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はてなキーワード: 行使とは

2016-05-29

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.もしタバコが誰にとっても安全なモノになったとき喫煙エリア禁煙エリア嫌煙家などはなくなりますか。

そんなタバコを吸いたい人がいるかはともかく、答えはNOだ。

誤解している人もいるが、それがルールマナーとして運用されていることとは本質的には関係がないのさ。

過去に回答したように、タバコ有害性とかの「合理的理由」は、あくまで「分かりやす理由」であって必須要素ではない。

合理的理由があるかどうかで決められているなら、この世のほとんどのルールマナーはなくなっているからな。

ルールマナー本質的価値は、「多種多様人間が同じ社会で生きていくうえで、トラブルの元になるものを未然に防ぐ」ものだったり、「環境を最高ではないけれど、それなりには快適にするためのもの」だ。

合理的理由があるか」ということは重要じゃない。

仮に合理的理由があったとして、それらルールマナー運用する人たちが、それを把握して運用しているとは限らないしな。

しろ、そういう人たちでも行使できるように制定されるわけだが。

もちろん、君個人の「気になる」「気にならない」だとか、そのルールマナー客観的にみた正当性なんてこと私は知らんよ。

あえて学ぶべき教訓は、「良くも悪くも世界自分中心に回っていない」といったところだ。

ルールマナーは君を守るために作られたわけではないが、それに助けられることもあるんじゃないかな(逆の可能性もあるが)。

それに納得するか、感謝するかは君の自由だが、ルールマナー本質的価値必要性理解して週末を過ごしてくれたまえ。

……なんだか、過去の回答と似たような内容になってしまったな。

ネタ切れじゃないぞ。

2016-05-22

Wikipedia編集せよ

先日、ある特殊性癖について深い知識を持つ人物が、そのWikipedia記事を大きく編集したとツイッターで言っていた。

彼は同時に、Wikipediaは誤った記述が非常に多いと憤慨していた。

私は彼を讃えたかった。

誤った記述発見した時、自らの余暇を削り筆を執った彼の心意気を大いに讃えたかった。

さて、もし彼が編集せずに怒るだけで終わっていたらどうだっただろう。

それは最も軽蔑に値するWikipediaユーザーとなっていたに違いなかった。

情報を得るだけ得て内容を批判する、そんなお客様気分の者がWikipediaを利用することは軽蔑に値する。

間違いがあればそれを正す。

それがWikipediaユーザー権利だ。

そして記事の誤りに石を投げられる者は、その権利行使した者だけだ。

社会学者古市さんが叩かれる理由がまったく分からない

http://www.nicovideo.jp/watch/sm23488282


社会学者古市さんが叩かれる理由がまったく分からない。

彼は社会学者としての立場から法律改憲論者と論壇で登って答弁しているわけだが、オレには佐藤氏と古市さんとの間で話がまったくかみ合っていないように思える。

正直、この佐藤という人を含め、古市さんを叩いてる人にはマーケット感覚がないんじゃないか?と思うんだが、具体的にどうやってそれを示したらいいのか見えてこない。

山本みずき氏との論壇でも同様だと思う。山本みずき氏にはマーケット感覚がない。一方で古市氏にはマーケット感覚がある。

議論レベルがかみ合ってない。山本氏佐藤氏も、社会の泥臭い面や言葉通りにいかない部分が見えてない。古市氏の方が社会を間接的に知る手段豊富で信頼できると思うんだが

同じように思ってる人はいないのかな。。。

一応個人的に考えてみた内容をまとめてみたので、知見のある方々の指摘や修正がほしい。

是非論駁してみてくれ。



両者の経歴から考察

個人的思考なんだが、『佐藤氏』と『古市氏』のバックヤードに目を向けてみた。

ソースwikipediaくらいしか簡単に示せるものはなく、佐藤氏のことはオレはほとんど知らないので、あまり知ったようなことは言えないんだが・・・

佐藤氏』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%81%A5%E5%BF%97#.E7.B5.8C.E6.AD.B4.E3.83.BB.E4.BA.BA.E7.89.A9

古市氏』

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B8%82%E6%86%B2%E5%AF%BF



古市氏の背景は〝環境情報科学〟。人脈のほとんどは起業家、および新時代財界人






佐藤氏の両親は政治学者弁護士。つまり歴史と法に重きを置く典型的法学部タイプ日本法治国家資本主義として成功した社会主義タイプなので、佐藤氏は典型的右派保守的タイプ

一方で古市氏は環境情報から社会学へと転向した。つまりバックヤードとなる知識や感性科学者タイプ

ゆえに、古市氏の論じる分野には必ず〝マーケット〟がある。お金と結びついて物事を考える発言がきちんと身についている。またそこに時価がある。

ここで勘違いしてはいけないのは〝経済〟や〝金融〟ではない、ということだ。要するに〝政治色〟が薄い。よく言えば庶民的。別の言い方をすると〝資本主義的〟。

また彼は友人に起業家を持っており、堀江貴文を含め、財界との繫がりも多い。ほりえもんちゃんねるなどにもよく登場する。

これを〝強い者に擦り寄る〟と表現するものもいるが、そのあたりの〝評価〟は置いておいて、マーケット感覚を得られる環境にいることは間違いない。

http://blogos.com/article/154867/

例えばここで古市氏は『すき家企業社会にもたらした社会福祉ひとつ』と述べたことで叩かれているが、なにが間違っているのだろう?と思う。

マイクロソフトをはじめとする新時代新興企業の多くは、既存制度を上手に利用して新しい形の報酬従業員に還付している。

(※その代わり徹底的に税金を逃れている! ←善し悪しは置いておいて、事実そうである

どの国に所属しているかよりも、どの会社所属してその会社が与える福利厚生を受けられるか

ストックオプション行使できるか、金融資産を持てるかどうかが豊かさへと直結する時代になったのに、いったい何故古市氏の述べていることが的外れなのだろうか?

シリコンバレーでは福利厚生提供するサービスを行っている会社がYコンビネータ出身者によって起業されている。

ケータリングサービスタクシーチケット、社宅システムなど、上げればきりがないと思うのだが・・・

http://asread.info/archives/722

日本自衛権があることを古市氏は知らなかったと述べているが、これもある意味で間違っていないと思う。

実際のところ、実質的自衛権行使できなかったことには違いない。

 ・ミサイルを発射されながらもそれを撃墜できるのは日本駐在している二機の米軍潜水艦のみであること。

 ・敵国が領空侵犯をしても命令がなければ撃墜できない。引いては物理的に〝敵飛行機を押す〟という意味不明対処しかできない

これらの現行法脆弱さをどれだけ学者やSEALsは理解してるのだろうか?

