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「冴えない彼女の育てかた」特集 原作イラスト・深崎暮人インタビュー (3/3) - コミックナタリー 特集・インタビュー
──なるほど、それは描き手でないと気付かない視点かもしれません。また、「冴えカノ」1巻が出た頃と今を比較すると、深崎さんの絵柄は大きく変わりましたよね。
そうですね。絵のトレンドは目まぐるしく変わっていくので、ブラッシュアップしていきたいとは思っていたんですが、明確に変えたのは「冴えカノ」のアニメ化がきっかけです。キャラクターデザインの高瀬智章さんの絵が「今後のトレンドになりうる絵柄だな」と感じたのと、原作とアニメとの距離を縮めたいという思いもあったので、いいタイミングだったと思います。高瀬さんにキャラデザを担当していただけてよかったです。
『「冴えカノ」1巻が出た頃』は「また随分絵柄変えてきたな…やっぱり一般向けというか全年齢向けを意識したのかな?正直キャラデザの魅力は落としたような気がするけど」というのが個人的感想で、アニメ「冴えカノ」~「冴えカノ♭」の頃には「え!?もうコレ完全にこのままc○mic阿吽の表紙飾れるよね?」と吃驚した記憶がある。よって「明確に変えたのは「冴えカノ」のアニメ化がきっかけ」と言ってる事にはどうしても納得できない。元々成年向け作品でカワイさエロさ全振りの絵柄を追求し一般向けではエロカワイさを抑えてスタイリッシュの方向を模索していた筈が、いつの頃からか「カワイさエロさ全振り」のキャラデザが男性のみならず女性にも一定の支持を得るようになったので、だったらもう成年一般の区別して仕事しなくていいやという感じになったのが正にこの深崎という人だと勝手に思っている。
誤字があったので差し替え、A部署に見せたらこの表現は変えて欲しいと言われたので差し替え、B部署に見せたらry差し替え、他のページとの揺れが発覚したので差し替え、テスターさんから◯◯の方がいいのでは?と提案があったので差し替え、ここはまずいので削除、やっぱりこれを入れてほしいetcetc…をn回(好きな数字を入れてね!)繰り返し
んなああああああああん!!
デザインの時に共有したのに、実装終わった今の段階でそれ言うーー?!
ってか何回も共有したじゃーんんん!
関係各所にもうとっくに共有済みで合意取れてると思ったら、前日の夜まであれもこれもと加えてくる。
いや仕方ないよ?!直したいよ!直すけどさ!
でもそれせめてもう3日前とかに言ってよおおおんんん。
差し替えるだけだよ差し替えるだけ、でもちりつもだよ!チリも積もれば山だよ山ーあ!
っていうかこういう細々した差し替え作業が無ければもっと細部をね、ブラッシュアップする時間がとれたりね、するわけですよ。
じゃあこっちで何ができるかと言いますとね、あらかじめ差し替えが楽なデータを作ること!なんだけどなんかそれってちょっと諦めも入ってるよね。
あとはこっちで気づいたらツッコミ入れるとかね!
とはいえなんかさ、これがもし本だったら死ぬ気で誤字脱字が無いか見ると思うんだよ。
デジタルな物だから、公開ギリギリまで修正が効くから自分も含めふわーっとしてるんだよなーーー。
FIXって何?って聞きたい。
平成も最後だし、なんかいつ不況が来るかもわからない状況な気もするし、
今のうちに年収上げておきたいなんて考えている人もいるのかなと思い、
本当に普通な感じで埋もれているエンジニアが転職した時の話をしようと思う。
現在私は同業界の大手企業で働いている。転職結果としては年収も大きく上がったし、
年齢:39歳
<前職>
中堅の独立系SI企業(WEBもSierもやってるような感じ)社員600名程度
に所属していた。勤続は7年目
<技術力>
技術力はほんとに並の下程度。
JavaとかPHPとかやっていて、PHPがメインだったかな。主にWEBサービスを作ったり、社内WEBシステム作ったりしてた。
プログラミングの基礎はあるし、SQLやその他DBの知識もそれなりにある。サーバーの知識はあんまりないし、
Linuxのコマンドは正直ちょっと苦手だし、AWSとか触ってないし、なんならApacheだってそんなに詳しくない。
ググっていつも解決する。フルスタックエンジニア?なんだそれ?こちらサーバーサイドエンジニアだ、文句あんのか?
新しい技術や言語は基礎があるので飲み込みは早い方だと思う。なので対応力はある方だ。Rubyでもpythonでもコード見れば読めるし、
大抵のことは理解できると思う。でも業務では使ってない。JQureyもまぁ普通に使えるけどJSのコードとかたぶん汚いと思う。
色々と新しい技術をググって記事見たりして「わかった気になるタイプ」だと思う。36歳くらいでやっと「デザインパターン」
知らないとやばいんだ。勉強しないと!と焦って本だけ一応読んで「わかった気」になった。
ここまで読めばわかると思うけどエンジニアとしてはだいぶ「ポンコツ」だ。
でも仕事のためにやってるエンジニアとか結構こういう人が大半な気もするんだよね。
立ち位置は開発リードとか設計とか上流も少しやってた。年齢のせいもあると思うけど、
まぁうまく立ち回って仕事してた感じだと思う。コミュ力はそれなりにある方だと思う。
もうエンジニアとかお前が名乗るなよとか言われそうだな。。。すまん。
このまま、今のポジションで仕事を続けてたら永遠に新しいこととか他の言語を使って業務をすることができそうになかったから。
嘘だ、人間関係だ。ほとほと同僚、後輩、パートナーに愛想が尽きたからだ。それと上司やその上の部長にもだ。
客先で顧客と一緒に仕事をしてたが顧客側の人はほんとにまともで良い人ばっかりだった。転職する時にそれだけ、ちょっと寂しくなったな。
ポンコツながらプロジェクトでは納期を守り何とかやり抜いてきたが、全く評価されない現実もあり、それも嫌だった。あと、給料安い。
表向きはいろんな理由があるだろうけど、転職する人の理由はきっとこれが現実だと思う。
<概要>
転職を決意
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DODAとリクルート系は良い思い出が一切ないので登録してない。
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ビズリーチ経由でB社で金融系ITに強めの転職エージェントに会う
↓
<詳細と雑感>
転職しよう!と思ってからとりあず動けーーー!って感じで動いた感じです。
総応募数は覚えてないけど30~50社くらいだったと思う。書類で超落ちる。年齢のせいも大きい。
エン転職のスカウトは全然ダメだった。めぼしい企業がなかったし、年齢のせいか知らんけど、
ギークリーから応募したのが一番多いと思うけど、とにかく手あたり次第に紹介してくる。
よさそうな企業もあったけど、面接まで行ったのは4社程度ですべてお祈りだった。
2次や最終までは行くが、いまいち紹介された企業に自分の志望動機を合わせる作業がどうにも苦手でうまく行かなかった。
ギークリーはほんとに求人が多いから、たくさん見て選びたい人には向いてると思うけど、自分には向いてなかったな。
他にもビズリーチ経由で4社くらい直接カジュアル面談があったけど、有名なY社とか、運輸系のY社のシステム会社とか、
印刷系のD社の子会社とか、どれも最初のカジュアル面談で、それ以後連絡なかったなぁ。
そんな感じで行き詰って2か月。心機一転また別のところ!というのと、
自分でもう一度ポンコツなりに職務経歴書を頑張ってブラッシュアップし、面接対策もして、改めてA社とB社とつながった。
B社からの紹介はとても面白い会社だったし、一次面接もかなり好感触だったのだが、なぜかその後に論文筆記があり、
書いて出したら、落ちた。どうやら思想が合わなかったらしい。
A社から紹介されたのが、医療系のWEBサービスの会社と誰もが知ってる大手企業。
どうやら大手企業とは結構つながりのあるエージェント会社だったみたい。
自分が大手に行けるか半信半疑だったが、面接対策も結構しっかりしてくれて助かった。
同じ質問を面接でされたので、うまく答えることができたと思うし、職務経歴書も一緒に見てくれた。
そして、2か月でこの医療系の会社と大手から内定を頂いた。転職活動は実質4か月くらい。
どちらも良い会社だったので、本当に迷ったが、大手の方にした。
断るのもエージェントがやってくれるのでこれも結構気持ちが楽だった。
<振り返って思うこと>
ポンコツなりにアピールできるポイントがあれば、それをしっかりアピールするような職務経歴書を作ったり、
私の場合は3回目の転職だったので、今までの経歴をきちんとよどみなくアピールできるような練習は有効だった。
転職活動初期は全然対策してないこともあって、やっぱり落ちたのかなと思う。
だんだんエンジンがかかって、面接にも慣れていき、最終的に大物ゲットできた感じだ。
