はてなキーワード: あまつさえとは
Twitter(現X)にて摂食障害を想起させる表現の萌えイラストがプチ炎上している件についてお気持ち表明しようと思う。
自分は“拒食症”の当事者であり、“未成年を性的に消費する表現”を好むキモオタクだ。
この“表現”には非合意の性行為やいわゆるリョナ系など、かなり非道かつ加害性の強いものも含まれている。
したがって当該イラストで不快になってしまった他の摂食障害当事者よりもかなり“オタク”側に肩入れした内容になってしまうと思う。
正直なところ当該イラストに対しては非常にネガティブな印象を持っているし、うっかり引用批判ツイをRTしてインプレッション稼ぎに加担したくない!とまで思っている。
そしてそれと同じぐらい、“摂食障害(≒不謹慎・鬼畜系)萌え”そのものには肯定的である。
そもそも“摂食障害萌え”は四肢欠損萌えと同程度に不謹慎かつ後ろ暗いものである。
「達磨っ娘を優しく介護♡ついでにセックス!」のような作品の場合は作者や作品の愛好者自身がその“後ろめたさ”を自覚した上で相応の配慮を以てそれらを面白がっている。
他人の不幸や不自由さ、苦痛を“萌えジャンル”に落とし込み、あまつさえ性的に気持ち良くなっているのだから当然だ。
そういった表現に興奮してしまうオタクは自身の性癖と倫理観の板挟みとなり常に葛藤しているし、「不快になる人の目に触れないようマナーを守ってひっそり楽しもう」というスタンスを表明することで半ば強引に折り合いをつけている。
ところが、当該イラストの作者からはそういった後ろめたさや罪の意識が感じられないのだ。現在進行系で多くの人間を苦しめ命を奪っている病をズリネタにしているという自覚がないのではないか。
特殊ジャンルの愛好者としてはそのノリの軽さが倫理観の欠如に見えてしまう。
上記はいちオタクの立場で抱いた違和感だが、摂食障害の当事者が感じた憤りは「病気に対する偏見と無理解」によるものだと考えられる。
摂食障害当事者を苦しめているのは症状そのもの以上に、この偏見や無理解なのだ。
摂食障害と言うと多くの健常者は“ガリガリに痩せた拒食症の若い女性”を想像すると思われる。
しかし、当事者の多くは(その痩せこける過程を経た者も含めて)それとは真逆の過食に転じてしまっている。
念のため補足しておくと、摂食障害における「過食」とは筋トレ垢とかの言う「チートデーでラーメンの後にアイスを2個も食べちゃった♡」というレベルのものではない。
自分自身はまだ慢性的にその症状に振り回される段階に至っていない(あるいは過食をせず順当に回復している、極めてラッキーなレアケースである)ものの、「拒食より過食の方がツラいし恐ろしい」とは常に感じている。
また、これも多くの人が誤解していることだが、自身に厳しい食事制限や過活動を課している段階の「拒食症」の人間の多くも食欲を失っているわけではなく、むしろ常に底なしの食欲に苦しんでいる場合がほとんどだ。
拒食症の症状の1つに「満腹/空腹が分からない」が挙げられるが、この表現は適切ではなく、正しくは「常に飢餓状態で、食を強く意識している状態がデフォルト」である。
1年365日24時間食べたくて食べたくて仕方ないのに、肥満恐怖など何らかの理由から、常につきまとうその異常な食欲を理性や“マイルール”で無理やり抑えつけ、“体型、ないしは正しい食生活をキープ”しているのだ。
(摂食障害のきっかけがストレスや消化器系疾患による食思不振であるケースもあるが、それに関してはここでは割愛)
ゆえに、摂食障害の当事者は「神経性無食欲症」という呼称に極めて強い違和感と不快感を持っているし「拒食症になったら食欲がなくなって痩せられるんでしょ?アタシも拒食になりた〜い♪」という言説にも過敏に反応してしまう。
「食欲を失えるなら他に何もいらない」と本気で思っているし、そのために健康や人生そのものを犠牲にしているのが我々だ。
食欲を抑制するために糖尿病治療薬などを服用する者、「食欲に負けて」食べてしまったらここでは到底書けない手段で帳消しにしようとする者。
そんな当事者らにとって「拒食=食思不振で意図せず嘔吐したり痩せる病気」という誤解を助長する表現は看過し難いものである。
さらに、作者が女性である点も当事者の気持ちを逆撫でしたと思われる。
個人的には、健全な家庭に育ち愛する夫との間に子供をもうけた腐女子が“経済的・文化的な貧困から春を鬻いだ結果望まぬ妊娠をしトイレで1人出産して逮捕される受け(未成年)”を「カワイソウな受けちゃんがスーパー攻め様に見初められ最終的にラブハメに至るシンデレラストーリー♡ハピエン!」と宣い軽いノリで出してきた、ぐらいのグロテスクさを感じる。
自身の属性が性的なコンテンツとして消費されることへの単純な嫌悪感は当然に存在しているものの、その程度のことならば引用で叩くほどではないし、むしろ本人に直接クレームをつけている方こそ非常識だ。
また、特殊性癖や萌え表現が不当に攻撃されることもあってはならないことだ。
それでも、どうしても、オタクと摂食障害双方の当事者として、この文章を公開せずにはいられなかった。
【追記】
女アピールしたところで「だからなんだってんだよ」としか言いようがないけど。
「嫌なら見るな」は本来、「不愉快な表現の排除を正当化すると自身のズリネタも対象となりかねないので、自分を守るためにもお互いに干渉しないようにしましょう」という主旨のオタク同士を想定したマナーなんですよね。
