はてなキーワード: ラッシュアワーとは
「太平洋戦争」は1941年12月8日の真珠湾攻撃で幕を開けたが、「第二次世界大戦」のほうはそれより早く、ドイツがポーランドを侵攻した39年の9月にすでに始まったことになっているから、それぞれのことばがさす対象自体にずれがある、しかし、「太平洋戦争」と「大東亜戦争」とには、そういう意味でのずれはないはずだ。にもかかわらず、なんとなく感じが違う「大東亜戦争」と言うと、戦争中に日本の側から呼んだ名称で、あの戦争に対する当時のわが国の指導者たちの考え方や、その位置づけがあらわれている。
そのころの日本人には「太平洋戦争」というような見方はなかっただろうから、当時はそれが唯一の呼び名であり、渦中のわれわれに特別の語感は働かなかったはずだ。だが、今日、ことさら「大東亜戦争」といういうなことばを使うと、50年前の意識をいまだに引きずっている人のような印象を与える。帝国主義、植民地主義とまで見られるかどうかはともかく、当時の公式の用語を無意識に使い続ける人物、あるいは、懐古趣味の人間といった、なんらかの色をともなって伝わるだろう。
1945年の8月15日の日本降伏によって、第二次世界大戦も太平洋戦争も大東亜戦争も終結したが、それを日本側は、おおらかに勝敗にはこだわらず、だったのかどうか、ともかく、「敗戦」ということばを避けて、「終戦」ということばを正式に使いだした。このことばは、あまり的確ではないが、そうかといって、うそでもない。たしかに、「戦勝記念日」ならぬ「敗戦記念日」というようなものを国民的行事にはしにくかっただろう。「終戦」と言えば、戦争が終わったわけであり、これからは平和が来そうな感じもしないではない。戦争の時代から平和へと向かう、その節目としてなら、「記念日」としてもいいような気になってくるからふしぎだ。この命名は、歴史的現実から目をそらしているのはまちがいないが、事実の認識をうやむやにし、ふれたくない事実の別の側面に焦点をあてて、うまくおさめてしまった絶妙なしのぎであったかもしれない。
それを「ごまかし」だとして非難し、あえて「敗戦」ということばで現実を率直に見すえようとする立場もある。そういう日本人の内側からの自覚の映る「敗戦」という語を聞くと、それを使う人の立場や考え方を同時に感じ取ることになる。
このように、言語表現は内容や意図を伝えるとともに、そう表現している自分自身をも伝える。ある種のことばは、その単語を使うだけで、このように、話し手のなんらかの立場や意識や思想傾向などをも同時に聞き手に伝えるのである。
いわゆる北方領土の四島について「返還」と言うか「引き渡し」と言うかによって、その人の考え方や態度の違いが明らかになる、という話も海外から聞こえてきたように気がする。
どちらにも偏らず無色であろうとして、かえってそういう心の動きをことばに映し出す場合もある。かつて国鉄などの組合がくりひろげる賃金闘争が盛んだったころ、完全に職場を放棄するストライキとは別に、ラッシュアワーのときにわざとホームの安全保持を完全に実施するなどのやわらかい戦術に出ることがよくあった。NHKなどの報道機関で、それを「順法闘争」という用語で放送すると、その組合の闘争戦術を「順法」と認めることになる。かといって「違法」と報道するだけの明確な認識を示すつもりはない。そんなとき、苦しまぎれに「いわゆる」をつけて「いわゆる順法闘争」と報ずるのは、どちらの側にも立たない公平な態度で報道しようとする立場をむしろ積極的に伝える結果になる。ことば屋などが、説明するとめんどうなことになるような場合に、「いわゆる現在形」「いわゆる形容動詞」というふうに「いわゆる」をつけることで自分の立場を留保するのも、似たような事例といえるだろう。文章にして書きあわらす場合は、あることばをわざわざカギ括弧で包むのがそれに相当する。
家族を感染させてはいけない。恋人を感染させてはいけない。もちろん自分自身も。
そう思って帰省はせず、会社の指示より早めに適当に理由をつけてリモートワークを開始した。
