はてなキーワード: 真摯とは
公立の小学校で働いているが、#教師のバトンなどで最近クローズアップされている教職を傍から見た所感。自分は非教職・非正規。地方都市在住。あくまで個人的な所感。
・クラス担任になるとその教師にクラス全員分のほぼ全部の判断や責任が委ねられるので教師一人あたりの負担が大きい。自分の勤務する学校では他の教師は生徒指導的な面ではほとんど関わらない。
・教師個人によって判断・傾向の差が大きくあり、平たく言えば当たり外れも大きくある。いじめが起きた時、真摯に対応するか否かもその教師の経験や価値観に基づいて対応が変わる。
・やる気があると際限なく仕事が増えてしまうのでほどほどで止めるしかない。教師の仕事は膨大。日中は授業と生徒の面倒をみなくてはいけないのでそれ以外の時間に授業準備などをこなさなくてはならないが、職員会議を終えた朝8時過ぎには登校してくる生徒もいるので教室で待機になる。そこから15時~まで生徒の面倒をみてからの授業・行事準備や採点や提出物チェックや研修や問題ある生徒の対応や・・・(エンドレス。
・ちなみに自分が働く学校ではいつも朝6時から学校で勤務していた真面目な若手の教師がいたが、クラスにどうしようもない問題児が二人いた年度の半年を過ぎたあたりで精神を病んで休職されてしまった。
・ただでさえ人数が多い学校の事務的なことを事務員と教頭の二人でこなさなくてはいけないのでこちらも仕事量がやばい。あまりにも仕事量が多いせいか教頭はやる気とガッツが果てしなくあるタイプか問題を見ないふりをしてできるだけやり過ごすタイプの二通りに分かれる。
・問題のある子どもの親はだいたいやばい。親に問題点を伝えても対応できない(しない)こともある。授業の妨害をする子どもの場合、授業中にその子をおさめるために教師の労力が割かれてしまい、ほとんど授業にならないこともある。
・数年ごとの教員異動の仕組みのせいで教師全般が学校業務の最低限をこなすことしかできない。それ以上の改革まで踏み込めるような仕組みになっていない。
・現在の公立小学校はやる気のある真面目な教師から精神を病むようなシステムになっていると感じる。とりあえず無駄な行事をどんどんそぎ落として業務をスリム化すべき。
根本的に勘違いしてるんだが、弱者男性に類する人達は全体で見れば決して弱者ではない。
勿論彼らなりの生きづらさや苦しみはあるのだろうが、彼らの言動はあまりにも配慮が無くて女性に追い詰め続けているのが現状。
弱者男性はその点を自覚し、もっと己の振る舞い、発言、思考、趣味に注意し、後ろめたさを感じて頂きたい。
やめろとは言わない。染み付いて出来ない点もあるだろうし、個人のスペースで誰かに危害を加える事なく完結させるなら構わない。
ただ、それでも開き直る真似だけはしないで欲しい。
過去のオタクの炎上や今回のあてがえ論にしても、女性がやめてくれと言ったら突っかかるのではなくすぐに引っ込めて謝罪するくらいの謙虚さは人として持ってくれ。
酒は嗜む程度、ギャンブルには興味無い。一日中ネット見たり図書館で読書も性に合わなかったのでプラモデルを作っている。
たぶん石坂浩二さんのインタビューを読んで心のどこかに引っかかってたんだと思う。
https://srdk.rakuten.jp/entry/2020/11/11/103000
当たり前だが金は無いのでアレコレ買えない。一つに時間をかけて取り組める。ツールも100均で揃う。もちろん質は悪いが時間と手間でカバーする。
塗装はワガママかもしれないがエアブラシにした。中華なのか国産か分からない6000円くらいでAmazonで売ってるやつだ。塗装ブースはスーパーのダンボール。
朝起きて運動不足にならないためのジョギング、朝食の後ラジオを付けてプラモ作り。昔ハマってた頃はやらなかった全てのパーツに丁寧にヤスリがげ。異なる粗目から細目に徐々に。
昼食休憩を挟み集中力の限界が来た頃はほぼ18時頃。夕食と風呂の後、読書して寝る。
塗装は天気と相談。エアブラシなのでサフも瓶で済む。時間はいくらでもあるので晴れ待ちも億劫じゃない。
平日は働き、土日は次の平日の為にパワーを貯める生活した頃にはこんな贅沢は出来なかった。プラモデル以外の娯楽に時間を費やしていた。しかし新型コロナによる強制断捨離の結果、プラモデルに真摯に取り組めるようになった。