そして、面接ではやっぱり自分はできる奴だ!ということをちゃんとアピールした方がいいと思った。
謙遜とかいらないし、こういう職務なんですができますか?と言われても、普通に全然問題ないです。くらいに言ってもいいと思う。
ハイスペックエンジニアとかいやいや十分すごいですわ的なエンジニアは、自分で活動して、普通に交渉もして、
自分がより有利な環境を手に入れることができると思うけど、私のようなポンコツは普通にエージェント使って、
普通に応募して、面接対策しっかりして、志望動機もちゃんと頑張ってたくさん考えて、ちゃんと喋る練習して、それで行けば結構いけると思う。
落ちるのはやっぱり職務経歴書がまだちゃんと練れてないのと、面接の練習や、志望動機が甘いんだと思う。そこを頑張れば良い環境に転職できると思う。
おススメのエージェントとかは特にないかな。自分に合ったものを自分で転職活動しながら、見つけるのが良いと思う。
1つ言うならエージェントを1つに絞らないことかな。忙しくなるけど、いろんな所と付き合って、自分に合うところを見つければいいと思う。
そういう意味ではビズリーチは大小さまざまなエージェント会社があり、そこから連絡がバシバシ来るので登録しておくとよいかもしれないです。
<まとめ>
こんな感じだ。読み返すとあんまり参考にならないかもしれない。。。
私は前の会社で全然評価されなかったが、今の大手に移ったら、普通に評価が上がって、給料もしっかり上がった。
環境次第で人の評価って全然変わるし、所詮評価する側のフィルターをかけた評価なんてやっぱり気にしなくていいんだと思った。
実際前職の部長に退職の旨と転職先の話をした時に「子会社ですか?」とか言われたし、「いえ、本体です。」と答えたら「マジで?」という顔をしてた。
部長のフィルターでは自分の評価はそんな感じだったんだなと実感した。
今ももちろん良いフィルターをかけて評価してもらっていると思うけど、自分にとってどっちが良いかは明白だし、
その良いフィルターが本当になるようにもっと努力したいと思う。
今の市況ならほんとに転職すれば年収上がるくらいの状況だし、勤続3~5年以上で、
自分の現状に不満があるなら、いっちょやってみるのも良いかもしれません。
誰かの参考になれば幸いです。
「ローソンスマホペイ」をご存知だろうか。レジに並ばずとも、店内の商品が買える実験的サービスである。
ある日の昼休み、会社の近所のローソンで昼食を食べて帰ろうとしたところ、スマホペイの店内機械の前で戸惑っているひとを見かけた。どうしましたか、と声をかけて、その人が白杖を持っている、つまり視覚障害者だということはあとから気がついた。
1. 入店処理(Bluetooth か QRコード読み込み)
3. 決済処理
4. 退店処理(QRコードかざす)
このうち、1と4は入口付近の機械で行う必要があった。ただし、その機械がそこにあることは、視覚以外の情報がないように見えた。張り紙とディスプレイで案内はされていたが、どのQRを読み込めばいいのか、店を出るときはどうすればいいのか、音声や点字による説明はない。
また、商品のバーコードスキャンも、読み込むまでに時間がかかった。そもそもどの面にバーコードがあるか、触っただけではわからない。場所がわかってもカメラにバーコードをきっちりあわせないと読み取れないので、これもまた大変だった。
最終的に、その人はスマホにクレジットカードを登録していなかったため、決済までには至らなかった。けれども、スマホペイ自体にはとても好意的だった。なにより手にとった商品の名前がわかる(OSの機能でテキストが読み上げされる)のがとてもいい、あとは慣れればうまくできる、と(悪魔のおにぎりを持って)笑っていた。
確かに実験的サービスだしこれからブラッシュアップされるのだろうけど、ローソンは会員登録するのにアクセシビリティなしのCAPTCHA認証を使ってくるので、その部分だけは私が読み上げるひつようがあった。
これから画像認識技術がすすんで、バーコードを読み込まずとも手にとった商品名が目が見えずともわかる、そんな日が1日でも早く来るといいなと思った。
ちなみに昼休みはおわっていた。
ちと、不満な事がある。
みんな「参戦キャラクターの事ばっか気にしすぎ」って事。
いや、わかるよ。俺もまぁ楽しみだよ参戦キャラクター。
でも、参戦キャラクターの数で言えばスマブラ4も十分多かったわけで
スマブラ5の魅力ってそこじゃないと思うんだよね。
今作が4を買った人も買わなかった人もワクワクしてる要素を並べてみると
今までフィギュアを手に入れる為の半ば作業になってたシンプルが「勝ち上がり乱闘」という全74ファイターごとに異なるイベント戦になったわけよ。
あ、こりゃ楽しい。作業感とか感じられないわって感じ。発明だよコレ。
4にもあった世界戦闘力だけどそれをオンライン対戦にも導入ってのはすごい。
タイムアタックでかなり高いタイムを叩き出しました。さーて、俺はどんぐらいの腕前なんざましょ。
って思ったら「あなたは世界5万位の実力です」って言われても全然喜べないですよねって話。
世界戦闘力は「あなたの世界戦闘力は200万です」みたいに出るんでオンラインに繋いでも気落ちしない。
これすごい。
何がすごいって、「アイテムなし タイマン」「アイテムなし チーム戦」だけがガチではなく
それと、スマブラというゲームを半ば地味なものにしていたアイテム無しだと超必殺技が無いという問題のアンサーとしてゲージ消費超必殺技を本格導入してくれたのも大きい。
●スピリッツの導入
任天堂フリークならだいたいの人が知っている「バテン・カイトスⅡ」ってゲームがあります。
じゃあ、スマブラの全74ファイターの誰を当てはめてどんなルールでの戦闘になるんだろう。
サギなら翼があるからピットかな?ギロはロボットだろうな。ミリィアルデならちょうちょの羽根だからベヨネッタかな。
みたいな。任天堂フリークとしては今までスマブラに参戦する事が叶わなかったキャラクター群にどういう味付けをして出してくるんだろうかって楽しみがあると思うんです。
●音楽
もう、スマブラの音楽がいいってのは空気みたいに当たり前になってしまっていると思うんだけど
今作はさらにSwitchを携帯音楽プレーヤーとしての使用すら想定しているわけで
どんな楽曲があるのか楽しみで仕方がない。
あえて原作のBGMを採用しなかったポッ拳や、だいたんなアレンジが多くあったゼルダ無双、メトロイドサムスリターンズやドンキーコングトロピカルフリーズやHey!ピクミンの楽曲があるかも楽しみだし
ルイージマンションアーケードやマリオカートアーケードグランプリのような変化球ももしかしたらあるかもしれない。
音楽に関しては長年聴き飽きない事だけは間違いないと思う。
●ゲームバランス調整
基本はforだけれども、上下投げからのコンボ、踏みつけからの確定コンボ、アイスクライマーやベヨネッタの悪名高い即死連携、一部キャラの強さを担保していた機動力を多くのキャラにくばる。
という、理不尽な強さを弱めて、面白い強さを多くのキャラクターに配布する。今作はそういう面白い調整を感じます。
2と4に派閥が別れているファンを5に集約しようという意気込みも感じます。
スマッシュブラザーズ特有の1戦が長引く問題もタイマン時だけはゲーム展開が加速する仕様を設けていたり。
乱闘用のステージについても2ステージを同時に選択できたり、ステージを先に選択できたり、今まで以上に遊ぶ人が楽しめる事を考えている仕様になっているかと。
みたいな、話ではなく
なんでもうforの時点で十分多すぎるぐらい多い参戦キャラクターの話ばっかりしてんのさって思うわけですよ。
ゼニガメ、フシギソウ、パックンフラワー入れて77キャラなわけでもう十分多いでしょって思うので
これ以上参戦してほしいキャラクターがいる人って既存の77キャラのラインナップに不満や不足があるの?ってどうしても思ってしまう。
むしろそこよりはスマブラ4の不満点や、こうなってくれたらいいのになってポイントを良い形にブラッシュアップしてくれている、そういう所が注目されてほしいなと思います。
もっとぶっちゃけて言うとプレイアブルキャラクターにしか目がいってない人って発売されても買わないんじゃないかなって思うの。
ダンボール工作ゲーのニンテンドーLABOの時も騒ぐだけ騒いで買わない人多かったしね・・・。なんで欲しくもないもので大騒ぎするのやらわからん。
受け入れがたいとか抵抗があるとかではなく、問題のレイヤーが違うと思う。
そもそも人間は感情がある生き物で、感情論を法に持ち込むなという話ならわかる。
タイトルはマイルドにしてあるけど、中身みれば序盤の論調で権威と紐付けたあと畳み掛けるように共感や同情=悪という印象を植え付けてきてるように見える。
という図式は成り立たないというのに、まるで二律背反関係であるかのように煽ってる。
この世から憎悪を取りのぞくために誰もに権利を=共感は危険です。はぁ?
