はてなキーワード: ショッキングとは
例えば髪型、服装、言動、そういったものが「自分の思考は常識とは外れていて・・・」的な漫画をたまにツイッターで見るんだが、ちょっと感想を書きたい。
まず、そういうのが社会の常識から「え?ほんとにやるの?」とか「いや私はここから先は応じられない」的な反応を受けてできないときのショックの描写が大概入る。
思ったのは「そんなにショックなのか?」というくらいに心理描写が重い。そんなあなたを沼の中に引きずり込もうとする常識を擬人化してすごく気持ち悪いものとして描き、それを蹴り飛ばす強い自分、という構図で書いているのだけど、思った髪型ができない、好きな服が着られない、自分の言葉遣いが思ったようにできない、というのを軽く常識側からちくっと言われたりするのって、本当にそんなにショッキングな出来事なのか?なんだかんだでぶっちぎれるくらいの重さなんだろ?ここの重さの表現がおかしい。
多分病院に行く人位重たい描写なのに強いあなたはぶっちぎれるんですね。もうこの時点で選民思想が入っていると思うよ。
常識側が自分のずれた部分を受け入れてくれないことは、それはきついしつらい。そこまではわかるのだが、地獄のそこに貼り付けられたくらいに落ち込んでいるのがなんでそこまで行っちゃうのかが理解できない。
次に、「そんな自分を理解してくれて達成の手伝いをしてくれる人が見つかって、ついに達成した」ときのシーン何だけど、ずいぶん軽くない?
地獄のそこに叩き込まれるくらいのショックを受けるくらいに辛いのに、達成したときの描写がやけに軽くて、なんか思ったより低い天井に頭ぶつけたみたいな気分になる。あんなに辛かったことをついに達成したんだよ?嬉しすぎて失神するくらいの描写はあっても良いんじゃない?辛さと喜びの対比がおかしい。逆に、そのくらいのことでなんでそんなに悩んでたの?という気分になる。
そして最後に「達成した自分を褒め称える女性陣とその周りで無視される男性陣」というエンディングもよくわからない。
「こんな私を受け入れてもらえるんだろうか、とドキドキしながら会社に言ったのだけど、同僚からは評判もよく一安心!(遠くでなにかいいたさそうにしているけど無視される部長)」みたいなシーンね。
あれをわざわざ書く理由ってなんだろう。多分、そんな私に良い顔しない常識側の象徴として書いているのかもしれないが、序盤では良い顔しない女性も書いているのにね。
こんな私を見て女性はアップデートされたが男性は相変わらず旧態依然とした態度に固執しているとか書きたいのかな。こういう細かい印象操作もよくわからない。
むしろ「お、良いじゃないですか!」とか下手に言ったらセクハラにされるから怖くて何も言えないんだと思うよ!
とか思ってたんだけど、あーそっか、これフェミニズムの思想系プロパガンダ漫画なんだな、ということに今気がついた。本人がどういうつもりで書いてるかはわからないけど、この方向でどんどん過激化していくほどに褒め称えられるが、結局プロパガンダに利用されてるだけなのか。
例えば髪型、服装、言動、そういったものが「自分の思考は常識とは外れていて・・・」的な漫画をたまにツイッターで見るんだが、ちょっと感想を書きたい。
まず、そういうのが社会の常識から「え?ほんとにやるの?」とか「いや私はここから先は応じられない」的な反応を受けてできないときのショックの描写が大概入る。
思ったのは「そんなにショックなのか?」というくらいに心理描写が重い。そんなあなたを沼の中に引きずり込もうとする常識を擬人化してすごく気持ち悪いものとして描き、それを蹴り飛ばす強い自分、という構図で書いているのだけど、思った髪型ができない、好きな服が着られない、自分の言葉遣いが思ったようにできない、というのを軽く常識側からちくっと言われたりするのって、本当にそんなにショッキングな出来事なのか?なんだかんだでぶっちぎれるくらいの重さなんだろ?ここの重さの表現がおかしい。
多分病院に行く人位重たい描写なのに強いあなたはぶっちぎれるんですね。もうこの時点で選民思想が入っていると思うよ。
常識側が自分のずれた部分を受け入れてくれないことは、それはきついしつらい。そこまではわかるのだが、地獄のそこに貼り付けられたくらいに落ち込んでいるのがなんでそこまで行っちゃうのかが理解できない。
次に、「そんな自分を理解してくれて達成の手伝いをしてくれる人が見つかって、ついに達成した」ときのシーン何だけど、ずいぶん軽くない?
地獄のそこに叩き込まれるくらいのショックを受けるくらいに辛いのに、達成したときの描写がやけに軽くて、なんか思ったより低い天井に頭ぶつけたみたいな気分になる。あんなに辛かったことをついに達成したんだよ?嬉しすぎて失神するくらいの描写はあっても良いんじゃない?辛さと喜びの対比がおかしい。逆に、そのくらいのことでなんでそんなに悩んでたの?という気分になる。
昔ソニーミュージックの社長かなんかがインタビューで「浜崎あゆみの歌詞って、若い女の愚痴みたいじゃないですか、ああいう歌詞ってすぐにかけるし共感も集めやすい」とか言ってたことがあったように、ネガティブなことは割とどこまでもかけるということなんだろうとは思う。
そして最後に「達成した自分を褒め称える女性陣とその周りで無視される男性陣」というエンディングもよくわからない。
「こんな私を受け入れてもらえるんだろうか、とドキドキしながら会社に言ったのだけど、同僚からは評判もよく一安心!(遠くでなにかいいたさそうにしているけど無視される部長)」みたいなシーンね。
あれをわざわざ書く理由ってなんだろう。多分、そんな私に良い顔しない常識側の象徴として書いているのかもしれないが、序盤では良い顔しない女性も書いているのにね。
こんな私を見て女性はアップデートされたが男性は相変わらず旧態依然とした態度に固執しているとか書きたいのかな。こういう細かい印象操作もよくわからない。
数日前に、はてブで反出生主義について書かれた記事が話題になっていた(有料部分は読んでいないが)。
人間が生まれることは本当に良いことなのだろうか。昔からよく考える。むしろ、何一つ自分の思い通りにならなかった昔の方がよく考えていたかもしれない。
小学校低学年の頃、週刊ストーリーランドという番組があって(この番組は途中で打ち切りになっちゃったみたいなので、年齢がバレてしまうが)、読者からストーリーを募ってアニメ化するという趣旨のもので、私はとても面白いと思って観ていた。
占い師のおばあさんの超怖い話など、インパクトがあるものが多かったので記憶に残っている人も多いのではないだろうか。
この番組で私が特に印象に残っているのは、神様が世界中の人に同時に語りかけ、願い事を叶えてあげる、ただし叶えるのは1番願った人が多いもの1つだけね、と告げることから始まるお話だ。願いは1つだけだから、多数決でどんな願いにするか決め、皆でそれを願おうということになった。当然もめにもめまくるし暴動が起きるしで大変だったが、なんとか最後は心を一つにしてお願い事をしてハッピーエンド。と思いきや、実は神様は世界中の「人」ではなく「生き物」に語りかけていて(人間は自分たちだけに語りかけられていると思っていた)、人間以外の動物たちの共通の願いはただ1つだったので、世界中から人間だけいなくなったというオチだった。
コロナウイルスの蔓延っぷりを見ていると、鬱々としつつも、ずっと昔に流行したスペイン風邪とかペストの時代の人々の心境と今きっとシンクロしているんだなぁと妙に感慨深くなったり、自分がパニック映画のモブキャラであるような気持ちになったりする。そして、イッヌとかネッコにも感染るようではあるが、死にまくっているのは人間ばかりのようなので、上記の週刊ストーリーランドの人類粛清のお話を思い出したりした。
日本でちょっと前に人気を博した韓国のインフルエンサーのホン・ヨンギさんという女性がいる。彼女は、中3くらいからモデルとして活動を始め、高校生から服のECサイトを経営してめちゃくちゃに稼いだ。一見すると、ファッション好きな可愛くて商才のある女の子のサクセスストーリーだ。しかし実は、これまでの活動は彼女のお父さんの借金(約3億円)を返すために始めたことだった。返しても返しても利息分にしかならない。彼女が自分の出産・育児のために借金の返済が滞ったときがあり、子供の100日祝いの場に取り立てが押しかけてきたという(多分闇金だと思う)。その後も取り立ては続いた。これまで長きにわたって実家と新しい家族の2家族分を彼女が支えてきたが、もう精神的に限界で、肩の荷をおろしたいとインスタに綴っていたという。
彼女は子供の頃本当に貧乏だったらしい。サイズの合っていない靴を履き、中学校に入学しても小1の時のカバンを使うしかなかった。家庭の事情でなんども引っ越すのが嫌だった。それが、モデルの仕事を始めて注目されるようになって、サイズの合う靴を履けるようになるかと思うと嬉しかったらしい。
こういうクズな親の話はよく耳にするので、その度に、やはり産まれることが良いとは手放しに思えなくなる。
