はてなキーワード: パーソナルスペースとは
最近子供嫌いが急速に増えてるような気がするので要因分析をするよ
→なんだかんだこれが1番の理由だと思う
少し前までは子供嫌いとは言いにくかった
②他人に迷惑をかけるバカ親が増えた、叱らない育児が一般的になった
→マナーの悪いクソ親はどう考えても増えた
大人の空間と思われるホテルのラウンジに連れて行って、結果ホテルのラウンジがどんどんお子様禁止になってるのはわかりやすい例と思う
叱らない育児やすぐに虐待と騒がれる世の中になったので、親側に同情する余地もある
こどもの知能は犬以下なので多少の体罰を交えて育てるのはある程度合理性はあったと思う
犬は餌でしつけされてるわけで、人間の場合は餌にあたるものを用意するのが難しいから体罰を用いるのはある程度正当性はあったと思う
もう叱らない育児教に染まってる人は否定する人だらけと想定されるのでそこはスルーする
→これは無視できない要因で、首都圏は大人でもストレスを感じるパーソナルスペースの狭さなのに、そこに異物である子供が来ると破綻するのは目に見えてる
共働き当たり前になった結果、都市部一極化が進んだのは大きな要因と思う
よく子供うざい邪魔って言われてるのは大体公共交通機関の中だし、狭いマンションとかもトラブルが多い
田舎のような車移動一軒家なら比較的トラブルは起きにくいと思われる
→これは③とも関係があるが、公共交通機関での子供の声は我慢しろと言う風潮だったり、育休時短の尻拭いを強制されるという事が代表例である
子供の声、はっきり言ってうっせーもんはうっさいんすよ。周りは我慢しろと言うなら親側もちゃんとあやすポーズだけでも取れよと思う。スマホぽちぽちーじゃそりゃ文句言われますわ。
後は育休時短の尻拭いは増田で頻繁に阿鼻叫喚されてるので割愛する
俺が子供ダメになった理由で最も要因が大きいのは、実は育休時短の尻拭いなので、恨みつらみは相当あるがやめておく
ただ、これで子供嫌いになった人が相当多いのでは?とは思う
迷惑かける側が言う、それ会社が悪いよね?もうそれ聞きたくないっすわ。
⑤子を持たない人が増えた
→まあこれは大きいよねと思う
①に次ぐ理由だろうと思うが、自分の子はかわいいけど他人の子は可愛くないっていう言説は結構聞くので、言われてるほど効果かは疑問に思う
他にもあったらあげてくれ〜
日本うまれの日本育ちだけど、私の性格的に、日本って生きにくい国だなって思う…。
子どもの頃から英会話習ったり、中国語習ったり、外国人の友達や、同級生、先輩後輩多い中で過してきたからか、そっちの文化に染まっている感あるのよ。
社交辞令嫌いだし、基本、本音で会話したい方だから、外国人の方が本音ぶつけてくるから、わかりやすくて良い。
日本人は表向きは優しいけど、裏では不満に思っていて、笑顔でキレてるみたいな感じ。
まぁ、性格キツイのは外国人の方が多いけど、表裏はない人が多いから良いのよ。合う合わない、好き嫌いがわかりやすくて。
日本人ってさ、嫌いだと思っていても、仲良い感じ出すあたりがこわいというか…。
あと私パーソナルスペース狭い方だし、スキンシップ激しめの家庭で育ったから、典型的な日本人にはならない育て方されたからな苦笑
それだけは世界に誇れる。
至急、増田の気持ちを直接ぶつけて、何で自分には言えないのか原因を追求してしっかり話し合うべき。
自分は女だけど彼女さんのその癖というか性格、早いとこ直さないと結婚して子どもが産まれた時に絶対にヤバい事になるから彼女さんの態度には反対。
ただでさえホルモンバランスが崩れてメンタル病みやすくなる時期だし、育児自体大変なのに、それを共有や発信せず、助けを求めるどころか苦しいのを隠す行動を取っていたらどんどん自分の首を絞めていくよ。
最近の子からパーソナルスペースとか何とか言われそうだけど、自分は子どもを持ったからこそ、共同生活をしているのにパートナーに共有・発信ができないなんてのはやっぱり論外だと思うよ。
グラビア撮影とポートレート撮影の境界線はどこなのか?というエントリを投稿したのだけれど、ポートレート撮影術を語ってるうちに何かカメコ魂が熱を持ってしまってもっと語りたくなったので空気を読まずダラダラとポートレート撮影術を語るわw
個人的にはグラビア撮影会禁止とかそういう小難しいの置いといてさ、お前らさ「再現性のある技術」としてのポートレート撮影術って興味ない?
つまり、知ればお前らもできる、技術として探求できる、その面白さを楽しめるってわけ。そしてそこからさぁ・・・何で様々な撮影会なんてものがあるのか理解が深まるんじゃないか?って思うのよ。だから取り敢えずグラビア撮影会中止は横に置いておこうか。
グラビア撮影へ肯定的であれ否定的であれコレは技術の話だ!男女なんて関係無え!赤ん坊から老人まで活かせる!政治・社会思想なんて知ったことかよぉ!なぁ?お前ら知識語ろうぜ!英語やプログラミングのハウツーみたいに無言ブクマしようぜ!wwwww
わかりやすく言えば人間が前を向いた時に見える範囲、カメラレンズにはシャッターを切った時に写る範囲があるわけだ。
そこから考えると、人間の目で見た範囲とカメラレンズでの写る範囲が近似しているとリアリティさが増すと思わないか?この人間の視界の範囲に近似した画角を持つレンズをカメラ界隈では「標準レンズ」と呼ぶ。
人間の目で見た範囲とカメラレンズでの写る範囲が近似しているので撮影後のイメージがしやすくて標準的に使えるという意味だな。
そして実はこの標準レンズには代表的なモノとして2種類存在するのだ。2種類存在することへ面白さを感じ疑問を持つ人はカメラにハマれる才能あるな。
カメラ界隈には「フルサイズ35mm判換算」という言葉がある。これはフィルム時代のカメラで最も使われていたカメラフィルムが35mm判だったことから、デジタルカメラとなりイメージセンサが採用されるようになった現在でも相対的な基準として採用される。まぁ万人の共通認識を得るための指標だな。
そして素人はちょっと混乱しがちだがレンズ焦点画角もミリメートルで表され、例えばレンズ焦点画角35mmのレンズは「フルサイズ35mm判換算焦点画角35mmレンズ相当」と表現される。長い上にわかりにくいな!このような情報を記載する人もタイピングが面倒なので「35mm相当」と省略してしまうことが多い。
iPhone 14 Proで言えばメインカメラは24mm相当、広角カメラは13mm相当、望遠カメラは77mm相当で、数値が小さいほど広い範囲が撮影でき、数値が大きいほど望遠が効く感じになっていてフルサイズ35mm判換算焦点画角で表されているためカメラに詳しい連中は大体どんな範囲が写るのか?というのが想像しやすく共通認識を得られている。
人間の目で見た範囲とカメラレンズでの写る範囲が近似している標準レンズには2種類あると前述した。それが見出しになっている35mm相当と50mm相当だ。
なぜ2種類なのか?と言えば人間の視界は2種類存在し、この2種類の視界の言い回しは様々あるが、わかりやすい言い回しを選択するのであれば「両目視界の35mm相当、片目視界の50mm相当」だ。
そう、人間には眼が2つあって、実は見ている対象物の距離によって利用している視界が違う。端的に言えば「遠くのモノは両目で見ていて、近くのモノは片目で見ている」んだな。スポーツをやっていると「利き眼」なんて言葉を耳にすることがあるけれど人間は近くのモノを効き眼で見ている。
さぁポートレートの話だ。アナタたちの前に人が居て撮影する際に人間の視界からリアリティさを追求した場合、選ぶレンズは35mm相当か50mm相当がセオリーだが、どっちを使うか?と言えば再現したいシチュエーションによる。
パーソナルスペースという言葉がある。親密な家族やパートナーほど距離が近くなり、そうでない人は遠くなる。
人間は近いモノを片目で見ると言った。片目は50mm相当だ。恋人が自分の隣を歩いている、ソファで隣へ座っている、そういったシチュエーションを再現する場合は50mm相当のレンズを使うとリアリティが出るってわけだ。すなわち50mm相当は恋人距離レンズと言える。最近の言い回しをするならガチ恋距離レンズと言っても良い。
逆に言えば、少しパーソナルスペースに距離があるという関係性を再現する場合には35mm相当が良い。両目視界は遠くのモノを見るときに使う視界なので片目視界の50mm相当よりも両目視界の35mm相当は距離を演出できるわけだな。
ただコレは35mm相当と50mm相当の使い方の一例にすぎない。旅行先の風光明媚な景色に立つ遠くの人を自分の視界をリアリティ高く再現するために撮るのであれば50mmよりも35mmの方が実視界に近くて良いだろう。
前回のエントリでも言及したけれど、フルサイズ35mm判換算焦点画角の数値が小さいほど広い範囲が撮影できて歪むので、バストアップさせたいみたいなシチュエーションを求めるのであれば35mm相当や、もっと広角のレンズで近接撮影するというのは決して間違いじゃない。例えば過去に鼻デカ動物写真が流行したけれど、これも非常に広角なレンズで動物を近接撮影して実現している。
実はレンズの種別の中には「ポートレートレンズ」というモノが存在する。別名「中望遠レンズ」とも呼ばれるこのレンズはフルサイズ35mm判換算焦点画角70mmレンズ相当〜100mm相当あたりが大体そのように呼ばれる(絶対的な基準ではなく大体そのあたり)。
これまで語った流れからポートレート撮影は35mm相当や50mm相当が向いていると勘違いされそうだが、前提として人間の実視界をリアリティ高く再現する場合は35mm相当や50mm相当が向いていると言うだけで、逆に演出性高くポートレート撮影したい場合には向かない。
写真って何だかんだで芸術カテゴリなので、やはり演出性が高い写真が評価されやすく、そういった意味でポートレート撮影に向くと言われるレンズも演出性高いものになるんだな。
演出性高いって結構フワッとした概念だけれど、標準レンズと比較して素人でもわかりやすい違いを言えば背景がボケやすいことが挙げられる。
いわゆる望遠レンズって遠くを拡大できるレンズなわけだが望遠レンズ圧縮効果とかいう光学的な影響によって背景ボケが強調される傾向にあり、ボケによって被写体人物と背景の分離を作りやすくて被写体人物を目立たせやすくなるんだな。
そして上記のバストアップと同様にポートレートレンズ以外がポートレートに向かないというわけではない。フルサイズ35mm判換算焦点画角数値の大きい望遠レンズは広角レンズよりも歪みが少なくバストアップを目的とした演出的な撮影には向かないからだ。得たい結果を求めてレンズは選択するべきなのだ。
再びiPhone 14 Proのレンズ構成を確認してみよう。メインカメラは24mm相当、広角カメラは13mm相当、望遠カメラは77mm相当で、面白いことに人間の実視界に近い35mm相当付近や50mm相当付近の画角を持つレンズが搭載されていない。
しかしながら演出的な撮影、今風の言い回しにするならエモい写真が撮れそうな画角のレンズで構成されている。広角カメラの13mmなんて非常に歪んでバストアップ効果が期待できそうだし、望遠カメラの77mmはポートレートレンズの範疇だ。今のiPhoneユーザは実視界的なリアリティある写真は求めておらず演出的なエモい写真を求めているとAppleは判断しているのかも知れないな。
近日販売開始されるSONYのXperia 1 Vはカメラ界隈で驚愕を持って受け止められているが、そのレンズ構成はメインカメラは24mm相当、広角カメラは16mm相当、望遠カメラは光学ズーミング機能付き85mm-125mm相当になっていてコチラも標準レンズが存在しないけれど、広角カメラ16mm相当はYoutuberが街歩きで自撮りする際に人気の画角になっている。iPhone 14 Proより広角カメラの数値が大きくて歪みが少ないので太って見えにくいわけだ。望遠カメラはiPhone 14 Proより拡大できて背景のボケも大きい。
少なくとも演出的なポートレート撮影において、もちろん最近流行りのTikTokみたいな縦撮り動画も含めて、Xperia 1 VはiPhone 14 Proよりもユーザに求められているポートレート撮影を実現しているレンズ構成だと言える。このあたりは流石カメラメーカーだ。iPhoneにイメージセンサを供給しているだけある。
お前らは人間の視界とカメラ画角、リアリティと演出性の知識をほんの少しだけ得た。そこでレンズの歪みなどを効果的かつ積極的に使っている映像作品がある、韓流アイドルMVだ。
韓流アイドルはMVとバラエティ番組などへ出演している際に何か体型が違わね?とツッコミ入れられることがあるけれど、何故かと言えばレンズの歪みを効果的に利用しているから。
少し下から煽り気味に撮影して小顔足長に見せたり、照明と組み合わせて筋骨隆々にみせたり、広角でドーンと近接撮影して胸や太ももをムッチムチに見せたりしてるんだな。
推しのメンズグループメンバーの顔がアップに写ってドキッとするのは何故か?まるで隣りに居るかのように映像から感じてしまうのは何故か?は今回のエントリを読むと何となくわかる。
これらは再現性のある技術であり知識だ、プロの作品からカメラ・レンズをどのように効果的な使い方をしているのか?というのを今回のエントリはその表層だけでも理解できるように書いた。
知識を得たアナタたちがこの知識をどのように利用するのかは筆者にわからない。カメラにハマるかも知れないしハマらないかも知れない。
しかしふとした瞬間、友達を恋人を家族をいい感じで撮りたいなと思いつき、このエントリを思い出してスマホカメラのレンズを望遠カメラに切り替えるようになったのならば少しは意味のあるエントリだったのではないか。
経験があって即戦力です!という感じで、人手不足の我が部署に配属になった。
ただ、実際仕事をさせてみるも
まあ何にもできない。
とりあえず新人と同じ扱いにしようということになり
向こうにいやらしい気持ちが無いことは見て取れるんだけど
本当に近い。近くて嫌だ。
物の受け渡しとかするときに手が触れることも結構あってかなり嫌だなと思う。
元々おじさんという人種を苦手だな、と思う節があるので、そのせいもあるかもしれない。
我慢するしか無いな〜と思う反面、本当にパーソナルスペースの違いによるストレスがすごくて毎日が憂鬱。
おじさんに悪意が無いことはわかるから、やっぱこっちが我慢するしか無いのかな。
正直に「近いです」って言うのはやめた方がいいよね。
少なくとも年度末まではペア組んでやらないといけないのでどうにかしたいな。
耐えるか〜
まず、電車の本数を増やすのが一番理想だけど、それが出来るならとっくに解消してるのでこれはボツ。
次に、各会社がテレワークを徹底する。会社ごとに出社日・出勤時間を分散させて電車に乗る人を減らす。
これも出来るならとっくに解消してるのでボツ。
じゃあどうするか?
ここで提示する解決策とは、個人個人が満員電車を作らせない努力をすることである。
一人一人が覇気を放ち、人に近づかせないオーラを放つことでパーソナルスペースを確保する。
覇気を放つは言い過ぎたけど、ちょっと足を大きめに開くとか、無理に隙間を埋める努力をしないとか。
要するに、ある程度のキャパを越えたらホームにいる人は乗るのを諦めるわけだが、そのキャパを小さくしようという運動である。
思想や理由がないとイライラする、というよりかは本当に単純にどんなきっかけがあるのか、生来のもの(もともとなければ一生ないようなもの)なのかが知りたいなと思っただけなんだけどね。
なんというか、もともと欲しいけど理由があって(自分みたいな理由も含めてね)欲しくなくなった、はもしかしたら欲しくなることがあるかもしれないじゃん。
自分もずっとそうなのかなと思ってきたけど、よく考えたら子どものころとかも別にきょうだいほしいみたいなのもなければ赤ちゃん将来欲しいとか考えたこともあんまりなくて…。
あれ、もともと欲しくない気もする、と思って、じゃあ他の人ってどこでその気持ちを得たのだろう?って疑問に思った、という感じ
子ども自体は嫌いではなくてかわいいのだが、パーソナルスペースにいる生きている人間全般がうっすら苦手なので自分が育てるのはムリだからいらないという感じ。上下左右の家から子どもの騒音すごいアパート住んでるけど、それはそんなに気にならないし、部屋から出た時とかにみかけるとかわいいので迷惑とかではないよ。
こういうのも女性の生きづらさの一例なんだけど、普段もっと大きな女性差別があるせいかなかなか注目されづらい。
スープストックの件でもそうだけど、子供が嫌いな女性は存在するし、子連れと一緒に食事したくない女性がいるのは当たり前のこと。
そういう女性が今回の施策に不満を覚えるのは当たり前だと思うんだけど、女性が子供は嫌いって言っただけでまるで人間ではないかのような扱いを受けて叩かれてる。
どういうこと?社会的には女性=子供好きでなければならないって刷り込みがあって、その刷り込みに逆らう女性は人と認めないって風潮がある証拠だろう。
今回の話だって、男が「吉野家に子連れは来るなよ!」って話をしてたら、ここまで世間の批判を受けなかっただろう。
男は育児をしないだけでなくて、その延長線で、子供嫌いを公言することも、子供を男のパーソナルスペースから締め出すことも特権として許されてる。
成人女性あげはとツバサの絡みをおねショタときゃっきゃ喜ぶところ悪いんだけれど、今週のプリキュア、反ポリコレ跳満じゃねえか。
・ツバサを「少年」としか呼ばず、一人の人間として見ていない(一翻)
・成人女性が「ツバサにわかってもらっていると思っているから」という勝手な思い込みで、子供相手に自分のやり方でコミュニケーション方法を押し付け、子供に気を使わせる(二翻)
・↑をましろ、ソラに指摘させて「男=相手の気持ちが理解できない」というステレオタイプ表現(一翻)
・男は女の気持ちを汲み取ったら、それに応えなければならないというジェンダーロールを子供に押し付け(一翻)
元増田です。たくさんのご意見・アドバイス、ブックマーク、ありがとうございます。
見た目が地味だったり、変わった方に好かれる特徴があったりするのではないか、というコメントがありましたが、確かにそうなのかもな…と思いました。
高校生のころからお母さんみたいな格好だねと友達に言われたり、小柄ではないのですが中学生の頃は尻がデカいねと友達に言われました。。(つらい…)
化粧はちゃんとしているつもりです。髪は染めてますがブリーチまではしたことないです。
小さい頃から皮膚が人より弱く、酒さ・じんましん体質なので顔も腕も肩も背中も足も本当に汚く露出の高い服装などをしたことがあまりなかったのですが、社会人になりお金も貯まりそうなのでこれを機に少しずつ治して派手めな見た目にしていきたいと思います。ありがとうございます!