そもそも大前提不完全な人間を不完全な人間が裁くために生まれたのが法なわけで、その2つは対立関係であるわけがない。
たしかに司法レベルの話になると民意や世論や被害者感情にバイアスがかかったり情状酌量なんて言葉があったりするくらいだから未熟さは感じるけど…だからこそブラッシュアップは必要。それは何においてもそうで、権利に関することばかりではない普遍的な課題でしかない
繰り返しになるが、法において同情や共感や感情論は不要という話ならわかるよ。
でもこの世においてまるで共感や同情は悪であると言わんばかりの思想には寒気がするよ。
はてなでポジティブな意見が多いのは、共感能力に乏しい人間がここには多いから、ああいう記事から許されている感覚と癒しを得て喜んでるだけでしょ。
とにかく、
世に渦巻く憎悪を解消するために
心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます。
臨床心理学系の大学院で博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています。
論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学の事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。
臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます。
1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム化対照試験まで行くという医学・疫学的な研究
3:その他の調査研究(ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)
少々雑な括りで、中間に位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。
https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学の論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、
査読付き英語論文>>>>査読付日本語論文>>査読なし日本語論文(いわゆる紀要;査読有り紀要も含む)
これは、1と3を自分の研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。
そのため、競争が激しい業界の院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます。
特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。
この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。
これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。
私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学に就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります。
このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界外からはわかりにくいのです。
ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語の査読論文を無条件でありがたがったりはしません。
むしろ”深みのある”事例研究や理論的検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定の学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。
なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。
一つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。
世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います。
「エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います。
先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。
https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。
「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語の価値を過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます。
なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレームが必要になるからです。
古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます。
クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます。
そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。
(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります)
その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。
人生というものを捉えようとした時、どうしても物語が必要になります。
もちろん、物語ですから完全に同じ事象が再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。
「物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語に意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。
物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます。
そのため、日本の臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います。
またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。
それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。
フロイトの精神分析なんかは、今でも理論が精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます。
というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります。
最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり、客観性・エビデンスをあまりに軽んじてしまったことです。
◆
しかし1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。
心理療法の一つである認知行動療法はエビデンスを非常に重視します。
例えば「うつ病」ならば、患者の抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究をバンバンやるわけです。
当時の学会の様子は今でも覚えています。エビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)
残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。
ただし、客観的なエビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。
そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。
ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います。
実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンスは大事だけど、余りに機械的に人間の心を扱いすぎていないか?と。
とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性を過小評価していたのは間違いないと思います。
エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキにしか聞こえないでしょう。
要するに、物語を偏重し、エビデンスを全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンスを偏重し、物語を全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います。
そういう微妙なバランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事な視点だと思います。
◆
まぁその後は各学会や大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。
一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。
逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています。
また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。