http://trafficnews.jp/post/46566/3/

自衛権は認められているが、〝実質的に言って認められていない〟ことと一緒。

であるにも関わらず、古市氏が『日本自衛権って認められてるんだ…』という発言を〝知識がない〟〝教養が無い〟と評価する論調はいかがなものか。



佐藤氏の背景は〝法学政治






一方で佐藤氏にはマーケット感覚が無いといえる理由はここにある。つまり法律政治に関する学問を背景にしているところに問題がある。

この手の人間がやっかいなのは、やたらと知識や雑学は多く言葉言葉を返すのは上手いのだが、思考回路に多くの前提条件や知識条件が抜け落ちていることが多い。

言ってしまえばマリー・アントワネットタイプだ。




法学政治に強い人は〝市場の時価〟という観点が抜け落ちていることが問題






古市氏の発言法学政治に強い識者から叩かれやすいのは何故だろうか。

それは叩く者たちが〝歴史の変遷〟が、実は〝市場の変遷〟であること、をよく分かっていないからだ。

市場経済はより自然科学的だ。お金政治法律によって生まれたわけではない。自然に発生して、それが整備されて整えられた。実は人類進化の果てに手に入れた概念だ。

軍事力経済力のふたつは大国の力を現す両輪と考えられるが、実は歴史を手繰ると三番目の車輪があったことが分かる。その名も〝宗教〟。

そして現在過去も、急速に力を落としている車輪でもある。




歴史軍事力 ⇒ 経済力へと力が変遷している






鎌倉幕府の台頭に現れているように、歴史的に見ると既にこの頃から宗教の力は徐々に衰えを見せており、政治軍事力の二つが世界を動かしていたと言える。

表の世界での政治ほとんどが宗教と密接に関わっており、もっぱらここが市民政治の大きな接点であったと言える。

一方で軍事力実質的世界の掌握と統治を行う役割を担っていた。

少なくとも、日本においては明治維新サムライ不要となるまではそうだったのだ。

しか第一次世界大戦第二次世界大戦代表されるように、軍事政権は失敗を迎えた。

正しい仕方で行使されなかった軍事政権は、共産主義社会主義を生み出したからだ。

一方で米国のような市場経済を中心として発展した国は一定成功を収めた。士・農・工・商のうち、最後に勝ったのは商人というわけだ。



市場の時価〟と経済ルールを決める時代が到来しつつある。







マーケットは〝国の力が弱まりつつある〟ことを明らかにしつつある。既に鎌倉幕府時代から政府が持つ立法の力は軍事力経済力のどちらかを担保にしており、宗教アイドルでありスケープゴートであったに過ぎない。

そして過去〝政(まつりごと)=宗教〟が中心だった国家は、現在政治の中心を〝経済〟へと移している。

軍事政権実質的な掌握を行っていた政治は、現在では財界実質的な掌握を行う社会へと変化した。そしてそれは加速していく。

実際、国が提供する福祉よりも企業従業員提供する福祉の方が優れている場合が多い。しかマーケットに従った結果なので、相応の人材を兼ね備えており、無駄が無い。

パナマ文書にも代表されるように、国家の枠組みを超えた企業にとっては国境など存在しないも同然。

スターウォーズ通商連合のように、もはや国とは独立した別の政治形態と言って差し支えない。

戦後70年の間で形成されてきた常識などいくらでも覆る。今後の歴史は大転換を迎えると考えてまず間違いない。

その意味では、いまだに全時代的な歴史踏襲と繰り返し論議を重ねる、マーケット論の無き法学者政治学者が出る幕は実質的に言って存在しない。

宗教がその存在を弱めたように、政治もまた本質思想であり宗教であるから、その実質である軍事力経済力のいずれかに依存せざるを得ず、結果として時代に取り残される。

軍事力の台頭は世論が許さないだろうし、世界もそれを望んでいない。よって、これから重要になるのは、〝個人がどの市場経済所属しているかである


法学者政治学者歴史学者〟ではなく、必要なのは科学者〟と〝金融専門家〟であり、追うべきなのは経済史〟





世界を牽引してきたのは技術革新と金融だ。宗教を背景にした政治ストーリーを創り出す力があったが、現代ではその力は失われている。

闇雲に政治を追いかけても歴史を追いかけても真実は見えてこない。

必要なのは産業界歴史を追いかけること。経済史の発展と衰退の繰り返しの中に答えがある。

古市氏がどういう器なのかは知らないが、少なくとも歴史と現状を比較して将来を占う上で非常に恵まれ立場にいることは間違いない。

彼は川上の最新情報アクセスできることが可能で、新時代リテラシーも十分持っている。

法学者歴史学者も、企業の間接部門しかない。プロフィット部門ではない存在の者たちがとやかく言う論壇や議論意味はない。

その点は古市氏も同様だが、彼は自分立場弱者であることを自覚している分、市場に対する的確な論壇を展開できる下地がある。

叩かれるのがその証拠だ。叩いてる奴らのほとんどはマリアントワネットばかりなのだから、叩かれている姿を見てむしろ安心すべきだ。

2016-05-20

力を持っているのに一瞬しか行使できない

エンターテイナーとしてもっと見せ場を大安売りすればいいのに。

2016-05-18

愚痴だけどさ

独立行政法人日本学生支援機構 - JASSOから手紙が。

別に延滞しているわけでもなく、あと何回支払が残っているのか、残額がいくらなのかっていうお知らせの手紙です。

ちゃんと普通にお支払していますし、延滞等も今まで一度もなし。就職浪人等もせず、学生の時も浪人留年もせず全部ストレートでここまで就職してきた人間です。

返済終了見込、2036年。年齢に換算すると46歳。あと数年で子供作ったと考えても子供はたぶん10歳以上にはなっているんだろうか。産休出産、育休、などなどのイベントを抱えているのに、月いくらかの

お金を大体50歳になるまで払い続けなければならないという重い借金のようなものなのかもしれない。老後の貯金どうしようか。

繰り上げ返済等もできるから、そういう手段行使すればだいぶ早く返済ができるかもしれないが、今の生活から考えるとそれをする余裕もない。

それだけ自分で使ったんだから自分で返す。大いに正しいことなのはよくわかる。

社会にでまともな仕事につき、普通に仕事をする。そういうごく当たり前のことをするのにもこれだけのコストを背負わなきゃいけない。

勉強をするということについて回る一種コスト

会社ってありがたいと思う。仕事をするのにあたり自分勉強しなきゃいけないことの費用会社が持ってくれるから

会社に入る前はそのコストはすべて自分で支払う必要があったわけで。

それが今目の前にあるこの奨学金の返済…というものなわけで。

学ぶということに対するこのコスト。私はこれだけのコストを払ってまで大学に行った価値があるのか、どうなのかを最近自問自答することが増えた。

コスパという言い方をするのであればたぶんコスパは悪いと思う。たぶんこれだけのお金時間があればもっと効率の良い勉強ができたかもしれない。

けれど、学歴という履歴書に書ける成績のようなものは持っている。

ほんと、勉強にかかわるコストって高いよなー…と最近思うわけです。

2016-05-15

共産音楽趣味者としての共産主義の魅力

私は共産趣味者だ。歳は20代共産主義シンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。

共産趣味にもいろいろある。私はソ連音楽が好きだが、映画ポスタースローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国ユーゴスラビア東南アジア南米などの東側諸国だけではなく、日本西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。

ソ連音楽社会主義者音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチ共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。

こっち側にとって史上最大の敵対相手であったこと

世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはい西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。