また待ってちゃダメ、自分からいかなきゃというコメントもたくさんいただきました。身に沁みます…
ハードルが変に高い〜というコメントがありましたが、男女混合の集団で遊び・飲みに行く機会はわりと多く、むしろ女子だけで遊ぶ機会より、男女混合グループで遊ぶ機会の方が多いくらいです。グループの中で女が私1人のこともけっこうあります。2人で遊びに行く経験はあまりないので緊張してしまいますが、集団で遊びに行くのは私からも誘うし全くハードルとも思わないです。
集団で遊んだのち2人で遊びに行く間柄になった人もいたにはいたんですが、9回くらい2人で遊んだ後に彼女ができたみたいです。9回裏で逆転されてしまいました…
こういうところで選ばれないのほんとに悲しいな〜って思ってしまいます。男性から異性としてみられない、友達止まりの女として扱われているんですかね…
あとアプローチの仕方がわからないです。私は好きでも相手にそれが同じ熱量で伝わっていないような気がしていて、、友達に相談したらボディタッチとか?って言われたのですが、付き合ってもない女からベタベタベタベタ触られるのって男性的にはどうなのでしょうか?
小学校時代にいじめられ、蹴られたり菌とか汚いから机を離せと言われた経験から人に触られるのも人を触るのも怖く、パーソナルスペースがかなり広い自覚があるのですが、もし大多数の方にとってボディタッチが良いのであれば私が変わらなきゃな、と思います。
また、イケメンから好かれたい、ということは全くないです。ジャニーズとか韓国アイドルとかのいわゆるイケメンを見ても全員同じ顔にしか見えないし、私自身オタクなのでイケメンと関わるとものすごく気後れしてしまいます。できれば私と同じくらいの陰キャ度合いで、同い年くらいの方とお付き合いできたらな〜と思っています。
人口の崖を今正に転げ落ちている最中の我が国日本でよく聞こえてくるようになったのが
「過疎地の維持など金の無駄だから都会に集中しろ」というバカげた近視眼的論理だ。
地方なんてよほど手厚く保護しない限り、末端から壊死していくんだから。
ただ、それで壊死した地域を切り捨てて放置したらどうなるのだろう。
一度壊死して切り捨てた地方を再開発するのは、ただ山野を切り開くよりよほど金も時間も人も消費する。
それを想像すらせず、直近の利益のみを考えて「地方など捨てろ」とやってホントに長期的にメリットがデメリットを上回るのか?
これから先、人口を一切増やすつもりがないなら、壊死した地方を切り捨ててもいいかもしれないが
いったん減った人口が都市部に集中して地方が壊死した後に人口増加した場合、どうするんだろうか?
人が集まった都会で人口密度高めながらどんどん減っていくパーソナルスペースを甘んじて受け入れるのだろうか?
それとも、地震大国の日本でさらなる超高層ビルを建てまくるのだろうか?
そうやって大都市圏に集中して、壊死した地方の海岸部に原発建てれば縮小した安定が得られるかな?
まぁ、人口が増えるにしたってどんなにポジティブに見積もっても1世紀ぐらい先の話なので、
そのころに死んでる俺たちが考える事ではないかな。