また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃんと効果が確認されるようになってきたたことです。
これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います。
結局、エビデンスを否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究の殆どは海外ですが)、問題は解消されつつあります。学問としてこれはとてもよいことだと思います。
◆
つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界にエビデンスの視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本の臨床心理学にもエビデンスの視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。
エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。
これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。
長くなってしまいました、すいません。
長くなったついでで恐縮です。
https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に
https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。
Natureが少し前にいろんな研究者に調査をしましたが、理系の領域だって、再現性は決して高くありません。
https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970
むしろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います。
性的云々は置いといて「TPOにそぐわない」という意見にずっともやもやしてたんだけど、NHK(その他メディア)におけるキズナアイの立ち位置ってデーモン閣下だと考えれば結構しっくりくる人が多いんじゃないかな。
キズナアイ:インテリジェントなスーパーAI(人間ではない)(さほどインテリジェントではない)
閣下:人間界においてフォーマルとは見做されない衣装を纏っている
キズナアイ:人間界においてフォーマルとは見做されない衣装を纏っている
キズナアイ:その衣装を纏った上でNHKのコンテンツに出演している
キズナアイ:2歳
でも閣下にTPOが…と言う人は殆どいない。それはもちろん偉大なる閣下の人徳のなせるところでもあるが、要は人々が「世を忍ぶ仮の姿」という文脈を受け入れているからなんだろう。
いつになるかは分からないけど、キズナアイも同様の文脈が受け入れられた時に「そういうタレント」として認められるんであって、今はその過程なんだろうなと思う。
だからその文脈を持たない人が予備知識なしに見てびっくりするのは理解できる。ただそこで一気に論理飛躍してしまったから炎上してしまったんだと解釈している。
本来であれば文脈の保持者・非保持者の間を仲立ちする言説が必要だったのかもしれないが、今のインターネットは断絶が深まりすぎてそれも難しいんだろうなと半ば諦めている。
で、それはそれとして、衣装の意匠そのものがTPOにそぐわないのだ、という意見もあるだろう。
ノースリーブにホットパンツという組み合わせ自体は確かに軽装だが、件のコンテンツはあくまでノーベル賞のゆるい解説がコンセプトであって、授賞式に出るわけでもないし個人的には許容範囲かなと思う。女性タレントの衣装としてもよくある組み合わせではないだろうか。それらもひっくるめて問題視するのであれば理解できる。
ただ、二次元だから、3Dモデルだから駄目だというのであれば、未知のものに対する感情が許容度を狭めている可能性も考慮してほしいなと思う。
あ、「閣下は好角家としての知見が評価されて起用されている」的なのは勘弁な。
専門知識の有無はタレントに求められる資格ではないと思うし、何より閣下ご自身が事あるごとに角界へのコメントを求められることをあまり快く思っておられないようなので…。
『閣下は相撲専門家として実力と実績=大義があるので。身もふたもないが大義の有無は割と大事だと思うなぁ。あと別のブコメにも記したが、あの格好リアルならかなり露出度高い方だよ…麻痺してるんじゃね? 』
→大義というと大袈裟だと思うが、起用に見合った価値を提供するのがタレントの仕事なので前半部分は同意。
ただ、キズナアイは地上波露出が始まったばかりの新人タレントだと私は解釈しているので、閣下が長年積み上げてこられた光輝燦然たる実績と比較してキズナアイ起用の是非を語るのは公平ではないと思う。
キズナアイのキャリアはまだまだこれから。今後視聴者へ独自の価値を提供できるようになるといいね。
後半部分、個々人の主観によるとしか言いようがない。アニメ的表現に親和性があるかどうかでも見解が変わり得るだろう。
ただ一点、「麻痺」という表現はいただけない。あなた個人の意見を以て、他者の認知能力に問題があるかのような表現を使うことを私は許容しない。
もちろん、キズナアイ批判に対する下品なまぜっかえしも私は許容しない。
あなたはあなた個人として堂々と「露出度が高く、不適切である」と主張すればよい。(これは私の解釈なのであなたの主張とずれがあったらすまない)
私個人としては「露出度は高いが、他タレントと比すると突出して高いとまでは言えず、メディア出演を制限されるほどのものではない」と考えている。
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『>「閣下は好角家としての知見が評価されて起用されている」的なのは勘弁な。←これずるくない?閣下が評価されNHKに出演できてる部分ってまさにここじゃん。ただのイロモノタレント枠で語るのは片手落ちだよ。 』
→確かにこのスタンスでデーモン閣下について語るのは片手落ちだが、私は今「新人タレントキズナアイ」の話をしている。
これの意図は「専門的知識の有無はタレントの評価に必須ではないということ」を強調するためにあった。
なぜなら、「キズナアイを解説役で起用すればよかった」という意見が散見された際、キズナアイのようなタレントがメディア出演において何らかの専門的知識というハードルを課されるべきではないと考えたからだ。
先程も述べた通り、起用に見合った価値を提供できればそれは知識でもルックスでもトークでもいいわけだ。
それはキズナアイ自身がこれからブラッシュアップして提供していくものであって、
ミュージシャンでありながらベテランタレントでもあらせられる閣下の偉大な実績を持ち出して新人の間口を狭めないでくれというだけの話でさほど深い意味はない。
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なんかどこかでラフでデザイン作らせて打ち合わせ重ねてブラッシュアップしていくのが一番早くて確実みたいなの書いてあったけど
原稿丸投げで適当にやらせて上がってきたものにケチつけてくパターンにしかならないから最初の負担が大きく、途中経過もチマチマ指示が来て時間を作るのが面倒だからまったく早くないんだよね
発注側は楽だけど受注側は面倒だし最初の馬力も必要だしブラッシュアップでいちいち日に何度も手を取られて効率悪いから高めの請求になるんだけど、それはそれで文句言われるしさ
最低限手書きのモックと必要な原稿くらいは用意して、発注側も完成予想図をある程度頭で思い描いてくれないと早くもないし安くもならないし面倒なだけだよ
熱心なファンの方には申し訳ないですが、現在のデレステが落ち目であることを前提にして綴っていきます。
Twitterを始めとしたSNSでは「手抜き」というワードと切って離せない関係になっているように、今年に入ってからのデレステは何かと精彩を欠いています。
(具体的にどう悪いかは書きません)
私にとってデレステはとっても思い入れのある作品なので、また盛り上がってほしいと願っています。
以下では、そんな私の考えるデレステ再興案……もとい『願望』を羅列しました。
よければ見ていってください。
現在150曲超の楽曲がプレイできるデレステですが、有名楽曲のカバーを実装できたらもっと面白いと思います。
もちろん権利関係の問題はありますが、バンドリがこれで成功しているという前例があります。
リリースから3年を迎えるデレステですが、カバー曲の実装をアピールすることによって新規層獲得や引退勢の呼び戻しも狙えるのではないでしょうか。
とりあえず「jewelries!」の楽曲から、2D軽量のみでも良いので実装してほしいところです。
余談ですが、私は双葉杏の歌う「かくしん的☆めたまるふぉ~ぜっ!」(干物妹!うまるちゃんOP)が聞いてみたいです。
SSRのアイドルには固有の衣装がありますが、これをユーザー好みにアレンジできたら嬉しいです。
衣装の配色や小物の着脱ができれば、好きな組み合わせで「自分だけのアイドル」にできます。
前川みくの猫の手を外してみたり、佐久間まゆ(ハロウィン)に帽子を被せてみたいです…
現在デレステ全体を覆っている停滞感の原因として、SSRの陳腐化があると思います。
声なしアイドルのSSR化、スカチケ・SSR確定チケットの定期販売、スタージュエルのバラマキ……
3年という時間が経過する中で、どのユーザーにもSSRが行きわたるようになりました。
これ自体は悪いことではないにせよ、結果としてSSRを引いた時の喜びが目減りしてしまったと思います。
とりわけ恒常SSRについては次のスカチケまで待てば確実に手に入りますし、理想編成はだいたい固まっているためSSRを引いてもライブで使わない状況も増えてきました。
そこで、更に"ゴージャス"なSSRの上位レアリティを追加するのはどうでしょうか。
先述した「衣装のエディット機能」をこの上位レアリティの特権にしたり、ホーム画面に置いた時のイラストに表情差分をつけたり。
とにかく、新たな価値を付加した「ガシャを回したい!」と思える要素を追加しないことには、現状の打破は難しいと思います。
排出率は相当に低くてもいいので、また「ちひろ、悪魔!」などと言って盛り上がれる空気を再燃させてほしいところです。
