はてなキーワード: 上りとは
どうやら「ラッシュ」を使っていたらしいけれど。
これは、10数年前まで、ゲイの世界を中心によく出回っていた製品で、新宿2丁目のゲイ向けのショップでは、普通にレジの脇に並べられていたし、秋葉原あたりのアダルトショップでも扱っていた。
いくつも種類があって、新宿では一瓶1,000円~1500円くらいが相場だったと記憶する。
もちろん「医薬品」ではなく、「ビデオヘッドクリーナー」や「芳香剤」の名目での販売である。
芳香剤といっても、揮発性の刺激臭がする代物だし、ビデオヘッドをどうやって掃除するのか見当もつかないわけだが。
で、どういう効果があるかというと、鼻から吸い込むと、ちょっと心臓がバクバクして、体が熱くなって、頭や体がしびれるようになって、性感が増す。
といっても効き目はせいぜい数分ぐらい。連続して吸うと、頭が痛くなったりするので、そんなに長時間使えるもんでもない。
吸った瞬間に性感帯を刺激されたり、射精したりすると、普段より強い快感があって、
ゲイのいわゆる「ウケ」の人たちは、アナルの緊張がゆるんで受け入れやすくなるなんていうことも言われてた。
あ、はい、申し遅れましたが、自分は、ゲイよりのバイセクシャル(女性ともエッチできるが、男のほうが好き)です。
ラッシュは、かつて付き合っていた彼氏とナニするときに時々使ってました。
ただ、吸ったからって言動がおかしくなるとか、そういことは全く感じられなかったし、だんだん使用量が増えるとか、依存性が増すとかいう感覚もなかった。
ただ、皮膚に直接つくと刺激が強く、特に小瓶から鼻で吸うときに、鼻についてしまうと鼻の穴の周りが赤くただれてしまったりして、
当時のゲイの間では、鼻の穴の周りを赤くしていると、「ラッシュ吸いすぎたんじゃない?」などとからかわれたりしたものだ。
そもそも、ラッシュ=亜硝酸エステル類というのは、狭心症の薬などに使われていたものらしく、吸うと血管を拡張して血流が変化し、
それで体に変化が現れて快感が得られる、というのが基本的なメカニズムらしい。
だから、脳や神経に直接作用して、肉体的な依存症を引き起こしたり、精神に影響を与えたりするわけではなく、
いわゆる「麻薬」や「覚せい剤」のような危険性はない、というのが、当時よく言われていた解説だった。
実際、wikipediaレベルでは、そういう解説が書かれているし、実際、使ってみた感じとしても、「精神」というより「肉体」への刺激を求めていた。
心臓の弱い人などは、あまり使うと危険と言われていたが、それも、体感として納得できる。
ラッシュが規制の俎上に上り始めていたころ、「それほど危険なドラックじゃない。もっと規制すべきものはあるのに、なぜ、そんなに必死に規制しようとするのか」と反対の論陣をはっていた医師もいたが、
まあ、そんな議論が取り上げられるはずもなく。
で、他の「脱法ドラッグ」の規制に合わせて、薬事法が改正されて、初めは販売が禁じられ、いずれ所持だけでも逮捕されるようになったのが2006年ごろだったと思う。
当初、国内の店頭で見られなくなったころは、まだまだ海外から通販で購入する(=個人輸入)が可能で、実は自分も購入したことがある。
「お前宛に国際郵便が届いているが、どうも怪しいので、1)そのまま破棄していいか? それとも、2)お前がこっちに来て立ち合いの上で一緒に開封するか? どちらかにチェックして返送せよ」
という趣旨の通知が来るようになった。
もちろん、こんなことでお上とトラブルを起こすわけには行かないので、「はいはい、ど~ぞど~ぞ破棄してください」と1)にチェックして返送した。
それからしばらくすると、「危険ドラッグを郵送で個人輸入しようとして逮捕」などというニュースがでるようになり、ああ、あのとき足を洗っておいてよかったと思ったものである。
今思えば、自分が通知を受け取っていたころは、「経過期間」だったのだろう。
思えば、「脱法ドラッグ」という呼称が「危険ドラッグ」に変わったのも、そのころだったのではなかろうか。
その後、自分自身としてはラッシュが手に入らなくてイライラしたとか、そういう経験は全くないし、依存性が弱いというのも、個人の実感としては納得できる。
テレビで弁護士が、したり顔で「やめづらいでしょうね」といってたが、タバコの方が、よほど依存性の高い危険物だ。
あと、思わせぶりに「危険ドラッグで錯乱する常用者」の映像を挟み込んで恐怖感をあおっていたけれど、あんなことはないよね、ラッシュで。
それから、記者が思わせぶりに「そこのほうに粉状の物質がたまっていますが、ドラッグの溶け残りでしょうか?」など瓶を見ながら語っていたが、あれも適当な想像。
で、新品だと白くて丸いんだけど、だんだん砕けて粉上になってたりする。
でもって、今回の逮捕劇なのだが、どうも「なんと! NHKアナウンサーが危険ドラッグを!」という側面ばかりが強調されていて、
ラッシュがどういう経路で販売されているのかとか、どういう風に危険なのかという報道はあまり出てない気がする。
危険性については「覚せい剤もラッシュもマリファナも一緒くた」にして「とにかく危ない」っていうだけで。
想像するに、覚せい剤のように「販売ルートが組織犯罪の資金源になっている」とか、そういう話があまり出てこないのではないだろうか?
「危険性」についても、話をラッシュに限定してしまって「精神への影響」や「依存性」があまりないとなると、アルコールのほうがよほど危険じゃないの?って話になっちゃう。
「ラッシュ」で精神が錯乱して犯罪を犯すとか、依存症で家庭が崩壊するとか、人格がボロボロになっていくとか、ちょっと考えにくいのだよな。
元同僚とかいう人が出てきて「マジメなアナウンサーだった」みたいなコメントしてるらしいが、そりゃそうだろう。
シャブ中じゃあるまいし、ラッシュが好きな人というのは、せいぜい、ちょっと性欲が強いか、セックスでの快感に貪欲なくらいだろうと思う。
もちろん、健康にいいものとは思えないし、「ゲイがセックス楽しむために使う薬」なんてのは、まあ、あまり風紀上望ましいものじゃないから、
ましてや、すでに国内では法規制されている以上、「皆様のNHK」のアナウンサーが所持してちゃいかんとは思う。
だから、元アナウンサーを弁護するなんてつもりは全くないんだけどね。
ラッシュも、まあ、また合法になったら、ちょっと使ってみてもいいかなと思わなくないが、まあ「規制する」ってんなら別に規制していて構わない。
ただ、厚労省も、人でも資金も限られているだろうに、もっともっと先に力入れるべきところがあるんじゃね~かな? というのが率直な感想。
なんか、もっと取り組むべきところに目を背けて「厚労省が危険ドラッグ対策頑張ってますぜ」アピールをしているような気がして、
また、マスコミもそこにのっかって騒いでいるだけのように見えてしまう。
そういう意味では「NHKアナウンサー」なんてのは、格好のターゲットだったんだろうな。
でも、彼を逮捕して騒いでも、本当の「危険なドラッグ」の撲滅には、あまり役には立たないよ、多分。
【追記】
ブクマにもあったけど、これを「ああ、やっぱりゲイってちょっとおかしい」とか「新宿二丁目って危ないところ」と誤読する人がいると困るので追記。
現在、二丁目で危険ドラックが簡単に入手できるとか、そんなことは、決してありませぬ。
寧ろ、自分達のコミュニティを守るため、必要以上に警察を刺激したりすることは避ける傾向にあります。
新宿でも一番、暴力団関係者が入り込みにくいのが二丁目だともいうし。
【追記2】
その後、新展開があったのでまた書いた。
明らかに、社会性によって優劣が決まっているらしい。
なぜかその当たりは、学校の共同生活とかで空気を読むことになっている。
その人が所属する社会ごとに勝ち方が違うから、学校っていうある程度学力で分類された中で判断してくれってことで。
トレーニングの場は与えられたけど、鍛えるかどうかは任せた的な。
でも多分、色々な教育制度があった中での妥協がこの当たりなんだろうね。
これからずれるほど、意外と難しいのかもしれない。
じゃあ、自分の社会の中で、学ぶ能力ってのはどこから来るのか。
その社会でうまくいってる人をパクれるようにするとかか。あるいは目鼻利かせてコミュニティを操作する側にまわれるのか。
その当たりは先天的な知能とかにもよるんだろうか。
底辺コミュニティーでは、暴力や見た目が最上位で形成される食物連鎖かもしれない。
上位コミュニティーでは、積み上げた社会的な実績や地位で形成される社会かもいしれない。
俺は、どーも、下位~中位コミュニティの地域で生まれ育って、現在上位コミュニティに居るから、その当たりの感覚が違うのかもしれない。
どーも。俺は見た目に対する劣等感が強いが、勝ってる奴らってブサメンばっかりなんだな。
あるいは、最上位コミュニティでは見た目がいい奴が上り詰めているのかもしれないが。
少なくとも、医者レベルの上位コミュニティではブサメンが勝ちまくっている。
底辺コミュニティでは、イケメンと暴力厨、メイクでもなんでもいいから可愛い女が勝っていたと思う。
しかし、歳とると、女のメイクも理解してしまって。メイクを抜いた顔とかが容易に想像できてしまい、底辺コミュニティでのかわいいアピールは、え?ってなってしまう。
じゃあ、素材でかわいい女っていうと。そういう女は、上位コミュニティに食い物にされてるイメージがある。下位コミュニティでの無双を捨てて、脱出したいってことなんかな。
その当たりを思うと、俺のこの見た目に対する劣等感ってなんだろうって感じる。見た目で勝てるコミュニティーはトウに超しているわけだから、劣等感の意味が無い。
今俺のコミュニティで俺に求められてるのは、
1番は、能力。まだ若いため、そこまで地位や収入は求められていない。
2番は、人間性。他人に迷惑をかけず、自然にメリットを与えられるようなそういうコンビ二商品みたいな陶冶が大切らしい。
3番目は、清潔感。綺麗な服をシンプルに着るってか、ストレスない見た目を求められている。BMIも、25くらいには成ってないとな。
だが、次のコミュニティに行くころには、この順番もかわる。
このあたりになっていく。
16歳、女子高校生。
毎年1月2日の午後は自宅付近の祖父母宅で父方の親戚の集会がある日と決まっており、物心ついたときから私も父とともに参加させられている。その他の参加者は祖父母、叔父・叔母、大学生のいとこ2人。1年のうち、正月のこの日以外に彼らに会うことは皆無に近い。
いとこたちは祖父母ととても仲がいい。普段から祖父母宅を訪ねたり、一緒に出掛けたりしているのだろう。
メンバーのなかで私だけが浮いている。祖父母にも叔父叔母にも年上のいとこにも敬語を使い、みんながあぐらをかいて車座になっているなかでひとりだけ正座を崩せない。話題も居場所もないので、無言で出された飲み物をすすってばかりいる。幼少のころから、年下のいとこがほしいと何度願ったことか。母が高齢出産だったせいか、父方のいとこも母方のいとこも年上ばっかりだ。
ちなみに祖父母宅では毎年大量の菓子類と飲み物がふるまわれる。飲み物は祖母や叔母によって各自のグラスに勝手にどんどん注がれる。約5時間にわたる集会のあいだ、メンバー全員が平均して2回ほどトイレに行くが、私は今更トイレの場所がわからないと言い出すこともできない。
親戚の集いでやること。
2、お年玉授与式。
4、互いの家庭の近況に関する情報交換。
