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はてなキーワード: ストーリーテリングとは

2019-01-15

anond:20190115185415

シンフォギアは「歌詞付きのBGM」をキャラクターが歌ってるものとして演出してるだけで、ミュージカルみたいにストーリーテリングに組み込まれてるわけではないんだけどね。

2018-10-10

ガンダムの盾」とは……

固有名詞

ガンダムの盾とは、人型ロボットとかリアルじゃないよねーと語られた途端にミノスキーうんちゃらだのAMBACだのをツラツラと語りだした挙げ句富野御大将ニュータイプという概念を通して語りたかった理念Gのレコンギスタストーリーテリングを全編に渡って解説しつつ延々と聞かせることにより相手から「もういい。もういい分かった。分かった。もうやめろ」を引き出すことで人型ロボット権威を守る技術のことである

2018-10-08

ワンダーウーマンを見たミソジニー男が思うポリコレシナリオ限界

無差別ポリコレ差し込みはクソだと強く思っている

ポスターやらVTuberとき性的目線がどうのこうのとギャーギャー言ってるのなんて馬鹿みたいだし

乳袋云々、恥ずかしげな表情が云々、そんなもん個人主観だろう

あれが不快これが不快と言い出したらキリがない


つい最近思い付きで鑑賞したワンダーウーマンはその思いをより強くさせてくれたので、

増田感想を放り投げておく


ざっくりとあらすじを説明すると、神が作った孤島(女しかいない楽園)で生まれ

アマゾネスプリンセス世界を救うために旅立ち、人間の男と出会い、愛に目覚めて悪を倒す話である


この作品レビューを眺めてみると、以下のような内容が大半になる

ガル・ガトットが美しい」「つまらん」

シナリオ王道的で~とか台詞が~だとかふんわりと褒めるものもあるが、少数派でしかない


何でこのようなことになっているのかを理解するための材料として、

劇中で判明したワンダーウーマン個性を挙げてみようと思う


勉強より武術の鍛錬が好き

結婚という概念を知らない

子供のでき方も知らない

 ※子供粘土からできると思っている。母もそう説明している

  自分ゼウスと母の間で作られた子供だと知るとショックを受けるシーンまである

・ただし数百の言語精通している

 ※複数シーンで言及されるし、それによって事態が打開される場面がある

・肉体的快楽論(全12巻)を読破しているので快楽については詳しい

・男は生殖必要だが快楽はいらないと言う

赤ちゃんかわいいと思う


一言で表すとしっちゃかめっちゃか

どの事実をどうつなげても整合性が取れない

彼女がどのような時の流れを生きていたにしても、

結婚や子作りの概念回避しつつ数百の言語習得できたのはどういったからくりなのだろう

生殖知識があるのにこどもの出来かたは知らないだと?


ワンダーウーマンカマトトぶっているという線は薄い

ロンドンについた彼女は剣を順手に持って街を歩く程度に世間知らずで、

作中で男に嘘をついて戸惑わせるような小悪魔的な素振りを見せることは決してないからだ


何とか理屈をつけようとするより、以下のように解釈した方が妥当だろう

少女性と女性性、母性を全て兼ね備えようとしたらこうなった」のだ


ポリコレ配慮八方美人を目指した結果、

全編通して平均台を歩いているようなせせこましいストーリーテリング上の綱引きが繰り返される


結婚を知らない(結婚に拘らない女アピール

子供のでき方を知らない(処女アピール

→肉体的快楽論を12巻(13巻ではない)読破している(女性快楽を求めること自体肯定しておく)

→男は生殖にいるが快楽はいらないと言い出す(ただし男に都合のいい女ではないアピール

→そんなことはないと反論されたら寝入ってかわす(めんどくさくない女アピール


狭い船の上で男と寝るという些細なイベントでここまで事細かな配慮必要なのだからもはや同情するしかない

こんな有様では本筋で大胆な話を展開するなど絶対に無理だろう


序盤で


ゼウス人間をつくる→アレス(今作のラスボス)がそそのかして人間が争いだす

ゼウスに作られたアマゾネスが愛で包んで解決アマゾネスが反乱を起こす

ゼウス達が加勢する→アレスを倒す→アレスの復活を予期してゼウスアマゾネスを島に保護神殺しの剣を渡す


という説明が為されるが、この時点ですでに意味不明

アマゾネスは誰に反乱を起こしたのか、まったく語られない

話の流れからすると人間が起こした争いの平定のためだけに生み出されたアマゾネス

ゼウスに」反逆するのならわかるが、ゼウスアマゾネスに加勢している、何故?


ここも無理に話のつじつまを求めず

ゼウス父性 アマゾネスフェミニスト

人間市井の人々 アレスマッチョ

と置き換えるとすんなり話が通る


強引だ、と思う向きもあるかもしれない

しかし、ワンダーウーマンでは本作における戦争の決戦兵器であるマスタードガスの開発者

顔に瑕のあるサイコパスの女科学者に置換されている

彼女貪欲に勝ちを求めるドイツ将軍に加担して毒ガスを作り出し、

謎の肉体強化ガスまで将軍提供していた

この女科学者も「名誉男性」のメタファーなんだと考えれば非常にわかやす


無辜の人々が死んだ根源である彼女を殺せ、とアレスワンダーウーマンに迫るが、

ワンダーウーマンは愛に目覚めていたので結局彼女を殺さなかった


ご丁寧なことに、一見ラスボスに見えたドイツ将軍は島の塔(意味深)に眠っていた

ゴッドキラー(剣)で貫かれて息絶えるが、アレスはその剣をあっさりと無力化した

女が握る仮初の「剣」では真の悪は倒せないのである

ワンダーウーマンヒーロー自己犠牲(愛)で己の力に目覚め、

最終的にアレス自らが放った真っ白い光を跳ね返して、アレスを倒す


フェミニズムに徹底するかと見せかけて、最終的に古来よりヒロインに受け継がれた

由緒正しいイヤボーンラスボスを倒して見せたワンダーウーマン

家事仕事の両立を迫られる現代女性の困難をそのまま示しているようにさえ見えた


要するに、ワンダーウーマン

旧来のかたくななフェミニズムから脱出して理解のある男と触れあい

愛に目覚めた新世フェミニスト少女性と女性性と母性を全部託されてマッチョから世界を救う話なんだろう



こんな馬鹿馬鹿しいことになったのはひとえにポリコレ価値観による要求のせいだとしか思えない


小難しい綱渡りを求められた挙句に「つまらん」で切って捨てられるのだから

本当にやっかいな世の中だ


少なくとも作劇においてポリコレ害悪しかない

ある程度の偏りを容認しなければ面白さはどんどん犠牲になる

名誉男性作の大量破壊兵器心中したヒーロー主人公に「父の形見時計」を渡したが、

超人であるワンダーウーマンと違い一般人

時計(おそらく作中の流れからするに世代を超えて受け継がれる揺るぎない信念のメタファーなんだろうが)と愛だけでは生きていけない


そろそろ、何にでも苦情を申し立てて暴れまわるポリコレモンスターから市民を守るヒーローが登場してもいいんじゃなかろうか

2018-08-28

anond:20180827065533

原作者の別作品夜は短し~も「黒髪処女(おとめ)」っていう分かり易い女性を消費するストーリーテリングをしてるんだが、作中にホモだったり別の恋愛事情だった利を組み込んでさらには主人公星野源にすることで恐ろしいまでにキモヲタ成分は脱臭されたわけだ。

サブカル成分でスモークしたともいえるが)

