自力で良いチケットを取って最前列でみれたはいいものの、他のファンから嫌がらせを受けて楽しめなかったりもした。
それでも、私はaさんを近くでみたかったし、元来勝ち気で負けず嫌いな性格なので嫌がらせなんぞに屈する訳もない。
むしろ火がついてより一層チケット取りに力を入れることになる。
テクニックで取れる先着順のチケットも、万全を期すために代行業者に頼んだりした。
手売りのチケットで順番がランダムになっていた時は30枚、50枚、100枚と良席が出るまで買い続けた。(流石に毎回は出来ないが。)
余ったチケットは定価か定価以下で譲りに出していたけど、譲り先が決まらなくて手元に結局残ってしまったことも少なくない。
今でも実家を掃除するともぎられていないチケットの束が出てきたりするのはそのせいだ。
私が100枚買ってもチケットが完売しないような状態だったから、きっとAにとっては良いお客さんだったろう。
おかげでAの演者たちから、私はそれなりに気に入られていたと感じている。
まあ、客だから悪く扱われないのは当たり前なのだけれど、他の「強火」のファンの中には割と問題児もいたりしたので「相対的に」ということだと思ってもらえればいい。
その問題児についても沢山書きたいことがあるのだが(なんせ面白い話が沢山あるのだ)、長い話になるため、まだ本題にも辿り着けていない今回は自重したい。
「詐欺」と「下肢静脈瘤」と「亀によく似ている」いうキーワードだけ置いておくのでもし増田でいつかそんな記事を見かけたらその時は宜しくお願いします。
話を戻す。
私はaさんから、他のaさんファンと比較して1番良い扱いを受けていたと思う。
「相対的に見てまとも」
「他のファンと揉めない」
「毎回来てくれる」
「チケットを沢山買ってくれる」
これなら気に入られるのは当たり前なんだけれども。
当時の私も、その事は理解していた。
やめてしまえば、今の「特別扱い」は無くなるとわかっていたからである。
私はそのポジションを守るために必死だったから、やってみて評判が良かったことは続けるようになってしまった。
チケットは、もう良いチケットを確保していてもまだ沢山残っていたら追加で買った。
差し入れは、たまにaさんだけではなく他のAの人にもさり気なく配って他の演者達からの評価も下げないように気をつけた。
出待ちで自分が話す時間が無くなっても、他のaさんのファンの子を「話しに行っておいで」と送り出した。
全部、最初は打算なくやっていたこと。
たまたま、友人を誘う予定ができたから追加でチケットを買っただけ。
たまたま、お礼をしたいことがあったから他の人にも差し入れを渡しただけ。
私が他のaさんファンから嫌がらせを受けたことがあったから、私はaさんファンに優しくしてaさんファンを増やしたかっただけ。
でも、それに「ありがとう」と言われてしまうと、やめるのが怖くなり自分をどんどん追い詰めていくようになる。
それでも、自分が特別だと思っていたし、自分が好きでやっている事だから何も気にならなかった。
けれど、
例えば、自分がどうしても譲れないと思っていた公演で最前列を取れなかった時。
例えば、自分はされたことのないファンサービスを他の人にしているのを見た時。
例えば、相手の機嫌が悪くて冷たくされた時。
_______辛かった。苦しかった。しんどかった。
Aの、aさんの熱心なファンが増えていくほど、そういう事は増えていった。
違うか。
私が、そういう事を前より気にするようになってしまっただけだ。
(だってAの客は5年間で殆ど増えなかったんだもの)(新顔が増えるのと同じくらい前からのファンが離れていったから)
自分が強火になればなるほど、その火力は沢山の利益をもたらしたけど、それと同時に私の精神は焼け爛れていった。
幸いにも、5年間の間にAの他の演者のファンで、私と同じようなスタンスで応援している信頼できる仲間ができて、その子達と相談したり協力しあっていたから孤独ではなかった。
これが辛いと愚痴を零せば「わかる、私もね……」と話をしてくれ、お互い慰め合い励ましあって。
1人でないことがどれだけ心強かったことか!