社会復帰したらまた色んな娯楽と疲れで1日数時間もプラモデルに時間をさけなくなる辛さと、あくまでも一時しのぎだという決意に揺れながら塗料をプラモ屋に買いに行く。
俺は2年半かけてアタックして今の妻を得た。最近のはてなを見ていて、どうせ恋愛できないよ、と諦めてる奴が多そうで、俺だってなんとかなったんだからみんな頑張ってほしいと思って書く。
妻とは趣味関連の友達だった。複数人で趣味活動をしたり、その後飲みに行ったりしてるうちに、仕事に対する真摯な姿勢と飲んだ時のギャップにやられて惚れ込んだ。笑うと顔が犬みたいでかわいい。
妻は星野源みたいなのがタイプという。ヒョロヒョロっとした文化系のが好きだそあだ。俺は、どっしりしたオヤジ顔で一言で言うと出川哲郎みたいな感じだ。しかも遺伝でハゲてるし超汗かきだし、ニキビクレーターだらけ。いままでの人生、恋愛対象に見られないとか暑苦しいとか基本的に振られてきた。給料も別に高くない。
友達付き合いをしばらくして、告白したが、当然振られた。昔大失恋をして恋愛はもうこりごりと思っているうえに、俺がまったく恋愛対象じゃないそうだ。覚悟していたが思わず泣いた。涙ってコントロールできないもんだ。
でも友達としては好ましいと言われた。出川だが、話が面白いし、優しいと言ってくれた。俺は別に面白くもないのだが、彼女との話題を作りたくて、彼女の仕事についてたくさん調べたし、彼女がやっているという乙女ゲームもやってみた。彼女が釣りをしてみたいと言えば、釣りを練習して、ある程度うまくなってから誘ったりした。皮膚科にも行ったし、ファッションも図書館で雑誌を読んで勉強した。ウェストポーチって女性は嫌いらしいとか学んだ。
2年半くらい、誘い続け、時々遊び、惚れてるのもバレているのでひたすら告白し続けたら、ついに彼女が折れた。釣りをしてたら彼女が船酔いして吐いて、バケツに吐いてるあいだずっと背中をさすった。そのとき、こいつでいいやと思ったそうだ。背中を触られてもそんなにいやじゃなかったから俺と付き合えると思ったそうだ。
このとき俺は背中に触れてラッキーと思っていた。余談だが背中撫でてるときにブラジャーの感覚がなくて、ノーブラなのかとドキドキしていた。ブラジャーが前にだけついてる下着を着ていたらしい。
そんなこんなでついに付き合えることになり、結婚もした。俺は子供が欲しかったが妻は仕事に集中したいとのことで話し合って子供は作らないことにした。もう結婚して6年になるが、妻は相変わらずかっこよくて超かわいい。あと妻に少しでも好かれたくて運動始めたら、健康診断全部◎だった。いいことだらけだ。
親にも、同級生にも、お前がよくこんな子を捕まえれたなと言われた。40年近くモテない人生だったが、諦めなかった俺の粘り勝ち。
だから、恋愛弱者だとか言って諦めないでほしい。好きな人がいるなら一回振られたくらいで諦めるなよ!俺みたいなクリーチャーでもなんとかなったんだ。もう会ってくれなくなったら諦めたほうがいいと思うけど、友達からだって恋愛対象に昇格できるんだぜ。
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。
まずEOEでケリをつけられてないパターン
シンジの絶望とその補完についてきちんと消化しきれておらず、提示された答えを無視して棚上げにされた問題だけが心に残っているので、「ようやく完結した」「25年ぶりの卒業」などの妄言を言ってしまう
徹頭徹尾シンジの視点に寄り添っているなかで僅かに提示される情報から裏側の世界を想像して組み立てることを疎かにしてしまったため、ただシンジに没入して得られた不快感の記憶だけが残っており、「シンエヴァでは破みたいになった」「Qとはなんだったのか」という頓珍漢ぶりや「どうしてこうなったのか分からない」「設定が増えすぎ」といった間抜けな認識に至ってしまう
わかりやすい部分で理解を埋めてしまったので、作品が物語が私小説的かどうかということよりも上のレイヤーを提示しているつくりになっていることを見落としており、結果的に物語の層もメタの層も中途半端にしか捉えきれていないが、映画のすべてを理解した気になっている
