2015-10-04

境界性人格障害持ちの話

私は過去境界性人格障害と診断され、現在ほぼ寛解している状態

現在30代。一番症状が激しかったのは20代の時。

過去出来事を思い出しながら書いてみる。

私は両親が自営業共働きの家庭、そこに祖母も加えた4人で暮らしていた。

父は機嫌が悪いと私や母にその鬱憤をぶつけるような人だった。

今思えば父も人格障害だったのだと思う。

ぶたれたり無視されることは多々あり、小学校に上がってからは体を触られたりしていた。

祖母には一切そういうことはしなかったので、逃げる時はいつも祖母の部屋へ逃げていた。

この頃は逃げ場があったことで私も母も耐えられたのだと思う。

だが10歳の時、祖母が死んだ。

それを受け、母が離婚すると言い出した。

後で伝え聞いた話だと歯止めである祖母がいなくなり怖くなったのだと言っていたそうだ。

だが父は離婚はしないと言い、あまり詳しいことはわからないが裁判になったようだ。

その後いろいろあったが離婚は成立。母と私の二人暮らしとなった。

中学校入学してからは父と離婚したことは私にとってよかったのだと思えるようになっていた。

これで機嫌を伺わなくてもいい、嫌なことはもうされないから

母は離婚を機に事業を人に譲り、ゆっくり時間を取って私と向き合おうとしていた。

高校入学し、お互い少し本音を言えるような関係になった頃、突然母が死んだ。

17歳の時。何とか維持出来たものが、ここで完全に狂ったのだと思う。

母の葬儀の時に悲しいと思えなかった。涙も出ない、何も感じない。

母の死を受け入れられなかったのだと思う。

後で母親が死んだ時に泣かないなんて冷たい娘だと言われていたと聞いた。

もっと酷いことも言われていた。

それを聞いて今まで周りにいた人々を信じられなくなった。

母が死んでからは叔母が面倒を見てくれていたのだが、裏切られるのが怖いから叔母も信じられなくなった。

精神科に通院するようになったが、医者を信じられない。

自分以外は全て敵になった。

誰も自分必要としてくれないなら、自分必要のない人間だと思うようになったのもこの頃。

死にたいとも思うようになり、精神科で貰った薬で自殺を試みる様になる。

高校卒業後、専門学校に通いだしたがあまりわず夜遊びに夢中になった。

誰にも深入りせず適当関係が心地よく、よく知りもしない相手なら自分踏み台にしても良心は痛まない。

学校友達楽しい時だけ共有すればいい。

彼氏も出来たけれど、相手の気持ちを試すからすぐだめになる。

何をやっても満たされない。思い通りにならないと死にたくなる。

専門学校卒業する頃に出来た彼氏は私を受け入れようと努力してくれた。

私は彼を試すことをやめられない。酷いこともしたし、嫌なこともたくさん言った。

けれど彼は私を、肉親にするように受け入れ包んでくれた。

この時は本当に幸せで満たされた時間だった。

けれどそんなの長くは続かない。

2年一緒にいたけど結局別れることになる。

ここからまた酷くなっていく。

夜遊びの過程で今度は薬物を使うようになる。

向精神薬と併用してるものから、気分の上り下がりがもっと激しくなる。

自分の気分に振り回され、完全に自分自身制御出来なくなくなった。

薬のせいで食事をあまり取らなくなり、がりがりに痩せ、薬が効いてないと人ともまともに話せないし外にも出れなくなった。

今までは自分踏み台だった友人に頼り、泣き言をいい、酒を浴びるほど飲んで睡眠薬を飲んで寝て、このまま死ねたらいいと思いながら眠りに落ちる。

さすがに周りにいた人たちも離れていった。

今まで自分踏み台しか思わなかった相手に怒りを覚えたが、わめき散らして泣くことしか出来ない。

何をやっても上手く行かなくなって、ますます自暴自棄になる。

傍目に見てもおかしいと誰もが思ったろう。

けれど不思議なことに凪のような、穏やかな気持ちになる時が出てくるようになった。

今思えば薬物の副産物なのだろうが、これが私にはプラスに働いた。

この頃、人が離れていったこともあり叔母と過ごす時間が増えた。

何がきっかけだったかは思い出せないが、この凪の時に自分の心のうちを叔母に話したことから快方に向かう。

日々少しずつだが話すことで叔母と信頼関係が出来ていった。

擬似的だが母子関係を築くことで、自分は不必要じゃない、存在してもいいんだと思えるようになった。

叔母は駄目なものは駄目、いいことはいいと褒めてくれる人だった。これもよかったのだと思う。

何より父にされたことを話した時に、知らなかった、助けてあげられなくてごめんね、と言ってくれたことが嬉しかった。

私が求めていたものは母だったのだとここで気がついた。

母にこう言ってほしかったのだと。

そうしたら母に対して怒りが湧いた。

私が父に振り回されていた時に文句一つも言ってくれなかったことに腹が立ったのだ。

けれど母はもういない。

叔母にそれを話したら、母を許してあげなさいと言われたのをよく覚えている。

何言ってるんだと腹が立ったけど、後で真意を聞いたらあなたが楽になるかと思った、と言っていた。

時に喧嘩し、語り合い、泣き、そんな私でも叔母は受け止めてくれた。

たまに揺さぶられるような出来事もあったけれど、気が済むまで話を聞いて貰った。

そんな生活をするうちに、少しずつ落ち着き、年齢的に落ち着いてくるのも相まって穏やかになっていった。

で、現在に至る。

たまに人格障害ぽいところは顔を出すも、自分に振り回されることはほぼ皆無になった。


私の場合、基本は幼少期の家庭環境が大きいと思っている。

特に父との関係。父は私をおもちゃの様に扱ったから、自尊心が育たなかったと推測している。

母は私に危害を加えなかったが、人間的に理解を深める前に逝ってしまった。

今でも私は母がどんな人かよくわからない。

結局私は家庭のありふれた愛情が欲しかったのだと思う。

父に愛され、母と一緒に過ごしたかった。

本物じゃなくても近い気持ちを教えてくれた叔母がいなかったら、ここまで良くなかったのではないだろうか。

年齢的な落ち着きも味方した。その点私は運が良かったと思う。

今では向精神薬も薬物も使用していない。

精神状態が落ち着いてきても止めることに不安があり、どちらもずるずる続けていたが使用回数も減ってきたあたりですっぱり止めてみたら止められた。

そういうことも大丈夫と思える一つの要素になっている。

母のことも許せたかはわからないけど、受け入れて生きていけている。

あくま自分のケースを元にどんな経過を辿ったか、その記録として。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

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