ピースオブケイクを見たんだけど。
実写映画の方ね。
柄本佑も多部未華子のおっぱいもんだりしやがってたし、ちくしょー
贅沢なビデオ屋だよなー
どうせならオダギリジョーとは言わないから福士蒼汰あたりも一緒に出せばいいのになー
おまけに峯田和伸に、だ・第一印象からーとか言わせるし、ギターで歌わせるし、
すげーなー
わけわかんねー
おやすみ。
デートでご飯を食べたら、彼が多めに出してくれる。
この前水族館に行ったときも、2枚同時にチケットを買ってくれて、お金を渡そうとしたら1000円でいいよ〜って言ってくれた。
無理に全額渡すのもアレだし、申し訳ない!ありがとう!って言って彼の好意に甘えてる。
彼は1個上の社会人で、早起きしなきゃいけなくて大変そうだから、平日に私の部屋に呼ぶことは出来ない。
そんなに遠いわけじゃないけど、すごく近くもなくて、電車で片道350円くらい。往復700円。意外と馬鹿にならない。
でも、2〜3週間に1回くらい、彼が私の部屋に来るときがある。
メニューは彼のリクエストで、ハンバーグとか豚の角煮とか、お肉料理が多い。
そのときの食費は私持ちで、彼は非常によく食べるので1日に2000円ほどかかってしまう。
彼は、ご飯をとっても美味しそうに食べてくれるし、たくさん褒めてくれる。
すごく嬉しい。すごく嬉しいんだけど。
なんだか、私の金銭的負担が、大きい気がする。
1週間に3回会いに行くとして、交通費が月に8400円。2週間に1回彼に手料理を振る舞うとして、食費が月に5000円。
対して、彼が2週間に1回会いに来てくれるとして、交通費が月に1400円。2週間に1回デートをするとして、多めに払ってくれるのが月に5000円。
やっぱり、私の金銭的負担、大きすぎやしないか?
バイトもしていない学生だから、本当に交通費が馬鹿にならなくて、最近はおいでって言われる度に憂鬱な気分。
じゃあバイトすればいいじゃんって話なんだけど、兄がブラックバイトで身体壊して1年休学しちゃってから、我が家は全面的にバイト禁止になった。
お金が足りなかったらお母さんに言いなさい、仕送り増やしてあげるから。って言われているけど、彼氏の家に行く交通費がないからお金ちょうだいなんて言えないよね。
彼には、お金ないよ〜って言ったことあるけど、交通費支給するからおいで!って言われて、じゃあと思って会いに行ったら結局支給されなかった。
しびれを切らして交通費は〜?って冗談ぽく聞いてみたら、本気にしてたのー?じゃああげるよーって笑いながら300円を手渡されてからそれ以上お金ちょうだいなんて言えなかった。
彼のことは好きだし、いつでも会いにいきたいくらいだけど、損得勘定で考えると、私が損してて彼が得してて、なんだか腹立たしいんだ。
私がお家の食費を全部持っているのは、頻繁に彼の部屋に行っていなくてデートだけの付き合いだった時期に、たまには私が出すねってことでそうなったのに。
外食のお金は目に見えやすいけど、自炊にかかる費用と交通費は分かりにくいよね。
私に負担がかかっていること、彼に気づいてほしい。
おばちゃんいわんといて
しらしめる:知らせる。認知させる。
「世の中は金」ってのは、そこまで頭がまわらない子が頭悪いということを証明するためのセリフにすぎない。
公務員試験の日付をチェックしてなかったり、情報を広げることが出来ないで不満を言う人は典型的に頭悪いセリフなので
そういう考え方してると、昔の人が人力で作った巨大建築とか見て、「この時代のテクノロジーではあり得ない!オーパーツだ!」とか思っちゃうんだよ
これは?
http://www.excite.co.jp/News/game/20120115/Appgiga_11759.html
何度か自殺したことがあった。少なくとも4回。
実際にやったけれども、小学生やそれ未満が4回中3回だったから、確実な方法をしていなかっただけなのかもしれないし、わざと選択していたのかもしれない。
でも、結果的に死ななかった。でも、そのときは、本気で死ぬ気だったのは覚えてる。
原因はさておき、冷静になって後から考えると、親からの愛情欠如という、少々子供じみた理由だと、今だから分析できる。簡単に一言で済ませられるほどの経緯ではないのだが、結果的に欲望や感情という観点で分析すると、それくらいしか残らないから、恐らくそれが原因の核心だと思う。
ただ、死んだらそこで全て終わりになってしまうが、そこで踏みとどまり、自分から自分の未来を変えて、落ち着いたとき、ふと自分の人生を振り返ったとき、そのときの苦しみが自分にとってプラスになるかもしれない。
人生て、ドラマや作り話のように、華々しい人生を送れる人間なんて、ほんの一部しかいない。華々しくない人生を送る人の方が大多数だ。華々しい人生送る人ほど努力もできないし運や親の七光りも期待できない。それでも、日々の生活の中に、自分なりの幸せや目標を見つけて年を重ねていくものだ。
人間というのは、どんな立場や境遇でも不幸に思う人は不幸に思うし、幸福と思える人は幸福に思う。そういうもんだと思う。一見幸福そうに見えている人でさえ、本人にとっては苦渋の生活を送っている人もいる。そういうもんだ。
人生で辛いことが続く時期は、何度かやってくる。1年も2年も続くことだってある。でも、嵐のように、止まない不幸な時期は無い。しばらくじっとしていれば、きっと嵐が止むときはやってくる。そう思うし、自分はそうだった。
みんな産めや増やせやできたんじゃないの。
食い扶持増えるけど7,8年我慢すればその分だけ生産性もアップするんだから。
黄昏よりも暗き歴史、血の流れよりも赤き恥、時間の流れに埋もれたままにしておきたかった卑小なる我の汚点において、我ここに闇に誓わん、自らが前に立ち塞がりし、全ての愚かなる我に、欝憤と悵恨の力もて、等しく滅びを与えんことを
コスパが高いかどうかは分からないが、全く別の視点や行動が取れるものを得るためには必要な過程だとは思う。
ただ、別に外国に行かなくて楽しい生活が出来ないわけではないと思うので
それで良しとするならそれでいいんだと思う。
認めて欲しかったらまず自分から他人を認めるとか、好きになって欲しかったらまず自分を好きになるとかそういうの。
散々やったけど搾取されるだけだよね。見抜かれてるのかわからないけど、踏み台にされて終わるよね。
そんなに人を愛する力が無限に湧いて出るなら苦労ないよね。
もうカラカラなんだよこっちは。
世の理も、突きつめれば、
それが利害や益に現れるのは人の間のことでしかないと気がついたのです。
然れば、理を追うよりも人の間を観るこそが真理への道だと、気がつきました。
どうして