はてなキーワード: 谷底とは
ガチ恋勢という生き物がいる。
誰に頼まれたわけでもなく地獄の業火に焼かれている変態マゾであり、谷底に向って全力疾走しながら空を飛ぶことを夢見る哀れな畜生である。
嫉妬の毒に侵されて徐々に正気を失いつつある地獄の住人であり、それはもちろん俺のことだ。
付き合えるわけがないのなんて最初から分かっているし、これまでにそんなチャンスが巡ってきたことはない。
う~んう~んと考えた結果、カピカピの脳からひねり出されたクソがこれだ。
天秤の片方に乗るのはアイドルと付き合う自分だろう。もう片方は?
アイドルと付き合う自分と釣り合うような質量を持った何かが、自分のこれまでの人生にあったのか?
例えば不幸のどん底にあって、この不幸を埋め合わせるためには宝くじにでも当選しないと釣り合わない、と考えるのは理解できる。
俺は不幸のどん底にあるのか?いや、そうでもない。一応普通に生活できている。
何か、不幸、あったかな。無いかもしれない。人並みの不幸しか知らないと思う。
つまり、これだ。
「なんの物語も持っていない人生」という巨大な空虚との釣り合いを取るため、ということだ。
あー
嫌なことに気付いてしまった。
でも大丈夫。
微分積分とは、帰納と演繹に置き換えることができるのかもしれない。
つまり、データから法則を出す営みと、法則からデータを出す営みである。
グラフ上にプロットされたデータをいちいち t=1の時x=2, t=2の時x=4 …などと列挙していてはキリがないので、
この式はデータだったのだ。
ようやく「微分せよ」という表現が何を言わんとしているのか分かった気がする。
そうすれば、勉学で躓くこともなく、周囲の学生たちに劣等感を抱くこともなく、
自分が将来なりたい目標を考えたうえで進路を選択できたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
勉学で挫折し、不登校に陥り、モラトリアム延長で名前を書ければ入れる専門学校に進み、
その専門学校すら不登校に陥り、主体性を喪失したなし崩しの人生を転がるに任せ、
直接口に出されこそしない「使えねーな」「もうちょい急げよオラ」を毎日浴びせられて過ごしている。
毎日のように削り取られていく自尊心を癒やすために『いつか凄い人として羽ばたくサナギとしての自分』をいつも空想している。
両親から運動音痴と自閉症スペクトラムを引き継いだ所に早生まれが重なったせいで生まれついての引きこもり気質。
保育所の広場で遊ぼうとすれば「お前がいると負けるから来るな」と追いやられ、一人でブランコをしようとすれば体格のいい子に追い出され、仕方がないからいつも絵本を隅っこで読んでいた。
小学校に入ってからはせめて勉強ぐらいは頑張ろうとしたが、運動も会話もまともに出来ないくせに勉強だけは頑張っていたのをメガネザル系のキャラとして扱われ、頑張って勉強していい高校に入ったら周りは運動も勉強もできる人ばかりで何も持ってない底辺として暮らす日々。
大学でも同じような現象が起き、周りは自分と同じ程度の学力だけどソレ以外の能力では圧勝されているので自分に自信を持つことは全く無い。
学歴を印籠みたいにかざして無理やり通り抜けようとした就職活動はボロボロになり、自棄糞になって受けた公務員試験でもペーパーで取った有利を集団面接で全部吐き出し切って完敗に終わる。
やりたい仕事もやるべきだと思う仕事も稼げる仕事も遠ざかり、とにかく数を集めて谷底に突き落とすタイプの会社に入って、適性もないままに椅子にしがみつくことでなんとか生き延びてきた。
自分が仕事の中で相性が良いと感じることを上から上げていくと「分析」「整理」「定型化」だと思うのだが、自分が主にやらされているのは「営業」「懐柔」「折衝」で、正直この辺は死ぬほど苦手でせめて電話・口頭中心じゃなくてメール・チャットでやらせて欲しくてたまらない。
企業風土が自分とあっていると思えないのだが、この仕事を通して積み上げてきたものが自分と相性が悪すぎるからそれを売り込んで入れるような転職先は結局同じような所だろうという蟻地獄に人生が囚われてしまった。
無能扱いされてもいいからせめて平穏に暮らせたら良いのに、毎日のようにせっつかれるしなんだか分からない責任問題に次々巻き込まれている。
本心から望んでいるのは「貧乏でもつまらなくてもいいから平和に暮らすこと」だ。
でもその競争倍率がクソほど高くなってどこも高値で売りつけられていると聞いてもう怖くなって完全に動けなくなってしまった。
毎日この人生からまるごと降りたさに包まれながら職場に向かっていて、そうして一日かけて傷つけられた心を風呂場やベッドに入って「でも僕は近いウチになんか良く分からんがビッグになって大逆転するんだ」という中身のない妄想に浸ることで癒やしていく。