私は、どんな子も、色々あったとしても、数年単位で積分した場合になんとかプラスになるような人生であってほしいと心から思う。でも、この社会ではそれは難しい。恵まれた者とそうでない者の落差が大きすぎるのだ。上にいればいるほど、底に近い場所のことは暗くてよく見えない。底に近ければ近いほど、上の方は眩しくて、手を伸ばしても空を切るばかりだ。そんな社会で、子供を作ろうと思える人はどのくらいいるのだろうか。その結果が出生率の減少に現れているのではないか。
落差について考えたとき、映画「パラサイト」のことが頭に浮かぶ。とても緻密で素晴らしい映画だったが、かなりショッキングな重苦しいテーマを扱った作品であることから、数日間は精神的に浮上できなかった。
映画の最後の方で、半地下のお父さんが咄嗟にしてしまった行動の理由が、私にはわかった。人間としての尊厳を粉々に破壊されて、でも破壊した相手は自分を「同じ」人間だとは(一切の悪意なく)思っていなくて、それがわかっていてもどうしようもなくてああするしかなかったのだと思った。
映画を観た後に、一緒に観に行った知人と感想を言い合っているとき、彼女が「あ、それそういう意味だったんだ!」と驚いていた。彼女は、地方都市出身だけど私と違って都心部に近いところで一人っ子として溺愛されて育ち、色々な習い事をして東京のそこそこ偏差値の高い私立大学を出た人だ。映画も本も音楽も好きで教養がある人だ。そのような人が、あのシーンの意味がわからなかったというのは結構衝撃的で、というのは多分だけど解釈不足ではなく想像が及ばなかったからだと思うからだ。そんな風に惨めな思いをしたことがないから。
私の一人暮らしの家にはテレビがなく、「逃げるは恥だが役に立つ」の新春スペシャルはTVerで観た。けど、途中で観るのをやめてしまった。前回のドラマも途中で観るのをやめて、その時は二人の恋愛模様が何だか気持ち悪くなってしまったという理由だったが、今回は、現実の社会問題をこれでもかとふんだんに詰め込んでおきながら、登場人物の設定は全部ファンタジーというちぐはぐさがあり、何だこれは?となってしまったからだ。ツイッターでは、恵まれた人の恵まれた物語、「持てる人」しか出てこない、などの声がある一方で、感動した!すごく良かった!という声もあった。
学生時代、研究者の人が昨今の就職難について嘆いていて、公募受ける時だけ女になりたいなと冗談めかして言っていた。最初、言っている意味がわからなかったのでどうしてか聞いたら、女性枠があるからだという。私はふいに怒りを覚えたが、ぐっと堪えた。
結局のところ、皆自分より下の階層については鈍感であるか、鈍感であろうとしているのだろう。私がパラサイトを観てショックを受けたのも、いつも自分が一番不幸だと思っていたのに、自分より下の見えなかった分断を突きつけられたからだと思う。アフリカの恵まれない子供達、肋骨が浮き出てお腹が膨れて上半身裸の彼らのことを知っているのに、普段は頭の片隅に追いやって考えないようにしている。私たち全員が、今より高いところとの間にある分断を見ていて、眩しくてつらい気持ちになるのに精一杯でいる。人生は不幸なことばかりで、自分より恵まれている人を憎んでいるのだ。その一方で、自分より下の分断も見たくない。
こんな気持ちを抱えてずっと生きていくのはつらい。
最近、「性犯罪者は全員男性、女性は常に被害者!」みたいなツイートに大量の「いいね」がついているのを見て若干モヤモヤしたので、今まで自分が受けた性被害を整理してみた。
別に男性にしろとは思わないが、2〜3年に1人ぐらい明らかに股間を見てくる人とエンカウントする。
某駅のトイレで小便をしていた時、斜め後ろに立たれて思いっきり覗かれているのに気づいた時は「ヒェッ」みたいな声が出た。
・満員電車で尻を撫でられる
その時は尻ポケットに財布を入れていたため、スリかと思ったが、明らかに財布がない方の尻を撫でられた。
常習犯だったのだと思うが、隠れ方が上手く、誰に触られていたのか全く分からなかった。
そして男でもいざ痴漢されると声を出せないことを思い知った。
社会人として最初に勤めた職場は、男性が自分とあともう一人だけで、あとは皆女性だった。
基本的に皆いい人だったが、酒が入ると「最近、いつヤッた?」とか普通に聞かれるのに驚いた。
あまり答えたくなかったけれど、自分は一番若手で相手は先輩・上司のため答えざるを得なかった。
そのうち、「何事もないような顔で普通の質問のように返すと、相手が面白くなくなって深堀りされない」といういなし方を覚えた。
若手が集まった飲み会で一人の女性がベロベロに酔っ払ってしまった。
明らかに1人では帰れそうになかったので、殆ど話したこともなかったが、帰り道が近い自分が送っていくことになった。
家に着き、部屋に押し込んで帰ろうとすると、その女性が「セックスしたい」と言い出した。
当時、自分には彼女がいたし、なんとなくその子にヤバそうな雰囲気を感じていたので、できないと断ると急に女性が胸元を掴んで「抱けよ!(原文ママ)」と迫ってきた。
かなり驚いたが、力でなんとか振り払って逃げ帰った。
家について来ていたシャツを見てみると、胸の部分が破れていた。
あまり腐女子界隈に詳しくないのでネタという表現が正しいのかよく分からないが。
高校生の頃の話。
それなりの偏差値の共学で、クラスには陽キャからオタクまでいたが、イジメとかはなかった。
数人の腐女子もいて、普段の交流はあまり無く、「変わった趣味の人達だなぁ」ぐらいに思っていた。
ある日、文化祭の準備でその中の一人と飾り付けか何かの作業をすることになった。
それまで話したことは無かったが、話してみると普通に面白い子で、楽しく会話しながら作業をしていた。
その内、話題がBLになり、その子が好きなキャラとかを話し始めた。
その話の流れで、その子に「増田くんと〇〇くん(クラスで一番仲が良かった男友達)のBLがクラスで流行っている」と不意に言われ、その瞬間物凄く気持ちが悪くなった。
その子にしてみれば、褒め言葉だったのかもしれないが、高校生の多感な時期に友人と性的に交わっているのをクラスの女子に妄想されている(しかも本人の意志と異なるセクシュアリティとして)のはかなりショッキングだった。
それから、その友人と話すたび腐女子の集団の目が気になり、何となく話しにくくなってしまった。
そんなこんなで、挙げてみると意外とあるなと思った。
90年代のゲーム雑誌を「懐かしいな~」とめくっていてね、花形クリエイターのインタビューとか読んでてね、「あれ、こいつら、この時代めっちゃ若くないか?」ってことでゲームクリエイターの年齢を調べてた。
はあああああ~~~若い。業界自体がほとんど80年代に興ったような若い業界だから作り手も若いのは当たり前なんだけど、それにしたって若い。
神童みたいな存在だった中村光一や中裕司が若いうちから代表作を残しているのは当たり前としても、あんな清濁併せ呑むような作風の『タクティクスオウガ』作ったときの松野泰己が20代なんだよ。「ガキが...舐めてると潰すぞ」ってならんか?ならんか?
あと何気にショッキングだったのは、堀井雄二と広井王子ね。元々ゲーム業界外の出身であるこのへんは年齢も高く、ゲーム雑誌を熱心に読んでいた90年代中盤の自分にとっては「おじさん」っていうか殆ど「初老」って感じだったんだけど、年齢みたら40歳前半くらいなんだよな。全然若いなオイ、ソシャゲのディレクターとかのが全然年齢上だぞ、ってなる。
だから年齢の問題はともかく、橋野さんや外山さんに比べて一回り遅れている気持ちが、どうしても僕の中にはあります。若い頃に芽が出なくて、やっと32歳のときに『ドラッグオンドラグーン』でディレクターでしたから。
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ニーア、ペルソナ等の人気ゲーム開発者が激論! 国内ゲーム産業を支える40代クリエイターの苦悩とは【SIE外山圭一郎×アトラス橋野桂×スクエニ藤澤仁×ヨコオタロウ】
ヨコオタロウの「やっと32歳でディレクター」というのは、現在の感覚からすると随分順調なように思えるが、2003年(『ドラッグオンドラグーン』のリリース年)であっても、なおそれくらいの若々しさが残っていた業界だったということだ。この座談会のなかで、外山はコナミで3年目、橋野はアトラスで5年目で初ディレクターを任されたと語っている。
すげえ高そうな服着た女の人が、
これまたすげえ高そうな犬を散歩させてんだけどさー、皆、犬に服着させてるわけ。
まあ、犬に服とか見慣れてきたよね。
寒いし服着せたいのも分かるわ。
でも、今日、よーく犬見たら、びびったわ。
服よ、服。
でもさ、服だよ。
でも、その服の大事な部分がくり抜かれてるのさ。
良い飯とか食わせてさー、
服着させるけど下半身丸出しオッケーって買ってる人は思ってるんでしょ。
なんなら、この服はお気に入り、ココアちゃんも気に入ってるのねーとか思うてるんでしょ。
......変態では?