引きこもりは得意だから、それ自体はそこまで大きいストレスじゃない。恋人とももともと頻繁に会っていたわけじゃないから、連絡の頻度を少し上げることで関係は保たれている。
誰にも死んでほしくないし、苦しんでほしくない。自分の所為でたとえ赤の他人でも死んだら嫌だ。
そう思って、自宅に引きこもること三ヶ月半ほど。
ここにきて、政府や都の規制が緩和されはじめたとのことで、全社員リモートワークから、週1-2回の出社命令が出た。今日の時点でもその命令は変わらない。でも正直、行きたくない。住んでいる場所の問題で山手線に乗る必要がある。時差出勤OKだけれど、それだって、そもそも電車の本数が少ない時間帯なら混雑は回避できない。
ちなみに、出社命令の主な理由は「コミュニケーションのため」。この三ヶ月半、業務効率はむしろ上がっているし、必要な質問はチャットツールでできている。なんなら体調不良の日が減っている(必要な睡眠時間が確保できているし、お昼を買い食いしたり外食したりすることが減って、比較的健康的な食生活が送れている)雑談が足りないと言うけれど、そもそも会社にそんなものを求めてはいない。それなのに「コミュニケーション(雑談)のために出社」。とは。
身に危険が迫っているように感じたので上司に出社日もオフィスに行かず、自宅で仕事をしたいと申し出たけれど「今は会社全体がそういう雰囲気だから」。
いやいやいや、絶対嫌な人他にもいるだろ。そう思って暫くごねたけれど、頷いてはもらえず。仕方ないので出社日は休みを取ることにした。予定表にそれを入れたら、同じチームの方から「もしかして出社が嫌でですか」とメールが来た。そのとおりだと話したら「子供がいるから私も本当は行きたくない。だけど、この後どうなるか分からないから有休を使いたくない」と打ち明けられた。俺にはどうしようもないけど、この人の主張はわかる。この人も上司に遠回しに確認したらしいが、一蹴されたらしい。
こんな風に過剰に怖れている自分が間違っていて、それを理解しない上司に怒っている自分がヒステリックなのかもしれない、と思って、今週末からずっとふさぎこんでいた。
上司は、自粛期間中も小学生の子供の友達を自宅に招いて遊ばせていたり、ラッシュアワーに普通に出勤していたりと、この辺の感覚に違いがある。だから、俺の主張は理解されない。「過剰に反応する煩い奴」としか思われていない。それがなんだかもう堪えてしまって、辛い。
■せめて「差別ではあるよね」で合意できないのかanond:2018022510542
に始まる議論がいまだ紛糾しているがそれについて考えることを記す
前提事実としては、そもそも既にそれが男性差別だとして女性車両撤廃を訴える団体は
複数回にわたり訴訟をおこしており、いずれにおいてもその訴えは認められず
そのうえでまだ差別だと主張するなら、知的に誠実に議論するならば判例を
ベースにそれに反駁するかたちでやるのが常識的には筋と思われるが
そうではなく、一からの思いつきで、単純に外形的に区別がされている、その一点をもって差別である
とする粗雑な、率直に言ってかなり程度の低い主張するのが増田である
しかし判例のような高度に専門的な議論の蓄積をまるっと無視して、我流の思いつきの
差別認定をしても、それが真面目な議論として到底受け入れられず、差別ではないと
返されても至極当然のことではないだろうか
元増田は、一応のところ女性専用車両に対し理解を示して話を始めているが
一方で結論的に
「「差別である」という前提を共有できないなら、それは差別であると主張し
差別解消のために強硬手段を採る運動にも一定の正義はあると見做さざるを得ない。」
という
繰り返すが女性専用車両は差別にあたらないというのはすでに高度なレベルで今のところ
結論づいており、そこをひっくり返せと一般的には承認しにくい独りよがりの議論を
するならば、それは畢竟、運動団体が正義だと言っているのに等しい
運動団体は強固に女性専用車両の撤廃を要求しているわけだが増田はそこをどう解決する
りなのだろうか?