デレステは音ゲーですが、リリースから三年が経過することでマンネリ化が否めません。
そうでなくても音ゲーは得手不得手が分かれやすく、プレイする状況を選ぶという欠点もあります。
そこで、エイプリルフールのようなミニゲームを実装するのはどうでしょうか。
浜口あやめが投げる手裏剣を避けるゲームがありましたよね。あれをブラッシュアップして、BGMの楽曲に合わせて避ける『リズム天国』のようなゲームにできたら、私は面白いと思います。
クイズゲームであれば単純な操作でプレイでき、開発側にとっても多くのリソースを必要とせずに実装できるのはないでしょうか。
アイドルの出身地や趣味・ユニット名あてクイズ、イントロクイズや歌詞あてクイズなど、デレマスの魅力を活かすことができると思います。
これらのようなミニゲームで他のユーザーと競えたり、結果をツイートできたら盛り上がれるんじゃないでしょうか。
他の形でも良いので、なにかしら音ゲー以外のアプローチが必要だと私は考えます。
コミュの立ち絵は垢抜けないと思います。まあ、初期のイラストを未だに利用しているのは物持ちがいいとも言えますが…
できることならLive2Dや3Dが嬉しいところですが、手間も時間もお金もかかるでしょう。
一気に全員分を変えなくてもいいので、順次、時代にあったイラストに更新してほしいです。
批判めいた表現も多く書きましたが、デレステ運営もなにもやっていないわけでは決してありません。
「デレぽ」「営業」など新機能を追加していますし、画面下部アイコンも新しくなりました。
ただ、今一つ「痒いところに手が届いていないなあ」というのが私見です。
おそらく、ここまで読んでくださった方の多くが「運営に送れよ」と思っていらっしゃるでしょう。
ですが、私は何度か直接要望を送っています。そのたびに親切な(当り障りない)返信が返ってきますが、反映されたことはありません。
これに関しては、反映されなくて当然と思っているので気にしてはいません。
こんな一個人の独りよがりな要望などいちいち相手にしていられないでしょうから……。
やる気があれば、アイデアを求めてユーザーに目を向けるかもしれませんから、要望を送ってみようとも思えます。
しかし、リソースを他に向けるためにデレステから手を引きつつある…というのであれば、私たちユーザーとしては諦めるしかありません。
デレぽ等の新機能は、どんな気持ちで追加したものなのでしょう。
デレステをより良くしたいという真摯な思いからでしょうか。それとも、「改善に向け動いている」というポーズをとるためなのでしょうか。
ユーザー一人一人が好き勝手なことを言っても、運営は歯牙にもかけないでしょう。
そのきっかけになればと思い、今回は「はてな匿名ダイアリー」に書かせてもらいました。
またデレステでみんなが盛り上がれる日が来ることを切に願っています。
ここまで拙文を読んでくださりありがとうございました。
誰もが思っていることから重箱の隅をつつくようなことまで言及する。
(長いですが、目を通していただければ嬉しく思います。)
典型例が結城晴のSSR特訓後であり、SRよりもチープな絵柄で話題になった。
また、Spring Screamingの龍崎薫は特訓前後で同じ表情・ポーズとなっている。違うのはアングルだけだ。
その他にも手抜きと言われるイラストはある。これらに共通する傾向として「目を閉じている」イラストがやたら多いことだ。
2018年初頭辺りから「手抜き」と言われるようになっている。
質感が薄っぺらく、小物が少ないなど作り込みの甘いものが多い。
また、作り込み自体はされているものでも、デザインの点で不満が各所から噴出するなどセンスの低迷も見られる。
特に同じ衣装の色違いであるニューウェーブの3人や佐久間まゆの道化風衣装などは非難が多い。
五十嵐響子の恒常二周目を見たとき、私は人的リソースの不足を確信した。
及川雫、依田芳乃などは良かれ悪かれ喋り方が途中から変化した。
これ自体に関してはファンの間でも賛否があるので一概に悪いとは言えない。
だが、ホーム画面に当該アイドルを配置した時に現れる問題がある。
同僚やプレゼントボックスに言及する際は最初期のボイスであるのに対し、カード固有のボイスは最新のものであるためだ。
演技を変えるのならば、既存ボイスの差し替えをするべきであっただろう。
主人公格であるNGの三人や高垣楓のような人気キャラクターであれば出番が偏るのは仕方がないとも思える。
だが、総選挙で圏外常連にも関わらず、声が付き多く出番が与えられているアイドルがいる。
声優の所属事務所の都合もあるだろうが、ここはコンテンツの根幹に関わる部分なので、ユーザーに目を向けてほしい。
なぜなら183人という多すぎるほどのアイドルこそが本作のアイデンティティであり、
ユーザーが思っているより遥かにビジネスライクに事が運んでいるのが実情だろうが、私はここを蔑ろにしたことが衰退の一因だと考える。
ライブを行う上では、ファン数を稼ぎたいアイドルやスコアの出るアイドルで編成したユニットを出撃させることになる。
したがって、楽曲オリジナルのメンバーで観たければMVで、ということになる。
「別々に設定できたらいいのに……」という声はよく目にする。
イントロ部の省略、盛り上がる部分の省略、原曲からの歌唱パート変更などが極めて稚拙な判断で行われており、楽曲の良さを失わせている。
尺を合わせるにしてももっとやりようはあるだろう。
難易度の問題ではない。人間が遊ぶことを考慮していない譜面配置となっている。TulipSPのMASTER、秘密のトワレのTRICKが典型例である。
ただでさえ多様な端末に対応することが求められている中で、判定抜けが多発するフリックやスライドを多用すること自体が愚策。
舞台がステージであることに加え、振り付けが地味であるため見栄えしないMVが増えてきた。
特に期待されていた満開スマイルでは2Dリッチもなく、多くのユーザーの失望を買ったのは記憶に新しい。
これに関しては私の主観になるが、個人的にイマイチな曲がある。Frostとか。
バンドリのように有名曲のカバーを実装すれば盛り上がると思う。
コミュで使用されているアイドルのイラストはいわゆる初期絵であり、垢抜けないものが多く見られる。
デレマス自体が2011年から開始しているコンテンツであり、古さを感じるのは当然といったところ。
同ジャンルでパイを奪い合う他のアイドルゲームでは、3DモデルやLive2Dによる活き活きとしたアイドルの描画が没入感の創出に寄与している。
そんな中で未だに紙芝居をやっているだけでも見劣りするのだから、せめて立ち絵くらいは刷新すべきだろう。
……というか、せっかく魅力的な3Dモデルがあるのだから、これをコミュに活かしてはどうだろうか。
Spring Screamingのイベントコミュで喜多見柚の学年問題が話題になった。共演した本田未央とは誕生日が1日違いで同じ15歳の設定なのに学年が違う。
また、デレぽにおいても設定と矛盾した呟きが見られる。例としては的場梨沙がパパの話をしていることなど。
これは本当にまずい。なぜなら、デレマス世界はユーザーにとってディズニーランドと同じ「夢の世界」である。
本当にそのキャラクターが意志をもって行動し生きていると信じているユーザーにとって、設定の矛盾は現実に引き戻す解呪となる。
要するに魔法が解けるのだ。
ライブでは全楽曲の全難易度をクリアしないとNEWが消えない仕様の為、ほとんどのユーザーは一度もNEWが消えたことがないだろう。
営業に至っては数日毎に項目が更新されるため、NEWを消すことがほぼ不可能な仕様になっている。
したがって、常にNEWが出ているため新着に気づくことができないのである。
例えるなら、受信箱に未開封のメールが山積している状態。デレステもメールでいうところの「開封済みにする」コマンドを設置するべきであろう。
ガシャやイベントで新しいアイドルを獲得したら、まず餌を与えて特訓し、コミュを見て(スキップして)石を回収する…。これが皆のルーチンであると思う。
だが、いちいちアイドルをルームに配置するのは面倒臭い。アイドル一覧画面あるいはプレゼントボックス等からダイレクトにギフトを贈れるようにして頂きたい。
例えばイベントコミュの第1話を見た後に選択画面に戻ると、スクロール位置が最上部に戻されている。そのため、また下までスクロールしなければならない。
たとえばPRPが1600を超えると「PRP1700を達成しよう」というミッションが発動する。
この時、達成状況を視覚化するバーは1600/1700、つまり9割以上溜まった状態で表示されている。
これでは視覚化が意味を成してない。この場合、1600をゼロとして表示するべきである。
「とってつけた感が否めない機能だが、あっても毒にはならないか…」そう思っていたユーザーは多いだろう。
しかしいわゆる杏bot事件で、運営の構成力のなさが明るみになった。
「満開スマイルメンバーの振る舞いがイジメを思わせる」「冴島清美が気の毒だ」などと各所で話題になった。
この事件最大の問題は、運営が双葉杏というキャラクターの行動原理を失念したことにあると思う。
サボるためにbotを用いて周囲に真面目アピールをする、ここまではいい。しかしbotであることがバレた以上、杏がこれを続ける理由はどこにもない。
特にグルーヴは4曲連続でのプレイを強いられるので、十数分ほど集中しなければならない。
そもそも音ゲー自体がソシャゲの性質と噛み合わない部分が大きいためだ。理由は以下の通り。
ゲーム性の高さが魅力の音ゲーではあるが、連続のプレイングを強いる設計はユーザーの負担感が大きい。
営業の追加で多少は緩和されたが、面白さの創出にはつながっていない。
例えばMASTER楽曲を100回クリアすると、スタージュエルが250個貰える。
しかし、これはライブ画面からのクリアに限られており、グルーヴやパレード、ライブパーティでクリアした分については算入されない。
相当にやり込んだ人であっても、クリア回数がほとんどの曲でB〜Cなのはこのためである。
これはフルコンボについても同様で、「初めてフルコンできた!」と思ってもフルコンボ楽曲数にカウントされず歯ぎしりしたユーザーは多い。
デレステ実装からCD発売までに一年以上かかっている。これはデレステ側の問題ではおそらくない。
初期の段階からプレイを開始したユーザー以外はイベントコミュの解放に思い出の鍵を必要とするが、これがなかなか手に入らない。
