どうさばいて、どう行動や作品などに取り込むかということ。
私はいくら自分の好きな作品でも、例えばfate系列やポケモンのような
有名な作品でも、どうしても嫌なところ・直して欲しいところは
散見するし、それでも好きな作品・好きなところが多い作品だから
「今回のストーリーすごいgdgd。前作のストーリーのほうがよかった」
公式にお問い合わせで直接こんなこといってもどうせ聞いてくれない
のはわかっている。だからこそ愚痴の一つとしてそういう場所に流すのだ。
しかし不祥事・低品質なものの提供を連発するジャンル、例えばFGOなどは
さすがにしっかりとお問い合わせで文句を言う。
上述の愚痴は基本的にアンチ、クレームに該当し、公式から見れば大体取るに足らない
取り込むべきでないゴミであり、問い合わせに入れてもしょうがないものかもしれない。
だが好きで居続けたいからこそ不祥事を連発するようなジャンル、あるいは
これから大事になりそうな不祥事を起こしてしまったような公式などには
勇気を出してお小言を言ってしまう。これは批評的意見であると私は思う。
無論クレームや愚痴と違って筋が通っているか・伝えるべきか・伝わりやすいか
しっかり見直してからお問い合わせへ送信する。また必要以上のこと、特に
怒りや悲しみなどの文句を使う際に出てしまいがちな強い感情が文中に
・理路整然としているか
・けんか腰になっていないか
・公式が誠実に受け取ろうとしてくれる文か
・「私は公式さんのことを考えて言っているんですよ」アピが入った文に
なっていないか
を押さえないと、すぐにクレームやアンチ・愚痴に堕してしまう。
私はそう考えている。
無論公式もアンチ・クレームを正しく捌けて、正しく公式のことを見ている
twitterの公式垢に文句を向ける凸野郎みたいな無益な"コメント"をはねのけ、
批判的意見はうまく取り入れられれば、作品や行動をブラッシュアップするのに
役立つのだ。
批判的意見を取り入れることによる改善の例だが、私の実体験を出そう。
前に私は通販で購入したパウチのおかゆを開封して腐ったにおいの異物混入を
発見し、その会社に問い合わせをした上で商品の中身ごと返品した。
しばらくして、結果は会社側・あるいは配達業者の不祥事ということがわかり、
これからはこれこれこのように対応していきます…といったDMが来た。
DMの中には今までその会社が客からの問い合わせによって改善をしてきた
例をいくつか載せたパンフレットがあった。
批判的意見はしっかりと耳を傾ければ、行動や作品に改善をもたらすのだ。
しかし最近は批評=アンチというか、批判や批評の認識が誤っている人が多く、
マンセーや根拠のない・薄っぺらい賞賛だけに耳を貸して、聞くべき
批評的意見をクレームなどと混同して流してしまう公式や個人が多い気がする。
まあ何言っても耳当たりのいい言葉しか聞かないのなら、そんな批評的意見を
ユーザー側がわざわざ述べる気にもならない、あるいはその層が離れている
のかもしれないが。
これではまるで、野菜を「全部苦いから食べない!」と言い張る子供のようだ。
クレームやアンチとの違い、どんな意見がクレームでどんな意見が批評になるのか
学習すべきではないだろうか。できれば義務教育に取り入れるべきだ。
これはコンテンツなどの受け手・発信者どちらにも大事な知恵であり、
たとえ仮にオタクでなくても知っておいて損はない、それどころか得だらけではないだろうか。
クレーマーが増えた今、内容にかかわらず強い口調で話しかけられている時点で耳をシャットダウン
してしまう人が多いかもしれないが、時にはクレームではなくしっかりとした
批評的意見があるかもしれない。そしてそれを聞かないことにはまず批評的意見を
述べているユーザーや、同様の意見を携えるユーザーを逃してしまうことになるのだ。
別にユーザー以外にも、友達、フォロワーなど、他のことにもこの理論は応用できるはずだ。
また、このような知識を獲得することで、むやみやたらに誰かに怒鳴り散らす
日本人の好きな
「こんな言い方の人はクレーマーで恥ずかしい!」
「こんな言い方ならしっかり批評的でかっこいい!」
といった印象操作的文句で知識を広めればいくら傍若無人なクレーマーでも
ある程度は収まるだろう。
本当は自分が言いたいけど自分の立場では言いにくいことを忖度していってくれた人=筋が通って健全な苦情 自分に対する敬意がなくて率直に思ったことを述べている人=クレーマー
そんなこと以前にクオリティの低いクズを持ち上げてみんなで盛り上がるのやめればいいだけじゃないの ダメなものに金出さなきゃいいだけ
これから大事になりそうな不祥事 FGOでこれに該当するのって具体的に何? キチガイがわめいてた1945の件しか思い当たらないんだけど。 増田がこれについてクレームを入れた上で最後...