このおじさん前からずっといる
エンジニアでは大学の専攻が業務に直結するから学歴社会でいいけど
そうでない場合は学歴は秘匿すべきという話になってしまうんじゃないかなあ
頭脳労働で学歴が高い人に優秀な割合が高いことはある程度自明だし、
一緒に働いていたら能力もある程度わかっているわけで
日本人は学歴にこだわりすぎるって苦言を教育者や企業の人事アナリスト的記事で見るが、じゃあ海外はどうなのかと言う比較すらしたことのない内容なんだだな
その比喩は確かに分かりやすいんだけど、能力が1次元と仮定するのは現実を捨象しすぎていて議論ができないから現実に話を戻したい。
自分はさっき一般的に会社で行われる業務に必要な能力として3つの能力を挙げたけど、別にその3つの能力が必要だと思っている訳じゃない。
価値っていうのは他の物との差異だから、楽器が上手く弾けるとか手芸が得意だとかそういうのでもいいし、なんなら色々な物を組み合わせて新しい分野を自分で作ってしまってもいい。
現実は足が速くなくても跳躍力があれば高跳びの選手にもなれるし、腕力が強ければ砲丸投げの選手にもなれる。
目の前にある端末の液晶を開発した人とスピーカーを開発した人とアプリを開発した人はみんな違うし、それを1つのシステムとして組み合わせようと考えた人もいるはずだよね?
つまり、他の人より何か上手くできるものを作ってしまえば認められる世界ではある。(マーケットも必要だけど)
この世界は想像力があればなんでも作れるし、想像力は知識と経験を積めば向上していくものだよ。
もちろん生育環境とか時代背景とかの外部環境の問題はあると思うけど、そういう価値を生み出すための何らかの行為をしてこなかったことに対して自己責任が無いとは思わないかなぁ。
外部環境が良かったために人生必死になってない人と比べられるのが辛いとかあるのかもしれないけど、でもその人たちも尊属の誰かが価値を生み出してきたからこそそうなれたんだよね。
だからよりよく生きたいなら自分がどこかで必死になる必要があると思うし、自分でカバーできる部分は多々あると思うんだよね。
それこそクラウドファンディングみたいにビジョンと熱意と努力を見て投資したくなる人もいるんだし、外部環境を変えることだって可能なんじゃないかなぁ。
例えば学歴なんて一切関係ない職人として働いている人もいるわけで、そういう人の人生経験だって聞いてみたいと思ってる。
ただ実際に会える場がなかなか無いんだよね...
だから周囲の人の話しをますば聞いてる。ホームページで施設案内とかゼミ独自のホームページとかみるとめっちゃ楽しいよ。文化祭の写真とかワクワクするし。
人を超えたい
修士に進んでいなかったのでは、大学院でそういう状況なのは知らなかったな
ただ思っていたのは普通に学部時代に転部するっていう人を想定してた
そういう思い切った人って目立つから印象として残ってしまうんだよね
でも人数は少ないよね
マルクスは今でも誰もが学ぶし引きずってるというのがどういう状態かよくわからない
社会主義を目指そう!ってことかな
ひと昔前は規格外geek以外はエンジニアとして経験積むことすら無理だったみたいやで
ワイもインド系の企業の単なるヘルプデスクで門前払いくらったことある
でもみんな単位を取ってきた実績があって、消去法だったとしてもその学科を選んだ理由てあるじゃん?もちろんなんとなくだっていいんだ。どんな講義があったか教えてほしいかな。自分が参考図書を書いたくなったときの情報として取り入れたい。
まじでマウントの意識はないんだ。もっとフラットに話せたらいいのにね。日本もどんどん学歴主義になってきているし、厳しいとは思う。
ちゃんと読んでないな