騒動の発端となった引用ツイの女性(少女?)は「不快にならないよう配慮」されるべき「一般人」側なんじゃないかと思う。
かつては無条件に配慮される側であった非オタクも、「自分が気に入らないからといって他人の表現を排除する権利はありません」という意識を持つべき時代になったとは思うけど。
作品をインターネットで発表する以上、他人にそれを伝えることが前提になっているのだから「私は他人のお気持ちにも配慮しています」という建前と言うかポーズは大切だと思うし、今回炎上した人はその点が欠けているように感じた。
また、マイノリティを題材とする作品に対し、差別や偏見を助長する描写や対象への理解の浅さを突っ込まれるのは当然のことだ。
これが摂食障害でなく特定の人種や職業などを想起させる表現ならもっとそのセンシティブさが理解しやすいと思う。
他にも実際に起きた事件や災害、戦争など「浅い理解で軽率にネタにするべきでない、取り扱いに相応の注意を要する題材」はたくさんあるけど、摂食障害もそれに該当すると思う。
「受けちゃんのハピエンを引き立てるスパイス」として軽いノリで無邪気に消費することに慮りのなさを感じざるを得ないと言うか、最低限配慮してます弁えてますアピールを要すると言うか…
さらに、「対象への愛のないズリネタ扱い」がそもそも同人界隈で死ぬほど嫌われる態度だし、当該作品には摂食障害当事者の視点よりもむしろオタクの立場からの違和感が強い。
「自身の属性が性的に消費されることへの嫌悪感」についてぴんと来なくても「自分が受けポジションにされるのが嫌」と言い換えたらすんなり伝わる人多そう。
「性的客体化」はどんな形であれ対象の心情や名誉、尊厳を傷つける最低の加害行為だという自覚と罪悪感を持った上で同人活動をやろうね!
結論→“取り扱いに注意を要する題材を、対象への理解や思い入れもないくせに安易なエロネタ化・感動ポルノ化し、さらにその加害性も認識していないと思われる態度”が気に入らなかったので長文お気持ち表明をしました
どいつもこいつも発達障害というレッテルを貼れば、世の中の気に入らない連中を「はったつ!w」で駆逐できると思ってるし、あまつさえ「オレは買われたよ、コンサータで」というクソ宗教もどきな手法で発達障害を金儲けのツールにした「自称専門家」が講演会や出版で金を巻き上げるのと違って、人格障害者へのナレッジを社会が蓄積する機会がないのはなぜだろうか?
そりゃー、もう簡単である。人格障害者は「自分が病気かも?」と思うことはないし、けっして会社や組織で浮いている理由に思いを馳せないし、あまつさえ「社会が変わるべき!」とすら思ってる他責思考だし、発達障害と違って病院に行っても医師が相手してくれないからだ。人格障害者は不治の病だからだそうな。かわいそうにね。
というわけで、増田諸君!もっと、人格障害について語ろうではないか!君たちの熱い人格障害の体験談を書き込んでみよう!もちろん、ここでな。
観察の結果、そう思うようになった。
もちろんあくまで女性一般に思うことであって、女性だから当てはまるということもないし、男性だから当てはまらないというわけでもない。
傾向としてそう認識しておくと、色々すんなり理解しやすいという話。
先に男性について書くと、男性にとっては自身の心身の状態がフラットにあるのが普通であって、気分が盛り上がったり盛り下がったりするには、何か原因となる出来事(ないし薬物)が必要になる。同じく体調の良し悪しにも原因となる怪我や病気、もしくは精神的な不調があるのが当たり前だ。
だから男性の世界観においては、心身が普通の状態が当たり前であって、心身の不調に対しては何か異常な原因がある、という認識が至極当然のものとして生まれる。
それは「心身が不調ということは何か異常があるのだから、その異常を取り除かなければばならない」という思考につながる。
この思考が原因となる衝突が、男女間にはとても多い。
対して女性にあっては、主に生理周期の影響で心身がフラットな状況にあるのは限られた期間・時間であり、何も特別なことがなくても気分や体調の上下は自然現象として起こるもので、それが普通の状態である。
根本の原因はあるものの、解決不能なものだ。(ここでピルの存在を上げるのは論外)
気分が落ち込んだりイライラしているからといって、何か特別な出来事があったとは限らない。どうしようもなく、何の理由もなく気分は落ち込むし、イライラする。個人差はあれ、それが日常だ。
しかし男性はそれを見ると、「なぜ解決しないんだろう?」とか「解決してあげよう」とか考えてしまう。だってそれは異常な状態のはずだから。異常を取り除けば普通の状態になるはずだから。そうすべきだから。
あまつさえ、その個人差を見て「あの人は性格が良い」「いつもイライラしていて心が狭い」みたいに評価してしまう。だってそういうふうにしか見えない。異常を取り除いていけばイライラしたり怒ったりせずに済むのに、それをしないのは頭が悪いか、他人への影響を考慮しないからだろう。そんなふうに考えてしまう。
男として擁護するなら、なんというか、こう、
雨が降るたびに容れ物持って外に出て雨水集めてる人がいたら、不思議に思うでしょ? 川に水汲みに行ってくるとか言われたら、何で?ってなるでしよ?
