はてなキーワード: 万能薬とは
もうすぐアニメが始まるから注目が集まってて嬉しい。あれだけの人気作品だから好きな人も多いと思う。私も好き。あの独特な雰囲気が良きだし、静謐という言葉があれほど似合う作品もない。あの雰囲気を作っているのはフリーレンのキャラと、エルフの長寿ではないかと思う。
そもそもなんでエルフは長寿なんだろう。ふと疑問が出てる。bing君に聞いてみたところ、
・エルフは自然に深く繋がっているから自然からエネルギーを吸収して老化を遅らせている
こんな回答が返ってきた。魔法で若さが保てるなら、人間の魔法使いだって長寿じゃなきゃいけないと思うけど、エルフしか使えない魔法があるのかもしれない。まあ、それぞれ作品ごとに設定があるなら、それはそれで。
エルフの長寿というのは数百年とか、千年とか、これも作品ごとに違うんだろうけど、人間にはピンとこない長さだ。今を基準にするなら鎌倉室町時代あたりから生きてることになる。武士の世の中を経験して、平和な江戸、激動の明治大正昭和をなおまだ現代も生きているとか、もはや意味がわからない。神に近い生き物って感じすらする。江戸前エルフで神様として祀られているのも納得。
エルフの寿命を人間で考えるなら、人間とハムスターの寿命を比べるようなものだろうか。短い寿命のペットを飼っている人は必ず喪失を経験する。その悲しみに耐えられなくて二度と飼わない人もいるし、悲しみを埋めるために別のペットを飼う人もいる。常に複数のペットを飼うことで、一つの死が特別でなくなるようにしている人もいる。
要するに、寿命の長い側が喪失を何度も受け入れなきゃいけない。関わるだけでそれを強制される。長生きもたいへん。エルフと人間との関わりというのは、これと似たようなものなんだと思う。
多くの作品でエルフが人里から離れてエルフの村落で暮らしているのは、人間とエルフの価値観が違っているからだろうし、その価値観の相違は寿命の長さから発生する。似たような外見をしているからこそ、タイムスケールの違いは埋めがたいものになる。
例えば、ハムスターが喋れるようになったら、人間は同じように飼うことができるだろうか。意思疎通ができて、今まで以上に仲良くもなれるけど、3年で死んでしまう友達。私はちょっと無理かもしれない。考えるだけで尻込みしてしまう。ダメージが大きすぎる。無理無理の無理。
だから、エルフは人間には近づかないというのは納得感がある。人里で暮らすエルフは珍しい存在だし、エルフと人間の子供のハーフエルフはもっと珍しい存在になるはずだ。
ここで脱線して、エルフは生涯何人の子供を産むのだろう? エルフがずっと若いままで、妊娠可能であるのなら、500年もあれば数十人、やる気があれば二百人以上は産めてしまう。それぐらいの繁殖力と寿命があれば、世界はエルフだらけになって、人間なんてとてもとても生存圏を広げられない。エルフの覇権世界だらけになりそうなものだけど、物語世界では人間よりエルフの方が数が少ないことになっている。人間が支配的なことが多い。世界をエルフが支配している物語ってある?
人間は寿命が長くなるに従って、子供を産まなくなっていく。寿命が長くなるということは豊かな生活をしているということで、1人の子供を育てるコストが高くなる。だから、そんなにポンポン産めなくなる。
エルフの場合は少し違うように思える。エルフは自然に近い生活を送っているので、豊かさとは別、つまり、発情期に合わせて子供を産むんじゃないかと思うのだけど、違うのだろうか。子供が少ない点からして、エルフは数十年、数百年に一度しか発情期が来ない。とするとそれを逃したら子供を産まないのか。流石に生き物としてどうなのかと思うので違いそうだ。そもそも妊婦のエルフというキャラを見たことがない。本当にエルフは胎生なのだろうか? 木から産まれたりしない?