最近、格差の話になると、金銭や物的資本の格差というより文化の格差に言及されるのをネットで見かける。
いままで、格差が広がって下々の者が上流を羨ましがるけど絶対に届かない、みたいな未来がくると思ってた。
でも、実際は上流は下々の斜め上を行く文化作って下々はドン引きって未来なんだろうな。怖いわ。
最近ネットを賑わしているナイキのCMに対する批判に、「日本人は差別主義者であるということを、世界中に向けて宣伝している」といったものがあるけど、これはざっくり分けてく2つのおかしい点がある。
まずひとつ目に変なのは、「世界中に宣伝している」というところ。このCMを打っているのは、NIKEの日本代理店である「NIKE JAPAN」であるから、このCMは日本市場をターゲットに打たれたCMなのは明らだよ。確かに、Youtubeの動画では英語字幕が設定されているから、英語圏の人たちも閲覧できるけど、動画では日本が舞台で日本語ばかり使われているのだから、日本人に向けられていると考えるのが自然だよね。世界中に向けて宣伝したいならNIKE本家が宣伝するはずだし。NIKEは差別をテーマにしたCMを打つのがお家芸になってるから、今回はそれを日本向けに行ったんじゃないの。
で、2つ目の変な点が「日本人が差別主義者であると伝えている」ということ。
ネットや世間では、壮絶なイジメ、差別のシーンばかりがクローズアップされているけど、登場人物たちが自らのアイデンティティに悩むシーンにあまり触れられていないのは、とっても不思議。動画の冒頭では「私って、何物?」と悩むシーンがあるし、「いつか誰もが、ありのままに生きられる、世界になるって――。」というセリフでCMは締められる。イジメだけではなく、自分の内面との葛藤や、反発も描かれている。こういう演出を読み解くと、差別云々よりも、思春期の少女がアイデンティティについて悩んでいる、というのがこのCMの本質であるとよく理解できる。だから、このCMは「NIKEは、自分らしくある人を応援します」って宣伝したいのであって、「日本人が差別主義者である」と批判したいわけじゃない。
NIKEに対する批判の中で、「お前らウイグル人を強制労働させといて何いってんの?おまいう?」っていうのもあったし、それは十分理解できるんだけど、「NIKEは日本人を痛烈に批判している」というのは全く理解できない。だって、どう考えてもそういう解釈できないんだもん。合理的に、丁寧にCMを読み解こうとすればするほど、そういった考えにはならないはずなんだけど、なぜか超斜め上をいく解釈をして、叩いている人でネットは溢れかえっている。
正直、そういった人は読解力や論理的な思考が欠けてるとしか思えないよ。そういう的はずれな批判をしている人が、論理的に論じてるの見たこと無いもん。叩いてる人たちみんな、「日本人を馬鹿にするなぁ!」って書いて終わり。ショッキングな差別やイジメのシーンを見た時の刺激に、反射的に反応しているだけじゃん。その裏に、無意識の差別意識ゆえの図星やら、「日本人は絶対に差別しない潔白な民族である!」っていうおめでたい思考があるのかまでは知らんけどさ。
もし、論理的に「NIKEのCMは日本人を批判するために作られている」と考えている人がいたら、是非、返信をお待ちしています。できれば、CMの演出について触れて、どのように解釈したかを書いてもらえると助かります。
それでは
久々に見たけど何だ今日のあの話。
後味が悪いっていうより、うっすいスープ飲んでたら底に泥が溜まってた、みたいな感じ。
最初から最後まで、ずーっと「いや、ええ……?」みたいな展開続きだったし、結局アレはどうなったの?みたいなのも残ってるし、
終盤まではまぁ、「うーん外れ回かなぁ」ぐらいに思ってたんだけど、最後の最後で「稀に見るクソ回」にまで下がった。
私の記憶にある限りでは、普段の捜査一課は犯人連行するときは絶対に犯人を挟んで視界に入る位置を歩いていたと思うんだよね。
犯人が何か不審な動きを見せたら、伊丹さんも芹沢さんも、すぐさま押さえつけられるような位置取りだったはず。
それが、今回は何?新人も含めて3人とも、それどころか特命の2人までうっかり目離しちゃったの??しかも犯人が鉄柵超えちゃうような時間???
いやいやいやいや、ありえなくない?だったら、連行される前にナイフ持ち出して「近づいたら首を切る!」って言いながら飛び降りようとする、みたいな流れの方がまだマシじゃない?
クソゲーとか打ち切り漫画とかクソアニメとかによくある、「脚本のために登場人物が無能になる」っていうのを好きな作品でやられるとほんと腹立つんだなって痛感した。
相棒で飛び降り、って聞いて真っ先に思い出すのは、「贖罪」。次いで「ボーダーライン」。
犯人が自ら命を絶とうとする話で思い出すのは「ミス・グリーンの秘密」。
神戸君回ばかりなのは、私が神戸君が好きだからなので置いておいて。
いずれも、正義とは何か、社会とは何か、生きるとはどういうことか、と、非常に大きなメッセージとテーマを持ったお話だったと個人的には思っている。
ショッキングな展開を描くのは、メッセージを含んだストーリーを、その展開とともに強く印象付け、記憶と心に焼き付けるための手法であり、相棒の「後味の悪い話」は、だからこそ強く印象に残るのだ、と(ミス・グリーンの秘密はそこまで後味は悪くないですが)。
それに比べて、今回の話のなんと底の浅いことか……
この話を印象付けて、果たしてそこには何が残るんだ。後味の悪さだけを残すのならやめてくれ。ただ後味の悪い話なんざ求めてないんだ、こっちは。
おそらく今回のテーマは、最後の右京さんの言葉「自分で選んだ人生」ってところに集約されているんだろうけど、その言葉を受けた犯人が飛び降りてしまったことで、逆に右京さんの言葉を否定するような演出になってしまっている。
右京さんのその言葉をメッセージとして残すのならば、むしろ先に飛び降りようとしていたところを、右京さんの言葉で踏みとどまる、みたいな流れでも良かった。
「ミス・グリーンの秘密」も、最後は思いとどまってくれて、だからこそ心に残るエピソードになってるのだから、自ら命を絶つシーンを見せないと印象に残らないわけじゃない、ってことも分かってるだろうに……。
全体的にも非常にお粗末というか、その場しのぎ感の目立つストーリーラインで、久々の相棒なのに残念だったなーという話でした。
https://anond.hatelabo.jp/20201129032737
親友の結婚式にご列席されたものの、その親友から裏切られた気持ちになっているんですね。
その辛い胸の内をお伝えくださってありがとうございます。
投稿されてからしばらく経ちますが、そんなに簡単に整理なんてできるもんじゃないですよね?
信じてきたものがそうではなかった時のショックとはそういうものなんです。
私も人生のいろんなフェイズで尊敬する人、信頼する人、色んな人と出会ってきました。
その中で増田さんと同じく”裏切られた”と感じるような出来事も経験してきました。
そのたびに何が自分を苦しめているのだろうかということを考えてきました。
前置きが長くなってしまいました。
増田さん。増田さんはご親友の結婚の知らせを一番最初に受け取ったことを嬉しく感じていましたね?
私も数多くの結婚式に参列してきましたが、結婚式に呼ばれる人に”特別ではない人”はおそらくいません。
新郎新婦にとって縁があり、人生におけるあらゆる出会いの中で厳選された人だけが呼ばれます。
そして増田さんはその中で”新婦が誰よりも早く招待した人”なのは間違いない事実です。
私も過去に後輩から結婚の知らせを受けた際、その初めての人だと聞かされたときには嬉しさと共に緊張のようなキリッとした気分になりました。
でね、増田さん。ご親友からすると増田さんのことをとても大切にしているように私には見えます。
でも増田さんはそうではないと感じている。
ここがポイントです。
増田さんの”親友”は結婚式に招待してくれたお友達が唯一かもしれません。
数多くの親友の中でひとりひとりに対して気持ちを伝えるためには役割を誰かに独り占めさせてはいけないとおもったのかもしれません。
これは私の想像でしかないので、もしかしたら違うかもしれません。
こういった価値観の違いは増田さんもご経験されてきたのではないですか?
整理できない感情から予期せぬ事態に発展してしまうことがよくあります。
カッとなってつい・・・とか、勢いに任せて・・・・とか聞いたことありませんか?
感情というのは波があるんです。この波が増田さんはショッキングな出来事で一番最高潮にきていると思うんです。
これは人生における緊急事態です。決して小さな出来事ではありません。
ただし、感情というのは時間をもって徐々に整理ができてくるものなのです。
だから、まずは会う予定についてご親友にお詫びを入れて一旦スキップしましょう。
嘘をつかなくても大丈夫です。
体調が優れなくて難しいことを伝えればよいのです。実際、増田さんは緊急事態に陥っています。
そして時間をおいてから、ご親友に対してどんな交友感をもっているのか、ご親友の考えている”親友”とはどういうものなのか。
その時、お二人の間で改めて”親友”がどういうものとして捉えられているのか、すり合わせができるはずです。
他者の価値観を確認し、自分の価値観がみなおされていく。またはその逆で自分の価値観に影響を受けて他者が価値観をみなおしていく。
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親友の結婚式にご列席されたものの、その親友から裏切られた気持ちになっているんですね。
その辛い胸の内をお伝えくださってありがとうございます。
投稿されてからしばらく経ちますが、そんなに簡単に整理なんてできるもんじゃないですよね?
