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2017-09-25

月蝕歌劇団の公演を見に行った記録

なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。

怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』

ピーターパン 月蝕版』

自分にとっては初めての月蝕歌劇団

忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。

月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)

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■全体として

劇団標榜しているところの“アングラ”とは何か、つかんだ。

マジックリアリズム大衆演劇の合体だ。

これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。

自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス池澤夏樹イタロ・カルヴィーノ筒井康隆、このあたり(マルケス積ん読状態なので知らん)。

怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップマッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。

で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。

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あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。

60年安保、70年安保的な新左翼臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。

自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。

でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。

2演目とも、終盤クライマックスマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。

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ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。

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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。

キャストの紹介も兼ねている、のかな?

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良かったかって? うん、良かった。

ただね。

大正末期(1910年代)の冒険小説明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものアングラ時代(1960年代)の空気感舞台化しようとして、当時の若手(高取英1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。

寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。

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良かったところは……、

舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。

ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。

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くわえて、これは自分が舞台観劇初心者だからだろうけど、衣装舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚

これが新鮮。

そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀見世物小屋パノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。

(どうしても想像できない人は、映画でいうと

 『バロン』(テリー・ギリアム)、

 『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』(ティム・バートン)、

 『落下の王国』(ターセム・シン

 あたりを思い浮かべてください)

同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。

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で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。

実際、終演後にはチェキ時間があったりと、アイドル公演的な。

(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキ握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)

というわけで、全体として

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 1)呪術的なストーリーテリング

 2)箱庭的な幻想感

 3)若い娘さんたちが頑張ってる感

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が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。

これで役満。いい気分。

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以下は、キャスト演出について。

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■岬花音

歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。

もともと彼女アンテナに引っかかったか舞台を観に行ったわけで。

行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。

純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。

いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。

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白永歩美

上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。

白永歩美

OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)

動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル

ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。

普段は何やってる人だ? 専属か?

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白川沙夜

コメディアクションストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートほとんど彼女一人で回していた。

アンサンブル彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)

イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。

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新大久保

どうしても必要なサポートには男優さんも入る。

で、この人。

発声から演技まで、一人レベルが違った。

いや、レベルというのとは違うな。

キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。

キャリアの違いか。

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■河合瑞恵

この人というか、この人を見て思ったことを書く。

河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。

宝塚OG的な妖艶な雰囲気が出ていて。

そこで気が付いた。

「この劇団、成熟した大人の女性の出番がない」

いや、大人の女性キャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。

少女ショタと男役とサポート男優だけで構成されていて、大人の女性存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団

いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。

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■嘴音杏

タイガーリリー役はさておき。詩劇ライブ歌唱

上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。

声量といいキャラクターといい、どれをとってもレベルが違う。

ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団ストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。

良いか悪いかは別として。

芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。

政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。

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■江花実里(と高畑亜美

明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さんベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。

客演らしい。

「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。

だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。

そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。

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■北條華生

緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい

調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。

吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。

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はるのうらこ

北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。

男役。

悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。

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中村ナツ子

な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!

Web/エディトリアルデザイナーライターイラストレーター、Photoshopper。

チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。

役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。

舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。

これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。

こういう人が一番まぶしい、そして怖い。

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プロップ舞台

足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。

ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。

周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。

意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。

ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。

なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。

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J・A・シーザー(と音響

絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。

主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル

これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界

こりゃ役者さんが大変だろうと思った。

あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングものJ・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うものボーカルありの既成曲で舞台でも歌うものマイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。

歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。

あとマシンガン銃声のポン出し、キャストトリガーを渡せるような仕組みはないものか?

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……んー、こんなところか。

機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。

自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。

2015-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20151023152407

1910年代の水準だな。

現実には、コントロール不能なところへ立ち去ることは決して許されないとかいろいろその後このテーマは深化しているしているんだけどな。

2012-05-21

学童支援にワンクッション置かれている最大の理由

家入一真さんの例の件で願うことなど

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2012/05/post-3261.html

隊長が白い。驚きの白さ。最近は白い隊長を見る機会が増えてきたような気がします。

もう一点だけ勝手ながら重要な点を付け加えさせてもらいたいです。ちょっと悲しい話です。

 

