はてなキーワード: 真摯とは
他人を罵らずにはいられないぐらい推しへの愛が荒ぶってしまったなら、全然私にぶちまけてくれて構わない。
そりゃあリアルの友人から意地悪言われるのは悲しいが、ネットの人間にどれだけ罵倒されようがどうでもいい。
逆に絵が下手とかデッサンが狂ってるとかそういう毒マロは全無視してる。推しへの愛が主眼にない罵倒には何の価値もない。
そういう意味で、毒マロを送られた私を励ますマシュマロ、別にそんなに嬉しくない。
全く嬉しくないってわけじゃないが、私は匿名で荒ぶる愛ゆえに私を罵る怒涛の長文を送りつけてくる女の方が全然好き。
好きだから返信してるのに、返信すると同情集めに見られるのほんといや。
数ヶ月前に適当なゲームから入った界隈で死にたい死にたい言う人が多くて、まあ構ってちゃんな場合が多いだろうとはなんとなく思ってたけど、死にたいって言い出す奴より周りの奴がイラついたんだわ。
そいつらは誰かが自殺をほのめかしたら「自殺はまあ権利だからね」とか「いつか安楽死が認められるようになったら私も自殺する」とか言い出すわけよ。
私だって止めるわけじゃないけど、中には「自殺はダメだよ!死なないで!」とかストレートに騒ぐ空気読めない真摯で純粋に振る舞うアホもいて、しかしそういう奴は「〇〇さん、そういう風に自殺はダメだって決めつけて自分の価値観を押し付けるのはダメだよ〜」とか周りに注意されるわけ。
別に大して悪い対応にも思えないんだけどさ、実際自殺に踏み切った奴がいたのよ。それまで死にたい死にたい言ってたそいつが死にます、さよならとかTwitterで言ったらそこに「いってらっしゃい」とか「おつかれさま」とかのリプがついてるわけ。多少は死なないでとか言うやつもいるけど、Twitterのアカウント削除するって言った時とだいたいおんなじような反応だよ。むしろ死ぬってのには関わりたくないって人間が多いから垢消しの方が止める奴は多い。
でも自殺は権利だからね〜とか言ってた奴はボイチャで、まあどうせしばらくしたら帰ってくるし、こんなこと言っちゃ悪いけど実行してるかどうか怪しいよなとか言いやがってさ、そりゃあみんなそう思ってなくはないけどそれをお前らが口に出していいのか?って思うのよ。
さらに言えば普段死にたいとか言ってる奴があんまりいない時に本音を漏らすような感じで、ああいうことやってるやつって家がどうたらこうたらで可哀想で貧困だからそういう背景云々みたいなことを言ってくるわけで、それもイラつくの。
結果そいつは実行した上で未遂で済んで病院行ってて、しばらくして家族にTwitterとか見られて垢消したんだけど、まあ実行してるんだからまあまあモヤモヤしたよな。
他のコミュニティの話もすると不登校の中高生がまあまあ多いところがあってさ、そこでも「じゃあ休んじゃえばいいよ」「このサーバーにも不登校の子は結構いるからね〜」とか軽率にそいつらは言うわけ。でも言う奴らは割と学校行ってるんだよ。まあ不登校の子も鯖にいるんだけどその子たちも自分らで勉強やら何やらしなきゃいけなかったり復学のためにどうにかこうにかやってたり親の暴力をどうするかみたいな対処でいろんなところに相談してるわけよ。あまりにも短絡的に過ぎるというか、休め休めって言う前になんかやることがあるだろうと思うんだよな。
この二つの話で共通して笑えるのは私自身は特に何もしていなくて、そういう話題が出ても触れないようにして死にたいとか言い出す奴を避けてた連中の1人なのに外野からなんやかんや言ってるってことなんだよな。
しかも私は彼らの中では年長で今の話に出てくる自殺志願者やらは中高生中心、不登校のコミュニティに至っては小学生もいるぐらいだからさ、そういうところでODやらリスカが横行してて、それを真似する奴が出てくるのを黙って見てる自分が本当に無責任でしょうがないな。でもこれからも触れたくはない。おしまい。
「恋愛・結婚至上主義にどうにも馴染めない」みたいな内容の増田とか読んでると、途中ですげーサラッと「何度か交際してみたが…」みたいな一文がでてきてビックリする!!!
おかしいだろ!!!!!恋愛ってなに?わかんないや……みたいなナメた態度の人間が複数回いとも簡単に交際に漕ぎ着けてるのはおかしいだろ!!!!!!!
俺はじっさい中高時代、「みんな彼女欲しいとか言ってるけど、言うほど欲しいか?☆☆さんのことは好きだけど、付き合いたいっていうのとも違う気がするぞ……」みたいなナメた態度で、顔などがキモかったこともあっていっさい浮いた話はなかった
はじめてデートに誘うメールを送信したときには、あまりの緊張に手に血が回らなくなって、冷たい手が震えるのを半笑いで眺めていた
彼女の空いてる日程がちょうど俺の帰省予定と被っていたが、そこは両親に電話して「一世一代のデートだから帰省はキャンセルにしてくれ」と頼み込んだ
そういう、おおきな感情の発露の先にあるものなんじゃないのか 交際って
そんな、ナメた態度で、「よくわかんないけど付き合ってみるか」みたいな気持ちでやれるもんなのか 降って湧いてくるようなもんなのか 交際が
あいつらすげーじゃん、超長文ノート書いたりアンケートやってみたりしてさあ、何がオマエをそこまで突き動かすんだ?と思わされるじゃん
その熱量をなんかほかのことに当てなよ、人生ってモテるモテないだけじゃないぜ、なんて思っちゃうくらい延々やってんじゃん
で、実際ヤツらを突き動かしているのは何か?