水道がないなんてこと、水道が当たり前の国に住んでたら想像つかないのよ。
そんな感じ。
話を戻すと、
だから女性にとってフラット〜良い心身の状態というのは、限られた資源であり、また積極的に獲得していく必要のあるものになる。
ネイルもヨガも占いもインスタ映えも、そのための活動であって、そうした必要性と合理性で存在している。
「イライラすることがあったから、ネイルに行って気分を上げる」
これに対して、「イライラの原因を取り除こう」なんて言ってはいけない。
「根本的な対応をしないと、イライラすることを繰り返しちゃうんだから」なんて思ってはいけない。
イライラはするのだ。どうしようもなく。
なんならキッカケへの対処なんて終わっていたりするのだ。
でもキッカケでしかないから、イライラはイライラで対処する必要があるのだ。
Aが起きたらBが起きる。
男性の世界観では常にそれが成り立ったとしても、女性の世界観ではAがなくてもBが起きうるし、AによってCが起きることもある。再現性は薄い。
そうした不確かな世界に生きていると、科学や占いに対する捉え方も当然変わってくる。
他者からの自分の見え方を重視するのも、ネイルや化粧にこだわるのも、自身の不安定さを外側から支えるため。そこには切実な必要性がある。
そういう風に思っておくと、だいたい上手くいく。
上手くいかない時もある。
この増田というかこれについた反応やブコメを見て思ったんだけど、適当な定義で強い言葉を振り回してる人間多すぎ
「人間扱いしていない」 だぞ?
人間扱いしていないっていうのは、ためらいや罪悪感を持たずに人をぶっ殺すとか、人身売買とか、完全な無視(存在の否定)とかそういうのだろ
人間扱いとは
だの
だの
若い女性に初対面で「おっぱいおっきいね。何カップ?」とか「彼氏いるの?」とか聞いちゃうキモいおっさんだって相手をセックスの対象としてみてるんだからこの上なく人間扱いしてるだろ。
逆に、電信柱とかカクレクマノミに対してナンパしたりセックスしたがるやついるか?
なんで性欲向けたら人間扱いしてないことになるんだ?
初対面のおばあちゃんと話すとき、そのおばあちゃんがどこからどうみても一般庶民おばあちゃんだったときと英国の女王だったときで対応変えないやついるか?
変えないやついたらそっちの方がやばいだろ。
相手の属性で振る舞い変えるなんて日常のあらゆる場面で誰でもやってるし、それは「人間扱いしてない」ことにはならない。当たり前の話。
美人(イケメン)と不細工で態度変えないやつはいても、そいつが常に相手の属性で態度を変えないわけじゃないってこと。
いや大抵の場合、相手の人格を無視してようが軽視してようが否定してようが、人間としては扱ってるだろ
人格を無視してたとしても、相手を目覚まし時計やオムライスのように扱ってるわけじゃないんだから
相手の人格の存在そのものを認めていなければ、人間扱いしてないと言えるかもね
ここまで読んで「ごちゃごちゃ屁理屈こねんな。そういうことじゃないんだよ」って思ったやつ。
もう一回よく考えてみて
なんでこんな攻撃力高い言葉を自分の都合で勝手にハイコンテクストな定義をつけて、あまつさえそれを他者に向かって投げつけてんの?
そっちの方がよっぽど醜悪だろ。
「性欲を向けない」でも「属性で態度変えない」でも「人格を尊重」でもいいけどその定義はどこでコンセンサス取ったの?
いいか?
「若い女性というだけで性欲の対象として見る」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「性別や年齢や国籍、美醜など、相手の属性で態度を変える」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手の人格を尊重しない」 ことは 「相手を人間扱いしてない」 ことではない
「相手を人間扱いしてない」 って言葉の意味は 「相手を人間扱いしてない」 ってことなんだよ
わかった?