ところで、この文章にオチはないし、どこへ向かうかも考えられていない。寿命から考えたことを並べただけにすぎない。強いてオチをつけるなら、人間がエルフの長寿に近づく方法が一つだけある。
それは
ある人間に「死にたさ」が上がってきたときに、それを打ち払う便利な思想を自分の人生経験から編み出したので、それを紹介したいと思う。
これは自分はリアルでたくさん言っているのだがなかなか言うべき機会も少なく、普及しないので増田にも書いておく。
いってみよう!
「仮に10億円あってもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。
「死にたさ」が上がっているときは「そんな夢みたいな荒唐無稽な話を聞かせてくれるな」などと言い出す人が多いが、それはすなわち「それが叶うなら生きてもいい」という証である。
ほとんどの問題はこれに帰着する。金があっても死のうとする場合は衝動的なものか、金持ちの道楽のようなものである。
「もし10億円あるなら死なない」という答えになった場合、そこから「5億あったら死なないか?」「1億あったら死なないか?」「2000万あったら死なないか?」などのように逆算する。
ここでたとえば「200万あったら死なない」のような結論が出た場合、死にたさの答えは明らかである。金がないことが問題であり、その金を稼げないこと、どのようにして稼げばいいのかを知らないことが問題である。
金があるなら仕事を辞めることもできるし、一時的に1年休むだとか、転職活動をすることもできるし、広い家にも住めて生活にゆとりとハリが出て、喧嘩も減り、やりたいことにも挑戦できる。
以上によって、死にたさの問題は金に帰着した。あとは這いずり回って稼げばよい。守銭奴のように金を求めれば救われる。
生死の問題だと思っていた人に「あなたの問題は200万円の問題ですよ」と示したとき、衝撃を受けたその人の顔を見るのはなんとも痛快である。
「死にたい」という思考が出てきたとき、通常は「望んで死にたい!!!!!!!」という朗らかポジティブるんるん思考ではないはずだ。
「自分は生きることは全然余裕綽々なんだけれども、でも、自分は絶対に死ななきゃならないんだ!!!!!自分は死ぬために生まれてきたんだから!!!!!死にたい!!!!!!!!!今すぐに死にたい!!!!!!!高らかに!!!」
のような気分ではなく、たいていは「死にたい…………(絶望)」のような気分になっているものだ。
重要なことは「本当は生きたいのだけれど、なんかうまくいかなくてめちゃくちゃ苦しくてもう無理……せや!! 生きるよりも死ぬことの方がマシなのでは????」という消極的な選択をしているという事実を認識することである。
「叶うことなら、本当はハッピーにしあわせに生きていきたいのだ」という自分の心を解放すると、周りの環境から「お前はハッピーでいてはいけない」「苦しみに耐えればいつか幸せになれるよ」などと教化されて、いつしか「苦しむことこそが自分の幸せなのだ!」という信念が強固になってゆく。
冷静に考えてみると何かおかしくないだろうか。
「なぜこの俺様がこんなに我慢を強いられているのか???俺様をお前らは殺そうとしているのではないか。鞭を打てて、かつ虐げることができる生贄として、ギリギリ生かされているだけなのではないか?」などという外に向ける凶暴で凶悪な怒りが実はあるはずなのだ。
死にたいのではなく、「周りの環境からの抑圧によって殺されつつある」という自覚がただひたすらに重要である。
ただ弱い、ただ無力、ただザコなのである。弱いから死にたいという気持ちがあがってくる。無力だから虐げられる。ザコだから一方的に攻撃される。
「仮に健康的で体力があって自分が笑顔でるんるんでもまだ死にたいか?」と自らに問うてみて、直感的に出てきたその答えについて分析する手法だ。
そのような気分にはなれないかもしれない。いや、そのような気分に、なりたくないのである。
なぜならそのような気分になっていた場合、周りから不審な目を向けられるからだ。
「お前には人の心というものが無いのか」「悲しまなければならないときになぜお前は悲しんでいないのか?」「絶望すべきときに、なぜ絶望しない?」「お前は人間ではなく、化け物だ」と扱われることの甚大なる恐怖によって、お前の感情は規定されている。
さて、通常、肉体が健康的な状態になっているならば死のうという気持ちが起こることはない。