共通しているのは画面に描かれているもの、話されている言葉に対してきちんと向き合っていない、ということだ
少なくともそうであるとは言い難いという根拠が画面の中にすでにあるような感想を書くまえに、もう一度ぐらいは作品に真摯に向き合った方が良いだろう
とくに初見の感想だけを引きずり続けているような人の感想が一番醜い
逆によくその認識のまま序破Qと見る気になったなと思うくらい浅い
それでいてエヴァは自分の世代のもの、自分たちの作品だと勘違いしてるのが痛々しい
作品をしっかりみてない、向き合えてない、受け止めきれてないのに自己から滲み出たものを映画の内実と勘違いして構成された感想の醜悪さよ
この世代のひとでも旧劇を含めて真摯に作品に向き合い続けて鑑賞している人たちは比較的まともな感想になっている が、それでもやはり作品をそのまま受け止めることができてない、かつての感覚を捨てきれてない感じの感想が出てきているのは、ある種の恐怖をおぼえる
飛躍の指摘についてはその通り、ただ私が示したのは一つの解釈に過ぎない事を意識すべきだ。
そもそも解釈とは飛躍を伴う(飛躍が無いなら意味は分岐せず、解釈の余地は生まれない)
重要なのは「スローガンを掲げるだけでは意味が無い、実際にジェンダー平等の為に動かないと」という解釈”も”あり得るという事だ。
この解釈に飛躍が伴うのと同じように、あなたが出した「スローガンを掲げる事が時代遅れだと言えるのは、ジェンダー平等が達成されている場合のみだ」という解釈にも飛躍がある。
「スローガンを掲げる」と「実際に動く」は別に相反する事でもないという事は同意するが、だからと言って「ジェンダー平等が達成されていなければ、スローガン的に掲げる(だけの)政治家が時代遅れと表現することは不可能」なわけではない。
また、「『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる」の意味についてはもう少し詳細な読解が必要だ。
この文は「(他のどのような仕方でもなく)スローガン的に掲げてる」という揶揄だと読み取れるからだ。
こうした場合、(「スローガンを掲げる」と「実際に動く」は相反しないが、しないにも拘らず)「スローガン的に掲げてる」が「実際に動かない」を含む意味として発話され得る。
勿論、ハッキリ言って表現として拙いし、ここまで頑張って擁護的な解釈をする意味は無い気もするが、他に解釈があり得る以上、それを無視するのは真摯な態度ではない。
まず言っておくとあのCMはカスだしジェンダー的にも問題が有る。
ただ、ジェンダー的に問題にできる点があるのに、解釈が可能な点についてもわざと悪意的に解釈しているように見える人が多いので、解説を加えてみる。
解説を加えるのはこの場面。
会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ
まず前提としてこれは報道番組のCMであり、ジェンダー平等等にまつわる社会問題を重要な事柄だと印象付けたい意図が有ると想定すべきである。(報道に付加価値を意識付けたいなら当然そうなる)
そして実際、ここで「時代遅れ」なのは「ジェンダー平等を問題にすること」ではなく「スローガン的に掲げる事」だと解釈可能である。
「スローガンを掲げるだけでは意味が無い、実際にジェンダー平等の為に動かないと」ということだ。
このCMが「すでに日本はジェンダー平等を達成している」と主張しているのだと解釈している人が居るが、これは誤り、というより他にもっと良い解釈がある。
ジェンダー平等を達成していなくても、「スローガンじゃ役に立たない」と主張することは可能だからだ。
複数の解釈が可能である時、わざわざ悪意のある解釈を取って決め付けるのは真摯な態度ではない。(ただ、このCMはメッセージを伝える上で非常に拙い事は否定しない。しかしそれは善悪ではなくクオリティの問題である)
赤ちゃんの話と政治家の話がうまく頭の中で繋がらない人も多いと思う。実際ここは接続が甘い。
ただ注意深く読み取れば、繋がりを見出すのは不可能ではない。
重要なのは産休でも赤ちゃんが可愛かった事でも無い、「先輩が赤ちゃんを職場に連れて来た」事だ。
議会に子供を連れて来た議員然り、職場に赤ん坊を連れてくる事を許容するかどうかというのは世界的にもまだ達成されている所の少ない、社会問題である。