さらに、増田はいろいろの応答のうえ自分の提起した議論の目的を
「加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。
「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられ
てきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。」
だともっともそうなことをいうが、実際に苦しめられている女性が存在することに起因する具体的問題たる本件
女性専用車両問題において女性専用車両(ラッシュアワー限定の一両のみ)に乗るべきでないと区別だか差別だかを
https://togetter.com/li/1195295
もとのテキストデータがどっかへいった、古い小説がスキャンできた。
記号?とかダッシュとかはだめだったけど、日本語の文章はほぼほぼ修正していない。
ヘルプを見るかぎり、フォントとして10ポイント以上ではっきり撮影した写真ならオッケーだ。
ので、変換間違いがあればそれは、Googleドキュメントのせいだな。
***************
今日もカバンにすれすれでドアが閉まった。携帯をそっちに入れっぱなしだったことを、電車が揺れてから思い出した。あちゃ、あと10分は何もできないな。僕は両手でカバンをつかんでいることにした。
左斜め後ろに、小さな頭が見えた。もともと僕は180あるから、電車の中は黒や茶色の頭だらけだけど。ひときわ小さいその頭は--同じ制服の、橋詰さんだった。
どっちかといえばいじめられタイプ。小説家をめざしてるらしいけどクラスの現実派に笑い飛ばされてから、気の合う人とはいちおう話はするが、苦手な人にはうつむいたまま。それでもたくさん本を読んでるみたいで、博識だから、みんな一歩置いて名前じゃなくて名字にさんづけで橋詰さん、と呼ぶ--そんな情報を彼女の黒い頭から引っぱり出した。ああそうだ、もう一点、橋詰さんは少し前から--
「楢本君、おはよ」
左胸の方から声がした。見上げた橋詰さんと目があった。「あ、はよ」僕はカバンを少し引いた。普通に挨拶はするくらいだったし--そう、橋詰さんは少し前から--東(ひがし)とつきあっている。その、東は--電車が揺れるなか見回すと、後ろのドアの方にいた、ちょっと茶色がかった頭で。「今日も東君とはぐれちゃったの」と橋詰さんは小さく笑っていた。東は、S女のやつらとべたべたしながら喋っていた--東は女ったらしで僕には合わないタイプだった。
オレンジの明かりが窓枠から切り抜かれて廊下に落ちる。補習が終わってあくびをしながら上履きを踏んでいたら。図書室から橋詰さんがでてきた。きっと「今度締め切りの」「小説を書いている」んだろう、クラスのうわさからつぎはぎあわせる。たまたま通りかかったジャージの2,3人が。「橋詰さ~ん、新作できたら、読ませてね~」「え~、ナオキ賞とって本屋で売られるんじゃないの~?」「え~、コウホってのになって取材されるんじゃないの~」「あははは」なんかすごく下品な笑い声が端から端まで行き渡る。
「あんまり小説に熱中してたら~、ヒガシ君さみし~よ~」・・・東のファンクラブみたいな女が、めいっぱい皮肉っていた。--でも橋詰さんは、てへへと笑って、胸の中のルーズリーフの束を、しっかり抱きしめていた。やつらが遠ざかる頃、声をかけてきたのは彼女の方だった。
「楢本君」
「よ」
こんな時間まで残っているのは、クラブをやってるやつか、橋詰さんみたいにがんばって小説を書いたり自習してる人か、俺みたいな補習組くらいで。橋詰さんは一瞬身構えた。取らない取らない、君の大事なノートは、と僕は一歩下がった。
「俺も頭良かったらいいんだけどな。なんか、文章を書くって、全然思いつかない」
もしかしたら橋詰さんにとって傷つける言葉だったかもしれなかったけど、思ったままで言った。そしたら、橋詰さんは、ゆっくり首をふった。「でも他に、音楽とか、スポーツとか、なんか好きなものがあるよね?」
「そ、ま、、、そだな」
じゃ、とすれ違いかけたので、僕は引き止めた。
「・・東とは、うまくいってるの?」
「・・・・え」
東は帰宅部・・というか放課後すぐに駅前に遊びにでてしまう。図書室からいっしょに出てこないってことは彼女の橋詰さんを待ってもいない、ってこと。なんか不安を感じて思わず声をかけてしまった。橋詰さんは、、どっちとも言わなかった。
「なんで、東となの?」
そう言った時、僕も、橋詰さんが気になっていたんだと気づいた。
「蝶がね。青いって」
