「バカチョンカメラ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バカチョンカメラとは

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2013-08-02

http://anond.hatelabo.jp/20130802011016

たとえば、「バカチョンカメラ」という表現に対して、バカチョンカメラのチョンは、朝鮮人意味しないっていう主張に、個人的には全く同意するけど、あえてオートフォーカスの安いカメラを示したいだけの時に、この言葉は使わないでしょう(単に面倒だからだけど)。

もし、どうしても使いたいのなら「バカチョンカメラのチョンは、朝鮮人意味しないし、差別表現とされるのは不当である」単独で主張するべきだとおもう。

結局、麻生さんの場合も「ナチス」に注意を取られて、誰も趣旨なんか気にしなくなってるから表現として失敗だし、やるべきじゃなかったと思うよ。

2012-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20120831104340

日本人って一括りにするなよ

ネトウヨは同レベルって話でしょ。まぁ老人もバカチョンカメラとか使うけどな

2011-09-15

バカチョンカメラ

小さい頃、シャッターボタンさえ押せば撮影できる安物コンパクトカメラのことを

バカチョンカメラと呼んでいた。

小さかったので、バカチョンのチョンは、

○○ちゃんのちゃんをおどけた感じでいってるのかなーと思っていた。

まりおバカちゃん用カメラバカチョンカメラなのかと。

小学校高学年になった頃、バカチョンという言葉を使うのは朝鮮人差別になるので

使ってはいけないという風潮がやってきた。

あぁ、チョンは朝鮮人を指しているのか、ふむふむと思うと同時に、

なんで朝鮮人差別したらいけないのか分からなかった。

あれから30年

バカチョン洗濯機が増えてきたなぁ。

2010-09-17

http://anond.hatelabo.jp/20100917164151

既に今までの流れで出てきてるだろうが。

んで、このシステムだと「ニグロ」町はどうやってホワイトリストに載せるの?

結局、「ニグロ」と言う単語を使わないようにしないとダメなんじゃないの?

○○への差別語として××が使われつつあるという時点で、アイテム名を差し替えるとか、ストーリーを進めてキーワードを消すとか幾らでも出来る。

ストーリー上、「ニグロ」町を消滅させれば済むだけだろう。

ウルティマオンラインでは「ヘイブン」がシステム的に問題があって吹っ飛んだ。で、「ニューヘイブン」になった。

味噌煮込みうどん」みたいに突然に普段使ってる言葉差別語になるとかありえないので、それと同じことをするのに十分な時間が用意されている。

だから、やばそうだと思ったら、前もって徐々に使うのを止めるわけ?

それも結局、「単語を使わない」選択だよね。

単語を使う」選択が何処にあるんだよ。

ニグロ」が差別語かどうかはネットゲームの運営会社が判断することじゃない

業界の会合で、差別語認定されてから対処しても余裕があるんだよ。

味噌煮込みうどん」みたいに突然普段使ってる言葉が突如差別語として日本中にコンセンサスが取れるとかありえないから。



違うよ。

それまで「バカチョン」「ニグロ」で通じてた会話が出来なくなるんだよ。

できるだろうが。

バカチョンカメラ」って言葉は使われなくなって、その理由として「バカチョン」が差別語だったんじゃないのかって出てきただけじゃねーか。

ニグロ」もしかり。

普通日常会話での自粛によって差別語自然消滅するだろうが。

味噌煮込みうどん」みたいに突然普段使ってる言葉が突如差別語として日本中にコンセンサスが取れるとかありえないから。



何度言わせれば気が済むんだ?

http://anond.hatelabo.jp/20100916194418

かしこれ、アタマワルイって言うか、本当に意味不明だな。

でも、結構多くの人がホメオパシーは効くとする話を知っているし、信じている。

その状況では、「ホメオパシーによる治療」は成立するように思う。

これは、その通りじゃないか。

信じている者が居るから行われていて、それが問題だと言う話。

【「バカチョンカメラ差別用語として働いてしまう」は成立する】のも【「ホメオパシーによる治療」は成立する】のも等しく問題だ。

その他のすべての例示も同様で、「それが成立する事は問題だ」と言う意味で、なんらおかしい所はないし、元増田と同じように使用できる。

何が言いたいのだろう?

