「真摯」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 真摯とは

2021-03-20

コンサル愚痴追記

長すぎるのか俺のやり方がまずいのか追記がうまくできなかった。またエントリ立てちゃってごめん。

ようやく時間が取れたので、がーっと読んだ限りを書く。拙速ですらないけど。

びびったのは、他業界も、というか他業界こそ「そういうのあるよねぇ」って感じで同情気味に読んでくれてること。コンサル嫌われがちだし。むしろ生半可に事情を知った(つもりの)やつの方が偉そうにしてくるのは世の常ですね。

あと、俺がその苦しんでる真っ最中の若手だと思う人の多いことにも驚いた。長くてわかりづらかったろうから仕方ないね。俺はようやくそういう時期を抜けて少し経つ、若手からしたら羨ましい老害で、シニマネパートナークラスからすれば未熟なガキです。

というか、本気でキツい時期は「ようし自分事の何がキツいか文字に起こしてキレてやろう」…みたいな余裕はないですよ。大抵の大人は身に覚えがあるだろうけど。

余裕で本人バレとのことで界隈ごと見てきたけど、なんというか悪い意味で期待以上だった。

友達冷笑した挙句、即「直接来いよ^^」とか脅し半分の茶化しとか、本当もうね…。せめて完全無視か、ぼかしてるとこを突いてよその会社の弊社アンチかしら?とかすっとぼけといてほしかった。絶望感に近い。

有料のやつも読んでないけど、ツイートからしてご指摘を真摯に受け止めて頑張っていきます~とか書いてあるんかな。いじめを怒られて人権作文発表しとくガキかよと。

しつこいと思うから前のやつ読んでくれた人はもう以下読まなくていい。

なんで元ツイみたいなこと言えるのか、

 ・会社知らん人 →そういう会社業界だぜブランディング?「うぜえ若手を華麗なる指導で導いてやったぜ」ならデキるマネジメントの自慢としてまだわかるが

 ・同業若手 →(そうか俺の努力不足か)と思い「やりゃいい」には特に得るものもなく辛いだけ

 ・同業シニア →「あーそういう若手いるよねえw」って共感期待、というかそれが普通になっている。これじゃねえの

よって、Twitterで「若手がわかってねーw」ってイキることは同世代で(プレイヤーとして)よすよすされる以外のメリットが何もない。

その界隈はまぁ甘えだよねえって空気だし、芯食った反論もないのは俺が的を得て書けてないからだろう。

からこれは自己満足で頭の中を整理したもの、つまりやっぱり愚痴かもしれない。

1.なんで元ツイがマジ無理なのか

〇 まず、うちの管理職としてドン引く

 前提として、仕事しない若手がぬるぬる生き残れる会社ではないので、「○○やりたいマン」は一応仕事で結果を出していて、かつやる気が余っており、かつその志向性が現状とズレている時に観測できる。

 (無駄なやる気はないけど淡々仕事出来る奴は「○○やりたい(できない)」時点で黙って移るか辞める。どこもそうだろうけど)

 つまり、やる気をわざわざ表明してくれた(けどできてない)以上、必然的に上による助けが必要な状況。今の若手は俺よりよっぽど賢い(地頭って言葉嫌いだけど)、それでもだよ。

 つーか、今のマネ層以上にはそこも含めて任せられると期待したか会社はそっちに舵を切ったんだと勝手に思ってるけど。下の人間のせいにして楽しようとしてるってだけならまだ理解できてシンプルに引くって話。

〇 次に、誰かに『一生できない』とか思えるのがヤバい

 たまたまこの世には人様の問題解決を手伝うのが仕事の業種もあるけど、誰もが自分ひとりじゃ解決できない問題事情を抱えていて、問題解決と押しつけをはき違えないよう接し方を意識すべきなのがフツーじゃん。

 お前もしくはあなたにとって、この世には「甘え」とか鼻で笑って一生○○だと踏みにじっていい人間ゴロゴロいんの?俺は自分の子供だろうがアウトだと思うけど。

 一体、どこの業界が、どの職種が、自分より下の立場にイキっていいんだよ。コンサルでも金融でも広告でも医者でも官僚でも、過労死100回しても部下殴っちゃダメなのは変わらないだろう。

 このままじゃ一生出来ないなら10年以内にできるようにすりゃいいだけやん。

〇 そして、下に『向いてない』とか言えるのがありえない

 客に「ん~~ちょっと御社にDXは向いてないですね!諦めましょう!」と言わないのなら、客にできることが部下にできないということで、それこそ「甘え」ではないのかよ。

 知識なさげなら本でもPJT資料でも俺の人脈で誰かでも紹介する、そもそも何もわかってなさそうなら時間と頭の使い方おかしくないか何か行き詰ってんのか、、、

 『そういうカテゴリ仕事やってるイケてる自分になって安心したいだけ』程度の解像度で夢を語っちゃう若手ってそんないるもんかな。若い奴こそ、自分のやりたくて出来てないなら時間と頭振り絞るのに。

 なぜ会社様が信用して採った人間自分目線で不向き判定できるのか全く分からない。

 むしろ、下にロクに物も教えず転職もせず「そういうカテゴリ仕事やってるイケてる自分になって安心したい」同輩のマネ層の多さならわかるけど。

 自分より弱い立場には「○○なんだから(文句言うな・努力しろ)」の矢印が向かうけど、自分には向かないってのが気持ち悪くて仕方ない。


2.なんでこんなキレ散らかすのか

おこがましくも俺自身が下との関わり方(かっこつければマネジメント)というものに対してどこかで努力してるつもりでいるからだと思う。

自分が何も"見えない"クソ雑魚の間、助けてくれた上司も正直しんどかった上司もいて、前者になるために心理的コストを払っているんだろう。小金持ちほど貧乏人に厳しいしがんばった自覚ある奴ほど若手に冷たくなりがち、そういう原理が俺にも当てはまってるだけのこと。俺はい上司になりたくて仕方ないんだと思う。この会社に勤める若い子にとって俺の経験スキル価値はあっても俺自身価値はないし。

恐ろしいことに手の遅い若手を見るたびに俺は最初からもっとデキる人間だったと記憶改竄されそうでヒヤヒヤする。クソ野郎がええ上司に拾ってもらって仕事漬けになってなんとかなっただけなのに。下の人間のマインド否定せず指導するとか上の人間に嚙みつくよりよっぽど難しい。人間なんて放っときゃみんな老害になるじゃん。そこを友達なり同僚なりと自浄してなんとかやってくしかないじゃん。冷笑理解から一番遠いし。必死人間をせせら笑っても絶対誰も傷つけないクール完璧人格上司マンがよかったけどなれないままなんとか後輩を潰してない・潰されずに自分もまた仕事面白さを知れている、これはもう運です。だからこうして暑苦しくやっている。

どうせリーマンやるならい上司になりたいじゃん。若い子のラッキーを増やしたいじゃん。格下っぽい奴をいったん冷笑しとくってそん時は楽だけどめちゃくちゃ怖いじゃん。無知と無神経は相性がいいから。そんだけだよ。

あのツイだって、当時も今も誰もツッコミ入れていない。それはあの界隈じゃ「これマジで誰も指摘しないの??」ってツイばっかなのが通常運転からだよ。俺にとってはガッツリ閾値越えてただけで。ビジネスイキりパーソン、クチャラー気持ちいいよね、クチャラー同士では。

自分会社が好きで(なんとかまだ)残ってる以上、会社を(できれば好きで)頑張ってくれてる若手にああやってイキり散らかす奴がいたらムカつくでしょ。それが見ず知らずの子でも。

つーかシンプルに教えてほしいよ。本当に一体どういう了見で、『やりゃいい』『向いてない』『一生できない』は他人に対して言えるのか。

最後に、漏れてると思うけどいっぱいあったコメへの返し。

 -長い →ごめんて。でも、誰かにムカついた理由と自論について、冷笑せず・一応門外漢でもわけわからなくならないように本気で書くとこんくらいならん?ならんか。

 -ITコンサルSIer論議 →もうネットで5億回くらいされてるからよそで頼む。ちなみに俺はIT入りの事業課題解決が好きだよ。

 -要約とエグゼクティブマリがない。お前は二流 →さすがに笑った

 -なんか褒めてくれる人 →わざわざ言うもんでもないと思うがありがとう。君はきっと職場でも誰かを救っている。

 -ぼかしたところを「コンサルってのは!もっと!こう!」って謎に教えてくれる勢は一体何なんだ。

とりあえず、ずっと俺一人の頭の中でモヤモヤしてたことを吐き出してみたらそこまでぶっ叩かれるものではないとわかってほっとしたのが一番かもしれない。ままなるわけじゃないけどね。