学生時代、交際を求めていたけど、交際の女神はついぞ俺に微笑まなかった いざや青春を我が手に取り戻さん!そういう気持ちになってんだやつらは
学生時代に交際を手にいれられなかった人間はああいう狂い方をしかねない そんだけのパワーがあんだよ交際には!!!!!!
聖杯みたいなもんですよ
交際クエストで命を散らし、非モテ・アンデッドと化してインターネットを放浪するようになったやつらの姿を見て、交際に真摯に向き合おうと思わないのか???
実際やってしまったものは仕方ないよ 適当な気持ちでも交際が降って湧いたのは事実かもしれない
でもさあ!!!それを当たり前のように軽く流すなよ!!!!!!!!
恐れ多くも、私めに交際の機会が訪れなすった!と、そういう態度でいましょうよ
あーん、ひとと付き合ってみたけどあんまりホンキになれなかったアタシ(オレ)、かわいそー!じゃねえんだ 殺すぞ
常人が普通に生きてたら「付き合ってみる」なんて状況は発生しねえ
一生無交際で生きていくか、ものすごい感情を燃やして交際を掴み取るか、どっちかなワケ
キョーミないけど、なんか恋人できちゃいました!じゃあないんだよ
テメエ、ナメてんじゃねえぞ交際を
俺はそういう気持ちをもって生きているのだった
声優には一切興味ないまま生きてきたのに、自粛期間中に安元さんのラジオに出会って色々見るうちに完全に恋した
アイドルでも二次元キャラでもお耽美系が好きで一切リアコに近い感情を抱いたことはなかったけど今思えば当たり前だったね
◆まず顔が好き
基本男らしいんだけど、平行めの太眉と丸みのある輪郭、ぽってり唇と肌の白さで厳つすぎない感じが絶妙だと思う
◆次にクソがつくほど体格が好き
四六時中抱きしめたい
あの体格で抱きしめられたいけどそんなことされたらときめきすぎて死にそうだからあんまり想像しないようにしてる
結婚したい
仕事ができるし楽しめるし、信頼されていて感謝を忘れず驕らない人間って結構珍しいと思う
私は金だけもらえるなら全然仕事辞めたいし愚痴も出そうと思えばいくらでも出るよ…
◆でもなによりも生活力があって1人で生きていけるところが好きだ
パートナーがいなくても楽しくやっていけて、依存しすぎないと思うしお互い1人の時間を設けてくれそうな気がする。
極端に好かれることとか気にかけられすぎることにストレスを感じてしまう私はこの適度に放任主義な感じに惹かれる
本当に結婚したい
マンションの部屋隣同士で借りて行き来するくらいの距離感でお願いします
こんな感じでもう手遅れなくらい安元さんの一挙一動にきゅんきゅんしている
声優の夢女のこと「大変だねw」とか他人事で笑ってたけど、この間現行設定の安元さんとたまたま出会ってサッカー観戦する夢見てしまって本格的にヤベェと思って青ざめた
なにせ私は声優にリアコな女の末路を知っている。
昔フォロワーが声優のリアコをやっていて、そんな中その声優さんが結婚したという事件があった。
それから1週間、その人はぽつぽつと言葉を残したっきり、二度と現れることはなかった。
アイドルなら、まだ良かった。
瞬間的には同じくらいショックでも、アイドルは結婚したら悲しむ人と怒る人が多い。
ショックでもみんなと慰め合うことができるし、理不尽だとわかってる怒りをこっそり吐き合える仲間が必ずいる。
声優さんは祝福される。
祝福しないといけない空気を作られる。
怒っていると学級委員が飛んできて人間性を否定されるし、悲しんでると夢女乙と笑われる。
当然自分には怒る権利がないし悲しんだってどうしようもないことはわかってる
それでも失恋とも少し違う痛みを延々味わうことが辛いのは想像に難くない。
だってあの年齢とスペックだと、あんだけ独身アピールしときながらいつしれっと結婚報告とかしてもおかしくないもん。
過去に散々モテないアピール独身アピールしてた人が結婚して病むオタクたち見てきたもん。
想像しただけで気分悪くなった
対処法は一つ。
安元さんの結婚報告を笑顔でお祝いするには私が先に結婚して心に余裕を持つしかない!!!!!!!!!!!!!!!!
