2021-03-20

それでもブレストなら無罪

佐々木宏氏の発言やそれへの批判について。ブレスト中の発言なら、差別だろうが何だろうが責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

よく知られている通り、ブレストとは、集団で良いアイディアを出す方法で、

1. 粗野な考えを歓迎する

2. 批判しない

3. 質より量を重視する

4. アイディアを組み合わせる

等が大事であるとされる。

もっとも、今や「ブレスト」という言葉自体はアホでも知っているので、きちんと方法論通りに実践されていることは、むしろ稀かもしれない。

本人すら、その提案は良いと思っていない

ブレストである以上、一般には、その発言をした本人すら、その提案が良いとは思っていない。

もちろん、全くの粗悪なアイディア提案するわけはない。「欠点はあって当然」「一部に良さがあるかも」というレベルであっても発言し、聞き手はその欠点批判することなく、良さ活かしながらアイディアをふくらませるのがブレストの正しいやり方だとされている。

今回の話題で言うなら、差別的だという欠点自体は後で修正するという前提で、例えば

という程度の考えで、渡辺直美に豚の格好をさせる提案をしても良い。

重要なのは、そのような提案をしたからといって、本人すら、その提案が最終案として良いと思っているとは限らないということだ。

実際、私自身もあえて偏見を混じえた非倫理的提案をすることは多い(その場合、対面コミュニケーションなら、自分で苦笑しながら提案するなど、倫理的問題があるという認識自体は共有しながら発言することが多い)。

ブレストとはそういうツール/ルールであるということが理解されるべきだ。

したがって、ブレストでの発言倫理的責任を問うのは非常にナンセンスだ。

同様に、ブレストでは質が低くても良いという前提で発言される以上、提案内容を切り出して「面白くない」などと質を批判するのは全くの無意味だ。

発言に対しむやみに倫理的責任を問うのは、みたに議員ツイートの通り、「クリエイターとしての仕事に過大な制約を課すことになりかねないし、将来にわたって大きな禍根を残すことになりかねない。」

その場で批判が出たからこそ問題

一般論として、ブレスト発言責任を問うのはナンセンスだと書いた。

一方で、今回報じられた発言には違和感もある。

まず、ブレストを行っていたLINEで、その場でメンバーから批判が出たという点だ。

上で書いた通り、ブレストでは批判を行わないのがルールだ。しかし、今回は批判が出た。

これは、メンバー佐々木氏提案を「粗野で良い」「欠点があって良い」「差別があっても後で修正できれば良い」とみなしていなかったということだ。

まり佐々木氏は「ブレスト中の発言だ」と弁明しているものの、メンバーはそれ以上に影響力のある発言だとみなしていたはずだ。

そのような文脈下で行われた発言として、佐々木氏発言責任に問われるのは理解できる。

言い換えれば、逆説的だが、佐々木氏発言スルーされず、ブレストのその場で批判されたからこそ、その内容には倫理的責任がある。

繰り返すが、だからといって、「一般に」ブレストでの発言について責任を問うのは、非常にナンセンスだ。

党派性安易論点をずらすな!

ブコメを見ていると、天皇家自民党議員への侮辱ならOKなんだろうという批判が★を集めている。

所詮はてなとはいえ個人的にはこんなに愚かな論点ずらしが共感されているのは呆れる。

当然、天皇家であれ自民党議員であれ、ブレスト中なら侮辱してもOKである。それが集団による創造・発想のためには必要だ。

この問題をただの党派性として済ませるのは非常に不快だし、何様なんだと思う。

アイディア創出のための方法論と真摯に向き合っている人もいるとを想像して、この問題について考えてほしい。

  • アイデアの探求者として賛同したいところではあるが… 「ブレスト参加者のあなたは前々からブチ犯したいと思っていた。あなたみたいなアバズレを血祭りに上げるショーを演ろう」...

    • そのあたりは実施方法を工夫すればよい話で、 匿名でアイデアを紙に書いて提出する方式と、 司会者が提出されたアイデアをフィルタリングするようにすれば解決できる。 大元の問題...

  • なんだかなー

  • つまりブレストなんてやめるべきだよなー ブレストが有効ってなんかエビデンスあるの?

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