はてなキーワード: コメカミとは
5日目の昼、14食目のチキンラーメン
翌朝は頭痛と空腹で目が覚めた。
チキンラーメンの袋を開けると、あの濃厚な香りが、頭痛を悪化させ、吐気を感じさせた。まだ身体はチキンラーメンを受付ないらしい。つまり空腹が足りないのだ。水で空腹を紛らわせることにした。
布団にくるまって寝ようとしたが、コメカミが脈動するほどの頭痛で寝られない。心臓の音が部屋に響く。安いワンルームの壁の向こうの生活音が鮮明に聞こえてくるような気がする。
→拍動性頭痛+音過敏
https://cocoromi-cl.jp/knowledge/internal-disease/headache/migraine-cause/
20代で貧乏だった頃、毎食チキンラーメンを食べていたことがある。
実家が微妙に健康志向であったので、子供の頃から袋麺やインスタント食品自体を口にする機会があまりなかったからだろうか。大学生の頃、自分で稼いだ金で食べるインスタント食品やファストフードがめちゃくちゃ美味しかった。
会社勤めを始めた後も、零細に勤めてたのと、そもそも薄給で若者を働かせることが常態化していた業界だったので、慢性的に金がなく、それが不健康な食生活に拍車をかけた。
なけなしの給料は、社会保障費と家賃と光熱費で消えていき、その残りで書籍を買うような生活だったから、夕飯を抜いたりすることが常態化していた。
そんな生活の中で、すごく重宝したのがチキンラーメンだ。当時、袋麺は5つセットで200円台、セールなら198円とかで買えたので、安い時に買いだめて、しょっちゅう食べていた。
ある時、ひょっとしたら、毎食チキンラーメンでもいけるんじゃないか?と思って、本当に毎食食べるようにしてみた。
基本的に、食へのこだわりがなく、昨日の晩ごはんが今日の晩御飯と同じでも気にしない性質だったので、チャレンジ開始後は順調に家にあるチキンラーメンを消費していた。
でも思いの外、終わりはすぐにやってきた。
5日目の昼、14食目のチキンラーメンが美味しく感じなくなったのだ。そしてチキンラーメンを口に入れること自体を身体が躊躇し始めた。
まずあの濃厚な香りが美味しそうだと感じなくなった。そして無理矢理口に入れても、飲み込むことができなくなった。麺をすすっても喉を通らないのだ。
その時は無理矢理食べ切ったが、次の15食目、その日の晩はもう無理だった。あんなに好きだったものが目の前にあるのに、どうしても食べられないのだ。空腹を感じているのに、目の前のチキンラーメンを食べることを身体が拒絶するのだ。
もっと空腹になれば、食べられるかもしれない。そう考えて、水以外は摂らないようにしてみた。空腹は最高の調味料というではないか。ましてやチキンラーメンは調味料ではない。食事なのだから、もっと美味しく食べられるはずなのだ
翌朝は頭痛と空腹で目が覚めた。
チキンラーメンの袋を開けると、あの濃厚な香りが、頭痛を悪化させ、吐気を感じさせた。まだ身体はチキンラーメンを受付ないらしい。つまり空腹が足りないのだ。水で空腹を紛らわせることにした。
その晩、身体の震えが止まらなくなった。熱はないのに悪寒と頭痛がする。水を飲めば落ち着くが、チキンラーメンの匂いが少しでもすると、頭痛が悪化した。
布団にくるまって寝ようとしたが、コメカミが脈動するほどの頭痛で寝られない。心臓の音が部屋に響く。安いワンルームの壁の向こうの生活音が鮮明に聞こえてくるような気がする。
なんでこんなに苦しまねばならないのだろう
思いたったように始まったこの生活は、唐突に終わりを告げた。学生時代から付き合っていた、県外に住む彼女が、翌朝訪ねてきたからだ。どうも前の晩、電話をかけてきた際、電話口の僕の様子があまりにもおかしいので、様子を見にきたらしい。
僕はあまり覚えていないのだけれど、あとから聴いたところによると、耳元で喋られると、頭に響いて、頭痛が酷くなるとか、空腹でチキンラーメンが食べられないとかいって、泣いたり怒ったりしていたらしい。
僕の部屋にやってきた彼女は、酷い顔で布団に包まる僕と、ゴミ箱に突っ込まれた大量のチキンラーメンの空袋と、食べるのを断念して流しに放置されたどんぶり、散乱するミネラルウォーターのペットボトルを見て、何かを感じたのだろう。
とりあえずコンビニに走り、スポーツドリンクとゼリー飲料とプリンを買ってきて、少しずつ僕の口に押し込み、寝かしつけ、流しに放置されたチキンラーメンを片付け、部屋の空気を入れ替えた。
空腹は感じていたので、彼女にそういうと、とりあえずシャワーを浴びて服を着替えるように言われた。浴室の鏡に写る自分の顔は、眼だけギョロッとしているように見えた。
僕たちは、ゆっくり駅前商店街を歩いて、普通のうどん屋に入って、僕はたまごとじ、彼女はキツネうどんを注文した。先に運ばれてきたのはキツネうどんだった。彼女は七味を手にとったけど、なぜかうどんにはかけず、そのまま僕から1番遠いテーブルの端においた。
僕と彼女は、あまり話すこともなく、ゆっくりとうどんを食べて、店を出た。その足で駅に向かって、彼女はひとこと
「また来週」
とだけ囁いて改札をくぐって帰っていった。
今でも年に数回、チキンラーメンを食べる。
けれど、なぜあの時チキンラーメンだけでイケると思ったのかは思い出せない。