[1について] いとこたちは良い高校・大学に進学しており意識が高いのか、「教養をつける」「しっかり勉強する」といった立派な抱負ばかり述べる。私はいつも「本をたくさん読みたいです」くらいしか思いつかないのだが、毎年同じことばかり言っていると皆にはバレているのだろうか。
[2について] もっとも重要なイベント。むしろ親戚の集いはこのために行われていると言っても過言ではない。これがあるから、私もうかつに失礼な態度がとれない。
[3について] ゲームを通しての世代(と心の壁)を超えた交流。私を親戚の輪の中に入れるための配慮から企画されているのだろう。ありがたい。しかし早く終わらせて帰りたいというのもまた本音だ。
[4について] これはほんとにクソだ。互いのペットの近況を尋ねるのはもはや恒例だが、うちのペットが今年亡くなったことを告げれば全員が口を閉ざし「あら…ごめんなさい……」と気まずい雰囲気が部屋中に広がるのは間違いないだろう。最悪である。
いままで16回くらい我慢してきたけれどいよいよ本当に嫌だ。年にたった1日、5時間くらいなら耐えろというお叱りもあって当然だと思うが、私は根性なしの気弱なJK(なお教室でもぼっち)なので可能であれば親戚の集いを回避したいと切実に願っている。
そこで今回は『(祖父母宅訪問直前の)午後一番に携帯を置いて家を出て、音信不通のまま公園やマックで半日を過ごし、(集い終了直後の)日没後に帰宅する』という逃亡計画をひそかに練っている。家の玄関に「親戚のみんなで食べてください」として置いておく菓子折りも購入済みという用意の良さだ。祖父母不孝のひどい孫だと自分でも思うし、帰宅後の父のカミナリを免れることもできないだろうが、もう集いへの参加を回避できればなんでもいい。お年玉だってもらえなくて構わない。17回目にしてはじめてのボイコットである。絶対成功させるぞー。おー。
子どものつたない長文を読んでくれた人がいるみたいで、予想外にブクマがついてて驚いています。
『なぜ現時点で16歳なのに参加が17回目なのか?』
ブコメでこんな指摘がありましたが、物心ついたときから参加してるものだから自分でも何回目だか把握してません。
私は夏生まれなんだけど、0歳のときに初参加(1回目)だったとしたら、今回(16歳)は17回目にあたるのではと考えました。ほかにおかしいところがあればまた教えてください。
ブコメを見て。
・文章がしっかりしてる、いい文章書いてるって言ってくれた人ありがとうございます。もともと文章を書くことは好きで、文章力の高いブロガーさんたちへの憧れもあるのですごく嬉しいです。
・集まりをバックレたいのは今年だけです。さぼりたい理由は大きく2つあって、
①今年は2人のいとこのうち年下のほうが東京のいい大学に進学したので、私の進路(将来の夢や大学受験など)のことも話題に上りそうで嫌
②(本文にも書いたけど)飼い猫が亡くなったので、気まずい雰囲気になるのが嫌
・親戚に気を遣いつつ5時間の集いを耐久する苦痛を考えると、お年玉の金額でそれが回避できるのなら安いものだと考えてしまいます。私のメンタルが弱いだけかもしれませんが。
・父に親戚の集まりに行きたくない旨を伝えるということは、父の両親や姉妹(=私の祖父母や叔母)を否定することとイコールにとられてしまう可能性があります。いずれにしてもバックレたら同じことですが…… 父公認で集まりをさぼることは難しそうです。
(2015/12/31 2:14 追記)
たくさんのご意見ありがとうございます。
・父は「行かないなんてありえない、ダメだ」の一点張りで、あまり話を聞いてもらえませんでした。普段からかなり怒りっぽい人なので、これ以上蒸し返すと激昂して爆音で怒鳴ったりものを投げたりしそうです。
・母(私の父方の親戚とはほぼ絶縁状態)は私の話に一定の理解を示してくれたので、当日の計画についても相談してみました。突然のバックレで迷惑をかけるであろう旨を伝えると「仕方ないね」と許してくれました。一安心です。
また何か進展があれば、あるいは当日に何かあればここで報告させていただきます。
嫁が子供を連れて一週間里帰りをしている。
この間を有意義に過ごすために、気になっている漫画の一挙読みを行うことにした。
結婚当初、どうにかして嫁さんを漫画に感化させようと努力はした。
社会派漫画には多少興味を示してくれた。しかし、当時一番好きだった漫画だけはとうとうすすめることができなかった。
一見下品で暴力的なギャグ漫画と見せかけながら、カメラワークや様々な作品に対するオマージュ、ときに笑わせながらもドキッとさせるようなシーンの描き方が秀逸な漫画だった。
しかし、その後は出産を機に週刊誌を購読する余裕もなくなり、そんな漫画の存在すら忘れてしまっていた。
この一週間で読める漫画の数は、仕事の時間を考えると20冊程度が限度だろう。
まずは気になる漫画の1巻だけを数冊集めてみることにしたのだ。
監獄学園はそのうちの一冊だった。
最初の感想は、今時の絵柄にキャッチーな美少女と微エロ。ありがちな漫画といった印象だ。
ところが読み進めていく間に、サスペンスやちょっとしたミステリの要素を見せつつも、さらに思い切りよい、それでいて悪意を感じさせないような暴力的描画の面白さに完全に引きこまれてしまった。
決めた。この一週間はこの漫画のために捧げよう。その場で最新刊までを一挙に注文することにした。
その判断が間違っていないと確信するまでに時間はかからなかった。
見た目は小綺麗で純粋な登場人物たちがときおり見せるうちに秘めたる狂気。
まるで映画のワンシーンを切り取ったかのようなシーンの描き方。
10巻も読み進めていく間に当初の素人くさいイメージは全く払拭されていた。
もしこれが新人なら、なんて怪物が現れたものだと思ったほどだった。
あぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。
そんな時、ふと「ホント、この描き方とかアゴゲンみたいで懐かしいなぁ」という言葉が自然と口をついて出た。
自分でも驚くくらい自然に、当時好きだった漫画の名前を口にしたのだ。
そうして、まさかと思い目を向けたコミックの背表紙に描かれた作者名を見て再び驚いた。
「平本アキラ」
つまり、わたしが好きでやまなかった「アゴなしゲンとオレ物語」の作者と同一だったのだ。
わたしは泣いた。
嬉しくて涙が止まらなかった。
彼は、もうこんな高みにまで達していたのだ。
アゴなしゲンとオレ物語の面白かったところは、あの荒削りな部分でもあった。
だからこそ嫌味なく読めたし、狂気を笑い飛ばすことができたのだ。
後期に入ると映画のオマージュは減っていき、独特な切り口で描く内面の狂気もいつの間にか世間に対する不満へと置き換えられていったように感じられてしまった。
わたしにはそれが、せっかくの才能が刈り取られてしまったかのようで悲しかったのだ。
わたしはアゴゲンの完結を待たずして、コミックの購読を止めてしまっていた。
わたしが彼の作品に対してブランクが合ったからかも知れないが、彼がこれほどまでにきれいな絵柄を描くとは想像ができなかった。
当時のあの絵柄から、今のこの質感に至るまでには想像を絶する努力が必要だったに違いないはずだ。
いうなればガモウひろしが一人でデスノートを今の形へと完成させてしまったかのような驚きだ。
そして何より嬉しかったことは、彼の作品の中に映画のオマージュがしっかりと生き続けているということだ。
しかもそれは、以前のようにシーンそのものをリスペクトするのではなく、描画方法やシーン展開、カメラワークをリスペクトするという技法へと昇華されていた。
彼は諦めていなかった。それどころかこれほどまでに高い水準にまで上り詰めていたのだ。
わたしは、漫画のすばらしさを嫁に伝えることを諦めてしまったというのに。
今現在、もうすでに2度目を読み始めている。
微エロに対する下心で読み始めた気持ちをリセットして、彼の描きたかったものともう一度向き合うために。
諦めず、もう一度漫画というもののすばらしさを嫁に理解してもらうために。
さっきから溢れ続けてやまない☓なにか ○なみだに誓って。
いままでは誕生日を迎えても特に何か思うわけでもなく、単純に年齢が+1されただけだとか、これを口実にだれかに奢ってもらおうウェッヘッヘ!ぐらいにしか思ってなかったんだけど、この1年は今までとは違った。
辛いことがあったし、(おっさんが言うことではないとは思うが)大人になったのかなとも思う。
一番に辛かったことは、大好きだった母方の祖父が亡くなったこと。
※そして見返したら祖父のことしか書いてなかった…
胃を全部取ったとしても良くて余命1年程度だろうとの先生のほぼ予測通り、7月に亡くなった。
胃の上部に癌が見つかったため、胃の全摘が必要となった。(部位によっては半分摘出や、部分摘出が可能だったらしいが、上部の場合はほぼ全摘となるらしい。)
胃の全摘手術後しばらくしてから退院できた時期があって、お医者さんからも無理しない範囲で本人の好きなことをやらせてあげてくださいと言われていたので、温泉旅行に連れて行ったり、鰻料理屋でビール飲みながら鰻重を食べたりした。
また、当初は団地の4階に住んでいたのだが、日々弱っていっているような感じで、体力も落ちに落ちていて階段の上り下りが辛そうだったのもあり、母と相談していたところ運良く同じ棟の1階が空いたので引っ越しもした。
最終的には再入院し、そのままどんどん自分自身で日常生活を負えなくなっていった。
一番驚いたのは風呂だった。
本当に大好きだった風呂に自分で入れなくなり、しばらくは看護師さんに手伝ってもらって入浴していたけど、亡くなるまでの2
週間ぐらいはベッドから起き上がることすら辛かったようで、風呂に入りたがることすらなかった。(それでも体を拭いてあげるととても気持ちよさそうにしていたし、喜んでいた。)
亡くなる前々日、そろそろ危ないとお医者さんに言われので会社に休みのお願いをし、クソ忙しかったにも関わらず快く休ませてもらった。
そのような状況だったので、病院まで電車で30分ほどの母の家に泊まったが、夜中に喀血したと病院から連絡があり、すぐタクシーで向かった。
到着直後の祖父は、今にも死ぬんじゃないかという勢いで目を見開き、激しく肩で呼吸しているような状態で、酸素マスクをつけていた。
手助けもできず、見ているのが辛かった。
その晩は私、母、祖母、そして遠方から駆けつけた叔父の4人で病棟のフリースペースで過ごした。
翌日の昼頃には酸素マスクはつけていたものの、なんとなくレベルではあるが会話もでき、意志疎通がなんとか可能な状態だった。
祖母や母、叔父と「昨日は死ぬかもって思ったけど落ち着いたねーw」なんて話したのをよく覚えている。
そして祖父はその日、「眼鏡をかけたい」「入れ歯を入れたい」と要求したり、急にベッドの上で足を上げ下げし始め、リハビリのような運動をしようとし、その補助を私たちに要求していた。
(要求は主に発言しようとしているが、この時にはもうしっかり喋ることもできず、筆談しようにも祖父が上手く文字を書けない状態で、コミュニケーションも大変だったし、とても辛かった)
普段は絶対にしないような言動ばかりだった。
元々、子や孫に何かを要求したりしないし、迷惑をかけたがらない祖父だったので、そんな言動は珍しいな…としか思っていなかった。
今になれば分かる気がする。
そうして私の祖父は、家族が一旦帰った後に亡くなった。
やはり今でも、祖父の元気な時の写真や亡くなった直後の写真を見て悲しい気持ちになってしまう。