二周年あたりから開始したユーザーはほとんどのコミュを見れていないだろう。バランス調整が必要と考える。
長々と提示してきた上記デレステの問題点は、結局のところ人的リソースの不足に原因が集約しているように感じられる。
イラストにしろ衣装にしろ、提出されたものを社員が精査して作り直しを命じ再提出させる…といったブラッシュアップの過程が欠如しているとしか思えない。
担当者が2人いれば気づけるような些細なミスすら山積する現状を見るに、私たちユーザーが思っているより遥かに少数の人員で現場が動いているのかもしれない。
にもかかわらず、デレぽのような継続的負担のあるサービスを開始するのだから理解に苦しむところ。
どうさばいて、どう行動や作品などに取り込むかということ。
私はいくら自分の好きな作品でも、例えばfate系列やポケモンのような
有名な作品でも、どうしても嫌なところ・直して欲しいところは
散見するし、それでも好きな作品・好きなところが多い作品だから
「今回のストーリーすごいgdgd。前作のストーリーのほうがよかった」
公式にお問い合わせで直接こんなこといってもどうせ聞いてくれない
のはわかっている。だからこそ愚痴の一つとしてそういう場所に流すのだ。
しかし不祥事・低品質なものの提供を連発するジャンル、例えばFGOなどは
さすがにしっかりとお問い合わせで文句を言う。
上述の愚痴は基本的にアンチ、クレームに該当し、公式から見れば大体取るに足らない
取り込むべきでないゴミであり、問い合わせに入れてもしょうがないものかもしれない。
だが好きで居続けたいからこそ不祥事を連発するようなジャンル、あるいは
これから大事になりそうな不祥事を起こしてしまったような公式などには
勇気を出してお小言を言ってしまう。これは批評的意見であると私は思う。
無論クレームや愚痴と違って筋が通っているか・伝えるべきか・伝わりやすいか
しっかり見直してからお問い合わせへ送信する。また必要以上のこと、特に
怒りや悲しみなどの文句を使う際に出てしまいがちな強い感情が文中に
・理路整然としているか
・けんか腰になっていないか
・公式が誠実に受け取ろうとしてくれる文か
・「私は公式さんのことを考えて言っているんですよ」アピが入った文に
なっていないか
を押さえないと、すぐにクレームやアンチ・愚痴に堕してしまう。
私はそう考えている。
無論公式もアンチ・クレームを正しく捌けて、正しく公式のことを見ている
twitterの公式垢に文句を向ける凸野郎みたいな無益な"コメント"をはねのけ、
批判的意見はうまく取り入れられれば、作品や行動をブラッシュアップするのに
役立つのだ。
批判的意見を取り入れることによる改善の例だが、私の実体験を出そう。
前に私は通販で購入したパウチのおかゆを開封して腐ったにおいの異物混入を
発見し、その会社に問い合わせをした上で商品の中身ごと返品した。
しばらくして、結果は会社側・あるいは配達業者の不祥事ということがわかり、
これからはこれこれこのように対応していきます…といったDMが来た。
DMの中には今までその会社が客からの問い合わせによって改善をしてきた
例をいくつか載せたパンフレットがあった。
批判的意見はしっかりと耳を傾ければ、行動や作品に改善をもたらすのだ。
しかし最近は批評=アンチというか、批判や批評の認識が誤っている人が多く、
マンセーや根拠のない・薄っぺらい賞賛だけに耳を貸して、聞くべき
批評的意見をクレームなどと混同して流してしまう公式や個人が多い気がする。
まあ何言っても耳当たりのいい言葉しか聞かないのなら、そんな批評的意見を
ユーザー側がわざわざ述べる気にもならない、あるいはその層が離れている
のかもしれないが。
これではまるで、野菜を「全部苦いから食べない!」と言い張る子供のようだ。
クレームやアンチとの違い、どんな意見がクレームでどんな意見が批評になるのか
学習すべきではないだろうか。できれば義務教育に取り入れるべきだ。
これはコンテンツなどの受け手・発信者どちらにも大事な知恵であり、
たとえ仮にオタクでなくても知っておいて損はない、それどころか得だらけではないだろうか。
クレーマーが増えた今、内容にかかわらず強い口調で話しかけられている時点で耳をシャットダウン
してしまう人が多いかもしれないが、時にはクレームではなくしっかりとした
批評的意見があるかもしれない。そしてそれを聞かないことにはまず批評的意見を
述べているユーザーや、同様の意見を携えるユーザーを逃してしまうことになるのだ。
別にユーザー以外にも、友達、フォロワーなど、他のことにもこの理論は応用できるはずだ。
また、このような知識を獲得することで、むやみやたらに誰かに怒鳴り散らす
日本人の好きな
「こんな言い方の人はクレーマーで恥ずかしい!」
「こんな言い方ならしっかり批評的でかっこいい!」
といった印象操作的文句で知識を広めればいくら傍若無人なクレーマーでも
ある程度は収まるだろう。
自分は法律を専門にして生きていているけど、刑事事件とはあまり関係がないから、そこまで詳しいわけでもない。
自分が死刑についての投稿とか、それに限らずとも法律に関係する投稿を見て、新たな観点だな、と思うことは殆どないと言っていい。既存の議論を上手にまとめて紹介しているものとか、自分の立場を適切に述べているものはもちろんあるけど、とりわけ断言調で書かれたもので、なるほどなあと唸るようなものはない。大抵の場合、すでに、それに対しての反論が議論されているものばかりだな、と思う。
死刑や刑罰に関する議論でよく出るものだと、例えば刑罰は何のためにあるのか、というようなものがある。
これについて既存の議論を簡単にまとめれば、割と最近までは、応報刑論と目的刑論との二つの考え方が対立していたと説明されていて、前者は犯した罪に対して罰を与えるのが刑罰の本質であり、後者はもう2度と犯罪を犯さないように矯正したり、社会に対して犯罪を犯すとこういう辛い思いをするからやめたほうがいいよと伝達したり、あるいは犯罪を犯すような人を社会から隔離することで新たな犯罪が発生することを予防することを目的として与えるのが刑罰だというもの。
前者はカントやヘーゲルに遡るようなクラシックなものだけど、罪に対して罰を与えるっていうけど、それは何のためになされるのか、本質というのは何なのかよくわからないよねという批判がある。
後者については、再犯可能性が非常に高い人だと、どんなに軽い犯罪でも、犯罪者なら終身刑にすることになるよね、とか、さらにその考えを進めて、犯罪を犯しそうな(けどまだ犯罪を犯していない)人を刑務所に入れようとかそういう話ななってしまうけど、それでは流石に良くないよね、といった批判がなされている。
それを踏まえて近年では、社会的な規範を回復するためになされるのが刑罰である、というような学説も有力で、結局、応報刑論と目的刑論ってそんなに違わないのかも?みたいな話になっているとのことでした。
(この辺の学説的なことは刑事法ジャーナルの54号に最近の議論がまとまっている。)
で、そういう刑罰の本質についての議論自体はどうでも良くて、自分が思っているのは、自分が考えついたことは、誰かすでに考えているだろう、更には批判も尽くされてそれに対する再批判がなされて、という風に議論は進んでいる、という風には思わないのだろうか、ということ。
自分は一応、専門と言えるものがあって、様々な学者が一生を懸けて知恵を絞って、あるいは、実際の社会の中で様々な人たちが工夫を凝らしていろんなことを考えてきてることを感じてきたから、そんなに簡単に新しいものは生まれないということを強く思っている。あるいは逆に、自分の思いつきについては、既に前向きな批判がなされていることが大半で、自分の考えをブラッシュアップするのはその意味では容易だと感じている。だからこそ、自分の専門外のことでも、自分が何か感じたことや思いついたことがあったら、調べてみることは大事だし、軽率に発言するのは意味がないことだなとも思う。
だから、いろんな社会的なトピックに対して、いろんな人から条件反射的に自分の思っていることを述べて、しかもそれが間違っていたり批判があるということに想いを致さない様子を見ると、心が痛む。人類が協力して分担して、何世代にもわたって知恵を絞ってきて、それを上手にまとめて教えてくれる人すらいるのに、酒の肴にしてるならまだしも、大真面目に自分の議論が絶対正しいかのように自信満々に理論を展開している人を見るのは辛い。
こういうことを言うと、学問と市民感覚はずれがある、学者は象牙の塔でしょうもない、みたいな意見も出るかもしれないけれど、少なくとも法律学の領域で、市民感覚のようなものが議論に全然反映されてない、ということはあり得ないと思う。もちろん、立法の対応や学会の対応が遅い、ということはあるだろうけれど、市民感覚なんてどうでもいいから無視しよう、なんということはなくて、市民感覚がどのように醸成されてきて、今後どうなっていくかということも、議論されているのが普通だと思う。
※個人的に思った事。自分の言ってる事が全部誰にとっても正しいとはちっとも思ってません。
.
つまるところ、@PUBG_DMM がしょーもないって話だよね?
CGXはリザーブの登用を公式に打診していた、それを公式が許可した。
PGIホームページに代理メンバーで掲載されているのは、それを公式が連絡したから。
なんでその連絡の前に国内のチーム、選手、ファンに報告できなかったの?って話。
(まさかのCGが公式許可とる前に自ら連絡してたら話は全く変わるのでもう読まないでいいです)
.
「PGIではリサーブ選手とのメンバー変更は可能であり、条件として同じリーグに参加したプレイヤーは禁止」
.
こんな規約があるって知ってたか知らないかで割と反応変わるように思う。
少なくともリザーブ選手に対するやっかみは起きなかったのでは。
例えば羽生結弦選手が国際大会に出られませんってANAだけがツイートしたらびっくりしません?
所属はANAだけど、大会の全てを管理をしてるのは日本スケート連盟で当然そこからお知らせ出るよ。
この手順さえしっかり押さえておけば、ここまでこじれることはなかったと思う。
選手やプレイヤー、他チームのファンの反感買うのは当然。「なんでこんな事になってるの?」の疑問に答えてないんだもの。
.
これはきっとDMMにとって新しい企画であって、試行錯誤してるんだと思う。
とかいって慰めたいけど、「報・連・相」って割と基本中の基本じゃないですか?