CMの女性の職場ではそれを達成している、それと比較して「まだスローガン程度で止まっているどっかの政治家は時代遅れ」という事なのだ。
比較されているのは彼女の職場と政治家(その背景としての日本の政治)であり、つまりこれは日本の政治のジェンダー問題の遅れへの批判だと読み取る事が可能なのだ。
ま、そもそもここまで努力して意識的に読み取らないとここまで読めない時点で、あのCMはカスである。
更に「そもそも職場に赤ちゃんを連れてくるのはジェンダー平等の話なのか?確かに重要だが、これを女性差別の問題として扱うのは、育児を母親の仕事だと考える前時代的な価値観を前提にしていないか?」と言う批判はあり得る。
これは多くの人が指摘している事だが、化粧品等の非政治的な事柄を意識の中心として描いている点は女性を馬鹿扱いしていると解釈され得る。
恐らく(化粧などの)身近な問題と(消費税などの)政治的な問題を接続し、その接続を意識している人物像として「報ステを見ている女性」を提示したかったのだろうが、CMの女性は話が散発的過ぎて意味不明な発話しか出来ていない。もう少し問題を深堀する人物として提示するべきだっただろう。
そうした問題がちゃんと有る、にも拘らず他に解釈が可能なジェンダー平等のくだりをわざと悪意的に解釈して問題化するのは、却って問題の本質を暈してしまう悪手だと言わざるを得ない。
ただし、そうした解釈を多くの人がすることは自由である。誰にでも読解力が有る訳では無い。
問題なのは、専門家やメディアの記者がそれら一般人と同程度の浅い解釈しか出来ずに批判してしまって居る事だ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/93358
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_605a808ac5b65d1c28107da8
例えばあのCMを撮影する際、問題を感じた人が1人も居なかったとは私は思わない。
しかし問題を感じたその人が、問題の本質を捉える読解力を持っていなかったらどうだろう?とっさに「これは不味いです」と言えずに黙ってしまったり、周囲を説得できず押し切られるかもしれない。
現場での抑止力が正常に機能するためには、問題を問題だと感じるだけではなく、「どこがどう不味いのか」翻訳する読解力が必要なのだ。
そしてそうした読解力を今回の様なケースでの解釈を通じて示し、大衆に広める事こそメディアや専門家の役割の一つだろう。それが現在全く機能していない。
あのCMを批判するべきである、という事には同意する。しかしそうした目的を優先する余り拙い安易な解釈で批判を行えば、社会全体で問題の本質を捉えることができなくなり、力が衰える。
私が言いたいのは「真面目にやれ」という事だ、遊びでやるな、可能な解釈をした上で「本当に問題である事」や「~~の様な(悪意的な)解釈も可能な表現になってしまって居る事」「CMとしてのクオリティが低い事」を論うべきだ。
作り手の理屈乙。
あのCMが「どう読めるか」という意味では、ツイッターの多くの人の理解の方が正確だよ。
リモートワーク自体は推進してもよい。しかし、その背後ににじむのは、「働き手」側の主体的な選択ではなく、DX推進すべしという社会的経済界的な要請のみである。リモートワークが進展する中で、特に女性の自殺率が増加しているといったことが何度も報じられたのに、どうして「一働き手」の感想がこんな風になるのだろう? 少し気持ち悪さを感じる部分。
「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」
少子高齢化は社会の課題であるが、今多くの「働き手」が生で感じているのは、産休を自由に取ることが難しい社会だとか、男女で取得率に差が出ることであるとか、保育体制の不備だとか、育児、教育にかかる重い自己負担であるとかであって、ことさらに「産休あけの先輩がー」「赤ちゃんかわいくてー」ではないように思う。この感想はやはり上記同様「経済界の方々がこういう風であったらいいな」と都合よく想像する働き手の姿ではないのか、という疑念が湧いてくる。一体誰目線のCMなのだろうと疑問が生じ始める。