命をかけた戦いがここにある。
そういうわけで、今私は勝手に安元洋貴さんと結婚デッドレースを開催している。
幸いにも(?)安元さんのおかげで長年曖昧だった理想の男性像が明確になってきたから、これを活かしてガチの婚活始めます。
30代くらいで1人で生きるのが楽しくて、彼女欲しいけどあんまり四六時中ベッタリしたくなくて、アニメ漫画ゲームが好きで、時々スポーツ観戦に付き合ってくれて体格が良い男性は連絡ください。
以上。
>「話を聞いてくれる人(自分)が居ないと私はますます追い詰められる。カウンセラーは聞くだけで真摯なアドバイスなどしてくれない。味方だと思ってたのに…」と泣かれてしまいました。
変だよね。上司は自分が追い詰められたくない代わりに貴方を追い詰めるのは良いと思ってるんだよ。目を覚ましてね。上司が例え貴方に感謝しても謝罪してもやってることは静かな脅迫だよ。「我慢するのが美徳。」でも「誰かに労られたい。真摯に話を聞いて欲しい。」って矛盾してるよね。貴方を使ってストレス発散してるんだよ。貴方は貴方を守らなきゃ壊れるよ。何でそう言うかと言うと、私は上司にも貴方にもなったことがある。自分を守ってあげてね。
上司の愚痴を聞き続けるのが疲れ果てたので、ここで吐かせてもらいます。
優しく気さくな性格で仕事にも責任感があり、頼りになる上司だ。
待機時間が多い仕事で、会話をする機会はどうしても多くなってしまうのだが、話題に上がるのは上司の家庭の話だ。
上司は夫と3人の娘と暮らしてるが、長女は求職中で次女はひきこもり(10年近く)で三女は大学生だがコロナ禍で休校中らしい。
主にこの3人の娘がワガママを言いたい放題なので困る!といった愚痴が中心なのだが、数年間毎日同じような内容の愚痴を聞かせられ続けて本当にうんざりする。※リモワできない職場です
子供がワガママを言う(本当にレベルが低く容認されないのが当然のような内容)なら、駄目なものは駄目!とハッキリ親が主張すれば良いのではないのか?親ならそれができる立場なのではないか?と何度か言ったことはあるが、上司が娘の言い分やワガママを却下すると上司の伴侶(夫)が、「そんなに厳しく言うこと無いじゃないか。そんなわがままぐらい許せよ」と止めに入ってくるらしい。挙句、「母親ならそれ(娘のわがままの尻拭いや世話)ぐらいしろ。お前の言い方が悪い」と、上司の非難に繋がって、それを見てる娘たちも「そうだそうだ!私達の言うことを聞かない母が悪い!なんでもかんでも母のせいだ!」という思考回路になってしまってるみたいで、話を伺っている感じだと家庭内カーストの最底辺に上司が居て、元来の責任感の強さもあり掃除・家族の洗濯等細々とした家事を全てやっていて、コロナ禍で家で暇そうにしてる娘たちに何か軽く家事仕事をお願いしたものなら、聞く耳も持って貰えない所か、反感を買い逆に家事の邪魔等嫌がらせをされたりするそうです。(←この件を上司夫に話しても、お前の言い方が悪いし家事ぐらい娘にやらせず一人でやれ、とモラハラ発言されて終わるらしい)
とにかく娘達も酷いが、上司夫も酷いモラハラで言葉の暴力も酷い上に上司が相談しても聞く耳持たない上に、娘が常識外れの酷い事を言っても娘の肩を持って、まず上司を非難する(夫の理屈曰く、言ってもきかない娘より、言えば大人しく従う上司の方が楽で話が早い)事が前提で考えてるのでタチが悪い。
じゃあ上司夫はさぞかし子煩悩で、娘達の面倒をよく見てるのだろうと思われるが基本的に放置で一年の半分は海外出張している仕事です。今はコロナ禍で在宅ですが、娘のご機嫌取りや買い物は「女の事は女でやれ」と言ってだいたい上司に押し付けてくる上に、娘のことを真剣に相談(ひきこもり子の社会復帰など)すると逆ギレして「じゃあ俺が家を出て行く!or家族を置いて海外駐留してやる!」という脅しが常套句。
そんな酷い環境だったら、まず別居した方がいいんじゃ…と思いますが、別居したらこの家庭が崩壊する+別居するなら二度と家の敷居は跨がせないと夫から脅されていて実行できないそうです。
誰か上司身内に味方になってくれそうな人はいないか?とも思うのですが、上司の親は「あなたが黙って耐えて家庭を支え続ければ良いのよ」という風に追い詰めて昭和の母親像を押しつけくるタイプの人です。この上司の母親も固定観念が強くて、上司の家庭に無駄に口を出して悪影響を及ぼしてる厄介の種。自分と同じ様に昭和の母親(家庭のことを何不自由なく全てカバーする専業主婦)になれ!と正社員で働く上司に押し付けてきて、出来ないと駄目な母と上司家族に愚痴る事でより家庭内カーストで上司が貶められる。
本当に数年間愚痴を聞き続け、なんとか穏便な突破口無いものかと探し続けてましたが、そもそも上司の周りにモラルが低い人が多すぎて地獄絵図。
上司はもともと気が弱くて争い事が嫌いな性格で自分が我慢する事で調和が成り立つならそうしようという優しい性格なのだろうなと思います。
自分だったら耐えられないような酷い環境で、数年間毎日聞いてるとこちらもあまりにストレスが酷くて、上司ほどの忍耐が無い自分にはもう愚痴を聞くのもしんどいです。(自分が上司の立場だったらとっくに逃げてるか暴れてる)
愚痴の内容が悲しすぎて、聞いてるこちらが泣いてしまう事もあります。
数年前から脱毛症にも悩まされてますが、おそらく(他にも原因はあれど)上司のモラハラ家庭の愚痴も影響があると思います。
業務内容は良いので転職はあまりしたくないのですが、コロナ禍で大変ですが転職も考えないといけないのかなとも思います。
あまりに辛かったので、愚痴を聞き続けるのが辛い、プロのカウンセラー等を利用した方いい、もう家庭の話をするのはやめてくれませんか?と伝えたら、
「話を聞いてくれる人(自分)が居ないと私はますます追い詰められる。カウンセラーは聞くだけで真摯なアドバイスなどしてくれない。味方だと思ってたのに…」と泣かれてしまいました。
そもそもアドバイスなど、5年間に渡って(他所の家庭に口出しするのは野暮なので)控えめに言い続けてきた…娘さんを少しずつ自立させる為にケータイ代を払ってもらったり洗濯なども自分の分は自分でやるようにしてみては?別居して距離を置いてみるのはどうか?等色々としてきたが、いろんな理由があって何一つ採用された事は無いです。(娘自立作戦は娘と旦那の反発に合い無理。別居も脅されて無理)
最初からアドバイスなど本気で実行する気もないのなら、傾聴のプロのカウンセラーに話せば良いのに、人を無料のカウンセラーがわりにするなという怒りも湧きます。
家庭がモラハラで、未成年や金銭面に不安があって脱出できないのは理解できますが、未成年でもないし金銭面でも十分生活できる収入があり、やろうと思えばいつでも別居を実行できるのに、わざわざモラハラ家庭に居続ける意味が本当によく分からないです。
ここまで来ると、好き好んでその環境に望んで居るのか、それともある日夢のような奇跡が起こって急に全て上手くいくように考えてるのか…上司の考えも理解不能です。
おそらく後者の考えが強そう。社会に出れば娘達も学習してわがままを言わなくなる…だから家庭では伸び伸び過ごさせようみたい他力本願な事も言ってますし。
けれど実際は社会の厳しさにぶち当たって、就職したけど一年保たずに辞めるを繰り返してるパラサイト無職になってますけどね。家庭内でのわがままも相変わらずですし。
自分があほなことしか書けないからアホなひとしか集まってこない。
おかげではてなブックマーク民はこんなことも分かってないのかって諭すような増田が大量にホッテントリする流れになってる。
でも、はてなブックマーク民はそれらの指摘に真摯に対応しようとしない。話をそらしたり他人事として扱う。
スガさんがやってた、それは批判にはあたらないとかうっせえわ、って態度そのものだ。
自分はそういう態度取っててよくそういう恥知らずな発言できるよな?自分を顧みない。
自分たちが集団として批判される立場になったときにこういう反応してるんだから自民党の人たちだって同じ感覚だろ。
自民党のお偉方も
『文學界』2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界』公式アカウントも反論のツイートをした。