その思想

ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等平和建設!惹かれないわけがない。

対する資本主義陣営自由民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくま共産主義に対するカウンターしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想あくま資本主義の維持だったからだ。戦う相手社会主義陣営というよりは資本主義陣営労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。

感情を揺さぶるように作られたプロパガンダ

プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやす性格なのだ

ソ連中央テレビジョンソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。

お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。

こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。

音楽ではないし、およそ普通意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪体操女子団体メダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である彼女らがステートアマ国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか

正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的プロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。

もっとプロパガンダが全てではない。90年代ロシアポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色チューリップhttps://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。

基層にある、主にロシア文化ウクライナ文化

理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシア旋律情緒があっていい。アコーディオンバラライカ音色ロシア語自体の響きによく合う。

ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。

蛇足: 私が生まれときには共産主義は死んだ思想として扱われており、残虐行為ナチスのそれほど宣伝されないので、擦り込まれ忌避感がない。

ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代冷戦構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去ソ連社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。

蛇足: それでもまだ共産主義を含む社会主義思想は負けていない。

東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか計画経済市場経済に比べ資源配分効率が悪かったので人民生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。

西側陣営の掲げた自由民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民自由制限し、アメリカドミノ理論を振りかざして世界中開発独裁政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器自由民主主義ではなく資本主義だった。

共産主義にしても、本来人民を抑圧し民主主義否定する思想ではない。

これをもって社会主義喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったか勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか

2016-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20160514231501

いい加減、選挙システム根本から見直すべきだ。

特定投票日を設けるんじゃなくて、1か月に1回投票出来る権利ネット経由なんかで行使して

リアルタイム議席を増減できるようにしたらもっとフレキシブル政治ができるだろう。

2016-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20160505165536

自動車の運転は、戦略戦術の双方において、紳士的に他人の利をおもんぱかりつつ、自己の利の駆け引きを行うということを、大いなる責任をもってリアルタイム処理するという、とても素晴らしい技能行為だ。自分の知性と意欲を用いて何らかの成果を出したい人間であれば、ぜひ皆にお勧めしたいことだ。

もちろん何事にもリスクはあり、特に自動車の運転は、一市民が指先つま先の操作で1トン以上の装置を公の場で縦横に操作できるという権利行使することである。そのリスク行使することに耐えられないという人がいるのは理解できる。

だが、そういう人の比率は、私の感覚では人口の1割程度ではないのかな。人が触ったドアノブを触れない、人が料理した食事を食べられない、尖った物を見ると気持ち悪くなる。人の心の動きと閾値はさまざまだ。各個人の身体能力もさまざまだ。

リスク低減のみに着目するならば、自動運転の更なる品質向上と発展、法制とのすり合わせをぜひ進めるべきであるし、これはまさに善き技術進化である。加えて、上記のようなメンタルのかたが不本意ながら自動車の運転を避けられない、というケースへの救済ともなる。自動運転の発展に伴って新たなリスクも各種発生するであろうが、各個検討解決していけばよい。それらのリスク低減がどうしても難しいのであれば、自動運転社会実現の優先度を下げればよい。

このように、人を自動車の運転リスクから遠ざけるという命題検討実施していくだけでも、各種リスクは生まれ、それらを迅速に利得と人徳をもって判断し、実行していくことが必要だ。

メンタルレベルリスクを取れない、判断責任を恐れる種類の人には、こういった物事の推進を期待することはできない。つまり自動車をちゃんと運転できるレベルの人が、この手の人たちに対しても、なんとかしてやらねばならない。

社会には、残念ながらこの軸の役割分担も存在する。

このメタファーが腹に落ちるか、このメタファーに腹を立てるかが、ひとつ分水嶺でもある。

http://anond.hatelabo.jp/20160506104801

増田が就けるような職業ぶっちゃけどれも何も変わらん。中身は同じ。

歌舞伎役者の家に産まれ歌舞伎をするとき着物の柄の微妙な違い程度の差しかない。

から何も選ぶ自由なんかないと言えるし、逆に言えば仮に歌舞伎役者の家に生まれたとしても着物の柄を選ぶ程度の自由行使しなければならないのでそこは受け入れるしかない。

これはOK?

クラクションならされてムカつく人間は車なんて運転するな

いるんだよ。こういうやつ。とくにGWにたんまり湧いて出る。

ここ数日の都内の道は案の定どこもクソひどい状況だった。

なんの理由もなくクラクションを鳴らす人間なんて基地外くらいなものなの。

ってことはクラクション鳴らされて切れてる人間は、基地外に切れてる痛い人間か、鳴らされてる理由があるのに逆ギレしてる人間ってことに他ならない。

「右折信号の2~3秒が待てねぇのかよ」「車線変更に鳴らすなよ」「法定速度守ってるのに鳴らすなよ」

これ、運転が下手な人間常套句ね。ついでに言うと、事故をおこす人間ほとんどがこういうこと言う人間

右折信号で曲がらない車にクラクション鳴らすのは、何も自分が曲がりたいからじゃないの。

自分より後ろにいる曲がれないかもしれない人のために鳴らすのだよ。

曲がれる人にとってみれば2~3秒でも、その信号で曲がれなかった人には数分になるから

それで無理な右折して事故でも起こされたらそんな夢見の悪い話ないからね。

かと言って一番後ろの車が鳴らしても誰に鳴らしたかわからんだろ。

から2台目の車は、自分役割だと知っているから鳴らすんだよ。

それに切れるとか何?バカなの?なんで教えてくれてありがとうって言えないの?どんだけ身勝手なの?

2~3秒待てねぇのかよとか、恥ずかしいセリフよく言えたもんだよな。

車線変更で鳴らされるのは、事故に繋がるような危険車線変更から

加害者にも被害者にもなりたくないから鳴らすんだよ。

法定速度守って鳴らされるのも危険から

運転には流れというものが会って、それを無理に止めようとすることは危険ことなの。

皆がプラス10キロで走ってるとしてその中に法定速度の車があったら、それはつまり時速10キロで走る車の中に止まってる車があるってこと。

流れてれば危険がないのに、そこに法定速度の車があることが危険の原因になってるんだよ。

こういう人間に限って青信号わたって事故に遭うよね。

自分自分安全を確かめず人が用意した安全基準鵜呑みにしすぎ。

国に基準基準って叫んでおいて、自分からは身を守ろうとしないの。

脆弱から淘汰されるのは当然だけどね。

ドライバーが最も大切にしなくてはいけないことって何か知ってる?

車の流れを無駄なくスムーズに保つことなの。

この言葉意味がわからないならすぐに運転をやめて免許を返した方がいい。

交通インフラタクシーつかったほうが結果的に割安になる。遅かれ早かれ事故を起こすのはこれを理解できていない人間から

事故を起こさないための安全に対する配慮」は、もちろん大切なことだけど一番に大切なことではない。

なぜなら、事故の原因の大半は、流れを無視した(もしくは全く読めない)人間による自分勝手な行動だからだ。

もっとわかりやすく言うと、事故を起こさないように慎重な運転をすることが、事故の原因になってるっていうことだよ!