スーパーで「完全食」という文字を見るたびに、これなら5日目を超えられるかもしれない、という思いが頭をよぎる。でもいまさらそれに挑むほど、僕は若くはないのだ。
僕の彼女は眼鏡っ娘だ。ちょうど映画『私の男』の二階堂ふみ氏みたいに。
僕はそういうところが好みなのだけれど、彼女は分かってくれない。
「それは外面から見た場合の話でしょう? 眼鏡はとても不便なのよ」
ある日、そのことで言い争いになった時に「じゃ、眼球を交換してみる?」
と言って、彼女は僕のコメカミを押さえた。途端に視界が揺らぐ。
僕の視界は何ひとつとしてくっきりと見えない。
そう言って彼女は持っていた眼鏡を僕に手渡す。「これで世界を見なさいな」
僕は眼鏡を着用する。サイズが合っていないのでいささかきついけれど、
観てみると視界がくっきりと見える。部屋の片隅に置かれていた
そんな彼女が言うんだ。「あら、眼鏡を掛けた貴方って結構イケてるわね」
そう言われたので、僕は彼女の眼球をそのまま装着したままで
暮らしている。「メガネ男子って今トレンドなのよ」と言われたので
妹が結婚することになった話に話題が移った。
俺はそういう相手がいないことを話した。
と言われた。
確かに遺伝のおかげで顔はそこそこイケメンだと思う。
でも平均以下にチビなことと顔がでかいことと短足なことが昔からコンプレックスで、まともに異性と付き合ったことがない。
父が大きくて母が小さいんだけど、見事に妹と遺伝を間違えたらしい。
大学生あたりからコンプレックスがひどくなってきて社会人になって最悪になった。
※とか言われるけど、正直背があるだけで勝ち組だと思う。とくに大人になってからは。
チビでブサイクよりかはマシだというみじめすぎる自尊心しかない。
通勤中にすれちがう中学生より背が低いとかほんとみじめすぎるわ。
スーツも似合わねえし。
姿勢がいいことと座高が高いことから、立って話したときに「こんなに背が低いとは思わなかった」的なことを言われたことがある。
高校生のときにおふざけで股間タッチされた場所がヘソだったときに相手が戸惑ったような笑いを浮かべたのは一生忘れられない。
高給取りでもないし、なんのとりえもない。
チビなことを気にするのがかっこ悪いとか気にしなければいいとかいうけど、この苦痛は実際に味わったことがない人間には絶対わからないんだから、同じように悩んだこともないくせに軽々しく励ますな。
余計にみじめになるわ。
我輩は寝る前に死にたくなる系男子である。齢はハタチだ。もちろん彼女もいないし、大学でもぼっちでスクールカーストの最底辺でこいつよりマシだと他人に安心を与える存在である。
我輩は寝る前によく自殺する妄想をする。他人に幸せを見せつけられたり、些細なミスをしたり、一方的な被害妄想に苛まれたときによくする。それは銃でコメカミや眉間を撃ち抜くものであったり、首に縄を巻いて新幹線の最後尾にくくりつけられ引き回しにされるものであったり、電車に轢き殺されたりするものであったりする。それで何が変わるともないが、何故かそうすることで安心するのだ。
僕が死ぬことで、虐げてきた奴らに後悔させてやりたい。そう思いながら、死ぬ妄想をし、いつの間にか眠りにつくのだが、目が覚めても僕は死んでないし、もちろん現実が変わることもなく朝がくる。
しかし、そんな我輩もそうやって眠りにつくのはそろそろ嫌気がさしてるのだ。マイナスな妄想をしながら眠るのは、だんだん生気が削られてる気がするのだ。そんなことするくらいならxvideoで一発抜いて眠気を誘ったり、叶わぬ願いとわかってても橋本愛とデートする妄想をしながら切なく寝る方が100倍マシである。
早く我輩も次の日のの段取りを考えたり、その日あった良いことを思い出しながら寝たいものである。
そんなことを考えながら夜は更け、またくだらない毎日が始まるのだ。
その土地の特色を他者目線で見つめなおし、充分に戦略を練って、外国にアピールすれば、一地方自治体でも外から観光客は呼び込める。
昔は賑わったが今では廃れてしまった観光地どころか、無名の田舎町が一躍観光地に踊り出る可能性を秘めている。
最近話題となり、自分たちの存在を無視されたと、団塊の世代がコメカミに青筋を立てブチ切れた、いすみ鉄道の社長の発言どうり、
重要なのは目先ではなく、もっと先を見越したターゲット設定と戦略である。これを間違うと元も子もない。
オールドジェネレーションが仕切っている自治体では、こんなこと言い出すと「そんなの無理無理」という反応が直ぐに返ってくるのが関の山なので、
それを覆し説得するには、実績のある強力な外部からのコンサルやアドバイザー等が必要になるだろう。
有能で精力的な若い世代を長においている自治体は、このことに気づくのにさして時間はかからないだろう。
ただ若いだけの長をおいている自治体は惨めな結果を見るだろう。
このチャンスに気づき、直ぐに行動に起こすか、気づかず、もしくは中央に頼ったほうが楽と気づかないふりをして、特に何もアクションを起こさないか。
この7年間で確実に勝敗が分かれる。
ポテンシャルはある、それを使うか使わないかは自由だが、少しでも勝算があると感じたのならば、それに向かい動く事はワクワクする楽しい事だと思う。
注意しなければいけないのは、欲張り過ぎないことだろう。