はてなキーワード: 商店街とは
暇だ。
暇なので電車に乗って日帰りできる範囲の近所をブラつくことにした。
毎日同じ電車に乗っているが、方向が違うだけで景色が違って新鮮である。
あと気のせいだと思うが、車内の広告も趣が変わっている気がする。
(そういえば、8番出口の続編がいつかでるんだっけ?)
ごく短い区間の私鉄なので、終点と言っても自宅からは結構近い。
強いて言えば、コンビニ前で一息ついていたアニメキャラ?のTシャツを着たオッサンが目立っていた。
何のキャラか知らんがまぁ、確かに可愛いね、と思いながら通り過ぎる。
特に行先も目的もないが、空腹感はあったので、飲食店を眺めながらとりあえず歩く。
JRの駅との中間地点に、よさそうな定食屋があるらしい。もし見つけたら入ろうと思い、JRの駅の方角に勘で向かう。
なんというか、寂れているとも言えないが、活気があるとも言えない街並みだな・・・と思いつつ歩く
すると前方から異様な出で立ちの女性が。なんのキャラかわからんが、コスプレだろうか。巫女?っぽい?
今まで視界に入る範囲ではそんなイベントをしている気配は全くなかったので、かなりびっくりした。
あぁ、さっきのTシャツのおっさんもそのイベント目当てだったんだな、と一人合点する。
特に面白いことも、美味しそうな店も見つからないままJRの駅前らしき交差点にたどり着いてしまった。
すると何やらアナウンスが聞こえてくる。
なるほど、コスプレイベントは駅前の商店街でやっているらしい。
せっかくなので商店街を見ていくことにする。
ニコニコしたおっさんがごついカメラを構えて、楽し気にコスプレイヤーと話していた。何のコスプレなのかはわからない。
好きなキャラがいるわけでも、写真撮影が趣味なわけでもなく、買い物もする気もないので、凝視するのも申し訳ないなと思い、
横目でコスプレイヤーの皆様を見ながら通り過ぎる。今思えば結構な不審者だな。
何故かわからないが、通路の中央に車が並べられていた。キャラクターが描かれた、派手な車たち。痛車というやつか?
車を背景にコスプレイヤーがポーズを決めていた。んーあれは、ウマ娘だろうか。やったことないからわからん。
一台、やけにクラシカルな車があって、キャラが描かれているわけでもなく、趣旨違わないか?と思ったら
ボンネットはガッツリ痛い仕様だった。車のことも分らんけど、旧車を痛くする文化もあるんだろうか。とにかく金がかかりそうだな・・・・
車やコスプレイヤーやその他諸々を眺めながら歩く。
えーっと、あれは誰だっけ、初音ミクの親戚?VTuberか何か?うわ、あの人すげぇスタイル良いな。誰か知らんけど。
最近の作品はさっぱりだけど、ジブリ作品のコスプレは流石にわかった。
サンとすれ違う。クオリティたけぇな。気付いていないだけで雫と聖司もいたのかもしれない。
黒ずくめなのは、呪術回戦かな・・・ サングラスは五条先生だろうか。
商店街の終わりが見えてきた。
脇に目をやると、屋台で何かを売っている。店員がコスプレしていた。キキとトンボだ。
パンかパイを売っていたら100%買ったんだけどな。なんで、おでんなんだよ。
いや、おそらく、パンもパイも速攻で売り切れたのであろう。誠に残念である。
商店街の出口・・・というか、多分こちらが入口なのだとは思うが、変態仮面が受付にらしき場所に居た。
これはいままでと別の意味で直視はしがたい。すごいなぁ。笑いを嚙み潰して通り過ぎる。
空腹感がどうでも良くなってしまったので、そのまま帰ることにする。
何が言いたいのかと言うと、ジブリって本当にいいもんですね、という話。
私は車で10分ほど走らなければコンビニもスーパーもないようなど田舎で生まれ育った。
以前は近所に数軒家もあったが、住んでいたご老人たちも皆亡くなり今はすっかり寂しくなった。
「何もないのがいいところ」と田舎を褒めたりする人もいるが、ずっと暮らしていると普通にしんどい。あれは嘘松。
お店はおろか人も歩いていない。増えるのはソーラーパネルと空き家ばかり。
そんな田舎に嫌気がさして20代後半で上京し、30代前半になった今でも何だかんだ楽しくやっている。
半年に一度くらいは帰省しているのだが、その度に親が小さく見えるのは気のせいだろうか。まるでカントリーマアム。
60代だしまだパートとして働いていて病気もなく元気ではあるが、どこか弱々しく見える時がある。
駅まで迎えにきてくれた親の車に乗りながら、いつか訪れるであろう免許返納のことをいつも見て見ぬふりをしてしまう。
電車もなくバスもとうの昔に廃線になったこの山奥のど田舎で、車が無くなってしまっては生きていけない。買い物にも病院にも行けない。
ワケあってもう1人の兄弟には頼れない。私がどうにかするしかないのだ。
でもこんなど田舎には戻りたくない。
地元の小学校はいつ閉校してもおかしくないくらい子供が減ったらしい。
私が通っていた頃はあんなに賑わっていた運動会も今はきっと規模が縮小されたものになっているに違いない。
子供会もどうなっているんだろう。カルタ大会はまだあるのかな。
楽しい思い出もたくさんあるし家族のことも大好きだ。感謝している。
生まれ育った県がたまにテレビで取り上げられたりネット記事で見かけるとやっぱり嬉しさはある。
幸いなことにパソコンさえあればどこでも出来る仕事だが、それでも「犠牲になりたくない」と思ってしまう自分が嫌だ。
自分でお金を貯めて転職先を見つけて移り住んだ都会での生活に不満はない(家賃は高いけど)
休みの日には近所を散歩したり友達と遊んだり楽しく過ごしている。まだまだいろんなお店を開拓できる。
あのど田舎ではそれができない。山の裾なので基本的に上りだし平らな道も少ない。歩いたら人ではなく熊や猪に会う。