けれど、aさんはAで一番人気で一番ファンに問題児が多くて一番気分屋だったから、他のみんなより私は苦労することが多かった。
事実はどうあれ、少なくとも私はそう思っていたので、その結果
「みんなはいいよね、私なんか……」
と思う事も一度や二度ではなかった。
その頃にはもう、お金を稼ぐ時間とaさんに会いに行く時間以外はなくなっていったし、稼いだお金はいくらつぎ込んでも足りなかったから、友人からの誘いも断ることばかり。
元々私は多趣味で他にやりたいことも沢山あったけどそんな余裕はどこにもなくて、私の世界はどんどん狭くなっていく。
そしてそうなればなるほど、「私にはaさんしかいない」という盲信は強くなる一方……
「舞台の上のaさんをこれからもずっと見ていたい、応援していたい」
そう思って走り始めたはずだった。
それだけならそんなに苦しい道では無かったかもしれない。
けれど、道の途中で美味しい果物を見つけてしまって、気が付けばそれを探さずにはいられなくなってしまった。
道端に落ちていたりたまたま貰えたりすることもあったけれど、いざ探し求めるとその果物は高い木の上や険しい崖の上にあった。
手の届く所にあるものだけでは我慢できなくて、傷だらけになりながらそれを取りに行った。
同じaさんのファンを妬み、仲間を羨み、時にaさん本人すら呪い、正解も終わりもない「特別扱い」を求めて自分を追い詰めていった。
そんな日々の終わりは、意外とあっけないもので。
他のファンに、私が取った最前列の一番いい場所を理不尽に横取りされたというだけのことだったんだけど、そこで「あ、もういいや」となってしまった。
普段ならそれくらいのことで折れたりめげたりしないのにあの日はなんだったんだろう。
まあ、そんなこんなで私は頑張るのをやめた訳です。
徐々に公演に行く回数も減らして、就職をすることにした。
完全にファンをやめた訳ではなかったけれど、頑張らないというだけでとても気持ちは楽になった。
そうなると公演ものんびりと楽しめるようになる。
どういう訳だか、頑張っていた時のような興奮と感動を味わうことはなくなってしまったのだけれど、穏やかな気持ちでaさんを見られることは悪くなかった、と思う。
特別扱いは無くなるだろうと思っていたけれど、意外なことにそんな事はなかった。
たまに公演に顔を出せばいつもファンサービスをくれたし、たまに話す機会があっても今まで通り。
「そんな事をしても、もう前のようには頑張らないよ」
と言ったことがある。
しかし、そんなつもりはないと返ってきた。
それも含めて営業かもしれないが、私の5年間は一応何かしらの成果を出したのかも知れなかった。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎた頃、aさんは突然Aをやめた。そのジャンルからいなくなり、普通の人になった。
最後の公演を観に行くことはなんとなくしなかった。その必要はないと思った。
そういえばその時、aさん宛にメッセージを集めたいとaさんファンの子に言われたけれど、それは断ったのを覚えている。断った理由は忘れてしまったけれど。
こうして、私とaさんの5年間は終わった。
随分と長い昔話になってしまったが、最初の話に戻ろう。
去年、友人に勧められて見たアニメで好きになったキャラクターの声を担当していたのがその人だった。
その当時、中の人に興味がなかったので、本来であればそこで終わる話だったのかもしれない。
なのだが、そのアニメがきっかけで2次元に出戻り、色々なアニメを見たりアプリゲーをするようになって、その声優さんのキャラに惹かれることが多いことに気付いた。
あまりにもその人が声を当てている子ばかり好きになるものだから、その人の他の出演作を見てみたくなった。
その人本人にも興味が出た。
そんな感じでなんとなくその声優さんを気にかけるようになって、やがて
と思うようになる。
出演作を追えば追うほど、ラジオやなんかで人となりを知れば知るほど、その人を応援したい気持ちは増していって、
ついに自分がその声優さんのファンだと認めざるを得なくなった。
(そう、なんとここまで全て前置きなのである)
けれど、もう私はどんなジャンルであれ「強火」にはなりたくないのだ。
aさんを追いかけていた頃より歳をとってしまった今の私には、あの頃のような体力も行動力もない。
嫌な思いをしてもその人に会いに行くために全力を尽くすという気概もない。
更に、もし今その声優さんをあの頃の私の温度で追いかけようとした場合、時間も費用も体力もあの頃とは比べ物にならないだろう。
300人キャパの会場が埋まらなかったAと、売れっ子の若手声優さんでは色々な規模が違いすぎる。
イベントのチケットを取ろうとしたってあの頃のようにほいほい最前列が取れるわけもないし、そもそもチケット自体激戦で取れないことだってある。
リプを返してもらえたり、出待ちやなんかで直接話す機会が沢山あったaさんとは違うのだ。
この先その声優さんのファンをやってて、果たして直接話せる機会なんて来るんだろうか。
理解しているのだが。
では、どうやってファンをしたらいいのだろう。
ファンであると自覚してから、最初に興味を持ったのは声優イベントだった。
元々「見に行く」ジャンルにいたせいだろうか、直接本人が見れるイベントに行きたくてたまらなくなったのである。
正直悩んだ。
イベントに行く=ガチ勢、というような印象があったし、aさんを追いかけていた頃の悪い癖が出そうで嫌だった。
間違いなく、行けば深入りするきっかけになってしまいそうだと思った。
けれど、誘惑にはめっぽう弱い私なので、結局、とあるイベントに行ってしまった。
悩んだが、行ってよかったと思っている。後悔はしていない。
「うわーーー生きて動いて喋ってるーーーキャーー」
というクソみたいな感想しか出てこなかったが、実際に生で喋っているその人を見れて嬉しかったし、話し方や表情の動きを見ているだけで本当に楽しかった。
その人の服装、持ち物、連れと来ていればその関係性と会話の内容、
どの程度必死なファンなのか、人間性はどうか、マナー違反をしていないか、ファンサービスをされているか……など。
つまりは、
「あっ、今あの人わかりやすくファンサされた。最前列にいるし言動からして熱心なファンのようだし、もしかしたらあの声優さんから認知されている常連のファンなのかもしれない。やだなー、あの人さっき友達割り込ませてたじゃん、そんな人がファンサ受けるなんて……」
Aを見に行っていた当時は、
見ない顔があれば観察して、誰のファンなのか、aさんに認知されているのか、どの程度の頻度で来ているのか、最前列を狙うようなファンだろうか、迷惑行為をしたりするような人ではないだろうか……
と、毎回そんな感じで他のファンを観察していた。
観察する理由は色々だが、「知らない人がいるのが嫌」ということにまとめられる。
aさんのことはなんでも知りたくて、それは「どんなファンがいるか、そのファンにどんな対応をしているか」という点についても同様だったのである。
そして、観察対象と自分を比較して不安になったり安心したりするのが常であった。
その癖は対象がかわっても治らなかったようで、私はその日、他のファンを観察しては一喜一憂していた。
その声優さんのファン層やファンサの仕方を知りたい、という好奇心だけならよかった。
けれど、自分よりも熱心で、沢山その人に会いに行っていて、更に自分より前列で見ている相手がいると勝手に妬み、勝手に自分を卑下して、勝手に傷ついてしまう。
「好き」という感情を他人と比較することも自分の定規で他人のものまで測るのも、無意味で無様で失礼なことだ。
またマウンティングゴリラになってクソの役にも立たない優越感を味わいたいのかもしれない。マウンティングする力なんてもうないのに。
こういう気持ちを打ち明けられて、相談できる同じ趣味の仲間がいたら、と思う時がある。
けれど、同じ人のファンとは表面上の付き合いしかできる気がしないし、例えば違う声優さんのファンだったとしても、過去の私は違う人のファンにまで嫉妬をしてしまっている。
そもそも、こんな面倒臭くて考え方が危ない人間であることを受け入れてくれる人がどこにいるんだろう。
なので、声優ファンの友人を作るのがとても怖い。
先日、同じ声優さんのファンの方からTwitterで声をかけられ相互フォローになったが、とても窮屈な気持ちになっている。
私の不用意な発言でその人を傷つけてしまうかもしれない。嫌な思いをさせたくない。
私のこんな澱んだ感情は隠し通さねばならないと思い、息が詰まる。
もうひとつ厄介なのが、Aを追いかけていた頃に培った技術がどうもこのジャンルでも多少有用らしいこと。
最近は二回連続イベントで最前列を取ることができたし(これは指定席や抽選ではないやつ)、ちょっと取りにくいチケットも普通に取れた。