タイトル通りの問答をする人、できることならしたい人だけ読んでください。
【犬が大嫌いな理由】
・幼少期に噛まれた
・散歩中の犬とすれ違うとき、急に吠え掛かって来たり突進して来たりするのが予測不可能なのでかなり恐ろしい
・急に吠え掛かられたとき、走って逃げながら反射的に情けない叫び声が漏れてしまい、恥ずかしいことこの上ない
・吠え声が日常の音として許されるレベルを遥かに超えてうるさすぎるので、電話越しですら人とのコミュニケーションに障害が生じる
・息の音もうるさい
・白目が生々しくて気持ち悪い
・外を歩いて足が汚いのに家に平気で入っているのがおかしい
・犬が道にした糞を飼い主が喜々として片付けている光景があまりにも異常
・ヨダレがどう見ても明らかに汚いのに、飼い主は体中をベロベロ舐められても平気にしているどころかむしろ喜んでいる場合もあるため、衛生の感覚が裏っ返ってしまっているとしか思えない
・飼い主の「うちの子自慢」が非常に押し付けがましく、自己紹介や年賀状などに有無を言わさず捻じ込んで来るので圧を感じて怖い
・飼い主の家の玄関に脱出防止用の柵があり、それを来客にわざわざ跨がせるのが失礼極まりない
・ペットOKのアウトレットモールで歩いている時にちょうど足元に犬が挟まり込んできたせいで尻尾を踏んでしまい、赤の他人の飼い主ばあさんに半泣きブチギレ大説教を長時間カマされたことがある
・犬という言葉が「下賤の物」を表す悪い例えで使われることが多いのにはそれ相応の理由があるにも関わらず世の中にこれほどシェアが広がっているのは、どう考えても間違っている
・「忠実」的な側面を誇張した海外アフレコ再現ドラマでワイプの雛壇タレントがブーブー泣いてる様子がゴールデンタイムに放映されており、飯がマズくなる
・社会の全員が犬を好きで当たり前という風潮があり、嫌いであることをカミングアウトすると異常者扱いされることもあって肩身が狭い
【猫が大嫌いな理由】
・それなりに重度の猫アレルギーを持っているので、同じ場にいたり痕跡があったりするだけで症状が出てしまう
・学生時代に塾でバイトをしていた時、受け持っていた生徒の制服のカーディガンの背中に毛がベットリ付いていたせいで勤務中に皮膚と目のかゆみが止まらなくなったため、保護者連絡用のファイルに服の毛を取り除いてから登校させるよう書いて伝達したら、LINEのアイコンを猫の画像にしている上司に知られて何故かブチ切れられた
・正月に親の実家に行った際に寒くてすぐにこたつに潜り込んだら中に猫がいてかなり驚かされた上、数十分後に目が真っ赤に腫れた
・親の実家の猫がゲボを吐いたのを目撃してしまってドン引きしていたら祖父がさも当たり前のように笑いながら素手で片付け始めたので、狂気を感じてしまった
・サカリのついた近所の野良猫の鳴き声が夜に聞こえる場合、気持ち悪いどころか睡眠に悪影響が出る
・傲慢不遜かと思えば缶詰の匂いに当てられて媚びて擦り寄って来るような浅ましい態度を一介の畜生が何の意図もなくやっていること自体が極まりなく不快だし、あまつさえそれを理由に人気を獲得している現実が気味悪すぎる
・何をしても「かわいいから許される」という、頭にテントウムシでも湧いているとしか思えないような超理論を世の飼い主たちが我が物顔で振りかざし続けているのが宗教的で異常
・「うちの子自慢」が犬のそれより偏愛めいていてキツく、辟易どころかアレルギーアピールによる自衛をする他ない
・社会の全員が猫を好きで当たり前という風潮があり、嫌いであることをカミングアウトすると異常者扱いされることもあって肩身が狭い
最初に自己反省だが、かつては自身もそうであった。ブクマカのつけるコメントを見て、ダブスタなどと煽ったり、やれパヨクだの、やれ元記事読まずに脊髄反射だの、散々バカにしてきた。
今でも、そういう明らかに本筋を読み違えているコメントがスター集めているのを見ると、スター付けてる奴らは何を考えているんだろうねえ、など思うが、コメントがいかに私の意見と異なっていても、そして世間的にはどマイナーだったとしても、少なくとも意見を煽り散らす、あまつさえ、それがあたかもブクマカの総意であるかの如く取り扱って「これだからブクマカは」などということは恥ずかしいことだ、と自己反省した。
おりしも、ガイドラインが制定されて「いたずらに侮蔑的・冷笑的な内容、ユーモアの域を超えた皮肉やマウンティングの要素を含むコメントの投稿は推奨するものではありません。」と指摘されているように、ブクマカの意見が、たとえそれがどんなに稚拙で、思慮に欠けたものであったとしても、自身が攻撃されているのでなければ、尊重、とまではいかずとも排斥すべきではないと思われた。ましてや十把一絡げに「ブクマカw」などと煽るようなコメントはクソダセェと感じた。
さらに私もブクマカの端くれであるから、「ブクマカw」というのは自身への攻撃でもあるし、それが図星であってもなかっても、非常に不愉快である。「お前もブクマカだろwww」などというと同じ煽りにしかならないので、なぜそう判断したのか、何を指してブクマカ全体への指摘としたのか、具体的に問うてみたい。が、残念ながらガイドラインでは「議論はするな」「そういう奴は黙ってミュートしろ(意訳)」と述べているので、そして大人だからそういう「ブクマカw」などという輩はスルーするのが正しいのだけれど、だったら「建設的API」とやらで、スターがつこうが人気コメントには上がって来ないようにいてほしいよなあと思う。
しかし、「ブクマカw」などというブクマカの仲間にも入れないような冷笑が、なぜブクマカ全体をバカにするコメントを残すのだろう。やはり不愉快でしかない。