なんなんだろうこの人生は。
最底辺の人間が敷き詰められた狭いアパートで寝起きして、最低限の味と栄養しか無い配給食を食べるために並んで、残った時間は図書館で老人と本や新聞を奪い合いながら暇つぶしをするだけの人生でもう十分なんだ。
どっかの金持ちが無駄な背伸びを繰り返し使い切られてしまったこの世界の余裕を補充し直すために、自分の心を砕きながら社会のひび割れを埋めさせられるのにいい加減うんざりする。
なんでただ生きるためだけに毎日こんなつらい思いをする必要があるんだろう。
最低限度の生活の値段が高すぎる。
生活の値段が高いと言うより、あらゆる労働の性質が非人道的すぎる。
人道的な労働環境に生きたい。
俺の本当の願いはそれだけだ。
でも叶うとは思えないから「ある日凄い人になった自分が凄くチヤホヤされるから、今の苦しみはその時に全部相殺されて「生きててよかった」と思えるはずだ」を毎日妄想するんだ。
辛い……そうして「いつか自分は凄くなるんだ」を握りしめてるせいでかえって人生が苦しくなっている面もあるんだろうな。
これはもう麻薬みたいなもんだ。
どいつもこいつも平然とした顔で「いつかビッグになるよ。良く分からないけど。だから今は頑張ろうね」と麻薬を高値で売りつけてきやがる。
教師も親も誰も彼もが平然とお互いの口に麻薬を詰め込んで適当に酔っ払ってるすきに自分の好きなように操れないかと画策してる。
なんなんだろうなこの世界は。
俺は本当にもう疲れた。
いつ死んでもおかしくない。
俺は40代。俺が小学生の頃の流行りの本ってさ、バブルの残り香のせいで、とにかく浮かれてオシャレだったんだ。旅先で食べたカツ丼が美味しかったからタッパーに詰めてもらって高速をタクシーで恋人に届けたりするんだぜ。サラダが美味しかったから記念日だとか。自分が住んでる田舎にはない世界がそこにはあると思ってた。ホント、都会スゲーって思ってたよ。歌の歌詞も浮かれてたな。ゲレンデが溶けるほど恋したいとかさ。
田舎にいたって、あれが幻だったのはわかる。
あの頃乱立したゴルフ場はさびれ、たくさんできた温泉宿は建て替え時期だったのもあって東日本大震災で宿を畳んだ。
でも、東京にいけば、あの空気がまだ残ってるんじゃないかって思ってる自分がいる。
現実はといえば、若者はタクシーでカツ丼を届けてもらうどころか、ウーバーイーツの配達員で自転車で届ける側だ。貧乏人はゲレンデが溶けるほど恋するどころか、格安バスツアーでバスごと谷底。
なんで鬱展開がオタクに嫌われるかって
エロゲで「こんな客を無視した展開できる俺らまじクリエイタ~」みたいな
ただこれが出来る俺ら凄いだけで生み出された数々の無意味鬱展開があったから
例えばアベンジャーズインフィニティ・ウォーはヒーロー負けてガモーラ殺されて人間50億人ぐらい殺されて終わって一年以上続きが見れない超クソ鬱展開だけど、
だからこそものすごい気を使ってやって、次回作は超明るいアントマン2だったり超無双映画のキャプテンマーベルだったりするのよ
そんでEndgameでは開始20分ぐらいでサノスぶっ殺して復讐完了するスピード展開っぷり、そーいうアフターケア、鬱展開にしたからこその超楽しいお話を後でやるから、物語の“谷底”が成立するんだけど、
日本のアニメ業界、そういうことを一切せず、ただ急に鬱展開にすりゃシリアスになってすごいみたいな
無責任で無意味で、ただクリエイターがこれが出来る俺らまじサブカルチャー作ってるぜ~みたいな、意外性以外感じられないクソみたいな鬱展開をいろんなアニメでずーっとやり続けて、
だからアニメで鬱展開が始まると、エヴァとか富野とか影響を受けたアニメとか、エロゲアニメみたいな、あっこのアニメ何も考えずに鬱展開初めた、あーあーこの後何も考えずに適当につまんない話が続くなーってわかっちゃうわけよ
だから鬱展開は嫌われる
信用がない
アヴェンジャーズインフィニティ・ウォーが成立したのは、10年と20作品という“信用”があったから成立したわけよ
なぜ日本のアニメ業界で鬱展開が嫌われるかって“信用”が無いから
それ程に90年代~00年代で鬱展開を多用し無責任に放り投げた実績がある
—
D4プリンセスとか、明らかにシリアス展開を見たいと思って見てないのに、
Wind -a breath of heart-はなんか急に鬱展開になってテレビ放送終わったからな
ナメとんのかってマジで思った
—
富野由悠季に影響を受けたのか
エヴァに影響を受けたのか
あの頃はマジでアニメでクソ鬱すれば一流クリエイターの仲間入りや!