つまり死にたさがあがったとき、そのような肉体を保持していることに原因がある。これは運動・睡眠・食事などの、肉体的なもので解決する問題である。したがって頭でこねくり回しても無意味である。
つまり外に出れば良い。
また、外見によって人は態度を大幅に変える。病的な人間には人は苛烈に対応する。とてもか弱い歯向かってこないひよわな人間に、人は優しくなどしないものだ。一見味方のフリをして、本当は支配したい人間も寄ってくる。支配したいのに「あなたの味方ですよ」という顔をするからたちが悪い。
所詮、手のひらの上で転がされているだけなのだ。飛び立とうとしてみろ。奴らは足を引っ張り出す。いつまで籠の中の鳥の気分でいるつもりだ。お前はインコか。
人生は不公平なものであり、なかなか思うようにうまくいかないものだ。どんなに言葉を取り繕ったとて、自分より明らかに楽をしていい思いをしている人々が多くいる。
自分は苦しい思いをしていて、呪縛され、どうにもならない、人生とはそんなものだという無力感を持っている。
「こんなにやったのに」「こんなに頑張ったのに」「でも自分はだめな人間だ」「もうどうしようもない」という自責の念・罪悪感を持っている。
「だから自分など、苦しんだほうがよいのだ」というふうに考えているのだ。仏教的、儒教的、アジア的、日本的な価値観である。
これは苦しんでいるようでいて、実は楽をしており、快楽を得ている。「苦しめばおっけ〜!」という甘いスイーツに酔いしれているのだ。
お前は簡単に苦しんではならない。もっと、より、高度に苦しまなければならない。お前の苦しみなど苦しみではない。せいぜい最大でも1人分の苦しみだ。
より苦しめば楽になるのである。
にもかかわらず、楽になろうとすると恐怖が湧く。見えている苦しみ、どうせ人生はトータルでいうとこれぐらいの苦しみだろうという予測以上の苦しみを得ることに恐怖を感じているから、現状の苦しみで安定する。
「自分が苦しみさえすればいいんでしょ?」「自分が全部悪いんだよね」という攻撃性をうまく覆い隠して、悲劇のヒロインを演じている。男も女も変わらない。お前はシンデレラか。
より苦しむべきである。
この世に期待などするな。それでももし諦めたくないのであれば、自分がその希望になる他ない。お前が無条件に他者に愛を注げ。
お前が他者に愛を注ぐような利他で無私の心で、その一部を証明せよ。愛はお前が与えなければこの世に存在しない。
だいたい、他人も生きていて、他人もその人の人生で手一杯である。どうしてお前を救えようか。
死にたいなどと思っているうちは、お前は利己的で自己中心的でわがままなのである。死にたい人間に生を与えろ。誰かの希死念慮を打ち払え。
人の価値を金銭で考えるべきではないといううぶな考え方を抱いている人が多いが、人命は金と交換可能である。
建前上、人命は金に変えられない高価なものだとされている。もちろん、この精神自体は素晴らしいものだ。理想として、そうあるべきだ。
しかし、現実はそうなっていない。200万円が無いことで死にたさが湧いて、そして実際死んでしまうというのは、命の値段が200万円であるということだ。
金を誰かがくれるわけではない。なぜ俺が赤の他人の、しかも俺に攻撃を仕掛けてくるような精神性の持ち主に金をやらねばならないのか?
お前の人生だろう。俺の人生ではない。なぜ俺だけがお前を一方的に助けなければならない?お前だけが生きているのではない。
誰も無償で助けてはくれないのだ。お前が助けてくれとヘルプを出さなければ誰も助けることはできないし、ヘルプを出したからといって必ず助けてもらえるとは限らない。
自分で自分を助けるしかない。他人に縋るな。絶望が足りない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。
世の中は不平等だ。それを改善しようとする動きもあるが、全然追いついていない。
なぜそれを待つのか。待って待って待って、待って耐えれば満足か?そんな日は来ない。だからシンデレラ思考だと言っているのだ。
優しくがんばれがんばれと言われたらそれで満足か?それがお前の人生か?そいつはお前の人生に責任など持たないぞ。
まずは自分で自分を鼓舞しろ。なぜ他人に身をまかせるのか。「どうにかしてくれ」ではない。お前がお前でどうにかしろ。
お前は死にたいのではない。生きたいのだから生きればいい。努力してもしても無理だったんだろうが、まだまだ絶対的に足りないのである。全く足りない。やってないのだ。
俺がお前のことを何もわかってないことが憎いか?殺したいか?怒りがこみあげたか?万能薬でないことに絶望したか?