2010-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20100916174526

でも、結構多くの人が「バカチョンカメラ」のチョンは朝鮮人だとする話を知っているし、信じている。

その状況では、「バカチョンカメラ差別用語として働いてしまう」は成立するように思う。

2chで「池沼」が差別用語として成立するように。

はあ。また差別者のご登場だ。その理屈を他のものでやってみよう。

でも、結構多くの人がホメオパシーは効くとする話を知っているし、信じている。

その状況では、「ホメオパシーによる治療」は成立するように思う。

でも、結構多くの人が血液型性格に関係するという話を知っているし、信じている。

その状況では、「血液型性格判断」は成立するように思う。

でも、結構多くの人が女は仕事に向かないとする話を知っているし、信じている。

その状況では、「女をまともに雇用すべきでない」は成立するように思う。

でも、結構多くの人が朝鮮人がたやすく犯罪を行なうとする話を知っているし、信じている。

その状況では、「朝鮮人を信用するな」は成立するように思う。

これらが全て寝言になってしまうのは、1行目が論理的におかしいのに、間違ったそれが広まってしまっていることをもって、事実上成立するんだ、と強弁するからだ。

こんなものに対しては、

でも、結構多くの人が「バカチョンカメラ」のチョンは朝鮮人だとする話を知っているし、信じている。

だが、それは間違いだから「バカチョンカメラ差別用語ではない」と言わねばならない。

と言うしかない。どんな理屈も知ったことが、被害があるのなら論理へったくれもない、というのならそれはそれでいい。

ただし、朝鮮人の被害を受けたのだ、と言って卑劣朝鮮人差別を行なう人間がいたときも同じように言ってもらいたい。

理不尽による差別的状況を肯定するのか、否定するのか、どっちなんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100916163044

でも、結構多くの人が「バカチョンカメラ」のチョンは朝鮮人だとする話を知っているし、信じている。

その状況では、「バカチョンカメラ差別用語として働いてしまう」は成立するように思う。

2chで「池沼」が差別用語として成立するように。

http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/50512

blacksorcery 差別 google使って「バカチョン -語源 -カメラ」で検索してみればいいのに。こんな状況でも差別語じゃない? 2010/09/15

http://b.hatena.ne.jp/blacksorcery/20100915#bookmark-24900596

sadamasato sadamasato 差別問題 「語源」や「定義」にこだわることで、何かを免罪しようとするのは見苦しいなぁ…… 2010/09/15

http://b.hatena.ne.jp/sadamasato/20100915#bookmark-24900596

"「レンズ付きカメラ」を「バカチョンカメラ」って呼ぶのは「チョン」朝鮮人を指す"というのはおかしい、というこの話で、よくもまあこんなこんなこと言えるもんだと思う。

そもそもの「バカでもチョンでも」の意味朝鮮人が関わっていないことは分かりきっている。それこそ検索してみればいい。

その上で、朝鮮人に対する侮蔑として、「馬鹿朝鮮人」として「バカチョン」を使うのは、もちろんダメに決まっている。

理由1、バカチョンのチョンは朝鮮人ではないから。間違いはダメに決まっている。

理由2、理由1が無かったとしてすら、ひとに侮蔑表現を使うのはそもそも好ましくないから。言うまでもない。

馬鹿朝鮮人」として「バカチョン」を使うのはどうぞ、いくらでも禁止すればいい。

かしここに出てきた馬鹿たちは、それを禁止しろと言っているのではない。朝鮮人と関係があろうがなかろうが「バカチョン」全てを禁止しろ、使うな、といっているわけだ。そんなもの理屈が通っているはずはない。

「こんな状況でも差別語じゃない」? カメラに使うバカチョンと朝鮮人差別のバカチョンは違うのだ、と何度も述べられているのに、片方が差別語だったらどうだというのか? 正気とは思えない。「知障」の意味で使うやつがいるから池沼差別語として禁じろ、とこいつは言うのか。

「何かを免罪しようとするのは見苦しい」? 例えば「バカチョン」と人を罵ることを誰が免罪したのか? 例えば朝鮮人差別を誰が免罪したのか? ここで為されたのは「朝鮮人差別とは関係のない『バカチョン』は、朝鮮人差別の名で潰すべきでない」ということでしかない。もはや何が問題かさえ理解していないのではないか。

理屈も通らないのに、人のやることに難癖を付けて止めさせるというのを彼らは実に好んでいるらしい。

朝鮮人を不当に罵るバカと、彼らは全くの同類だ。

2009-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20091215185518

関係ないけどバカチョンの意味を未だによく知らなかったから、wikiってみたらこりゃひどい。

バカチョンカメラとか初めて聞いたのはここ数年。

すごく古臭い言葉の響きだから使ってる人のいない死語だと思っていた。

2009-09-08

バカチョンカメラってバカでもチョンでも使えるカメラということではなかったっけ?

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん