「揺れる大地」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 揺れる大地とは

2021-08-01

気絶中の記憶こと夢です、

かつて人類と言われていた種が極めて稀有存在となった事に気がつかず、団子などを食らってのほほんと過ごしていた我々に人類あぶり出し駆逐する為に造られた天変地異が襲いかかる、激しく揺れる大地にできた亀裂が我々団子の兄姉妹弟を分かつ、我々がきゃつらを討つ日まで、「まずは自分の身を護り息長らえること」と圧制迫害を逃れるのに水の中は都合がよかった、不思議なことに日々過ごす内に私の体は水中での生活能力を獲得した、どれ位の時が経ったのだろう、旧時代の遺構を水中から見物する私に地上から付きまとう子ども達が私に声をかける、「よう、久しぶり」、再開した兄姉妹弟は時の高校生へとその姿を変容していたのだ、驚くべき事に地上へと戻った私も同様の外見を獲得し水生の機能は退化しつつある、討つべき敵も我々がこんな姿となっていては我々の事には気が付くまい、しかしながら我々は致命的な事に気が付いてしまった、我々が討つべき敵は戦うべき敵は一体なんであったのか、我々はそれをきれいさっぱり忘れてしまっていたのだ、否忘れたのではない、そもそもこの姿でなんの問題もなく過ごせてしまっている以上何事かをする必要もない、我々はひとまず日常を過ごすこととして団子などを食らっている、

仕事から帰り惣菜を貪り気絶をしていたら以上の夢を見て凍えておきました、もう一度寝ます

2021-03-18

ウマ娘に対するお気持ち表明。

擬人化を好きになり始めたのは、ビスケたんの頃である

もう少し仔細な話をすると、2chというか、オタクな界隈で「擬人化=モノや概念美少女化」というふうに通じる時期があった。今はもっと多様と言っていいだろう。

当時流行っていたのは、覚えている限りだと、下妻市シモンちゃんびんちょうたん、当時ネコミミ新幹線として話題を呼んだファステックたんなど…

あとは某島田先生のWW II期の戦闘機擬人化など…

書いてて思い出したが、当時はやたら「たん」けが流行っていた。

そうした後、擬人化たん白書なる書籍販売されたりと、擬人化界隈は小さな広がりを見せていた。

商業化という面では、エロゲの題材のほかに鉄道むすめなどある程度成功しているものもあるが、明確に大規模なマーチャンダイズが行われたのはおそらく、ヘタリアが契機のように思う。

キャラクター商売」の型ができ始めたあたりだろうか。

AKB48アイドルマスターがおよそ2005年ヘタリアはおよそ2006年。この辺りで、通信デバイス進化趣味の個立化によって「キャラがいればいるほど、一人以上の推しがつく」時代に入る。

擬人化においてヘタリアがもたらしたもう一つの意義は「語らざる背景」にある。

これはこの後の擬人化ビッグマーケットである艦これ」、「とうらぶ」などに通ずるが、単なるモノの擬人化に対して、「国」「艦艇」「刀剣」には、その名の由来となる歴史(背景)が付随することとなった。

これにより「最初キャラ造形とその後の保守さえ矛盾なく頑張れば、残りのキャラの(膨大な)コンテクスト各自で拾ってくる」という、実に効率的かつ大胆大規模な商品が生まれることとなった。

上手いやり方なのだ。例えばネット流行ったMeたんキャラなどは、どこまで行ってもスーパーフリー現象ぐらいなものだ。他は同人で膨らませるしかない。

だが、のちに「ナマモノ」とも言われるこれらは、取扱注意がある反面、物語は湧いて出てくる。

しかも種類が多い。莫大な数だ。四十七士や48人どころではない。

かくして大量消費社会にあって物語を湯水のように消費するマーケットができた。

かつてあった擬人化たん白書を今作るなら、野球名鑑やタレント名鑑の厚さを超えてしまうだろう。そんな歴史をひたすら消費してきた。

そこにまた新たなナマモノ消費がやってきた。

ウマ娘だ。

やっとウマ娘の話だ。

ただ前段でちらと述べたがナマモノは取扱注意なのだ

それを、おそらくは初っ端から、しくじっていた。

もちろん実際にどういうやりとりがあったか想像するしか無いが、企画先行で、根回しが足りていなかった(ないし認識が甘かった)可能性はある。

それはそれとして、プロジェクトとしては続行となり、擬人化が好きな筆者としては、新たな商品にワクワクした。

ギリギリオグリキャップはしらず、マキバオーを読んでこなかった筆者は、それでもディープインパクトハルウララ、そして何故かテイエムプリキュアは知っていた(確かエリ女で二着だった年で、知人が名前買いしていた)