似た状況の人はどうしているのか、将来的にどうする予定なのか知りたい。
こういう時こそ「老老介護」「ミニマリスト」「推し活」みたいなわかりやすい名称が欲しい。何かコミュニティが欲しい。
地元で結婚して近所に家を建てて孫を見せるのがやはり「正解」に近かったのだろうか。
そんなことをここに書く暇があるなら親孝行の一つでもしろよとか思いつつ、
今日も中央線に揺られてはすっかり過疎化してしまった地元から目を背けている。
賑やかな商店街の灯りが愛おしい。人もたくさんいる。
もうめんどくさいし、帰りは近所のほっともっとに寄ろう。
ミクロ経済学の観点からいくつかの反論を提示させていただきます。
理論モデルは現実を単純化したものですが、これは複雑な現象の本質を理解するための有用なツールです。抽象的なモデルは、重要な因果関係や傾向を明らかにする助けとなります。
南丹市の例を挙げられましたが、ミクロ経済学は、複数の指標を総合的に分析し、背後にある要因を探ることを重視します。
内部留保に関する数式は、企業の意思決定プロセスを表現しようとしたものです。これは単純化されたモデルですが、利益と社会的責任のトレードオフを考慮に入れています。ミクロ経済学は、こうしたモデルを通じて企業行動の傾向を分析し、政策立案の基礎とします。
二重労働市場モデルは、労働市場の分断を説明するための一つの理論的枠組みです。このモデルは、非正規雇用の増加や賃金格差の拡大といった現象を説明するのに役立ちます。ミクロ経済学は、こうした理論を基に、労働市場の問題に対する政策提言を行います。
ミクロ経済学は、実証研究や事例研究を通じて、理論の検証と改善を常に行っています。地方商店街の問題など、現実の複雑な事例も、ミクロ経済学の枠組みを用いて分析することが可能です。
ミクロ経済学の知見は、現実の政策立案に活用されています。例えば、市場の失敗に対する政府介入の必要性や、効果的な規制のあり方などを検討する際に、ミクロ経済学の理論が基礎となっています。
結論として、ミクロ経済学の教科書レベルの知識は単なる抽象的理論ではなく、現実の経済問題を理解し解決するための重要なツールです。理論と現実のバランスを取りながら、経済学は常に発展を続けています。
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。
菊名駅は一見、東横線特急停車駅かつ横浜線との乗換駅というSランク駅に見えるが、実際はまったくそんなことはない。
降りてみると分かるが、谷底にあるため駅前がとにかく狭く、商店街らしい商店街もない。
ハンバーガーチェーンもスターバックスも無く、未だに庶民の街という雰囲気である。隣の大倉山(各停のみ停車)は高級住宅街なのに……
しかし、何を思ったか菊名にオシャレな飲食店を開こうとする輩が定期的に現れる。別にどこで店を開こうが自由だが、高確率で失敗するのでやめたほうがいい。
菊名は先ほども言った通り庶民の街で、ブルーカラーが多め。価格設定が高めの店には中々行かない。
開店当初は物珍しさで人が集まっていた店も半年後には殆ど人が入らない、なんてこともザラにある。
また新横浜や大倉山、綱島といったそれなりに栄えた街がすぐ近くにあるため、もし高級店が必要なシチュエーションでも菊名である必要が無いのだ。
にも関わらず、賃料が安いからなのか、東横線・横浜市内というステータスに騙されてなのか、ここ10年ほどでオシャレラーメンやオシャレパン屋、タピオカ屋などがオープンしては消えていった。ラーメンは駅出てすぐの武蔵屋に全部吸われんだわ。
まあ、そういうわけでこれから飲食店を営みたいという皆さんは絶対に菊名に店を出さないほうがいい。もしどうしても菊名でやっていきたいというなら、プライドを捨てて安くて旨い、庶民的な店にしたほうがいいだろう。もしくは1日何名限定とかにして集客を考えなくて良いスタイルとか。
数年ぶりに渋谷を歩いた
あるだろ。円山町に。
もう何年もずっと、誰の迷惑にもならずに。
今はもうやめたのかもしれないけどね。
数年前に感じたのは、ハロウィンは渋谷の子供をいじめているということ
当時上の子は、保育園に入れなかった。そのため恵比寿の保育園に入れた。
弟は渋谷の保育園に入れたが、転園も可哀想なので、上の子は恵比寿のままだった。
仮装をして近所を回るのだ。コロプラからお菓子をもらい、花屋さんから花を一輪もらう。
そう言って、いまはなき高島屋に向かった。
カタカナが読めるようになった娘は、それを見て、悲しい顔をした。
悲しいのは上の子だけじゃない、下の子の幼稚園では、ハロウィンのイベントはやらない
それどころか、ハロウィンについて何も教えない
渋谷ではそれができない。どうして?誰が考えた?
渋谷に住んでない奴らが、渋谷のことを考えているんじゃないかな。
渋谷から三茶に向かう車の中で、子どもたちは今でも嬉しそうに話す。
「養命酒のコンビニって優しいよね。ハロウィンのお菓子もらえたよね。」
それは、本当に小さい。十円もしないようなお菓子だった。
そういえば、渋谷の区役所の代替えの建物(?)があったところに、
公園ができるらしいと聞いた。
大人が集まる公園だそうだ。子どもたちが、遊べるようなものではないと聞いた。
裏に保育園があるのにもかかわらずだ。
どうして?
トー横キッズたちが渋谷に流れてきたのだ。だから公園を閉鎖したのだ。そんな話を耳にする。
今年3月のことだ。
休日の仕事仲間との付き合いの帰りに、京都の河原町三条付近をうろついていた。割と深夜である。人通りはそれなり。
ただ何となく、学生の頃が懐かしいなと思った。それでうろついていた。
そこで、見てしまった。六角通だったかな、そのあたりの交差点で泥酔した若いカップルがいた。大学生くらいかな?