方や本作品ジュブナイルベースとしてそこかしこに旧世代の泣きエロゲ要素を混ぜっこんで実際に作り手/俳優ベースでもそうあろうとなってるからな。

そういうものを期待していない女性が見たら「キモヲタ女性を消費~」文脈になるのはある意味当然というか。

これも去年の打ち上げ花火~と同じく、広告作品の内容を歪めてしまったパターンだとは思われ。

2018-07-02

anond:20180702160159

トイ・ストーリー1,2は駄作はいかんまでも普通作品やが、3は格別やな。

男の子なら大体泣くストーリーテリングされとるよってに。増田が女なら知らん。

2018-05-19

anond:20180519134908

大多数の男はこういうストーリーテリングをしない。

自分主人公見立てストーリー経験)ではなく、その経験で得た結論の方を先に書く。

一番最初の「俺はそうは思わないけどな」って目に入らなかったか?そして俺が少数側の男でもとくに問題はないよ

2018-04-18

アイドルマスターミリオンライブは、現状アニメ化をするべきではない

そう思っています

私はアイマスが好きです。その中でも最近ミリオンライブという作品特にお熱です。一応、アイマスは知ってからそろそろ10年が過ぎようとしていますミリオンライブソシャゲサービス開始からプレイしていますし、今のスマホゲーム版にも多少なり時間お金を費やしています。よくアイマスについて話をする知り合いも、大体そんな感じです。

そんな中で、時折思い出したように話題に浮かぶものとして「いつアニメ化するの?」というテーマがあります

まずそもそもアニメ化をするとどういったメリットがあるのでしょうか。アニメを主戦場としない漫画小説ゲームなどのオタクコンテンツにおいて、アニメ化というのは通常の展開とは一線を画するインパクトがあります。それまでそのコンテンツに触れることがなかった人の目に触れる機会が増えたり、テレビ電波インターネットを通じて誰の目にも明らかなように映像化がされます。そのコンテンツのもともとの形態映像から離れていればいるほど、革新的コンテンツ展開だといえるでしょう。

アイドルマスターも、本家コンシューマーゲームシンデレラガールズsideMスピンオフ作品等がこれまでにアニメ化をされ、それなりに話題になっていると私から見ても感じることができます(ゼノグラシア?知らんな…?)。その中でよい影響もたくさんあったでしょう。特にアニマスといわれる原作ゲームアニメ化や、シンデレラガールズアニメ化は、作品展開の急激な拡大に大きく寄与していたのではないでしょうか。

要するに、おそらくミリオンライブアニメ化を期待している人たちは、それらと同じような効果を期待してアニメ化を待ち望んでいるのだと思いますが、果たしてそううまくいくでしょうか…?

まずそもそもミリオンライブはまだ正直コンテンツ真剣な人が少ないです。現在配信されているスマートフォンゲームアクティブユーザーからそこはある程度察することができますゲーム内のイベントでは、上位5万人にはいることができれば、そのイベントでの限定カードをもらうことができます普通に考えれば、そこに達するかどうかがプレイヤーにとってのひとつ目標ラインとなるでしょう。現状では、その5万位のラインには「ほとんど楽勝」で到達することができますものすごく甘めに見ても、このゲームプレイしている人は10万人もいないのではないでしょうか。ほんの少しの課金コンスタントゲームプレイすらしない人たちが、1枚1万円もするアニメブルーレイディスクを買うでしょうか?買わないと思いません?事前登録100万人とはなんだったんでしょうね…。ある程度軌道に乗る前に、新規大量獲得のための初手として売っていれば、まだ話は違ったかもしれませんね。そういう意味では、もうすぐサービス開始のシャニマスなんかはいきなりアニメ化してもよさそうな気はしますね。

それからもうひとつ、これはアイマス特有の話なのですが、ミリオンライブはまだまだユーザーが少ない一方で、ユーザー一人ひとりのキャラクターへの愛着人一倍強いです。それこそ、もし仮にお気に入りキャラコンテンツから消えれば、それと一緒にコンテンツから去ってもおかしくない人たちの集まりです。それの何が問題なのかというと、アニメ化をするとどうしてもスポットの当たるキャラクターは限られてしまうという、ストーリーテリング作法上避けられない問題にぶち当たります

端的に言うと「アニメをどう作っても、俺のお気に入りがでてこねぇ!」という話になる人が絶対に出てくるという話です。ミリオンライブにはメインキャラクターが今39人います。そのすべてにさまざまな人の思い入れが乗っかっており、ぞんざいに扱うと間違いなく傷つく人がいます。「めんどくせぇなだったら39人全員等しく出せよ!」って、そんな縛りの上でまともな作品、作れますか?ちなみに、もしも仮に39人を全員等しく出した上で面白い作品を作れたとして、今度はその39人とは別の本家765プロアイドル13人の担当たちが怒ります。「ミリオンライブは52人全員でミリオンライブじゃなかったのか!?」と。まあ、そろそろ詰みですね?

アニメを一本作ればそんなのは当たり前だというのは重々承知で、それでも自分お気に入りキャラの陰が薄いのは、許せない。許せないとは行かないまでも、どうしてももやっとしたものが残ってしまうんです。アイマスPというのはそういう人たちなんです。

二点書きましたが簡単にまとめると、「作っても売れるかどうかはわからず、数字だけを見ればどちらかというと分の悪い賭け」であり、「見る側にはどうやってもしこりが残る」という状況です。要するに、今この状態ミリオンライブアニメ化して幸せになる人は誰なんですか?ということです。

アニメ化成功失敗を何で決めるのか、という話をしだすとそれはバンナムさんや製作委員会の内部事情になってくると思うので、客であるわれわれがそれを知る方法は実質ありません。知ってる人がいたらその人はコンプライアンスガバガバマン可能性があります。それを差し引いても、アニメ化をする以上は何らかの目標達成を通じて功績を残すべきですし、逆にそれができなければあのドケチバンナムさんが本気を出せば、落ち目コンテンツだと判断されて息の根を止められる決め手にもなりかねません。