逆にお前は俺の何を知ってるんだ?
クソザコに生きる術を伝えてるんだ。お前の無知の範疇で理解した気になるな。ちゃんと全部読めてんのか?眺めてるだけでは何一つとして読めんぞ。これはそういう文章だ。ありがたく精読して頂戴しろカス。
ヨッピーの今までの発言、父親の存在を想定されていないシステムに対しての問題提起や、子育てで便利だったアイテムを紹介する内容などに比較的好感を持っていたが、今回の件で強い違和感を覚えた。
「男の子を育てる時は父親が積極的に介入した方が良いな。父母の集まりで「3歳になったら息子に空手でも習わせようかと思ってる。なんだかんだ男の子社会は『こいつを怒らせたら怖いな』っていうのが抑止力になるから」って言ったら男親は「確かに」って反応だったのに女親はピンと来てなかったもんな。」
これの何がすごいって、物凄く巧妙なのだ。
この文章の中にさまざまな「分断」が散りばめられていて、これに意見しようものならその分断の中に強制的に取り込まれ、賛同以外のものは受け入れられなくなる。
それでいて間違ったことを言っているわけではないのが厄介だ。それに共感するかどうかは別問題だが。
私は最初は無邪気だったので、何故そんな言葉をわざわざ選んでいるんだろう?と思った。明らかに炎上するテーマであり、炎上するワードだ。ライターとして長くやってきている人で、ましてやニールマーレの記事で自身も「SNSの心得として主語を大きくしないこと」と書いている。
仮にこれと同じことを言いたかったとしたら、もっと他の言い方はいくらでもあったと思う。
おそらくこれは意図的なものだ。釣り針になる言葉を入れておきながらそれでいて核心的なものは書かれておらず、逃げ道も無数に用意されている。
例えばその抑止力になる年齢はいつを想定しているのか、いざという時にやり返さなければ際限なくなめられてしまうことは確かにあるがそのやり返す時の技術や体力に空手が必要なのか、空手をやっていることで一目置かれてそもそも理不尽な場面が起こらないのか、そもそもそんなに空手って万能薬なのか…?空手に夢見すぎちゃうかなどと疑問に思うが、それらも
「暴力を肯定しているわけではないが理不尽な暴力という場面はどうしても存在する」
本人が空手をやりたいと思って長く続けたものなら武器になるかもしれない。それで体を鍛えて身長190cmぐらいになって顔も劇画調のマッスルな男になればみんな一目も二目も置くのかもしれない。空手を習うことによるいい面はあるかもしれない。
空手をやってきた子が周りから一目置かれたりなめられないことは結果的にそうなるものであって、最初からそこを目指すものなんだろうか。しかも3歳のうちから。
順序が逆だと思うのだが。
話を戻す。
拡散されて、注目を浴びて、特にヒステリックな層がヒステリックな意見を引用リツイートしてさらにそれにレスバトル。殴りやすいボディをした人ばっかり浮かび上がってくる。勝てる試合だ。
ヨッピーは意図的に炎上、それも絶妙に違和感があるものの間違っているわけではないテーマや言葉をわざと選んで引き起こした上で、勝てる試合になるように炎上をコントロールしようとしている。
私はそれに今回ようやく自覚的になったが、今までの炎上もおそらくそういったものなんじゃないだろうか。
あとめちゃくちゃな意見が投げられれば投げられるほど、相対的にヨッピーの意見が正しいもののようにも演出できる。
めちゃくちゃインターネット巧者だと思う。
(´・ω・`)「…満月ポンカップ麺は一瞬だけどオッサンの洗ってないタオルの芳香がした~♪」