以上、やっぱ長くなっちゃったけど読んでくれて・コメくれてありがとう。これの方が冗長に感じるのが不思議だね。仕事に戻ります

それでもブレストなら無罪

佐々木宏氏の発言やそれへの批判について。ブレスト中の発言なら、差別だろうが何だろうが責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

よく知られている通り、ブレストとは、集団で良いアイディアを出す方法で、

1. 粗野な考えを歓迎する

2. 批判しない

3. 質より量を重視する

4. アイディアを組み合わせる

等が大事であるとされる。

もっとも、今や「ブレスト」という言葉自体はアホでも知っているので、きちんと方法論通りに実践されていることは、むしろ稀かもしれない。

本人すら、その提案は良いと思っていない

ブレストである以上、一般には、その発言をした本人すら、その提案が良いとは思っていない。

もちろん、全くの粗悪なアイディア提案するわけはない。「欠点はあって当然」「一部に良さがあるかも」というレベルであっても発言し、聞き手はその欠点批判することなく、良さ活かしながらアイディアをふくらませるのがブレストの正しいやり方だとされている。

今回の話題で言うなら、差別的だという欠点自体は後で修正するという前提で、例えば

という程度の考えで、渡辺直美に豚の格好をさせる提案をしても良い。

重要なのは、そのような提案をしたからといって、本人すら、その提案が最終案として良いと思っているとは限らないということだ。

実際、私自身もあえて偏見を混じえた非倫理的提案をすることは多い(その場合、対面コミュニケーションなら、自分で苦笑しながら提案するなど、倫理的問題があるという認識自体は共有しながら発言することが多い)。

ブレストとはそういうツール/ルールであるということが理解されるべきだ。

したがって、ブレストでの発言倫理的責任を問うのは非常にナンセンスだ。

同様に、ブレストでは質が低くても良いという前提で発言される以上、提案内容を切り出して「面白くない」などと質を批判するのは全くの無意味だ。

発言に対しむやみに倫理的責任を問うのは、みたに議員ツイートの通り、「クリエイターとしての仕事に過大な制約を課すことになりかねないし、将来にわたって大きな禍根を残すことになりかねない。」

その場で批判が出たからこそ問題

一般論として、ブレスト発言責任を問うのはナンセンスだと書いた。

一方で、今回報じられた発言には違和感もある。

まず、ブレストを行っていたLINEで、その場でメンバーから批判が出たという点だ。

上で書いた通り、ブレストでは批判を行わないのがルールだ。しかし、今回は批判が出た。

これは、メンバー佐々木氏提案を「粗野で良い」「欠点があって良い」「差別があっても後で修正できれば良い」とみなしていなかったということだ。

まり佐々木氏は「ブレスト中の発言だ」と弁明しているものの、メンバーはそれ以上に影響力のある発言だとみなしていたはずだ。

そのような文脈下で行われた発言として、佐々木氏発言責任に問われるのは理解できる。

言い換えれば、逆説的だが、佐々木氏発言スルーされず、ブレストのその場で批判されたからこそ、その内容には倫理的責任がある。

繰り返すが、だからといって、「一般に」ブレストでの発言について責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

党派性安易論点をずらすな!

ブコメを見ていると、天皇家自民党議員への侮辱ならOKなんだろうという批判が★を集めている。

所詮はてなとはいえ個人的にはこんなに愚かな論点ずらしが共感されているのは呆れる。

当然、天皇家であれ自民党議員であれ、ブレスト中なら侮辱してもOKである。それが集団による創造・発想のためには必要だ。

この問題をただの党派性として済ませるのは非常に不快だし、何様なんだと思う。

アイディア創出のための方法論と真摯に向き合っている人もいるとを想像して、この問題について考えてほしい。

2021-03-19

ウマ娘でわかったオタクの嘘 + これからオタク達がすべき事

https://anond.hatelabo.jp/20210318200022などから

ウマ娘オタク達の対応に関連して彼らの欺瞞が明らかになったのでまとめておきます

フェミウマ娘批判を焚き付けているは嘘

フェミニストがウマ娘批判し、オタク達の間で言う「放火」を行っているという噂はデマでした。

アフィブログ自由戦士のエア炎上であった事が既に明らかになっており、

しろフェミニストはウマ娘のものに関しては概ね好意的に見ているのが実態です。

「何がエロなのか分からない」が嘘だった

ウマ娘権利であるCygamesが、エロに対して厳しめの規約を発表するや否や、

過去繰り返し「何がエロかわからない」を連呼していたオタク達が一斉に何がエロかを理解して明確にわきまえました。

要するにわからないなんてのは大嘘で、論理ではなく単にフェミニストや女性が気に入らないから突っぱねていただけ。

オタクの「何がエロラインを示せ」などというのも、単なるシーライオニングであった事が明らかになりました。

二次創作権利元との信頼で成り立っている」も嘘

オタクは「二次創作権利者の黙認、winwinの信頼関係で成り立っている。なので権利元の意向には従う」と弁明するも、これも嘘。

過去公式二次創作に釘を差した例は幾らでもあり、その度に反発するオタクは絶えませんでした。

最近の事例でもエヴァガイドライン文句をつけ、「実質的な黙認ではないか」と言い出す人も出る始末。

冷静に考えてみても、プリキュアなど児童向けの作品エロ強姦を描く二次創作がwinwinであるはずなどなく、

オタク達の欺瞞であるのは明らかです。

 

 

 

これからオタク達がすべき事

オタクの態度の問題点に関して、とても的確なコメントをされているブクマカがいたので引用します。

フェミが焼いたみたいなデマを元にしてる時点で評価できない。そもそも自分たちがやってること、消費してることに対しての危険性を自覚しろ。開き直るな。それこそ同じオタとして迷惑だ。

フェミニズムに親和的人間もそれぞれの趣味に傾倒するし創作もするよ。そのなかで誰かを傷つける可能性に葛藤も悩みもするよ。だからこそ不誠実な「何がエロかわっかりませ~~ん」に怒るんだよ

このお二方の言葉を胸に刻んでください。

オタク創作物(主にエロ萌え絵など)に対して無謬性をあまりに過信しています

普段あなた達が消費している表現が誰かを傷つけ、差別助長肯定している可能性がある事を自覚してください。

コンテンツを消費する事そのもの咎めしませんが、危険性を念頭に置いた上で鑑賞する習慣をつけてください。

そしてフェミニストを始め、作品表現に対する指摘や疑問に対して真摯に耳を傾けてください。

また、オタクの方達はしばしばフェミニストは表現物に関心が無い、生産者でもないような言い方をされていますが、それは誤りです。

上記の方が仰るように創作を行うフェミニストも大勢ます。私も趣味で絵を描きますが、表現には最大限の注意を払います

一次創作二次創作わずオタク表現者の方達は自分表現が誰かを傷つける可能性にもっと悩んでください。

そして、くれぐれも開き直るような真似はやめてください。

フェミニストはオタクコンテンツのものを敵視しているわけではありません。

適切な配慮がされていればフェミニストは表現者を応援しますし、現にオタクフェミニストを両立させている方もいらっしゃいます

今回の一件から社会に目を向け、表現について再考される事を期待しています

2021-03-18

ウマ娘に対するお気持ち表明。

擬人化を好きになり始めたのは、ビスケたんの頃である

もう少し仔細な話をすると、2chというか、オタクな界隈で「擬人化=モノや概念美少女化」というふうに通じる時期があった。今はもっと多様と言っていいだろう。

当時流行っていたのは、覚えている限りだと、下妻市シモンちゃんびんちょうたん、当時ネコミミ新幹線として話題を呼んだファステックたんなど…

あとは某島田先生のWW II期の戦闘機擬人化など…

書いてて思い出したが、当時はやたら「たん」けが流行っていた。

そうした後、擬人化たん白書なる書籍販売されたりと、擬人化界隈は小さな広がりを見せていた。

商業化という面では、エロゲの題材のほかに鉄道むすめなどある程度成功しているものもあるが、明確に大規模なマーチャンダイズが行われたのはおそらく、ヘタリアが契機のように思う。

キャラクター商売」の型ができ始めたあたりだろうか。

AKB48アイドルマスターがおよそ2005年ヘタリアはおよそ2006年。この辺りで、通信デバイス進化趣味の個立化によって「キャラがいればいるほど、一人以上の推しがつく」時代に入る。

擬人化においてヘタリアがもたらしたもう一つの意義は「語らざる背景」にある。

これはこの後の擬人化ビッグマーケットである艦これ」、「とうらぶ」などに通ずるが、単なるモノの擬人化に対して、「国」「艦艇」「刀剣」には、その名の由来となる歴史(背景)が付随することとなった。

これにより「最初キャラ造形とその後の保守さえ矛盾なく頑張れば、残りのキャラの(膨大な)コンテクスト各自で拾ってくる」という、実に効率的かつ大胆大規模な商品が生まれることとなった。