信じてきたものがそうではなかった時のショックとはそういうものなんです。
私も人生のいろんなフェイズで尊敬する人、信頼する人、色んな人と出会ってきました。
その中で増田さんと同じく”裏切られた”と感じるような出来事も経験してきました。
そのたびに何が自分を苦しめているのだろうかということを考えてきました。
前置きが長くなってしまいました。
増田さん。増田さんはご親友の結婚の知らせを一番最初に受け取ったことを嬉しく感じていましたね?
私も数多くの結婚式に参列してきましたが、結婚式に呼ばれる人に”特別ではない人”はおそらくいません。
新郎新婦にとって縁があり、人生におけるあらゆる出会いの中で厳選された人だけが呼ばれます。
そして増田さんはその中で”新婦が誰よりも早く招待した人”なのは間違いない事実です。
私も過去に後輩から結婚の知らせを受けた際、その初めての人だと聞かされたときには嬉しさと共に緊張のようなキリッとした気分になりました。
でね、増田さん。ご親友からすると増田さんのことをとても大切にしているように私には見えます。
でも増田さんはそうではないと感じている。
ここがポイントです。
増田さんの”親友”は結婚式に招待してくれたお友達が唯一かもしれません。
数多くの親友の中でひとりひとりに対して気持ちを伝えるためには役割を誰かに独り占めさせてはいけないとおもったのかもしれません。
これは私の想像でしかないので、もしかしたら違うかもしれません。
こういった価値観の違いは増田さんもご経験されてきたのではないですか?
整理できない感情から予期せぬ事態に発展してしまうことがよくあります。
カッとなってつい・・・とか、勢いに任せて・・・・とか聞いたことありませんか?
感情というのは波があるんです。この波が増田さんはショッキングな出来事で一番最高潮にきていると思うんです。
これは人生における緊急事態です。決して小さな出来事ではありません。
ただし、感情というのは時間をもって徐々に整理ができてくるものなのです。
だから、まずは会う予定についてご親友にお詫びを入れて一旦スキップしましょう。
嘘をつかなくても大丈夫です。
体調が優れなくて難しいことを伝えればよいのです。実際、増田さんは緊急事態に陥っています。
そして時間をおいてから、ご親友に対してどんな交友感をもっているのか、ご親友の考えている”親友”とはどういうものなのか。
その時、お二人の間で改めて”親友”がどういうものとして捉えられているのか、すり合わせができるはずです。
他者の価値観を確認し、自分の価値観がみなおされていく。またはその逆で自分の価値観に影響を受けて他者が価値観をみなおしていく。
昨日仕事帰りにスーパー銭湯に行き、いつものように髪を洗いながらおしっこをした
勢いよくするとバレてしまうが、チョロリチョロリと出せばシャワーの音と水流に紛れるのでバレることはない
そのついでにと放尿中にオナラをしたところでお尻に違和感を感じた
「あれ、何か温かいぞ」と思い椅子を見てみるとうんこが少しだけ出てしまっていた
幸いなことに出たのは液状のものがごく少量であり、周囲に誰も居なかったのですぐにシャワーで流して証拠を隠滅した
全身をもう一度綺麗に洗い、サウナへ入ってぼーっとテレビを眺めていたとき、不意に昔の出来事を思い出していた
自分にとって初めて出来た彼女とのデート まだ二度目のデートでお互い凄く緊張していたことを覚えている
植物公園を散歩していたとき、彼女が大きなくしゃみをしその後立ち止まったままついて来ようとしない
どうしたのかなと思い彼女に近づくとチノパンの股のところが濡れて染みになっていた
私自身どうフォローして良いかわからず、まずは彼女をトイレに連れていくことにした
今思えばそこでしっかりと彼女を慰めてあげるべきだったのかもしれない
ただ動揺していた自分はそこまで気が回らなかった
逆に「あまり触れてあげないほうがいいな」と考え、「今日は体調悪いのかな、早めに帰ろうか」と声を掛け
予定していた夕食の予約もキャンセルし、早々にデートを切り上げた
彼女からは「分かりました 迷惑かけてごめんね」とだけ返信があった
デート中におしっこを漏らすような非常識な子と付き合えば今後絶対に苦労するだろうと…
ただ今思えばあれは大したことではないような気がする
現に自分はさきほど放尿しながら屁をした拍子にうんこを漏らしてしまったではないか
さきほど自分がやったこと デート中に彼女がやったこと どちらもたいして変わりはしない、大差ないではないか
デート中に漏らしただけでもショッキングなのに、それが原因で彼氏にフラれるとか…
そんなことを考えながら私はサウナを出てシャワーで汗を流し水風呂へと飛び込んだ
・はじめに
スクスタ20章をクリアしました。実をいうとストーリー攻略をサボってて、17章で止まっていたのですが、20章をプレイした人たちの阿鼻叫喚を聞いて、気になって急いで進めました。
クリアした感想としては、確かにこれは賛否が別れそうなストーリーだな、と感じました。基本的に私は物語を客観的に見るようにしているのですが、やはり見てて辛い部分もありました。
自分の想いをまとめるために、拙いですが文章を書かせてもらいます。題名の通り、単なる私のお気持ち表明ですので、賛否あると思いますが、他の誰かの感想を否定する気は毛頭ありません。
あと、ネタバレがありますので未クリアの人は気をつけてください。
後、誤字脱字も多いと思いますが許して。
・ 鍾嵐珠(ランジュ)について
19章のラストで登場して、20章でニジガクを引っ掻き回すことになったランジュ。強烈なキャラクター性と理事長の娘という立場もある同好会を徹底的に追い詰める役目だ。
最初に言っておくと、彼女が嫌いだという人がいるが、その意見は正しい。20章における彼女の役割はまさに敵役とも言っても過言ではない。強権を使って(しかもそれは彼女自身の力ではなく理事長の娘、生徒会長の幼馴染という立場を利用して、だ)同好会の自由を奪い、主人公を蔑ろにする。普通にプレイすれば彼女に良い感情をもてというのが無理だ。
しかし、その一方でメタ的な視線を持てば、1話全編でいきなりMVが入ってきてることからすでにモデリングがなされており、曲データも存在することから何らかの形でプレイアブル(と表現するべきかはわからないが)になるのもわかる。
現在、彼女に対する嫌悪感を感じる人が多いのはそれが合わさっているからじゃないだろうか。強権を使って同好会に対してだけ圧政を布き、分断させ、プレイヤーの分身たる”あなた”を蔑ろにする。そんな憎いやつなのに仲間になる可能性が高い。とてもじゃないが受け入れられない、という気持ちが強いのは当然だ。正直、私もその気持ち悪さをどうするべきか悩んでいる。
同じようなことは彼女の幼馴染でもある栞子にも言えるはずである。彼女も個人的な感情で同窓会に対して強く当たっていたが、現在は(正しくは19章まで、だが)同窓会のメンバーとして馴染んでいるし、受け入れている人の方が多いだろう。これは、栞子がシナリオを進めていく上であなたや同窓会のメンバーと交流し、理解して言った上で仲間になることが分かったからだ。心情的にも受け入れやすい。
対するランジュは正直言ってプレイヤーから良い印象はない。幼馴染の栞子が「彼女も悪い人間ではない」とフォローを入れてくれているので、本当は良い部分もあるんだろうが、現状ではプレイヤーはそれを理解できるシーンがない。そんな状態で仲間になる可能性があるのは、受け入れがたいものだと感じる。
一方、彼女の言ってることはある種の正当性もある。スクールアイドルは良くも悪くも見世物だ。表現する側はともかくとして見る側からすれば完成度が高いに越したことはない。それを彼女はプロの力を借りて高度な物へと持っていっている。手段はともかくとして表現する側として完成度が高いものを追い求める姿勢は間違ってはいない。
だが、スクールアイドルとしてどうなのか、なのだかこれは後で纏める。
・果林の選択について
20章で最も批判が集まったように感じているニジガクメンバーの分断。果林と愛はランジュの言葉に一定の理を感じて同好会を離れて部へと向かっていった。正直、果林と愛を推している人には辛すぎる展開だ。私は箱推しなので辛うじて堪え切れたが、自分の推しがシナリオの展開とはいえ敵対する展開は見たくないと思うのは当然だ。しかもそれが、同好会のメンバーを苦しめる役目なのだ。受け入れがたいのは当然だ。
特に果林は同好会ノメンバーにたいして「馴れ合いで入ったわけではない」と言い放ち、ランジュの持っているプロの技術を使ったスキルアップに対して理解を示している。これに私も最初は戸惑ったが、納得はしている。納得できても辛いのは辛いんだけどね。
元々、彼女は読者モデルをやっている。モデル業界には詳しくないものの、アイドルと同じように競争は激しい業界のはずだ。彼女はそこで人気を保つためにあらゆる努力をしていた人間だ。体形に気を使い、いろんな研究もして人気の読者モデルとしての地位を確立した。だから学校でも有名人で、食堂にいれば名前も知らない下級生から話しかけられて、黄色い声を上げさせる、元々はそういう人物である。
そんな彼女がランジュの言葉に理を感じるのは当然だ。少なくともランジュの用意した環境は下手なスクールアイドルでは実現できないレベルのものだ。そこにいることでスキルアップが望めるのならば向上心の高い彼女がそちらを選択を不自然なことではない。これは彼女が薄情というわけではなく、彼女自身がそこまで”スクールアイドル”という存在に本気になっているからだ。だからこそ、貪欲にスキルアップできる場所があるならそちらに向かう。それが例え同好会のメンバーを裏切るような形になっても、だ。理解はできる。だが、やっぱ見てて辛い。
彼女はとにもかくにもギャップが印象的なキャラクターだった。クールビュティーではあるが、子供っぽいところやウブなところ、抜けているところがとにかく描写され、親しみやすい人物として描かれてきたし、プレイヤーもそう思ってきた。だが、20章ではそういう部分は鳴りを潜め、大人としての視点を持ち、ある種残酷な選択が出来る部分も描かれた。19章までの親しみやすい彼女に慣れしたんだプレイヤーが困惑するのも当然ではある。