【訂正のお願い】今日発売の『文學界』3月号に寄稿した新人小説月評の末尾が編集部によって勝手に削除されました(左:本誌、右:最終ゲラ)。消された「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」の一文を追記してください。 pic.twitter.com/EeFtgele6Z— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
文學界3月号「新人小説月評」の筆者・荒木優太氏が、編集部に月評の内容を編集段階で勝手に削除されたとしてTwitterで抗議していますが、編集部の認識はまったく異なります。ここに経緯を記し、荒木氏の投稿に反論します。— 文學界 (@Bungakukai) February 5, 2021
のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評の倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。
https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/
最初に荒木氏の①【訂正のお願い】ツイートは2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明のツイートを行なっている。
言及ありがとうございます。詳しくは長文にて説明しますが、とりあえず、①「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり、私はメールにて「岸さんの箇所は現状ママでよろしくお願いします」という指示をちゃんと提出しています。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。
2. 『文學界』が「批評としてあまりに乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。
3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。
4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。
5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実をSNS等で吹聴する』」と返答する。
7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。
以上である。
さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである。
先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。
1. (略)
2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。
3. (略)
5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。
7. (略)
『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。
荒木氏の立場としては、編集部の意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。
「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?
一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しかし命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである。
では荒木氏のツイートと時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。
言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現「勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである。
これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界』から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。
私には物理的に手出しできないのだから「お好きになさるとよいでしょう」と言うほかないではないですか。私の意志をちゃんと理解した上で、削除を強行するのは編集権の濫用だと思います。— 荒木優太 (@arishima_takeo) February 5, 2021
「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式上同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかに真である。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。
ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態で刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である。
本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評の倫理」から考えてみよう。
荒木氏は「削除されなかった」場合に作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。
そもそも、作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家・樋口恭介がしたとおりウェブに反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。
ちょうど1年前の『文學界』新人小説月評に対し、作家の樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。
樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的な評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈がそもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷氏から不適切であったと謝罪・撤回を得ることに成功している。非常に健全な批評的やりとりだった。
ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈が提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示したこの事例との比較から、「反論の余地を与えない表現は批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。
荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己に責任をもつところの私自身にとっての大切な創造物であるということだ」と述べる。結論はこうだ。
私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。
荒木氏の論理では創造物なのは「(無)感動」である。解釈そのものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である。
だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である。解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身からの反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくその規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。