上手いやり方なのだ。例えばネット流行ったMeたんキャラなどは、どこまで行ってもスーパーフリー現象ぐらいなものだ。他は同人で膨らませるしかない。

だが、のちに「ナマモノ」とも言われるこれらは、取扱注意がある反面、物語は湧いて出てくる。

しかも種類が多い。莫大な数だ。四十七士や48人どころではない。

かくして大量消費社会にあって物語を湯水のように消費するマーケットができた。

かつてあった擬人化たん白書を今作るなら、野球名鑑やタレント名鑑の厚さを超えてしまうだろう。そんな歴史をひたすら消費してきた。

そこにまた新たなナマモノ消費がやってきた。

ウマ娘だ。

やっとウマ娘の話だ。

ただ前段でちらと述べたがナマモノは取扱注意なのだ

それを、おそらくは初っ端から、しくじっていた。

もちろん実際にどういうやりとりがあったか想像するしか無いが、企画先行で、根回しが足りていなかった(ないし認識が甘かった)可能性はある。

それはそれとして、プロジェクトとしては続行となり、擬人化が好きな筆者としては、新たな商品にワクワクした。

ギリギリオグリキャップはしらず、マキバオーを読んでこなかった筆者は、それでもディープインパクトハルウララ、そして何故かテイエムプリキュアは知っていた(確かエリ女で二着だった年で、知人が名前買いしていた)

せっかくの競馬擬人化ながら、当世最強の名高いディープインパクトが、噂ではトラブルで出せなさそうという話は、ちょっと残念ではあったが、

その後jraの2011-2013の激アツcmを見てからは全く気にならないどころか、その辺りはドンピシャで出てくる娘が多く、期待は高まった。

その後この期待は乱高下することになる。延期の発表、アイマスの有名Pの参加、その脱退、コンテンツ広報であるぱかチューブの勃興と黄昏カンリニンチャンの失踪

それでもウマ娘を待ったのは、擬人化コンテンツが好きで、一期のアニメが良かったからに他ならない。

この頃には、ウマ娘を契機として今の競馬を追うようになっていた。

まさか2018JCを目の前で見る日が来ようとは思わなかったが。

この時点では、擬人化コンテンツとしてのウマ娘を待ち続けていた。

からゲーム内容はそんなに気にしてなかったのだ。多少面白ければよい。第一クオリティアップのための延期」はあまり良い予兆では無い。まず安全リリースをして欲しい。擬人化コンテンツの消費がしたい。

そういう思いだった。

2020年度。

コロナ禍吹き荒れる競馬界でいくつかの奇跡が起きた。キセキはあまりいい成績ではなかったが。

ディープインパクト以来の無敗の三冠馬英雄の子コントレイル、史上初の傷なきトリプルティアラ神威の子デアリングタクト、そして全ての記録を過去にせん勢いで疾る灼熱の少女平成最後アイドルホースアーモンドアイ。

この三帝が一堂に会するJCは、今後100年は見ないだろう。

障害戦線では、老いて尚壮健な黄金血統オジュウチョウサンが記録を打ち立てていた。

かにも色々あるが目立つものだけでこれである

その年末に、待ち侘びた奇跡がやってきた。

カンリニンチャンが帰ってきたのだ。

間違えた、ウマ娘リリース予定日が初めて日付になったのだ。

この時点でも、ウマ娘は、擬人化コンテンツアイドル要素の融合ぐらいに思っていた。

アニメ一期のスポ根は、まぁストーリー要素程度だろうと。

認識が変わり始めたのはアニメ二期二話からである

このコンテンツは、ウマが勝つことに真摯であろうとしている。

それは、最初の開発からは感じられなかった点でもあり、しか競馬のもの擬人化の範としたときに不可欠な要素だった。

そしてそれは、二期のアニメを経て、GIRLS'LEGEND Uで高らかに掲示された。

顔のいい女の子たちが、頑張るぞーってなしかめつらで、とっとこターフを走る光景は、ついに裏切られた。

相手を食い殺さんばかりの気迫、道々宿敵をねめあげる眼差し、食いしばられる歯、揺れる大地、高速で過ぎゆく背景。

そこにあったのは「アスリート育成ゲーム」だった。

大概にして、ゲームでの勝ち負けなど、ただの数値である

それでも、レースを通して、シナリオを通して、曲を通して、「勝つことの意義」に魂を宿そうという意図が受け取れる。

そして、それを説得させるだけのゲーム映像技術を持ってきたのには舌を巻いた。

そうして、競馬のもの追体験するようなゲームの熱が、今日このように広がって行くようなことは、全く予想しなかった。

擬人化コンテンツが遊べれば良かったのだ。

エヴァの例え話で25年のパンケーキなんて話があったが、

ウマ娘で言えば、前評判のいいサイゲ屋のパンケーキを注文したら、ちょっと作り直すと言われたのだ。

焦がしたのかな?トラブったような音も聞こえた。まぁ食えるのが出ればいいや。変なものは出るまい。

そうして出てきたものが、行列ができるレベルの至高のパンケーキだったのだ。

魂消る。そりゃ魂消るさ。

ウマ娘リリースされてまだ一ヶ月も過ぎていないが、自分の中では、このような擬人化史が去来していった。

だが今は、擬人化コンテンツとしてのウマ娘…ではなく

ウマ娘」の、情熱理念に惹かれているのだ。

余談としてウマ娘ゲームとしての魅力を付記する。

ウマ娘を通しての競走馬の育成シミュレーションとしては、おおよそパワプロのようなシステムなので、こういうシステムが苦にならない人には向いている。あれもアスリート育成だしな。

その上で、シナリオ内で、史実競走馬についてくる物語がなかなかどうして、熱い。

歴史を超えるリベンジなどというのは艦これに引けを取らない熱さである

艦これとの比較として、お祈りゲーであることは同じであるが、大艦隊のうち6艦艇を率いるため育成が平らであるのに対して、ウマ娘は一アスリートを根から育てることとなり、まさに密である。一頭との濃密な関係が、レース本線を熱くする。

「キミと勝ちたい」。これがまさにテーマなのだ

かつ、この娘たちが今「生きて」いて夢を「夢のまま終わ」らせないチャンスがある。

それが史実リンクしたとき、血がたぎるのだ。

最後に、このお気持ちポエムを書かせた、ぶっ飛んでる構成してる神曲、GIRLS'LEGEND Uに敬意を表する。

anond:20210318113703

俺はアイヌ差別は疑わしいと

思っているぞ

(ジャップ社会がそのもの

差別的な構造と言われたら

差別” はあったと言わざるを得ないが)

だがアイヌ側が

差別があったと主張するなら

真摯に耳を傾けるつもりだ

お前はアイヌか?

違うなら同じ戯言だぞ?

anond:20210318102413

歴史の話はしてないぞ、

謎掛けでアイヌと「あ、犬」

を掛けただけで

過剰反応しすぎだと

言ってるんだよ

それなら群馬とか埼玉

馬鹿にされ方のほうが

問題あるだろう

アイヌ団体側が抗議したら

謝罪なり真摯対応した方が良いが、

(※ 謎掛けぐらいで目くじら立てるなとは

思うが)

それ以外のアイヌ無関係人間

犬という言葉が使われていると

叩くのは過剰反応で逆に失礼だ

って話な?

2021-03-17

大人になれ←間違い 恋人をつくれ←間違い 現実をみろ←間違い

お前は人との関わりの中で今とは違う生き方ができる←正解

劇場版から変わらない核であるこのテーマを読み違えるのは生き方価値観固定化したおじさんだから

子どもに対して真摯提示するために作られたアニメ子どもきもちに戻らなければ描かれてることを素朴に受け取ることはできない

2021-03-15

anond:20210315044130

いやー

昨今、あんだけ真摯に、いや(臆病なくらい)慎重に作られてるアニメもないとおもうやで、原作に対して...