・エマの怒りについて
果林がある種、大人の選択をしたこと、そしてランジュに対して彼女が最も過敏に反応している。普段のおっとりさからは想像できない、怒気を孕んだ言葉で対応しているシーンが多い。特に果林と対峙した際の会話が顕著。最も、皆を幸せにしたいと願いスクールアイドルをしている彼女とランジュの姿勢は真っ向から対立するものだし、彼女がはっきりとは言わないものの、彼女を拒絶しているのもちょっと新鮮だ。……新鮮なだけで見てるこっちのこころはボロボロなわけだが。アニメニジガクの5話見た後にこんなの見せられるの拷問以外のなにものでもない。
だが、エマは果林に対して怒っているというわけではなく、ランジュのバックダンサーにされている果林の境遇に対して怒っているように感じる。果林のスキルアップに最適な環境であるという言葉に対して、エマは果林自身のステージが見られず、ランジュのバックダンサーの扱いにされていることに怒っている。これは悲しい平行線なのであるが、同好会が元々「個人のキャラクター性を尊重する、そのためにあえて一つのグループにならずにソロ活動をする」という選択をしたからだ。ランジュの活動はそれを否定する形になっており、自分よりも実力があればセンターを譲ると言ってはいるものの、それは実力がなければ果林・愛(そして栞子)の個性を否定するということである。自身の大切な仲間を蔑ろにされている状況、それをエマは許せないのだろう。
20章はとにかく重たい話だった。残った同好会のメンバーは現状を何とかしようとするが、ランジュの強権で身動きが取れず、μ'sの力を借りてなんとか同好会としての体裁は取り戻すものの、状況はあまり好転していない現状だ。
反撃ののろしとして計画されたゲリラライブ、何となく話の展開から上手くは行かないんだろうと覚悟はしていたが、想像以上に辛い展開だった。それは、トップバッターがかすみであったことが大きい。
かすみというキャラは自身を全肯定している。それは「自分はかわいい」という絶対の信頼を持ち、それが自信となって溢れているキャラである。だが、それと同時に彼女はその全肯定の自信の上にあぐらをかくことなく、かわいいを追求し、誰よりも自分がかわいくあれるように努力し、その努力を誇らない人間でもある。彼女がアピールするのはあくまで自身の「かわいい」であり、そのかわいいを生み出すまでの努力は決して見せない。なぜならそれはかわいくないからだ。そのプロフェッショナルさは日常生活ではギャグのオチのように扱われているものの、果林やせつ菜等、仲間たちもいろんな媒体で認めている。
だが、彼女のその全肯定から来る自信は、ゲリラライブを潰すために行われた部のライブで徹底的に打ちのめされる。新進気鋭で演出の完成度も高い部のライブに観客はあっさりと奪い取られ、残されたのは数少ない観客。彼女の積み上げた努力も、ライブにかけた想いも、冷たい現実の前に踏みにじられてしまう。正直、シナリオを読む手が止まってしまった。それぐらいいショッキングな展開だった。
だけど、”中須かすみ”という人物は折れなかった。牙は折られて、満身創痍に打ちのめされても、冷たい現実に声は震えて涙声になっても。だってそれは”可愛くないから”。目の前にいる残ってくれたファンのために、彼女はライブをやり遂げる。
そのかすみの姿に、しずくは可能性を見出す。演出も技術もなにもかもが上のはずのランジュ率いるスクールアイドル部のライブ。だけど、それに勝る何かがかすみのライブにはあった。それはランジュが取りこぼしていて、もしかしたら果林と愛が見失っている何かだ。
その”何か”を確かめるために、しずくはあえて同好会を離れる選択をする。その決意は残念ながら同好会のメンバーには理解できず、可能性を見せたかすみからは拒絶すらされてしまう。だけど、あえて彼女はその道を進む。親友が見せた、おそらくスクールアイドルの輝きを確かめるために。
果林・愛の分断は悲しみや戸惑いという感情が多かったが、しずくのこの決意はむしろ希望に思えた。スクールアイドル部に向かった彼女がどうランジュ、そして果林・愛の2人と向き合うのか、それがどういう結果を貰たらすのか、非常に重要なポジションだと思う。
ランジュの所でも書いたが、彼女の言ってることは全部が全部間違っているわけではない。アイドルとしてファンにライブを見せるにあたって、完成度の高いものを追い求める姿勢は間違ってないし、完成度が高いライブを見せた方が勝つのも当然なのだ。実際、μ'sやAqoursが戦ってきたラブライブという大会はそういう場所だった。
だが、彼女がやっているのは”アイドル”ではなく”スクールアイドル”なのだ。
残った同好会ノメンバーやプレイヤーたる我々が感じているランジュに対する違和感とは、まさにスクールアイドルへの姿勢なのだと思う。そして同時に、セカンドシーズンにおいてニジガクが最初に問われるのは「スクールアイドルとは何か?」なのではないだろうか。
μ'sとAqoursもこの命題に向き合ってきた。μ'sは自身たちの永遠を望む声を聞きながらもそれを「限りある時間の中で輝くもの」とした。Aqoursは時間とともに移り変わりいくことに戸惑いながらも「輝きを受け継ぎ、次代に託していくもの」とした。
ならばニジガクは?
ランジュはスクールアイドルフェスティバルを見てスクールアイドルに憧れて日本へと来た。だが、彼女の姿勢はスクールアイドルとしてはあまりにも歪で、大切なものを見誤っているように感じる。同窓会や”あなた”が感じているそれは、永遠を望まれたμ'sや、3年生が居なくなったAqoursと同じ戸惑いなのだと感じる。
20章は非常に重くて辛い展開だった。だが、希望は確実にあって、私はそれをかすみのライブシーンに強く感じた。そしてしずくの決意の中に感じた。
正直、辛い気持ちが強いのも事実だが、セカンドシーズンはまだ始まったばかりで起承転結の起の部分でしかなく、物語はどう転んでいくのかわからない。賛否が起こる理由もわかる、正直、ここまで拗らせる必要はあったのかと思う。でも、ここだけで判断しては全体が見えない、という気持ちもある。複雑な心境である。
何とも複雑な気持ちなのだが、しばらくはイベントストーリーのほんわかした雰囲気で心を癒しつつ、21章を待つしかないかな……。
特に理由はないのだが、最近の通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインドに旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカの台詞では長母音の場所が間違っている、みたいな話にもなった。
それはさておき、「ラーマーヤナ」である。英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドのスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人の形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代や地域によっては必ずしも自明ではないのだ。
また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。
「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上の宝石の装飾品をつけて輝いている」
この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インドや東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である。
しかし、近現代のインドの叙事詩を描いた絵画では、上半身を普通に覆っている。
シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図
それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫の性的空想だったのだろうか?
そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的な証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に、英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。
In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略)
ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性は上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀や20世紀初頭の南インドの先住民の女性の間では普通のことであった……(以下略)。
そういうわけで、古代インドの女性はおっぱい丸出しだった。手塚治虫は変態だったかもしれないが、古代のインドの服飾史については、嘘をついていなかった。
また、「古代インド おっぱい」と日本語で検索すると、次のようなツイートが見つかった。
https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378
古代インドに詳しい方が日本語で情報発信をしてくださると、大変助かる。
よく、東洋を舞台とした作品でブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。
実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代のクレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本の海女さんもかつては上半身裸が普通であった。
ところで、英語版のウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。
The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.
乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カースト(シュードラ)と不可触選民(ダリット)に属するヒンドゥー教徒の女性が、公共の場で乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人が女性の乳房の大きさによって額を決めていた。
なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性の苦痛、いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由を意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。
これについて日本語の資料が見つからないかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。
古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマの公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。
そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式に謝罪した。国内の有色人種を無視していたし、外国の文化も過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族の過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。
とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位や小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米や日本がオリエントの人間を過度にセクシャルに表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。
それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手の価値観や服飾文化の破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものがデファクトなグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。
シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖の文化や伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的な好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。
今回は古代インドではトップレスが普通であったことを示した。また、乳房の隠蔽はキリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。
今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタも乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人の守護聖人であったが、いまでは乳がんの守護聖人ともなっている。また、戦時中の日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房は母性の記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味で露出することもある。私の身体は私のもので、勝手に意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。
加えて、世界各地ではどのような形の乳房が理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。
実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインドの彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである。
このあたりは西洋の絵画史からたどるのがいいかもしれないが、芸術が個人の自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。
また、逆にトップレスが世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。
鬼滅の良さは「マニアック感」を出しつつ設定はマニアックではない(覚えなきゃいけないことは少ない)&一見ショッキングだけど救済措置を用意してフォローしてる」のがヒットした理由じゃないかと思う。キャラは大胆に殺して「これは今までの普通のマンガと違う!」と特別に思わせつつも天国描写とかでファンを傷つけすぎない(進撃は傷つけすぎた感じ)。学園パロディつけて死亡済キャラ萌えしてたファンも逃がさないし、殺しまくって話題にした後、二次創作で人気のキャラをくっつけての最終回発情期と転生のコンボでファンサービスも欠かさない。意外と多い「これは他のマンガとは違うの!と言いたいがきつかったりマニアックすぎる展開は嫌」という層をがっちりつかんだ、凄くよく考えられてたシステマチックな頭のいいマンガだと思う。
つまり、アニメ化前は「話は面白いけど伏線とかミスリードとか考察要素とかそこまでないし設定は大味なので、アンケート出すような設定に矛盾があったら萎えちゃうような層」にはそこまで受けなかった。しかし、そういうジャンプアンケート層には多いが世間一般では少ない層には打ち切りにならない程度に受け、BLEACHとかNARUTOみたいな専門用語とか技の仕組みとか出されてもなあって層には「これはマニアックで私位しか好きじゃないかもという特別感と、求めてるマニアックすぎない王道な面白さ」が両方満たされる漫画としてヒットしたんじゃないかな。
【再々追記】
もう追記はしないつもりでしたが、一点だけ。
子供作る云々の話題からはずれた結婚観、子育て観の話になって話題がぼやけるのはご勘弁を。
個人的には、親は子育て以外にも人生の軸を持ち続けるべきだと思います。それは、もちろん両親とも。
なので、お相手には、何か現時点で追い求めたいものがあったり、新しいことをやりたがっている人がいいと思っています。
それをやっているところを子供に見せたいと言うなら見せてあげられるよう協力しますし、
そういう人のほうが、社会にとっても、夫婦にとっても、子供にとっても魅力的であると私は思います。
そもそも私は両親が子育てにすべてを捧げた殉教者となることに懐疑的で。
それがいい結果につながるかどうかは不明だし、結果が思うように出ない時「なんで?」となるし、むしろ良くないこととすら思っています。
マイルドな例を挙げると、私は初子だったので両親が気合を入れて「甘いものは毒」と教えられ、アイスクリームを始めて食べたのは小学生になってからでした。
しかし下の弟は2歳のときにぺろりまるごと食べてますが、下の弟のほうが頭もよく性格もよく健康に育ちました。
私が小さかった時、両親もアイスクリーム食べられませんしなんともストレスのかかる生活だったろうなと思います。
ややずれた例えかなと思いますが
「今の仕事ちょっと忙しいこともあるけどすごくやりがいあって楽しい」だったら「よかったね、頑張ってね」となりますが
「本気でやりたい仕事なら休むなんて発想は生まれてこない」て言われたらちょっとメンタル心配しますよね。
正しい子育てなんて存在せず、強いて言うなら「親が気を病まない子育て」がベストがない中において、その環境におけるベターなんじゃないかなと
【再追記】
この方が色んな人の目に留まるかと思って。
現在登録用意中。マッチングアプリと違って独身証明書とか、大学院の卒業証書とか、色々ある。
特に結婚式に呼んでくれた友人は俺を人間として論外だとは思ってないだろうから、思い当たる人がいれば紹介してくれるだろう。たぶん、、、
女性と同じく35歳くらいからだんだんと落ちていき、50くらいで大抵の人は「かなり困難」になると説明された。
女性不妊とに違いは、落ちるスピード。40歳までの5年ほどでいきなり9割に達したりはしないとのこと。
でも、落ちるスピードの差がどうとか関係なく「年齢差のある結婚の難しさを考えれば」男性もやはり35歳で大ピンチ、40歳で概ね終了なんだろう、というのが今回の個人的結論。
男性不妊について問題にしていないのではなく、同年代同士で考えたら結局女性の都合が支配的なのが不妊事情である、だからそちらに合わせて考えるべき、という感じです。
男は検査も手軽だしね。
私個人の現状としては、運動の成果か「衰え始めている」とは言えない状態のようで、そこはよかった。
世の中に幸せな人間は増えるべきだと思っているから、子供が欲しい。という感じですね。
たぶん親になっても山を走ったり海外を走ったりすると思う。人生は自由だって教えてあげたい。
あと、片親は父親です。父子家庭。なので経済的な困窮とかはほぼなかった。
あわせて聞いてみたけど、精子の事前判断で検知できる子供の生まれつきの障害は「ほぼない」とのこと
また、費用10万レベルの染色体検査をすれば、「あなたの」染色体に異常がないかどうかは調べられる。その点はほぼ心配ない
(34歳時点までに異常が見つかっていないこと、精子の形状、運動等に異常が見られないことから)
が、多くの染色体異常は受精後に発生するので、その点が心配なら「着床前診断」または「羊水検査」をしてね、と言われました。
そうでーす
当方34歳。
自分は大丈夫、となんとなく思っていた男が自分のバカさ加減に気づいた話だ。
今年はコロナで趣味の大会が全然なく暇になったので、ぼちぼちやらなきゃと思っていた婚活を始めようと思った。
#補足:マラソンは冬のスポーツだが、夏は夏で山を走ったり遠泳の大会に出たりでオフシーズンがほぼない生活をしていた
彼女は大学院に進学すると決めたときに振られて以来なので、10年くらいいない。
そこでまずは今俺は女性と話せるのか?需要はあるのか?マッチングするのか?の需要調査をした。
自分で言うのも何だが稼ぎはそこそこだし、イケメンではないがグロメンでもない。友達多いほうだし体型も保っており、BMIは21を超えたことはない。男ならこのくらいの歳ならまだ大丈夫かなと思っていた。
これは私の個人的思い上がりであったとは思っていない。このくらいのスペックで、未だ独身の男の一般的な感覚なんじゃないだろうか。
で、マッチングアプリを2ヶ月ほど使ってみた結果を以下に示す。いずれも概数
凡例(いいね数-マッチング数-メッセージ交換成立数-リアル面談成立数-複数回のリアル面談成立数)
27-29歳:ちょいしたゾーン
(100-15-5-3-1)要するに交際と言える状態に到達する確率1%
30-34歳:同い年ゾーン
(100-30-15-5-3)要するに交際と言える状態に到達する確率3%
35-xx歳:年上ゾーン
(30-10-7-5-4)要するに交際と言える状態に到達する確率13%
正直この時点では「複数回会ってもらうこと」自分が婚活相手としてNGでないかどうか?