さっきも言った通り、流れができている中で流れに反する行動をとることは=リスクなの。

慎重になりすぎて交差点で何度も踏むブレーキ予測できないようなタイミングでする車線変更、流れができあがってる中で頑なに守ろうとする法定速度。

あなたがどう考えていようが、これは危険行為であるし、身勝手行為しかない。

事実事故の大半は周囲の流れを無視した行動によるものなのだから

そこには正義も悪もなく、ただ単純に”流れに沿わなかった”という事実しかないんだよ。

これを見てふざけるなって思う人は、本当に車の運転をやめたほうがいい。

自分権利だ!」って行使することは、それこそが自己中心的な考えに他ならないからだ。

こんな書き方をされても一理あると耳を傾けるくらいの気持ちでないと、ハンドルを握るには危険が多すぎる。

なぜなら、免許とは運転が許されるライセンスではなく、取得すれば責任の全てを負わされる契約書のようなものからだ。

運転の習熟度関係なく、初心者熟練ドライバーも、誰もが平等に裁かれるのが免許というシステムなの。

安全な運転方法をやさしく教えてくれる人間なんて皆無な世界の中で、たとえ鳴らされたクラクション一つからも、次に安全な行動を取れるように学ぶ姿勢がなければ、その人間は遅かれ早かれ加害者であり被害者になってしまう。

皆が理解している通り、車というシステムは多くの歪んだ矛盾の上に成り立っているからね。

こればかりはいくら国に制度を求めても解決しない問題であり、その社会の中で身を守るには、自分が思う安全押し付けるのではなくて今目の前の流れの中で一番に安全な行動を選択することが何よりも大切なんだよ。

事故で人の命を奪ってしまうということは、加害者になると同時に被害者になるということでもある。

しか被害者でいることが絶対に許されない空気の中で、だ。

誰よりも安全配慮していることだけをプライドのようにハンドルを握っていたわたしの父ようには、誰ひとりとして絶対になって欲しくない。

2016-05-02

著作権例外


著作者人格権

公表権 氏名表示権 同一性保持

一心専属

他人譲渡できない 著作権譲渡されても人格権行使できるのは著作者

著作権例外 以下テストに出る

私的利用のための複製・・お店でレンタルしたCdコピー著作者確認する方法がない。 バレない

範囲・・個人的または家庭内 限られた範囲

目的・・私的使用目的

主体・・その使用するものが複製することができる⇒使う自分けが複製できるよ。

インターネットでの利用はどこまでを私的な利用と考えるか?

引用・・

2016-04-26

インフルエンザノロウイルス以外の当日病欠を認めない職場

シフト制の小売業勤務。

うちの会社インフルエンザノロウイルス以外の当日病欠を認めません。有休取得ももちろんダメ

38度の熱があろうが、ひどい生理であろうが、当日朝の病欠は全て却下されます

理由シフトに穴かあくから

前日の時点で体調が悪いことが分かったら、他の従業員休みを交代出来れば休めます

その時点での有休行使も、ダメ職場の人数が減ってしまうから

  • 例1

高熱を出して当日始業前に「全く身体が動けないので、有休取得します」と電話して休んだ奴は異動させられた。

  • 例2

朝家の中で怪我をして、整形外科に通院→病院が混んでて午後から出社した派遣社員契約は切られた。

(もちろん朝の定時前には電話済み、病院が混んでて遅くなることも電話済み)

いずれも「シフトを守れない奴は社会人失格。うちの店舗には要らない。」と店長談。

ちなみに旅行などでの有休取得は当然不可です。

これって、どこの会社でも普通なんですかね?

2016-04-23

PSPモンスターハンターがほしいです。

PSPモンスターハンターがほしいです。

じいちゃんとばあちゃんが亡くなったので

それなりにがんばりたいです。

    ■■■ ■

当時結構拡散された画像だったんだけど、今検索すると全く出てこない

忘れられる権利はしっかり行使されているようだ

2016-04-20

ブサイクで金がないオタクおっさんでも生きてていいじゃないか

まーーーーた顔の話してるよ、品がないなあ

気持ちはわかるが落ち着いて。

普通人間だったら本当にひどいと思うが、この人物については仕方ないよ。


だって、彼、本当に、ブサイクだもん。ブサイクなだけでなく、ブサイクであるというだけで話を聞いてもらえないという経験をしたことがあるもん。

ブサイクのせいで人生\(^o^)/と思わざるをえないような扱いを受けてきたもん。彼は大学生の頃ネット右翼活動をしていた。その時の顔が実名付きでFlash顔写真載ったことがある。彼なりに勇気を出して「印象操作している」「日本報道は信用できない」というメッセージ世間にうったえかけたんだ。そして、そのかいあって、かかれはやしきたかじんテレビ番組VTRで登場してる。

その時に彼はどういう扱いを受けたか2ちゃんねるスレタイこれだぜ?

フジデモ参加者ネトウヨキモすぎると評判

たかじんファンデモ参加者が「たかじん」で晒し者にされ、ネトウヨ側ですら容姿を笑う

たかじんファンデモ参加者が「たかじん」で晒し者にされキモがられる

どう考えてもあの顔は在日だし工作員なりすまし

印象悪くなるからブサイク男はデモにはこないでほしい

いくら彼がブサイクからってこれはひどすぎる。存在全否定だ。身内であるネトウヨからも顔で切られる

頑張ってメッセージを書き、勇気を出して写真取材に応じたのに、彼がまれにみるブサイクであったせいで話を聞いてもらえないどころかただ容姿を笑われ、あだなまで付けられて馬鹿にされる始末だった。彼は自分の正しさには自信があり、文章力でも誰にもまけない自信があったにも関わらずそれなのに、ただものすごいブサイクだというだけでこれだけの仕打ちブサイクであることは罪である、と社会から厳しい現実をたたきつけられたわけ。これはトラウマになる。この他にも彼は自分がいかにブサイクであるかを自虐的に何度もブログ記事に書いている。親しい人間にもニコ生でとにかくお前は痩せろ豚と言われていた。今も昔も豚ということだろう。彼のブサイク語りは誇張でも何でもなくすべて事実ってことだ。最近どこかのオフ会に行った時にもFacebookで彼がいかにブサイクであるかで盛り上がる記事投稿されていた。今になっても、彼がブサイク人生詰んでる状況は変わらない。

彼は本当にブサイクなうえ、そのことにコンプレックスをもって豚のように僻み続け、自分相手にしてくれない女性に対してはどうせおれがブサイクから馬鹿にしてるんだろうという被害者意識勝手に持ち、俺は被害者から女性に対してはどんなに嫌なことを行っても許されると本気で思ってる。そんな彼が、北条かやのような人間を見つけたら美人からチヤホヤされやがってとキレる。ジョジョ4部のアンジェロのように。また彼はブスだと思っている女に対してはすごく尊大振る舞う。もし彼がブスだと思っている女が自分より成功していたらゲス女呼ばわりして貶めようとする。これらは全て復讐であり、正当な権利行使をしているにすぎない。 だからミソジミーではない。