この流れで「ジェンダー平等」をスローガンに掲げるのは時代遅れ、という発言が続けばどう聞こえるか、もはや自明だろう。ああ、経済界の方々はもう「十分ジェンダーに配慮しているだろう」「これ以上ジェンダーがとか言う政治家など時代遅れの野党の議員どもだろう」と思っているのだろうな、と思わせる発言。これを「一働き手(若い女性)の発言」として語らせる演出は非常に悪質だと思われる。だが、ここからさらにひどくなる。
ジェンダー平等をdisった後、彼女が述べるのは「ちょっといい化粧水を買ったこと」である。化粧に関心をもつことは別に悪いことではない。だが、ジェンダー平等を腐した後で「私は化粧水を買ったのよ」と発言することが、文脈的にどう聞こえるかは自明だろう。つまり、たとえば「この職場はジェンダー平等ができていないと思います」と発言するオンナでなく、「ちょっといい化粧水を買ってオッサンの気に入られる」黙るオンナになるべし、と言っているわけだ。その方がウマく生きていけるよ、と。これを(おそらく)オッサンが企画し、若い女性俳優に演じさせているわけだ。全方位的にダメすぎて言葉を失いそうになる。
似たような発言でも、たとえば次のような流れにしたら、化粧水の話も全然意味が違って聞こえるだろう。だが、このCMの作り手はこれと真逆な文脈で語ったのだ。
(逆転メッセージ例)
「会社の先輩、産休あけて戻ってきたんだけど、旦那さんと交互に休みとって乗り切ったって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガンに掲げてたけど、やっぱりまだまだだなあ、って感じ」
「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。私もいろいろ頑張らないとだなー。」
強引なまでに割り込んでくるこの発言も地味に最悪で、消費税が高い「でも」財政は赤字、という逆接は、当然ながらその後に「だから仕方ない」という結論を予測させる。(仮に、消費税が高い「確かに」財政は赤字、なら、「しかし、それは言い訳にならない」など、真逆のメッセージを予測させることになる。だが、作り手はまたも前者の文脈を選択したのだ。結論を隠しつつ、相手に予想させるというのは、相手の思考を誘導する悪質なプロパガンダの手法である。)そもそも国は「消費税の引き上げは社会保障財源のため」と主張している。(https://www.mof.go.jp/consumption_tax/)だが、実際には法人税減税の進行とともに消費税が増税され、赤字の補填に使われているのは衆人の知るところであり、つまり彼女は政権の「本音」を過剰に慮って、つまり「忖度」しているのである。なぜ「一働き手」の代表のような顔をして彼女は政権に忖度するのか。それは、「政権に忖度すること」こそ「ニュースをしっかり見ている正しい一国民のあり方」であるという作り手の主張に他ならない。
つまり、あのCM(プロパガンダ)が述べていることは、簡単明瞭かつグロテスクな次の6つの声明である。
・リモートワークを受け入れてDXを進めろ。
・プライマリーバランスのため消費税増税は当然。
そして
・黙って政権に忖度するものが正しい「国民」であり、うまく生きていく方法である。
……これを「一働き手」の代表然とした若い女性の口を借りて語らせる。政府広報でもさすがにここまでやらないだろう(恥ずかしくて)。
これは誤解とかそういうものではない。このCMの作り手は、特に上の6番目のメッセージを正しいものと信じそれを内面化しているのだろうと思わざるを得ない。それは、自由主義国の「報道」に関わる人間としては最もあってはならない態度であり資質である。更に言えば、こんなたやすくそれが読み取られる作り方をした時点で、宣伝広告者としても極めて能力が低い。
というわけで、あのCMを、誰が企画し構成し放映にGOサイン出したのか。あれがどのような「視聴者」に寄り添うと考えたのか、テレビ朝日の関係者にはぜひ本音ベースで聞かせてもらいたい。そして、そんなことをした方々が二度と報道に関わらないようにするためにどうすべきかを、真摯に説明する必要があるだろう。それができないなら、もう「報道」機関ではない。
◎どんな漫画?