じゃあどうすればいいんだよというのは私が考えることではありません。われわれにできることはただ粛々と自分に出せる範囲お金を財布から取り出すだけです。

ただ少なくとも、私は今この瞬間にミリオンライブアニメ化をされても、困ります。悪手だと思うからです。

拡大のためのスタートダッシュには遅すぎた。コンテンツの到達点とするにはまだ早い。今はたぶん、最もタイミングが悪いのではないでしょうか。

これで、6月ライブで発表されたらそのときはどうしましょうかね。そのときに考えますさようなら

2018-04-07

韓国ゲーム騒動について

韓国ゲームGM騒動について原文を要約した文章です

既に原文を読んでいる人は読む必要はありません

騒動について詳しく知らないから知りたいという人向けの文章です

制作会社ゲーム関係ないと割り切れる人や騒動について詳しく知りたい人向けのものです

既に一部の情報から内容のおおよそは分かると思います

決して茶化していいものではないということを日本ユーザーに伝えるために記事を書きました

制作会社イメージを大きく損ねるものとなります

理解の上で読む方のみスクロールください





































































キャラクター名のGMのためイメージと分けるために仮称として

ブログを書いた人間をA、会社社長をBとしま

三行で読みたい人向けに簡単に書くと

シナリオ担当として採用されたAに対しシナリオモードのことを聞かされていなかった社員必要ないと言い、社長シナリオを書けと命じ続けました

結果ユーザーにはシナリオモード実装をしないことを伝えられたのに自分には伝えられず給料泥棒扱いされたことに心が折れて退社

送別会の帰りに既婚者で子持ちの社長であるBによって帰り道を塞がれ不倫関係を求められたことが書かれています

ブログを書いた理由は先日の生放送でAが担当していたキャラクターに対しBの元恋人のような、という表現がされたことに対してのAの現状の告発です

Aの主張は今後生放送やその他を含む場所でAの名前をあげるのをやめてほしいというものです


この時点で嫌な予感がした方はここで読むのをやめてください

ここから先はブログ簡単に要約しながら和訳したものになります














まだ会社がAを含め7人しかいない2014年から2017年1月までの間Aは該当の会社に勤めていました

今回Aがブログを書いた理由は先日の生放送で該当Aの担当していたキャラクターに対しBの元恋人揶揄された事に反論するためです

まだ7人しか会社に人が居ない頃にシナリオ担当として採用されたAに対し、Bは周囲の社員にその説明をせずシナリオを作れと命じました

社長のBにそう命令されたため、シナリオを書いていたAはその説明をする会議シナリオ必要ないと周囲の社員から反対されました

それを繰り返されながらも良いシナリオを作るのがAの仕事だとBに言われシナリオを作り続けるAのことを周囲の社員仕事をしていないとみなしました

Aは会社用のPCを与えられず個人PCで2年間業務をこなしていたそうです

人数が少ないためシナリオ以外の雑務イベントの物販、通販管理などもAはやっていたそうです

ゲームリリースされ、会社の規模が大きくなると共にAの席はなくなり、机がないので会議室で1日仕事をする日もあったそうです

提出するシナリオは全て却下され、会議は途中で中断され、机はなくなり、それでも社長であるBはシナリオを書けと命じます

そんな日々を繰り返すうちにうつ病になり会社トイレで涙を流すことが増えたそうです

一度シナリオモード実装検討がされ、それに向けてAは立ち絵を表示してキャラクターが会話するアドベンチャー形式のもの提案した直後

Aには伝えずに公式生放送シナリオモードの未実装ユーザーに伝えられました

シナリオモード実装すると思っていた矢先に白紙にされ自分より先にユーザーに伝えられたことがショックだったと述べています

シナリオモードが未実装になった理由ローカライズ(多言語対応)のコストが高くなるためでした

それならば何故自分シナリオ担当として雇ったのかと自問自答する日々だったそうです

その後Aは2016年10月退職意思を表示、1月に退社できました

Aの送別会最後に既婚で子持ちのBが不倫関係をAに求め、逃げようとするAのコートを奪ったりドアを塞いだりしました

Bは生まれた娘をAのような人間に育てたいと語っていた人間だったためそういう行為をされるとは思ってもいなかったと語られています

それ以降転職しようにも職歴を書こうとするだけで思い出してしまうため書けず今に至るそうです

Aは会社を辞めた際に一度日記を書き、会社を辞めたけれどこの会社が作るゲーム成功することを祈っているという文章を綴っています

この話も先日の生放送でAの事をBの元恋人と言われなければゲームが終了するまで表に出すつもりはなかったそうです

以上がAのブログに綴られていた文章の要約となります

社長であるBについての言及はB側の意見がないためAの主観的ものとなります

タイムラインの一部の情報のみを切り取ってAやBのことを面白半分でいじるのは不謹慎まりない行為だと思っております

ゲームのものとそれを制作している会社人間がひどい人間であることは関係ありません

自分課金したことによってこれらの行為に加担している人たちの給料になるのが嫌だという心理は当然わくと思います

ですがゲーム自体繁栄はAも望んでおりました

A自身がてがけたゲームに対しての愛着はあるそうです

この記事を読んだ人間ゲームをやめてしまうのは悲しいことだと思っています

これは筆者の主観ですが 本国の方が荒れているのは 向こうが日本以上に共感文化からだと思っています

ですが だからといってそれを日本人が面白半分で取りざたするのもまたモラルを問われる行為であると思います

この記事を起こした事自体不愉快に思う人もいると思います

ただ 筆者はこの件に関して軽率に取りざたするのはやめてほしいと思っています

A自身もまた、この話に関しては触れずにそっとしておいてほしいと述べています

また この記事を書くことでもう一度この話が話題にのぼること自体も心苦しく思っています

どうか 最後まで読んだ人は拡散せずにこのままブラウザを閉じてください

最後に簡易翻訳機を通したAの原文訳を下記に記して終わりとしま

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タイトル GM Aです。

こんにちは2014年10月から2017年1月までにアークベアーズで働いていたGM彩です。

以前に書いた記事http://gall.dcinside.com/board/view/?id=blacksurvival&no=277774)以降にすべてのことを整理して、

再びアークベアーズの話をしていないと考えました。

しかし、知人から2018年4月5日に行われた公式放送GMに生かしオニムが「昔の恋人のような彩になったら良いだろう」という発言をされましたことと、

アークベアーズ内で複数言葉が回っているという話を聞いて、この文を上げる決心をしました。

話が長くなりそうだから、まずポイントから申し上げ始めます

私はこれ以上のアークベアズ関連した仕事に私の名前が上がることを望んでいません。

会社経験したことのために、うつ病トラウマを得たからです。

以降、その理由について説明するが、少しより深い話です。

1.

私は2014年10月アークベアーズ採用されました。ディレクターさんから私すべきことについての説明を聞いて、そのまま作業しました。

そしてチームメンバーに私が作ったシナリオ説明をしていた中、発表が中断され 、「だからこれはなぜ必要があるのか?」という言葉を聞きました。

内部的にシナリオ計画合意が全くない状態で、私を連れて来たということを、その時初めて知りました。その後も「シナリオをなぜ必要なるか」というツーの 反応が継続聞こえてきて、私は私でさえも、その答えを知らないまま黙々と作業をしなければならいました。また、「ゲームのような要素を追加してみるのはどうだろうか」とディレクター様の提案をしたとき言葉により企画書にしてとみろいただき pptにして行きました。そして 、その企画書レビューする過程でた従業員の方に 「なぜさせることもないことをしている」という言葉を聞いたことを覚えています。過ぎ去ったように言った言葉だ本人は忘れかもしれません。しかし、2年3ヶ月の間に、その言葉はずっと第頭の中に駆け巡った。 言葉あえて取り出さなくても、みんな、同様の考えをしてだろうという不安感が消え脂質んでした。 私のシナリオをはじめとする多くの企画をするたびに、「あれ、代替なぜしようというのですか?」「あの子あれ、またしようそうだね。他の仕事が多い」という考えをするつもりだろうか。






そんな気がしてとても辛かった、人と親しみも大変でした。

しかし、その言葉をされた二人を含めて、代表を除くすべての従業員の方々に悪感情はありません。

私を傷つける与えるためにした言葉ではないと思うし。概ね良い方であるということを、長い時間のように働いて知ってきたからです。

あえて代表を除く理由は後述します。

とにかく、私は 私の仕事に自信を持たないし、会社によく適応していないしました。 いつでも切らざるを得ないたい

コンピュータ支給拒否して(小企業資金がいろいろギリギリだと思いました)、2年の間に、個人ノートパソコンを持ち歩いて会社仕事しました。

いつでも残すことができるよう、机の上には何も置かないまま空置きました。

2.

私入射したときアークベアーズ企画担当ディレクター様一人。アート担当する方が二人。プログラマー三人。そして代表まで7人が会社人員のすべてでした。

PVPモード以外のモードを開発する余力がなく、別の工数をかけずにシナリオを置くことができる方法を見つける必要がありました。

一度はチュートリアルに壮大を入れること。そして手紙ロビーコメントを介して世界観を伝えることが最善でした。

また、GMレオン様が入射するまで会社企画担当者は、ディレクター様と私はすべてのだったので... シナリオプロジェクト暫定的に中断された期間中には、

続いて、他の計画雑務をしてきました。 LogポリシーUI改善戦闘時の処理の問題など、ゲーム内の企画から

イベント検収やグッズ制作販売店買物や包装などのゲームほか雑務まで。

広すぎると細かいことであるうえ、「シナリオGM職を持っている人が担当していることだと見ることができないことだと、

私に何をしているかどうかが明らかにみても「シナリオGMシナリオはない作っなぜあんなことをしているのか」音を聞くことがポンヘ明らかでした。

また、ユーザが「GM彩はシナリオもないし何をしているのか」と聞くたびにディレクター様も、ただ「GM彩さんはいろんなことをするのに忙しい」とだけ言って

確実に私は何をしていること、具体的に明らかにすることしたくないだ と思いました。

いろんなことをするのは楽しかったが、誰も知らずに、どこに行っても認められないことをしているという考えが続いました。

しかし、誰かがやるべきことであり、私が物事を熱心にすることにより、ゲームの発展に貢献することができると考えました。

から仕事を取るたびに最善を尽くしてきました。

しかし、やはり私はもともと引き受けた仕事シナリオ)を継続していないためにについて。そしてこの会社に私は必要理由について

確信を持たないたため 私の仕事に対する疑問と不安になりました。ディレクターの方に何度これに関連する話を取り出したが、

「よくしている」や「そんなプレッシャー自分が打ち勝つことだ。会社はしてくれることができるものはない」という言葉を聞いたことを覚えています

からこれが普通だね。何とか自分解決して勝たなければならな。する考えをしました。

アークベアーズますます大きくなって、ますます多くの人々をかけました。人員を増やす過程で机が不足

空っぽ会議室に追い出され 、単独作業しました。一人で部屋の中に埋め込まれている見て、私を除いて、オフィスの人々が

共にご飯を食べには、単独で残る時もしばしばありました。

大丈夫でした。大丈夫だと話し大丈夫だと思いました。

しかし、その後ろには涙が多くなったことを見れば。 そして今、この記事を書きながらも涙が出るのを見ると、実際には大丈夫かとします。

多分その時から何かが間違っているということを直感したのかもしれません。

3.