から彼がああい記事を書くのはしかたがないのだ。彼がああい記事を書いてしまったとしても、普通の人と同じように扱っては可哀想だ。だって彼身も心も本当にブサイクなんだから。 ブサイクのせいで人生詰んでる彼に対して事実をつきつけるのは死ねといってるのと同じだ。だからそっとしておいてあげてやってくれ。

2016-04-16

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.絶賛される作品があると、必ず「そんなことないよ」とか「それほどでもないよ」と割り込んでくる人が必ず出てくるのはなぜですか。

異端アピール説が有力だが、今回はちょっと別の切り口で攻めてみよう。

私はそんな人間を「オートバランサー」と呼んでいる。

物事には多少の偏りが出るが、それがあまりにもいきすぎるとバランスを保とうとするんだ。

アナと雪の女王」は覚えているかな(忘れようと思って忘れられるものでもないが)。

私も観にいって「これは素晴らしい作品だ」と当時思ったよ。

その熱を保ったままネットレビューや、関連動画渡り歩いた。

そして、それがしばらくすると不安になってくるんだ。

上映から数ヶ月たっても、動画サイトでもレリゴーレリゴーTVメディアレリゴーレリゴー

「もういい」と思ったね。

今の私にとって、あの名曲騒音と成り果てた。

作品のものは変わらないのに、人の評価は移り変わっていく。

人は食べ物に限らず、同じことを繰り返せば繰り返すほど嫌悪感が増すからだ。

コンテンツを消費している」という言い方があるが、その弊害がまさにこの現象だと私は考えている。

「オートバランサー」はその流れを緩やかにするわけだね。

彼らは酷評されまくる駄作に関しても出てくるので、その点で平等だ。

だが、彼らは中立的でもないし、客観的でもないんだ。

絶賛する人、酷評する人と同じく冷静ではない。

「偏った現象」と戦うことに必死からね。

はいえ、作品というもの評価対象で、だから賞賛批判もある。

それらを発する個々の動機だけで是非を語ることにさして意味はないが、汲み取るべき部分があるのならば耳を傾ける価値はあるさ。

まあ、そんな高尚な心構えで常に臨むのは疲れるがね。

Q.周りの友人たちは「YESかNO」といった議論でよく盛り上がります。私はその度に「人それぞれだろ」、「ケースバイケース」というのですが、彼らは聞き入れません。

君がそれを他者に納得させたいなら、少なくとも「なぜその結論に辿りついたか」くらいは、順序をおって説明できないとダメだね。

どのような高尚な理念で「人それぞれ」、「ケースバイケース」だと言っているのか分からないから

YES側」も「NO側」もやっているのだから、君だってそれくらいしなくてはな。

前の質問で私は、絶賛されたり酷評されまくる作品にたいして「それほどでもない」という人間を「オートバランサー」といったのを覚えているかな。

ただ、保たなくてもいいところでまでバランス行使する人間を、私は「均衡の執行者」と呼んでいる。

そして、彼らは中立的意見を「YESかNO」より尊いものだと信じているんだ。

YES側」にとって最も敵対すべき相手は「NO側」。

「NO側」にとって最も敵対すべき相手は「YES側」。

だが、両者にとって最も邪魔なのはYESでもNOでもないのにしゃしゃり出てくる側」だ。

でも、君はその域にすら達していないように見受けられる。

「人それぞれ」、「ケースバイケース」だなんてことは、ほとんどのことにいえるから、誰だっていえる。

大した段階もなしに、その結論にたどり着くのは何も考えていないのと一緒さ。

それを踏まえたうえで、「YESかNOか」議論する意味をもう少し君は考えるべきだな。

学ぶべき教訓はこうだ。

「賢人は必ずしも中立にいるとは限らない」

その上で、なお「人それぞれ」、「ケースバイケース」といえれば今日から君も執行者だ。

2016-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20160330141440

「何でもやっていいわけじゃない=あらゆることに関する責を任じられているわけではない=最高責任者ではない」ということなんじゃないの。

それはおまえの仕事じゃねえだろ余計なことすんな、って話で。

あと憲法的に言えば、

第六十六条 内閣は、行政権行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

これを「国の最高責任者」とは解釈できないでしょ。

2016-03-28

僕の幻翼

人が誰かを抱きしめるとき相手をつなぎとめる手が、僕には無い。

僕は仕方がないから、できる限り言葉と態度で彼女を縛る。

そうした術は生まれてきてきたときから学んできたし、逆に、だから僕は生きていられる。

僕の手足は生まれときに向こう側に置き忘れてしまって、こちらの僕からは、失われていた。

ファントムペインが有名かもしれないけれど、ハード的な意味での肉体の損失は、

ソフト的なものの損失を意味しない。

僕の左の肩甲骨には左手の、右には右の、手のひらの感覚がきっちりある

そのおかげか、彼女たちに抱きしめられるとき自分のすべてを抱きしめられている感触を得る。

まるで羽を押さえ込まれているみたいだと思う。

そのときだけ、フワフワした不安定さが無くなって、やっと僕は地面に降りられると感じる。

月曜日には紗江が、

火曜日には由香が、

水曜日には栄子が、

木曜日には。

僕をきちりと地上に繋ぎ止めてくれる。

普通の人ならセックスとき相手をつなぎとめておける手は僕には無い。

できる限り言葉と態度で彼女を縛る。

明らかに暴力行使、力づくというカードが切れない僕という立ち位置は、

オープンリーチしか許されない麻雀みたいな交渉になる。

まり勝負にはならない。勝ち、というもの存在しない。

でも、多くの人間自分が良い人でありたいから、圧倒的な勝ち分を幾分か譲ってくれる。

特に、裕福な人達、美しい女の子

彼女たちはもう、とてもたくさん「持っているから」それを分け与えることに躊躇しない。

それどころか、彼、彼女たちは、それを与えることで自分たちの徳が上がると信じている。

天使財産を献上することが、人間性の向上につながるという信仰に近い。

僕は天使ではない。けれど、ときどき肩甲骨の裏側に力を入れて、

そのように振る舞うことは可能だ。たぶん、誰にだってそうだ。

神というのが世界のもの象徴であるのと違って、

天使は明らかに世界の一部のなんらかの象徴だ。

それは美徳であったり、平和であったり、自由であったりする。

から、そういった象徴化された天使たちはときどきやらかして、

人間世界に落とされてしまうこともある。

僕も少しやらかししまって落ち込んだけれど、そもそも、もともと僕は人間なのだ

ときどき、天使として振る舞うことでメシを食う、それだけのことだ。

今は、ほんの少し休んで。

次はもっと高く飛べるように。

確認するために、すこし、手のひらを握る。

肩甲骨に力を溜める。

みんなが信じている、僕の幻翼に。

2016-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20160324134411

その個人の自由の結果が今少子化になって最終的にそのツケを支払うのも個人に収束されるんだけど

しかも支払う個人は産まない自由行使してきた馬鹿どもじゃなくて頑張って産んだ子供たちなんだけど

緊急避妊薬を巡る議論について、殴り書き

一部のラディカルフミニストがピルや緊急避妊薬を蛇蝎のように嫌う背景には、「生殖の為に、女は有害行為を受容させられる」「その過程においてコンドーム装着を受け入れさせることは、男への、女による影なる支配力の行使である」という、「男」へのマウント意識があるのではないかと思う。彼らにとって、生殖は選択不可能な苦行であり、反面、男への影響力を駆使するための手段でもある。そこに、産むことも性を謳歌することも万人に与えられた権利である、という意識はない。

