はてなキーワード: 育児放棄とは
経験からくる対応について否定はしないけど、同じ時間を過ごしている彼氏に対して結構ひどいことをしていると思うけれど、その自覚はある?
そして、それと同じことようなことを自分の子供に対してしないと言い切れる?
自分ではなく他人の発言だと思って見てほしいんだけど「彼氏は20代を謳歌するための必需品」と言っている女が「旦那はいらないけど子どもが欲しいんだよね。シンママで育てる」って言ってる女を見て増田はどう思う?
私は「この人は子どもに価値を見出せなくなると子どもに対しても同じことをするんじゃないか」と思ったよ。
いろんな理由をつけて実質的な育児放棄をするんじゃないかってね。
生まれてきた子どもが男だった時どうする?粗暴に育ったらどうする?
男性を憎んでるわけじゃなくて父親という役割の人間や粗暴な人間に対してそういう感情を持っている(男はいずれそうなると思っている)のだと思うけど、育っていく過程で見た目も性格も彼氏に似た部分が出てくるし、いわゆる男性性の粗暴な部分も少なからず出てくるよ。
子どもは周辺環境にも強く影響を受けるけど、教育すればどうにかなると思う?
そういう時、自分がどういう行動をとるのか不安になったりしない?
一度メンタルクリニックに行ってみるのもいいと思うよ。
そんなに大層な話じゃなくて、自分の心との対話を他人を通してもう一度やってみても良いんじゃないかな。
今の時点では何も困ってないから行かないと思うけど、他人に対して横暴な態度を取られた経験から、自分も実質的に同じことを彼氏にしようとしている・今後もあるかもしれないというのは意識しておいたほうがいいよ。
日本の倫理は儒教がベースになっているんだっけ?だと思うのだけど、
ここで語られる夫婦関係については、夫の役割を果たすこと、妻の役割を果たすことをさし、つまりは仕事しろ、育児放棄すんな ってことであります。
不倫が現在の言葉で語られるようになったのは1983年の金妻からであり、
バブル時代のトレンディドラマが作った倫理にのっかっているということになります。
不貞(不倫としたほうがいいのかな?)が違法行為にあたるのは周知の事実ではありますが、
主な理由は精神的苦痛を与えることによる慰謝料などなどになります。
精神的苦痛は不貞が良くないこと、不倫が良くないことという社会的空気が作っているものであり、
別にいいんじゃない?っていう空気感であれば、精神的苦痛も和らぎます。
不貞でいいじゃない。
もとの語源は儒教の五倫のうちの一つ、夫婦の別から来ているもので、
夫の役割、妻の役割を果たしなさいよ、果たさないやつは不倫だよということで、
仕事しないぐーたら亭主とか、育児放棄とかしちゃだめよ、それは不倫だよっていう話だったのが、
って、先日「不倫は倫理にそぐわないほど重い行為だから〜〜」みたいなブコメがそれなりにスター集めていて、
あーほんとズレてんなーって思っただけです。
裁判ですらワンナイトとかは離婚事由としても認められないからねぇ(そんなんよくあることだから気にすんな的な)
不貞でいいじゃん。
オフのタイミングで下半身がだらしないっていうだけでいいじゃん。
※ポジショントークです
Red Dead RedemptionのPC版楽しみすぎだろ
けっこう最近にRDR2やったからね、初代やりたいけどコンシューマ版しかなくてゲーム機持ってないからできなかったの
嬉しい
発売は順当にRDR→RDR2だが、時系列は逆なの
RDR2は、義賊的だったギャングが急速に法秩序が芽生えていく19世紀末のアメリカの中で居場所をなくして崩壊していく話
無辜の人から略奪・強姦する他のギャングを見下し「俺達はああじゃない」と美学があったのに、どんどんそいつらと変わりない存在に落ちぶれる