親を亡くした子供への支援は昔から行われてきて、最も早くそノウハウが蓄積されたのはイギリスなわけですが、昔々それも第一次世界大戦とかその頃はいわゆる足長おじさんが直接子供に接して支援した頃がありました。ジーンウェブスター1910年代に発表して大ブームを巻き起こした小説あしながおじさん」は当時最も社会的成熟していたイギリス資産家の間で流行の兆しを見せていた私財による学童支援を参考に書かれたと言われています

 

さて、現在では支援者が直接子供に接して支援することは(少なくとも先進国の間では)ほどんど無くなりました。なぜでしょうか。

 

ハラスメント、それも性的ハラスメントの問題があるからです。

 

まり足長おじさんという立場を利用して、資産家が幼い子供の体を弄ぶような状況が常態化してしまった時代があったのです。今も昔も成熟した性ならばお金で買う事は(ある程度)認められていますが、未成熟な性はお金をいくら出しても手に入れる事はできません。それは絶対に許されない事です。

しかし足長おじさんという名目資産家にとってみればタダみたいなお金でそれを手に入れることが出来てしまったわけです。それを回避する為に「支援者と被支援者の間にはワンクッション置くべき」という今では当たり前の事が議論されるきっかけとなった経緯があります。これはあまり知られていない問題のような気がします。

金銭で人を支援するという行為にはその被支援者が大人であれ子供であれ、どうしてもハラスメントの問題がつきまといます。だからこそ難しい問題なのです。最近ネットで盛んに議論されている学費支援サービスでも、既に様々なハラスメントが被支援者の肩にのしかかっているとは思いませんか?彼女がそれに耐えられるかどうか、もし耐えきれずに何らかの取り返しのつかない事態になってしまった場合に、今回の件を主導しているグループ責任が取れるのかどうか。僕にはそうは思えない。人間の一生に対して責任を負いますというような意思は見られない。だからこそ危ういのです。

家入さん界隈特有の「面白ければいい、目新しければいい、古臭い考えに価値無し、バイタリティ万歳」という考えでハンドリングできるほどに軽々しい問題では無いということだけはわかって欲しいです。

2010-08-02

誰が誰をホロコースト

はじめに

途中で腹の立った人、題名で既に私の言いたいことがわかった勘のいい方、時間のない方は「本文」を飛ばして「おわりに」を読んで頂きたい。

本文

あなたは、

あなたの旦那さんは、

あなたの息子さんは、

戦争に負けて、巨額の賠償を強いられて、ハイパーインフレの国に生まれたら、家族を養えますか?

父親が貴族やユンカーでもないかぎり自活は無理でしょ。本人の資質努力、やる気なんて関係ありません。どんなに能力、やる気があっても、恐慌と重税下で家族を養える20代の男性なんてほぼ皆無です。外国を侵略したとか言われてるけど、外国を侵略せずに必死で働いてたら、食べていけたと思います?

多くの若者を死なせた国が終戦したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。

支援するのは誰?

・旧敵国(賠償免除、借款)

米国

中立国国際機関

でしょうか。現実的には、戦火を交えた旧敵国(旧敵国も戦争で荒廃してるでしょうし)が自分の生活物資に加え“7000万の敗戦国民の生活物資”を維持し続けるのも、このご時世では苦しいでしょう。

つまり、1910年代世界大戦を起こした国が敗戦した場合

(1)本人が貴族やユンカーで高額収入がある

(2)旧敵国に相当の稼ぎがあり、敗戦国民7000万名の生活物資を何年にもわたって供給し続けられる

(3)中立国が助ける

で、ないかぎりは、

(4)東方拡大により生存圏を確保する

しか、敗戦国に生きる道はありません。

だったら、ヴェルサイユ講和条約を受け付ける時に、

・父親が貴族やユンカーではなく、

政府が支払うと約束した額と現実的な支払い見通しが不十分で、

・旧敵国に、生活物資を支援する財力と予定があると確認できなければ、

「では、このままオーストリアとズデーテンラントに行って、手続きしていってくださいね」と、講和条約を調印する係の人が、講和条約と引き替えに合邦協定草案を渡しながら言う必要があるんじゃないの?

違うのかな・・

「育てられないのに降伏するなんて無責任」という人は、1910年代帝国主義をしちゃダメだと言ってるの?