一方、リプロダクティブ・ヘルスライツの整備に反対する保守層は、女性人生に対する主体的な選択を行うことを、「ふしだらである」として忌み嫌うかたちで、その権利を奪おうとする。しかし、性教育の不徹底と、不完全な避妊方法である"コンドーム教"の盲信は、避妊失敗の社会的責任を、男性のみに背負わせる。女を妊娠させたとき、男は責任を取らねばならない。育児出産によって労働の機会を失う女たちを「養う」ことで、男たちは権力を得る。生殖を巡るパワーゲームを維持するという構図において、彼らの利害は一致する。結果として、リプロダクティブ・ヘルツライツ話題のもの忌避する社会が完成する。

プロダクティブ・ヘルツライツを巡る議論においてのみ、本来なら敵同士であるはずの彼らの利害が一致する。この構図は、彼らのプロレスじみた対立が、本質においては「同じ権力構造の内部でマウントを取り合っているに過ぎない」のだ、という事実証明に他ならない。男性のありとあらゆる性の営みを監視し・支配するラディカル・フェミニズムの主張は、結果として、敗戦と高度成長によって闇に追い遣られた「影なる支配者」としての女の復権に等しい。そして、一部のミソジニールーツとする保守主義者は、女性社会進出を嫌う。育児出産が女の手に占有された世界において、女が労働によって金銭自由を得てしまえば、男たちはパワーゲームに勝てない。男の欲望を受け入れ癒し、子孫を増やし育む機械である女と、女によって欲望を充足され、労働し、財を得て、社会を富ませる機械である男。どちらが権力を握るべきか。彼らの諍いは、どこまで行っても、同じ地点に収束する。

日本における家制度は、男尊女卑の見掛けを取りながら、男を肯定し、てのひらで転がし、そして扱き使う「女たち」の、影なる支配によって成り立ってきた。そうして労働力構成員を吸い上げてきたのが、それぞれの時代における「社会」だ。人は社会帰属し、「世間」の強制力空気のように蔓延する。保守的な男女観に固執する限り、彼らは、どこまで行っても、彼ら自身を苦しめる抑圧から逃れ得ない。その事実を、このところネットで頻発する「アンチフェミニズム」の趨勢象徴しているように思う。

リプロダクティブ・ヘルスライツへの問題提起は、女が生殖への主体性を手にするための運動だ。しかし、同時に、男が「自らの意思で」生殖もっと言えば異性との利害を伴った関係性に踏み込んでゆくこ権利を得る活動でもある。二者間の合意によってパートナーシップを構築するとき、男は「働かなければ価値のない生き物」ではない。そして、純粋利害関係に基づくパートナーシップが、男性による労働社会的価値を損なうことはない。出産育児労働を天秤に掛けるとき労働を選択する女性ばかりではないからだ。

一般に、「金のない男」が若い女と恋愛できないのは何故か。女が打算的だから、男に養われ、楽をしようと意図するから、ではない。現在日本社会においては、生殖のものコスト女性側に一任され、経済的負担男性の側に強く圧し掛かる。金のない男はその負担を負うことができない、と判断される。それは合理的帰結に過ぎない。

単独家族を養うに十分な社会的資本を持たない彼らが、現代社会において異性と関係を結ぶためには、ハンデを飛び越えるに足る利害調整力と、自分社会的立場を見極める市場観察力、利害の一致する相手見出し、交渉する主体性と行動力必要となる。しかし、アンチフェミニズム標榜する視点において弱者男性問題が論じられるとき、男女関係における責任問題現実的側面に目が向けられることはほとんどない。

彼らの世界に、「主体的に選択し、行動し、異性関係を構築する」という選択肢存在しない。その選択肢を得た個人は、現代社会においてもはや弱者ではないからだ。保守的男性世界観においては、「男性としての名誉」も、トロフィーとしての女も、世間に従い、勤労し、地位を獲得することによって、主体なき「社会」によって宛がわれる。しかし、社会全体の資本が不足し、そして、かつて公共財であった女が人権を獲得してしまったこの時代トロフィーを得るためには、生まれながらのステイタスと弛まぬ努力、そして大いなる運が必要となる。加えて、トロフィーを獲得しても、幸福になれるとは限らない。双方が主体的選択と責任意識放棄して「規範」によってマウントを取り合う関係性、外的抑圧によって維持された家族関係において、性的抑圧は再生産され続ける。

セックスが「男女の問題」ではなく、「主体的な二者間の問題であるとき生殖に関与する両者は、二人の協力者である

男性側のアクションとしての、コンドーム代表される避妊手段女性側のアクションとしてのピルやIUDの使用リスクヘッジとしての緊急避妊薬の存在性病検査の徹底。生殖に参加する関係性の帰着を見据えた上で適切な手段を選択することで、初めて、両性にとっての「主体的生殖の選択」は可能となる。この状況下においては、「全てのセックスレイプである」という命題否定される。その上で、生殖に前向きな人々が、意思以外の諸要因を理由に断念せざるを得ない状況を減らしてゆくこと、が、理想的な(あくまでも理想的な!)「少子化対策」と呼べる。このことは、シラク三原則が成果を挙げたことによって実証されている。

しかし、この「現実的側面に対して、現実的議論する」こと、そのものが、世間一部の人々には(蛇蝎のごとく!)忌避されている。フェミニストを名乗る、ミサンドリー支配された「女たち」と、家社会部族社会論理に連なる男女関係を信望する保守主義者の人々、女によって自らの居場所財産名誉を奪われたと盲信する「男たち」。インターネットにおける緊急避妊薬を巡る議論への反応から見て取れる。彼らはひとの良心想像力をも支配したがるのと並行して、パートナーシップを構築する二者が対話し、尊重し合うことを志向するというごくごく当たり前の幸福を、社会構成員から取り上げるべきだ、と主張する。生殖主体的選択が一般化したとき、救われるのは"望まぬ妊娠をさせられた女性たち""中絶強制される女性たち"だけではない。男らしさ規範による、自尊心の欠損や経済的搾取に苦しむ男性もまた救われることになるというのに、である

リプロダクティブ・ヘルスライツを巡る議論忌避され、遠ざけられる。問題提起を行えば、「フェミニストからも「保守主義者からも袋叩きにされる。この風潮は、そのまま、日本におけるフェミニズムリベラリズムの歪みの象徴であるように思われるのである

2016-03-23

はてな民には阿呆が多い

http://b.hatena.ne.jp/entry/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160322-00000116-jij-soci

id:toronei 労基署って税務署より本来持ってる権限は上だと聞いたけど、人手不足で全くそ権限使えてないらしいので、やっぱりさあ公務員減らすって国民生活に悪手過ぎねえか?