比較するといろいろ噴出するので、ワイは今期はアニメはアレだけ、正座して視聴してるやで)

2021-03-14

anond:20210314094201 anond:20210612192253

アーティストは異常な承認要求を持っていることが多く

この異常な承認欲求が「迷惑行為」「パワハラ」「暴言」に結びつきやす

 

パヤオ人間への眼差しはどこまでも真摯モブにまでその観察が活かされ

ひとりひとりが人間していることに感心・感動するし

大口叩くだけあるなぁって思うけど

ひとりの家庭人・上司としてはゴミだよ

 

例:下記のワードググるのです

雑誌『インビテーション』4月採録鈴木プロデューサー ゲド戦記を語る(1)」

 

目や耳に入ってきちゃうのは仕方がないが積極的に漁りたいとは思わない

問題行動は個人能力社会的地位によって酌量されるものではないと思っているので

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇で描かれなかったこと、その感想

もちろんのようにネタバレを含むので、注意してほしい。

見終わった感想は、「本当に終わった」だった。

すごく丁寧に「伝える」ことに真摯に向き合っていると感じた。

それは描いていることだけではなく、描かれなかったことも含めて。

これまでのあらすじ

きちんと振り返り部分がある丁寧さが、この映画象徴しているといっても良い部分。

復習して来いよ、ではなく、劇場でこれまでを振り返る。その丁寧さが全編にわたってある。

忘れてならないのは、これは劇場4部作ではなくて、エヴァンゲリオンの最終作ということ。

から題名からして「シン・エヴァンゲリオン劇場版」であって「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でないところで主張してる。

そして、「まごころを君に」「世界の中心で愛を叫んだけものときて、「未来からのホットライン」で落としているところに、本当に最後なんだな、という気概を感じる。

NOTでも(NOT)でもなく、今までの否定でも追認でも無い、終わりが来たんだなという予感は正しかった。

ヱヴァンゲリヲン新劇場版序破QはTVシリーズみたいなもんで、今回が劇場版」みたいな位置づけっぽくみえる。

Qの続き

パリでの、序の裏返った模倣

冬月副指令側はネルフパリ支部を守る陽電子砲側で、ヴィレ侵略する側。

派手なアクションシーンであるとともに、赤いヤツって戻せるんだアレというのをこれ以上ないほど明確に見せる場面。

第三の村

アスカケンスケと合流したのち。

直接の描写牧歌的なだけで、薄氷を踏むような生活というのが描かれずに表現されているように思う。

トウジは「医者の真似事」だし、ケンスケは「なんでも屋だが風車メンテはできない」。

まり、あの村にはまともな医者エンジニアも居ない。

食事配給制で、一軒家はトウジの医者という特権性に由来する特別扱いになっている。

綾波初期ロットはそのトウジの客人ではあるが、農作業にわりとしっかり従事させられている。

そしてそこにいるのは老婆が中心。

若い男女や男性は、綾波型の心の触れ合いのような農作業には出てこない。

銭湯図書館牧歌的ではあるが、つまり個別風呂嗜好品が持てない生活を、直接の描写なしに示唆している。

でも、並行複発酵である日本酒を飲める程度には豊かさがある。衣服も残ってる。(心の余裕はまず生活の余裕から

でも、味噌汁に口をつけないことで激昂する大人がいる程度には食料に余裕がない。

たぶん、ココを受け付けるかどうかはその人のエヴァンゲリオンへの思いによる気がする。

第四話の「雨、逃げ出した後」だよねココ。

ひどい経験をしたシンジ家出をして、ケンスケとキャンプする。

TV版では、その後無理やり連れて帰られるけど、ネルフから出ていこうとして、自分意志では電車に乗らなかったと言う流れ。

ケンスケの描き方はあの時からある意味で一貫している。自身の興味には忠実だが、相手の心情には過度に踏み込まず、黙って見守る。

「なんでみんな僕にやさしいんだよ」という嗚咽がほぼすべてだけれども、誰にも強制されることなく、しっかりと時間をかけてシンジだけで結論を出すのが良かった。

今までのシンジくんって、口ではみんな色々言うけど、それほぼ強制じゃんってのが多かった。

あなたが決めなさい、とか。それシンジくん考えられる状況か?その環境作るのが大人だろうっていう。

あの農作業をしていたのがシンジで、みんなの優しさに触れてこの村を守るために戦うんだ、だったらたぶん流石についていけなかったと思う。

で、今までのエヴァだったら絶対にあのアスカの「泣くだけ泣いてスッキリたか家出は終わりか」みたいなセリフ入れなかったと思うんだよね。

その後の、ケンスケとの見回りと治水管理で「基幹産業たる農作業免除されてる」とか「池が村の生命線」とか言わなかったような気がする。

村が赤く浸食されてない理由とか、ニアサーも悪いことばかりじゃなかったさみたいなのは、察しろよ、みたいな描写になってたんじゃないかな。

プラグスーツを着ていないと体を保てない綾波型が、その短い生の間に、様々な感情を駆け抜けていったのも象徴的だったように思う。

その一方で、加持さんの子供がしっかりと「世界をもとに戻す」実験従事しているというのも、良かった。

ミサトさんは、スイカの種を見るだけなんだよね。種をまいて育てるのじゃなくて、種を残す方。

あの村のシーンこそが、シン・エヴァンゲリオン劇場版の急所だと思う。

シンジ好意を持つように設計された綾波型が感情を受け入れるも、なお運命の通りになる。

シンジは誰からも放っておかれる状態で、本当に自分がかけたいだけの時間をかけて、やっと決断する。

最初こそアスカに無理やり食わされるけど、シンジくん自分レーション食ってんだよね。そして食うことに対して泣く。

自分で食い、自分で泣き、自分時間をかけて、最後無垢な問いかけに返す形で結論を出す。本当に良かったと心から思った。

アスカが途中で言ってたけど、そんなシンジくんみるの相当しんどいと思う。

で、そこは委員長の異様なほど優しい言葉綾波初期ロットとのやりとりでカバーされてる。

TVシリーズだったら赤木博士に「村での摩擦は死に直結するわ。学習性無力感一種ね」くらいは言わせたと思うんだよねマジで

落ち着いた後で、トウジと会話をしてお前は十分やったって言われたり、ケンスケからは親父とは話しとけよって言われたり、加持と出会ったり。

時間計ってないけど、かなり丁寧に時間をかけてあの一連のシーンが描かれてたと思うし、相当な比重じゃなかったのかなアレ。

でもなあ、序破ときて、Qでのカヲルくんとのやりとりって、アレまんま洗脳だろ。そらシンジくんでなくても壊れるよ。

親しい人と引き離して孤独にし、信頼を得てから既存価値観を壊し、そのショックが大きい間に新しい方向性を示す。

で、洗脳が解ける前に、信奉した教祖たるカヲルくんが自分のせいで目の前で死んだら、そら壊れるよ。

それをきちんと作品内で比重を置いて向き合って時間をおいてくれたの本当に良かった。

ヴィレヴンダー艦内

前後関係あいまい

アスカのDSSチョーカーみて吐くシーンは象徴的過ぎてインパクト強いけど、マリアスカも対爆隔離室内に自室があって爆薬増やされてるってことは、シンジくんと同じよね。

シトと一緒だからじゃなくて、エヴァに乗る適性がある人間に対しての強い警戒心。

あと、振り返って考えると「ワンコくんとの進捗どうだった」のあと、「年頃の男には興味ないか」みたいなことマリアスカに言ってなかった?