その日のことは、僕も覚えている。東と、何人かの男子と、とりまきの女子がいて。教室でわいわい、「何が見えるの、」とか大声で言って笑っていたから。東がもっていたカルバンなんとかの眼鏡で。うっすらと青がかかったそれをかけた彼女は--「青い蝶が飛んでるよ」と、死にかけた蛾に向かって声をかけたのだった。一部の女子にはバカうけした。僕は話の流れをつかんでなかった。もしあのとき最初からその場にいたらば、もしかしたらそいつらに、いいかげんにしろよ、と言ったのかもしれない。
その時。東は橋詰さんから眼鏡を外して自分でも見て--「ほんまや、青い蝶」とうなづいてくれた、らしい。笑い声にかき消されて僕はそこまではきいていなかったが、橋詰さんにとって、東の言葉は--。
僕だって、度のきついこれを通して、なんかいい形容詞を思いつけるかもしれなかった。でも今言えば、橋詰さんといたいがための、かさぶたみたいで--やめた。ほんとにそれが、東が心から思ったことであれば、いいんだけど--あれから何度も、ふたりは同じ電車に乗り合わせていたのに、東はやっぱりS女の女子といちゃつき、橋詰さんはあっちこっちとゆられてふらふらしていた。
でも放課後は、あの廊下ですれ違わなくなり--図書室の前じゃなくて、下駄箱でじっと待っている彼女に会うようになった。「3日に1回くらいはすっぽかされちゃうんだけどね」と、彼女は半開きのカバンからルーズリーフの束を出したりしまったりしていた。
僕だって、、、夕暮れ時には赤い蝶が見えるとか、言えると思った。
東がほんとに本当に心の底からそう思って言ったとしたら最低な裏切り者になるから
--これでもまだいちおうクラスメイトだ、あいつがまだ髪の毛染める前から知ってる
--このままで橋詰さんが幸せそうにやっているんだったら、だまるのも愛情だとかかっこつけていた。
--かっこつけなくてもよかった。
ばたん、とニューバランスをスノコに落としてから、そいつに気づいた。オレンジ色に染まっているとでも言えばあいつは笑うだろうか、と思ったそこでそういえばあいつ今日は東を待っていないと気づいた。誰かが出入りしてそのほこりっぽい風に、蛾の斑点模様がバラバラになっていった・・・
ほこりを吸ったからじゃない。胸が焼けるような感じがした。ばあちゃんの家にあった火箸でいとこがやけどした時、あわてて全身がだらっと汗をかいたような、あの熱さが急に、吐き気といっしょに出てきた。橋詰さん?
次の日の朝も、その不安は消えなかった。かもしれないけど。いまさら東と同じようなことを言ったとしても。いや、どうでもいい。今僕が思ったことを言おう。--ぼくは朝の息を吸って、橋詰さんがホームにあらわれるのを待った。
東の声がやけにつきぬけてくる。
「いやだからそうだけどな」「おまえしつこいよ」その口調が不安をさらに倍々にするので、僕は声のほうへ自然に近づいていた。視界の端にS女の制服が映って、おばさんくさいにおいがした。東は俺じゃなく俺の右にいるそいつを見つけて、早歩きする。「あの、」と橋詰さんの口が動いていた、「だからおまえとはつきあってるとは思ってねえよ、いつまで夢みてんだよ、」東の吐き捨てた言葉で僕はそこからダッシュした、東に向かって3歩行ったけど足首をねじった。橋詰さん、橋詰さん、
「橋詰さんっ、」
急行の前には、全速力で特急が通過する。カバンを捨てて、叫んだけど・・・
がっと。
それから電車が止まって、すごく遅れたせいで、1限は無くなった。というか、昼前に全校集会があって、そのまま下校になってしまった。昼過ぎでもまだ、駅の周
りには、パトカーやらがいっぱいいた。
橋詰さんと東がつきあってたことは、いつの間にかもみ消されていた。実際、二人で歩いてるところを見たやつがほとんどいなかったから。しばらくの間は、彼女が書いていた詩や小説があちこちでばらまかれてたりして、内臓をえぐって見せてるようで吐き気がしてたが・・・・少しずつ、時間がそのショックも押し流そうとしていた。
東は髪の色を戻し、朝は一人でずっとヘッドホンに聞き入って学校に来ていた。この前廊下ですれ違ったとき、あの眼鏡がポケットにあったことは見えた。やつが、それを彼女への思いで持ち続けているのか、反省しているのか、単に眼鏡がいるだけなのか、それは、もうわからない。
今日もぎしぎしに人が詰まっている。橋詰さんがいてもいなくても、きゅうくつさが変わらないのは、なぜだろう。昇降口もある意味、朝夕はラッシュアワーみたいだ。パタンパタンとスノコに上履きや靴が落とされる。その人の流れの風に、--あのときの蛾の羽は、まだ掃除されきれずに、一片だけ、揺れていた。
結論的には妊婦は見えるところにつけて堂々立ってればいいと思う。あれは「席を譲ってください」じゃなくて、気持ち悪くて立ってられなくて座り込んじゃったときに「マナーのなってない最近の残念な若者じゃないんですよ。体調悪いからですよ。ほらみてマタニティマーク!妊婦妊婦!」に使うもの。気持ち悪くなったら席を譲ってもらえるよう自分から言うか座り込んでください。座り込むのが恥ずかしい方、吐くよりましですよ。
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マタニティマークつけてて立っていた場合、目の前の人が席を譲ってくれたのは数えてないけど肌感覚1~2割てかんじでした。辛いときは恨めしや〜世界は妊婦に厳し〜て思っちゃうけど、いま思えばそこそこの割合のような。
ちまただと「男は譲らん!」ていうけど、譲る人譲らない人に老若男女関係なかった。疲れ果てたサラリーマンでも譲る人は譲るし、美人なお姉さんでも子育て経験ありそうなお姉さんでもチラ見して無視するひとは無視する。男は譲らん!て決めつけ記事はよくないよね。一回、離れた場所に大声だす怖いオッチャンが座ってて、ヒィィて思ってたら「座りなさい!」と大声で呼ばれてヒィィてなったことがありました。ありがとうございます。
で、これは私の経験談なんだけど、譲らなかった8~9割の人が、全員が全員、悪人だったり、ふて寝したりしてたわけじゃないんだろうなと。
なぜかって言うと、譲られるぶん座ることが増えたのがあるのだけど、マタニティマーク時代、圧倒的に私自身が「席を譲る」回数が増えたので。
席を譲られると感謝の気持ちか、私も誰かに譲ろうとなるので、目の前を気にするようになって。そうすると目の前にご老人、私よりお腹の膨らんだ妊婦、怪我をしてる人体調悪い人に気付くようになりました。そのとき自分の体調がよければ声をかける気分になるようになりました。まぁ、私も妊婦なんで断られるときもあるし、なんとなくマタニティマーク見えないようにして声かけたときもあるし。
席を譲っちゃうほど割と元気な妊婦は、ある意味で「やっぱ妊婦に譲る必要ねーじゃん」風潮呼ぶから、妊婦の敵になるとは思うのだけど。譲れるときは譲ってました。半年で5回は譲ったと思う。私の人生のなかでも異常に多い。やっぱりこれは譲られるようになったから、私も譲れるときは譲ろうという気持になって、見るもの変わったからだとおもう。マタニティマーク以前の私もその姿勢はあったけど、レベルが違うよね。だからついスマホに熱中してマークに気付かなかったり距離に臆して、悪意はないけど譲らない側に入ってたのかなぁと今更思う。じゃなきゃこの時期の譲り率は異常。
とはいえ、辛いときは本当に辛いので、目の前の人が譲ってくれないと世界が全部敵になったような気になるしネットに呪いを吐きたくなるのも本当です。車内で吐きそうになって座り込んじゃっても譲ってもらえないどころか周りはチラチラ見るだけで声かけないこともあったし(体調わるいと被害妄想はいるから冷たい視線に感じたし)。もうダメだ〜てなって途中下車したけどトイレまで辿り着けず座り込んじゃって周りにチラチラ見られて恥ずかしいけど動けなくて駅員さん来ちゃったこともあったし。もうホントだめだかくなる上は金の力〜てなってタクシーのって車内で堪えきれず吐いたこともありました運転手さんごめんなさいビニール袋ありがとうございます。
何が言いたいかわからなくなったけど男は譲らねぇとかじゃなくて世の中いろいろだよねと。譲られる経験あるぶん、今後は余裕あったら譲りたいよねと。とはいえ皆余裕あるわけじゃないから譲ってくれない人もいるけど、譲る譲らない関係なくマークはつけといたほうがいいよ車内で吐きかけた場合の免罪符になるからということです。
あとこんな道徳の教科書みたいなことが書けるのは妊婦時代が遠い昔になったからで妊婦だった頃はそんな余裕ないし悪阻辛い時代はただただ辛かったし私は妊婦だけど体調悪くない時代あったけど妊婦だしずっと体調悪い…て人もいっぱいいるからやっぱマタニティマークには譲ってあげてほしいし優しくしてほしいです。あとそもそも妊婦で悪阻でラッシュアワーに通勤したくないし私内勤だったしフレックスなんで認めてくれなかったの前職〜!他社でやってる話を聞いてないといわれたときあぁ社会は厳しいなぁと思いました。つらたんつらたん。
まにきゅあ団「やまのて」
(一番)
まわるまわる ボクらを乗せて
何時まで乗っても同じとこ
(♪走れ緑の夢の電車)
やまのてグルグル みんなはギュウギュウ
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以上、最速で書こうと思ったら先を越されていてヤラれたので一番の歌詞を書いた。