月評の制限字数がわずかであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。
解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。
ある意味で当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。
これは余談。批評の主体は愛や敬意、と言う人がいるが、必ずしもそうではない。それを必須条件にしたものは読み物としては心地よいが批評ではない。批評の主体は、テキストと論理と緊張感。対象作品の書き手の思いや反応や背景など気にする必要は一切ない。ちなみに小林秀雄は批評家ではなく評論家— 川上未映子 Mieko Kawakami (@mieko_kawakami) February 6, 2021
テキストも論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。
まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界』編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き上問題はないが、合理的ではなかった」というものです。
仮に削除せずに全文ママで掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます。
あるいはもし仮に改稿・削除提案が荒木氏自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木氏自身がSNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。
それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。
無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集の作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。
ただし荒木氏自身も批評を書こうとしているので(「「批評の言葉」かどうかを編集部が判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります。
よって、時評の存在意義や読者の需要はコメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。
最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いています。コメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト・論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的な応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます。
いやー女の発達も近いこと考えてると思うよ
「彼くん好き好きこんな素敵な彼くんと出会えたなんて奇跡神様ありがとう!」
…って人前では言ってるが、心の奥底でははぁ?彼くんと付き合うのは女として当然の権利でしょ?ろくな彼くんが現れなかった今までの人生がおかしかっただけwと考えていて、そんな自分を治そうともしない女がいかに多いか
しかも女の場合そういうメンタルでも男との関係が案外長続きしたり、別れた後も一回彼氏作るコツを見つけたらすぐ別の彼くんと巡り会えたりするんだよな
まぁいいや、とにかくパートナーとの出会いを恵まれた幸運などではなく受け取るのが当然の事と認識していて、相手から善意を受け取ってもせいぜいぺらっぺらな薄い感謝の言葉をかける事しかできない癖に、なぜか彼くんとの関係が長続きしてる女なんて腐るほどいると言いたかった
匿名でも反省と後悔を素直に吐露し、自己嫌悪と戦いながら過去と真摯に向き合ってる増田は駄目人間かもしれないが、理解ある彼くんに恵まれた彼女さんの多くよりは人として前進していると言える
これ明日海りお氏のときはどんな風に書いてあったのか誰かご存知だったら教えてほしい
4月に宝塚歌劇団を卒業する雪組トップスター望海風斗。歴代屈指のシンガーでもある望海の2005年から直近までの歌唱曲を網羅した4枚組CD-BOXが1月29日に発売される。
裏切者は許さない、正義、革命、粛清、死を以って償いを…など、鉄の掟の中に厳しく生きる男が滲ませる情や深い愛を表現すると右に出る者がいない望海だが、この度も厳しい男の歌がふんだんに含まれている。しかし、それにとどまらず、ショーで披露したムーディーで小粋なスタンダードナンバー、ロマンチックなデュエット曲も収録されていて、望海の歌唱で曲の素晴らしさを改めて見直すほどだ。
2005年『マラケシュ・紅の墓標』新人公演のソロから始まるDisc 1は、新人公演、バウ公演やスカイ・ステージ出演を含む花組時代の曲で構成される。地道に努力を重ねてひたすら舞台を務める発展さなかの時代と言えようか。その努力が実り、バウ初主演の『Victorian Jazz』の頃には、発声、間合い等、今に劣らぬ見事な歌唱を披露している。
(中略)
Disc 3は2017年末の大劇場でのお披露目公演『ひかりふる路 〜革命家、マクシミリアン・ロベスピエール〜』の感動的な主題歌に始まり、2020年初春の大作『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』までの、相手役に真彩希帆を迎えたトップ時代の曲が並ぶ。宝塚愛を根底に真摯に重ねた努力の結晶である望海のソロ歌唱に加え、固い信頼と、音楽で結ばれた真彩との息の合ったデュエットはまさに天上の声。
(中略)
望海の舞台を見ていると、そのエネルギーに感応して涙が出るという人がいる。見る人に楽しんでほしいと願うサービス精神は究極のエンターテイナーの証。色があり、艶があり、華がある、望海風斗の集大成CD-BOX4枚組。ぜひ聴き惚れて、酔いしれていただきたい。
龍が如くでキャバ嬢役で出演している本人が本人を落とせるか!ってほど甘くはないわよね。
世の中。
今日は忙しい日です。
なのかもしれません、
私次第なのかも知れません。
なんかイライラ溜まってるといつか爆発しそうで怖いけど、
もうこういう時は
食べて飲んで寝るってのに限るけど、
夜ずっとやってないと思って重い腰を上げまくって調べてみたら、
なんたるちゃー、
全国展開のファストフード店もこの時短の余波を受けまくって余波ってたわけよ。
20時までとか!
これじゃ平日絶対にそこのファストフード店のサンドにありつけないじゃない!
てっきり私は
スープが無くなり次第閉店します方式の方式に切り替わっちゃったかと思って心配していたけど、
それなら安心よ。
売り切れを意識することなく20時までには行けばいいんだもの。
でもさ
考えようによっちゃー
ラーメン屋さんに行ってラーメン頼まなかったら怒られるのかしら?って思うけど、
そんな気分よ。
完成されていない鯛焼きを家で焼いて仕上げて食べる方式だと思ってた、
あれって限りなく生記事のような食感で
新食感とはほど遠い、
これって自分で焼いてから食べるものなの?と誤解が誤解を招くような感じよ。
鯛焼きと言っていいものかしらってそこからの言及になるんだけど、
一瞬焼いていると見せかけていて焼いていない焼きソバってあるし、
「焼き」ってのは哲学的な要素もあるのかもしれないわね。
まさに新食感だったと思うのよ。
そんなことを言ってる場合じゃないから今日はこのぐらいにしておくわ。
早く時短解除になればいいのにね!
うふふ。
気を付けないといけないのは種ありかなしか
歯がガキーンってなるじゃな。
あれ恐怖だわ。
人類はああいったタネに用心しておくべきだと歯科衛生士さんが言っていたわ。
種自体の固さは従来の10分の1ほどになっているらしいってことなのよ。
これって合点じゃない?