最初は30人ぐらいいた仲間たちが、敵に殺されたり内輪もめ殺し合いで死んだり、もうここアカンわと離脱したりどんどん減っていく鬱ゲー
みんなボロボロになった中で生き残った男が、ひっそりと田舎で家を買い農業を始め、平和な暮らしをはじめるところでRDR2は終わる
「お前ギャングだった頃に散々人殺したよな?絞首刑にしてもええんやぞ?お前の妻子も殺してもええんやぞ?妻子人質に取るわ。助かりたいなら散り散りになった昔のギャング仲間の極悪人をケジメとして全員殺せ」
と警察的な人に命じられて、かつての仲間を殺し回ることになるという話らしい
RDR2の時点で仲間たちとは険悪になって袂を分かったのだが、それでも殺しに行かなきゃ行けないのは辛いな
この男は出生時に母親が死に、父親にも育児放棄され捨てられ8歳ぐらいから一人で生きるようになり、
12歳ぐらいではじめて生きるために殺人をして、16歳ぐらいでギャング団に拾われ、ボスをパッパのように慕っていた
ボスはギャングがオワコンになっていく中でヤケクソになってどんどん性格が悪くなっていき見限られたのだが
それでもパッパのようだった人を殺さなきゃいけなくなるのが初代のストーリーらしい
やだなあ、でもやりたいな
こういう人権を踏みにじるやつがいるから少子化がとまらないんだよ。
誰が人生犠牲にして育てるんだよそんなバカなやつの子供を。お前らが人が人らしく生きる権利を考えて尊重するようになれば譲歩して生んでやる気にもなるが無理だろ。
何チンコついてるくらいでそんな偉そうに命令してるんだよ。ガキかよ。状況見てしおらしくしろよ。女優先しろって言ってんじゃねえんだよ。
出産育児にかかる負担を認識してちゃんと真っ当に育つようにケアして育てられる所を見せてみろよ。出来ないだろ。
あーお前には出来ない出来ない。お前ら全員出来ない。
そんなお前らが揃いきって、事態をどうしたら解消するか、方法も考えられない、理解もしてないバカばっかりの国、滅びるのがお似合いでは。
ちなみに中絶を禁止した地域は望まない出産と育児放棄により、殺人、窃盗等が増えるというのが過去の研究でわかってんるんで、
韓国で、被相続人(死亡した子どもなど)の扶養の義務を果たさなかったか虐待などの犯罪を犯した法定相続人(父母・祖父母など)の相続権を制限する法律が制定されたそうだ。通称「ク・ハラ法」
急死した KARA のク・ハラ氏の葬儀に、20年間音信不通だった実母が現れ財産の半分の相続を主張したことが発端だという。それをうけてク・ハラ氏の実兄が民法改正案の立法を訴えていたのだそうだ。
実兄の気持ちは理解できる。育児放棄をした親には相続させたくない。
同じ事象が起きたとき、日本の法律だとどうなっているのだろう、と付け焼き刃ながら調べてみた。
法定相続人は親になる。
100%親が持っていく。両親健在の場合はどれだけひどい母親だったとしても50%は母親のものとなる。
どれだけひどい母親だったとしても法定相続人である以上、親は遺留分を請求できてしまう。親として全体の1/3。両親健在の場合は1/6ずつ。
生前に家庭裁判所に「母○○は育児放棄をしていたので母○○を廃除する」と申立をして認められれば、
または
遺言に同様のことを記載し、死後、遺言執行者に家庭裁判所に申立をしてもらって申請が認められれば
遺言書いたうえで家庭裁判所に申請して認められなければならんのでハードルは高いが手段はあるのだな。
ただ、準備ができないままク・ハラ氏のように若くして急死だと母親に財産がわたってしまう……。
韓国の「ク・ハラ法」では、被相続人からの申立なしで親から相続権を剥奪できるのだろうか?
