例えば髪型、服装、言動、そういったものが「自分の思考は常識とは外れていて・・・」的な漫画をたまにツイッターで見るんだが、ちょっと感想を書きたい。
まず、そういうのが社会の常識から「え?ほんとにやるの?」とか「いや私はここから先は応じられない」的な反応を受けてできないときのショックの描写が大概入る。
思ったのは「そんなにショックなのか?」というくらいに心理描写が重い。そんなあなたを沼の中に引きずり込もうとする常識を擬人化してすごく気持ち悪いものとして描き、それを蹴り飛ばす強い自分、という構図で書いているのだけど、思った髪型ができない、好きな服が着られない、自分の言葉遣いが思ったようにできない、というのを軽く常識側からちくっと言われたりするのって、本当にそんなにショッキングな出来事なのか?なんだかんだでぶっちぎれるくらいの重さなんだろ?ここの重さの表現がおかしい。
多分病院に行く人位重たい描写なのに強いあなたはぶっちぎれるんですね。もうこの時点で選民思想が入っていると思うよ。
常識側が自分のずれた部分を受け入れてくれないことは、それはきついしつらい。そこまではわかるのだが、地獄のそこに貼り付けられたくらいに落ち込んでいるのがなんでそこまで行っちゃうのかが理解できない。
次に、「そんな自分を理解してくれて達成の手伝いをしてくれる人が見つかって、ついに達成した」ときのシーン何だけど、ずいぶん軽くない?
地獄のそこに叩き込まれるくらいのショックを受けるくらいに辛いのに、達成したときの描写がやけに軽くて、なんか思ったより低い天井に頭ぶつけたみたいな気分になる。あんなに辛かったことをついに達成したんだよ?嬉しすぎて失神するくらいの描写はあっても良いんじゃない?辛さと喜びの対比がおかしい。逆に、そのくらいのことでなんでそんなに悩んでたの?という気分になる。
そして最後に「達成した自分を褒め称える女性陣とその周りで無視される男性陣」というエンディングもよくわからない。
「こんな私を受け入れてもらえるんだろうか、とドキドキしながら会社に言ったのだけど、同僚からは評判もよく一安心!(遠くでなにかいいたさそうにしているけど無視される部長)」みたいなシーンね。
あれをわざわざ書く理由ってなんだろう。多分、そんな私に良い顔しない常識側の象徴として書いているのかもしれないが、序盤では良い顔しない女性も書いているのにね。
こんな私を見て女性はアップデートされたが男性は相変わらず旧態依然とした態度に固執しているとか書きたいのかな。こういう細かい印象操作もよくわからない。
むしろ「お、良いじゃないですか!」とか下手に言ったらセクハラにされるから怖くて何も言えないんだと思うよ!
とか思ってたんだけど、あーそっか、これフェミニズムの思想系プロパガンダ漫画なんだな、ということに今気がついた。本人がどういうつもりで書いてるかはわからないけど、この方向でどんどん過激化していくほどに褒め称えられるが、結局プロパガンダに利用されてるだけなのか。