はてなキーワード: アガタとは
拝啓、初秋の候
貴殿におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
突然のお手紙となりますが、私は増田おねショタスキーと申します。
はてな匿名ダイアリーを通じて貴殿のことを伺い、是非私の好きなおねショタ作品を共有したくお手紙を差し上げました。
「おねショタ」と言いましても、世の中には千差万別人それぞれのおねショタが存在いたします。
古来より解釈違いによって多くの血と涙が流されてきたことは周知の事実であります。
まずは無用な行き違いを避けるためにも「私の好むおねショタ」をご紹介させてください。
このような愚考ですが、もしsimon様がご興味ありましたら以下に「作家・サークル名」と「単話」に分けてご紹介いたしましたので、ご一読ください。
それでは紅葉が美しく色づくこの頃、simon様のご多幸をお祈り申し上げます。
スタンドエレクション
ぽんふぁーず
核座頭市
江鳥
2発しか当たらない サキュバスヴィーネお姉ちゃんと甘々せっくす
甚六 まにゃしょた
DOZA Village ゆりかの手ほどき
GOROTTO BEAR S2
Lv.41 奥サマお愛肉サマ
NANIMOSHINAI げーみんぐはーれむ
picapicaすっぱ In Sci-Fi 藤丸立香はヒロインXXと懇ろになれるか
かまとりぽかり 隣の世話焼き奥さんが毎晩ボクを食べに来るっ
しろくま 甥を喰らわば膣内まで
しろくま 酒従えくすたしー
スタンドエレクション とってもエッチなお母さんになってあげる ~僕と友達のお母さんの二人だけの秘密の時間~
スタンドエレクション 息子完全敗北っ!いやらしいお義母さんの誘惑クチ止めセックス
ぞんだ 再会
ぬかじ 妹のかれしがかわいいので
のり伍郎 放課後、憧れの先輩に連れられてー
フニフニラボ MIDNIGHT PRINCESSES
ふるべ インポのダンナをもつお姉ちゃんを僕が満足させるんだ!
メメ50 にくひつ
よしよし屋 ママって呼んでいっぱい甘えて
久川ちん Ambience
有沢征春 僕が性欲に負けて漁ったはなし
江戸川工房 おばさんの豊満な肉体に埋もれて童貞を奪われた暑い夏の日
皐月芋網 Exactly!
笹森トモエ げーみんぐはーれむ
背徳堂 嫌いな女に犯されて
特に理由はないのだが、最近の通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインドに旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカの台詞では長母音の場所が間違っている、みたいな話にもなった。
それはさておき、「ラーマーヤナ」である。英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドのスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人の形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代や地域によっては必ずしも自明ではないのだ。
また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。
「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上の宝石の装飾品をつけて輝いている」
この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インドや東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である。
しかし、近現代のインドの叙事詩を描いた絵画では、上半身を普通に覆っている。
シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図
それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫の性的空想だったのだろうか?
そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的な証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に、英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。
In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略)
ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性は上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀や20世紀初頭の南インドの先住民の女性の間では普通のことであった……(以下略)。
そういうわけで、古代インドの女性はおっぱい丸出しだった。手塚治虫は変態だったかもしれないが、古代のインドの服飾史については、嘘をついていなかった。
また、「古代インド おっぱい」と日本語で検索すると、次のようなツイートが見つかった。
https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378
古代インドに詳しい方が日本語で情報発信をしてくださると、大変助かる。
よく、東洋を舞台とした作品でブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。
実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代のクレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本の海女さんもかつては上半身裸が普通であった。
ところで、英語版のウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。
The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.
乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カースト(シュードラ)と不可触選民(ダリット)に属するヒンドゥー教徒の女性が、公共の場で乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人が女性の乳房の大きさによって額を決めていた。
なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性の苦痛、いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由を意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。
これについて日本語の資料が見つからないかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。
古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマの公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。
そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式に謝罪した。国内の有色人種を無視していたし、外国の文化も過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族の過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。
とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位や小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米や日本がオリエントの人間を過度にセクシャルに表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。
それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手の価値観や服飾文化の破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものがデファクトなグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。
シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖の文化や伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的な好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。
今回は古代インドではトップレスが普通であったことを示した。また、乳房の隠蔽はキリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。
今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタも乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人の守護聖人であったが、いまでは乳がんの守護聖人ともなっている。また、戦時中の日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房は母性の記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味で露出することもある。私の身体は私のもので、勝手に意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。
加えて、世界各地ではどのような形の乳房が理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。
実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインドの彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである。
このあたりは西洋の絵画史からたどるのがいいかもしれないが、芸術が個人の自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。
また、逆にトップレスが世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。
メモを取ろうと身構えてるのに、耳から入ってきた情報をその場で書きだそうとしたら、もうついさっき何言われてたか全然思い出せない時の焦る感じヤバい。
そうこうするうちに話が進むからどんどん消えていくし。
なんでみんな聞きながら書けるのかマジでわからん、書く機能と聞きながら理解する機能が完全に片方ずつしか機能しない感がある。
しかも機能を切り替えるときに処理落ちして情報取りこぼしたりして余計混乱する。
直接ならまだしも、うっかり電話とか取ってしまうと、相手の名前や番号メモするとかがびっくりするぐらいできなくてポンコツ感すごい。
3ケタの番号4回言い直してもらってまだミスってたり、
相手がいう名前を聞き取れなくてヌマダ、カマダ、アガタ、タマダと迷走して最終的にハマダさんで相手がそれだ!って言ったから繋いだらヤマダさん宛だったとか。
得意分野に関する話で一旦全部聞いて筋道立てて覚えてられるようなことなら後から書き出してなんとかできたりすることもあるけど、
知らないことや単発情報はどうもメモリを食いつぶすのが早いし、そこそこ覚え違えてたりするしなー。
道の説明とか、3回曲がったらもう確実に覚えられないし。
自分の記憶力とかが信用できなさすぎるのはこれまでに嫌というほど味わったけど、それでもまだ失敗する。
そんなに意識してなかったけど、そういえば学校でも先生の話聞きながらノート取ろうとすると最初の3文字ぐらいで先生が何ていったかわかんなくなって迷子になるから、
先生が話してる間は教科書で補助しつつ話をしっかり聞いてインプットするのに注力して、後から板書と教科書を頼りにノート作ってたな……。
教科書とかプリントっていう正解の道しるべがあるからなんとかなってたけど、仕事の指示とかはそういうの全然ないことが多くてつらい。
初めて聞く話を聞きながらうまくメモるのに、俺の知らないみんなやってるコツとか、なんかあるなら誰か教えてくれ。
そもそも字を書くのがだいぶ遅いとかはあるかもしれない。