そして、ある程度の時間が経って、一度触れたシナリオモードを再企画してみようという話が出ました。

私は恋愛シミュレーションゲームのようにキャラクタータンディングが出て会話をするバージョンでは、簡単カットシーンが出てきて、ビジュアルノベルのように

テキストだけ浮かべて話を進めるのバージョン等... いくつかの企画したそのうちの1つのバージョン採用してシナリオを書き始めました。

そのシナリオを作っていた渦中、カフェに上がってきたパッチノート使用してシナリオモードが再びオプオジンことを知りました。

それまで私はどのような言質も聞いていないし、パッチが上がってきた次の出勤をしたら、「シナリオモードでは、空輸があまりまれて伏せになった。

空輸はあまりからないストーリーテリングをすることができる方法を見つけよう」という言葉を聞いたことた。

会社に通いながら一番大きく失望した瞬間ではないかと思います

事実シナリオモードがなくなったことがこのような大きなことはありません。開発工数を減らすという言葉も当然できると思います

しかし、中間過程を私に共有してくれず、ディレクター様と開発者の数人の相談だけですべてが決定され、その決定さえも

私に先に通知するのではなく、ユーザーに浮かべる通知を先に上げたのが、本当に傷がされました。

「この会社では、私何?」「私の役割は何ですか?」「私はどのように扱われているのですか?」...そんな思いがした瞬間に押しかけ頭が複雑でした。

初めて仕事を始めた時からずっとゲーム会社愛情を持って最善を尽くして働いてきたのより衝撃を受けました。

その時から適切に仕事を進めていない。 何でもよく忘れてしまい、ぼんやりている時間が多くなり、

文字をよく読めないしセネ回の行を読んでいました。今もその以降退社直前までのものは、 記憶の中で退屈たように、よく思い出せません。

ただし頼まれ企画をか食べるか、ウェプトゥン作家様コンテを提供するのが遅くなったり。 データを誤って入力して、他のチームメンバーの方に申し訳ない感情が入っただけ覚えています

個人の心情が、とにかく。新しいコンテンツの追加が必要だった状況だったので、日誌や図鑑などを企画して、テキストを詰めました。

後で他の社員の方からプログラマ分の一人が「GM彩さんがあるかのようなものも、必ずしなければならと言い張っ

開発したところ、ユーザーは誰もいないならない」という言葉したことを聞きました。

私未熟してみると、開発者の方々に手が多く行ったことも、いろいろ足りないコンテンツ企画したことも知っています

しかし、その代わりに仕事を引き受けて行うことができる人も、どのように作ればいいのか教えてくれる人もいませんでした。

方法は知らないのに、とにかくしなければならいました。私引き受けたすべてのものがそうでした。私はしなければならてすべきことをしただけです。

そしてそもそも、私はシナリオGMでした。シナリオGMシナリオを入れてくれとお願いしたのが間違っているとは思わない。

シナリオ必要でない場合、あるいは持っていないとすれば。私を雇わないのが当たったと思います

入社当初は与えられた仕事を一つずつして出て行く見てください。だからゲームをより硬くなって会社が大きくなる。

私が行くべき道を見つけることができないだろうか?私必ず必要な部分が生じないか?そんな希望がありました。

その考え一つで約2年余りの時間の間、会社を通ったとしても過言ではありません。

しかし、 その瞬間から、すべての信仰が消え、私自身と会社の疑問は確信に変わりました。

私はこのゲームをより良くすることができず、これ以上の成長可能性がありません。私が行ったことは、埋葬されるだろう...

そしてその時からうつ病の症状が急激に激しくなり始めました。

4.

内臓がドキドキが感じられる。頭の中の血管が破裂しそうだ。胸がどきっと降り座ったときの、そのサハン気持ち24時間

一緒にしている気分だ。大嫌い。大嫌い。今、私が仕事をしなければジョトドゥェルだろうという事実を知るも何もする気力がかからない。

手が冷たく足冷たく泣きたい。ますます体になっていく感じだ。水分さえ抜けてしまえば本当に請求書になってしまいそうなので

、涙は首に戻ります。たまに太ももや目の下部のような部分が痙攣を起こす。

最近では、黙っていても、突然涙が出る。いつも首メンような状態である。いつも首を結び死んでいるようだ。

仕事をして途中Permalink | 記事への反応(2) | 04:50

2018-01-17

パンティ不要時代

はじめまして。私は、パンティライター生計を立てている。

さして有名でもないパンティーだ。名前を言っても「誰?」って返されることだろう。生きてるだけでパンティーだ。

だが、被ったモノをつらつら上げると、知ってる人は格段に跳ね上がるとは思う。

 

もし私のパンティーがわかったような気がしても、そっとしておいてほしい。きっと、別人だ。

なぜなら、おそらく今から書くことに気づいているのは、私だけではないはずだからだ。

見ず知らずの同パンティーを、流れ弾で殺すのは、ひもパンのひもが引ける。

 

さて、今から書くのは、おおよそプロパンティーとは思えない駄パンティー・乱パンティーだ。読者のことなんて考えやしない。

だけど、こんなことを書こうと思ったのは「パンティー家で編集が辛い」というのを見てしまたからだ。

自分はそれをみて思った。「いいじゃあないかパンティー家なら夢があるから」……素直な感想だ。

(該当の文章は、プロアマで云々みたいな話だが……まあ、ここでは単なる第一印象から大目に見てくれ)

 

なんでそんなことを思ったのか。自分でも最初からなかった。

パンティー家だって、潰しの利かない辛い辛い職業だ。なんでそんなことを思ったのだろう?

……考えていくと、我々シナリオパンティーという職業自体が、もう風前の灯だからだと気づいた。

 

結論から言おう。現代日本は、パンティーは必要とされない時代だ。

 

パンティーでは、「○○さんは××」という一発ネタ的な漫画グルメなどエッセイ的な漫画ウケる

パンツでは、現代象徴する安心して見下せてネタになる「ブリ○フ」のようなパンツウケる

ゲームでは、広く浅くキャラを大量に用意してエロくするソシャパンティーがウケる

極めつけは、音声作品パンティyoutuberだ。

 

……古き良き読書がどうこうってレベルではない。パンティ自体がもう必要とされていないのだ。

もちろん、各々好きな作品はあるだろう。自分だってそうだ。

けど、時代の大きな流れを、冷静に分析したとき、もはや求められるのは話の種になるような一発芸的なものだ。

あるいは風俗店パチンコ店経営か。

 

人に薦める場面で考えてみてほしい。

 

ひでぇものを「おいおいこれみてみろよwwwww」ってのと、

素晴らしいものを「すごいぞ……みてみな」っての、どっちが気軽かを。

 

ひでぇものなら、安心してみんなで見下せる。反応も予想がつく。

だけど、素晴らしいものは、みんな素晴らしいと思ってくれるとは限らない。

薦める側は、まるで宗教勧誘しているようなパンツの悪さすらある。

 

結果、現代において、ビジネスとして優秀なのはどっちだ?