東日本大震災で家族を失った15歳の作者がホームレスになって生きるカラーTwitter漫画。
◎何でこんな日記書くの?ほっとけばいいじゃん
タイトル記事の漫画がこれからバズりそうなので、今のうちに冷や水をぶっかけておこうと思った。
というのも、自分も被災で家族を亡くしたり、親戚の人生が破綻したりして地獄を見たサイドの人間なんだよね。
あの震災を『お涙頂戴感動ポルノ』にパッケージして商売の種にしようって人間がものすごく気に入らねえから。
◎まず騙されないで欲しい事
最初にハッキリ、結論から言わせてもらうとステマ案件と思われる。
そして描いてる人間、100%プロ。見る人が見れば一発でわかる。
可愛い動物で主人公を表現するあざとさだとか、塗りの見やすさだとか、コマ割・ネームの視線誘導だとか…
(今はイラストレーターや漫画家、編集の方がツイッターにごまんといると思うので、聞いてみればいいんじゃないでしょうか)
このままだと、テキトーな出版社から「SNS発の感動震災漫画が単行本化!描きおろし○○ページ」なんて思考力ゼロのカスみたいな煽りつけて、
単価1500円くらいの原価率が良い書籍サイズ単行本になるのが目に見えてるね。感動をありがとうってやつだ。
売る時期は2022年の3月とかに合わせるんじゃないかな。ページ数的にも丁度よくなりそうだし。安易~。
まず、「プロが体験をTwitterで綴ったらあかんのか?」と思われるでしょう。別に事実を伝えてくれて、我々が得るものがあるならいいじゃないかと。
あかんのです。
何故なら、現在の作者様は
「震災の記憶を風化させないために当時の事を漫画で発信していきます。みなさんに当時の様子を知っていただけたらと思います。」なんて表明をしているからです。
要は、これはビジネス目的ではないのだとおっしゃられています。
(「ただし後で出版しないとは言っていない」というのがミソです)
これは、錯誤を招く表現です。「可哀想な無名の被災者が、震災の悲惨さと孤児の辛さを漫画で伝える物語」を作り上げているのです。
ステルスマーケティングが何故悪なのか、というのと被るテーマですが、
「あたかも災害への意識を高めたりだとか、被災して苦労した人々への追悼の意を表現するための無料サービス作品」と錯覚させておきながら、
実は後の出版化・金銭化のための布石、というのは詐欺行為なのです。プロが、無名の人間を装うことは倫理に反することなのです。
別にこれを猫漫画とかでやって、同じようなシステムで金儲けをしても私は何も言おうと思いません。
でも、今回の漫画は震災を商売の種にしようとしている。これを、被災者への冒涜だと私は考えます。
──いやお前の妄想じゃん。何で今出版がどうとかの話してんの?というツッコミが聞こえますが、上にも書いたようにこの作品はほぼ確定的にプロが描いています。
そしてプロが慈善事業をするならば、しかるべき舞台=媒体というものがあります。
プロが本当に世論に震災の恐怖を伝えたければ、初めから政府広報でもいいし、地元の自治体の広報誌でもいい。
SNS媒体の方が良いというのであれば、それこそ初めからWEBメディアを通して発表するべきなのです。
そして「売上は被災地に寄付します」とでも言って広告費や単行本の売上を被災地に流す。
何故彼はそうはしなかったのか?簡単なことです。
商売として、SNS発の方が見栄えがいいからです。いかにもドラマティックだからです。そういう宣伝手法だからです。
100%と断定は勿論できませんが、これは同じ表現者からの告発だと思っていただいて構いません。
みなさん、騙されてはいけません。
「SNS発の美しい物語」の登場人物には、読者の皆様も含まれています。
貴方達の応援ツイートが宣伝文やらニュースでピックアップされて、商品に添えるリボンになるのは規定事項だと思われます。
そうならなかったら?