みたいなゴミみたいなやつがたくさんいた
そういうのを10年ぐらいやってたから
見るのやめよ
ってなるわ
そういう事散々やってきたのに
今更ちゃんとした鬱展開です!信用してください!とか
信用できるか
ほんとまじで、そういうクソ鬱が見たくてみてるわけじゃねぇのに
anond:20221109182127 や、そのブクマコメントを流し読みして思ったこと。
N=1且つ自分 で記憶ベースなのでおそらく間違ってるところがあるだろうけど、大筋は
っていう感じで、少なくとも直近の日本経済の谷底時代=民主党政権の期間になってる。
それが直接の因果でなかったとしても、どうしても悪い印象だけが残る。しかも、その政権時代の人間が過去を省みず、大半が残ってる。それが今の最大野党なんだから、そりゃボロ負けするよね。
柳田国夫の遠野物語には「山中を歩いていた親子が谷底に落ちている鹿の死体を見つけて、子供が『持って帰ろう』と言うが父親が『オオカミの気配がする。オオカミがあの鹿の死体に気づいていたら、持って帰ったら必ず復讐される』と言って諦める」話が載っている。
チョット面白いのは、鹿は勝手に谷底に落ちて死んだのであってオオカミが捕まえたワケではないのに、オオカミが1度でも「コレ俺の物」と思ったらソレを持ち帰る事は横取りになってしまってオオカミの復讐の対象になってしまうという事。
こういう場合に具体的にどんな復讐があるのかはわからないが、遠野物語には他にオオカミの子供をコロした男の家の家畜だけが深夜に何度もオオカミにコロされる話が載っている。
谷底に陣取った状態から両側の崖の上から弓矢が飛んでくるステージだったり、三方を敵に囲まれた状態で始まるステージだったりがずーっと続く
その分、敵が弱いかというとそういうわけでもなく、HPの三割以上を削る攻撃を普通のモブキャラが打ってくる
あと単純にこちらのチームのキャラ数より相手側の人数の方が多いことが当たり前みたいになっている
たまにここに陣取れば敵に囲まれることがないんじゃないかって場所に逃げ込んだら、7割がたくらいは敵の増援がその場所近くから数ターン後に出てくる
このステージをどう解く?といういじわるな出題に対して、自分なりに方針を立てて動かさないといつの間にかチーム半壊、自分の腕だと最悪負けてしまうくらいのゲームバランスが楽しい
自分の領土を燃やすトラップで相手をはめころすみたいなステージがあるんだけど、楽したいなら燃やしなよという餌をぶら下げられた状況で、それを我慢しながら限られたダメージソースをどう敵に割り振って、どう相手にデバフをかけて、どのタイミングで敵の道をふさぐかを考えるの楽しかった
清々しいまでに歪曲した考えだな
自分自身で「すてちゃえ」と吐き捨てておいて、捨てる母親を谷底に蹴落とす心理がわからない
子供の幸せなんて誰にもわからない。なぜならまだ生後半年でしかも夫側の家族はちゃんといるわけだ。この状態で施設などに預けられたらわからないが、少なくとも片方がいるなら望みはある。そしてそれを感じるのはその子供本人であって今の問題ではない。
助けを求めているのは元増田だろう。
なんか誤解しているよな
子供を手放すな!と聞こえたのならそれは誤りだよ
少ない情報から「毒親に育てられたから」と断定したり、対面だけ気にしていると決めつけるのが一番ダメ
そんなことを自死仕様とした人にむけるとかどういう考えなのかなって思う
毒親が元増田に何らかの影響を与えている可能性はあるが、そもそもそれだけが原因かもわからない。実際に自殺未遂をして家に居場所をなくしている状況は元増田のせいというより、夫や他の家族の理解を得られていないことが原因でしょ?それを全部はぶいて母親本人だけの問題にするのって不自然だな。
何もかも母親と子供という閉じた関係だけで考えているのがおかしい。
子の幸せという単語も気になる。子がどう幸せに感じるかはこれから先の話であり誰にもわからない。問題は現在進行系の母親とその周りことだよね。そういうことを棚に上げて更に追い詰めるってなにがしたいのかな。
そしていつまでたっても「子供を手放すなってことですか!!」と勘違いしているわけだ。そうじゃないよ。子供を育てられないことは仕方のないことだ。だから無理に育てる必要はないと思うよ。
おそらく元増田は子供を手放すことを後押ししてほしいだろう。ただ、現状で増田に書いても谷底に本人を突き落とす言葉しか散見しない。