そういや、冷酷っぽくふるまってるアスカが、劇中ほぼ唯一恥じらってるのがケンスケにカメラ向けられたときなんだよな。

シンジくんって、ヴィレ判定で精神的に安定してるって言われてるから綾波初期ロットとの直接のお別れを経験後なわけで、親父すでに超えてるんだよな。

しかその前後で、冬月副指令が、「自分と同じ喪失経験させるのも息子のためか碇」とか言ってなかったかな。

あと、どのシーンでもマリって劇中で誰かと相対するときには、相手パーソナルスペース内に入ってんだよね。

破で、シンジくんの匂いを嗅ぐ、引きこもってるシェルター内のシンジくんを引きずり出す。

アスカには抱き着く、後ろに回って髪を切ってあげる。シンジくんの後ろから手を回してだ~れだっていかける。

古今東西書物を読み漁り、相手の懐に入り、どのタイミングでも余裕たっぷりなのはイメージとしては「魔女」だよな。

アスカ死に装束でしょと返したスーツを着た後、シンジにわざわざ会いに行ったのはどう考えても最後だと思ったからで、

そのタイミング再見って、もう一回会う気満々なのも強い。

新劇場版通してみて、マリだけ高次の存在に見えるんだよな。

ブンドド

わざとだよなあの艦隊戦とあの曲。

そういや、エヴァで誰を殺せば世界平和になるかって言ったら真っ先に冬月副指令だと思うんだよな。

Q以降、ほぼ単独組織的攻撃対応してるのとか、そもそも研究室の件と言い、このオッサン元凶だろう。

舞台を整えるの全部やり切ってるしな。

甲板上になぜかみんな集まる

セカンドの海の浄化サードの大地の浄化だったら、フォースって空の浄化じゃないんかい

あとゲンドウがきっちり葛城大佐赤木くんって呼んで反論しててちょっと面白かった。

ミサトさんに息子の話をするシンジくんは、はっきりあいつのこと好きだよって言ってるんだよね。

自分が人を評して、それを他人に伝えることに躊躇しない最初相手ミサトさんなのは結構グッと来た。

アレなニュアンスの旧劇ではなく明確に母親ポジションとして描かれているので安心した。

宇宙

ゴルゴダオブジェクトの上で、マイナス宇宙でヒトが認識できる形を記憶からLCLが作ってるんだっけか。

きっちり旧劇っぽく親子喧嘩メタっぽく描いてるのがエヴァだよねって感じで良かった。

よくよく考えると、わりと新劇場のゲンドウって、最初から甘いんだよな。

息子とは墓参りに行くわ、息子との食事会には行こうとするわ、わざわざ褒めるわ、本部壊すまで駄々こねた息子をギリギリまでやらせるとか。

聞けば答える、本当にコミュニケーションが苦手な親父として描かれている感が最初からあったけど、まあそうなるかなーという。

異様に手際の良い冬月先生と対抗するマリ

やるべきことを完全にやり切って、マリ必要ものも全部集めておいて、見届けずにL結解密度が高い中で無茶してLCLになる冬月先生

やっぱこの人が完全に元凶な感じがしてならない。

ただまあ、ユイさんってこうサークラじゃないけど、なんだろうこのワールドクラッシャーな感じ。

ゲンドウの話

ゲンドウが大人理解力表現力で、内面をきっちり吐露していくシーン。

ユイ出会い、楽しかった、ユイけが受け入れてくれた」みたいなところで、どの場面でもマリちょっかいかけてるのに一切触れられてなくて草生える

あの流れだけ見ると、昔ちょっと好きだったゲンドウくんの息子のシンジくんを迎えに行く女みたいになるんで、それはちょっとという気にもなる。

新しく作られたガイウスの槍のシーン、シュワッキマッセリーって流れてて、聖☆おにいさんを思い出しました。

ただ、ミサトさんの死と思いを受け取れるシンジくんはほんとにゲンドウじゃないけど、大人になったなって感じた。

最後に息子から歩み寄られて謝っておそらくは和解したゲンドウが、息子の中にユイを見出すの、

繰り返しになるけど、死を否定したり無かったことにするのではなくて、受け入れたうえで先に進もうとするメッセージ性を強く感じた。

渚カヲルの話

狂言回し、なんだろうな。ゲンドウが降りたらもう確かに誰もその位置に立てないしな。岸辺露伴ポジション

ここからは、シンジくんからの別れの挨拶なんだよね。

旧劇の場所アスカに思いを伝えるシーン、マリが出てくるのバグってるっぽいなー

カヲルくんと加持さんが出てくるシーン、ゲンドウとシンジとの両方の位置カヲルくんが居るんだよね。

シンジくんに依存しない世界でのカヲルくんの理想の世界は、加持さんと接してたところになるのかなー

加持さんは、ヒトの存続よりも種の多様性を残そうと尽力したって位置づけなんだろうな。神の使徒に愛される男。

時間世界も戻さずに、エヴァに乗らなくて良い世界に書き換える。

時間の巻き戻しではなく、違うパラレルワールドでも無くて、継続したまま治そうとする。

しかマリさんも迎えに来るからって綾波に伝えて別れを告げる。

てことは、アノ世界はなかったことにはならずに継続したまま、シンジくんにエヴァを消された世界に作り替えられるけれども、シンジくんは戻れないってことだよな、と思った記憶がある。

あれだけゲンドウがユイの胸で泣きたかったって言ってたのに、母さんを送りたかっただけなんだねって納得するのは、シンジくんの理解力大人で成長したなあと。

アニメーション世界

ヒトから高次の存在ってよく映画では描かれるけど、

それを、アニメーションセル画っていう低次(二次元)の存在に落としたうえで、マリに迎えに来てもらって元に戻すっていうのは、すごいな。

リアリティのある世界

マリに相変わらずいい匂いって言われたあと、相変わらず可愛いよっていうシンジに対して、

いっぱしの口を利くようになってといって、DSSチョーカーを外すのって、あれシンジの主時間時間経過してない表現だよな。たぶん。あれが入らないと、何年も経ってるように見えるし。

そのために甲板でDSSチョーカー嵌めたのかなあ、自ら進んで嵌めるって演出にも見えたんだけどヴィレ的には必然性ないよなアレ。

最後シンジから手を引いて階段を昇っていくのが、ああ、終わったんだなって。

というか、ぶっちゃけると、シンジくんが緒方恵美さんの声から声変わりしていた瞬間の衝撃が強すぎて、あとは流れるように見ていた。

ハッキリと明確に、彼が大人になったと感じた瞬間だった。

ああ、エヴァンゲリオンアニメーションとしての作品は終わったんだなと思った。

終わりに

一人一人に引導を渡していって、最後にあまり知らないが好意を持ってくれる女と手を繋いで階段を昇っていく。

この先どうなるかはわからないけれども、しっかりと大人になったシンジを見て、ああ、本当に良かったと思った。

鏡を見ろ現実に帰れみたいな突き放し方じゃない、同じ意味でも伝え方の違うアニメーションの力。

加持さんは裏で我儘を通し切ってた。ミサトさんは意地を押し通した。ペンペンはきっと殖えてる。

アスカは素直になれた。ゲンドウは折り合いを付けた。レイは居場所を見つけた。シンジ大人になった。

あり得たかもしれない世界の中ではなく、序破Qの世界継続した上でシンジ大人になったのが、本当に良かった。

2021-03-13

anond:20210313112946

それが本当なら婚活真摯じゃなかったか仲介者とのすり合わせがよくなかったかでは。

誰でも緊張する場面なのでいじめられたと認識することも多々あるとはおもいますが乗り越えて達成できるといいですねとしか

かわいいというのは〜note記事に感じたアンバランス

https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899

女性に対して真摯な態度に読めるが、男にも抑圧からまれ言動があることを無視して性欲に一本化してしまうのは男性に対して不誠実な態度だと感じた。

記事の中でかわいいという言葉安易女性に向けるべきではないとし、その対比として「背が高い」を持ち出すのだが、かわいいと対比するなら「かっこいい」だろう。男性例外的状況を除けば「かっこいい」と言われれば嬉しいものだし、学生であればなおさらこの傾向は強いと思う。男は社会に出れば競争学生でも縦の評価軸を強く感じるもので、自分がかっこいいと言われて嬉しいのだから男の子が「かわいい」に褒め言葉としての機能を期待している可能性は考えられる。しか記事ではここには踏み込まない。これを文章に盛り込むと、男が放つかわいいは全て性欲に支配されたもの、ではじまる美しい文章がほころぶ。

この文章女性向けに徹底して書かれたものだ。育った環境もあり若いうちから女性立場共感し、その不遇について考えてきたことを言語化している。ほころびはゆるされない。

note主はこう言及する

> というのも、女の子小学生までは「おいおまえ!」「まてよ!」みたいな言葉かいの子がたくさんいるのに、大人になるとあの子たちはどうして絶滅ちゃうんだろうってよく考えていたから。あの子たちは社会に殺されちゃうんだろうな。男子ばかりがずっと男子でいてよくて、本当ずるい。

ここでは女の子言葉遣いが社会によって矯正されてしまうことを憂いている。社会の抑圧が人の言葉遣いに影響することについて理解しており、これを男の子にも適用するくらいはこれだけ考えられる人ならできそうなものだけど。「男子はずるい」って君ほどではありませんよ。

2021-03-12

anond:20210312203939

#MeToo運動糾弾されるべき人間解放同盟の内部にもいるが、府連や中央本部から制裁を受けたか? 答えはNOだ。

大阪解放同盟幹部らがセクハラ

 部落問題を中心に差別撤廃運動に取り組む部落解放同盟大阪府連(松岡徹委員長)の男性幹部ら2人が昨秋、女性を名指しして性的侮辱発言を繰り返すなど、セクハラ行為をしていたことがわかった。女性の訴えに、2人は苦痛を与えた事実を認めて謝罪。府連も事態を重くみて、セクハラ相談窓口を作るなど再発防止策の検討を始めた。府連は「人権団体としてあってはならないこと。真摯(しんし)に受け止め、対応する」としている。

 同府連などによると、問題発言は昨年10月初め、部落解放同盟大阪市内の支部幹部を囲む宴席であった。前支部長が、同席していた別の人権団体女性職員を名指しして「○○さんのヌード写真を撮って売り出そう」「(支部の)資金を稼ぐためや」などと繰り返した。女性は抗議したが、2次会でも「きょうは○○さんの自尊心をぼろぼろに傷つけたろうと思っとったんや」と発言したという。

 一緒に参加していた現支部長も、2次会で女性の年齢に触れて「この年では、もう売り物にならんな」などと嫌がらせ発言をしたという。

 女性は数週間悩んだあと、支部の別の幹部に訴えて問題が発覚。支部調査に2人は発言を認め、12月に女性謝罪。府連も再発防止策を検討している。

(02/27 06:13)

https://web.archive.org/web/20050306152809/http://www.asahi.com:80/national/update/0227/001.html