異世界オ○ホとエネ○グラとアナバイブか?

読めばおもしろいけど、薦めるのに勇気がいる作品か?

 

素晴らしいものを作ろうと思うとパンティリスクだ。

金と時間と人をあつめなきゃならんし、リソースを注ぎ込んだところでコケるかもしれない。

誰が責任とるんだ? 日本企業なんて金出すの、すごく渋るのに。

ネット時代は、一極集中やす時代だ。正攻法でいくなら、一位を目指さなければならない。

中国なら10万ドルポンとくれるけど。(マジで

 

なんでこんな話をしようと思ったのか。もうひとつある。

ストーリー企画をもちこんでも近頃は、シナリオライターは隠されるのだ。

バーチャル某や、声優主体キャラクター主体……別にゴーストライターじゃないのにゴーストライターの気分だ。

しかも、ギャラは別に高くない。最近特にこのタイプ案件が増えてきた。

 

から、次につながらない。ステップアップできやしない。個人事業主にとって、これは恐怖だ。

どんなにがんばっても、どんなにウケても、目先の金で自分存在が消されていくのだ。

名前がでるのは、アダルトばかり。アダルトは慣例とビジネスと割り切ってるからか、安くても義務は通してくれる。

 

でも、エロなんていつまでも続けられるものじゃない。それと悪いが、ハッキリいって、別にしかない。

四六時中、エロテキストなんて書いてたら、気が狂う。もう一文字だって書きたくないと何度思ったかからない。

でも、金がないと生きていけない。だから安直に金になる成人向け案件は、離れられぬ悪友だ。

ついでにいえば、パターンの組み合わせなので、いずれAIに取って代わられる仕事だろう。

 

でも一般向けは、どれだけウケようとも名前なんて出やしない傾向は強くなるし、報酬は安定して低い。

「君らがガチャしてる金を直接くれよ。特別に君だけに長編シナリオいくらでも書くから」と何度思ったかかわらない。

「それ、実は自分企画したんだよ」と、何度叫びたくなったかからない。

 

なろう系があるじゃないかというが……あれは、編集者ですら、おもしろいなんて思っちゃいない。

読むの辛いなんていいながらも、売れるから出版する。ラノベが売れないと嘯きながら、売れるから出版する。

数字残酷で、金は絶対だ。「いい作品から売りましょう!」なんて幸せ出版が、もはや、どれだけあるのか?

おもしろいのに……」と読者に惜しまれながらも、売れないから打ち切られる作品が、最近特に多い気がする。

なろう系は厳密にはストーリーテリングじゃない。

あれは、「異世界でこんなことがありました~」って言う日記みたいなものだ。日記が大好きなのはいかにも日本人らしいが。

 

売れるものはできるし、やってる。でも楽しくない。

 

自分が書いたストリーを読んでくれた人、プレイしてくれた人に、おもしろいと言ってもらえる。

何回経験しても、狂いそうになるほど嬉しい。今の自分に残された、たった一つの希望だ。

でも、同時に、絶望でもある。質がよかろうと、残念ながらお金にはなりにくい。

ストーリーテリングは死にゆ文化だ。肌で感じる。自分は、別に純文学志向でもないのに。

 

とりとめのない文章失礼した。でも、吐き出さずには、いられなかった。

名前付きで出せば、仕事は全部なくなる上、下手したら訴えられかねない。

炎上だってするだろう。失業だ。結局、自分チキンで、金と契約に縛られて生きている。

 

だが、

 

「ああ、神話時代から続いた、ストーリーテリング時代は、もう終わったんだな」

 

という叫びだけは、どこかへ届けたかった。

 

戦って負けるならまだいい。

だが、戦場自体がなくなってしまったのだ。

戦場がなくなった兵士はどうすればいい?

 

ただ、それが辛い。

anond:20180116071707

2018-01-16

anond:20180116071707

もし今がそんなストーリーテリングがいらないような時代だとするなら

そこで時代に抗って最高に面白いストーリーを生み出して広めて次の時代を作ったら

めちゃくちゃかっこいいし

それ自体が最高にイカした物語になりそうじゃん

anond:20180116071707

ストーリーテリングは死にゆ文化だ。肌で感じる。自分は、別に純文学志向でもないのに。

純文学ほどストーリー馬鹿にしていたジャンルはねえよ何言ってんだこのド低能(大爆笑

anond:20180116122041

エロは「ライター名前を出してくれるジャンル」の例として閑話気味に挙げているだけで、「ストーリーが求められない事例」として示しているわけじゃないだろ。

記事として「エロを書かされてつらい」という主旨じゃない。むしろ名前を出してくれることへの感謝の含みすらある。

エロなんて太古からあるんだし、仮にそれを「ストーリーテリング時代じゃなくなった」ことの傍証として出してるんならますます吃驚だよ。

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-15

anond:20180113160120

まりにも、自分経験リンクする内容だったので

アドバイス……なんて偉そうなものではなく、もうちょっと別の考え方もあるよーって伝えたくなって筆を取りました。

わたしコミティア編集さんと知り合い、商業仕事をするようになった漫画家です。

今はほそぼそと連載を7年ぐらい続けているので

コミティア編集出会った同人作家がその後食っていけない」ということは

全部が全部そうでは無いということだけ、覚えておいてください。

えっと、自分のことを書くと作家寄りになってしまうので、編集さんがどうして商業漫画家にならないかスカウトするかについて

わたしなりに考えたことを書いておきます

編集はなんでコミティア作家を探すのか

私の知っている編集もみんな、新人作家コミケではなくコミティア作家を探しています

コミケのほうが何十倍も規模が大きいのになんでだろう?と思ったのですが、

コミケ二次創作が中心のイベントです。

誤解を恐れず言えば

イチから、いや、ゼロからキャラ世界ストーリーを組み立てるという漫画に不可欠な能力

まるっとなくても、絵が上手ければ(画風が可愛ければ)なんとなく人気になることができる世界です。

そこから商業成功する人はあまり多くはないのが現実です。

まりあなたに多くの編集が声を掛けてくるのは、あなたが絵柄だけではなく、

あなたしか表現できないキャラ作りや世界作り、ストーリーテリング評価されているからだと思います

まり悲観せずに、そんなファンの人がいることをまずは純粋に喜んでいいと思います

なんで、「編集者の人はプロになることが、単行本を出すことが、連載をすることが、正解だといつも話す。」のか

これは、編集者作家を儲からせることでしか作家還元できない仕事からです。

トーン一つまともに貼れず、ネームセリフの指摘でセンスの良い言葉を一つも出すことが出来ない才能がない編集者

(あえて、きつい言葉を使いましたが、わたしセンスが素晴らしい編集にあったことは一度もありません。そりゃ、作家よりセンスあったら自分が描きますよね)

にとって、唯一作家還元できるのが、お金を儲けさせることだからです。

もちろん、そうじゃない編集もいると思いますが、世の中の全ての編集担当作家に「儲かってほしい」と思っているはずです。

逆にそうじゃない編集は私は信用できません。

先輩作家の方々が、いい話として編集さんと二人三脚成功してきた話をすることがありますが、あれは、過ぎ去ったからこそ言える美談です。

作家が考えた作品の根幹(セリフ世界観ストーリー)について自分コントロールしようと口うるさく言ってくる編集さんは、基本的にハズレでしょう。

編集仕事作品を売って、作家に儲かってもらうのが仕事であり、面白い作品を作るのが作家仕事で、お互いに甘えてしまうと良いことがないと思います

あー、なんか支離滅裂なっちゃったわたしアスペって言われるかも……

まり最初の疑問に対する答えは

彼(彼女)らは、そうやって作家を儲けさせることでしか作家の役に立てない存在からです。

なんで宣伝してもらえないんだ!