こういうボンヤリしたブコメに☆がたくさんつくところを見ると、はてな民には阿呆が多いと思わざるをえない。

「~だと聞いた」「~らしい」という伝聞推定の上に成り立つフラフラした主張に、どうしたら同意できるのだ。

さらに、本当に「人手不足だと職権が行使できない」のか、なぜ疑わないのか。行使できない、行使しない他の理由はないだろうか。

少しでも疑問をもてば、「労基署は忙しい」という阿呆のようなコメント安易に☆などつけないはずだ。


労基署って税務署より本来持ってる権限は上

これも正確ではない。労基署員は「特別司法警察職員」として、必要な際に司法警察権行使できるという点で「税務署より上」かもしれないが、

そもそも行政分掌が違う官署なのだから比較してもあまり意味はない。社長脱税してても、労基署には逮捕できないんだから

というか「~だと聞いた」じゃなくて、調べろよ。法庫が難しいなら、Wikipediaでも知恵袋でもいいのに。

2016-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20160318181437

それは交渉権の行使であって、一人で聞いてダメなら複数従業員で迫るのが認められている。

ちなみに、それでもはねのけられたらストライキをしてもいいのだ。

首にされたらそれはそれで裁判が起こる。

ただし、理想現実は落としどころが必要で、会社が潰れたらどうしようもないので、最近役員とバチバチやっているような組合は激減している。

それでも、まあ従業員が黙っていて、役員が横暴こいているなって思うなら、行動だ。

2016-03-15

松本市長選の個人的感想

任期満了に伴う長野県松本市市長選が昨日行われ、現職の菅谷昭氏が4選を果たした。

以下、個人的感想である

初めて選挙権行使するということで、新聞インターネット等で情報収集をそれなりに行った。

その結果、「よくわからん」という感想を抱いた。

そもそも、市政がどのように行われ、どのような権限市長が持って、県や国との関係で何ができるのかがよくわからない。

予算関係も含めて、市長権限で何ができるのか、その限界がわからない。

そのため、候補者の言っていることに実現可能性があるのかよくわからない。

まぁ、どの候補者抽象的な政策若者政治参加とか福祉の充実など)しか言ってないので、差別化できないのだけど。

この辺のことって、みんな知ってるの?知らない俺が馬鹿なだけですかね?

地元新聞も、いろいろと情報提供をしてくれているのだが、候補者選びの役にたったかと言われると何ともいえない。

人柄とか自分出身高校が同じだとかそんな理由で選ぶしかないじゃん。

現職に関しては、市役所職員アンケートでも取ってくれよ。

投票所行くのすげーーーー面倒くさい。

2016-03-14

子供産めないなら寄付しろ?この校長、本当に頭おかしい。

「子を産めない人は寄付を」 「2人以上」発言校長朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160312-00000033-asahi-soci … #Yahooニュース

この問題は個人の選択の自由を「校長」という立場の人がその発言によって侵害している全体主義思想少子化の進んだ社会子供を産み育てることの大切さは認識されるべきだが、それを強調することにより問題の焦点のすり替えが起こっている。

これ、昨日のうちに読みましたよ?あなたポイントはなに?これ読めば、頭おかしいとは思わないだろう、ってこと?全文読んだ時に、このひと頭おかしいとわたしは思いましたけど?

こういうずれてる老人たちがいつまでもリーダーシップ周辺にしがみついてるから実効性ある少子化対策がなかなか進まないのでは?老人にお小遣い、は即決するくせに。 TrinityNYCさんが追加

零除算居士 @zeroDivMonk  子供作れないくらい、生活が困窮してたりするのが普通なのに……結婚相手すら見つからないとか。 https://twitter.com/TrinityNYC/status/708622160600940545

ほら、また、これを「男性vs女性」の問題転嫁しようとする!大ありでしょう、寄付というのは、ひとに言われてやるもんじゃないんだ。 TrinityNYCさんが追加

こっこ@物書き初級 @rufeir  さっきも呟いたけど、男はもちろんみんな寄付しろって言ったなら、問題なかったかも? https://twitter.com/TrinityNYC/status/708622160600940545


何度も言うけど、全文は読みました、こういう全体主義風吹かせる頭おかしいズレてる校長にはさっさと引退していただきたい。


これで3度目になりますが、もう一度(そして、これが最後と思いたいw)言いますね、【わたしは全文を読んでいます!!!】 こういう頭がおかし教育者はさっさと引退しろ、という言葉しか浮かびません。報道?ぜんぜん関係いね

アメリカも、アダムとイブが正しい!進化論なんて教えるもんか!と頑張る教師かいて、ああいうのも迷惑だ。ペンシルバニアのある町では、そういう教師学校相手取り、迷惑だと感じた親たちが訴訟を起こし、裁判つづいて、学校側が負けた事例がありますよ。

4度目。よみましたってば。この校長、あたまおかしいです。

あの校長の一件は、朝日新聞報道の仕方のせいだ、実際の全文読めばそれは誤解だ、という主張をなさる方へ。こちらは(全文よんだら)マジ頭おかしいとさら確信を深めただけですので、もう送ってきてくださらなくても、結構です。

そこなんですよ。今アメリカで起こってることも、同じですよ。トランプ発言のどこに問題あるのか、わからないひとがいる(しか大勢)、そして、後先考えず「好き勝手なことを言う・する」ことと「自由」を混同しているひとも大勢

@TrinityNYC いちいち、Twitterあなた個人的思想傾向を吐き散らさないで頂けますか?老人のヒステリーは極めて醜い。

@ravekamisama @TrinityNYC 校長が全校集会個人的価値観を生徒に向けて話す方がおかしいですよ。Twitterで個人の意見を見かけて気に入らないなら反論すればいいしその気がないなら見ないようにすればいいのでは?

@erisanq 個人的意見と誰が決めたのですか?件の校長潜在的女性蔑視思想を持っているなどと、よく解釈出来るものです。彼はいささか古い言葉で、人を生み育てる大切さを説いただけです。あなた価値観では、人間は母胎でなく、機械か何かで人工的に生み出されたほうがよいのでしょう。

@ravekamisama 人を生み育てる大切さを説くのにキャリアを積むより大切だなどと言う必要はありません。何か別のことと比べる必要などない。何かと比べた時点で、その何かを否定しているんです。だからあの話は個人的意見しかないと思います

@erisanq キャリアって言うのは国があって初めて成り立ってるんですよ...

@sennbei717 キャリアを積みたいならまず国を守れと言いたいのであれば、女性出産育児以外にも必要なことは山程あります男性も一旦キャリアを積むことを諦め、国を立て直すために必要なことのみに全てを費やすべきではないでしょうか?

子どもを2人以上育てることは女性にとってキャリアつんだり大学行くより大事」的発言炎上校長の全校集会挨拶卒業式では「厳しい子育てロボットに解決してもらおう」って話になってたw

http://swa.city-osaka.ed.jp/swas/index.php?id=j702572




もう、うるっさいなあ、わたしの個人攻撃なら要らないってば。あなたたちが何言ってこようが、このツイッターアカウントわたしのものだ。わたは一度たりとも@koshin2783さん、あなたという「個人」を批判したこと、ある?ないでしょ?