解放同盟といえば、これまで他者糾弾することにおいてはお得意中の得意なのに、自分の番になればこの有様。

情けなくて泣けてきます

http://archive.is/ymkbm

痛いところを突くのは得意でも、突かれそうになると逃げ回る。身内に甘い独善的社会運動未来はない。

2021-03-11

「チンポ騎士団」と「購入厨

僕がこの文章に感じた違和感は、次の一文に象徴されていると思う。

”結局、無理して飲まなくていいからね、気にしなくていいからねと言った俺が一番信頼を集めていた。”

そう、彼もまた、他の多くの男性と同じように、女性からの”信頼”を勝ち取るゲームに参加しているんだ。目的はなんであれ。

この部分、論理的接続していない。信頼を集めたのは「結果」だよね。信頼を集める≒女性をモノにするのが「目的」なら恋愛工学2.0だけど、元の文章はそんなことどこにも書いていない。問題なのは何でも信頼を勝ち取るゲームに違いないと思い込んでしま読み手増田の方。

死語だけれど、「割れ厨」と「購入厨」という言葉を思い出した。

割れ厨とはゲーム音楽などのコンテンツ違法ダウンロードする輩を揶揄する言葉。対して購入厨は、割れ厨が、コンテンツを真っ当に購入して楽しんでいる人を揶揄する言葉。「対価を払って商品を購入しろだなんて正論を言いやがって。マウントを取ってくるあいつらは"購入厨"だ」と。

「チンポ騎士団」って揶揄も結局「購入厨」と同程度の言葉だと思うんだよな。正論マウント取ってきやがって、どうせ先生から褒められたいだけなんだろう、的な反抗期中学生みたいな考え方。

女性人間として丁重に扱えば女性から信頼される。そんなん当たり前のことで、何も責められる謂れはない。というか女性に限らず、男も含めて人間人間として丁重に扱う人物が信頼と尊敬を集めるのは道理だし、何が問題なのかわからない。

真っ当に、真摯女性ないし人間に接していたら、結果的に、周囲からの信頼を集めることになる。恋愛工学とはここが根本的に異なる。モテるのは結果であって、目的ではない。(さらにはここでいう"モテる"は単に信頼されるというだけであって、セックスできるわけではない)

なのだけれど、何でもモテるモテないで物事を考えるコンプレックスの塊みたいな人間は「セクハラをやめましょうなんて正論マウント取ってきやがって」「人間丁重に扱って他の人間から信頼されるのはずるい」とかよくわからない認知構成するんだよな。どうすればいいんだろうな。まぁどうもしなくていいんだけどさ

セクハラやめようと言ったら非モテに対するマウントになるのかー。じゃあ物を盗むなと注意したら窃盗犯に対するマウントになるのかねー

彼が、ゲーム参加者であることをひた隠しにしてゲームに参加していること、そして、おそらくこれを読んだ女性の多くがそれに気づかず、むしろ筆者に信頼や感謝気持ちを寄せること。その逆転現象も含めて違和感を強く感じたんだ。

・「彼がゲーム参加者である」=「女性からの信頼、もっと言えばセックスを獲得するために、打算的に、敢えてセクハラをやめようなどと言っている。下心があるに違いない」という意味だと思うけれど、こう思った根拠は何?

・「人を殴るのはやめよう、物を盗むのはやめよう、その他倫理的に正しいことをしましょうや、って主張には須らく下心があるに違いなくて、周囲からの信頼を得ることを目的とした打算的なものであり、信用できない」と考えている?

anond:20210311135635

2021-03-10

外人バカ晒す日本人がキツい

当たり前だが日本人全員バカだと言いたいわけではない。しかし、考えなしのバカツイート外人に向けて発する日本人複数居れば、そのリプを受け取った外人にとって「日本人バカ」という認識になるのだ。悲しいね

例1)友人の言語を調べない

ここ最近日台関係が盛り上がりを見せている。直近で行くと台湾パイナップルだ。台湾の蔡総統はいくつかのツイート日本人向けに日本語で発信している。TLで見た人も多いだろう。

それに対し「日本台湾の友人です」といった日本人から台湾へ向けたリプライが多く付いたわけだが、その中には複数簡体字が混じっていた。

台湾人が使用する言語はひとえに中国語といえど、「繁体字」であり、「簡体字」とは別である

悲しいことに、政府トップに友好のリプライをしておきながら、彼らの言語を調べていないのである

(それどころか関係悪化の一途を辿る中国言語使用している)

日中関係はとても複雑であり、日本人問題に対し意見はどうあれ真摯立場であるべきだというのに。そのツイートはおそらく中国人と思われる簡体字リプライ馬鹿にされ、しばらくしてツイ消ししてしまった。私はこれまでにも、台湾に対して日台友好を簡体字でリプする日本人を数回見ている。高度な煽りだとしたら納得がいくが。その度、日本人無知馬鹿だなあと思われているのだろう。

例2)アジア系差別擁護する

アジア系差別問題によく取り上げられる、目を釣り上げるジェスチャー差別意図の如何に問わず非難されているのは、このご時世、身体的特徴をからかうのはよくないこととされているからだ。

直近で見かけたのは、米国教師オンライン授業中にこのジェスチャーをして炎上した問題

こう言った話題が出ると必ず湧いてくるのが、差別擁護日本人だ。

別に日本人同士でこのジェスチャー差別なのかどうかを語ることは自由である

しかし、実際に差別を受けている人の声を無視して、差別を受けていない人間が「私はこれが差別だと思わない」「批判に負けないで」などと差別側を擁護するのはあまりグロテスクではないか

アジア人差別は実際にあり、主に実害を被っているのは海外在住のアジア系である

被差別がありふれた環境にいる彼らの感情を、日本在住日本人否定して何になるんだ。

ちなみに私はこのMVを見てしっかりと不快になったので、ジェスチャーは慎重に扱ってくれ派だ。

https://youtu.be/TPjefAA7TlA


最近周りで見かけて少しモヤモヤしたことについて書いた。こうした小さなことの積み重ねが世界にとっての日本を作るんだと思う。

2021-03-08

anond:20210307172731

おっ、「蒼天のソウラ」は中島諭宇樹の連載作なんだな

中島諭宇樹には俺は思い出があるので語らせてくれ

20年ほど前、赤マルジャンプ少年ジャンプの連載予備軍が読切を載せる季刊増刊号)で読切の名手として名を馳せていたのが中島諭宇樹だった

彼の読切には舞台設定だけでとにかくワクワクさせられた

移動型コロニーとして荒野を何百年も走り続ける巨大列車舞台にした「ホライズンエクスプレス」や、浮遊する都市支配者として君臨する鳥人間抗う「天上都市」…

魅力的な舞台設定で読者を釘付けにして、そのまま練られた展開とカタルシスのあるクライマックスで唸らせるファンタジーを連発していた

もう読んだのは昔なのにこんな鮮明に思い出せることから俺がどれだけ楽しんで読んだのか察してくれ

その後、週刊ジャンプ本誌で「切法師」の連載が始まった

が、人気が奮わずわずか18話で打ち切り

けっして悪い話ではなかったんだけどな

和風ファンタジーのバトル漫画なんだが、とにかく「そこに生きる者たちの生活」を厚く描いていた

鬼に襲われた村では「疎開すべきかどうか」の議論が丁寧に描かれ、その鬼にも生活があることを示し、時には倒すことより説得を選ぶような、そんな地味だけど真摯な筋書きだった

とはいえキャラが命といわれるジャンプではそこの弱さがネックになったんだろう

正直読切の頃から、設定や展開は鮮烈なのに対してキャラの印象はほとんど残っていない

本誌を去ってからの動向を追えないままここまで来てしまった

蒼天のソウラ」という漫画を描いてるらしいという話は耳にしたことはあったが、そうか、もう16巻も続いてるのか…すごいじゃないか

しかも俺が好きだった作風もそのまま残ってると知ってとても嬉しい

いい機会なので全巻買って読んでみたいと思う

書いてくれてありがとう

2021-03-06

anond:20210306142214

他所の国に対して、

反省する必要はないぞ!

つーか、戦争経験者の多かった

昭和平成初期ならまだしも、

今の時代にそんなこと

求めてくるやついるのかね?

だが、失敗の要因は分析して

真摯改善策を省みる必要はある

その意味で「反省」は必要だ!