その一方で、もし祖父が健在であるならば、私が無事に年齢を重ねられることを当たり前だと思ってくれているだろうしそれを嬉しく思ってくれているんだろうな、そういう人だったな、と暖かい気持ちで祖父を思い出せる。
私が祖父が亡くなった時と同じ年齢になるまで、まだ50年近くあるから、それまでに祖父のように、子ども・孫・親戚だけでなく、老人会のみんなや地域のみんなに愛されるような、素敵なジジイになれるようになりたい。
映画化は継ぎ接ぎだ。
ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説の文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ。
だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンルの生存に寄与したから存在しているだけだ。
かつて読者には、怒りが必要だった。
かつて読者には、喜びが必要だった。
かつて読者には、哀しみが必要だった。
かつて読者には、楽しみが必要だった。
1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。
かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込みが必要だった。
<list:protocol>
<p:その他パンフ等を入念にチェックする>
</list>
「大丈夫。わたしは観られる」
そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。
「やあ、読者。七年ぶり、だよね」
「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」
「ええ、言うわ。『仕方なかった』」
わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒がパトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。
「わたしにとっては、仕方なくないわ」
「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界(SF)をね」
「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」
わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。
わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。
わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。
「ついに、わたしたちはここまで来た」
「ここまでって」
業界の幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才の夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかしの永遠であることを、自分は進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」
わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。
それを憎んでいたのは、
誰よりも否定していたのは、
「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形になっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーションと早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」
性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。
「ここはね、アニメのスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」
「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画と台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつのペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」
わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。
これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識。
「そうして突き入れられて、台本を修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンのなかには、LINEスタンプも新装カバーもコミカライズも特集もトリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」
「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。
「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」
「どうしたらいいか、わからなかった。
この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間が自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から、自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」
そうだ。商業的健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブな感想を常に提出しつづけなければならない空気。ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和と協調と新作を生むと皆が信じている社会。
「何を」
「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭な視点の限界を突破できるってことに」
「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あんな桜Trickを作ったわけじゃないのね」
「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界を肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」
「この世界にとって完璧なプロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」
「わたしは、笑わなかったよ」
感動げな大自然の映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからかニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。
「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンルが要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」
「あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」
伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。
「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝の天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」
「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分の民族が本来はそう在ったはずの風景に」
「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」
「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやかな復讐になるのかな」
「え」
「SFは死ぬ必要がなかった。だから早川はコンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」
「……そう、なのかな」
「あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」
「そうなのかな」
わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。
「どうやって」
そして、わたしは席を立った。
「日本中の坂道について上り坂と下り坂どちらが多いか確認しろ」
的な指示が出て辛い。
勘違いかなと
「(もちろん同じではありますが)日本の坂道の勾配の傾向としては~」
と報告したら
と返ってきて混乱している。
どうすりゃいいんだ……
先日、『選挙カーがはた迷惑な大声で名前を連呼する理由を知った時のこと』という文章を書いた。
予想外の反響を得て、驚くとともに、うれしくも思う。
そもそも記事を書くきっかけとなったサイバーメガネさんも、さっそく内容をフォローするように
『無党派層はコスパが悪くて当てにならない』というエントリを書いてくださった。
なぜ、反響があったかといえば、おそらく、あの頃の自分と同じように選挙の現場を見たことがなく、
「なぜ、反感を買うだけなのに、選挙カーは騒音をまき散らしているのだろう」と疑問に思っていた人が多かったのだろう。
中には、「ああいうばあさんは、もうすぐいなくなるだろう」という趣旨のコメントもあったが、僕はそうは思わない。
そもそも、あれはまだ橋本龍太郎が総理大臣をやっていた頃の話だ。
つまり、かれこれ20年近く前の話なのだが、その後も状況にさほど大きな変化はなかったことは、いくつかのブコメを見るだけでも分かる。
次の20年で変わるかといえば、そうでもないだろう。なぜそう思うかを、書いていこうと思う。
あの頃、「無党派層」という言葉はすでにメディアに登場していた。
(wikiによれば、大阪府知事に横山ノック、東京都知事に青島幸男が当選するという「珍事」が起きた時に注目され、流行語大賞をとったそうである。
その前に「日本新党ブーム」を経て、細川内閣が誕生したころには、まだメディアではメジャーな言葉ではなかったのか)。
無党派層に心情が近かった当時の僕も、「ああいうばあさんみたいなタイプの人は、いずれいなくなるのだろう」と思っていた。
だが、少なくとも20年程度では、いなくならなかった。
思い起こしてみれば、あの当時から、「応援しているのに、なぜウチのほうに選挙カーがこないのか」と苦情をいうのは、必ずしも年寄とは限らなかったのだ。
その渦中に身を投じてみれば分かるが、選挙というのは一種の「お祭り」である。
であれば、選挙カーという「神輿」は、自分の家の近所に来てくれたほうが楽しかろう。
お祭りというのは、参加する者にとっては楽しかろうが、部外者にとっては迷惑で騒々しいだけだ。ハロウィンを見ればわかる。
最近、高知県では、新住民からの「よさこい祭りの練習の騒音がうるさい」という苦情が増えて、祭りの伝統を守りたい人々は対応に苦慮しているらしい。
祭に参加して騒ぎたい人々と、外側にいて「うるさい」と感じる人とは、どうしても対立する。
それは、祭りのルーツがどうとか、そんなこととは、おそらく関係がない。
僕はあの頃、お祭りに参加して盛り上がるのは年寄りのやることだと思っていた。
だが、実際にはそうでもなかった。
古臭い祭りにはそっぽを向いても、なにか面白そうな新しいお祭りあれば、こぞって参加するという人たちが、世の中には相当程度いるのだ。
既成政党による「ドブ板選挙祭り」にはそっぽを向いている若者が、国会議事堂前でSEALDs祭に参加したって、なんの不思議もない。
お祭りといえば、あの選挙事務所でバイトをしていたとき、幹部がにわかに、ちょっとしたお祭り騒ぎになったことがあった。
総裁とは誰のことなのか、僕はにわかに判じかねたが、それは当時、自民党総裁にして総理大臣でもあった橋本龍太郎のことであった。
事務所の関係者は「総理」でも「首相」でも、ましてや「ハシリュウ」でもなく、「総裁」と呼んでいた。
総裁が応援しに来てくれるということは、つまり、その候補者や選挙区を党本部が重視している証拠なのだが、、
橋本龍太郎という人は日本の歴代総理には珍しく、その端正なルックスで女性人気がきわめて高かった。
慶応大学在学中に第一期東宝ニューフェイスに誘われたこともあるというから、「政治家にしてはイケてる」というレベルではない。
当然、「集客力」も高く、事務所としては、願ってもない応援弁士なのである。
今でいえば、小泉進次郎の人気が、近いものがあるのかもしれない。
当日は、それはもう「お祭り騒ぎ」だった。バイトも支持者も大勢駆り出された。
事務所の幹部は警察官やSPと打ち合わせに余念がなく、事務所の司令塔たる候補者の長女は、誇らしげな顔をしていた。
実際、当時の橋本龍太郎は、「本日、○時に、橋本龍太郎総裁が、応援演説に来られます!!」と呼びかければ、
「エッ、うそ!? マジ? こんなトコにハシモトソーリがくるの? じゃ、ちょっと見ていこうかな」
などと騒ぐほどの人気があった。
「もし、総裁が演説している最中に暴漢が襲いかかって、それをウチの先生が体を張って守って、ケガして運ばれたりしたら、明日の新聞の一面になりますかね?」
「ああ。そうなったら先生は、もう当選確実だな。お前、いっちょやってみるか?」
僕らは、大分親しくなった事務所の下っ端幹部と、そんな軽口をたたいたりした。
定刻になると、ちょうどライブの最前列でファンを押さえるスタッフのように、バイトや運動員が群衆を抑えている前に、黒塗りの車列が到着した。
SPに囲まれながら降り立った橋本龍太郎は、思った以上に背が低かったが、確かに二枚目だった。
「世の中には、選挙になると、消費税率は下げて福祉の水準は上げるなどと、夢のようなことを訴える政党もありますが、
私には、そんな魔法使いのようなお約束をすることはできません」
などと語りかけるイヤミな調子には、好き好きがあっただろうけれど。
当日、街頭には大勢の支持者が動員されていたけれど、それを上回る人々が足を止めた。
それがきっかけで自民党候補者に投票したひともいるのではないだろうか?
だが、なにより、事務所に集う人々は、「総裁が来てくれた」「予想以上に人が集まった」という事実に興奮し、
例のばあさんは、街頭には来ていなかっただろうが、
「自分の支持する先生のために、橋本さんが応援に来てくれた」という事実に喜びを感じ、
ますます「近所の人に、投票してくれるように頼む」という彼女なりの方法で、お祭りを楽しんだことだろう。
「お祭りだなんて、とんでもない。選挙というのは、冷静に過去の実績や提示された政策を比較検討して、適切な候補者に投票すべきだ」
という人もいるだろう。それは、おそらく正論だ。
だが、そういう正論を唱える人たちが、政策とやらにどの程度つうじているのか。
数多ある課題の、すべての軽重を判断して、どれが適切な政策が判断することが、果たして可能なのか。
それに、どんなに「政策」が素晴らしかったとて、口先だけでは何とでもいえる。
政策はもちろんのこと、きちんと有権者に呼びかけ、汗を流している人を選ぶべきではないのか、という話にもなる。
そもそも政策など判断しかねるという大多数の人は、「難しいことは分からないけれど、あの人ならば大丈夫」という人に、判断を託すことになろう。
そして、「あの人=政策を作成、判断し、実行する人」というのは、つまり「権力者」だ。
かつての世の中では、文字通り血で血を洗う抗争をくぐり抜け、数多の屍の上に生き残った者が権力を握ったのだろうが、
そんなことで無闇に人の命が奪われるのはよろしくないということで、選挙というお祭りで権力者を選ぶようになったというのが、つまり民主政治なのだと思う。
「あの、お偉い先生も、私の一票があるから、大きな顔をしていられる」「私の一票のために、頭を下げてくれる」
そのことに喜びを感じられる人が、選挙というお祭りに参加する。
選挙カーを待ちわびる老人(のような人)とは、そういう人たちではないかと思うのだ。
そして、「お祭り」を利用して権力を上りつめようとする人間は、冷めた傍観者たちに参加を促すよりも、
「お祭り気質」な人たちを盛り上げることに注力した方が、効率が良いことを知っている。
時に、「権力者」という個人ではなくて、「戦争法案をつぶす」とか、そういう思想だが理念だか、そんなようなものを「ご神体」にしてお祭りが催されることもあろう。
多分、それがSEALDsだ。
彼らは初期の目的を達することはできなかったが、多分、世の中を意図的に動かそうと思えば、お祭りのような手段を使ってエネルギーを結集することが必要なのだと思う。
そんなこととは関係なしに、僕らから全く見えないどこかで、いつのまにか物事が決まっていく世の中は、多分、今の世より住みにくかろう。
僕はそんな世の中に住みたくないし、世の多くの人が、そう望んでいると思う。
だから僕は、「選挙カーを待ちわびる老人(のような人)」は、そう簡単に消えないと思うのだ。
消えるべきではない、といえるかもしれない。
選挙のやり方は変わっていけば、騒音をまき散らす選挙カーのような方法は使われなくもなるだろう。
選挙ではないけれど、今もネットでは、「炎上」という名のお祭り騒ぎが日夜開催され、それに参加する人もいれば、眉を顰める人もいる。
僕の粗末な頭では具体的に想像できないけれど、仮にネット選挙が今より進化したとしても、
選挙カーの連呼とは違う種類の「騒音」に悩まされ、うっとうしくなる日がくるのだろう。
ところで、僕はハロウィンに仮装して参加したことがない。今後もたぶん、参加することはないだろう。
だが、心の片隅に、あの、屈託なく仮装して楽しんでいる人たちを羨ましく思う気持ちがないかと聞かれると、全くないとは言い切れない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
最初に見たゲーム実況は青鬼。ニコニコではなく、YouTubeで
この時からゲームの内容やプレイングスキルというよりも実況者と呼ばれる、プレイヤーのトークを楽しんでた。
もちろん実況動画を見始めて、実況者のトークよりもゲーム自体に魅力を感じたことだってある。
ワンダと巨像なんてまさにそう!
ストーリーも凝っていて、自分でWikiや解説ブログを見て理解を深めることもあった。
そしてYouTubeでゲーム実況動画を見始めてすぐにニコニコ動画というサイトを知り、ニコ動を使い始めた。
ニコ動で最初に見たのはCo-daさんのCalling、続いてナナシノゲエム目。
狙ってたんだろうけど馬鹿かよってくらい漢字読めないことに笑い、自作のHIPHOPをすげーって思いながら聞いてた。
シリーズを見終えてからは、ホラー実況やプロの絶叫といったタグを活用して私なりに良ゲー、クソゲー、色々な人の実況動画を見てきた。
その時は一度見てしまったゲームは、違う人(たち)だからって2回も見る気はしなかった。
まあ例外もあるけど
という感じでゲーム実況を見つづけているんですが、
最近のゲーム実況動画はマリオメーカの件あったように、クリ奨のこともあってか同じゲームを何人ものゲーム実況者がプレイしているわけですよ。
ランキングに同じゲームや見慣れた名前が並ぶ事に対して私は何も思わないし、実力(プレイングスキルではなく、自分達を売り込む力)があってここまで上り詰めたんだから良いんじゃないかな?ってくらい軽く考えている。
でも最近見る動画がない、さらに既視感に溢れていると切実に思うようになってきた。
別に国民的ゲームをやることやイカしたゲームやってもいいんだよ。
ただ、動画の盛り上げ方が画一化してきてる。
ゲーム実況が注目されるようになって新たな実況者がどんどん増えてる。
でも、どういう事をすれば動画が盛り上がるかって最近のゲーム実況者を手本にしてるから、なんかどっかで見たことあるなって思ってしまう。
そしてランキング上位に上がっている彼らは私がニコ動を使い始めてからずっと見ているから、気になるものがないと見てしまう。
でもそこにもかつて見た動画の様なデジャヴを感じて、物足りない。
そんな風に感じるようになってから
ニコ動ではあまり見かけない、洋ゲーやFPSを中心に上げてて新鮮に感じたから、
夜廻って…おい、
でも、よく考えろ。お前は洋ゲーやFPSに新鮮さを感じてたんじゃなくて、顔もわらなぬ男の絶叫やアラサー男たちがキャッキャうふふしてる画が見たかったんじゃないのか。
娘が大学入学を機に一人暮らしはじめるんだからさ、もう少し防犯意識について教えてくれても良かったのにって思うわけ。
そりゃ大学にお金かかるのは分かるよ。仕方ないよ。私立だし。更に生活費と家賃まで。すごい額だったと思うよ。
だから洗濯機が室外に置いてある古いアパートの一階の部屋になったことも仕方ないと思う。うん。
家賃は安いし、駅からそこそこ近いし、大家さんの敷地内に建てられたところだったし。
だけどさ、一応女性の一人暮らしってカテゴリーに入るわけで、それって一般的に狙われやすい立場なわけで、親として防犯意識を植え付けさせてほしかったなと思うわけなのよ。
こっちは今まで田舎でのほほんと女子高生やってたわけで、自分が後つけられたりのぞかれたり不法侵入されそうになったり、そういうことされる対象だってこと全く頭にないわけ。男性の目線ですら全く無自覚だったわけ。ナンパされてびっくりするくらいだったわけ。え、私ナンパされるような年齢になったの?って。男の人たちからそういう対象に見られてるの?って。
かろうじて危ない目にはあわなかったけど、それはたんに運が良かった話であって(いや、尾行やのぞきをされてる時点で危ない目にあってるか・・・)、お風呂上りのバスタオル姿のときにドアノブガチャガチャと鍵が開けられそうになったときはさすがに恐怖を感じたよ。あの時早めにシャワー切り上げておいて本当に良かった。
だからね、親のほうから少しでも忠告があれば、私も意識が違ったんじゃないかなと。一言もなしなんだよ?母親って娘のそういう心配しないものなの?娘が年頃の女性になっていくのを認めたくないものなの?それともたんにうちの親がそういう方面の心配なんて全く頭にないだけ?
・・・・多分考えても無かったんだろうな。自分が歳を重ねていけばいくほど、私の母親ってそういう人だったんだなぁ、という軽蔑というような諦めというような悟ったような気持ちになる。
10月某日、毎日実況動画を見ていた実況動画好きの私はいつものようにニコニコ動画の毎時総合ランキングを見た。そこで一位に輝いていたのはふぅ氏の『マリオメーカー問題』という動画である。
マリオメーカーにたった1人で挑んだ実況者のラジオ (18:40) http://nico.ms/sm27285739
この動画は賛否両論を巻き起こし下火になった今も『マリオメーカー』というゲームに後ろ足で泥をかけ続ける結果となった。
『マリオメーカー問題』としてクリエーター奨励プログラムやニコニコの衰退については様々な人間がすでに語っている。クリエーター奨励プログラムの問題点については数多くの方が理想にあふれ未来を憂い真面目に分析している。
しかし、彼らは『マリオメーカー問題』というものが起こった原因は『ランキングの人気投稿者の寡占』であるとしている。違うのだ。「マリオメーカー問題は任天堂のゲーム」でしか起きなかったのだ。仮に似たクリエイトゲームが『任天堂でないゲーム会社』から発売され、ランキングを独占したーーたとえばリトルビッグプラネットやマインクラフト、Project Sparkなどがーーとするならば『リトルビッグプラネット問題』は起きていただろうか。答えはNOである。ありとあらゆる『任天堂以外のゲーム』がランキングを独占しても誰も違和感を感じることはなかったであろう。それに対して『マリオメーカーは実況の幅がなくどの内容の実況も似たり寄ったりなのが問題なんだ』と反論する方には『高難易度アクションゲームの実況はだいたい同じだ』といっておこう。かつて一大ブームを起こした『アイワナ』『しょぼん』『改造マリオ』などの高難易度アクションゲームと今の『マリオメーカー』を比べてみてほしい、ゲームによって些細なギミックの違いはあるが『初見殺しで叫ぶ』『複雑なギミックをクリアして叫ぶ』『とりあえず叫ぶ』とまぁ叫んでばっかりだがだいたい同じだ。明確に違うところがあるなら是非とも提示してほしいものである。(このように叫んでばっかりの動画は鋼兵氏の動画で『ウェーイ系』と揶揄(やゆ)されたが『ホラーや高難易度で叫ぶ実況』はニコニコ初期から存在しているのだが…) マリオメーカーは『クリエイト』動画もあるのでむしろそれらより幅があるのではないか。
さて、この問題を最初に提示したふぅ氏の発言を思い出してみよう。そこに『任天堂』という言葉が出ていたはずだ。クリエイター奨励プログラムを始め、ニコニコのランキングを破壊した『悪者』であり、どう抗っても勝てない『敵』である、と見受けられる発言をしていた。
http://i.imgur.com/JsC4i0I.png
マリオメーカー問題が話題になった時、マリオメーカーを問題だとする人々の意見は動画コメント、掲示板、ツイッターなどに散見されたが、その多くが『ニコニコ動画のドワンゴ※1』では『人気アイドル実況者※2』でもなく『マリオメーカーの任天堂』を敵視するものであった。「マリオメーカーはステマ※3だ」「任天堂は汚い」「任天堂が実況者に金を払っているんだ※4」などなどである。根も葉も根拠もない誹謗中傷であるが『マリオメーカーを問題視している人間』の中にはそれを大真面目に信じている人が含まれている。ふぅ氏もそのひとりであるということだ。
先ほどの言葉を繰り返すが「マリオメーカー問題は任天堂のゲームでしか起きなかった」のである。ただし『マリオメーカー問題』が起きなくても遅かれ早かれ鋼兵氏のゆっくり解説などで「人気実況者によるランキング寡占」問題は取り上げられたであろうと考えられる。
マリオメーカー問題からゲーム実況に起こる本当の恐怖を解説する (28:53) http://nico.ms/sm27326468
ただしそれは決して任天堂ないしマリオメーカー《だけ》を貶めるものではなかったはずだ。ただし、今回鋼兵氏は『マリオメーカー問題の炎上に乗じて意見を述べる』という手に出た。つまり尻馬にのったのだ。ゆっくり解説者ないし歌い手として再生数、マイリスト数を稼ぐには一番適したタイミングであったのだ。彼の動画は彼なりに正論を言っているのだが煽動的でありまた人気実況者を侮蔑する表現が見受けられ決して良いものではない。実際彼の動画が投稿されてからマリオメーカー関係の動画は前よりも『荒れる』ようになった。どんなまともな意見であってもその意見を間に受けてバカをやらかす人はどうしても出てしまうのは仕方ないことであるのだが、鋼兵氏はもちろんわかっていてやっているのだ。……ともあれマリオメーカーを悪役としないスタンスであるはずの鋼兵氏の動画でマリオメーカー問題は再燃したのである。これがマリオメーカー問題を前身としていなければマリオメーカーは必要のない泥を被ることはなかったはずであり特定のゲームが槍玉に上げられることもなかっただろう。
鋼兵チルドレンとも称される鋼兵の意見を参考に意見を述べた「マリオメーカー問題第2世代」は「任天堂ではなくニコニコ動画を非難する」という方向性に固まった。そこで「マリオメーカー問題は任天堂でなくても起きていた」という致命的な勘違いが起きた。「第1世代は任天堂への嫌悪感」で起き、「第2世代は第1世代の影響」で起きたのである。
さて、では何故「任天堂への嫌悪感」があったのかを述べていこう。ここでは先ほど述べたように「任天堂を憎む第1世代」を中心にしていく。誰かが誰かを嫌う場合、理屈が通っているかいないかは関係なく『理由』はあるはずだ。彼らは任天堂に何かされたのだろうか。任天堂はゲーム会社である。高いクソゲーを掴まされた? ゲームの内容が期待はずれだった? ……そんな真っ当な理由があればデマによって任天堂を非難する必要はなかったはずだ。
「はちま寄稿」または「ゲーム速報@刃」というブログと「ゲームハード・業界板」という2ちゃんねるの板を知っているだろうか。私も数年前までは知らなかった存在だ。見に行くことはお勧めしないが、こんなマイナーな人間の書いたマイナーな文章を読むような人間ならとうに知っているかもしれない。一言でいえば『任天堂を蔑む場所』である※5。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゲーム_(2ちゃんねるカテゴリ)#.E3.83.8F.E3.83.BC.E3.83.89.E3.83.BB.E6.A5.AD.E7.95.8C.E6.9D.BF
あくまで参考にする場所である。基本的にインターネットでは真実よりも虚偽が多いことを理解して見て欲しい。
これらは別物ではなく「ゲームハード・業界板」が任天堂の悪口を書き、「はちま寄稿」と「ゲーム速報@刃」がそれを記事にしている※6。2ちゃんねるが一部の人間しか行かない、一部の人間しか知らない場所であったのはすでに遠い過去のことだ。2ちゃんねるの内容はブログにまとめられツイッターで拡散されている。なぜ彼らが嘘を撒き散らすかといえば、他人の悪口や陰謀論や対立論はとにかく『ウケ』がいいのだ。その中で『任天堂』が狙われるのかという理由だがーー簡単に説明できない程度にいろいろとややこしい。今回はマリオメーカー問題にのみ言及するためそこには触れないことにする。ただ彼らは『任天堂の悪口を言うことで利益を得ている』ということは事実である。悪口や対立論がウケるのは、先日話題になった『難民差別絵』が一部の界隈に大うけだったことからも伺える。嘘もデマも思い込みも千回言えば現実だと思い込んでしまう。ネットに慣れた人間はライト層を情報弱者と蔑むことがあるが、インターネットにいるたいていの人間はライト層で情報弱者である。私もそうだ。毎日膨大なニュースが入ってくるなかでそれが真実がデマか全てを取捨選択することはできない。毎回毎回調べるほど暇な人間も少ないだろう。この結果、『ライト層』には『任天堂は金に汚い企業』というイメージが植え付けられてしまった。
ひとが何か行動を起こすときそれは『正義』に基づいていることが多い。汚い企業である任天堂に一矢報いたいという『正義感』からマリオメーカー問題は始まったのである。
多くの人が言及していることとは逆になるが私は「マリオメーカー問題」はマリオメーカーが発売される『ちょっと』前から始まったと主張したい。すごく前でもなく直後でもない。何年も人気実況者のランキング寡占問題はあったが話題にすらなっていなかったのだ。ランキング寡占問題を聞くようになったのは今年の初夏からである。そう、スプラトゥーンだ。マリオメーカー実況がブームになる前、任天堂の発売したスプラトゥーンという対戦ゲームの実況が人気となった。ランキングがスプラトゥーンで埋め尽くされたのだ。デマを信じる人間たちにとっては悪い企業の悪い作品だ※7。正義感に溢れた勇者たちにとってはさぞ忌々しい存在だっただろう。
ところでそのスプラトゥーンでは『人気実況者によるランキング寡占』が問題にならなかった。スプラトゥーンで問題になったのは『同じゲームによるランキング寡占』だ。それは何故か。それは簡単だ。『一番人気の実況者たちのうちひとりしかやっていなかった』からだ。人気実況者にも格差があるのだが、その中で毎回マイリスト四桁以上、ランキング一位をとる大人気実況者が存在する。その中で『スプラトゥーン』の実況プレイ動画をあげたのはアブ氏だけであった。他の人気実況者は何もしていなかったわけではなく別のゲームの実況動画を出していたので『超人気実況者によるランキング寡占』は今と全く同じ割合で起きていたのにもかかわらずだ。ブームにより超人気実況者に及ばない実況者でも再生数を稼ぎやすく、スプラトゥーンによるランキング寡占は『中堅~中人気実況者』によるものが多かったのである。そして次に発売されたのがマリオメーカーである。マリオメーカーに超人気実況者がスプラトゥーンよりもたくさん食いついたのである※8。ここで批判の矛先が『同じゲームばかり』から『人気実況者が同じ動画ばかり』に変わったのだ。つまりランキングに任天堂の動画がある状況を批判する理由は『もっともらしいこと』であればいいだけだったのだ。問題はマリオメーカー問題に言及する人間であってもそのすり替えに自身ですら気づかずに「人気実況者のスプラトゥーンがランキングを独占して、マリオメーカーもランキングを独占したから『マリオメーカー問題』がおきた」と思っていることである。この点では情報ライト層のほうが真実に近いところにいる。
「スプラトゥーンがイヤで、マリオメーカーもイヤだったから『マリオメーカー問題』が起きたのだ。「スプラトゥーンで任天堂への嫌悪感が溜まり、自身の正義感が増し、マリオメーカーでも同様のことが起こり『マリオメーカー問題』が起きた」のだ。
現在の『マリオメーカー問題』と呼ばれるものは人気実況者へのアンチやドワンゴ※1への不満と結びつき、『人気実況者によるランキング寡占問題とそれを改善しないドワンゴ※1の問題』に変わった。だがそれはすでに『マリオメーカー問題』ではない。それがだれかに語られるたびに【まるではちま寄稿やゲームハード・業界板】のように表層しか触らない情報ライト層にマリオメーカーは悪いもの、任天堂は悪いものと植え付けられる。情報ライト層はまともに文章を読んで内容をちゃんと理解してくれるわけがないからいつまでたっても情報ライト層なのだ。おそらくこの記事もタイトルが目に入ればいい方でライト層には誤解されてしまうだろう。
任天堂への正義感溢れる行動から始まり変化した結果の『人気実況者によるランキング寡占問題』はすぐに下火になり、マリオメーカーへの悪評だけが残り続けるだろう。悪の大魔王である任天堂を攻撃しているはずが、いつの間にかよく分からないやつを攻撃しろ!と言われているのだ。ランキングを見ても悪の大魔王の所業である動画は減るばかりだ。急速に彼らの興味は失われるだろう。そして私に分かるのは、次に『ランキング寡占問題』が起きたならばまたそれは『任天堂のゲーム』がまた人気になった時である、ということだ。
最後に、この至らない文章を補強、訂正作業などをしてくれた友人J氏に感謝する。いなければ書くだけ書いて投げ出していただろう。
この文章を書くに至ったきっかけはグルッペン・ヒューラー氏の雑記を読んだことだ。マリオメーカー問題第2世代として分かりやすい考察、ニコニコ動画の改善点を提案している。マリオメーカーから始まった『人気実況者のランキング寡占問題』について知りたい方はそちらをお勧めする。私の書いたこの文章は『ランキング寡占問題』ではなくマリオメーカー問題を語ったものであり、ランキング寡占問題に対する言及はしていない。
参考リンク
所謂「マリオメーカー問題」と呼称される事象についての若干の雑感。 http://ch.nicovideo.jp/sovietunion/blomaga/ar889087
ShoyoFILMSを開発していくブロマガ
元ゲーム業界人による「マリオメーカー問題」に関する所感と対策
http://ch.nicovideo.jp/shoyofilms/blomaga/ar885422
http://dic.nicovideo.jp/id/5370963
http://commons.nicovideo.jp/cpp/about/
クリエイター奨励プログラム - ニコ百 http://dic.nicovideo.jp/id/4783001
※1 現在は株式会社カドカワだがわかりやすさを優先させた。少し前、カドカワとドワンゴがくっついてカドカワになった。
※2 なお、ふぃ氏は一つ目の動画が影響を与えた後の生放送では「任天堂ではなく人気実況者に向けていた」という釈明をした。しかし一つ目の動画では「任天堂に向けた批判」が明らかに見受けられているため、生放送での発言は事態の鎮静化を狙ったものであると考えている。
※3 ステルスマーケティングの略。いわゆるサクラが最も近いが表明せず広告宣伝を行うこと。任天堂が公式にステマを行ったというきろくはない。
※4 実際に払ったものもある。http://nico.ms/sm25695124 ただしここにも明記してあるとおり公式依頼であってステマ等非難されるものではない。また任天堂は人気実況者を呼んでの公式イベントなども行っている。しかし一般にニコニコに投稿された動画に対して金銭を支払っているという根拠はない。
※5 現在の状況や過去の状態、業務によるあれこれなどは置いておいて全体としての話だ。
※6 現在は2ちゃんねる全体転載禁止されているがほとんど同じことを行っている。
※7 今回の件とは直接関係は無いがこちらも「突然流行ったからステマだ」のような言いがかりがつけられていた。実際は一年前から注目され様々な広報をへて時間の決まった体験会を行ったため動画が同時に上がったため突然動画が同時に上がっただけである。
※8 推測になるので欄外なのだが改造マリオが流行っていたという土壌とマリオという誰でも知っているゲーム、さらにクリエイター奨励プログラムにより明確に白と宣言されたものでスプラトゥーンという誰もがランキングに上り詰めたという前例があったうえで任天堂自信作として多数の広報がかけられ知名度も最初から高いとあらゆる理由と要素が組み合わさった結果の爆発と思われる。
私は過去境界性人格障害と診断され、現在ほぼ寛解している状態。
私は両親が自営業の共働きの家庭、そこに祖母も加えた4人で暮らしていた。
父は機嫌が悪いと私や母にその鬱憤をぶつけるような人だった。
今思えば父も人格障害だったのだと思う。
ぶたれたり無視されることは多々あり、小学校に上がってからは体を触られたりしていた。
祖母には一切そういうことはしなかったので、逃げる時はいつも祖母の部屋へ逃げていた。
この頃は逃げ場があったことで私も母も耐えられたのだと思う。
だが10歳の時、祖母が死んだ。
それを受け、母が離婚すると言い出した。
後で伝え聞いた話だと歯止めである祖母がいなくなり怖くなったのだと言っていたそうだ。
だが父は離婚はしないと言い、あまり詳しいことはわからないが裁判になったようだ。
その後いろいろあったが離婚は成立。母と私の二人暮らしとなった。
中学校に入学してからは父と離婚したことは私にとってよかったのだと思えるようになっていた。
これで機嫌を伺わなくてもいい、嫌なことはもうされないから。
母は離婚を機に事業を人に譲り、ゆっくり時間を取って私と向き合おうとしていた。
高校に入学し、お互い少し本音を言えるような関係になった頃、突然母が死んだ。
17歳の時。何とか維持出来たものが、ここで完全に狂ったのだと思う。
母の葬儀の時に悲しいと思えなかった。涙も出ない、何も感じない。
母の死を受け入れられなかったのだと思う。
後で母親が死んだ時に泣かないなんて冷たい娘だと言われていたと聞いた。
もっと酷いことも言われていた。
それを聞いて今まで周りにいた人々を信じられなくなった。
母が死んでからは叔母が面倒を見てくれていたのだが、裏切られるのが怖いから叔母も信じられなくなった。