信号待ちをしていて、ふたりとも肩を組んでふらついていて、特に女の子の方が危なげだった。
男子の方もやはり危ない感じで、呂律が回ってない感じで女の子に声をかけたり、抱きしめたり、思い切りキスをしたりしていた。
と声をかけたが、「ええです、ええですから」ということだった。
ここは田舎じゃないので関わらないのが正しいのだが、気になってその子らの後を少しだけ追ってみた。
もしやすごく近所なのかもしれないと思って。ウザいかもしれんが、私の方には事情があった。
あのふたりは交差点の信号を渡って、高倉方面の商店街の方向に抜けて行った。
後を追って、商店街に入る前の住宅エリアまで行くと、道路端でやっぱりフラついていた。
もう一度だけ声をかけることにした。「タクシー、本当にええんか?」と聞くと、「ええです!!」と返ってきた。
女の子は普通にL型側溝のあたりでゲロを吐いていた。呂律が回ってない発言をこっちにぶつけてきた。怒っている。中国人か台湾人?のようだった。
次第に、何人か集まってきた。何十人というわけでもないが。やじ馬だった。
やじ馬の数人が近くに寄ったが、声をかけることはない。当方はちょっと迷ったのだが、ここで行くしかないと思った。
私はそこまで酔ってなかった。会話をある程度思い出すことができる。
「ねえ、救急車呼ばないと駄目だ。あなたはいいかもしれんが、女性の方が明らかにおかしい。目線とか」
「ほっといてください!!」
「いや、わかるんだけどさ。その子が」
続けて会話をしようとしたが、やじ馬が本当にうるさいことになっていた。
いい年したおじさんもいた。恥ずかしくないんかと思った。
「ちょっと、あんたら。この子らと話がしたいんで。救急のこともある。静かにしてくれます?」
とやじ馬に言ったら、「こいつ何なん?」という表情をされた。
例の男の子の方も、「あんた関係ないですよね?」と声を上げたと思う。
と、当方が声を上げざるを得なかった。
当方が手で「あっちに行って」とジェスチャーすると、やじ馬は遠巻きになった。
と言ったら、さすがに全員どこかに行くみたいにして、しかし何人かはこっちを見ていた。
座り込んでいた男の子の方が、女の子を仰向けに抱えながら、こんなことを言ってた。
「それは後で。その子また吐いてる。はやく、横に寝かせて。ごめんけど救急車呼ぶね」
「ちょっとあんた、携帯触らんでいいですから、ねえ、ちょっと。勝手に。犯罪ですよ」
「それは兄さんが決めることじゃない。消防が来てから判断してもらおうや」
結局、数分後に救急車が到着した。あっという間だった。
本当は呼んですぐに立ち去りたかった。
でも、都会の方だとこうなのかもしれない。119番通報したら、「通報者の方、現地にいてください!!」とキッチリ言われたのだ。命令形である。
女の子がタンカに乗せられて、救急車に入って、男の子の方が歯ぎしりするみたいに当方をにらんでいた。
「御関係は?」「どういう経緯で?」「あなた自身はトラブル起こしてない?」
など聞かれたが、最後の質問の後に、財布に入れていた市の職員証を見せると、年配のお巡りさんが複雑な表情をしていた。
「すいません、やはり越権行為ですか?」
と聞いたら、
「いや。もういいです。越権行為ですけどね、それはもういいです。お勤めご苦労さんです。トラブルだけには巻き込まれんようにね。兄さん知ってるやろけど、夜の木屋町は本当に危ないからね。犯罪にだけは巻き込まれんように。次回は関わらん方がええよ」
と、こんなことを言われた。
子どもの頃は、美山町という田舎町に住んでいた。京都の北部にあるのどかな町である。近所の人が危ない時に救急車を呼んだ現場にいたことが二度ある。
でも、京都市のど真ん中でそれは、やりすぎだったかもしれない。一般的にはスルーするのが正解だろう。
公務員には国民や市民を救護する義務が定められている(法律じゃなくて内規だけど)。それでも、あの場合はスルーするのが正しいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20240921093915
失業者は日増しに増え、収入の道が途絶える一方で、家賃や光熱費、生活費など生きるための最低限の費用は賄っていかなければならない。多くの人々が大都市から脱出し、田舎の町に帰って「寝そべり族」化することを選択している。激しい不景気の波にさらされる中、田舎の町は、まるで時が静かに流れる安息の地を思わせるようだ。
その一方で、私の従兄が逆に田舎の町から大都市へ最近「逃げ戻った」のだ。
気になって、家族のグループチャットで聞いてみた。以下は、親戚が教えてくれた田舎の町の最新情報だ。
親戚たちがちらほらと送ってくれた田舎の現状を見て感じたのは、大都市よりも田舎の方が経済的に苦しいということだ。公務員ですら蓄えを切り崩しながら生活している。大多数の「普通」の人たちは、実家からの支援も受けられず、だからこそ大都市に留まって奮闘している。一度大都市を離れ、田舎に戻ってしまえば、仕事が見つかるかどうかも怪しい。仕事が見つからなければ、家に引きこもるしかない。そして、経済問題や家族関係の渦に巻き込まれ、じわじわと沈んでいく――もう二度と立ち上がれない。人生そこで終わりだ。
確かに大都市で生計を立てていくことは厳しく、生活費も高い。しかし、チャンスが多く、公平でもある。田舎のリソースはほとんどが上層階級に独占され、普通の人たちには生き延びるためのわずかな資源しか残されていない。発展なんて望むべくもない。だからこそ、苦しい時こそ大都市に留まるべきなのだ。少なくとも、大都市では利害が全てだ。そして、金の前では皆平等だ。
追記:田舎の上層階級について、親戚たちの話を聞くと、どうやら新たな権力の再編が進んでいるようだ。この件についてまた詳しく書いてみようと思う。なかなか興味深い話だ。
小さな商社の法人営業職として入社した増田ちゃん!お客様も商店街の中のお店とか個人経営のクリニックとか小さなところが多くて、そもそものパイも少ないためほんのちょっぴり引き継ぎの顧客があった以外はすべて新規営業=飛び込み、セールス電話祭りでした。