の調査にフォーカスして活動していたので、ぶっちゃけ好みじゃなかったりしても2回目があるように頑張っていた。
そして結果がこれ。
概ね思ったとおりだった。決して自分は性的魅力がある方ではない。それは自覚している。
しかし、マナーに気をつけ、久しぶりにきちんとした服を着て美容院で髪を切り、女性と話すときは相手の発言を遮らないよう心がけ、質問で会話を終え、会話の空白はこちらから解消する。
あと、初回は全奢り。
等々すれば、まぁ何人かはお前を見極めるために時間を使ってやってもいい、という人が現れるところまではわかった。予想どおり厳しいが、数打てば結婚するだけならなんとかなるのではないか。
そしてさらに予想通り、年下女性と付き合うのは難しいのだな、と思った。現実的には同い年ゾーンの方を狙うことになるだろう。
この結論が得られた時点で、そもそも自分はなんのために結婚をしたかったのかを考えた。
趣味は、極めて充実していたし、婚活中、トレーニング量が落ちてストレスがすごかった。
今の自分の時間が充実しているからこそ、これが一生続くなんて逆に信じられない。
片親で自分を大学院まで出してくれた親に、孫の顔を見せてあげたいのもある。
その結論が得られた時点で、次に俺は男性不妊検査を受けに行った。
先程得られた結論より、もし自分が種無しだったら結婚することはない、、、とは限らないが、少なくとも今焦って活動する必要はない。
病院の角の部屋でシコれって言われた経験はなかなか新鮮だった。部屋の隅のタブレットにはAVが何本か入っていた。
「憧れのCAのフェラ」って動画のタイトルがやたら印象に残っている。
揺れる機内でのプレイって集中できなさそうだな、と思った。
で、緊張の検査結果は、、、「極めて良好」だった。
男性も35歳過ぎから能力が落ちてくるけど、現状がこれならば後数年は自然妊娠に問題はないと思われるとのこと。
カフェインの飲み過ぎや、長風呂が好きな生活習慣にはお叱りを受けたが有酸素運動はとても良いらしい。まぁ一年中走ったり自転車こいだりしてたからな。
ひとまず安堵したところで、、、先生は「よくこの段階で不妊検査を受けに来た。男は病院に来たがらないからね。君は1年かそれ以上の時間を買ったと思っていい」とよくわからないことを言った。
その「1年ほどの時間」の意味について、「女性がいないから言うのだけど」と前置きして恐ろしいことを言い出した。
各論を省いて結論だけ言うと「子供が高確率で欲しいなら30歳以下の女性を探すべきだ」という話だった。
いや、ちょっとまってくれ。それは難しいってさっき確認したところなんだよ、と。
以下、私がショックだった点だけ順を追って書く。
子供を作るには、種も大事だが畑(え?そういう言い方すんの?医者が?と正直思った)の方も大事。
個人差が極めて大きいが、誰もが避けられない極めて重要な属性がある、それは、年齢だと。
女性は35歳位からはっきりと妊娠能力が低下してくる。具体的には
全年齢平均:15%
妻35歳以上:30%
妻40歳以上:90%
35歳位だと「人によっては妊娠能力が落ちていることがる」だが40歳前後になると「限られた人しか自然妊娠できない(無事出産に至れない)」に近い。
更にこれに比例または反比例して「人工授精成功率は下がり」「流産率は上がる」
妻40歳となると無事出産に至れる確率は人工授精辺り9%くらいだそうだ。単純計算して、出産に到れる確率が8割を超える試行回数は23回。
23回なんて到底実施できる回数ではないし、実施中にも当然加齢する。
たちの悪い事に妊娠だけは数回以内にすることが多く、流産のショックまで経験するのを覚悟することになると。
ショッキングな話だった。
では、何歳ならいいのか?について、先生は手元の紙に、こんな図を書き出した
↓+0-2
↓+0-2
妊活開始
↓+1
↓+0-2(ここで男性に原因があるパターンが約半数、男性に原因がある場合は検査遅れること典型的には+0.5-1)
↓+1
無事出産
この図で何が言いたいのか。
つまり、お互いに検索しあっている年齢と、出産年齢には開きがあるという当たり前の事実だ。
私と同い年の、34歳ならば7割以上のケースで自然妊娠にそれほど苦労はしない。そう、34にしろ、35にしろ、今すぐ動けるならば、そう問題ではない。
お互いに年齢リミットを意識していて、結婚したらすぐに子供を作ろうと合意があっても、1年程度はタイムラグがあるだろう。
その後、もし「不妊治療が必要な約3割弱に入っていた」場合、どのくらいの期間でそれを自覚できるか?
先生が「1年時間を買った」と仰っていたのはここで、大体の男性は不妊かも知れないと考えた時一緒に自分も検査しようとはしない。そして時間を浪費する。らしい。
逆に男性が調べてあれば、女性にも「検査に行こう」と伝えやすいであろうと。なるほど。
そして、どのくらいの期間で(お互い仕事もある場合が多いだろう)治療を実際に実施し、そして成功まで試行できるか。
そうこうしている間に35歳を超えると、恐ろしい妊娠能力低下カーブが襲いかかってくる。確率は更に落ちる。
それらすべて考慮に入れると、「相手として探す年齢は、現時点で30歳」ということらしい。
おそらく女性はこんな事とっくの昔に理解して行動しているのであろうが、男としてのほほんと生きてきた自分は
「子供が欲しいのであれば、年下と結婚する難易度を考えれば、女性の妊娠が難しくなる数年前のタイミングで結婚をしていたほうがいい」という当たり前の事実にようやく気づいたというわけだ。
一時期はてなでも流行っていた「結婚物語 仲人Tのブログ」によると婚活におけるマッチング年齢差の限界は男性の年収の百万の位であると言う。(これは結婚相談所業界のコモンセンスである様子)
つまり私なら7歳程度年下まで可能性があるということだが、これはあくまで本当に限界値なんだろう。
少なくとも私にとって、現状4歳年下、30歳を狙うのはなかなかの難易度であると最初の活動で感じた。
しかもこの難易度は、1年辺り年収100万円アップほどの速度で上がっていくということだ。率直に言ってこの難易度上昇についていくのは無理ゲーだ。
35歳を過ぎた男女がほとんど結婚できないという話も、みなこの辺のことに思い至って「子供が望み薄なら独身でいいか」となるのではないか、と思った。
以上の事実を考えれば、ごくごく一部の婚活強者男性を除き、男の方が高い年齢まで余裕で構えていられる、ということは全く無いのだ。
なんのことはない、結婚に関して相手を選んでいる余裕があるのは、(30歳女性が、同年代であるという意味で)30歳までだ。女性と同じじゃないか。
このことに思い至り、暫く呆然としていた。あ、これ子供もつの無理じゃね?と思った。
…が、来年になって年齢が35になると、いわゆる5歳刻み検索で「30-34」のラインから外れる。
30-32歳くらいの、事前合意があれば不妊治療を考慮しても35歳までに出産が終えられる可能性の高い年齢層とは、同じグループでなくなってしまう。
その前に後悔しないだけの行動はしなきゃならない。
に続いて備忘録として2017年に見ていたアニメのタイトルを簡単な感想と一緒に50音順に書き記してみたい。
悠木碧さんが声を担当する所謂耳年増な女の子がヒロインの作品だった気がする。タイトルの「しょびっち」は処女ビッチの略称らしい。地上波で放送するTVアニメでは使えないワードだからそういう変更は仕方ないと思う。
ラブコメ作品かと思いきや主人公の目的がヒロインへの復讐で異色な感じかも?と思った。中々人気があったらしくて当時話題になっていた気がする。サブヒロインが巨乳だったからかメインヒロインより人気だった覚えがある。
アニメは政宗君の偽者が現れてこの先どうなる?という何とも続きが気になる中途半端な所で終わったような気がする。原作の販促としては良い手段だと思った。
2017年にまたグルグルがアニメ化したという事で結構話題になっていた気がする作品。原作が90年代の作品なので何だか空気が懐かしい感じの作品だった。このアニメも主題歌が好きだったなあ。
原作を2クールにギュッと凝縮したという事でかなり駆け足だったらしいけど、原作や旧作からのファンにも結構評判は良かった気がする。完全新規ファンの僕は何の予備知識もなく楽しめた。
終盤で旧作の主題歌が挿入歌として流された事には旧作を知らない僕でもグッと来てしまった。いきなりこのアニメから見始めても純粋にコメディーファンタジーアニメとして十分に面白いと思う。
借金のカタに売られた幸薄そうな女の子が異形の魔法使いに買われお嫁さんとして修業をするお話だった気がする。とても雰囲気が良い作品だった。主題歌が名曲揃い。欧州が舞台で世界が滅びない女神転生って感じがする。
異世界や現代日本でなく遠く離れたヨーロッパが舞台のファンタジーアニメは珍しいかも。一部グロテスクだったりショッキングなシーンはあるけど、視聴を辞めたくなるほど過酷では無かった気がする。それでもかなりショックだったけど。
鉄血のオルフェンズで悪役ジャスレイの叔父貴を演じた竹内良太さんが得体の知れない不思議な魔法使いが演じていて、声優さんの演技の幅に驚いた。コワモテのような印象と穏やかな印象を同時に受ける不思議なキャラだった。
ドラゴンや妖精などおとぎ話の世界の住人が実在していて時に人間と触れ合う事もあるという話に夢を感じる。雰囲気的に恐らく女性向けの作品なんだろうけど、女性キャラに巨乳でセクシーな人も多くて嬉しかった。