元ツイは消されてる
https://togetter.com/li/2189001
原作ファンからは圧倒的に不評だった部分に理解を示し、「何が不満なのかわからない」とした。
このアニメについて、監督のやったことに対して全面的な支持をしている感想を初めて見たので驚いた。
面白い作品というものには人それぞれ琴線に触れる部分が違うとは言え最大公約数的な解釈が存在しており、メディアミックスの際はそれを表現するだけで大多数の人間は納得するものだと思っている。
特にこれだけ人気な作品であれば“面白さ”のサンプル数も豊富にあるのでみんなが求める像をイメージするのは難しくないと考えてしまう。
しかしこの方のように世間大衆の“面白さ”の感覚を持たない人間が一定数存在しており、あまつさえ監督なんかに抜擢されてしまった暁にはこんなに恐ろしいことが起きてしまうんだと…
誰であれ商業に振るか作家性に振るかで結果は大きく変わるものだろうが、この方と監督に関しては本当に面白いものを追い求めた結果としてああなってしまうのだなと悲しい気持ちになった。
製作委員会のみなみなさまにおかれましても商業的な失敗は望むものではないと思うので、是非メディアミックス作品の監督選びの際は大衆を汲んだ人選をお願いいたします。
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
ジャニーズファンの友人がいる。彼女は子供のころからジャニーズが好きで、それこそ知り合いであるこの数十年、ずっとジャニーズ所属のタレント・グループをおっかけている。
本命の最推しグループはあれど、他にもいくつもファンクラブに入っていて、数グループかけもちしてる。
その姿をずっと見てて、好きなものを好きと言えるのはいいことだよねーと思っていたし、一緒にライブ連れてってもらったこともあるし、話聞いてるからメンバーやグループのこと私もそれなりに知ってるから応援する気持ちはあるんだけど、最近どうしても気になることがある。ジャニーズ性加害問題に関心が低いんだよ。いや、低いと言うより認めていないというか…。
私は昔からジャニー氏の性加害問題や経営陣の噂が気になっていて、いまいちジャニーズを推す気になれなかった。某氏の激太りや某氏の鬱っぽいうつろな瞳、某氏の休養、某氏の脱退、なんか心を病む子が多くない?と思ってたし、そういったことを見てきて、おかしさや違和感みたいなのはずっとあった。
所属タレントを色眼鏡で見てるとかそういう訳じゃなくて、単純に心配だし怖い。自分も痴漢や付き纏いの被害にあったことがあり、それだけでも暫くは人が怖くなるくらいの気持ちだった。性被害というものは心に傷をつける。それが小学生や中学生(勿論もっと大きくても)の子の身の上に身体接触をもって起きたと思ったら、泣きそうにつらい。先日8歳からジャニー氏の加害に晒されたというインタビューを読んだ。つらい話だったし、その手段のおぞましさたるや…という内容だった。私の兄にも子どもがいる。甥が夢見て芸能界に入って、知識も経験も乏しい中性加害されたら、耐えられない。
男性が性被害にあうことは非常に表明しづらいことなんだと思う。被害者の多くはもう大人になって社会的な地位や知名度もある。家族がいる人もいるだろう。だから対世間に向けて全部を公にしろ、とは全く思わない。セカンドレイプにもなり得るし不幸の再生産だ。でも当事者側は全く違う。事務所側が調査をして事実関係を把握して、被害者には謝罪や補償をしたり、事実関係に基づいて責任の取り方を考えることは必要だと思う。
1番許せないのは加害者本人。次いで見て見ぬふりや助長をした関係者だと思う。関係者はまだ生きてるんだから、本人が亡くなったのでもーわかりません!は許されないと思う。
それでいくと、友人はジャニーズへの依存が強すぎて、擁護というか、事務所側の気配がある。
先日会った時もジャニーズはエンタメにおいて重要な存在、ジャニーズが好き、と話していて、その屈託のなさに怖くなって、長い間聞いてた話が急速におぞましく思えてきた。この騒ぎになっていても何もなかったみたいな態度なんだ…って。別にファンにも加害責任が!どうするつもりだ!とまでは言わないけど、不信感がつのる。軽く、「ニュースになって騒ぎになってるよね」と世間話的に出してみたら、ジャニー氏や事務所の功績を引き合いに出してきたので、あ、もうダメかもと思った。
かつて、ジャニー氏が死んだ時に、あんまりに世の中が氏を持ち上げるのでなんかなぁと思って彼女に性被害問題はどうなるんだろうって話したことがあるんだけど、その時も「そうだよねぇ〜」って流されて、しばらくしたら某グループが氏との思い出を歌にした話をされた。その的外れで危機感のない会話の流れに感じたゾワゾワ感が蘇ってきた。
なんで私がもっと直接彼女にこの話をしないかって、ガチトーンでジャニーズ性加害問題を持ちかけても、以前のように流されるか、気を損ねるイメージしか持てないから。あまつさえTwitterで彼女がリツイしている「告発者だって後ろ暗いところがある」的なセカンドレイプみたいな話を真正面からされてしまったらどうしよう。そこまでいったら彼女も人の不幸をエンタメで搾取する「あちら側」で、もう話すのも嫌になってしまう。
ジャニーズファンの友人がいる。彼女は子供のころからジャニーズが好きで、それこそ知り合いであるこの数十年、ずっとジャニーズ所属のタレント・グループをおっかけている。
本命の最推しグループはあれど、他にもいくつもファンクラブに入っていて、数グループかけもちしてる。