たくさん学習して(アンケートも一生懸命取ってるし)これからももっとブラッシュアップされた大会になるのが素直に楽しみだけど、
オープンレック分も入れれば配信1万5千人くらいいってる時もあったでしょう、
実際の会場だと横浜アリーナをすし詰めにするリスナーを抱えるイベントだってことは自覚して欲しい。
人を呼んだ以上、果たすべき責任がある。初めたばかりで右往左往してたでは許されない事柄もある。
それが今回の告知に関してだと思ってます。
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公式が返事をくれなかったからとかそういうのは理由にならない。
何遍でも連絡入れなよ。入れてたのに繋がらなかったらなら言いがかりでごめん。
それでも選手を守れなかったことは変わりないからしょーもないよ。
.
日程を調整できず、参加できない選手。
断腸の思いでしょう。リーグ終了後、すぐに海外参加チームの研究を始められてたのを配信で見てるので正直なんもいえねぇ。
仕事を辞める覚悟もないなら参加するなという意見も間違ってない。
家族にご不幸があったのにリーグに参加されてた選手もいらした。
でもそこら辺は人様の人生なので外野はさすがになんもいえねぇ。
何を取って、何を捨てるかは当人次第。そして他人がそれを許せないのも考え方が違うんだから仕方ないことだと思う。
選手というかプレイヤーの方々は何とも言えない一日を味わったことだと思う。
.
おそらく味わう必要ない嫌な気分を多方から浴びせられたのではないでしょうか。
きっと今は届かないと思うけど、個人を否定されたわけではなく、大会運営システムに異常があったといつか笑い話にして頂きたいです。
あなたの周りに敵はいない。皆システムに憤っていただけ。ドイツでの活躍、楽しみにしております。
.
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もうちょっと冷静で理論的な内容なら聞く耳も持てるけどさすがにびっくりした。
少し脇にそれるけど、とあるチームでは私用アカウントでさら〜っと選手募集のツイートして、それに別ゲー(作業ゲー)のリクルートです♥とか追記してた。
で、後日そのチームの公式アカウントから正式にリクルートかけてた。
αとβの合間の期間以上に多くの選手の脱退し、選手として今後どうなるのか安心できてないプレイヤーが多い中、本気か噓かよくわからないきつい冗談かましてるなーと思ってた。
大会運営公式にしろ、大人たち、大丈夫?????????????
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第2条 参加条件
9.公式大会出場選手として節度をもった行動が取れ、日本のPUBGプレイヤーの模範となれるよう努力出来ること。
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ある選手の配信を覗いたら、スクアッド中で、味方プレイヤーは「アイツ(敵)だり〜な、マジムカつくぶっ■してくるわ」とか平気で言ってる。
むしろプレイヤーとしてはそういう暴言(いい言葉とは言えないでしょう)吐く方が普通かなーくらいに思ってますが、選手の方は敵に対してはそういうことは言わない。
いや、ゴリゴリに暴言吐きまくってる選手も見かけたことあるけど、リスナー、または所属チーム、色んな方面に気遣って引くような言葉は全く使わない。
ある方は決して何かを全否定するようなことは言わない。「自分には合わない」みたいな言い回しをされる。
それを気に入ってる人や、ある日突然スポンサーになって貰える日の事を考えて発言されてる。
まあでもタグ以外のゲームプレイ禁止の配信サイトで、スクリムの合間の待ち時間に配信に乗せたまま別ゲーやってる選手もいたのでw選手全員とは言わないけど、
それぞれ立場を考え、模範たれと選手達は頑張ってるのに大人はいいのかそれで。
.
あの日武道館で『輝きのエチュード』を聴きながら、左隣りの人も右隣の人も、嗚咽を漏らして泣いていました。私も泣いていて、まともにサイリウムを振ることすらできませんでした。会場中から鼻をすする音が聞こえてきました。でも、こんな企画をやられてしまうと、あの武道館は一体何だったんだろうと、そう思わざるを得ません。
別に「卒業」したはずの歌唱担当が『アイカツ』のイベントに登壇することに文句を言いたいわけではありません。「あなたたちは卒業したので来ないでください。歌は全部声優が歌います」なんてことになったら、それこそひどい話です。だからそういうことではなくて、「5周年」にかこつけてイベントを乱発すること自体が問題だと思うわけです(というかもうすぐ6周年じゃないですか?)。「思い出は未来の中に」ではなかったのか。「同じ光のなかこれからも 迷わないでわたし歩いていける」と、あの日誰もがそう思ったのではなかったのか。「心に集めるたくさんの永遠」とは、「いやあアイカツは素晴らしいね尊いねいつまでも終わらないね」と定期的に執拗に確認しないと消えてしまうような「永遠」だったのだろうか。これではまるで、星宮いちごのアメリカ行きを無理矢理引き止めているみたいではないか。なんでも弁当もスターライト学園も全部放ったらかしにして、無理矢理マスカレードをステージに立たせているようなものではないか。霧矢あおいが、光石織姫が、星宮りんごが、一体そんなことをするだろうか。大げさかもしれませんが、そう考えてしまいます。
東日本大震災が起きたあの日を契機に、『アイカツ』は「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」を目指してきました。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」と。
——その後、ゲームおよびアニメの企画は、どうなったのでしょう?
(加藤陽一)大きな転機になったのが、東日本大震災です。コンセプトを固めている最中の2011年3月に、東日本大震災が発生しました。地震が起きた瞬間、僕は東京・浅草のバンダイ本社で『アイカツ!』の会議に出席していたんです。地震で電車が止まったので、車で来ていた僕が3人に声をかけて、皆を送っていくことになりました。TVで原発や津波のニュースを見ながら進むうち、都心で車も動かなくなっちゃって。結局浅草を出て、皆を送って23区内の家に帰るまで12時間位かかりました。そのとき一緒にいたのが、アニメ『アイカツ!』の若鍋竜太プロデューサーと企画スタッフです。車に缶詰状態で、8時間から10時間ぐらい、地震の影響を目の当たりにしながら、皆で『アイカツ!』のことを話しました。まるで合宿みたいな濃い時間でした。「こんなことが起きたら、いままで話したような作品はできないね」という話もその場で出て。それを受けて書き直した企画書の内容が、そのときの僕らの思いを込めたものだったんです。
——どんなふうに変わったのでしょうか?
ネガティブな出来事も起こりえるレトロなスポ根路線は消えてなくなり、代わりに、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」が必要だろうということになったんです。「トップアイドルを目指すスポ根サクセスストーリー」の部分はそのままに、「温かくて前向きな気持ちになれる作品を作ろう」と、企画をブラッシュアップしていきました。この段階の企画書に書いてあることは。現在のところほぼすべてが、作品内で実現しています。あの震災が、『アイカツ!』という作品にとっての転機だったと思いますね。
そして『アイカツ』はたくさんの人を「温かくて前向きな気持ち」にし、たくさんの人が前へと進みました。「今日が生まれかわるセンセイション」、「いつだって、ここから、あたらしい夢 どこにだって行けるよ!」。『アイカツ』を観たたくさんの人が「素敵な明日」を迎え、「未来向きの今」から未来へと全力で走り出したはずです。『アイカツスターズ』もそうです。あれだけの作品を前にして、前作とは別の方向へと舵を切るなど、並大抵の覚悟ではできません。巴山萌菜さんもそうです。私は詳しい動向を追ってはいませんが、TVドラマ『賭ケグルイ』のOPを歌っていたようですし、ワンマンライブもやっていたと思います。STAR☆ANIS/AIKATSU☆STARS!から卒業し、自分の決めた道で頑張っています。
それが、何故こうなるのでしょうか。別にイベントをやるなとは言いません。「卒業」した歌唱担当を呼ぶなとももちろん言いません。ただ、何故今なのか。10周年や20周年まで待てないのか。これではまるで、私たちに「明日を信じる力、未来への夢」なんかないのだと言わんばかりではないか。全く「未来向き」じゃない、完全に過去を向いている。私にビジネスの知見はありませんが、商業的に考えてもこんなやり方では長生きできないと思います。
昨年9月、甘粕試金氏によって『この幼形成熟の世紀に』と題された原稿が公開されました。当時それを読んだ私は「言いたいことはわかるし何も間違ってないと思うけど、アイカツのファンダムはそんな人ばっかりじゃないのになあ」とかなんとか思っていました。でも、どうやらもうそんなことを言ってはいられないみたいです。
『アイカツ!』が放送終了して新シリーズ『アイカツスターズ!』が始まった今『アイドル活動!』よもう一度とばかりに『アイカツメロディ!』が来ることの意味は、先述の原稿の論旨で言えば「和声」的解決を意味することになり、『アイカツ!』も円環的時間の気持ちよさによって欲望を生産する作品だったという結論にならざるをえなくなる。それを証し立てるきっかけになったのが「シリーズ5周年記念企画」の楽曲だったという事実は、フランチャイズの圏内にある作品がファンク的時間を持つことの不可能性をも証明してしまったのではないか。このことに私はほとんど嘔吐せんばかりになってしまったわけです。
「なんで和声的ならダメなの? 気持ちよければ良いじゃん」という問いに答えるには、それだけで一つのまとまった原稿が必要になるのでここでは書きません。フランチャイズに話を絞りましょう。ここ数年で最も忘れがたいフランチャイズ批判、高橋ヨシキさんが『ローグ・ワン』を前にして発表した「幼年期の終わり 〜さようなら『スターウォーズ』〜」を部分的に引用します
観客が耽溺し続けること自体を難ずる権利はぼくにはありません。〔中略〕それでも、観客を「耽溺させることを目的に」商品を作り、供給することは邪悪なことではないかとぼくは思うのです。
〔中略〕
なぜなら、それは観客を消費者へと変え、幼児化させ、駄々っ子のように振る舞うことを是とするものであり、その駄々っ子の口に好物を際限なく突っ込み続けることで、彼らを判断能力を失った中毒患者へと変える行為だからです。
〔中略〕
「前へ!」というのは、ルーカスだけでなく、どのようなクリエイターにとってもいちばん重要な姿勢だとぼくは信じています。その先に何があるか分からなくても、あるいはそれがどういう評価を下されるにせよ、とにかく 「前へ!」。これはクリエイターに課せられた祝福でもあり呪いでもあるのですが、「前へ!」という大前提は旧三部作でも、またプリクエルでも(プリクエルは実は後退していたわけではないとぼくは思っています。何度も言いますがコンセプトに対してエクセキューションが貧しかったのがまずかった)、そして部分的ではあれど『フォースの覚醒』にも共通していました。前へ!