自分以外は全て敵になった。
誰も自分を必要としてくれないなら、自分は必要のない人間だと思うようになったのもこの頃。
死にたいとも思うようになり、精神科で貰った薬で自殺を試みる様になる。
高校卒業後、専門学校に通いだしたがあまり通わず夜遊びに夢中になった。
誰にも深入りせず適当な関係が心地よく、よく知りもしない相手なら自分の踏み台にしても良心は痛まない。
何をやっても満たされない。思い通りにならないと死にたくなる。
専門学校を卒業する頃に出来た彼氏は私を受け入れようと努力してくれた。
私は彼を試すことをやめられない。酷いこともしたし、嫌なこともたくさん言った。
けれど彼は私を、肉親にするように受け入れ包んでくれた。
けれどそんなの長くは続かない。
2年一緒にいたけど結局別れることになる。
ここからまた酷くなっていく。
夜遊びの過程で今度は薬物を使うようになる。
向精神薬と併用してるものだから、気分の上り下がりがもっと激しくなる。
自分の気分に振り回され、完全に自分自身を制御出来なくなくなった。
薬のせいで食事をあまり取らなくなり、がりがりに痩せ、薬が効いてないと人ともまともに話せないし外にも出れなくなった。
今までは自分の踏み台だった友人に頼り、泣き言をいい、酒を浴びるほど飲んで睡眠薬を飲んで寝て、このまま死ねたらいいと思いながら眠りに落ちる。
さすがに周りにいた人たちも離れていった。
今まで自分の踏み台しか思わなかった相手に怒りを覚えたが、わめき散らして泣くことしか出来ない。
傍目に見てもおかしいと誰もが思ったろう。
けれど不思議なことに凪のような、穏やかな気持ちになる時が出てくるようになった。
今思えば薬物の副産物なのだろうが、これが私にはプラスに働いた。
この頃、人が離れていったこともあり叔母と過ごす時間が増えた。
何がきっかけだったかは思い出せないが、この凪の時に自分の心のうちを叔母に話したことから快方に向かう。
日々少しずつだが話すことで叔母と信頼関係が出来ていった。
擬似的だが母子関係を築くことで、自分は不必要じゃない、存在してもいいんだと思えるようになった。
叔母は駄目なものは駄目、いいことはいいと褒めてくれる人だった。これもよかったのだと思う。
何より父にされたことを話した時に、知らなかった、助けてあげられなくてごめんね、と言ってくれたことが嬉しかった。
私が求めていたものは母だったのだとここで気がついた。
母にこう言ってほしかったのだと。
そうしたら母に対して怒りが湧いた。
私が父に振り回されていた時に文句一つも言ってくれなかったことに腹が立ったのだ。
けれど母はもういない。
叔母にそれを話したら、母を許してあげなさいと言われたのをよく覚えている。
何言ってるんだと腹が立ったけど、後で真意を聞いたらあなたが楽になるかと思った、と言っていた。
時に喧嘩し、語り合い、泣き、そんな私でも叔母は受け止めてくれた。
たまに揺さぶられるような出来事もあったけれど、気が済むまで話を聞いて貰った。
そんな生活をするうちに、少しずつ落ち着き、年齢的に落ち着いてくるのも相まって穏やかになっていった。
で、現在に至る。
たまに人格障害ぽいところは顔を出すも、自分に振り回されることはほぼ皆無になった。
特に父との関係。父は私をおもちゃの様に扱ったから、自尊心が育たなかったと推測している。
母は私に危害を加えなかったが、人間的に理解を深める前に逝ってしまった。
今でも私は母がどんな人かよくわからない。
父に愛され、母と一緒に過ごしたかった。
本物じゃなくても近い気持ちを教えてくれた叔母がいなかったら、ここまで良くなかったのではないだろうか。
年齢的な落ち着きも味方した。その点私は運が良かったと思う。
今では向精神薬も薬物も使用していない。
精神状態が落ち着いてきても止めることに不安があり、どちらもずるずる続けていたが使用回数も減ってきたあたりですっぱり止めてみたら止められた。
母のことも許せたかはわからないけど、受け入れて生きていけている。
あくまで自分のケースを元にどんな経過を辿ったか、その記録として。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
やってきた内容は
手すり(ドア横の縦に長い手すりね)に掴まってる私の手にちんこを押し付ける
↓
手にきた感触で「あ、これちんこだ」と思って逆に痴女と思われたくなくて手すりの手を離して、自分の胸の前へ
↓
↓
マジで気持ち悪かったので身体をひねり、肘でそのおっさんの腹部を強く押して睨んだ
睨んだら、そのおっさんは40~50代のうすらハゲの糞みたいな顔したおっさんだった。
私は派遣社員で時間給なので、痴漢を通報して遅刻するわけにはいかない。
また、私はブスで26歳なので、痴漢に遭ったことを言ってもほぼ確実に
とか言われかねないので周りに言うこともできない。
あと、痴漢はブス(おとなしそうな人)をあえて狙っているのを知ってほしい。
本当にされた人にしかわからない怒りや辛さがあることを知ってほしい。
本当に冤罪だった人はかわいそうだけど、全員が本当の冤罪ではない。
いい加減にしろ。
既婚で子どももいる友人が遊びにおいでと誘ってくれたので、遊びに行ってきた。
私自身は最近既婚者になった。仕事も様々な理由から退職したので以前よりも時間の融通が効いたのだ。
そういえば彼女とは最近あまりメールもやりとりしてなかったな、学生時代は仲が良かったのにな…それがなぜだかよく思い出せないままに遊びに行った。
そして思い出した。
彼女のあることが私は嫌いで、それでなんとなく関係が疎遠になっていたことを。
あの芸能人は目が大きくて顔も小さくて美人、同じサークルの先輩はビジュアル系が似合う感じでカッコイイ、バイト先の後輩は小さくてかわいい…
「かわいい」の基準はともかくとして、彼女は可愛い、綺麗、美人、そんな形容詞が似合う人が好きだった
それと同時に、それとは反対の評価を下す人の話も良くした
学部のあの先輩は鼻が低くて不格好、あの先生は化粧が下手でその上不美人、この間すれ違った人はこんなふうに醜悪だった…
そういう話を私はよく雑談の中で聞かされた。
私ははっきりいって不細工な部類に入る人間なので、私のいないところでそんな風に語られているのだろうなと思うと嫌な気持ちになり、結果として疎遠になったのだった。
それを思い出したのは、彼女が今も変わらずそういうことを語ること、そして彼女の旦那さんもそうであったことがきっかけだった。
テレビを見て「この人ぶさいくだよね」「この人絶対整形だよw」旦那さんは嬉々として語る。彼女もそれに同調する。
変ってないのだな、とも思った。
私だって人の美醜は気になるし、自分自身のことも気にする。容姿について言及することは行き過ぎなければ悪いことではないし、話題に上りがちなことでもある。
けれど、人の悪いところを嬉々として語るのを聞くのは嫌だ。
容姿の話も含め、人の悪口陰口は聞いている方が嫌なものだ。私もそうなってないか気を付けよう。
私自身がその話を聞き続けるのが嫌なので、またしばらく疎遠にさせていただこう。
週刊少年ジャンプで連載中のカガミガミが打ち切りの危機に瀕しているように見える。NARUTOという巨大作品が連載終了という連載枠的にこれまでにないほどの好条件で始まった岩代先生にとって3回目の、俗にいうバイバイジャンプに王手をかけている連載作品「カガミガミ」である。しかし30話(作中で言うFILE30 岩代先生は巻末コメントでこの表記を編集が間違えていることを指摘する)現在、直近の打ち切りレースで「レディジャスティス」「デビリーマン」が連載を終了し、確実に先に打ち切られると容易に推測できた打ち切りへの余裕枠が尽てしまった。次もしくは次の次の打ち切りレースで生き残るには新連載の「ものの歩」「左門くんはサモナー」が10話で突き抜けてくれない限り厳しい。もちろん作品上でも黒幕の終月(ツイラギ)というキャラが登場し、打ち切り臭プンプンである。
前作「PSYREN」(2008年1号~2010年52号)の熱烈なファンで数々の友人に布教し、5年間新連載を待った身としてはどうにかして打ち切りを逃れ人気作品に上り詰めてほしい。「PSYREN」では弟子に先を越されたアニメ化をこのカガミガミで成し遂げてほしい。そういう思いからこれを書いている。
手元のWJ42号の巻末目次を見る。なんという充実の連載群であろうか。
1.ものの歩(新連載)
2.暗殺教室
3.ハイキュー!!
8.斉木楠雄のサイ難
10.背筋をピン!と
13.BLEACH
16.カガミガミ
現在のWJは作品の年齢の若い中堅ドコロが、「PSYREN」連載当時では考えられないほどに充実しており、非常に面白い雑誌となっている。
5.僕のヒーローアカデミアは、悲しいことにこの作品こそが本エントリーの煽りで使った「NARUTO」に代わるを体現している作品であり、次世代のジャンプ王道系漫画を支える金星である。
6.火ノ丸相撲は相撲という速攻打ち切りを喰らうと思われるジャンルを見事なストーリーテリングとまるで実際にキャラクターと土俵の中で対面しているかと錯覚するほどの迫力を見せる巧みな大ゴマ使いを武器に見事人気作品に仕上げている。私が今一番楽しみにしている作品である。単行本が売れていないという噂を聞くが打ち切られる事はまずない。
7.ブラッククローバーはカガミガミの開始以降に始まった作品であり、連載当初は私が最も登場を感謝したマンガであった。1話の完成度こそ高かったが、2話からさっそくキャラ顔の書き分けが未だに苦手なのが見て取れこれでまたストックができたと安心した。しかしブラッククローバーは以降1話と同様の完成度、つまり子供が喜ぶジャンプの王道を突き進む魅力を維持し続けており加えて顔の書き分け以外の画力も人気作品として恥ずかしくないレベルを維持している。「Magico」「メタリカメタルカ」「HUNGRY JOKER」等のファンタジー系世界観を有する新連載はここ最近まず間違いなく打ち切られていたが、ここにきてその悲しみの連鎖に終止符を打つ作品が出てきてしまった。
10.背筋をピンと!は高校の競技ダンス部に属する地味な男女の話という火ノ丸相撲と同じく一般にジャンプで長生きはしなさそうなテーマの作品である。しかし18話(STEP18)現在でcカラーであり、普通に人気作品である。ここから打ち切りに急転直下ということは考えにくい。また作者の横田卓馬先生は何を隠そうオ〇ニーマスター黒沢の作者YOKOであり前作のダンゲロスはヤンマガ誌上の人気作で、アニメ化の話が出る事には出たという超実力者である。
14.ベストブルーは唯一の希望である。Pixiv上で一瞬だけ人気を博した(?)「新米婦警キルコさん」の作者の新連載であり9話現在順調に掲載順の降下を続けている。しかし、毎度打ち切りレースでジャンプを去るのは2作品であり、これだけではストックが足りない。9話現在、作品上で終わりは匂わされていないことも不安材料。
これら以外は全てアニメ化実写化が済もしくは決定している雲の上の作品たちであり、如何にカガミガミが苦境に立たされているか分かると思う。
では、肝心のカガミガミだが
正直言って打ち切りも止むなしという作品のように見える。いくら過去作の信者だったとはいえ、カガミガミより上記の作品が先に打ち切られるような事態が起こればジャンプ編集部の中に何か闇を感じずにはいられないだろう。
" イオンエンジンも眠る丑三つ時。墨を流したような暗がりの中に縞模様の宇宙服の男が歩いています。手には提灯もなく、月は雲で隠れているのにひたひたと日中をゆくが如く堂々と街道を歩いています。向かう先は町外れにあるNASAの酒蔵です。ご存知のように老舗の宇宙問屋であるNASAは宇宙燃料に、嗜好品に、と使い勝手のいい酒を自家栽培するようになり今日では「まるな印のNASAの酒」として市場を賑わせています。その酒蔵へ、男は吸い込まれるように入っていくのです。カードキーで施錠されたNASA鉄壁のセキュリティーも男の手にかかれば造作もありません。懐から取り出した木の葉を滑らせると「ピッ」という小気味良い音を立てて開いてしまいます。扉は油を引いたように滑らかな動きでスライドし、真っ暗だった通路に灯りが点ります。ぬっ、と入ってきた宇宙服の男は電灯の下ではまさしく異様な風体でした。六尺はあろうかという見上げるような宇宙服の大入道で、全身に黄色と黒のだんだら縞が入っています。奇矯奇怪な風体ですが不思議と品位を感じるのはそのゆっくりした立ち振る舞いからでしょうか。やおら男は歩を進めます。警備員はというと監視カメラに睨みを利かせていたのですがちっとも男の侵入には気づきません。煙のようなものがモニターを横切ったようにしか見えないのです。男は真っ直ぐ酒蔵に向かうと醸造樽をにハシゴをかけ、猿の様な勢いで一気に上りきるとそのままどぶり。酒の中に入ってしまいました。立ち泳ぎをしながら男のヘルメットが横一文字に裂けたと思うと大きく開きます。中から輝く白い歯列。どうやら口のようです。そのままごうごうびゅうびゅう音を立てて酒を飲み始めます。しばらくすると宇宙服が全体に赤みを帯び、満足したのでしょう大きな大きなげっぷを垂れました。ぐえーふ。そして滑らかな樽の表面に手を突くとヤモリのように登りきり、ふちから外に飛び降りました。流石に酔っ払っているのでしょう。尻からどっかと落ちてしばらく寝転がっていびきをかきます。しかしそれも寸刻のこと。ふらふらした上体を揺らしながら起き上がるとゆっくり出口へ向かって歩き出します。ここへきて警備員は物音から動き出すのですが男はすんでのところで逃げてしまって行方はようとして知れません。これが月に何べんもあります。
NASAの高官たちは寄り合いを開いて対応を協議することにしました。長官がぱちぱちとはぜる囲炉裏の火を見ながら語ります。「これは我らが神をないがしろにし、ロケットでただ宇宙を駆ることばかり考えた罪ではないのか」かぶりを振って「気ばかりのスティーブ」と呼ばれる翁が怒気混じりの声を上げます「こんなものは怪事でもなんでもない!ただの泥棒だ!警備員を倍増させ、捕まえてしまえば問題ない!」そこへ人事部のロジャースが鼻声で反論します「君、警備員を倍増させるのはいいよ。しかしね、その給料はどうするのかね。10人増やせば月に3万ドルの出費だ。それに泥棒を捕まえたらすぐクビにできるのかね?一ヶ月でクビ切り?おお、怖い。私は幽霊よりも労働組合が怖いね!」長官は二人のやり取りを呆けたような目で見て震えるばかり。とても裁定ができるような状態ではありません。先週妻と協議離婚をしたばかりなのです。親権も奪われました。涙ばかりがぽろぽろこぼれます。頭に浮かぶのは幸せだったころの自宅の庭。今では古タイヤがつまれているだけです。そこへ新役員のホプキンスが手を上げます「それならここにいる役員全員がかりで泥棒を取り押さえようではありませんか。幸い我々は一般職員と違って仕事をしていない。時間は十分にあります。それに私は我々の日本の友達、JAXAから棒を貰う算段をつけています。アジアに生える桃の木で作った棒は邪気を払うといいます。この棒で泥棒を叩きのめせば普通の泥棒なら死ぬでしょうし、怪異であっても無事ではありますまい」その後、閑をもてあました役員たちはそれでも命令を出すのに忙しいと文句を言って中々重い腰を上げませんでした。しかし、長官が人寂しさから全員酒蔵でキャンプをしようと訴えだし、その様があまりに哀れだったため無下に断ると死んでしまうような心持にさせられたため役員総出で寝ずの番をすることになりました。
老人たちの酒蔵生活が始まりました。杜氏は黙々と仕事をするだけで彼らを一瞥もしません。なぜなら彼らはロボットであり視覚センサーを備えていないためそもそも見ることができないからです。終業時刻を迎えそれぞれ酒蔵の目立たないところに張ったテントに戻ると全員それぞれテント内でちびちび酒を飲んだりマンダリンを弾いたり思い思いのことをしています。そんなことで泥棒が捕まるのかはなはだ疑問でありますが、彼らは仕事をしない生活が当たり前になっていたため全員目標を忘れていたのです。そんな生活が四晩も続いた頃でしょうか。ついにだんだらの宇宙服がやってきました。彼は既に見つからないことが当たり前になっていたせいでしょうか。宇宙服の表面は毛羽立ち、ヘルメットからは大きな舌が覗いています。鼻歌を歌いながら酒樽に近寄りハシゴをかけようとすると「ジュワッ」肉を炙るような音がして宇宙服の手袋が黒く焦げました。ハシゴを桃の木製に架け替えていたのです。あっ、とうずくまる大男に老人たちが殺到しました。堕落したとはいえ元はやり手のサラリーマンたちです。身のこなしが違う。久々の仕事に興奮した役員がやたらめったら男の全身を打ち据えます。ぼっ、じゅっ、叩く度に焼きゴテを押し当てたような音がします。きゅうきゅうという音を立て、身をくねらせる大男は徐々に身長が縮んでいき宇宙服もぼろぼろになり獣の毛皮のようになっていきます。狂乱の二分間が過ぎると長官が割って入りました「みな待ちたまえ。もうこの泥棒に盗みを続ける気力はあるまいよ」そこには大男だった痕跡もほとんど残っていない一匹の狸が傷だらけの全身を震わせ横たわっていたのです。不憫に思った長官が狸に尋ねます。ここは人間の酒蔵だ、一体どうして人間の酒蔵を荒らすのか、狸は目に一杯の涙を貯めて語ります。「つい先年、妻と協議離婚をしたのです。親権も奪われ自暴自棄になり、とにかく酒以外に救いがなかったのです。人間様にご迷惑をかけたのはわかっています。それも今日のように罰せられるのを期待していたのかもしれません」それを聞いた長官は膝から崩れ落ちて泣き出しました。おお、お前は私だったのだ。狸を抱き上げ介抱を始めました。もうこんなバカなことをするものではないよ。酒が欲しいのなら私に言いなさい。獣一匹が飲む量くらいはすぐに都合してやろう。「ああ、旦那様。人間とはかくも暖かいものだったのですね。いいえ、いけません。貰うばかりでは狸のプライドが立ちません。どうか私にもできることをやらせてください。そうだ、エンジンの出力を上げるくらいなら狸にとってはどうということはありません。これからNASAで打ち上げるロケットは全て狸の加護を加えましょう」それからというものNASAから打ち上げられるロケットの出力は全て30%増加することになりました。それによりNASAの宇宙開発は飛躍的に進み、今でもNASA本社の玄関には傷ついた狸を抱き上げるかつての長官の銅像が立っているのです。とっぴんぱらりのぷう。"