その姿をずっと見てて、好きなものを好きと言えるのはいいことだよねーと思っていたし、一緒にライブ連れてってもらったこともあるし、話聞いてるからメンバーやグループのこと私もそれなりに知ってるから応援する気持ちはあるんだけど、最近どうしても気になることがある。ジャニーズ性加害問題に関心が低いんだよ。いや、低いと言うより認めていないというか…。
私は昔からジャニー氏の性加害問題や経営陣の噂が気になっていて、いまいちジャニーズを推す気になれなかった。某氏の激太りや某氏の鬱っぽいうつろな瞳、某氏の休養、某氏の脱退、なんか心を病む子が多くない?と思ってたし、そういったことを見てきて、おかしさや違和感みたいなのはずっとあった。
所属タレントを色眼鏡で見てるとかそういう訳じゃなくて、単純に心配だし怖い。自分も痴漢や付き纏いの被害にあったことがあり、それだけでも暫くは人が怖くなるくらいの気持ちだった。性被害というものは心に傷をつける。それが小学生や中学生(勿論もっと大きくても)の子の身の上に身体接触をもって起きたと思ったら、泣きそうにつらい。先日8歳からジャニー氏の加害に晒されたというインタビューを読んだ。つらい話だったし、その手段のおぞましさたるや…という内容だった。私の兄にも子どもがいる。甥が夢見て芸能界に入って、知識も経験も乏しい中性加害されたら、耐えられない。
男性が性被害にあうことは非常に表明しづらいことなんだと思う。被害者の多くはもう大人になって社会的な地位や知名度もある。家族がいる人もいるだろう。だから対世間に向けて全部を公にしろ、とは全く思わない。セカンドレイプにもなり得るし不幸の再生産だ。でも当事者側は全く違う。事務所側が調査をして事実関係を把握して、被害者には謝罪や補償をしたり、事実関係に基づいて責任の取り方を考えることは必要だと思う。
1番許せないのは加害者本人。次いで見て見ぬふりや助長をした関係者だと思う。関係者はまだ生きてるんだから、本人が亡くなったのでもーわかりません!は許されないと思う。
それでいくと、友人はジャニーズへの依存が強すぎて、擁護というか、事務所側の気配がある。
先日会った時もジャニーズはエンタメにおいて重要な存在、ジャニーズが好き、と話していて、その屈託のなさに怖くなって、長い間聞いてた話が急速におぞましく思えてきた。この騒ぎになっていても何もなかったみたいな態度なんだ…って。別にファンにも加害責任が!どうするつもりだ!とまでは言わないけど、不信感がつのる。軽く、「ニュースになって騒ぎになってるよね」と世間話的に出してみたら、ジャニー氏や事務所の功績を引き合いに出してきたので、あ、もうダメかもと思った。
かつて、ジャニー氏が死んだ時に、あんまりに世の中が氏を持ち上げるのでなんかなぁと思って彼女に性被害問題はどうなるんだろうって話したことがあるんだけど、その時も「そうだよねぇ〜」って流されて、しばらくしたら某グループが氏との思い出を歌にした話をされた。その的外れで危機感のない会話の流れに感じたゾワゾワ感が蘇ってきた。
なんで私がもっと直接彼女にこの話をしないかって、ガチトーンでジャニーズ性加害問題を持ちかけても、以前のように流されるか、気を損ねるイメージしか持てないから。あまつさえTwitterで彼女がリツイしている「告発者だって後ろ暗いところがある」的なセカンドレイプみたいな話を真正面からされてしまったらどうしよう。そこまでいったら彼女も人の不幸をエンタメで搾取する「あちら側」で、もう話すのも嫌になってしまう。
2ちゃんねるにブラック企業のことを書き込んだら、誹謗中傷で開示請求がされて通ってしまった。その結果、裁判こそおこされていないが、不定期でその会社のロゴの入った封筒が届くようになった。開封したことがないので、何が入っているのかわからない。
どうしてこんなことになったかというと、その会社でアルバイトをしていたからだ。その会社はテック系のスタートアップだったのだけど、そこの社長はチヤホヤされたいから起業したようだった。そのため、その時期にバズった技術を学生インターンにヤラせて「オレは凄いでしょ?」みたいな何かを作って、本を出したり講演会をしたりすることで、資本金を募ったりアイドルとセックスをしたいようであった。
自分はそのことがゆるせなくて、匿名でめちゃくちゃに暴露しまくったら、名前と住所がバレてしまった。そこの社長はアウトローで違法薬物の自慢や未成年に対する性的搾取を自慢してきて、あまつさえ外国籍の労働者の紹介を未許可でしていた。自分も違法なことに巻き込まれたのだけど、所轄の国家機関に報告しても動いてくれなくて、ネットに書き込んだらこのザマだ。
それで、冒頭の内容なんだけど、自分がコロされたらその会社の悪事を世の中の人に知らしめたいと思ったのだ。いちおう、カネはあるので弁護士とかに資料を預けといて、問題が起きたら小説なりドキュメンタリーにでもしてくれてほしいのだ。そいつに殺されたら、ただの殺人事件にはならないからね。ただ、ちょっと、これが最善なのかわからないのだ。それで、賢明なる増田の諸君たちよ、殺されたら確実にネタとして提供できる方法を教えていただけないだろうか。
このままだと、オレは無様に殺されて、消えてしまうかもしれない。どうしても、それだけは避けたい。
一言で「見られたくない」というが、「見る」方からしても様々なレベルがあるわけで
普段は嘘ついたり人貶めたり傷つく様な言葉吐いたりして他人を攻撃しまくってる癖に
いざその事に対して反撃されたり糾弾されたりすると
「私みんなからイジメられてるの~攻撃されてる被害者なの~!」ってアピールしまくる人ってホントに何考えてるんだろね?