東北の当時の様子はそれなりに知ってますが、まあ事実を元にしたフィクションって印象ですね。
どこまでは嘘、どこまでは本当、なんて話はしてもしょうがない。そういう風に作ってあるのがまた憎らしい所です。
真実なんてものは、誰かのフィルターを通して表現された時点で曖昧になるものなのです。「これは嘘あれは本当」なんてファクトチェックをかの漫画に行うことは、大して意味持たないんです。
不幸にも家族を失った可愛らしいクマの主人公。混乱するが本質は思いやりのある東北の人達。
心の底から笑わせてくれます。読者が求めているものをよくわかっていらっしゃる。
その責任感が、現状の漫画からはあまり感じられないように思います。
まあ当然ですね、なんたってプロではなく無名の人物が描いた漫画という体になっているのですから。
「Fukushima50」の映画が、事実と異なる表現があるだの、人をむやみに美化しているだの批判されても、私はあの映画のスタッフをリスペクトします。
何故ならば、彼らはしっかりと名前を出し、正規の手続きを踏み、表現を行っているからです。
匿名で、責任をとらなくていい立場から、あたかも知ったかのように物を申す事が如何に無責任なのか?それはこの記事を見ればわかるでしょう。
読者に押しつけているものが、批判なのか感動ポルノなのかという違いだけです。
しかも半匿名でありながら、被災者という「被害者の道徳的正しさ」を利用するのは、最高に卑怯なことです。
◎読者の方へ
あの漫画は、間違いなく正しく読者の求めるものを考えて描かれています。
みんな、震災や人の本当のグロテスクさなんてものは、見たくないのです。
でも、本当に震災の大変さを、孤児として生きる大変さを伝えるなら、あの漫画はあまりにも、不気味なほどに清潔なのです。
そして、わざとツッコミどころを残している。何故なら、議論が盛り上がると作品が盛り上がり、それは結果的に金になるからです。
しかも、そのツッコミどころは、おそらく被災した役場や教師、都会の人の冷たさといったものを対象とするように、恣意的な方向性を持たされている。
最後は人ではなく、時代や環境が悪いという結論が出るように誘導されている。ああ、なんて正しいんでしょう。誰も不幸にならない。
被災者をテーマにしていなければ、私も拍手喝采をするでしょう。
あの漫画は、読者の皆さんの善意を誤作動させるように作ってあるのです。
冷たい計算の元に、ネームが切られ、写植が打ち込まれ、着色されています。
しかし、おそらく、皆様が思っているほど、あの漫画は善なるものではないと、一歩距離を置いて読んで欲しいのです。
◎最後に作者の方に、一つだけ
本当に震災のことを伝えたいなら、ちゃんとしてください。頼むから。
「別に日記だし?崇高な目的を勝手に感じるのはそっちじゃん?」と言わんばかりの、プロフィールの「プロとして正しい書き方」が、本当に卑怯に見えます。
10年経っても、まだ苦しい人がいるんです。
突っかかって来るんだぞ?
俺は慈悲の心が深いと思うわ (笑)
少なくともお前が錯覚するぐらい
には徹底しているのだからな
奴は一応論文持ち出して
しっかり目を通してから
こき下ろすつもりだ
呉座氏関連のネタ。
はてブの中でいうと(社会問題としては別)いずれブームは去るでしょうが、年に一度レベル・・・か、少なくとも月に一度レベルよりは大きな、今後長く記憶に残りそうな、幸か不幸か”祭り”になってしまいました。
で、真摯な人もゲスい人も呉座氏関連のブックマークを拾っていくと否応なしにある人物に印象をつけられてしまいます。
https://b.hatena.ne.jp/yujimi-daifuku-2222/
このアカウントのブックマークに20人以上もブックマークしています。最初の被ブックマークは2018年です。
呉座氏を非難する人に向けて
「呉座氏非難の文脈で△△していると言う指摘されているが、それは××を非難した時の▲▲とどう違うのか」
などと問いかけるブックマークをたくさんつけているアカウントです。
不思議なのが
1)呉座氏を擁護しているのではない。つまり、”呉座氏は罪を犯したから処罰されるべき”という主張に反対、といいたいがためにブックマークコメントを書いているわけではない。
2)呉座氏を非難する人を非難するという主張は全て共通ですが、では、何を以てそれをなそうとしているかというと、一定していないのです。
全く一定しないわけではありません。呉座氏非難者の内心や価値観に言及はしない。
相手を攻めるポイントは、態度、言葉遣い、方法・・・そこから逸脱することはありません。
しかし、具体的な着目点はバラエティに富んでいます。あるときはリベラル、あるときはフェミニズム(ミソジニー)、あるときはネトウヨという言葉遣い。一度などはトランプまで用いていました。
この人は何を至上の価値として抱いているのでしょうか。
ここ10年以上毎週視聴してTwitterでハッシュタグつけて呟くほどには大河クラスタだという自覚はある
真田丸で考証の丸島先生が先鞭をつけて以降、毎週毎週放送終了後に日本史クラスタの詳しい人や専門の先生方が
史実ではこうだった、この演出はこんな事実を踏まえている、なんて蘊蓄を聞かせてくれて、
それを見て勉強しながら感想を呟くのが大河クラスタのトレンドになってた面があったじゃないですか
んで来年の大河の脚本が細かいところまで史実を拾って書く三谷先生で、考証にあの応仁の乱の呉座先生が!ってことで
楽しみにしてた大河クラスタいっぱいいたと思うんですよ俺自身も含めて
そこへきてあの醜態ですよ
あれ見てどう思った?史料をフラットな目で検証する学問的態度を持つ学者に見えた?俺には見えなかった
少なくとも俺には自らのミソジニーイデオロギーのためにガンガン筆曲げる御仁だとしか思えなかったよ
井沢元彦や百田尚樹をめちゃくちゃ批判してたけど、Twitter上の振る舞い見るに同レベル以下だわ
ただでさえ来年の大河では日本史上でも有数の女傑と評判の北条政子が出るわけじゃない?
