はてなキーワード: バタフライ効果とは
ピーター・ムーアというアディダスやナイキのロゴを作った人から命名された法則。
ジャガイモとビールが合うように、ある食べ物には必ず合う飲み物があるという法則。
オープンワールドのゲームでは、アンカリングされた地点にファストトラベルできる機能があると便利だよいう意味。
「オデ…オデ…」と一人称をオデにするだけでゴーレムのように見えてしまう効果。
監獄にスタンフォードの本を配ったらみんな改心したという感動の実験。
蝶はよく見ると気持ち悪いのに、みんなに愛されている。
若い頃はずっと新しいものを追い求めていたし、歳を取ってからもそれに食らいついていきたかった。
だけど今振り返ってみると、新しいものが次々と生み出されていく一方で、古いものがどんどん失われていっている。
常に未来とは輝かしいもので、古いものは打倒される運命にあると信じていたが、その結果はどうだ。先に進むどころか衰退している。
永久に保護され、保全されるものなどありはしないが、それがいつか跡形もなく消え去ってしまうとしても、結局何も変わらなかった、やっても無駄だってことにはならない。
自分に何かできることがあって、それがこの世界に影響を与えるというのなら、あとはそれがバタフライ効果のように拡がっていけばいいんだ。
毎日を生きるのが精一杯だと思っていたが、そんなことを考える余裕があるんだから、マズロー的には意外と悪くない人生なんだろうか。
まあ、そう言ったところで多くの人には信じてもらえないのだろう。
だからまずは、どのようにタイムリープが可能となったのか、その理屈を述べ、
今回のタイムリープには協力者が居て、その人のおかげでタイムリープが実現できた。
それ以上のことは先方との約束により、絶対に明らかにできない。
しかし、タイムリープの理屈など、私にとってはどうでもいいことだ。
そんなことよりも、タイムリープによって知った驚きの事実を、私は「ある期待」を込めて皆に伝えたいのだ。
さて、そもそも私の場合、入試や恋愛、大きな事件事故など、現在に至るまでの人生の中で、
強い悔いを残し、これだけは絶対に変えたい!というイベントは特に無かったのだ。
それでも、先方からのタイムリープの誘いに乗ったのは、既に結果を知る過去を再度歩めるのなら、
そこに現れる人生の選択肢もより良いものが選べるはずだと考えたからだった。
例えば、学生の頃のテストは現在の知識によって、より良い点数が取れるだろう。
また逆に、記憶の限り日々のトラブルはすべて回避できるだろう。そういったことだ。
すなわち、自分の記憶によって、2度目の過去ではより良い選択肢が選べ、
現在までの人生をもっと高いステージに引き上げることができるだろうと思ったのだ。
おそらく、大多数の人間がそう考えるように。
ちなみに、私には中学生の頃から、大学ノートに日記を記す習慣があった。
さすがに、過去の細かなことなど覚えていないわけで、過去をより良く選択するには、
日記という貴重なデータを絶対に持っていく必要があると思った。
だから、先方にも無理を言って説得し、その十数冊ある日記の束と共にタイムリープすることを許してもらった。
しかしながら、今になって思い返してみれば、それが一番の悪手であった。
その日記という紙束が、自分の選択肢を強く制約し、新たな可能性を潰してしまったのだ。
つまりは、実際にタイムリープしてみると、日記の記載と記憶どおりの人生を歩んでしまい、
新たな選択肢を選び直すことなどほとんどできやしなかったのだ。
いや、タイムリープして最初のうちは、出し惜しみのつもりだった。
その不思議さは、自分が全知であるかのような錯覚を生む。このままで居たい。
そこで、新たな選択は未来を知る自分のアドバンテージを損なうことなのだと理屈を付けた。
そして、自分はまだ中学生なのだから、さほど大きな選択肢も無いだろうと、
タイムリープして最初のうちは意図的に、1度目の過去とわりと同じ選択肢を選び続けていたのだった。