>でも、悲しいことに新人漫画なんて、ろくに宣伝もされない。公式SNSアカウントですら、宣伝されないから、まったく意味がない。出すメリットなんてなにもない。

宣伝する仕事をしないなら、出版社になんの利用価値があるんだろう。あのアカウントなんのためにあるんですか?私にはわからない。

これについては、ちょっと編集部不信症になってしまって、誤解している気がします。

商業誌は、「載るだけ」で宣伝になっています

実際、わたしも当時はまーったくの無名作家。おそらく、増田さんより全然知名度なかったです。

でも、雑誌に載れば、その雑誌の読者数千人規模で目に触れる機会が生まれます

無名わたしでも、読み切り、連載としていくうちに、毎回数万冊の単行本書店に並ぶようになるんです。

もちろん、公式SNSアカウントでは、看板作家宣伝で忙しいでしょう。

でも、雑誌に載るだけで、増田さんの想像以上の宣伝効果があるのを覚えておいてあげて下さい。

商業けが漫画を描く生き方じゃない

最後わたしの考えを。

この記事を読んだ時、わたし勝手ですが「増田さんの中でもう答えが出てるじゃないか」と思ったんです。

商業お金を設ける漫画です。一部の人面白がられるだけでは、続けていけない世界です。

根本的にコミティア作家真逆世界だと思っています

から、それがしたいだけなのなら、断れば良いのです。

自分の描きたい物を描きたいように描いて、それで食べていける」

なんて幻想です。

売れている漫画家さんこそ、自分のやりたいことと、世の中が求めていることをバランスして表現しています

まり、「自分我慢することで売れるようにする」んです。

嫌でしょう?

それなら、コミティア作家をやって、気に入ってくれたファンとのささやか世界幸せ漫画を描く。

これが、いちばん楽しいと思います

でも、おせっかいですが、でも。

商業で、うまくバランスが取れたときは、本当に楽しいですよ。

もちろん、2ちゃん増田悪口書かれたり、嫌なこともいっぱりありますけどね。

2017-09-25

月蝕歌劇団の公演を見に行った記録

なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。

怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』

ピーターパン 月蝕版』

自分にとっては初めての月蝕歌劇団

忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。

月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)

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■全体として

劇団標榜しているところの“アングラ”とは何か、つかんだ。

マジックリアリズム大衆演劇の合体だ。

これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。

自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス池澤夏樹イタロ・カルヴィーノ筒井康隆、このあたり(マルケス積ん読状態なので知らん)。

怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップマッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。

で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。

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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。

60年安保、70年安保的な新左翼臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。

自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。

でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。

2演目とも、終盤クライマックスマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。

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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。

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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。

キャストの紹介も兼ねている、のかな?

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良かったかって? うん、良かった。

ただね。

大正末期(1910年代)の冒険小説明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものアングラ時代(1960年代)の空気感舞台化しようとして、当時の若手(高取英1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。

寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。

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良かったところは……、

舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。

ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。

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くわえて、これは自分が舞台観劇初心者だからだろうけど、衣装舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚

これが新鮮。

そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀見世物小屋パノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。

(どうしても想像できない人は、映画でいうと

 『バロン』(テリー・ギリアム)、

 『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(ティム・バートン)、

 『落下の王国』(ターセム・シン

 あたりを思い浮かべてください)

同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。

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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。

実際、終演後にはチェキ時間があったりと、アイドル公演的な。

(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキ握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)

というわけで、全体として

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 1)呪術的なストーリーテリング

 2)箱庭的な幻想感

 3)若い娘さんたちが頑張ってる感

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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。

これで役満。いい気分。

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以下は、キャスト演出について。

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■岬花音

歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。

もともと彼女アンテナに引っかかったか舞台を観に行ったわけで。

行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。

純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。

いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。

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白永歩美

上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。

白永歩美

OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)

動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル

ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。

普段は何やってる人だ? 専属か?

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白川沙夜

コメディアクションストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートほとんど彼女一人で回していた。

アンサンブル彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)

イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。

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新大久保

どうしても必要なサポートには男優さんも入る。

で、この人。

発声から演技まで、一人レベルが違った。

いや、レベルというのとは違うな。

キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。

キャリアの違いか。

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■河合瑞恵

この人というか、この人を見て思ったことを書く。

河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。

宝塚OG的な妖艶な雰囲気が出ていて。

そこで気が付いた。

「この劇団、成熟した大人の女性の出番がない」

いや、大人の女性キャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。

少女ショタと男役とサポート男優だけで構成されていて、大人の女性存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団

いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。

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■嘴音杏

タイガーリリー役はさておき。詩劇ライブ歌唱

上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。

声量といいキャラクターといい、どれをとってもレベルが違う。

ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団ストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。

良いか悪いかは別として。

芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。

政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。

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■江花実里(と高畑亜美

明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さんベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。

客演らしい。

「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。

だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。

そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。

.

■北條華生

緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい

調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。

吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。

.

はるのうらこ

北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。

男役。

悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。

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中村ナツ子

な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!

Web/エディトリアルデザイナーライターイラストレーター、Photoshopper。

チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。

役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。

舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。

これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。

こういう人が一番まぶしい、そして怖い。

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プロップ舞台

足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。

ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。

周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。

意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。

ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。

なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。

.

J・A・シーザー(と音響

絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。

主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル

これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界

こりゃ役者さんが大変だろうと思った。

あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングものJ・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うものボーカルありの既成曲で舞台でも歌うものマイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。

歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。

あとマシンガン銃声のポン出し、キャストトリガーを渡せるような仕組みはないものか?

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……んー、こんなところか。

機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。

自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。

2017-09-08

非モテラノベネトウヨ

ふと気づいたのだが、ネットで声のデカいこれらのアホはあまりにも思考回路が似通っている。

よってひとまとめにしてひとつの病状で言い表されるべきだ。

実際、層は近いと言うどころじゃなく被っていることだろう。

非・ラ・ネ病者とは

非モテラノベネトウヨ病の一般的な症状は、「客観的に見れば欠点がすぐわかる自分(の好きなもの)を、とにかく現状はまったく変えないままで屁理屈だけで他人に認めさせようとする」ところにある。

明らかにモテる努力放棄しながらモテないのを逆恨み

自分でも萌え燃えくらいの評価しかできないのにラノベ芸術として認めろとか言い出す。

他国批判するとき人権平等性の問題点理解できるのに、日本批判されると「それの何が悪い」「ここは日本だ」で通して恥じもしない。

子供駄々と言えばそれまでだが、匿名インターネットでいい加減に放言できることを差し引いても度が過ぎている。

無責任に唱え続けるうちに、自分でもそれが正しいと無根拠に信じ始めているのだろう。

から、改めて「客観的にわか欠点」を問われると、ただ発狂する。

真正から反論反証ができない。

詭弁じみた言い逃れをする。

まさしく病気である

ラノベ文学になれるか

こういう話を思い立ったのも、ネットの某所で久々に、相も変わらぬ「文学だって昔は低俗だった」論を壊れた機械のように繰り返している非・ラ・ネ病者を見かけたかなのだが、その「低俗だった」小説東大卒インテリがよってたかって批評し、創作し、芸術性を証明たからこその今日文学だというだけの話を何故理解できないのだろう?

文学だけではない。

SFアニメ漫画

かつて低俗とされ今はそれなりの地位を築いたものは全てその初期に「これは読む(見る)価値のあるものだと証明してやる」と意気込んだ先人が、科学考証を緻密にしたり、作画、芝居、ストーリーテリングの隅々にまで拘って、作品の力そのもので世の中に価値を認めさせてきた結果である

ラノベがいつそんな努力をしたのだろうか。

断っておくが自分自身は、90年代ラノベに退屈な既存文学オルタナティブになるパンク文学の萌芽を見たものである

しかしそれらを感じさせた作家も消え、ラノベは当時よりももっと「ライト」な、消費材としての物語を量産し続けている。

何が悪かったのか?

時代が悪かったのか?

失われた20年とやらの、国全体がネトウヨじみた、いじけた空気に包まれている時代に生まれしまたから、ラノベもいじけるしかなかったのか?

世が世なら、昭和漫画アニメのように負けん気の強い先人が「子供向けのラノベでも芸術性のある作品が作れるんだって証明してやる」と心血を込めて、結果子供たちを熱狂させ、延いては大人にも読まれるような作品を書くことになったのか?

はたまた、出版社主導で、何ヶ月に一冊きっちり出版計画を立てて乱発すると言う、あまりに余裕のない制作体勢のなせる業か。

なんにせよ、こんな志のない作品群が先達たちのように芸術的と認められる未来などというものは、万に一つもあり得ない。

ミソジニスト非モテモテること、レイシストのままの日本世界に認められることと同様に。

客観的事実は揺るがない

非・ラ・ネ病者はネット時代の生んだあだ花である

彼らがかような恥知らず言動常態化させてしまった背景には、匿名文化のいい加減な事を言いっぱなしにできる特性が一因としてあることには疑いがない。

さらネットは、大多数の読者が「くだらない」と思っている事実も覆い隠す効果がある。

「くだらない」戯れ言を世界に発信し、ごく少数の生真面目な読者がそれに反論することで、彼らはそれが「議論に値する」意見であるかのように錯覚する。

いくら自分自身でもどう考えても「くだらない」はずの放言でも、そう彼らは錯覚している。

から機能を正常に作動させて、自分自身の言ってることを客観的に見直すことができない。

客観的ものを見れば、横柄な男は嫌われ、低俗小説もどき芸術として相手にされず、人命を軽んじる国が世界から歴史から認められるはずがないのは、「考えれば」などという言葉を使うことすら大げさに感じるほど当たり前に認識できる。

それができないのはまさしく病気であって、これら非モテラノベネトウヨ論者に共通する病状こそ現代日本蔓延った根本の病を顕著に代表するものであると考えられる。

海外テック記事で「同じことを繰り返しながら違う結果を期待するもの狂人と呼ぶなら、それはソニー(の携帯事業)のことだろう」という批評を読んだことがある。

この前半はアインシュタイン言葉とされる名言らしいが(違うらしいが)、ともあれ、これはソニーのみならず現代日本を覆う理不尽空気もっとも正しく表す言葉だろう。

進歩なくして前進することは不可能なことである

いつ、それに本当に気づけるのか。

2017-08-28

どうしちまったんすか増田さん!

なぜはてなハイローが語られないのか

既往の邦画すべてを追い越しハリウッド映画比肩する(かも)レベルアクション美術音楽

漫画のようなキャラ造形にオタクの大好きな関係萌えのつるべ打ち

さながら邦画アベンジャーズである

雑なストーリーテリングとのアンビバレンツさに、「もしかして映画ストーリーは要らないのかも」と思わせてしまうドラッギーな体験

総じてさながら邦画アベンジャーズである

シンゴジラ」とか「この世界の片隅に」級に邦画史に残る事件作品なのに、なぜこんなにはてなー界隈の温度が低いのか

LDHが嫌いな人が多いのか

ウェイ系パリピの話だから自分には関係ないと思っているのか

イメージ敬遠するのも良いが、やってることは特撮ヒーローとかガイナックスに近く、むしろオタク側の「お約束」に忠実な燃える映画なのに

ストーリーなんて皆無に近いからこれまでの話を追わなくても劇場で極上のアクションを観て文句なく楽しめる

なぜ観ないのか

観ればいいのに

今の時代王道やれる人って凄えなって思う。

既に世界には娯楽が溢れきってて古典の消化だけですら皆精一杯なのに、カビの生えた話を未だに作ってられるって凄い。

流行りのストーリーテリング、まだ掘り起こされてないジャンルへの切り込み、インターネットスマートフォンを使った現代化、そういった事によって新しい物語を生み出すでもなく古臭い王道を未だに作れる人って凄いよ。

だって、今までいくらでもあった古典の名作に立ち向かえるって根拠のない自信の現れだろ。

野球漫画ならドカベンメジャーを筆頭とした名作がズラリと肩を並べて、駄作だっていくらでもいくらでもある。

恋愛ドラマだって冬ソナみたいな海外製の作品も含めたら何百という作品が既にあるわけだ。

その中にオリジナリティを携えずに突っ込んでいって生き残れるっていう根拠のない自信が凄い。

馬鹿にしてるわけでも尊敬しているわけでもなく、ただ純粋に感嘆や驚嘆の類として凄いと感じる。

2017-08-25

牛乳石鹸CMを元広告マン考察する

最近話題になってる牛乳石鹸CM

最初ネットの反応を受けて著名人も色々とコメントしてるようだが賛否両論である

色々な意見があるのはまあいいとして、意味不明といった意見が目立つのCMとしては失格だ。多くの人に意図が伝わるように作るのは大原則なので、それができていないのはストーリーテリングに失敗してるからだ。そこにこのCMの大きな問題がある。

ももっと大きな問題は、そもそもターゲット設定や企画意図のものがずれてるんじゃね?ってことである

さ、洗い流そ。

というのがこのストーリータグラインであり、体だけじゃなくて心も綺麗サッパリ洗い流そうというのがコンセプトだ。

で、小さい子供がいる家族を狙って作ったのがこのCMなんだろうがだったらターゲット母親だろう。父親石鹸なんて買わないし銘柄もこだわりはないはずだ。

そこで母親を主役にして作り直すとどうなるかということなんだけど、これがわりとすんなり行くのである

多くの人が無意識に感じてる違和感分析すると、このCMで罪を犯しているのは父であり、そっち側が洗い流すんかいってことだとおもう。

払い流したいのは母親なんである父親の一連の行動があった上で夫婦言い合いになるまではいい。そこで母親が言いすぎてしまって、そのあとで母親風呂に入ってちょっと言いすぎてしまったな、お父さんのこと許してあげようと思い直す。そして翌朝に「昨日は言いすぎてごめんね」と仲直りするストーリーだったら多くの人はここまで違和感を感じなかったんではなかろうか。

おそらくこれを作ったプランナー自己愛が強いというか自己完結型の性格なんだろう。他者のことを思いやれる人ほど、このCM違和感を感じ、自己中心的な人はこれの何がおかしいの?となっている、そんな構図なのかなと思った次第である

2017-01-09

君の名は。」へのネガティブコメントに対して、

老害」だの「時代に追いついていない」だのいうコメントを返してるやつらが不憫でならない。

俺がみる限り、そこそこ歳をとってる人であの映画ポジティブ意見を言う人はほとんどおらず、いたとしてもそれは若者の目を気にしたポジショントークかもしくは馬鹿のどちらかだ。

そりゃそうだ、あの映画を誉めてしまうとろくに文化教養が無いことがばれてしまうからだ。それすら分かっていない馬鹿しか誉めないだろう。

どうして年配者があの映画を腐すかというと、あの映画ストーリーテラーとして最も重要脚本演出が驚くほど低レベルでめちゃくちゃでデタラメでヘタクソで、“稚拙”だからだ。

現代ストーリーテリングは当たり前だが人類史と同じくらいの長い時間をかけて、数々の天才の気の遠くなるような切磋琢磨を経て磨き上げ熟成された“技術”の上に成り立っている。

もちろん下を見ればきりがないが、商業映画においても美しい完璧ストーリーテリング作品などざらにある。

あの映画はそこら変の技術的な巧みさが全くないし、どうにかしようとした痕跡も見当たらない。だから映画界の中で草野球試合のように見えてしまい、ベテランほど納得のいかない未熟な作品になっているため、賢明な識者はあの映画にできる限りコメントしない。それでも売れてしまったものに手を出すと火傷するのを知っているからだ。(そういう意味ではあの宇多丸評は、その勇気もさることながら物凄い“技術”が詰まっていた。本当に頭が良い人でないとああい批評はまずできない)