敗戦する可能性”は誰にでもあるでしょ。“敗戦しても自活できる経済力を付けてから戦争しろ”ってこと?それが責任ある態度だというの?それいったい何世紀くらいのこと?22世紀くらい??何世紀まで働いたら“賠償しても国民7000万人養える経済力”なんてつくの?

民族自決ってのは、同じ民族は一つの国家に住みましょうね、っていう政策なんじゃないの?そのために国際連盟まで設立したりしてんじゃないの?

★★★

記録のための事件概要

1914年6月サラエヴォで、兄弟国の皇太子暗殺される

1914年7月兄弟国は戦争を決意。当事国に最後通牒(後に期限切れで宣戦布告)。

・当事国の同盟国も戦争に備えて総動員を始める。

1914年8月国家防衛のため総動員を開始、自動的に戦争突入

1918年11月 革命と共に終戦。隣国は皇帝を引き取り、共和国としての歴史が始まる。

1921年3月 ロンドン会議が開催され、賠償額が決定。総額1320億マルク。

7月頃から国内争乱開始か。大統領緊急令を連発するなどし法によらない解決を繰り返す。

国内に賠償踏み倒しの声が聞こえ、隣国による保障占領が相次ぐ。イギリス調停を試みるが、国会が運営できず。

1930年ヒンデンブルク(当時大統領)が議会依存しない内閣の結成を命じる。

1933年1月軍部による反大統領クーデターの噂(未確認)

大統領国防軍には屈服せず、ヒトラー首相に指名する。

ポーランド西部のアウシュヴィッツでは、虐殺されたユダヤ人無数が遺体発見される。

1945年4月30日 ベルリンが陥落したところを、ヒトラー自殺

今日時点で報道されている範囲でのまとめです。)

★★★

ホロコースト”の意味は、虐殺とか、抹殺という意味だと思うのだけど、

この事件では、誰が何をホロコーストしたの?

A) ナチスユダヤ人ホロコースト

B) 国民民主主義ホロコースト

C) 旧敵国が敗戦国再建をホロコースト

★★★

この総統が苦学生だった20世紀初頭、ヴィーンでの親友だった音楽家の証言より再構成

彼が総統となってヴィーンに来たときですか?私を接見してくれましたよ。

監視?もちろんなしです。本当ですよ。

それではどうしてあなたはあのいまわしいヒトラーを殺さなかったのですか、ですって?

どうしてって…。彼は私の親友だったからです。

民族自決もいいけど、既に分裂している国家も、もうちょっと合併したらどうかな、旧敵国。

600万人のユダヤ人ご冥福をお祈りします

おわりに

言うまでもないが、改変元→http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

冗談抜きで、ふざけるなと言いたい。「盗人にも三分の理」というが、同情する余地のない人間などどこにもいないのだ。しかしだからといって、追いつめられれば何をやってもいいかのごとく触れ歩くのは単なるデマゴーグに留まらない、犯罪的な言説だ。そもそもこの手の言説は、子供虐待することなく立派に育て上げている圧倒的大多数のシングルマザーに対する侮辱であることに気がつかないのか。恥を知れ恥を。

まして、「なんでも環境のせいにするな、全ては自己責任」という俗流過激ネオリベ思想を推進しているこのデマゴーグブロガーが、こういうときだけ全て環境のせいにするなど、ふざけるにも程がある。

そして、「ジェンダー」という錦の御旗を振りかざされれば目が眩んでことの本質が見えなくなる馬鹿はてな民よ、恥を知れ。

人を殺すぐらいなら、もっとまともな手はいくらでもあったはずなのだ。いくら追い込まれての行動とはいえ、同情の余地にも限度があるに決まっていよう。同情の余地があれば全てが免責されるわけでもなければ、悲惨な境遇に追い込まれれば誰もが罪を犯すわけでもない。

勿論、仮にヒトラーが生まれた時期があと50年遅ければ、誰一人を殺めることもなく平穏に生を終えることができたのかもしれない。逆に、私が当時のドイツに生まれていたらヒトラーと同じことをやったかはともかく、その下手人にぐらいはなっていた可能性だってあることは重々承知している。それぐらいの「想像力」は当然ある。しかしそんなことがヒトラーを免罪することになどならないのは言うまでもない。もしそれを赦すことができる者がいるとすれば、神仏のような超越的な存在でしかあり得ないだろう。いずれにせよ、現実社会ではヒトラーは赦されることは未来永劫あり得ない。それが世の道理というものだ。