日本の法律における相続欠格――相続人が被相続人を殺害したり、脅したりだましたりして遺言状を書かせたり書くのを妨げたり、遺言状を隠蔽したりすると、被相続人からの申立なしでその相続人は相続権を剥奪される――みたいに。
また、日本で「母親に財産を遺したくない」という観点だと、まだ足りないかもしれない。
その場合、母親を相続廃除したとしても、その義理のきょうだいも実のきょうだいと同格で法定相続人となりそうだ。
ただし、きょうだいは遺留分がないので、遺言で実のきょうだいに100%遺すと指定しておけば顔も知らない義理のきょうだい(≒育児放棄をした親の新家庭)に財産がわたることは防げる、のだろうか。
親の戸籍謄本を調べでもしない限り、自分に異母きょうだい異父きょうだいがいたか/できたかなぞ分からんよな。
むずかしい。
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。
正確には下位メスと下位オスが負けたってことなんだけど。高所得層は相変わらず結婚してるし。
昔は、射精したいだけの男が無料ポルノがないせいで結婚していたと思う。その結果として、やりたいのはセックスだけでセックスの結果としてできた子供には興味ないから育児放棄された子供とかもいる。
そういうのがインターネットの無料ポルノのおかげで非婚になり子供もできなくなったのは別に悪いことではないのでは。
あと男が嫌いでも生活する方法がないから仕方なく結婚していた女もいて、そういうのは嫌いな男と結婚して家事と性奉仕と育児介護するよりも労働基準法に守られる賃労働のほうがマシということで非婚になり子供もできなくなった。
「嫁・母」より「会社員」のほうがマシってこと。
「AV誕生~違法アップロードの無料ポルノ」と「男女雇用機会均等法」の影響だと思う。欠乏によってイヤイヤ結婚していた層が、そこから逃げることができるオプションが提示されたのが今。
そんで、欠乏によって結婚に追い込まれてイヤイヤ層ではなく、「好きな人」と両想いになれる人は普通に結婚してるんで。今も。それだけでよくない?あんまイヤイヤ層の精子と卵子から生まれたくないと思う。
世間の声は違うようだ。
理解出来ない。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/cbc/1215812
出産後、遠矢被告は「産後うつ」と診断され、4か月間、通院治療を受けたが、家族旅行に行けるまでに精神状態が快復したとして、自己判断で通院をやめていた。
周囲から見て遠矢被告は「気さくな人」という印象だったという。「家族の愚痴を聞いたことがない。それが逆に違和感があった」(友人)といった声もあった。
さらに、近隣住民の一人は毎日、保育園に子どもの手をつないで送り迎えをしたあと、洗濯や買い物などの家事をこなす遠矢被告を見かけたという。夫は仕事で帰りが遅く、ワンオペでの育児になることもあり、「当時27歳であれだけできればすごい」とも話していた。
そんな遠矢被告を義母がほぼ毎日、朝8時半から夕方4時ごろまで家に来てサポートした。義母は裁判に証人として出廷し、遠矢被告の育児について「体がだるそうで育児放棄をしているようだったので、『子どもが泣いていない?』『洗濯した?』などと頻繁に声をかけた」と話している。
遠矢被告は義母について、「子どもたちをわが子のようにかわいがってくださいました」と法廷で話した。
次女に食物アレルギーがあることがわかると、食事は市販品ではなく無添加のものを購入し、ほぼ手作りしていたという。
「スケジュール管理がうまくできない」「献立が思いつかない」…いつしか遠矢被告は、自身が描く「完璧な母親」に自分はなれないと思い悩んだ。
家族で出かける時に準備が終えるのは自分が最後。日本地図パズルでどこの県か娘に聞かれたが答えられなかった。
できなかったことが見つかっては、「自分には能力や教養がない」と落ち込んだ。
事件直前の検索履歴などには「生きていく自信がない」「自分がいると迷惑」「自殺方法 確実」「自分は母親になっちゃいけない人間」、そんな否定的な言葉がいくつも並んでいた。