テレビに出てる様な有名人から職場の(非常に)困った構ってちゃんまで、有名無名問わず一定数いる
自分がやってる事は自分が一番分かってるハズだから嘘ついたり攻撃してることも分かってると思う……し
自分が間違ってないって思ってやった事でも色んな人からおかしい、間違ってるって言われたらちょっとは間違ってるかも……
って普通の人間なら思うものだと思うんだけど、少なくとも客観的には自己反省しているようにはまるで見えない謎
まーその自己肯定感が強い所はある意味憧れる部分もあるにはあるんだけど、そういう人に迷惑かけられたり振り回されたり
あまつさえ被害を受けてるのはこっちなのに「あいつが悪いの~」って攻撃されて加害者扱いされる側の人間としては
迷惑だし神経分からんし何よりも何を考えているのか本当に分からなくて気味が悪くて仕方がない
被害を受けてるアピールをすれば必ずと言っていいぐらいヨシヨシ慰めたりするクソ男やカス女も悪いっちゃ悪いんだけど
多分被害者アピールすれば周りが味方してくれるってある程度学習しているから社会に出てもどんな場面でも自分が不利だと感じると
すかさずアピールするんだけど、それでもそのアピールの中に本気で「私は全然悪くないのに~!」っていう本音や怒りや悲しみが垣間見えて
ムカつくとか通り越して恐ろしいし不気味だし本気でキモい、気色悪い
大体良い歳こいたのがやってるのもあって余計に気持ち悪い
満たされた現代でここまでセルフ不幸に突っ走る中年ロスジェネ子どおば不幸過ぎて涙止まらん
経験者が書くならまだしも、未経験側の人間の言葉はここまで軽薄で無意味な文字の羅列に成り果てるのか
幼稚な精神性のままひとりで子供部屋に篭って世を恨み人を恨み、あまつさえ未経験の他人の選択肢を「経験しなくて良かった」などと放言する余りにも醜い肉塊
哀し過ぎる中年
オタク女界隈で社会的にその表現がどうなのよ?という話になった時に「なんであれを受け入れるの?声をあげないの?」問題にぶち当たるわけなんですけどその描写にまつわる問題が理解出来ていないという訳でなく、私が脛にデケー傷を抱えてるからに他ならず「描写の社会的な正しくなさ」を発信する時に私はいつも「自分自身の社会的な正しくなさ」にのたうち回っているうちに発言するタイミングと言葉を見失っているからです。
どういうことだよって言うとつまり、私はニ次元的なフィクションにおいて「チャイルドマレスター的な想像」を好んでいるオタクなわけですよ。
「未成年の少年」のニ次元キャラクターをバリバリに性的に搾取しているんですね。見た目が大人っぽいから大丈夫でしょなんて言い訳効きません。私は彼らが未成年であるという設定から生まれる状況に興奮しますし彼らが未成年であるということは彼らを構成する大事な部分と私は捉えています。
あまつさえその年齢の彼らの性的なフィクションを制作しているのですからどう考えてもニ次元に対して私は性倒錯者で小児性愛者と言えるでしょう。その上私は自身がヘテロセクシャルの女性であるにも関わらず同性愛者のセックスを想像して創作する搾取者でもあります(もちろん私は私の空想の中では自分を彼らと同い年の少女だったり建物の壁だったりと想像しますがそれでも現実の私は一介の成人女性であることは変わりません)
この事実は私に社会的正しさを口にする瞬間のジレンマを発生させます。
私は私自身が楽しく創作物を楽しむ時に自身の正しくなさに積極的に目をつぶっていますから、創作物の正しく無さに言及する時にその自身の正しくなさとも向き合わなければいけないし向き合っても正当化できるところなど1ミリも無いわけでそうなるとそんな創作物を愛好するのやめなよというとこにしか答えはなくなってしまうわけです。
罪のない者だけが石を投げなさいと別に誰に言われた訳でもないのに頭の中でそんな声がしたような気がします。
子供に対する性暴力、同性愛者に対する差別、トランスジェンダリズムへの無理解そういったものはあってはならないものと考えていますし現実ではそういった自体が発生すれば改善しろと働きかけていくべきと考えています(現に署名などは行っています)(しかし書きながらこの文面の言い訳めいた様本当に醜いなと我ながら引いた)
しかしこと二次元、漫画や小説のフィクションの中になると私は自身の暴力性を隠せないようなものを愛好し楽しむのです。そしてその描写の正しくなさを理解はしているので喜びと同時にこれは大丈夫なのだろうかと不安も抱えているのです。
時折ジョジョ4部における吉良吉影の人を殺さずにはいられないが静かに暮らしたいという自分勝手さに同調しそうになります。
私は彼を悪辣な人物だとよく理解しているし唾棄すべき人物だとは思いますが彼の望んでいるものは今私が望んでいるものなのかもしれないと。