この事件、いったいそれと何が違うのだ。「ネグレクトしない自信はない」そんなことはあたりまえだ。母子家庭であろうとなかろうと、ネグレクトをしてしまう可能性はある。人間とはそういうものだ。しかし、その責任を自ら引き受けることなく子育てなんてそもそもできるわけがない。育児に限らず、一寸先は闇の現実世界というのはすべてそういうものだ。誰も、他人が過ちを犯す可能性を零にしてやることはできないのだ。なんとか自分を律するように最善を尽くすしかない、それが本当の意味の「自己責任」ではないのか。

2008-11-05

日本は侵略国家であったのか」を読む 補遺

http://anond.hatelabo.jp/20081101232814

 こんにちは元増田です。

 その後、台湾外交部からも抗議声明が出されたようです。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081102-OYT1T00492.htm

 しかし、田母神氏ご本人は、「誤っているとは思わない」「(論文の内容について)今でも間違っていない」、

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200811030159.html

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20081103-OYT1T00526.htm

とおっしゃっておられるようであり、

近現代史の一面的な見方を見直そうという動きが各方面から起きていたが、その象徴的論文

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081103/plc0811031834005-n1.htm

という新聞もあるので、ネット上にある反論ソースをあげておくのも意味ないことではないと思い、対中外交について落ち穂拾いをしてみます。今回もネット上にあるものだけを参照しており、私はこの時代の一次史料を読んでいませんので、「ちらしのうら」であることに変わりはないですが、根拠を何も示さない所論よりはましだと思っています。

日本は・・・(中略)・・・相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」のか

見出し引用の出所は、田母神俊雄日本は侵略国家であったのか」2008年

http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

それでは、公開されている次の論文を紹介する形で反論します。

古屋哲夫「対中国政策の構造をめぐって」『近代日本における東アジア問題』古屋哲夫山室信一編、吉川弘文館2001年、をPDFHTML化したもの(単行本にはあたっていないことをおことわりしておきます)。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/pdf/75.PDF

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 まず、日露戦争後の日本中国権益についてみてみましょう。そもそも初期条件は清の関与できない日露両国の話し合いで設定されました。

日露講和条約によって日本が獲得した在満権益とは、ロシア権益の残りの期間を、「清国政府ノ承諾」を条件として、譲り受けたものであり、具体的には 1923年大正12)に満期となる(露清原条約の期限が25年)遼東半島租借権と、運転開始から36年後の1939年昭和14)年に中国側に買戻権が生ずる南満洲鉄道経営権を中心とするものであった。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 清の事後的同意が必要とされたこと、租借権と経営権には期限が設けられていたことは留意されるべきでしょう。

 後の関東軍へとつながる駐兵権の話も、この段階で出てきます。

それは清国の了解なしに、その主権を侵害する鉄道守備兵駐兵権を設定したものであった。それは現に軍隊存在しているという既成事実を権益に転化させようとするものであり、日露両国は清国の主権侵害の共犯者となったことを意味し、また、以後の満洲支配についての日露共同行動の可能性をしめしたものでもあった。ところで講和条約ロシアから日本への権益の移転譲渡は、「清国政府ノ承諾」を条件とするとしており、それにもとづいて、1905年11??12月にそのための北京交渉が開かれたが、そこで清国側がもっとも強い反発をしめしたのは、この鉄道守備隊の問題であった。・・・(中略)・・・結局この問題は日本側が、ロシアが撤兵を承諾したときには、日本も同様に撤兵するという条件を付けただけで押し切ってしまうが、小村寿太郎全権は、ロシアの撤兵など起こりえず、したがって日本の撤兵もありえないものと考えていた(5)。この鉄道守備兵が、租借地守備兵とともに、後の関東軍を構成することとなる。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 先に既成事実があって後に法的に問題を確定させようとしていることは留意されるべきでしょう。

このようなやり方が、相手側に不満を生じさせ、後の紛争の種となるのも当然でしょう。

日露講和後の清国に対する交渉において、もっとも紛糾したのは、前述の駐兵権問題についで鉄道権益をめぐる問題であった。・・・(中略)・・・その結果、1905年12月に調印された、「満洲ニ関スル日清条約」(実質的内容は附属協定)では、吉長線も新奉線も協定附属の取極に譲らざるをえず、前者は清国の自主建設により、資金の不足分を日本からの借款による、後者日本から清国に売渡し、その改築のための費用を日本より借り入れる、という譲歩をよぎなくされている。結局協定本文には、安奉線が残されただけとなったが、これも軍用軽便鉄道商工業用に改良することは認めるが、18年後には清国に売り渡すべきことが規定されていた。それは安奉線についての日本の権利が、長春旅順間の鉄道とは全く異なるものとして協定されたことを意味していたが、日本側、とくに現地の実権を握る陸軍は、条約には目もくれず、安奉線を駐兵権や附属地を持つ満鉄の支線とすることを 実力で押し切ろうとしていた。

 実際に、満洲よりの日露両軍の撤兵期限である1907年明治40)4月になると、遂に、安奉線上の本渓湖の市街に新たに日本軍が進出し、同時に日本警察官出張所が設置されたとして、清国側からの抗議が提出された。これは前年8月陸軍が主導して在満権益を管轄するために設立された関東都督府(都督は陸軍大将または中将、初代は 大島義昌大将)が、既成事実を作り出しはじめたことを意味した。そして外務当局もこれを追認する態度を示している。日本側のやり方を条約違反とする清国の抗議に対して、同年5月18日林董外相は、安奉線は満鉄の支線であり、守備隊の駐屯や警察官派遣の権利も満鉄と同様だとの態度をとるよう奉天総領事に指示している(7)。それは条約よりも既成事実押し通せ、ということであり、対満洲政策の一つの性格が早くも形作られつつあったことを示している。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 上記のような「条約よりも既成事実押し通せ」という態度は、国際法にのっとった正当なものと言えるでしょうか。

軍と外務当局との関係については、一致することも異なることもあったでしょうが、ここでは両者ともに既成事実化をはかっています。

軍だけに責任を負わせることはできません。

安奉線が朝鮮半島満洲を直結するものとして重視されたことはいうまでもないが、日本側は他面では、韓国北東部に隣接し多数の韓国人が居住する間島地方に、領事館及分館を設立して、韓国人に対する領事裁判権を行使することで、日本の勢力を浸透させることを企図していた。そして清国側が容易に実行しないことを予期しながらも、日本希望を記録しておく意味で、前記「間島ニ関スル協約」に、清国が吉林から間島を経て韓国北部の会寧に達する鉄道建設する際には、吉長線と同一の弁法によることという一項を押し込んでいる。しかし中国側は辛亥革命後も、一貫してこの吉会線構想を拒否しており、満洲事変以前には交渉が成立する見込みさえも立たなかった。

 つまり、日露戦後の対中国政策は、その基礎に、「交渉」によっては解決しえない部分を抱えこむ形で出発しているのであり、この時点においてすでに、中国との平穏な交渉によって、利権拡張を図ることは不可能になっていたと言える。

http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/75_taichugoku.html

 ここまであげてきた行為から、相手国の了承などどこ吹く風といった態度があったことは明らかではないでしょうか。

 つづいて、中華民国期に入ります。

ところで日本が主導しえなかったこうした〔引用者注辛亥革命以後の〕経過の中でも、日本の対中国政策のなかに、様々な特徴が蓄積されてくる点に注目しておかなくてはならない。その第一は、中国全体の情勢を制しえないならば、むしろ分裂を促進して日本が操作しうる地域を造りだそうという発想が生まれてきたという点である。たとえば、在清国公使伊集院彦吉は、1911年10月18日の時点で、清朝にもはや中国全土を統治する力はないとして、「中清ト南清ニ尠クトモ独立ノ二ケ国ヲ起シ、而シテ北清ハ現朝廷ヲ以テ之カ統治ヲ継続セシムヘシ」「何レノ途北清ノー角二清朝ヲ存シ、永ク漢人ト対峙セシムルハ帝国ノ為得策ナリト思考ス(10)」 との意見外相におくり、さらに11月19日になると、清朝の情勢がより困難となりこの三分案の見込みもうすれたとし、第二案として清朝をして「十八省以外満蒙等ノ地域」に国を保持させる、それも駄目で清朝滅亡の際には第三策として新共和国首都を武昌など中国中央に置かしめ「満蒙ノ地域ヲ遠ク辺外二置キ漸ク閑却セシムル(11)」との意見を具申している。それは親日地域の確保のための中国分割という発想に行き着くことになろう。さらに翌12年2月になると、いわゆる大陸浪人川島浪速らが、参謀本部関東都督府と連絡しつつ、北京より脱出させた清朝親王を擁し、蒙古の王公らをも参加させて、満蒙独立国を造り出そうとする画策が実際に行われるに至っている。