これはどんなにネトウヨ

正当化しても、敗北した事実

揺るがないものから

でも、勘違いするな

この「反省」は諸外国に慈悲を

求める情けない謝罪ではない

次の機会では確実に勝利をする

という、闘志を内に秘めた「反省」だ

怠けている者がいたら、促すといい

コロナに対する日本政府対応

全く「反省」の色が見られない

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


進む→anond:20210301080139

2021-02-28

旧帝大助教普段何をしているのか

30代前半で旧帝大助教 (任期無し)。我ながら、この業界では勝ち組と呼ばれる部類だと思う。

日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。

研究指導 (12 時間/週)

私の在籍する研究室に居る学生のうち 8 名 に対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを週に 1 時間半行うため、トータルで週 12 時間となる。

基本的に、私がやれば 2 週間で片付くような作業に 2 年くらい費やす学生が大半だ。旧帝大とは言え、自力英語論文の読解や、プログラムバグ取りができない学生の方が標準的なので、これはまあ仕方がない。これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組む他ない。

研究室内の輪読会 (3 時間/週)

専門書を学生だけで読むのはハードルが高く消化不良にしかならないため、解説役として教員が参加する必要がある。私は 2 種類の輪読会に参加し、各 1 時間半を費やしている。

研究室の中間発表会 (4 時間/週)

学生研究の進捗を研究メンバー全員で確認するための会。他の教員から指導学生テーマについて意見をもらう貴重な機会。

学生実験 (8 時間/週)

学部学生向けの実験科目を二つ担当している。各およそ 4 時間で、週 8 時間。午後が丸々つぶれて体力的にもしんどいが、これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組むしかない。

なお、昔は助手二人で一つの実験だけ面倒を見るという体制だった (らしい) のが、いまは助教一人で二つ担当しているので、負担は 4 倍になっている。

学内委員会など雑務 (3 時間/週)

大学学内には教員でローテーションしている様々な雑務存在する。例えば広報なら、ホームページ管理からオープンキャンパスの準備まで幅広いお仕事がある。これで賃金をいただいている以上 、真摯に (以下略

研究室内の雑務 (3 時間/週)

研究室の環境整備は若手教員仕事である実験ハードウェアソフトウェア調達メンテナンス学生使用物品やアカウント管理などなど、細かい仕事がいろいろある。

学会関連の雑務 (3 時間/週)

学会運営 (研究会の準備など) は主に大学教員ボランティアでやっている。もちろん実行部隊は若手である。昔と違って若手が少ないので、所属する複数学会運営雑務をこなさなければならない。私の 3 時間/週はかなり負担の軽い部類と思われる。

論文査読 (4 時間/週)

査読付き学術誌の品質担保しているのは当然、ボランティア査読である基本的に、自分論文掲載された論文から査読依頼は、引き受ける道義的義務があると思う (自分論文ボランティアで丁寧に査読してもらったわけなので)。

毎週あるわけではないが、月に 16 時間くらいは査読に費やしている (これは少ない方だと思う)。

まとめ

ということで、以上の項目の合計で 1 週間の所定労働時間 (8 時間 × 5日 = 40 時間) は終わりである

え?自分研究

毎日 3 時間ずつ残業して、土日も 8 時間ずつ出勤すれば週に 31 時間研究時間が確保できますよ。いつも脳みそクラクラで死にそうになるけどね。

おまけ

上記を読んで何か違和感を覚えなかっただろうか。そう、私は若手助教にも関わらず、「教授雑用」を押し付けられていないのである

これは私のボス聖人君子 (SSレア) なので、「若い人は研究時間を確保しなさい」と言って、雑用を全部自分でやってくださるのである

多くの助教は、教授押し付けられた雑用残業時間を食いつぶしてしまうらしい。しかし、これは決して教授がサボっているというわけではないということを強調しておきたい。そもそも教授自身も異様に忙しいので、並みの事務処理能力では、手助けなしに雑務をこなしきれないという悲しい現実があるのだ。

2021-02-26

anond:20210218193205

今までは自己肯定のためだけに思考をめぐらしてきたけど、今は自分言及する側の人について真摯に考えることができるようになったわけでしょ。

成長できたんだからいいんじゃない

2021-02-25

https://anond.hatelabo.jp/20210225124452

は?

なにその返し。



あとね、ぶっちゃけこれひっかけ問題だったんだよね。

お前のいじめ定義は実はお前の言う通りであってるんだよ。

ただ、お前の反応のおかげで、お前は自分定義確認したことがないってのを暴露してしまったわけ。

確認したことがあったら「いや、俺は確認したうえで答えてる」以外の回答ありえないからね

でも、お前は確認したことがなかった。

それで自分が言ってることが間違ってるかもしれないと思ってリンク先読まなかった。

例えお前が知らなくても

自分が間違ってるかもしれないと思って真摯情報確認しようとする人間ならこういう反応はしなかった。


お前のその短い反応だけで

・お前はまじめに情報確認しようとしない

反論されるとしょうもない言い回しで逃げようとする

そういう浅はかな人間性を露呈してしまってるわけ。

それがお前。

なにか反論ある?

全部私の言ったとおりだろ?



お前は自分が賢いつもりのバカなのが駄々洩れになってるからな。

からは気をつけなよ。

僕は中川太郎さんにはまず謝ってほしい

「newnではとにかく“ダサいことはやらない”と決めています。例えば、人のコンプレックスを刺激するような広告や、訴求の仕方は絶対にやりません。広告を打てば計画通り数字は伸びていきますが、それを続けたとしても『広告の工夫』になってしまう。これだけ良いものが伝わりやす時代からこそ、広告以外の部分を工夫した方が絶対に早く成長しますし、そっちの方が現場絶対面白いと思います

こんな偉そうなこと言うんだったらまず、過去自分がやったことについてきちんと謝罪して、その反省の上に自分が立っていることを表明してほしい。

昨日のWein溝口氏の件もそうだが、悪いことは有耶無耶にして、事実真摯に向き合わずほとぼりが冷めた頃にしれっと復活というのは誠実さに欠けるしそういう人が有名人になってはいけないと思う。

僕は儲けのためにインターネット理念を歪めた中川太郎さんを一生認めるつもりはないし、あの件について正面切って謝らない限りは今後どんな美辞麗句を並べても絶対に信用しない。

2021-02-24

ほんとのフェミニストって?

ツイフェミって用語普遍化してもう大分経つが、ウォッチしてるだけでフェミニストがどんなものなのか、わかった気になってたら大間違いだ。

俺は、自らTwitter上ではそこそこ有名だったあるフェミニストと議論した。ガチ議論だ。青とかいうやつのような似非議論ではない。

何をどう考えているのかを肌身に感じて知りたかたからだ。

 

大抵のツイフェミガチ議論にならないうちにブロックしてくるのが常。

ツイフェミ攻撃を受けやすいというのを自覚してるし、本人も反論されるのは気分が良くないらしく、大抵はとっととブロックしてくるからガチ議論は困難を極める。

あるいは、ガチ議論に応じる人でも、自己主張を繰り返すだけで、発展的な議論には全くならないが、あるひとりのツイフェミだけは違ったのである

名前をここでいうと、かなり多くの人が知っているであろうツイフェミさんだ。

 

議論するにもテーマを決めなければならない。

そこで、二つのテーマを持ち出した。一つは、女子専用車両問題である。もう一つはトランス女性問題だ。

女性専用車両問題ではわざと反対者になった。

韓国台湾で失敗している事例などを取り上げ、またイギリスでは女性専用車両自体が反対されていると言った主張で、論理的正当化できるの? と迫った。

彼女は、昔、女性団体が頑張って導入の実現に漕ぎ着けた経緯があり、日本独特の問題でもあるのだから海外の事例を持ち出して反対するのはおかしいとこちらに迫った。

俺は、それでも男女差別であり、法律上男性乗車は認められているのだから女性専用車両存在自体おかしいと反論

しか彼女は、日本社会では女性性的に見られることが多く、不快に感じたり恐怖に感じたりする女性はたくさんいて、女性専用車両はそれら女性の救いになっている、と訴える。

・・・とまぁ、ガチ議論とはこんな感じだ。内容や結論はともかく、彼女がそれなりに真摯物事を考えていることがわかるだろう。

 

トランス女性問題は、いわゆるターフと呼ばれる人たちによるトランス女性差別問題である

彼女は、そもそも出身大学トランス女性問題テーマに学んだこともあり、トランス女性友達もいて、差別していないという。

しかし、実際にはフェミニスト的な人の多くが、トイレへのトランス女性の入室を拒むという事例があるじゃないか、と問い詰めた。

すると、彼女は、トイレ性犯罪危険があり、区別がつかないトランス女性の入室はそれらを不安に感じる女性がいる以上、多目的トイレに入ってもらうのがベストだという。

しかし、男女区分は実際には便宜的なものしかなく、例えば女装して入ってくる人物を想定すれば区別そもそも最初から無理なのだから性犯罪を恐れるのは理由になっていない、と反論した。