そんな梅を思いを馳せながら、
こういう時に使う梅は安いやつで良いのよ安いやつで。
高級品的な甘いんだか塩辛いのか分からない1粒いくらすんだよ!ってのあるじゃない、
きっとゲームで出てきたら、
それを白湯で使うのはとんでもない!って突っ込まれちゃいそうよね。
まあ温まりましょう。
温活よ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
※知的障害を持つ子供と親について、またそういった子供を産むことや育てることについて、比較的マイナスな内容です。不快に思う方もいると思いますので自己責任でお読みください。
インスタのおすすめ欄を見ていたら、軽度の知的障害を持つ娘を小学校の普通学級に通わせてるお母さんの投稿が出てきた。その子はクラスで孤立していること、授業の指示を理解できていないという報告をサポーターの人から受けたらしく、学校に行って状況を改善するよう話をしたいという投稿だった。
これを見て、ふと小学校の時に同じクラスにいた知的障害を持つ男の子のことを思い出した。その子、Aくんは、授業中、授業に関係ないことを唾を飛ばしながら話し、正面を向いて座れないのかいつも横向きに座っていた。国語はからっきしだったが算数が得意で、足が早くて、ドッヂボールが好きだったと思う。正確に覚えていないけど、小学校までは普通学級で過ごして、中学は支援学級に通っていたはずだ。
当時の担任の先生は、大人になった今考えても非常に真摯に生徒に向き合ういい先生だった。私も当時3ヶ月ほど入院したことがあるのだが、他県の病院にいた私のもとへ平日の放課後にお見舞いに来てくれるような先生だった。何を話したかは覚えていないが、クラスの皆に手紙を書かせ、きれいに製本し、お花と私の好きだったキャラクターの小さなぬいぐるみと共にプレゼントしてくれたのを覚えている。その先生はAくんにも目をかけ、目に余るようならば厳しく叱ったりするものの、しかし他の生徒と良い意味でも悪い意味でも同じように接した。そのため私たちもAくんのことについて「変わった子だな」とは思いつつ、Aくんが障害を持っていることは成長するまで知らなかった。察している子もいたかもしれないけど、少なくともあらゆることにおいて「障害があるから」ということを理由にしない先生だった。田舎の学校なので、私も含めクラスメイトたちはなかなかいい子ではなかったけれど、注意することはあれど、強い言葉で怒ることはしなかったし、ましてや手をあげることは一度もなかったから、幼いなりに先生を尊敬していた。
その先生が、唯一大きな声を出して、たった一度だけ、されど一度、手をあげた相手がAくんだった。詳しいことは忘れてしまったけれど、Aくんの腕を掴んで廊下へ連れて行こうとする先生の目がなぜか潤んでいたのは覚えている。
ところで、私は小学校から歩いて子供の足で30〜40分ほど離れたところに住んでいた。家が遠いので、近くに住む幼馴染と一緒に登下校していたのだが、幼馴染のクラスは私のクラスに比べて帰りの会が終わるのがかなり遅かった。そのため、私はよく廊下で幼馴染を待っていたのだが、ある時、ふと忘れ物をしたことに気づいた。幼馴染のクラスはまだ終わらなさそうだったので、自分の教室へ取りに戻ることにした。教室の電気がついていたので、先生に挨拶しようと思って教室を覗き込めば、先生と誰かのお母さんらしき人が話しているのが見えた。特別聞き耳を立てたわけじゃないが、ドアが開いていたので声が聞こえてきた。Aくんのいることでクラスのみんなに迷惑をかけている、Aくんのことを叩いてしまう、先生にも手を出させてしまい申し訳ない。そのお母さんは泣いているらしく、当時小学校の低学年だったけれど、これは聞いちゃいけない話だと思い急いで戻った記憶がある。
それからしばらくして知ったけれど、その女の人はAくんのお母さんだった。実は私はAくんと6年間同じクラスだったため、私の母とAくんの母は面識があった。私が小学校を卒業してだいぶ経った後、母が酔った時に聞いた話だが、Aくんの母はAくんのことについてかなり思い詰めていたらしい。
Aくんの母は、Aくんを一人で育てていた。私も私の母も、小学校から中学までの9年間、Aくんの父親も、Aくんの祖父母も親戚も見たことはない。働いていたようだし、もしかしたら離婚していたのかもしれない。Aくんの下にいくつか年の離れた妹がおり、それでもAくんのことでクラスに迷惑をかけてしまうからと、学級委員を引き受け、PTA活動にもかなり積極的に協力していた。そういえば、学期末にAくんのお母さんからクラスのみんなにお礼と言って高そうなお菓子をもらった気がする。とにかく、Aくんのお母さんは周囲の子供や先生、保護者に常に頭を下げていた。授業参観も懇談会も行事も、常にAが迷惑をかけて申し訳ない、と言っていた。母は詳しく話さなかったが、AくんとAくんのお母さんについて、冷たい言葉を浴びせる保護者もいたらしい。私は特別Aくんと仲がいいわけではなかった(そもそも性別が違うので一緒に遊んだりはしなかった)が、Aくんのお母さんは授業参観等で私に会うといつも疲れた笑顔で「いつもありがとうね、Aが迷惑かけてごめんね」と頭を下げた。小学生の私は、大人の女の人から頭を下げられることなんてなかったから、なんだか不思議な気持ちがした。
私は現在20代になり、友達との会話も、結婚や子育てについての話題が出るようになった。特に仲良い友達は子供好きで、最近お兄さんの子供が産まれたらしく、自分も結婚して早く子供欲しい、そのためには彼氏を見つけなきゃね、と笑っていた。私に子供ができたら、自分の子供と遊ばせよう、と。
彼女は当たり前に自分の子供が健常児であると信じており、私の子供もそうであると思っている。私もそう思っていた。でも、Aくんのことを思い出すと、もし自分の子供が知的障害を持っていたら、と考えてしまう。わたしは、自分の子供のために尽くせるんだろうか。Aくんの母親のように周囲に常に頭を下げ、言うことを聞かずに周囲に迷惑をかける子供を躾け、周囲の心ない態度にも耐えることができるんだろうか。私がもっと人間的に成長すればできるのだろうか。今の私よりはるかに人格者だった担任の先生ですら、手をあげたのに?