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ここでは、一外交官、一大陸浪人の例しかあげられていませんが、後にみるように、国の分裂を促進させようというのは国の政策となっていくのであり、その萌芽がみられることは留意しておくべきでしょう。また、ここでも軍のかかわりがみられるようです。もちろん、他国を分裂させようというのは、相手の了承を得た、国家間の条約を尊重する態度とは言えないでしょう。

この間〔引用者注革命後、1910年代前半の中国情勢の混乱〕に付加された対中国政策における第二の特徴として、中国現地において日本軍人が侮辱されたと日本側が解釈した場合には、「原因の如何にかかわらず」、中国側に責任者の処罰と謝罪を行わせて、日本軍威信を守るという方式が打ち出されてきたことに注目しておかなくてはならない。いわゆる第二革命の 時期に、日本人が被害を受けたとする、漢口・エン州・南京の三事件がおこっている・・・(後略)・・・

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 漢口事件について、古屋論文に基づき、要約します。

 まず、陸軍少尉中国軍の制止を無視して戒厳地区に進入し、一時抑留されました。

 軍からの報告は、「無抵抗の西村少尉らが、理由もなく暴行を受け、軍服をぬがされるなどの侮辱を受けた」というものでしたが、日本の総領事は「これを信用せず、自ら調査して西村らの横暴と暴行について牧野伸顯外相(第一次山本内閣)に報告」しました。しかし、「陸軍中央部は、現地の調査も行わずに、「日本将校凌辱事件」として」、謝罪と賠償利権を要求し、結果として中国側に処罰・謝罪させたものです。

 古屋論文は、このような事例が満洲では蓄積されていたであろうことを指摘し、「このような先例の蓄積は、「日本軍威信」の確保を第一義とするという条件によって、日本の対中国政策が実質的に拘束されるようになってゆくことを意味していた。そしてその翌年の第一次大戦への参戦は、対中国政策にさらに決定的な影響を及ぼすこととなった」と評価しています。

 交渉ごとにおいて、譲歩できないものを必要以上に多くすることは、カードの手札を事前に少なくしているのと同じではないでしょうか。

 つづいて、第一次大戦下の部分をみていきましょう。

第一次大戦下で目に付くのは、前述した鉄道付属経営権や、軍の威信を確保する事件解決方式など、条約面に現れない既得権の高圧的行使や、軍を背景とし、あるいは軍に依拠した陰謀的行動の横行であった。とくに袁世凱が自派による帝政運動組織し、1916年1月1日帝位について洪憲元年と称したのに対して、反対派が第三革命に立ち上がるという事態に対応して、大隈内閣が反袁運動支援の方針を決定したことは、こうした傾向を著しく促進することになった・・・(中略)・・・この〔引用者注内閣の〕方針は具体的には「適当ナル機会ヲ俟テ南軍ヲ交戦団体ト承認スルコト」などをあげているが、実際には山東に居座った日本軍(侵攻以来ワシントン会議後 まで7年以上駐留)や、満鉄守備隊を含む関東都督府の現地軍が関与あるいは支援したことが、最も重要であったと見られる・・・(中略)・・・大隈内閣の反袁政策は、結局のところ、現地日本軍と其の周辺の日本人の横暴への反感を広めただけに終わったようにおもわれる・・・(中略)・・・第一次大戦下の日本の対中国政策は、侵略性の膨張として特徴づけることができるが、列強のすべてが参戦し、中国に手を出すいとまがないという条件のもとで、初めて実現したものであり、従って戦争の終結とともに転換を迫られることは必至であった・・・(中略)・・・日本軍は、青島を攻撃・占領する以前に、ドイツ兵に守られているわけでもない中独合弁の私立会社経営する山東鉄道を占領(26)しているのであり、日本の参戦がたんにドイツ軍事力の打破のみでなく、新たな権益の獲得を目指していることは明らかと見られた。