〔中略〕
ところが『ローグ・ワン』は「もはや前に進む必要などない」という、ルーカスフィルム/ディズニーの宣言のように、ぼくには見えました。なぜ前に進む必要がないのか? なぜならそれを誰も望んでいないからです。誰も、 というのは『スター・ウォーズ』世界に耽溺することに慣れきった観客のことです(ぼくも含みます)
〔中略〕
興行的に、『スター・ウォーズ』が「前へ」進む必要がないことを『ローグ・ワン』は証明してしまったのです。
Crazy Culture Guide Vol,30-30,5(http://www.mag2.com/m/0001673228.html)
SWシリーズにまったく思い入れを抱いていないうえに『ローグ・ワン』も(ドニー・イェンがドン・キホーテ役をやっている映画なのだし)楽しく観ることができてしまった私は、当時「はぁ、そういうものなのかなぁ」程度にしか読めなかったのですが、少なからず前のめりに接してきた『アイカツ!』5周年企画に際して、これらの文章は「あっ、この状況を言ってたのか!」という今更の得心とともに蘇ってきました。「前へ」進む必要がないこと、それは「和声」的時間に閉じること、フランチャイズの体系に閉じること、円環的時間=手回しオルガンの歌に耽溺しきることを意味してはいないか。ベケットらを念頭に置いて「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品の偽装された姿を言っていはしないか。それこそがフランチャイズの罠であり病ではないのか。という疑惧と危惧が一斉に襲ってきたわけです。これは単に「前に書いた文章と矛盾しちゃった」から狼狽えているのではありません。「あれっ、自分は《これ前にも聴いたことあるわ、良いわ〜、知ってるわ〜、延々と続けられる正当な伝統、良いわ〜》みたいなことに気持ちよくなりたくてこの作品を支持してたのか? そもそもこれってそういう気持ちよさを是とする作品だったか?」という、本質的な足場が揺るがされたことに原因があります。それも公式の「5周年記念企画」によって。
甘粕試金『この幼形成熟の世紀に』(http://petrushkajp.blog.fc2.com/blog-entry-165.html)
「アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」を楽しめる人を悪だとは一切思わないですし、主催者がダメだとも思いません。もちろん、私が正しいとも一切思っていません。私も何かの手違いでチケットを手に入れたら、それはそれでそれなりに楽しめるんじゃないかと思います。そりゃあ声優と歌唱担当が揃ったら嬉しいです。生アフレコなんてしたら最高です。そりゃそうです。ただ、あの日「車に缶詰状態」で「合宿みたいな濃い時間」を過ごし、それを受けて書き直した企画書は、そこに込められた思いは、「皆で一緒に笑いながら身近な幸せを改めて感じ、明日を信じる力、未来への夢を持てる作品」とは、こういう類のものだったのか。木村監督がプロットを書いた「大スター宮いちごまつり」のMCの「みんなの今日が、明日が、少しでも素敵になったらいいな」とは、「いつでも何度でも集まって際限なく盛り上がれる。いつまでも終わりを引き伸ばせる。ずっとここにいられる」という意味だったのだろうか。『アイカツ』が3年半、『アイカツスターズ』が2年かけて描いてきたことは、そういうことだったのだろうか。どうしたって、そう頭を悩ませずにはいられないわけです。そして、“「終わる必要がない」作品だと言うとき、それは「終わりが永遠に引き伸ばされる」作品の偽装された姿を言っていはしないか。”。このことは、常に考えるべき問題であると思います。
でも、ツイッターを見ている限り「歌唱担当戻ってくるなら純粋に楽しめばいいじゃん」「そんなにヒリつくことじゃなくない?」という人が多数派を占めているようです。だから私がおかしいのかもしれません。「めんどくさいオタク」なだけなのかもしれません。なので、「アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!」に行かれる方には、純粋に楽しんで来て欲しいと思っています。皮肉でも嫌味でもなく、本当にただ純粋に、楽しい時間を過ごしてきて欲しいと思います。アイカツファンの方々——あるいは演者やスタッフの方が読んでいないとも限りません——、お気を悪くされた方がいたら、本当に申し訳ありません。拗らせたアイカツファンの戯言だと思って、どうかご容赦ください。
https://anond.hatelabo.jp/20180507204218
GW明けにやけっぱちで書いた記事のブクマが知らぬ間に地味に伸びてたので第二弾。
前回の記事で、
と書いた。
前回記事を書いた時点では海外事情をざっと見しただけで記事を書いていたのだが、
つい数ヶ月ほど前から日本でもdeepfakesに着手している先見の明のある者たちがいたようだ。
(青い鳥のSNS上で検索すれば容易に見つけ出せるが、なんかクローズドな雰囲気なので詳述は伏せる。)
試しに数本の動画を見てみたが、まあそれはそれは噴飯ものの酷い出来であった。
(ただし●岡里帆というチョイスはぐうの音も出ないほど素晴らしいと思います。応援してます。)
欧米諸国や韓国のものと比べると雲泥の差ではあったが、この時点で着手していることに意味があるのだ。
なにしろ日本は天下のjav・hentai・bukkakeのお膝元である。エロに対する執着は世界随一だ。
やがて彼らの腕前も切磋琢磨され、ブラッシュアップされていくことだろう。
前回記事にも書いた通り、pythonによる機械学習や動画処理に明るくてなおかつどスケベな
技術者の諸兄は今からでも全然遅くないので飛び込んで見ることを薦める。多分金脈だぞ。
また前回記事のブコメでもあった通り、deepfakes+音声合成+3DCG+VR+ラブドール...など
就活の時期に思い出すのがESの添削をしてもらってしばらく学科の晒し者にされてた事で、今でも胸が苦しくなる。
初めは気楽な気持ちで見てもらったがどいつもこいつもお前のためだと言いながら平気で人格攻撃をしてきて
この時は自分でもまぁ甘いESだなと認識してたから素直に書き換えようと出来たが、後日別の友達から聞いた話では俺のESはコピペされて飲み会のネタにされていたらしい。
関係のない人間がそれを見てこいつはクズだキチガイだと言ってたのを聞いて悲しくなった。
書き換えたものを就活支援の人に見せてブラッシュアップしたら普通に通って受かったけど今考えたら関わってたやつらよくあそこまでボロボロに言えたな。
報告した後は俺たちのおかげだなて言われたけどもう二度と関わってない。