子供は可愛いと思う。昔は苦手だったのに、今は赤ちゃんをみると思わず笑ってしまう。自分が産むのは痛そうだし怖いけれど、好きな人の子供を産むのは素敵だとも思う。でもそう思えば思うほど、もし障害を持っていたらと考えてしまう。その子の父親となる人は、私の両親は、友達は、理解を示してくれるだろうか。一人で育てることになるとしても、私は自分の子供を育てられるんだろうか。もちろん健常児でも同じ不安はあるけれど、障害児なら尚更、自信がなくなっていく。
知的障害の子供を捨てる方法はないらしい。親や親戚に育てられる環境があるなら、施設にはそう簡単に入れないという。産んでもし障害児だったら。もしくは、産まれたときは元気でも、後天的に障害を抱える可能性もある。そうなったら多分、私は捨てる方法を探してしまうかもしれない。子供を育てられる自信がないのはもちろん、わたしはAくんの母親のようにはなれないしなりたくないと思ってしまう。
こんなことを考えている私は多分子供を産む資格はないし、年齢的にもまだ産む予定はないが、子供を産んだ親は皆こういう悩みを乗り越えているのかな。それとも私の友達と同じように、自分の子供が健常児でないなんて想像もしていない?
ネットで検索すれば綺麗事は沢山出てくる。色々考えて、乗り越えて、幸せに暮らしている家族だってたくさんいる。だけど、自分が母親になれるような年齢になってから、Aくんの母親が忘れられない。優しい人で、でも小学校の後半は、子供の目から見てもやつれているのがわかった。彼女はどんな気持ちで、私たちと関わっていたのだろう。
Aくんと母親が今何をしているかは知らない。ただ、Aくんが楽しく過ごせて、あの母親がもう頭を下げなくていい生活をしていたらいいと思う。
1/27 1:22
注目エントリに入ってるのを見てビビり、タイトルがあまりに露骨だなと思ったので変えました。本文も誤字直したり付け足したり。
本文に書いたように、どんな子供であっても自分の子を捨てるかもなんて考えをしている時点で私は子供を持つ資格はないと思っています。私の子がどうこうというより、障害を持っている子供とその周囲について、実際に見たことを思いだして、世の中の人はどう考えているのかなと疑問に思い書きました。不快な思いをした人はすみません。問題があるようなら消します。
1/27 13:48
起きたら人気エントリに入っててさらにビビりました。たくさんの反応ありがとうございます。
編集でタイトル変えても別のところ(ブックマーク?)では変わらないんですね。増田に書くのが初めてなので知りませんでした。消さなくて良いよと仰る方が多く安心しましたが、一部タイトル含め不快な思いをしてしまった方もいるようで、配慮が足りず申し訳ありませんでした。
私は親になったならばその子がどんな子供であれ幸せにする責任があると思っているので、福祉の充実も含め、親が二人(もしくは一人)で育てていかなくてはいけないという体制がもっと良い方向に変化して欲しいなと思っています。勿論今も私の子供の頃に比べたら支援等かなり良くなっていると思うのですが、やはり世の中のお父さんお母さんでそこまで考えて産んでる人は少ないと思いますし、それこそ私の友人のように健常を前提として子供を産んだ親や、子供が産まれた後なんらかの事情で障害を抱えた場合、すぐに「それでも我が子だから頑張ろう」と育てていける人ってかなり少ないと思います。これはもちろん健常児の場合も同じで、健常児だから楽というわけではないことは承知しています。ただ、親が正直しんどいと思った時、育てるか捨てるかという二択ではなく、少しでも子育てをお休みしたりできるシステムがあれば、親になりたい、もしくはなりたかったけど、という人も子供を持ちやすくなるしいいと思うのですが、これは子供からしたら親と離すなんて可哀想、という意見も出そうですし難しいのかな。まとまってなくてすみません。
同じような不安を抱えているよ、と書いてくださる方が多くて嬉しかったです。また厳しい意見もありがとうございます。実際に体験した話もそうでなくても、皆さんから意見を読むことで、自分の中のモヤモヤしたものや記憶が整理されていく気がします。私はまだ社会に出たてのペーペーなので、まだ結婚出産といったものはぼんやりとしたイメージしかないのですが、どんな選択をしたにしろ、自分も、産むとしたら自分の子供も、幸せであるように全力を尽くしたいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
元増田よ。質問は受け付けているか?受け付けていないのならこのトラバを見たそこのあなたが答えてくれ。というか多くの人の意見を聞きたいので元増田が返信していても答えてくれ。
以下の内容を三行でまとめよう。長文の読めないお猿さんたちはそれを見ろ。
これは許せる?
自分は元増田のいう「原作否定」をしている…と思う。言い訳させてくれ。それは、安易な夢媚びにより、夢媚びに使用されたキャラクターだけに留まらず、他キャラクターの人格までもが貶められているからなのだ。
詳しい説明をしよう。彼らはアイドルだ。これでなんとなく作品名を察した方もいるかもしれない。説明にあたり、キャラクターに呼び名を付けよう。夢媚びさせられたキャラを「夢媚びくん」、夢媚びに巻き込まれたキャラを「巻き込まれくん」と呼ぶ。ネーミングセンスは無視しろ。
夢媚びくんは、まだコンテンツの規模が小さい頃、女主人公に心惹かれているような描写をされた。さらには「俺と付き合わないか?」的なことまで言わさせられた。(でも別に女主人公のことは嫌いじゃない。有能だし顔結構可愛いし好きなくらいだ。嫌いなのは夢媚びくんと彼女との絡みと夢媚びくんと彼女のcpを声高に主張し、押し付けてくる者達だ。)今の夢媚びくんは、コンテンツの人気に支えられ、女主人公のことを「気に入っていた」ということにされている。だが、夢媚びくんの行動はアイドルとしてのプロ意識が足りなさすぎる。何故だ。普段は真摯に仕事をしているだろう。仕事を一緒にするタレントや俳優、女優に他のアイドル、スタッフに敬意を忘れない、とてもいい子だ。そもそも彼はかなりリアコ向けの売り方をされているアイドルなのだから、そういう事にはかなり気を使うべきだ。彼は馬鹿ではないから、それくらいは分かっている。なのにそんな行動を取らされた。
次に、巻き込まれくんの話をしよう。巻き込まれくんは、夢媚びくんよりさらにプロ意識が高い。夢媚びくんのまわりへの敬意に加え、ファンが恋人と公言したり、どんなに不調でもそれを隠し通し必ずライブに出演したりする。そんな彼が、夢媚びくんの言動を肯定させられたのだ。そう、女に「付き合おう」と言ったことをである。彼のプロ意識があれば、否定するはずだ。なのに、夢媚びを優先されたことにより彼は夢媚びくんをたしなめられなかった。
このような事情があって、自分は原作の「その部分のみ」を否定している。だが、何も声高に叫んでいる訳ではない。「そのcp、そのcpを推している人は受け入れられない。また、その話題を自分には振らないでくれ」という趣旨の言葉をTwitterのbioに記載し、そのcpを推すアカウントを見つけたら即ブロックしているだけだ。これでも、「原作否定」であり、悪であり、コンテンツを好きでいる資格は無いのだろうか?