今ホッテントリに上がっている「赤ちゃんの泣き声うるさい問題」について。
生後数ヶ月の赤ちゃんを連れ回す親たちに想うことと、“ベイビーハラスメント”について
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/baby__harassment
この記事の中でこういう箇所がある。
電車の中で、新幹線の中で、飛行機の中で、赤ちゃんは泣きます。絶対に泣きます。
はっきり言って、私は、移動時間にゆっくりしたいのに、赤ちゃんが泣き喚かれたら迷惑です。
この前も、海外旅行に行った友人から、「前の席の赤ちゃんが泣き続けるから、飛行機の中で全然寝れなかったよ」という話を聞き、同情しました。
いっぽうでブログ主は1年前こういう記事も書いている。700ブクマ以上集めたので覚えている人も多いと思う。
http://www.goodbyebluethursday.com/entry/cafe
子供、特に赤ちゃんなんて泣くのが仕事だし、状況を考えて泣く子供なんていない。子供の泣き声は「仕方のないもの」であるとして受け入れなければならないし、むしろ「ほほえましい」ぐらいに思ってもいいぐらいだと思った。(中略)
もしこれ(俺註:泣く赤ちゃんとその親をカフェが追い出したこと)が公共の場であれば、それは批判されてしかるべきだろうと思う。例えば電車やバスの中で、赤ちゃんの泣き声に怒りを覚え、何か言ってくる人間がいたら、「あんたがタクシーを使え!」と言いたくなる。公共交通機関を使うならば、赤ちゃんの泣き声は受容されて然るべきだ。
俺は人間だれしも意見が変わっていいと思っているが、この記事の寛容さと子連れへの温かい目線から、今回の記事の「迷惑だから親はできるだけ外出我慢すべき」に至るまでの変化はなかなか劇的で戸惑う。
両記事とも夏休み中で子連れファミリーが多い時期のものであり、イライラしてしまうことが多いのだと思うが、それでもカフェの記事などは子連れの事情などにも配慮しつつ、それ以外の人やカフェの立場も尊重したバランスのとれた意見だと思っていたので、今回の記事を読んで残念に感じた。
子供の泣き声はうるさい。少なくともそう感じる人、状況によってそう感じる人がいるというのは厳然たる事実である。
いっぽうで氏が要請するように、赤ちゃんを公共の場に連れ出さない、あるいは近所の散歩に限定して生活することもまた不可能。氏は若干勘違いしているが、子供が泣くのは生後数ヶ月だけではない。1歳、2歳でも泣く。2年間外出を控えると、2人子供を産めば4年間、3人なら6年間、旅行、レジャー、外食、里帰りが自由にできなくなってしまう。もちろんそれ以外のやむにやまれぬ外出だって数多くある。子供の病気、検査、シングル家庭、父母どちらかの病気・仕事・単身赴任・出張で預けられない、頼れる親が近所にいない等々…。
このように互いに考慮すべき事情を抱える、立場の異なる人間が同じ社会で暮らしているのだから、カフェの記事で氏が提案したように入口で「赤ちゃん連れはお断りしています」など、すみ分けできるところではそうする、交通機関などすみ分けできない、難しいところでは、親の側はラッシュアワーはなるべく避ける(それでも乗らざるをえないケースはある。親も好き好んでラッシュ子連れ乗車なんてしたくないので、多くの親はできる範囲で避けようとしている)、迷惑に感じる側は車両を変えるなりして互いに譲り合うしかないのではないか。交通機関などに乳幼児優先車両などあるといいんだけどね、優先席は今でもあるが泣き声は防ぎようがないので。せめて長期休暇中のラッシュアワー時間帯だけでも。指定席の新幹線や飛行機は難しいが座席予約時の工夫ですみ分けできないかなあ・・・。
そんなわけで俺の立場はできれば「すみ分け」、無理なら「譲り合い」である。子育てに限らずこれは当たり前のことだと思っている。すみ分けならともかく、譲り合いとなると法律もルールも存在しないので、どちらがどれだけ譲るべきなのか、個々が是々非々で判断することが求められる。そこでも意見がわかれたらもう仕方がない。お互いに心の中で舌打ちしてすれ違うしかなかろう。社会生活ではそういうこともある。ただ根底に「子供はうるさい生き物」と「子供は社会の宝」という2つの基本的共通認識が両者に存在していれば、舌打ちするシーンはそうはないとも考えている。
繰り返すが「赤ちゃん泣き声問題」は一般論では語ることができない個々のケースで判断されるべき問題だ。氏にはカフェの記事のように、この夏イライラしたポイントを具体的に語ってほしかった。