すると今度は、それは別の問題であり、堂々とトランス女性が入れるということにしてしまうと、「男性が入ってくることになった」と、女性への不安を高めることになるから、建前として禁止する必要がある、という。

 

全てのフェミニストがこのように、論理的であるとまでは思わないが、俺は、彼女が気に入った。意見が合わなくても、真剣問題を真面目に考える人フェミニストにだっている。

フェミニストに偏見を持っているのであれば、できたら捨てて欲しいと思う。

2021-02-21

anond:20210221092820

人間様がヒーリングアニマルタコ殴りにして人間キングダム作ってもいいんだし、

そもそも寄生虫存在自体がこの大自然様が永遠搾取を許している証明でもある

「良く生きる」というテーマ真摯に寄り添った自由と癒やしの物語なのは間違ってないんじゃね

2021-02-20

クローゼットガール』はそこまで出来が良くもないと思うんだけど。

クローゼットガール - 朱井よしお | 少年ジャンプ+

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269632237259870801

構成が上手い!」「トリックが凄い!」みたいに絶賛されてるけど

ネタばらしされても全然しっくりこなかった。

 

作者が用意した理屈より先に読者の目に入る描写、そこが全然ちゃんとしてない。

そこがちゃんとしてないからこそ読者を騙せる構成になってる。

これはどうかと思う。

 

全てのネタがばらされたあとでも各描写真相との整合性全然ないので

トリックによっていろんな伏線ピタッと収束したというような感心や快感もない。

あの真相意表を突くのは、それまでの描写によって刷り込まれ無意識理解からは有り得ない真相から

 

ちゃんと各要素を整理せずに読んでると「意表を突かれた感」がトリックによるものだと勘違いしてしまう。

  

以下具体的に言う。

 

 

1.親がおかし

最後の反応とか見るに、この親はお兄ちゃんもまほちゃんも可愛がってる。

出来のいいお兄ちゃんを良く見過ぎていたとかプレッシャー掛けちゃってたっていうだけで。 

 

そうなるとまほちゃんのあの全身のあざだらけはなにごと?

あんなの秒で異常に気付いちゃうじゃん親。

 

読者がなんであの兄妹虐待児相エンドに意表を突かれるかって

普通あんなのもっと前に即発覚してるはずだからなのよね。

え?よいご家庭の子がなんでそんなことやってて、なんでばれてないの?っておかしさ。

 

親には一緒にやってるor黙認してるような不穏な伏線はないのに

お兄ちゃんが妹にあん露骨虐待をやってたという真相おかしいでしょ?

  

描いてる側は「巧みな構成虐待という真相を隠してました」って言いたいのかもしれないけど

構成が巧みと言うより同居者である親にそういう描写が何もないから読者はその可能性は消してるわけでしょ。無意識の裡に。

 

なのに「虐待でした」って言われると「えっ?」って確かに意表突かれるんだけどそれはトリック凄さじゃなくてむしろ杜撰さでしょ。 

読後に「この親の設定や描写どうなっとるんや?」という矛盾が残る。

ラストでぱっとお姉ちゃんとまほちゃんのエモに世界を閉じるのはそこに気付かれないための逃げ切り法として見ればまあまあ上手いけども。)

 

 

そもそも痕でバレるバレない以前の話で

なんでまほちゃんは「お兄ちゃんにぶたれてる」って親に言わないの?

なんか親に言えないような性的虐待暗喩だよみたいな話を始めちゃう

  

 

2.おねえちゃんおかし

おねえちゃん普通女子高生だし、実はそれ以下の、

親の虐待に日々をおびやかされている子なんだよね?

 

そうなるとなんでこんなに終始強キャラオーラをまとってるの?

そのせいで色々まほちゃんや読者からミスリードを生んでるんだけど

この強キャラオーラ理由最後まで説明出来てないから「トリックです」とはならないんだよね。

 

なんでおねえちゃんがお兄ちゃん彼女に見えたのかって

親もいないのに部屋まで入り込んでるからだよ。する?そんなこと。

 

お姉ちゃんの行動がただのクラスメートとして不自然から彼女に見えてるだけで、これは叙述トリックの巧みさでもなんでもない。 

プリント押し付けられて仲がいいわけでもないむしろ嫌ってる男子の家まで行ったら、ドア越しでプリント渡してパッと帰るよね。

私室どころか玄関の内側まですら踏み込む女子おらんでしょ。 

 

2回目はもっとひどい。

からクソ野郎だと思ってたけど妹を虐待してて暴力癖まである奴だとほぼわかった。

なんでそんな奴の家に平然と一人で入っていけるの?またしても親もいないし。

 

引き続きお兄ちゃん彼女かなにかに見えるのはこのおかしい行動のせいなんだよね。

この行動が出来るのはせいぜいお兄ちゃん彼女、それもお兄ちゃんのことを色々見透かして性格が強くて精神的に支配してるような彼女

  

   

3.お兄ちゃんおかしい 

お兄ちゃんのようなああい性格世間体の奴が虐待を暴かれて問い詰められたら逆上するよね。

小さい女の子日常的に殴ってるような奴が同級生女子から非難されたり殴られたりしたらどうすると思う?

見下してる対象から殴られたんだから逆上して何をすることか。

 

別にそういう場面に慣れてなくてもそれぐらいの想像はつくはずなのに

おねえちゃんは終始なんの緊張感もなく堂々と振る舞ってるし

何の怖気もなくパンチで圧倒する。

 

この展開も確かに意表を突かれるけど、これはトリックが凄いとかじゃなくてみんなの行動がおかしいだけじゃん?

なんでお姉ちゃんはこんなに強キャラなの?

なんでおにいちゃんはあれだけクズなのに何の反撃もせずされるがままなの?

 

殴られた怒りだったり秘密を暴かれたパニックだったりで

とりあえず口を塞ごうと思ったらお姉ちゃんを殺しちゃって大惨事かになるよね?

日頃から変に暴力への敷居が低くなってるような奴だし。 

  

 

4.お姉ちゃん結局ナニモノ?

お姉ちゃんについてのミスリード

「お兄ちゃん彼女」→「異様に強キャラ感のある変な女」→「母親虐待されてる女」→「強キャラ感じゃなくてマジで強い女」になってるけど、

それぞれが見え方の問題ではなく行動自体おかしくて、その理由が結局説明出来てない。

これもうトリックとかミスリードとかじゃなく単に滅茶苦茶なだけでしょ。

キャラがぶれてるという言い方すら生ぬるい。

 

ほちゃ視点で年上のお姉さんが強キャラに見えてたとかじゃなくて、

クズお兄ちゃん精神的にも暴力的にも圧倒してるからマジで強いだけだし。

  

何故クズ同級生の私室に上がり込むのか、

何故一ミリも取り乱さず撥ねつけて帰れるのか、

何故一方的な難詰と暴力で圧倒できるのか。

全部説明なし。

こんなのをトリック中心部に置いたらそれは構成トリックとしては0点でしょ。

 

「酒乱ぽい母親」より「どうしようもないクズで弱い者への暴力癖のある同級生男子」の方が怖くないとか弱いだなんてこともないだろうし。

小学生同士のいじめに介入するお姉ちゃんとかならこの強キャラ感や圧倒力でもいいかもしれないけど。 

 

見せ方がテクニカルなのではなく行動自体が異常性の連発なので

これはまほちゃ視点どうこう叙述トリック的にどうこうじゃなくて

単に出来が悪いだけですぜ?

 

(『響』みたいに女子高生主人公の胆力と暴力テーマとした漫画なら違う評価になるけど、

 あくま構成力やトリック的なもの評価させようとしてるのであればと言う話ね。

 

(ちなみに『響』はテーマである暴力描写については真摯だったので素人女子高生が正面からパンチ一発で相手を昏倒させるなんて場面は一度もない。

 響がお姉ちゃん立場だったら、リビングの重いもの握って洗濯機の音に紛れて忍び寄り背後から頭にガツン→崩れ落ちたところに顔面蹴りだと思う。殺しかねないけど確実に反撃能力は削ぐ。) 

  

 

5.まとめ 

別に、頑張って構成して絵を描いて1本の漫画を仕上げた作者に対しては1ミリも悪意的なことを言いたいわけじゃないのよ。

けど読者サイドについては、これを「構成が見事」とか「四季賞級」とか言う人達はどうかと思うのよね。

あなたたちは流し読みの雰囲気しか受け取ってないレベルだよね。

漫画というのはもっとちゃんと読んでちゃん評価すべきでは?

 

それでまた腹立つんだけど

こうやってものすごく雑に読んで雑に褒め上げる読者が

ちゃんと読みこんだうえで「これこれこうだからうーん、いまいち」っていう読者よりも

「素直な良い読者」であるみたいな言い方をするじゃん。

 

んなアホな。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん