はてなキーワード: 平本アキラとは
誰向けでもない
========
ヒット作を出した漫画家が次作以降に(特撮・アメコミ系)ヒーローものを書くことを無理やりこじつける。
1.春場ねぎ
五つ子ラブコメから一転スーツヒーロー5人組みの新連載は当時衝撃という名の落胆を覚えた。おもにおっぱい的方面で。
2.島本和彦
この人はまあ…「月刊ヒーローズ」というそのまんまの雑誌から出た漫画。ということで選出。
厳密にはヒーローものではないが敵が身分を隠すために作中作の戦隊スーツを借用し、結果として敵味方ともに「メトロポリマン」(を着た能力者)として長く紙面を占めることに。
4.光永康則
多作家なので勇者ものなども平行しているが、長きにわたった怪物王女シリーズ終了から約2ヶ月後に新連載原作として登場した。休む気ないんか?
5.平本アキラ
Lawとかけた法廷物かと思いきや超能力を持つ怪人とヒーローの物語…なあらすじなのだが…中身は平本アキラ。
6.田辺イエロウ
ガッチャマンやパーマンを彷彿とさせる鳥モチーフの翼人化物語。中学生のクラブ的救世ジュブナイルモノとみせかけ風呂敷が広がり世界規模のSFの様相を呈して投げっぱなした鳥どころかぐだぐだぐでたまだった作品。ごめん私怨あり。初期にヒーローものと勘違いしただけだ。
7.大井昌和
おくさん, ちぃちゃんのおしながき → ヒーローガール×ヒーラーボーイ〜TOUCH or DEATH〜
長期連載を抱える作者の新作はやはりヒーロー。光永康則と同じくいのまるとのタッグ作があるのも共通点。
8.冨樫義博
冨樫らしくストレートな作品ではないが小学生が「原色戦隊カラーレンジャー」として活躍する話が2編収録。ゲーム色のほうが強いか。
鈴木先生終了後同じく学校ものや原作つきをいくつか出した後、万を期した新作がまさかのハニワ。ライダーシリーズを下敷きとしつつも濃密な武富ワールドが展開される。あえなく打ち切りとなったが、一連の経緯を説明したTwitterの固定ツイートから読める
(前略)
温情の結果なのです。
漫画アクションにおける前作の「鈴木先生」の時の信用貯金もあったでしょうが、双葉社内部(上部)で、「とても面白い」「思うままに描かせれば、大きな良い作品に育ち、ヒットするだろう」という長い目で見た強い期待を寄せて下さっていたからだと聞いています。
はサムライ8につらなるヒット作後の異色作について考えさせられるものがある。その一部がヒーローものにあるのではないかというのがこの記事の本旨の一端だ。
番外編.ながいけん
前作がヒットと呼んでいいのか、次作がヒーローものと呼んでいいのか…どちらも強い疑念が残るものの、その迷走とも取られかれない異常な作風にヒーロー要素がガッツリ注入されていることは確かなはずだ。デビュー作で終わらない漫画家の一種の到達点を予感させる作品。
ヒーローものは常に一定以上の需要があり続け、漫画内外を含め昔も今も大量の作品が登場し大ヒットからあっさり打ち切りまでと、とてもジャンルの栄枯盛衰を語れるものではない。それでも近年、あの作者が!?と驚くような人がヒーローを題材に新連載を興すことが散見された。散見と言っても無理やりひねり出して10作も出せないのだが、数人でもそのインパクトから記憶によく残ってしまったのだ。
彼らがなぜヒーローに手を出すのか。映画アベンジャーズシリーズなどの成功で一般にもジャンルが浸透した、などと言うのは簡単だ。超能力などがないリアル寄り人間ドラマや暗い作風から激しいアクションに行きたい、ともこじつけられるだろう。それともやはりヒット作家共通の何かがあるのだろうか。
当然私はヒット作家どころか漫画家ですらないので真相はわからない。ただひとついえることは、私はあまり異型やテカテカスーツやフルフェイスに燃え・萌えすることができないということだ。
嫁が子供を連れて一週間里帰りをしている。
この間を有意義に過ごすために、気になっている漫画の一挙読みを行うことにした。
結婚当初、どうにかして嫁さんを漫画に感化させようと努力はした。
社会派漫画には多少興味を示してくれた。しかし、当時一番好きだった漫画だけはとうとうすすめることができなかった。
一見下品で暴力的なギャグ漫画と見せかけながら、カメラワークや様々な作品に対するオマージュ、ときに笑わせながらもドキッとさせるようなシーンの描き方が秀逸な漫画だった。
しかし、その後は出産を機に週刊誌を購読する余裕もなくなり、そんな漫画の存在すら忘れてしまっていた。
この一週間で読める漫画の数は、仕事の時間を考えると20冊程度が限度だろう。
まずは気になる漫画の1巻だけを数冊集めてみることにしたのだ。
監獄学園はそのうちの一冊だった。
最初の感想は、今時の絵柄にキャッチーな美少女と微エロ。ありがちな漫画といった印象だ。
ところが読み進めていく間に、サスペンスやちょっとしたミステリの要素を見せつつも、さらに思い切りよい、それでいて悪意を感じさせないような暴力的描画の面白さに完全に引きこまれてしまった。
決めた。この一週間はこの漫画のために捧げよう。その場で最新刊までを一挙に注文することにした。
その判断が間違っていないと確信するまでに時間はかからなかった。
見た目は小綺麗で純粋な登場人物たちがときおり見せるうちに秘めたる狂気。
まるで映画のワンシーンを切り取ったかのようなシーンの描き方。
10巻も読み進めていく間に当初の素人くさいイメージは全く払拭されていた。
もしこれが新人なら、なんて怪物が現れたものだと思ったほどだった。
あぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。
そんな時、ふと「ホント、この描き方とかアゴゲンみたいで懐かしいなぁ」という言葉が自然と口をついて出た。
自分でも驚くくらい自然に、当時好きだった漫画の名前を口にしたのだ。
そうして、まさかと思い目を向けたコミックの背表紙に描かれた作者名を見て再び驚いた。
「平本アキラ」
つまり、わたしが好きでやまなかった「アゴなしゲンとオレ物語」の作者と同一だったのだ。
わたしは泣いた。
嬉しくて涙が止まらなかった。
彼は、もうこんな高みにまで達していたのだ。
アゴなしゲンとオレ物語の面白かったところは、あの荒削りな部分でもあった。
だからこそ嫌味なく読めたし、狂気を笑い飛ばすことができたのだ。
後期に入ると映画のオマージュは減っていき、独特な切り口で描く内面の狂気もいつの間にか世間に対する不満へと置き換えられていったように感じられてしまった。
わたしにはそれが、せっかくの才能が刈り取られてしまったかのようで悲しかったのだ。
わたしはアゴゲンの完結を待たずして、コミックの購読を止めてしまっていた。
わたしが彼の作品に対してブランクが合ったからかも知れないが、彼がこれほどまでにきれいな絵柄を描くとは想像ができなかった。
当時のあの絵柄から、今のこの質感に至るまでには想像を絶する努力が必要だったに違いないはずだ。
いうなればガモウひろしが一人でデスノートを今の形へと完成させてしまったかのような驚きだ。
そして何より嬉しかったことは、彼の作品の中に映画のオマージュがしっかりと生き続けているということだ。
しかもそれは、以前のようにシーンそのものをリスペクトするのではなく、描画方法やシーン展開、カメラワークをリスペクトするという技法へと昇華されていた。
彼は諦めていなかった。それどころかこれほどまでに高い水準にまで上り詰めていたのだ。
わたしは、漫画のすばらしさを嫁に伝えることを諦めてしまったというのに。
今現在、もうすでに2度目を読み始めている。
微エロに対する下心で読み始めた気持ちをリセットして、彼の描きたかったものともう一度向き合うために。
諦めず、もう一度漫画というもののすばらしさを嫁に理解してもらうために。
さっきから溢れ続けてやまない☓なにか ○なみだに誓って。
平本アキラ、古谷実は共に連載中に著しい画力の発達が見てとれる漫画家だ。
とくに平本アキラは「アゴなしゲンと俺」の1巻と「監獄学園」を見比べると同じ作者とは思えないほど画力が上達している。
なぜここまで画力がアップできたのか。二人の絵の特徴を探ってみた。
ブサイクを主人公に置きながらエロティックな美女やイケメンも同時に描いているので、醜い・美しいの振れ幅が広くなり、多彩な特徴の人間を描けるようになった。
毎回アクロバティックで多彩なアングルから描いた動きのギャグが散りばめられているため、体のバランスや関節の動きを隅々まで描くことになり、解剖学的な人体の特徴を捉える事ができた。
ギャグ表現のために古典マンガのパロディ・劇画調・ヘタウマなど過剰なデフォルメを描き分けるため、他の漫画家の画風を研究することにより表現の幅が広がった。
ギャグ漫画における分かりやすい喜怒哀楽を描くため、表情や体の動きで感情を捉える訓練に繋がった。
1~4を日々描き続けて量をこなすこと。やはりこれが大きいだろう。