飛び込みで来る営業なぞハエのようなものでまったく相手にされず、セールス電話も耳障りな蚊の羽音のようなもので、これまたまったく相手にされませんでした。
さらにルートのお客様にも「こんなもん買ってもらってもしゃーないのでわ!?」とつい思ってしまう増田はまったく良い提案が出来ず、お客様との雑談も下手くそで、こまめにフォローと提案に行くということも鬱陶しがられるのがイヤで行かず、さらに社内営業も下手くそでした。なぜ営業職に就いたんだ.....。
そんなある日、上司がお客様との飲み会があるとのことで新人の増田も着いてこいと言われましたのでいそいそと着いて行きました。
お客様4人、上司と先輩2人と増田の4人で計8人の飲み会でした。お酒は強かったのですがコミュ障なのでテキトーに相槌を打って過ごしていると唐突に上司から「お前、いつ死ぬん?」と話を振られました。
唐突過ぎてへっ?と聞き返しますと「いつ死ぬねんって聞いてるんや!!」とエラい剣幕でもう一度言われてしまいました。私もですが先輩たちもお客様も固まっていました。
増田、今まで周りに恵まれて生きてきたもので面と向かって「死ね」と言われたことがなく、顔はヘラヘラしておりましたがめちゃくちゃショックでした。あとお客様の前で言われるとすごく恥ずかしいんですね。なんて言うかちょっと気取りたい相手の前でこんなこと言われると恥ずかしいというか、みじめでした。全然違う話ですが、いじめらている子が親には頑なに相談出来ない理由が少し分かりました。
ヘラヘラしながら「い、1週間待ってください」と返すと「長いわ!すぐ死ね!お前なんかなんの価値もないねん!」「目障りや!!」と畳み掛けられました。そのまま少しの沈黙のあと、じゃあこの辺で...とお客様から終了宣言が出ました。空気も終了していました。
そのあと先輩たちが2件目に連れて行って励ましてくれましたが、解散して1人になった帰り道、電車の中で泣きました。恥ずかしい〜!
と言う話から10年後!(そう、これは10年前のお話です!日記に書いていたのを久しぶりに読み返しました)
増田は敏腕営業マンになって....いるはずもなく、あのあともう辞めますと辞表を持っていくと慰留にあい、事務員として過ごしていました。性別で括るのはよくありませんが、この件は女はイージーモードと言われてもやむなし。すみません。
やる気もスキルも無く10年も過ごしてしまい、30も越えたのに何も出来ない、実績もない人間になってしまいました。同い年の友達は世に出ているすごいものを開発していたり、弊社じゃ想像もつかないような大きなお客様とお仕事していたり、日本中、世界中を飛び回って取材をしていたり、自分はなんもしてないし出来ないなとたまに虚無になります。
というのを考えたので駄文投下。
点数の公表は要らない。
点を公表すると、その点数だけで評価する有権者が出過ぎる懸念がある。
大学レベルの勉強が仮に満点で出来ても、それほど大きな意味はない。
足きりで良い。
ともかく、政治家に政治経済に関する最低限の知識と知能を保証しろ。
国民投票で信任を問うな。
国民は素人だ。ほとんどの人は、ほとんどの争点を知ったこっちゃない。
「良い人そうか」、「真面目そうか」くらいでしか素人は評価できない。
それよりも100兆を超える国家予算を適正に運用することの方がよほど重要だ。
例えば「今期、行ったこと」や「来期以降、やるべき課題」を閣僚や野党の党首等の重要な責任を担う議員が45~60分程度でプレゼンし、それを財界のトップ、学者、シンクタンクやメディア出身者などの専門家が批評して、どこか放送しろ。
合計2時間。毎週でも良い。
国営放送でもいい。
現状でも政治の討論番組は多いが、「プレゼン⇒指摘、批判、提案⇒それに対する返答、再批判」という形式はない。
討論はその場の思い付きの話ばかりで、話が発散する。
万が一にでも、うまくこの過程が熟すれば、
ができてくる。
そうでなくとも、プレゼン⇒批判⇒返答のプロセスはエンタメとしても政治的評価としても意味があるからやってみろ。
「更地にするにも金がかかるし」で放置されてる商店や空き家が増えすぎ。
商店街なんて、数件そういう空き商店が出始めたら、客足が遠のき、さらに空き商店が増加する。
この負のループによってシャッター商店街化してる場所が日本全国で多すぎる。
しかも、子育て世代が住みたいと思える駅前の土地が、そういう形態で放置されている。
商店に定額の税金をかけて、「やってない商店を物件として保持し続けるくらいなら、売却しよう」という動きを促せ。
それか補助金をだして、立ち退きを促せ。
また相続が不明になって、空き家として放置されている物件も多い。
今後も増えるだろう。
最近、ようやく相続登記の義務化があったが、刑罰が10万円以下の罰金となってるが、土地を公有地にしてもっと早急に競売にかけることまで制度化したほうがいい。
一般論として、土地の有効活用とか都市の再生計画をもっとマニフェストの前に押し出せ。
そろそろ手遅れだぞ。
その結果がこれだ。
むしろ、既に書いたような都市再生のための規制改革の方が大事だ。
「高校無償化」等、教育費ばかりが政治的争点になってるが、家も子づくりと重要な関係を持つ。
都市部だと、一部屋増やすと、家の価格が数千万上がることだってある。
「3人を上限に、子供一人当たり、住宅ローン0.5%減」くらいが当たり前にならないと、子供を持つ余裕なんてない。
わざわざ子供を作りたいと考えてる世帯のことを全力で支援しろ。
保育園もようやく待機児童がなくなってきたが、次の問題は小学校以降だ。
夏休み等の長期休暇はどうするんだ。
教員は反対するだろうが、託児所的な役割を担ってもらわないと社会が回らなくなっている。
長時間労働を理由に部活動を無くすのは構わんが、長期休暇中といえど平日は通常業務をしろ。
完全な過疎地域は諦めろ。
人口減少社会で過疎地域の地方創生が机上の空論というのは爺婆しかいない地方の人間が分かり切ってる。
もう手遅れだ。
都市圏の郊外のベッドタウンでさえ、上述のように、シャッター商店街問題が続出してる。
地方都市に関しては、長崎スタジアムシティだとか、北海道のエスコンフィールドみたいに、エンタメ+商業施設等で再生するのが昨今の成功事例か?
特にバスケやバレーで使うアリーナは、他のイベントにも使えるから上手く有効活用しろ。
どちらも今、成長産業だ。
芝がサッカー以外で使えない。
過疎地域で起きた大規模災害の被災地の復旧とか夢を見すぎるな。
現実的には、大規模な被災をしたら若い世帯はさっさと転居して、余計にその地域の過疎化は進む。
完全復旧なんて夢物語だ。
どうせ無理だから、被災していない近隣都市部の郊外に公営住宅を準備する方がコスパ良いだろ。
文句は出るだろうが、大規模な災害がある時点で不満が出るのは仕方ないと腹をくくった対応をしろ。
判断力が無い未成年者に投票権がないなら、判断力が低下してる超高齢者に投票権があるのもおかしいだろう。
とりあえず、穏便に100歳以上の投票権を撤廃から、徐々に切り下げていけ。
90歳や85歳くらいまで、引き下げられたら、上述の地方切り捨てをしても、選挙に影響もなくなるはず。
まあ、これを実施するのが実質不可能なのは分かり切ってるから、未成年の子供に投票権を付与するのが代替案だ。
そして、実質的に保護者世代がその投票を担えば、高齢者の影響を薄めることが出来る。
18歳ではなく、15歳、12歳と引き下げていけ。
85歳以上は更新停止だ。
そもそもそうやって、自分たちの良さを自覚できなかったから、例えばガラケーの市場を取れなかったのではないか。
上手くマーケティングすれば、日本の品質改善型・コストカット型ビジネスも世界に出れる余地はないのか。
受験の難問を解けるようになることに、若くて頭の良い人間が労力を割きすぎだ。
ある程度の成績が良い人間は、大学科目の勉強に進めるような形態に変化しろ。
ともかく、難問を解かせるよりも、さっさと受験勉強より上位の科学等に取り組ませろ。
かなり大きな教育改革となるが、受験勉強に割かれている若年層の多大な労力を、より生産的な努力に転換することは重要だ。
アメリカ型のエッセイ+共通テスト+成績でも良いかもしれない。
いまどき、文系でも統計、データサイエンスの知識は最低限必要。
そもそもだが、任意とか存在とか、必要条件と十分条件みたいな数学の基礎概念を理解してないと、論理的な会話は不可能。
日本で頭良いやつを育てられるような教育制度を作るより、頭良いやつを海外に送って教育してもらう方が安上がりかもしれん。
企業も、マイナー競技のスポンサーとかするよりも、ハーバードやスタンフォードに留学する学生を支援するスポンサーがあってもいいんじゃないか。
こんな感じだがどう思う?
雨かしらね?
台風が来るとか来ないとかまた言っていて天気が模様どうなってるのかしら?って思うけれど、
私はいろいろと最近立て込んできているゲームは遊びたいけれど昨日は我慢してそうそうに超早く寝たのよ。
一応はスプラトゥーン3の1日1勝というノルマを自分に課しているので、
それだけは必至必須で行ったのよ。
最近私はいろいろと使い慣れてないブキを好んで使う新境地を追い求めて戦っているの。
だけど
上手くまだ立ち回れないから
早々に早く1勝をあげーの今日のノルマ終了!早く寝るの!ってやりたいんだけど
その私が新境地を見付けるための新しい使い慣れていないブキだとどうも上手く立ち回れなくて勝てなかったりするけれど、
するけれどよ!
私のもうここで勝つ!って勝負するときはセブンファイブオーライダーを持ち替えて戦うと
いいわね!やっぱりこの手に馴染んだ感!
まあ前の2戦でインクが温まった感じでの流れで勝てたとは思うけれど、
やっぱりこのブキでなくっちゃ!って
私が自慢したい
セブンファイブオーライダーとセブンファイブオーライダーカスタムの熟練度星5つのバッジを付けて自慢しているプレートに
アメフラシ1200勝のバッジも掲げている人がいたらたぶん似たような境遇の人なので
私はそのタダならぬ気配におののくのよ。
かつて球場ビール売上ナンバーワンの売り子さんはおのののかさん。
その季節の変わり目を逃さない感じで
でも今日はノルマのスプラログインボーナスはやんなくちゃ!って思うの。
そして朝ドラの『おむすび』も見逃さないように録画分は追いつく様に観ているわ。
いつも思っていって心がけているけれど
観るのがどんどんちむどんどんになるのよ。
もうさこのちむどんどんって使い方が便利でどんな状況にも当てはまる感じが、
今日はお仕事普通に予定していたことが変更になって未定になったので、
朝は忙しかったけれど
あとの午後はティーでも優雅に飲みながら過ごしたい午後ティーよ。
昨日は昨日で、
秋刀魚となにかどっちがいい?って尋ねたら、
あなたは秋の秋刀魚の定食屋さんの専門家です!ってなりきってもらって、
答えを出してもらったら
ってせっかくAIに答えてもらったけれど昨日は雨降って傘とカサして手ぶらじゃなくってあんまり乗り気じゃなかったので
私の秋刀魚のバイブスが今日は秋刀魚が輝いているともっとつぶやくように
そうまるでガイアがもっと輝けと囁いているのあの有名なセリフを地で行くように、
秋刀魚輝かせなさいよ!ってつぶやかれたけど
そんなの無視して帰路についたのよ。
傘をさしながらね。
手に荷物を持って傘をさすってションテンが爆下がり!もー!って感じ。
それで定食屋さんに寄ったとしても、
傘の無事を不安に秋刀魚定食を無事食べ終わるまで気が気じゃないのよね。
気にしすぎかしら?
だから
晴れの日に秋刀魚は食べるものよねと勝手に私の中で総相場が決まっていて、
その固定観念もよくないなと思いつつ、
肉を求めるが故になんか替わりになる味付きタマゴをパクッと食べちゃってご機嫌さんになるのは私の得意技よ!
まあ雨降ると地が固まると言うけれど
私のションテンは下がるのよね。
だから昨日はもう早々に寝たワケなのよ。
お陰で今日はシャッキリとたっぷりと寝た感じがしたのでよく寝れたわ!って
驚きの白さ!って言う洗濯物洗剤で驚く様子を吹き込むプロの驚き屋の人も充分驚くほどのいい感じで寝れたのでよかったわ。
水族館でコツメカワウソをずーっと見ているとずーっと寝てるのよね。
分かるわー。
良き行動の原資は睡眠にありきってたぶん昔の人がいった偉い言葉であるから
辞書をめくってみるのもいいわよね。
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街のよく立ち寄る喫茶店の和食モーニング。
今日は目玉焼きだっつっててもなんかサービスでメザシ1匹おまけでつけてもらっちゃったわ!
ラッキー!
ションテン爆上がりメザシ!
凄い偶然!
ションテンが上がるわけよ!
美味しくいただきました。
お湯沸かし器を使って150ミリリットルのお湯なら3秒で沸くので
そんで入れて用事を済ませておいている間に
朝だんだんと涼しくなってきたので、
それ私のコトよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
私は問題の踏切は見たことも行ったこともなく、検索やストリートビューで見聞した範囲で書く。
踏切内でスマホ操作し立ち止まっていた男性、電車にはねられ死亡…待機場所を誤ったか
↑のブックマークに「歩道橋にしろ」という意見がけっこうあるんだけど、歩道橋は実はとっくに架かっている。問題の踏切のすぐ横。
この歩道橋は使いにくいので新しく立派なものに架け替えて踏切は廃止しましょうという計画もちゃんとある。
既設の歩道橋の上部は京急生麦駅の2階部分(橋上駅)に直結していて、線路を渡って京急に乗ろうとする通勤客には便利な構造になっている。
もっとも、単に線路の反対側へ渡りたいだけの人たちにとってはそれほど便利なようにも見えない。
歩道橋への導線は線路の西側でも東側でも少し回り道になっているし、橋そのものが少し狭いし、ストリートビューなどで確認するとわかるがこの跨線人道橋はかなり古い造りで、老朽化していたり、橋の途中に数段の階段があってバリアフリーではなかったりする。
ラッシュアワーなどで踏切がしばらく開かないことが確実な場合以外は、あまり積極的に使おうという気にはなれない感じである。
行政もただ座視していたわけではなくて、相次ぐ踏切事故を受けて、踏切を廃止して歩道橋をもっとちゃんとした便利なものにリニューアルしようという具体的な計画はだいぶ前からある。行政は踏切廃止する気まんまんなのだ。
死亡事故の鶴見・生見尾踏切 廃止へ | 社会 | カナロコ by 神奈川新聞
だがこの計画は地域商店街の反対にあって頓挫している。踏切を塞がれては困るというのだ。
歩道橋のリニューアル計画は踏切の廃止を前提としているため(用地の関係)、踏切が廃止できないと歩道橋も架け替えられない。
2~3年前には苦肉の策で西側に無理やりエレベーターが仮設された(そのために線路寄りにあった電器屋さんが1軒立ち退いている)。歩道橋上には階段が残っているので車椅子の人にとっては使い道のないエレベーターだが、ともかく踏切問題が片付くまでの間わずかでも歩道橋の利用率を高めようと行政も苦心しているのかもしれない。
かつてイオンは商店街を破滅させファスト風土を推進した地方の破壊者
翻ってここ数年においては地方に都会の文化を運び生活を守っている擁護者
とでもいうような扱いに変わっていて正直驚いている
昔は自民が選挙で勝つのは農協や田舎の商店街や土建業者の組織票せいだ、とよく野党支持者やマスコミが実際に言っていた
主語を大きくしていたのは彼ら。
彼らは「野党の支持者全員」ではないが、当然自民支持者はそんなことは言っていないから、ほぼ全員が野党支持なのはわかるよな。
これは事実かは別にしてかなりの野党支持者が信じていた「神話」だった
.
その神話をまだ信じている層がいて、山口や和歌山は教養のない田舎者だから自民が勝つのだ、みたいな発言が定期的に出てくる。
もちろん野党支持者の全員ではないが、そう信じてる連中はみんな野党支持者。
.
で、
「こんな『田舎は馬鹿だから』なんて神話いつまで信じるのかね。今じゃ田舎でも普通に野党が勝つのに」
→意味:そんな田舎蔑視の迷信に囚われず認識をアップデートして他の原因を直視すべき
に対して、
「なんだと! 『田舎は馬鹿』だと!誰が言ってるんだ!田舎はちゃんと理由があって自民に投票しているんだ!」って、レスが付いた。
だから、「田舎は馬鹿って言っているのはあんたが反論している相手ではないよ(誤読だよ)」という意味のコメントをした。
.