衛生管理の疲れたバイキングレストランや食堂で食パンや炊飯器に雑菌の繁殖した布巾がかぶせてあって食物から臭いがしてどうにもたまらんことがあったりしますが、違うモノAで違うモノBを作る場合にAを使わずに香料でAの味わいを出すことがありますな、その時に香料とBの原料との相乗効果()でAはおろかBとしても有り得ないマズイことになってしまう場合もよくありますが、今回はサダカレー先生の『江戸である』に出てきたオッサンリーヌ?原料の万能薬の話をおもいだしたくらい、例のタオルの芳香が、湯を注いで時間が満ちてフタを開けてかき混ぜてる時に発生しました、…まぁ混ぜてるうちに学研まんがの「動物園から逃げ出したゴリラの話」よろしく慣れてしまって食べだしたら判らなくなりました~♪
(あまりのインパクトで『千里眼シリーズ』の原作で潜入用ボディスーツ着けた女医?がクライアントの難題を彼が入浴中にプローブを首筋に貼り付けて脳波?を測定して達成するっていう読後だいぶ経ってから思い出すと噴飯物リアリティーなシーンは映像化の際も再現されたのだろうかと調べるつもりだったがどっかいっちゃった)いや読後だいぶ経ってから噴飯物とやっと気付くので気持ち良く読まされた(騙された)ってことなんでな!
https://yoboukai.co.jp/article/897
フェミニズム界隈だとピルって単純に肯定されて推奨される事例が多いんだけど
これを見るとリスクが高すぎて怖いんだが…。
『年齢:15~19歳女性のVTEリスクを1.0とした場合、25~29歳で1.99倍、30~34歳で2.91倍、35~39歳で4.01倍、40~44歳で5.29倍、45~49歳で6.58倍にVTEリスクが上昇することが報告されています。』
って、ちまたでは40歳以上から駄目みたいに言われているけれど、これを見ると血栓リスクは25歳で既に二倍近いじゃん!!十分怖いよ!!
年齢的に血栓の心配なくピルを利用出来るのは15~24歳というごく限られた期間ってコト…?それって多くの女性にとっては殆ど無意味では?
別の所では偏頭痛がある女性もピルの服用は駄目だと言われていたし。たかだか偏頭痛程度でも駄目なら、月経困難症のある女性の殆どがピルは無理なのでは?
体調に不調があるからピルの使用を検討する人が多いだろうに、実際にはピルが使用できるのって若くてなおかつ体調にこれといった不調がない人に限られているので
なのに生理痛が重いなら気軽に婦人科に行って相談しよう、ピルをもらおう、みたいに勧められてもな……って思う
しかも『ピルは乳がんの発生リスクを増加させます。』だの『ピルの長期服用によって子宮頸がんの発生リスクが高まる可能性があります。』だの、デメリットが多すぎると思うんだが
で、この記事はこれだけ沢山ピルの怖さを並べ立てておいて最後には『「ピル=副作用が怖い」というピルの副作用神話が今もなお払拭されていないのが現実で』とか書いているけれど
正直子どもつくって育てるって懲役刑か何かにしか考えられない。
一旦産んだら少なくとも義務教育終わる15歳まで、もっといけば大学出る22歳くらいまで面倒見なきゃいけないことが確定してるんだよ。
その間ずっと家庭に拘束されて、稼いだお金の大半も家庭に入れて、時間の大半を家庭に注いで、毎日働いて家事やって子どもと過ごす。
塾で働いてるから身に染みてわかるんだけど、明らかに気性がおかしい子とか、どう頑張っても物事を理解できない子、他人に迷惑しかかけない子とか、いっぱいいる。
勿論親の育て方もあるんだろうけど、先天的な性格でどうしようもない子とかも確実にいるんだよね。もしくは障害をもって生まれてしまうとか。
そういう子に当たってしまった時どうするんだろう?そういう子の面倒を十数年見るってどんな気持ちなんだろう?