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 ここでは、中国の内部分裂を促進させる政策を内閣採用しています。政治が、権謀術数やパワーゲームというのはその通りなのかも知れませんが、これに対する中国の、その民衆の反発は至極まっとうなものでしょう。ベルサイユ講和会議における中国の要求が退けられたことから、五四運動へとつながります(中国ベルサイユ条約への調印を拒否しました)。周りにいくら根回しをしても、当事者同士に納得が得られなければ物事は進みません。

 そして、アジアの国際秩序について話しあわれたワシントン会議では九か国条約が結ばれます。

中国政策全体は、領土保全・門戸開放・機会均等というアメリカの主張を柱とする九か国条約規制されることになり、そこには勢力範囲政策を排除することも明文化されていた。

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 このような流れのなか、詳細は省きますが、古屋論文では、「国際的に通用しなくなって」きた「特殊権益」、「勢力範囲」にかわり、「満蒙治安維持」という、関東軍の謀略による満洲事変につながっていく「政策理念」が出てくるとされます。

しかしそれ〔引用者注:満蒙治安維持〕は、他国の一部を自国の利益に従属させるという点では、勢力範囲と同じことであり、中国との対等の関係確立するためには、破棄しなければならない要求であった。しかしそのことは、幣原外交においても、ほとんど意識されることはなかったように思われる。

 それは幣原外交もまた、国民の対中国意識のあり方に規制されていたということであろうか。第一次大戦中に強められ広められた中国に対する侮蔑を基礎とする優越感は、大正デモクラシーによっても解体されることはなかったし、さらにその基底では、満蒙を20万の将兵の血と20億の巨費であがなわれた明治天皇の遺産とみる天皇制意識が形成され、大衆呪縛していたことであろう。現地軍における統帥権独立と、国内における大衆中国侮蔑感とは、対中国政策の構造的改造を困難にするものであった。そしてその大衆意識は、満洲事変への共鳴板として鳴りはじめ、状況を一挙に転換させることになるのであった。

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 ここまでみてきたような、日露戦争から満洲事変にいたる流れをおさえてなお、「相手国の了承を得」た、「条約に基づいた」と表現することが妥当なのでしょうか。ご覧の通り、日本大陸政策に対する軍の関与は明白ですが、まさか防衛大を卒業された方がこの程度の知識をご存知ないとは思いませんので、あの「論文」の内容とどのように整合性をとられているのか興味深いところです。

 さて、このように、一つの論文をみて、「論文」の一部の所説を検討するだけでも結構な手間がかかります。歴史勉強はそれほど甘くはありません。粗雑な「論」を示して誤りはないと言われても困ります。また、「事実小説より奇なり」ということもありますし、歴史学においては、「神は細部に宿る」こともあるので、個人の感覚からおかしいと言うだけでは有効な批判にはなりません。また、学問においては、勉強が足りずに事実認識が間違っているのは、明らかに勉強が足りないことに非があります。今は勉強不足で根拠が示せないというのであれば、その主張は根拠がないゆえに認めれらないのです。いつか証明されるのかもしれませんが、そのときが来るまでその主張に強度はありません。

 ところで、古屋論文の最後に、「国内における大衆中国侮蔑感」の問題が出てきました。今もまた、中国に対する偏見百害あって一利なしであり、中国の実態を虚心にみつめ、評価しなければならない、と私は考えています。

 その意味で、中国の民衆運動について、興味深い論文をみつけたので最後に紹介します。

しかし,中国民衆のナショナリズムとは,つねにそうした「暴力」をともなうものとしてしか実現されなかったのであろうか。そこには多くの場合,「暴力」の受け手の側からするバイアスがかかってはいないだろうか。一昨年の,「反日デモ」についての日本マスコミ報道が,デモの「被害」を強調し,一面的な批判に終始したことも想起される。「歴史」と「現在」を同時に射程に入れねばならない現代史研究者にとって,そして,民衆の運動対象であったわれわれ外国研究者にとって,必要なのはこうしたバイアスを克服し,実証的に中国の民衆のナショナリズムの実態を注視することではないか

江田憲治「民衆運動ナショナリズム1925年の五・三〇事件を手がかりとして―」『現代中国研究』21、2007年、27-28ページ。http://modernchina.rwx.jp/magazine/21/eda.pdf

 私はこの問題意識に全面的に賛同し、実証的な近現代史の議論が進められることを希望するものです。

またしても、このような長文をお読みになってくださった方に感謝します。

 
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