ここまで言えばわかるかと思うが、お前のコメントは明らかに会話の意図を理解できてない
それを説明するために、俺はこんなに面倒くさい目にあっている
10年ぶりぐらいかな?いやー、正直驚いたね。駅を出た瞬間、ヨドバシAkibaの大きさに圧倒されてさ、こんなの昔あったっけ?って。
10年前は確か、こんなに大きな家電量販店はなかった気がするんだけどなぁ。
周りを見渡すと、すっかり様変わりしていて、なんだか一瞬ここが本当に秋葉原か疑っちゃったよ。
昔よく通ったあのパソコンパーツのお店、ドスパラとかツクモはまだ健在だったけど、全体的に商店街の雰囲気が薄れてきてる気がする。
新しいビルがどんどん建っていて、特にアトレ秋葉原なんておしゃれなカフェや雑貨屋が入っていて、ここアキバ?みたいな感じ。
ラジ館もリニューアルされてて昔のくたびれた感じがなくなって、なんか都会的になっちゃったなーって思って歩いてた。
でもさ、@ほぉ〜むカフェは健在で、そこだけは全然変わってなくてちょっと安心したんだよね。
10年前もここでメイドさんに「お帰りなさいませ、ご主人様♡」なんて言われて照れ臭かったなぁ、なんて思い出しながら入店したわけです。
店内の雰囲気は相変わらず。
青臭い学生時代にタイムスリップしたみたいで、何だか目頭が熱くなってしまった。
そういえば、昔お気に入りだったももこちゃんはどうしてるんだろうなーなんて思ったけど、流石に10年も経ってるからね、居るはずもなかった。
メニューを見てみると、懐かしの萌え萌えオムライスを見つけて、迷わず頼んだんだ。あのケチャップでハート描いてくれるやつ。
で、オムライスを食べていると、近くの席のオタクたちの会話が自然と耳に入ってきた。
彼らは熱心に呪術廻戦について話してて、五条悟の強さについてとか、アニメの作画が神レベルだとか、聞くつもりなかったけど、声がでかくてね、つい聞いちゃったよ。
その二人のオタクが話してる様子を見てたら、ふと大学時代の自分と友人を思い出して、なんか微笑ましかったんだ。
俺と友人も昔はここでこうやって熱くアニメとかゲームの話してたなーって。
そう考えると、時代は変わってもオタクの情熱は変わらないんだなって、妙に安心した。
オムライスは美味しかった。店を出て、ふと空を見上げると、秋だっていうのにまだ熱気が残ってる感じがして、その熱気がこの街には似合ってた。
でも、根っこの部分は変わってないんだなって感じがして、なんだかほっこりしたよ。
でもな、もう限界やねんホンマ。
どこ行っても「ボケてる?ツッコんでる?」ってプレッシャーかかりまくりや。
しかもや、みんな無理してでもおもろいこと言わなあかん感じやねん。「俺、ほんまはおもんない人間や」って自覚してる奴まで必死でボケて、滑ってるやん。
いやもう、そこに自己防衛の笑いが発動してんねん。会話がもはや拷問レベル。
んで、ボケても誰も笑わんかったら「まあ、それもアリやな」とか言うて自分で納得してもうてる。これ、どんな精神修行の場やねん?笑いで鍛えられるとか、人生ちゃうやろ!
お笑い?もう昭和で止まってるわ。お笑いがおもんないってもう終わりやで。
今の時代、そんなパターンどこまで通用すると思ってんねん?しかもな、どこ見ても同じようなネタばっかりやん。
ツッコミ待ちしてるやつが目の前おったら、こっちも「いや、もうそのネタ古いで」ってツッコミたくなるわ。これな、ただのノスタルジーやねん。笑いが新しくなれへん、大阪は進化せえへん。ずっと昭和の栄光にしがみついて、未来見えてへんわ。
大阪は「昔はよかった」って言いすぎや。
なにが昔よかったん?
商人魂とか、もう聞き飽きたわ!進化せんとずっと過去に戻ってるやん。
商店街なんか、昭和からタイムスリップしてきたんちゃうかってくらい古びてるし、みんなそれが「味や」って言うてんのがあかん。ほんまにそれでええんか?
そろそろアップデートせんと、このまま滅びるで!何も新しいもんが入ってけえへんのは、どう考えても文化が詰んでる証拠や。
グリコの看板見て「大阪来たでー!」ってテンション上がるんはええけど、それ見たらもうすることないやん。カニの動く看板?あれが感動ポイントなん?カニの爪が動いたからって何なんや、別にカニが握手してくれるわけでもないやろ。
看板見て帰る街、大阪ってもうちょっとエンタメ要素なんとかならんかいな。
大阪ってな、街全体が無理して「おもろい街」や言うてるけどほんまそれが痛いねん。
タコ焼き片手に歩いてる奴ら見て、ほんまに楽しいか?って思わんか?タコ焼きなんかどこにでもあるやろ。
無理にでも「大阪来たら楽しまなあかん」って空気が漂っとるけど、実際は何が楽しいんかわからん。強制のお笑いか?
街中で「おもろいでー!」って叫んでるだけで中身スッカスカやねん。偽のテーマパークみたいな虚無感あるやろ?これ、ホンマにええんかいな。
何も変わらんし、新しいもん作ろう思っても誰かが「昔からこれでええねん」って止めにかかる。ほんで、また同じもんの繰り返し。もはや文化の墓場やで。大阪の文化がこのままやったら、未来はずっと昭和のままや。
「大阪最高や!」って自信満々に言うけど、その根拠が薄っぺらすぎるわ。
たこ焼きで何を誇っとんねん?
他所の街行っても、大阪の良さ語ろうとするけど、話してる途中で「あれ?これほんまにすごいんか?」って自分で疑い出すんや。そうなったらもう終わりやで。
プライド高いけど、中身は空っぽや。これ、ホンマに大阪を誇れるんか?って、もう心の中でみんな気づいてるんちゃうか。
ほな、最後に種明かしやけどな、実はこれ、大阪とは何の関係もない人間がChatGPTに書かせたもんなんや。大阪に住んだこともないし、深く知っとるわけでもない。
外から見て、ちょっとひねくれておもんないこと言うてみただけやねん。大阪のこと、ようわからんけど適当に「おもんない」とか言うてみただけやねん。
大阪に住んだこともないし、ほんまの大阪の良さなんか全然わかっとらんやつが、外から見て適当に文句言うてるだけや。
大阪を実際に知っとる人なら、「そんなもんちゃうわ!」ってツッコミたくなるとこがいっぱいあったやろ?せやけど、ほんまの大阪の面白さや魅力は、外から見ただけではわからんもんやねん。そやから、この話も笑いながら流してくれたらええねん。
でもな、ほんまのところはどうなん?