親の愛だけで乗り越えられるような問題ではないと思うんだよね。
ガチャ失敗時のリスク&手間の大変さと、いわゆる子どもがいることの喜び…を天秤にかけた時に、無邪気に後者を選ぶ人間がいるのがどうしても信じられないっていうか。
子どもの愛らしさってそこまでの万能薬ではないと思うし、皆自分は子育ての責任がとれる!と覚悟して子どもつくってるの?
人を殺すリスクのある自動車運転は免許が必要なのに、同じくリスクたっぷりの子育てはなんにも許可とか必要ないのもびっくりする。
まぁ実際問題子育ての免許制って難しいだろうけど、でもせめて妊娠発覚したら夫婦ともども最低限の講習受けていっぱいお金貰って社会保障も充実してないと、とてもじゃないけど子育ての大変さや責任に見合わないと思うんだよなあ。
とにかく今の日本で子どもつくるって個人的にはデメリットしか考えられないので、これだけ自分から子育ての道を選ぶ人間がいるのはちょっと信じられないなと思う訳でした。
【追記】
勿論自分で子どもを持とうなんて思ってません。そんなことは一言も書いてません。
ただ周りを見渡してこんなエグい懲役を自分で選ぶ人がこんなにいる現状、自分が親になれる!と信じられる人々の多さ、どういうことなん...?っておののいているだけの独り言です。
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。
オタクが最近やる誇張表現に「そのうちガンにも効くようになる」ってやつがあって、用法はTwitterとかで検索したらいっぱい出てくるから見ればわかると思うんだけど、あれが苦手。
若いオタクたちにとってがんが遠いものであることも、推しは万能薬という気持ちも理解はできる。でも、自分ががんだと聞いたときの絶望感や治療中の苦しさ辛さをどうしても思い出してしまって、無邪気にネットミームとしてがんを使ってるのを見ては複雑な気持ちになってしまう。
推しじゃ治らないんだよ、がん。
大好きなものにまた会える前に自分が死ぬかもしれなくて不安でほんとに辛かった。抗がん剤はすごく大変だった。いまでも抗がん剤の副作用が残ってるから通院してて、その待ち時間でこれ書いてる。
自分の友達はこの表現を使わないからタイムラインで見ることは少ないし、だからそれでいい。ただ、その無邪気さに苦しさを覚えたという吐き出し、お気持ち表明でした。
コロナで苦しんでいる方には本当に申し訳ないタイトルだが、増田ということで吐き出させてくれ。
はてな界隈にも他にもいることに驚きだが、私の母も陰謀論者だ。
母の信じる内容は
https://anond.hatelabo.jp/20210206075842
の方と丸被りなので割愛。
なので、コロナは陰謀で、コロナのワクチンには人をコントロール(これも長くなるので割愛)する何かが含まれているということらしい。
そんな母の前で話すのが悪いのだが、別の家族と話している時にワクチンの話になった。
私は医療従事者で、かつ呼吸器関連の持病があり、何種類もの投薬治療をしていてもあまり状態が良くない。
なので、コロナにかかると重症化する可能性が高く、そうならない為にもワクチンを早めに打てたらいいなという世間話だった。
そこから先はお察しの通りだろうが、当然ながら、ワクチンは危険だ!打たない方が良いという持論を展開。
上の増田でもそうだったが、あなたは何も知らないから教えてあげなきゃ!救わなきゃ!という考えなんだろう。
ハイリスク群なんだよ。
配偶者も、まだ小さい子もいるんだよ。
医療従事者だからワクチンが安心安全の万能薬だなんて思っていないよ!
むしろ未知の副作用に怯えながら、それでも利を信じて、自分だけじゃなく家族や周囲の人の為になると信じて打つに決まってんだろ!
どうして子の苦しみより己の理念を採る人間になってしまったのだろうか。
もし私が母の言う通りワクチンを打たず、コロナで死んだら、母は何を思うのだろうか。
ここまで思考が逸脱していると、もうそれすらも仕方ないと思うのだろうな。
もし私が母に逆らい、ワクチンを打ったなら、母にとって私は、身も心も汚れた存在になるのだろうな。
長い間、大切に大切に私を慈しんでくれた母は、もういないのだろうか。