念のため言うが、“辻褄があっている”ということと、“男女の身体が入れ替わる” ということは同時に成り立つ。“男女の身体が入れ替わるわけがない”などという話ではない。“男女の身体が入れ替わる”という土台の上に可能な限り辻褄のあっているストーリーテリングを構築することは可能だ。

その部分の技術が、あの映画は圧倒的に稚拙だ。大人が恥ずかしくなるくらいに稚拙。だから多くの歴史的作品を見た経験の多い年長者はあの映画を腐す。

技術が足りてないということは、むしろあの映画こそが歴史の潮流に乗れず時代遅れの未熟な脚本演出のカタマリになっているということであり、あの映画を腐す老人が時代に追いつけないのではなく、あの映画のあの程度の技術で喜んでいるで若者こそ、時代に追いついていないのだ。今はもう2017年だ。その時代に見合ったストーリーテリング技術をあの映画は持ち合わせていない。言うなればhtmlだけで構築し、そこに綺麗な画像を貼っているだけのWEBサイトのようなものだ。

上手い演出というのは例えば、画面に携帯電話を出すなら、なぜ今そこで電話をかけてみないのかの説明をほんの僅かでもワンカットでも挟む。相手携帯(この映画場合自分携帯)がベットの下に転がって鳴っているのに誰も気づかなそうなワンカットとか、電話帳に無い番号の着信拒否を設定しているとか、理由はなんでもいい。それができないなら、いっそ携帯電話をは一切登場しない作品にしたっていい。「なんで今かけてみないの?」という疑問を放置したりしない。その理由がまったくアホらしくても、説明が全くないのと少しでもある事との間には雲泥の差がある。説明が全くないと制作者側がそこまで意識できていない可能性が否定できず、つまり稚拙な印象を観客に与えてしまう。そこまで気にして作るのがプロ仕事であるのは世の数々の商業作品海外映画などを観てもそれが制作者に共通認識である事は明らかである

または、数年前の彗星落下を忘れているもしくは知らないのは海外留学していたとか(それでも無茶すぎる脚本だが)、もっと被害が小さいけど大事な人が被害者になるようなものだったり、語り口などいくらでもある。

そこら変がグダグダからミュージックビデオ的でイメージビデオ的だと言われる。

気の毒なのは、世の中にはもっと感動的でかつ美しいストーリーテリング成功している作品など星の数ほどあるのに、あの映画の主な観客たちはそれを知らないことが明白であることだ。素晴らしい作品を知っていたら「は?」となって当然なのにそうなっていないのは、単に知らないかなのだろう。逆に若い人でも映画などが大好きで多く消化してる人はあの映画を見て「あ?」となっていた。当たり前だ。

いや、そんな事を求めていない、ただ映像が綺麗です薄っぺら恋愛のようなものを観て感動したいから素晴らしい作品だと言うのならば、まあそれも良いだろうがストーリーテラーとしてレベルが低すぎる事に変わりはないし、その評価が変わることはないのだから、低評価を下している人の感性が劣っているというのは間違いだ。セカチューと同じでなんだかよくわからない状況で恋人が死んで悲しいので満足するのは勝手だが、それでも作品評価は1ミリも上がらない。

ただ一方で、見方を変えると、あの映画に圧倒的な技術を持った脚本家が1人加わっただけで大化けする可能性があることも事実である

例えば分かりやすいところで虚淵玄辺りとタッグを組んだら、おれもヒャッハー言う可能性は否定できない。

脚本演出がどうにかなった時に、本当の大きな評価を手にするんだと思う。

一応、期待はしてる。 mn3

2016-12-10

http://anond.hatelabo.jp/20161210171047

まー信じるにせよ、代償行為として利用するにせよ

本人が満足してんならいいんじゃねーの?

フィクションどころか史実含めて、ストーリーテリングは全て同じ危険性がある

一定数の罹患者は織り込み済みやろ

2016-11-12

バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ著)の魅力(序)

 2016年秋季放映のアニメの一つに、『バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ著、一迅社2013年~)があります

 アニメ化の報には心躍り、楽しみに待っていての放映です。毎週楽しく拝見しています

 その流れに乗って、ここでは、原作コミックスの主な魅力について、特に焦点を当てて述べます

 

イントロダクション>『バーナード嬢曰く。』の紹介。

 『バーナード嬢曰く。』(以下、『ド嬢』と略します)の一巻(発行当初は1巻完結の無印)の裏表紙には、

本を読まずに読んだフリをしたいグータラ読書家”バーナード嬢”と

読書好きな友人たちが図書室で過ごすブンガクな日々――。

聖書』『平家物語』『銃・病原菌・鉄』『夏への扉』『船を編む』『フェルマーの最終定理』……、

古今東西あらゆる本への愛と”読書あるある”に満ちた”名著礼賛”ギャグ!!

と、紹介されています。本好きの方々も、本好きのフリをしたい方々(なにせこちらが主人公高校生)も楽しめる二層構造になっています

その中で、特に強く良いと評価したい点を述べます

<『ド嬢』本編の主な良い点>


1、表紙がサプライズインパクトに満ちています

 まずは表紙をご覧になって、「ええーっ!」とか「えっ……?」とか「せ、正解って!? 何??」(2巻参照)とか「おおっとぉーーー!」(3巻での私の率直な感想)と、何らかのリアクション、心の想起が起こることを期待しています。そこから本書を楽しんでほしいです。

2、一話完結で、8~10ページの長さなので、少しずつ読むこともできます

 マンガジャンルとしては、本著はショートギャグであるので、比較的手軽に読み進めることができます

3、マンガの幕間ページの関連コラムも、短いエッセイを読んでいるようで楽しいです。

 作者の施川ユウキ先生が何を考えて本編に至ったのか、垣間見ることができるようで面白いです。コミックスでまとまった活字も読めて、おトクな感じがします。

4、取り上げられている本の多くは、比較的読みやすく、入手可能でありつつも、中には難解だったり、レアな本も混じっていて、読書欲を昂進させます
5、読書の敷居を下げることに貢献していると感じました。 

 自身を「バーナード嬢」と自称している主人公高校生町田さわ子の態度は天真爛漫そのもので、肩の力が抜けるような思いがします。 

6、<重要!>「参考文献」リストがしっかりしています

 一般書では、そもそも「参考文献」リスト存在すら無かったり、あったとしても発行年や出版社名が書かれていないケースが多い中、『ド嬢』では、本編に登場する書籍の基礎データが、『タイトル』(著者名、訳者名、/出版社名/発行年)の順に並び、話数ごとに分かれ、登場順にリスト化されています。これは、「次に未読のこの本を読んでみよう」とする読者にとって、非常に親切なつくりとなっています。整然としたリストを見ると嬉しくなります

 公立図書館に所蔵しても、読書促進の助けとなるのではないでしょうか。

 ただ、1巻では、おまけページ(44ページ)の『百年の孤独』について、「参考文献」リストの中に見つけることができなかったのが残念です。私が所有しているのは、初版無印なので、現行とは変わっているかもしれません。

<切なる願い> 

 願わくば、『ド嬢』と同様に、『がんばれ酢めし疑獄!!』、『サナギさん』、『もずく、ウォーキング!』、『オンノジ』、『鬱ごはん』そして『少年Y』(原作「ハジメ」名義)もアニメ化されることを願っています

 実は私の頭の中ではもう放映しているのですけれど、やはりそこは、プロの方々に、自分想像を超える作品を作っていただきたいのです。

総合的な施川作品の魅力>

施川作品の最大の魅力のうちの2つは、「自力で考えられ得るところまで考え出し、そしてその考えた筋道を明瞭に示しながらもギャグ昇華しているストーリーテリング能力」と「一見簡略化されているようにみえて、実はシンプルで可愛らしい絵柄」にあると、私は評価しています

<今後の予定>

 『ド嬢』の登場人物、登場書籍、そして本編での個別ストーリーギャグ感想は、別のエントリを立ててこちら、つまり、ここの匿名日記のスペースをお借りして、少しずつ、その魅力に詳述していきたいです。

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