これは“純経済”を“超自然”と言い替えるなら摂理の内といえる。
経営はナマモノというけれど、保全しなくてもいい生物をレッドリストに入れたりはしないからだ。
人間社会は感傷的に動くことも多いが、そこらへんは割とドライだったりする。
そして、こういった事業の栄枯盛衰、その理由は普遍的かつ単純だ。
それ以上の真理はない。
なのに“それ以上”を求める人は後を絶たない。
色んな場所で、色んな肩書きの人たちが、色んな横文字で語ってやろうと躍起になっている。
丁半博打に、何面のサイコロを何個使うか思考を巡らせているんだ。
有形無形によらず、需要があるところにリソースを割いて供給する。
その点において彼らのやっていることは生産的だし、立派にビジネスとして成立しているといえよう。
だから場末のビデオ屋が未だに残り続けて、そこで俺がバイトをしているのなら、何らかの生存戦略が功を奏しているってことだ。
もちろん「少なくとも」、「今のところは」という但し書きはつくが。
じゃあ、具体的に何をしているかというと、やるべきことは大きく分けて二つだ。
ひとつは大型チェーン店やVODが対応しきれない作品を、臨機応変に取り扱うこと。
「どのクリスマスストーリーだ? モノによっては取り寄せないと」
「……えー、全部らしいです」
「分かった」
「分かったんですか」
このビデオ屋で働く従業員は映画通が多く、まるで友達のように作品について語り合うことができる。
「ラストで独楽が回り続けているどうかで議論している奴がいるが、何にも分かっちゃいないよな」
「その通り。どちらにしろ主人公はあの世界を選んだってことが重要なのに」
「まー、クリストファー・ノーヒットの作風は、それだけ考えを巡らせる甲斐があるのも確か」
そんな中、俺は映画に詳しくもなければ熱心でもないバイトだった。
首を上下に振るだけの水飲み鳥になりがちで、たまに喋ってもオウム返しをするだけ。
「へえ」
「あーだこーだ」
「なるほど」
「なんやかんや」
「なんやかんや?」
我ながら真摯な接客態度とはいえないが、意外と贔屓にしてくれる客は多い。
店長曰く、「喋りたがりの人間にとって、余計なことを言わない相手の方が都合がいいから」なんだとか。
強いて気がかりな点を挙げるなら、“妙な客”と対面しやすいってことくらいか。
トラブルを招くほどではないし、迷惑行為ってほどの言動でもない。
ただ自分の中にある危険信号が、常に黄色を照らし続けている、そんな存在。
今回は、その中でも俺が印象的だった“13人の客”について話そう。
ただし俺は“彼ら”の言っていることを話半分にしか聞いていないため、かなり要約していることは踏まえてほしい。
こんな注釈をわざわざする意味を、めいめい咀嚼しつつ聞いてくれ。
デッサンや模写が面倒だけど人前に出しても上手と思わせられる絵が描きたい奴~~~!
絵馬が10年前の絵ビフォー・アフターやってるのを見て、「10年間この人は努力してたのに私は・・・」と
落ち込む奴~~~!!!
現時点落書きすら描かず増田やようつべで時間食いつぶしてる奴~~~!
全部俺だよ
そんな俺が絵の練習サボりまくりながらも、フォロワーから上手と言われる程度の
絵が描けている方法ここに書いていくぞ
絵は紹介できないが、雰囲気はメイドインアビスにちかいといわれている
・人が描いている工程を眺める
あれって描いている工程を記録してくれて、早送りで再生できたんだよ
それを眺めるだけ
そうすると「ここってそういうふうにアタリをとるのか」などの発見が出てくる
・下書きをしない
下手な人間が下書きしたところで下手は変わらない
まず頑張って全体を簡単な一本線で描く
顔ばっかり描くんじゃない
・手を描く
シンプルな絵で描く
落書き程度でいい
https://www.youtube.com/channel/UCsHPU3d5yjMvsYDX9ypLKJQ
本当だ
実際は彼に影響されている
さすがにこんなに早く一発書きはできないが笑
あと相談(絵が下手で憂鬱になる、人と見比べてしまうなど)に対して
真摯に向き合ってくれる上に、その回答が絵にとどまらずいろんな場面で
支えになる。
・洗脳
なぜかそうなっていくから
下手だ下手だと思うと本当にそうなるぞ