まあその辺結局自分の中で乗り越え解決すべきところが見つからぬまま今を生きているのです。
しかし人間という生き物これでいいやと思って悩むのをやめてしまうのが1番正しくない生き方だと思うので変わっていく社会と社会的正しさの中で悩み正しさを模索して生きることだけが正しくない生き物である私の唯一の正しさであると信じて生きていくしかないのでしょう。
※どうでもいいような良くないようなそもそもこの文面を書こうと思った元々の話というか、今月プライド月間があってBLに関わる人は声あげてみたいな話が流れてくるのを見て、BLを愛好するヘテロセクシャル女性である私が「同性愛者もすべからく法律によって結婚が出来るようになった方がいい」を主張するまでは良いことだと考えるのですが「私はあなた達を理解し同調し連帯します」まで寄っていくとどう感じられるものなのかということはずっと悩んでいて「そうしてほしい」と望む当事者もいれば「寄ってくんなセクハラだぞ」と思う当事者もいるでしょうBLを愛好するヘテロ女性に対して嫌悪感抱く当事者はいて当然でしょうしそういった方から見ればもし自分がそういった理解者然とした態度をとる姿は家出女児に「危ないねウチくる?」ていう児童に性的悪戯を加えようとする輩のように見えているのでは無いかとずっと考えているのです。私は私の持つ私には分からない暴力性が怖い。
闇に消えていこうとする
二人の姿に向かって
必死に叫ぶ
もう少しで覚えるから!!
あの呪文を!!
衝撃が走る。
凍り付いたように立ち止まる
「お前……まさか……」
愕然として振り返る
「知って……」
取り残された
目に
涙が溢れた。
言葉を失う
僕、
今、
泣きじゃくりながら
大声で告げる
王女、
ザオリク覚えたし
病気になって
寝ていた間に
なんだか知らないけれど
十一枚もあるし
それを聞いた
ムーンブルク組の一人娘の手が
震えた。
「あなた……」
手で口元を抑える
僕もう
「くっ……」
歯を噛んで目を閉じる
その耳に響く
痛切な声。
あと
二つか三つ
レベル上がれば
覚えるから
覚えるから
泣きじゃくるように叫んだ。
自分のうかつさ
間抜けさを
再び開いた目に
両手に掲げた
キメラの翼を引き裂く
姿が鮮烈に映った。
キメラの翼が
呆気なく千切れとんだ。
まるで悲鳴だった。
事実、
それが
心の叫びだった。
もう
帰るところなど
無いのだ。
もうすぐだから
もうすぐ覚えるから
ひたすら
その言葉を
繰り返す
ムーンブルク組の一人娘の目に
もう二度と流れないと
思っていた涙が溢れた。
歯を噛みしめながら
どうして気づいて
やれなかったのだと
無念の涙を流していた。
だから
だから
置いて行かないでよう
泣きながら
洞窟に入ってくる
ああ
こいつは
知っているのだ
泣いた。
自分が
スーファミでは
「はかぶさの剣」は
出来ないことも
連発になることも
メガンテを使えば
経験値が
入って来ないことも
メガンテが
ラスボスには
効かないことさえも
知っているのだ
知っていてこいつは
城のみんなの願い通り
メガンテを
唱えるのだ
そう
まさしく
鉄砲玉として
置いていかないで……
すぐ目の前にあった。
「行こう」
「一緒に行こう」
また
大きな声で泣いた。
ムーンブルク組の一人娘が
そっと二人から
目をそらし
入り口に打ち捨てられた
キメラの翼を見やった。
世界は
滅びはしないだろう。
引き裂かれた翼を
目にしながら
そう思った。
あの洞窟の外の
日だまりに生きる
人々は
これからもずっと
あそこで
生きていくのだ。
ここから先
洞窟の暗闇へと
向かうのに
それ以上の
理由があるだろうか。
「行くぞ」
うん
と嬉しそうに
ムーンブルク組の一人娘も
小さくうなずき、
そして、
日だまりに捨てられた
そっと
目を離した。
完
剣が峰日記
2001/0721土
なぜお前に同調しないクリエイターがいるのか、理由を三つ挙げてやろう。
第一に、もう後進育成のフェーズに入っているクリエイターの場合、自分の技術が多数に共有されることに関して比較的寛容であるから。
第二に、ビジネスマインドが強いクリエイターの場合、AIによる生産性向上の面を重視しており、かつ負の側面はAIに限らない一般的な問題であることを理解しているから。
第三に、ネット絵師がずっと二次創作はウィンウィン!wとか言って著作権を軽視し、あまつさえ著作権を振りかざすような奴は悪人かのような風潮を作ってきた、その価値観が絵師のスタンダードだと思っていたから。まさかあれだけ人の著作権を無視しておいて自分の権利意識には敏感で、法律で規定されてない権利まで主張してくると思っていなかったから。