さらに、先に述べたとおり、私には絶対に変えたいというイベントが特に無かった。
そのため、新たな選択肢を出し惜しむ状態は、数年間にも渡って続いてしまった。
しかし、高校生にもなれば、日々の会話の中で「バタフライ効果」の存在に思い至る。
どんな小さな行動でも、新たな選択肢を選んでしまえばその影響の大きさは読み切れない。
未来を知るアドバンテージもその行動に留まらず、完全に失われかねない。
それに気づいてからは全てを不安に感じ始めてしまい、いつか来る大きな選択肢のために
そのアドバンテージを保持しようと、それが自分にとって良いことであろうと悪いことであろうと、
ひたすら日記の記載と記憶の通り行動した。それは大人になっても同じだった。
例えば、その日は職場でトラブルを起こし、大迷惑をかけるとわかっていた。
それでも出勤し、何の対策も取らず、上司に怒られながら対応に奔走した。
例えば、その日は旅行でどんな光景を見たのか、おぼろ気ながらも覚えていた。
それでも出発し、同じ忘れ物をして、退屈を感じながらも時刻表に追われた。
もちろん、毎日何を食べて暮らしていたかなど、日記にも記憶にも無いこともあったが、
それらは詳しく追わなかった。それなら、意識しないことこそ自然だと思ったから。
そして日記も書いた。
日記を書くというよりは、持参した日記の単なる引き写しでしかなかったわけだが。
それでも、日記を書かないこともバタフライ効果を起こすと信じてしまい、
持参した日記をまっさらな大学ノートにそのまま書写するという、
客観的に見ればまさに馬鹿馬鹿しいだろう行動を、現在まで真剣に続けてきたのだった。
そうやって、タイムリープの出発時点である「現在」に十数年もかけて、ただ出戻ってしまったわけだ。
外見的には、同じ日記の束が1組増えただけのひたすら長い時間だった。
ここまで述べた思考過程により、人生を変えるような選択肢は何一つ選べなかったわけだが、
それでも、一つだけ新たに気づいたことがある。
それは、2度目の過去は少々退屈ではあるけれど、ひたすら快適だということだった。
2度目の過去の後半はむしろ、自発的に新たな選択肢を選ぼうとしなかったのかもしれない。
なにしろ、選択肢を選び直さなければ、明日に何が起こるのかまたわかるのだから。
その明日がトラブルだらけだったとしても、それはいつどのように治まるかを知っている。
「止まない雨は無い」ということを、実体験によりわかっていたのだ。
それゆえ、バタフライ効果の影響が狭まったやり直しの後半においても、
トラブルを回避するつもりの選択肢を選ぶリスク(バタフライ効果でそれはリスクにもなり得るのだ)より、
そうして、私はこの2度目の現在に至るまで、リスクのある新しい選択肢ではなく、
苦しくとも理解できる未来が選べる快適さの方を選んできたのだった。
ここまで長々と書いてきたが、今回のタイムリープでは、
タイムリープによる人生のやり直しなど物語上の幻想に過ぎないと身を以て知った。
おそらく、私のような常人には、タイムリープを以てしても人生はやり直せない。
タイムリープで人生をやり直すには、タイムリープの誘いを受けたという幸運だけでなく、
ある種の快適さ、未来を知る快適さを打ち捨てるだけの強い意志が必要なのだ。
それは本当に強い意志だ。私が驚きとともに伝えたかったのは、まさにそのことだ。
人生にやり直しがきかないのは、タイムリープができないからではないのだ。
たしか小学生の頃には、私もいわゆるロールプレイングゲームで遊んだことがある。
なぜなら、ガイドブックが存在する範囲のシナリオが終わってしまうと、
何をどう進めて最終目標に向かえばよいかわからなかったからだ。
そのことを、2度目の現在に戻ってようやく思い出す。
これからの、日記も記憶も、当然ガイドブックも無いまっさらな未来が本当に恐ろしい。
それに比べて、あの快適さに包まれた過去の日々は、本当に素晴らしいものだった。
強い意志の無い私のような人間には、新たな選択肢が選べ直せないと重々わかりきった上でも、
もう一度、日記とともにタイムリープを繰り返したいと思うくらいに。
そして、今はあの「現在」だ。タイムリープの出発時点である「現在」だ。
だから、1度目の人生と同様、協力者である先方は再び現れるはずだ。
迷惑メールのようなぎこちない文面で、タイムリープの誘いを持ち掛けてくるはずなのだ。
そう、そのはずだったのだ。
しかし、タイムリープの誘いを持ち掛けるメールは、いまだに来ない。
その時期が日記の記載から遅れていても許すから、どうか早く現れてほしい。
まっさらな未来などまっぴらだ。もう、結果のわからない未来なんて体験したくない。
私はタイムリープで、あの快適な過去にもう一度引きこもりたいのだ。
かつては、タイムリープでもう一度、人生をやり直すことを期待していたが、
今回は、タイムリープでもう一度、人生を「繰り返す」ためにメールが欲しいのだ。
そう思いながら、メールを更新しては気分の塞ぐ日々を過ごしていたが、
昨日ようやく、自分がバタフライ効果から解放されていることに気づいた。
自分にはもう、守るべき「1度目の過去」は存在しないのだから、
バタフライ効果を恐れて、現状を維持しようと努めなくてもよいのだ。
長い習慣ゆえ、そんな当たり前のことに思い至るまで時間がかかってしまったが、
とにかく、現状を打破する行動のひとつとして、この長すぎる文章を書いた。
先述の「ある期待」というのも、まさにそういうことだ。
あんなに嫌っていたバタフライ効果だったわけだが、今回はそれに「期待」を込めて、
まず物語の根幹がおかしい。未来から来て過去を変える物語は数あれど、基本的に変更は一発勝負が原則だ。過去の出来事を何個も変えるという発想自体が有りえない。なぜなら、映画にもなった「バタフライ効果」があるからだ。一つ目の要人暗殺を回避し、成立する法律すら変わっている状況では、未来の出来事は全て変わる。元の歴史で起こっていたコロニー墜落の事故が同じ犯人で同じタイミングで起こるとか有りえない。
それ以外にもAIの描写とかコロニーの描写とかデタラメもいいとこだ。そもそも地球を周回しているコロニーの起動速度を殺して地球に落下させるのは容易ではない。物質に軌道速度を与えるとの、軌道速度を奪うのは、同じだからだ。ロケット打ち上げ時と同じような耐G設備に乗務員全員を押し込んで数分間加速するような速度変更が必要だ。あんな「ごうん」レベルの速度変化で落下するわけがない。
=== 1 ===
私は今、過去へとタイムリープして、2度目の「現在」を生きている。
まあ、そう言ったところで多くの人には信じてもらえないのだろう。
だからまずは、どのようにタイムリープが可能となったのか、その理屈を述べ、
今回のタイムリープには協力者が居て、その人のおかげでタイムリープが実現できた。
それ以上のことは先方との約束により、絶対に明らかにできない。
しかし、タイムリープの理屈など、私にとってはどうでもいいのだ。
私が伝えたいのは、タイムリープを以てしても、結局人生はやり直せなかったという事実だ。
タイムリープで人生をやり直すには、タイムリープの誘いを受けたという幸運だけでなく、
ある種の「快適さ」を打ち捨てるだけの強い意志が必要だと知ったのだ。
身を以て知ったその事実を、強い驚きに加えて、ある「期待」を持って皆に伝えたいのだ。
=== 2 ===
そもそも私の場合、入試や恋愛、大きな事件事故など、「現在」に至るまでの人生の中で、
強い悔いを残し、これだけは絶対に変えたい!というイベントは特に無かった。
それでも、先方からのタイムリープの誘いに乗ったのは、既に結果を知る過去を再度歩めるのだから、
そこに現れる人生の選択肢もより良いものが選べるはずだと考えたからだった。
例えば、学生の頃のテストは「現在」の知識によって、より良い点数が取れるだろう。
また逆に、記憶の限り日々のトラブルはすべて回避できるだろう。そういったことだ。
すなわち、自分の記憶によって、2度目の過去ではより良い選択肢が選べ、
「現在」までの人生をもっと高いステージに引き上げることができるだろうと思ったのだ。
おそらく、大多数の人間がそう考えるように。
ちなみに、私には中学生の頃から、大学ノートに日記を記す習慣があった。
さすがに、過去の細かなことなど覚えていないわけで、過去をより良く選択するには、
日記という貴重なデータを絶対に持っていく必要があると思った。
だから、先方にも無理を言って説得し、
その十数冊ある日記の束と共にタイムリープすることを許してもらった。
しかしながら、今になって思い返してみれば、それが一番の悪手だった。
その日記という紙束が、自分の選択肢を強く制約し、新たな可能性を潰してしまったのだ。
すなわち、実際にタイムリープしてみると、日記の記載と記憶どおりの人生を歩んでしまい、
新たな選択肢を選び直すことなどほとんどできやしなかったのだ。
いや、タイムリープして最初のうちは、出し惜しみのつもりだった。
その不思議さは、自分が全知であるかのような錯覚を生む。このままで居たい。
そこで、新たな選択は未来を知るアドバンテージを損なうことなのだと理屈を付けた。
そして、自分はまだ中学生なのだから、さほど大きな選択肢も無いだろうと、
タイムリープして最初のうちは意図的に、1度目の過去とわりと同じ選択肢を選び続けていたのだった。
さらに、先に述べたとおり、私には絶対に変えたいというイベントが特に無かった。
そのため、新たな選択肢を出し惜しむ状態は、数年間にも渡って続いてしまった。
しかし、高校生にもなれば、日々の会話の中で「バタフライ効果」の存在に思い至る。
どんな小さな行動でも、新たな選択肢を選んでしまえばその影響の大きさは読み切れない。
未来を知るアドバンテージもその行動に留まらず、完全に失われかねない。
それに気づいてからは全てを不安に感じ始めてしまい、いつか来る大きな選択肢のために
そのアドバンテージを保持しようと、それが自分にとって良いことであろうと悪いことであろうと、
ひたすら日記の記載と記憶の通り行動した。それは大人になっても同じだった。
例えば、その日は職場でトラブルを起こし、大迷惑をかけるとわかっていた。
それでも出勤し、何の対策も取らず、上司に怒られながら対応に奔走した。
例えば、その日は旅行でどんな光景を見たのか、おぼろ気ながらも覚えていた。
それでも出発し、同じ忘れ物をして、退屈を感じながらも時刻表に追われた。
もちろん、毎日何を食べて暮らしていたかなど、日記にも記憶にも無いこともあったが、
それらは詳しく追わなかった。それなら、意識しないことこそ自然だと思ったから。
そして日記も書いた。
日記を書くというよりは、持参した日記の単なる引き写しでしかなかったわけだが。
それでも、日記を書かないことも「バタフライ効果」を起こすと信じてしまい、
持参した日記をまっさらな大学ノートにそのまま書写するという、
客観的に見ればまさに馬鹿馬鹿しいだろう行動を、「現在」まで真剣に続けてきたのだった。
=== 3 ===
そうやって、タイムリープの出発時点である「現在」に十数年もかけて、ただ出戻ってしまったわけだ。
外見的には、同じ日記の束が1組増えただけのひたすら長い時間だった。
前節に述べた思考過程により、人生を変えるような選択肢は何一つ選べなかったわけだが、
それでも、一つだけ新たに気づいたことがある。
それは、2度目の過去は少々退屈ではあるけれど、ひたすら快適だということだった。
2度目の過去の後半はむしろ、自発的に新たな選択肢を選ぼうとしなかったのかもしれない。
なにしろ、選択肢を選び直さなければ、明日に何が起こるのかまたわかるのだから。
その明日がトラブルだらけだったとしても、それはいつどのように治まるかを知っている。
「止まない雨は無い」ということを、実体験によりわかっていたのだ。
それゆえ、「バタフライ効果」の影響が狭まったやり直しの後半においても、
トラブルを回避するつもりの選択肢を選ぶリスク(「バタフライ効果」でリスクにもなり得るのだ)より、
そうして、私は「現在」に至るまで、リスクのある新しい選択肢ではなく、
苦しくとも理解できる未来が選べる「快適さ」の方を選んできたのだった。
たしか小学生の頃には、私もいわゆるロールプレイングゲームで遊んだことがある。
なぜなら、ガイドブックが存在する範囲のシナリオが終わってしまうと、
何をどう進めて最終目標に向かえばよいかわからなかったからだ。
そのことを、2度目の「現在」に戻ってようやく思い出す。
これからの、日記も記憶も、当然ガイドブックも無いまっさらな未来が本当に恐ろしい。
それに比べて、あの「快適さ」に包まれた過去の日々は、本当に素晴らしいものだった。
強い意志の無い私のような人間には、新たな選択肢が選べ直せないと重々わかりきった上でも、
もう一度、日記とともにタイムリープを繰り返したいと思うくらいに。
そして、今はあの「現在」だ。
1度目の人生と同様、かの先方は再び現れるはずだ。
迷惑メールのようなぎこちない文面で、タイムリープの誘いを持ち掛けてくるはずなのだ。
=== 4 ===
そう、そのはずだったのだ。
しかし、タイムリープの誘いを持ち掛けるメールは、いまだに来ない。
その時期が日記の記載から遅れていても許すから、どうか早く現れてほしい。
食パン云々が「AIだと思ってるのか?」って部分へのツッコミなんだったらお前相当例え話下手だし頭も悪いからマジで喋らない方がいいよ
お前が頭悪い前提でカッコ付きで但書をしてやっただけだけでその前は反語表現だからね、分かりますか?
AIだとでも思ってる馬鹿なんだろう、AIですら背景となるデータがあって出力が成立するのにいわんや人間をや、って話だからね
それ以下の話も何の整合性もなく結論も結べてないので相手にする価値ないしな
バタフライ効果なんて下らない水掛け論を平然と反論として使うのはゲスの勘ぐり以下の妄想、陰謀論程度の与太話だね、しかも結局作者に背景があることを認めてるじゃねえか
うまいことネットとかを使って未来人としての地位を確立し、新型コロナに言及するだけでも随分変わってきそう
でも今なんの準備もなく放り出されたらけっこう何もできない気がするんだよな
覚えてる災害系のニュースが全然ない 一番未来人ぽさがある地震も最近でかいのがなかったような気がする
政治芸能系ニュースも覚えてねえ Brexitなんかデカいけど別にここ一年でなんかが決まったって感じではないし
逆に流行るミームとかポップカルチャー系を予言しとけばいいのか?でも漫画のネタバレとかやるのは害悪だし、なんつうか出方が難しい
武漢に出かけて市場でコウモリ食うな!って叫びまくるヤバい日本人になったらバタフライ効果でなんとかなったりするのかな 報われなさすぎる
こんにちは。2018年、あなたの両親はこの時何歳ですか?現時点では2020年の東京オリンピックはまだ開催されてませんが、あなたにとっては大昔の出来事なんでしょうね。ドラえもん、ドラゴンボール、ポケモン、マリオ、クレヨンしんちゃん、サザエさん...この中で知ってるものはありますか?平成の次の元号は何年続きましたか?まだ続いてますか?バタフライ効果って知ってますか?北京で蝶が羽ばたらニューヨークで竜巻が起きるってやつ。あなたがもし30歳以下なら、今はまだ全然生まれてないですよね。あなたの両親が出会い、あなたが生まれたのは奇跡だと思いませんか?北京の蝶じゃないですけど、今これを書いてる人間が何かしたら、あなたは別のあなただったかも知れないですね。もしくは逆に、何かした結果が今のあなたかも知れませんね。どうなんでしょうね。まぁこの話はこの辺りにして。また会うことがあればよろしくお願いしますね。ではではご両親によろしくお伝えください。
今更感あるけど、最近知り合いが未来人の予言の類を真に受けて、勝手に終末思想にハマり出したので書いておく。
断っておくが俺はSFが好きだ。ジョン・タイターも2062も、読み物としてめちゃワクワクした。
まず、未来人にはいくつかお約束があるので、おさらいしてみる。
これらの基礎になっているのが、パラレルワールドやバタフライ効果といった概念だ。
パラレルワールドは、大雑把にいうと「〇〇が、起こった世界/起こらなかった世界」が分離して並行するようなイメージだ。
この場合はパラレル時間軸という方が正しいかもしれない。カッコよく「世界線」と表現されたりもする。
そして、バタフライ効果とは予測の困難性を表す表現で、初期値のわずかな差が、結果に大きな違いを生むことを指す。
「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」という問いに対して、その羽ばたきが他の何かに影響を及ぼし、それらが要因として積もりながら伝搬していく可能性を考えると、「起こり得るとしか言えない」という考えだ。
ベルリンの壁は、たった一人の伝達ミスを発端に崩壊に至ったと言われている。
その彼が伝達ミスを犯した要因は、疲れていたのかもしれないし、食あたりだったのかもしれない。
さらにその疲れや食あたりの要因は、隣人による前日深夜のどんちゃん騒ぎだったかもしれないし、食材の遅配だったかもしれない。
さらにさらにもっと手前の要因に遡ると、降雨の一滴や、小隕石の衝突に辿り着くかもしれない。
逆もまた然りで、今日あなたが蹴飛ばした小石がきっかけで、人類が滅亡することだって無いとは言い切れない。
バタフライ効果を否定できない以上、未来から過去へのタイムトラベルにはパラレルワールドの概念が必須になる。
大小はあれど、バタフライ効果によって引き起こされる「タイムパラドックス」を「新たな時間軸への分岐」という形で吸収できるようになるからだ。
そして、パラレルワールドを基礎にしたタイムトラベルには致命的な欠陥がある。
とても都合よく時間を分岐させない限り、パラレルワールドは無限に存在することになる。
係数が0でない限り、「1掛ける無限」も、「3掛ける無限」も、無限以外の解を生まない。
するとどうなるか。どこかの時間軸の一人のジョン・タイターが現代を目指した段階で、
文字通り無限のジョン・タイターたちが、同時に現代にタイムトラベルしてくることになる。
無限のジョン・タイターが物理的に出現すると、質量も無限になり、すぐさまブラックホールと化してしまう。
これが、今までに噂された未来人の出現が全て作り話だという理由だ。
仮に、無限の可能性やタイムパラドックスの壁も超えて、本当にタイムトラベルしてきたというなら、
その技はもう神の所業としか言いようが無く、解釈の揺れ幅を持った暗号伝達のようなケチくさい真似をせず、
堂々と神として降臨して、現代の迷える子羊たちを救ってくれることを期待する。
無限のジョン・タイターのくだりがイマイチ伝わりにくかったかもしれないので追記する。
このようなコメントがあったので、
便宜上、ジョン・タイターの言う第三次大戦で大雑把な分岐をイメージしてみる。
この場合、一見Aタイターだけがタイムトラベルを行い、それを俺たちが観測したものとして自然に見える。
3つの時間軸のうち、1つの時間軸からジョン・タイターがやって来たのだ。
無限のパラレルワールド分岐を認めた時点で、これは成り立たなくなる。
現在と未来は、1:1の関係性では無く、無限:無限の関係性になる。
上記の例では「全タイターのうち33%がタイムトラベルを行う」計算だが、
仮に、もっと色んな時間軸に分岐させて、ものすごく確率の低そうな「全タイターのうち0.0000000001%がタイムトラベルを行う」と仮定しても、
無限に試行すれば結果も無限にしかならない。0%でない限り、無限に何を掛けても無限にしかならないのだ。
1億とか1兆とか1京ではない。無限だ。
つまり、Aタイターがタイムトラベルに成功した(確率が0より大きくなった)時点で、∞タイターが押し寄せて来てしまうのだ。
確かに「現代の時間軸に、無限のジョン・タイターがやって来る」のは都合が良すぎたかもしれない。
バタフライ効果で無限にブレた結果、「全ての過去、未来が、無限のジョン・タイターで溢れる」の方が正しい。
やっぱり神じゃないか。