ふるさと納税の豚肉にも当たり外れがあるんだけど、今回はランキング上位だけあってあたり。
剥がしやすい様にスライス→一枚ずつ冷凍→重ねパッキングだし。
切り落としといいつつ味わいは完全に豚バラ薄切り(ちょっと高いんだよ)。
(まあ脂の少ないロース部位と脂の多すぎるバラを集成してこおらせてスライスすることでちょうどいい豚バラ風にしてるのかもしれないけど)
(ちなみにこの一個前のふるさと納税豚肉は、小分けはありがたいんだけど小分けですら300g以上あるのをおにぎり状冷凍にしてた。
一つ使おうとしても中まで解凍するのに冷蔵2日ほど時間がかかり、
途中で袋をあけて一部だそうとしても一切れが長いので、
中の凍ってる部分からちぎり取らねばならず、
解凍されてみればスライス厚さは厚めで、固い筋がところどころに入っていた。
これは脂も少なくて味はそこそこよかったので、ありがたくたべきりましたけれども。
もうさすがに茄子がすぐには買えないから、キャベツ塩胡椒レモン汁炒めにした。
それだけでいくらでも飯が食えた。こいつなら焼き肉もしゃぶしゃぶもうまいはずだ。
干し芋もいいし焼けた芋も申し込めばいいんだけど、
自宅でスチームオーブンで焼き芋加工したやつ、大量に安くできて、ぺっちゃんこのやわやわで、U字に曲がる蜜芋になってうまいんだ。
(まるで怒られてるときのおまえらのなさけないアレみたいなやわらかさ・ぐにゃぐにゃかげんなのだ)
(心ですよ)
こないだ商店街いったらスイーツとして冷やし蜜芋うってたもんな。
今年の生さつま芋(5kg)、まだかなあ。
<焼き芋のコツ>
スチームオーブンにしろ電子レンジにしろ、一発目のは、うまくできるはずだ。
内蔵メニューでも、ネットのやり方でも大丈夫。ぐにゃぐにゃになった芋はうまいよな。
だが二発目はダメだ。
なぜか。
母より。
値上げラッシュが続くわよね。
ご存じの通りプレイステーション5も値上がり!
私は本当によかったわよ。
値上がる前に買えてて運が良いんだわ。
結構もうソフト1本分買えちゃうぐらいの値上がりっぷりじゃない?
それに比べて
街中のマーケットで並んでいる魚売り場のサンマは2尾で198円とか!
明らかに魚臭いけどそんな夏の終わりを告げる思い出す大黒摩季さん。
でもさ
思うんだけど値上がった金額はどこに消えてるの?
誰かがどこかで儲けているということなのかしら?
経済ジャーナリストかよく分からない肩書きの投資の名人みたいな人いるじゃない。
その人は投資のことに詳しいから超絶儲かってるんじゃない?っていわれればそうでもないんでしょ?
だからああいった値上がった分のお金はどこで消えていってしまうのかしら?
円高の影響?
なんかよく分からないけど円高かしら?とも言っておくと雰囲気ざっくり経済のことを知っている人みたいで詳しいことを言い放ちそうで放たない人っているじゃないその人っぽく振る舞えることができるわよね。
とはいえ、
私はプレイステーション5を買って勝ったけれど遊ぶゲームが1つしか持っていないので、
もうほとんど遊んでない周回を繰り返しているばかりなのよね。
「グランツーリスモ」とか「龍が如く」とかタニコーの五徳とか言ってる私レヴェルだとやっぱり龍が如くは気になっちゃうんだけど、
あれって楽しめるのかしら?
でもグランツーリスモの綺麗なグラフィックの中で車を走らせてみたいわ。
そこもよく分からないまま買っても
たぶん私上手に遊べないかもしれないし
持て余してしまっているけれど
遊んでいないプレイステーション5買ってて良かったわと思えるし、
あと次の新しいニンテンドーSwitchの後継機も気になるので、
そうなるとまたスプラトゥーン4出んの?
そういったゲームは水ものなので人気のある期間に一緒にリアルタイムで遊べたら良いなーと思うけど
一体どうなるのかしらね?
貯金しておかなくちゃ。
えー!ってなっちゃってて私の中では街の巷の港で聞いた噂ではミニの新機種出っかも!って
渚まで噂が走っていたんだけど
そうではないみたいね。
ちょっと期待外れね。
私は目の蓋を閉じていて
見るこをと逃しているけど
ニンテンドーSwitchでまだ買って一つも遊んでいないゲームもたくさんあることをここに表明するわ。
あー遊ぶ物がいっぱいあるわ。
そういえば!
すっかり忘れていたいけれど過ぎ去ってしまった9日のスプラトゥーン3の祝2周年!
すっかり今の今まで忘れていたわよ。
今度のグランドフェスはしっかりフェスのバンド腕につけてフェスティー着て最後のフェスは気合い入れて装いも新たに頑張るわ!
でもさー
分かっているけど
頑張れば頑張るほど結果が良くないスプラトゥーン3!
気構えることなくいつも通りの私で戦うこともここに表明するわ。
夏も忙しいけれど
秋も忙しいのよ。
幸いなことにまだみかんの花咲く丘公園前駅の商店街の定食屋さんは焼き秋刀魚フェアーやってない開始はまだするのかしないのか分からないけれど
どちらかにしなさい!って言われちゃいそうよ。
1つ1つをこなしていくわ!
秋高く馬ジャンプさせて丘越える秋だもん!
うふふ。
珍しくサンドイッチ屋さんがお客さんパンパンで長蛇の10人ぐらい
いや嘘よ嘘256人ぐらいならんでいたので、
珍しいわね。
なんでもそのパン屋さんの近所に工事現場があって職人さんが一杯やってきて朝パンを買いに来ていたってワケらしいのよ。
繁盛していいじゃない!
新たにストック2ケース
いや嘘よ嘘256ケースを買っておいたので
当分はレモン炭酸水ウォーラーは買う必要が無くなるぐらい余裕ね。
ごくごく飲んで今日も元気いっぱいよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!