せっかくの競馬擬人化ながら、当世最強の名高いディープインパクトが、噂ではトラブルで出せなさそうという話は、ちょっと残念ではあったが、

その後jraの2011-2013の激アツcmを見てからは全く気にならないどころか、その辺りはドンピシャで出てくる娘が多く、期待は高まった。

その後この期待は乱高下することになる。延期の発表、アイマスの有名Pの参加、その脱退、コンテンツ広報であるぱかチューブの勃興と黄昏カンリニンチャンの失踪

それでもウマ娘を待ったのは、擬人化コンテンツが好きで、一期のアニメが良かったからに他ならない。

この頃には、ウマ娘を契機として今の競馬を追うようになっていた。

まさか2018JCを目の前で見る日が来ようとは思わなかったが。

この時点では、擬人化コンテンツとしてのウマ娘を待ち続けていた。

からゲーム内容はそんなに気にしてなかったのだ。多少面白ければよい。第一クオリティアップのための延期」はあまり良い予兆では無い。まず安全リリースをして欲しい。擬人化コンテンツの消費がしたい。

そういう思いだった。

2020年度。

コロナ禍吹き荒れる競馬界でいくつかの奇跡が起きた。キセキはあまりいい成績ではなかったが。

ディープインパクト以来の無敗の三冠馬英雄の子コントレイル、史上初の傷なきトリプルティアラ神威の子デアリングタクト、そして全ての記録を過去にせん勢いで疾る灼熱の少女平成最後アイドルホースアーモンドアイ。

この三帝が一堂に会するJCは、今後100年は見ないだろう。

障害戦線では、老いて尚壮健な黄金血統オジュウチョウサンが記録を打ち立てていた。

かにも色々あるが目立つものだけでこれである

その年末に、待ち侘びた奇跡がやってきた。

カンリニンチャンが帰ってきたのだ。

間違えた、ウマ娘リリース予定日が初めて日付になったのだ。

この時点でも、ウマ娘は、擬人化コンテンツアイドル要素の融合ぐらいに思っていた。

アニメ一期のスポ根は、まぁストーリー要素程度だろうと。

認識が変わり始めたのはアニメ二期二話からである

このコンテンツは、ウマが勝つことに真摯であろうとしている。

それは、最初の開発からは感じられなかった点でもあり、しか競馬のもの擬人化の範としたときに不可欠な要素だった。

そしてそれは、二期のアニメを経て、GIRLS'LEGEND Uで高らかに掲示された。

顔のいい女の子たちが、頑張るぞーってなしかめつらで、とっとこターフを走る光景は、ついに裏切られた。

相手を食い殺さんばかりの気迫、道々宿敵をねめあげる眼差し、食いしばられる歯、揺れる大地、高速で過ぎゆく背景。

そこにあったのは「アスリート育成ゲーム」だった。

大概にして、ゲームでの勝ち負けなど、ただの数値である

それでも、レースを通して、シナリオを通して、曲を通して、「勝つことの意義」に魂を宿そうという意図が受け取れる。

そして、それを説得させるだけのゲーム映像技術を持ってきたのには舌を巻いた。

そうして、競馬のもの追体験するようなゲームの熱が、今日このように広がって行くようなことは、全く予想しなかった。

擬人化コンテンツが遊べれば良かったのだ。

エヴァの例え話で25年のパンケーキなんて話があったが、

ウマ娘で言えば、前評判のいいサイゲ屋のパンケーキを注文したら、ちょっと作り直すと言われたのだ。

焦がしたのかな?トラブったような音も聞こえた。まぁ食えるのが出ればいいや。変なものは出るまい。

そうして出てきたものが、行列ができるレベルの至高のパンケーキだったのだ。

魂消る。そりゃ魂消るさ。

ウマ娘リリースされてまだ一ヶ月も過ぎていないが、自分の中では、このような擬人化史が去来していった。

だが今は、擬人化コンテンツとしてのウマ娘…ではなく

ウマ娘」の、情熱理念に惹かれているのだ。

余談としてウマ娘ゲームとしての魅力を付記する。

ウマ娘を通しての競走馬の育成シミュレーションとしては、おおよそパワプロのようなシステムなので、こういうシステムが苦にならない人には向いている。あれもアスリート育成だしな。

その上で、シナリオ内で、史実競走馬についてくる物語がなかなかどうして、熱い。

歴史を超えるリベンジなどというのは艦これに引けを取らない熱さである

艦これとの比較として、お祈りゲーであることは同じであるが、大艦隊のうち6艦艇を率いるため育成が平らであるのに対して、ウマ娘は一アスリートを根から育てることとなり、まさに密である。一頭との濃密な関係が、レース本線を熱くする。

「キミと勝ちたい」。これがまさにテーマなのだ

かつ、この娘たちが今「生きて」いて夢を「夢のまま終わ」らせないチャンスがある。

それが史実リンクしたとき、血がたぎるのだ。

最後に、このお気持ちポエムを書かせた、ぶっ飛んでる構成してる神曲、GIRLS'LEGEND Uに敬意を表する。

 
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