個人的に2017年は好きなアニメが多かったという印象が残っているのはこの作品の影響もある。現実と幻想の間に居るような作品の雰囲気が本当にとても良かった。話は綺麗に纏まってるけど、何年か待てば二期が来るかも。
無責任艦長タイラーこと宇宙一の無責任男シリーズの遥か未来を舞台にした作品らしい。5分アニメだったけど。富士見ファンタジア文庫時代のタイラーに似ている悪役キャラが出ていた気がする。
大人気ファンタジー漫画のアニメ化作品。可愛らしい絵柄に反して展開や怪我の描写がとんでもなくショッキングだった。麻酔抜きで腕を切断するシーンなどあまりに痛そうで見るのもつらかった。評判通りナナチは可愛かった。んなー。
暁の護衛というゲームのシナリオライターとして有名な作家さんのライトノベルのアニメ化作品。生徒達が色々頭脳戦を繰り広げるシリアスな学園物だった覚えがある。
最終回付近でいきなり女の子同士が格闘技で戦い始めて驚いた事を覚えている。何の裏も無く悪そうな奴らが実は色々と考えてる悪い奴らだったとか、実は主人公が一番怖いみたいなどんでん返しが最終回にあった気がする。
魔法使いに憧れた女の子が魔女の学校に入って色々と騒動に巻き込まれるアニメだったと思う。放送当時人気あったなあ…と懐かしくなる。少年役の印象が強かった竹内順子さんが大人の色香溢れる女性を演じていて驚いた。
全体的に話の流れはあるけど1話で完結してるエピソードもそこそこあった気がする。ハリー・ポッターや天使にラブ・ソングを...のマギー・スミス氏の吹き替えを担当する谷育子さんが魔法学校の校長先生役な事にニヤリと出来た。
この作品を見て百合が好きな人の気持ちを少し分かった気がした。途中から暗い展開が続くけど最後はハッピーエンドでホッとした事は覚えている。綺麗に終わったけど、いつ続編が出ても不思議ではない作品だと思う。
アメリカからやってきたアクションファンタジーアニメ。キャラクターデザインが日本のアニメのようで吹き替えで見ると日本のスタジオが作ったアニメを言われても違和感がないかもしれない。僕は最初日本で作られた作品だと思っていた。
特殊な能力を持った少年少女達がその能力を使って怪物と戦ったり思想の違いから対立し争うような作品だった気がする。キャラクターの滑らかな走り方を見て真・女神転生Ⅲの主人公人修羅を連想した気もする。
空想のキャラクターが現実の世界に現れたらどうなるか?という誰もが一度は考える夢のようなシチュエーションを実際にやってみたアニメ。キャラクターや創作物に対してクリエイターはどのように向き合うべきか?という話だった気がする。
放送当時僕は1話を見逃したので2話から見始めた。作画の品質を保つためか総集編を何度かやっていた覚えがある。OPから澤野弘之節が全開で始まる澤野弘之さんのファンには堪らないアニメじゃないだろうか。
終盤は展開が駆け足気味でどうしても消化不良な印象が残るキャラが居たりで放送当時は結構不満の声を聞いた。それでも全く違うジャンルのキャラが現実に現れて交流するという話は夢があって面白かった。
怪物ランドのプリンス怪物くんの人間界での生活を描いた作品。タイトルと主題歌は有名だけどちゃんと見たのはこの再放送が初めてだった。ドラキュラはいかにもスネ夫的なキャラだと思ったら声もスネ夫役の肝付兼太さんだった。
ワンピースの主人公ルフィはこの怪物くんの影響を受けているんだろうなと思える所があって面白かった。能力で一時的に膨らみ巨大化したと思ったらその後風船が抜けたように小さくなったり。それと腕も伸びる。
最終回で明かされた怪物くんのちょっとした秘密は微笑ましかった。怪物くんのフィアンセ怪子ちゃんは少し怪物くんらしからぬ美少女だったような記憶がある。怪物くん達が赤ん坊を拾って皆で頑張って育てる話が好きだったなぁ。
プリキュアシリーズ4作目。今作からプリキュアがふたりではなく5人組になり主役の女の子もピンクがイメージカラーになった。今現在のプリキュアシリーズのイメージはこの作品で固まったんだろうなという気がする。
初期のプリキュアは恋愛要素があったけどこの5は特にその要素が強いと思う。お供妖精のココ様がイケメン。その親友ナツ様もイケメン。魔法少女物のマスコットキャラを見目麗しいイケメンにしようと考えた人は天才だと思う。
やや年の離れた少女と青年の恋が描かれたという点でセーラームーンに近いのかな?と思った。その影響か放送当時本来のターゲットである女児のみならず少し上の年齢層にも受けたんだとか。見ているとその理由がよく分かった。
朝から女子中学生と教師の恋愛を恋を描いたのはまずかったのか、その後プリキュアの恋愛要素は薄くなった。これまでのプリキュアにも度々出演してきた高木渉さんが演じるブンビーさんはとても人気があったらしい。僕も好きだった。
プリキュアシリーズの5作目。プリキュアシリーズの中でも2年連続で同じキャラ達が主役を張る作品は初代とこの5だけである事を考えると人気があったんだろうなと思う。個人的に主役周りの恋愛要素が薄くなっていたのは残念。
前作でプリキュア達に迷惑をかけてしまった妖精ミルクが、追加戦士ミルキィローズとして参戦し大活躍してくれたのが嬉しかった。シャイニールミナスもそうだけどやはりミルキィローズも女児達から絶大な支持を得て人気があったらしい。
Max Heartの時と同じくキャラや舞台を変えず8クール話が続くとマンネリを感じるなぁと思った。実はこの5GoGo!がどういう話だったのか僕は未だに理解出来ていない。前作から続投のブンビーさんが最後に報われたのが嬉しかった。
週刊少年ジャンプで連載していた大人気漫画のTVアニメ化作品。再放送アニメの定番という印象があったけど、通しで最後まで見たのはこの時が初めてだった。主題歌が名曲揃いでどの曲も本当に良かった。好きな作品。
ジャンプ作品が原作のアニメでオリジナル長編が無く原作を最後までアニメ化した稀有な作品だと思う。原作で詳細が描かれなかった魔界統一トーナメントの戦いを補完してくれたのが嬉しかった。
原作の最終回で亡くなられたあるキャラがアニメの最終回ではまだご存命だったのは嬉しいサプライズだった。アニメ向けに改変された所も含めて、このアニメを作った人は本当に幽白の事が好きなんだなと思った。良いアニメです。
富野由悠季監督のロボットアニメ。串田アキラさんの主題歌がとにかく良い。MIOさんの挿入歌もカッコいい。井荻麟さんの作詞は本当に良い物だと思う。アウトロー物な雰囲気で主人公達も善人と言い難いのが意外だった。
コメディなノリのアニメとして有名だけど、実際に見たところ本当にコメディチックなノリになるのは最終回間際にどこか吹っ切れてからで、そこまでは中々シリアスな作品だったと思う。登場人物もどんどん死んで予想より重い話だった。
あるキャラクターの声を一度だけ島本須美さんが当てていたけど、次に登場した時声優さんが変わっていたのが印象に残っている。今だったら叩かれそうだと感じる展開もあって、昔はどこか大らかな空気があった事が伝わってきた。
人間を洗脳・強化するマッドサイエンティストが居たり、荒廃した地球を見捨て一度宇宙に逃げた人類が長い時を経た後また地球に戻ってきたり、その後の富野監督の作品でお馴染みの要素が見られるのが面白かった。
一昔前流行に流行った大人気ヒット作。僕は放送当時見ていなかったので再放送で初めて見たけど、人気が出たのも納得の内容だった。今見ると00年代中期の作品ってこういう作画だったなあと懐かしい気分にも浸れた。
巨大ロボットと一人一能力の超能力バトルという一見噛み合わなさそうな要素が上手く噛み合っていて驚いた。主人公が目的のためなら手段は選ばないというピカレスクロマン的な作風に惹き付けられた人は多かったろうなと思う。
キャラクター原案に漫画家のCLAMPを起用したり学園物の要素を取り入れるなど、ロボットへの興味が薄い女性でも楽しんで見られそうな工夫がされていたのも良かった。こういう「濃い」作品、時々見たくなりますね。
今回も抜けがあるかもしれないけど、ひとまずこんな物だったと思う。まだ3年前だからか結構内容について覚えている作品も多かった。
それでもこうやって内容を思い出すと「あれって本当に3年も前だったっけ…?」とどうしても思ってしまう。とてもそんなに経った気がしない、不思議。
「死亡率が低いから命がけではない」とは言えないのでは。
(2015)
いずれも日本
以下余談
実のところ、周りが何も言わないのに「出産は命がけ!妊婦を崇めよ」というのは嫌だ。
もし周りが妊婦を労らず、妊婦が困っているならば、ただ「労れ」「休ませろ」と言うのが好みだ。命がけと言わなくてもいい。
しかしながら、まず周りから「妊娠なんてどってことないんでしょ?甘えるな」と妊娠を嘲るかのようなことを言われたならば、「出産は命がけなんだ」とキレる気持ちはとてもわかる。
半年嘔吐して腹が通常の倍に膨れ上がり4〜48時間ほど激痛があり粘膜が裂け血が800ml出るのって、「命がけ」感たっぷりで「死ぬかと思う」ような事だ。実際には死ななくても、身体に強いダメージを受ける。
それを労らず軽んじるのは想像力が不足していると思われるので、その場合には「命がけ」というショッキングな言葉を使おうという発想はよく理解できる。
残念ながら、それでも「命がけじゃないじゃーん」といわれてしまうわけだが…。
もうそれは、想像力不足とか労りたくないとかですらなくて、とにかくバカにしたいのかなぁ、「お前バカ〜、オレ天才〜!」って囃したてる小学生みを感じてしまう。