もうさあ、政子に対してどんな演出が施されるのか今からもう疑いの目しか向けられないわ
学ばせることができるのは○○したら自分が損するということだけ
でも○○したら自分が損するさえ子どもが学べれば社会ではやっていける
そのことを真摯に見つめないと不幸なことになる
CU特性とは?
https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23659359/23659359seika.pdf
「CU特性」とは,ニューオーリンズ大学のフリック博士が提唱しているCallous-Unemotional Traits の日本語訳です.フリック博士によれば,CU特性はサイコパスとも関連のある特性で反社会的行動を表す児童に特徴的なものだとしています.また,注意欠如多動症(Attention Deficit / Hyperactivity Disorder; ADHD)との関連も報告されています.
赤ちゃんには道徳心も仲間意識(差別意識)もあるぞ
科学読み物やTVで取り上げられた有名なのはこれ。イェール大学のヤツ
下記はイェール大学の乳児認知センターで公開している実験の動画
[Yale University] The Infant Cognition Center: Research in Action
他に科学読み物で取り上げられてたのはワシントン大学のこんなのとか
- 赤ちゃんは公平さを好むが、自分たちがより利益を得る場合には、公平さはそれほど重要視しない
- 白人乳幼児40名に研究者2名がおもちゃを配った。1名はおもちゃを公平に、もう1名は不公平に分配した。
その結果、70%の乳幼児はおもちゃを公平に分けた研究者をより好んだ- 実験対象にアジア人と白人の乳幼児を混ぜ、その中の何人かの白人乳幼児に、より多くおもちゃを配るという実験をした。
その結果、前の実験結果とは異なり、白人の乳幼児は「自分たち」をひいきする「不公平な」研究者をより好んだ[Frontiers in Psychology] I“I pick you”: the impact of fairness and race on infants’ selection of social partners
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2014.00093/full
○ その親切な行動、50%が遺伝!?
あなたはどのくらいバスで席を譲ったり、募金をしてますか?「親切さ」にも様々ありますが、今回ご紹介するのは見ず知らずの人に対しての親切さ(利他的行動)です。
バスでお年寄りや妊婦さんに率先して席を譲る人もいれば、寝たふりをしてしまう人もいますよね。
見ず知らずの人にどのくらい親切に振る舞うのかには、大きな個人差があります。これは、生まれもったものなのでしょうか?それとも、成長の過程で身に着けるものなのでしょうか。
研究によると、見ず知らずの人に対する親切さは、50%が遺伝要因による先天的なもの、50%が環境要因による後天的なもので形成されているそうです。
他人に対する考えや行動も遺伝するの!?と驚くかもしれません。しかし、他にも「他人に共感する(empathy) 」は、70%が遺伝要因によるという報告があります。
研究の結果、ドーパミンの代謝に関わる「COMT遺伝子」のrs4680というSNPが「G」である人は、「A」である人よりも、自分が持っている金額に対して高い割合の金額を募金する、つまりより親切に振る舞うと分かりました。
というSNPにはGG,GA,AAの遺伝子型がありますが、日本人平均と比べると
[mycode]
(当たり前の例)
[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full
[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/