この人同様、数日前もこうやってわざわざ@つけて自分から話かけてきて、「うるさいからあっちいってろ」と言ったら「話しかけないでください!」と支離滅裂な女いたけどさw 私は黙らないし、あなたの個人攻撃しませんよ、さようなら

私が個人的思想を言えなくなったら全体主義だよ、わかってる?と聞き返したいが、こういうひとってブロックしてから言い捨てに来るのよねwww ある特定の個人の悪口を言うのはモラル問題だが、賛成か反対の意見は個人のフリーダム範疇だ。

意見が(というより、態度が)気に食わないということで、個人攻撃してくるひとが後を絶たない。でも、@つけて、真正から、ああしてまっすぐ言ってくるだけまだマシで、更に劣化してるのになると陰で個人の悪口言いまくってる。

いちどあんまり目に余るので、「そうやって私という個人の悪口言いまくるの、正直不愉快から、やめてくれますか?」と頼んだら、「俺は俺がいいたいことを言う!」と言われた。こういうひと、自分モラルの低さを「自由」という美しい言葉で包んでるのよね。在特会と同じロジック自由が泣くわ。

ところで、この「言論の自由」だけど、数日前、シカゴトランプ集会が、トランプ支持者とトランプレイシストと呼ぶプロテスターらとの衝突の場と化して、不穏な空気の高まりからバイオレンスに発展しそうになり、中止になったんですよね。トランプはこれを「言論の自由侵害」とした。(続く→

(続き) トランプシカゴでの騒動について、カウンター連中の多くはチンピラで、やつらに自由を奪われたとTwしたのです。(彼の言ってるFirst Amendmentとは合衆国憲法表現の自由が謳われている部分のこと。)(続く)

(続き) 注目はこのツイートの下についてるレスのやりとり。それのキャプチャーが、これ。First Amendmentは【政府が】市民意見表明に圧力かけないことを謳ったもので、トランプ意味を取り違えている、という反論が。(続く)

(続き) それに対し「あなた弁護士なの?違うでしょ?フン」とトランプの支持者らしいひとからジャブきたが、「わたしはFirst Amendmentを専門にしてる法学者です」と答えて、支持者が自爆してるのが結構笑えて多くRTされている。では自由とは何か、を考えるいい機会なんだよね。

それに関連して、こういう記事が出ている。英語だけど良記事なので張っておく。このひとの大統領選挙集会が回を重ねるごとにバイオレントな雰囲気になってゆくのは、リーダー(を目指すもの)本人が、バイオレンス肯定するからだ。

http://thinkprogress.org/politics/2016/03/12/3759418/no-one-is-violating-trump-free-speech/

「First Amendment」に関して目下アメリカもっとも注目されてるのは、むろん、例の、連邦政府アップル社犯罪者アイフォンをアンロックしろ要求している件ですがね。

http://www.sacbee.com/opinion/op-ed/article65253732.html

もちろん、何をどう考えようが、どう表現しようが、そのひとの自由だよ。でも、ある共同体を最も良い状態で保つために必要約束があり、その約束の一部がポリティカル・コレクトネスであったりする。それを「自由」という名の下ぞんざいに扱い続けると、トランプ集会のようなカオスけがまれる。

自由」を行使した結果が、バイオレンスカオスだけ、だなんて、フリーダムが泣くぜ。

2016-03-10

一ページに収まる著作権法

新規著作権法著作物複製権及びその代理権は万人に帰属する。著作物の原版権及び出版権及びその偶像の常習権は、著作物制作に直接関係した個人または組織帰属し、その配分は当事者間の取極による。著作権は、これを総称する。その出版権なき者は、著作物を複製して以てこれを他者販売しまたは伝播させてはならない。これ以外の権利の都合の如何に拘らず、複製権は、これを侵してはならない。複製権代理権は、営利の為にこれを行使してはならない。出版権代理権は、複製権代理権を包摂し、別に定める基準により正当なる対価を支払った万人に帰属する(複製権代理権を行使することができない場合見方を変えて出版権代理権を行使する為のものであって、必ずしも当該行為性質を決定づけるものではない)。出版権は、著作物制作に直接関係した諸氏の死後50年を経て失効する。偶像の常習権は、前記に加えて偶像を発案した個人にも帰属し、その著作物制作に直接関係しまたは偶像を発案した諸氏の死後70年を経て失効する。関係者の死後に失効する権利は、もしその所以となる死が故意の他殺による場合、その失効を20年延期する。権利が失効してのち延期された場合、それ以前の行使はこれを正当とし、別に定める基準によって正当な対価を支払った者にこれを認める。【新規著作権法施行規則】この法律施行前に旧法によって与えられて、承認または否認される権利は、これを侵さず、旧法以て適応する。立法権は、この法律違反する遡及的内容の国際的な条文を認めてはならないし、この法律施行前に締約された者は、これを廃止しなければならない。

Copyright Innovative Act› The Right of Replication of Protected Materials and the Right of Delegation of Replication of Protected Materials belong to every intellectual being. The Right of Manifestation, the Right of Publication and the Right of Exploitation of Icons of Protected Materials belong to those who involved directly in the manifestation of their Material, and the distribution of the rights is subject to the responsible parties' agreement. Copyright is the hypernym of those aforementioned Rights. No one shall replicate Protected Materials and merchandise them, or propagate them, to the third parties, without the Right of Publication. No one shall disrespect the Right of Replication, disregard of any other Rights. No one shall invoke the Right of Delegation of Replication for profit. The Right of Delegation of Publication implies the Right of Delegation of Replication, and belongs to every intellectual being who has paid a fair loyalty according to the standards that must be expressed besides this act. The Right of Publication expires 50 years later of the deaths of all individuals involved directly in the manifestation of the Protected Material. The Right of Exploitation of Icons belongs to each individual planned the icon in addition to each individual directly involved in the manifestation of the Protected Material, and expires 70 years later of the deaths of them all. The expiration of rights shall be suspended for 20 years if and only if the cause of the triggering death was homicide. Every instance of the invoked right before the expiration shall be righteous and granted if and only if a fair loyalty was paid according to the standards that must be expressed besides this act.

Copyright Innovative Act's Rules of Implementation› All rights that were materialized and should be ruled by the acts to be displaced by this act shall stay effective as prior to the implementation of this act. The legislative body shall not ratify any international declaration of responsibilities that contradicts this act and affects the rights retrospectively, and shall obsolete it after the ratification or implementation if any.

Corrections

  • Publication → Publishment
  • the rights → the Rights
  • is the hypernym of those aforementioned Rights → is the collective of those aforementioned Rights
  • disregard of any other Rights → regardless of any other Rights
  • shall be righteous and granted if and only if → shall be righteous, and granted if and only if
  • should be ruled by the acts → should be governed by the acts

この草案が解決する問題

この草案で解決し忘れた問題

2016-03-07

キモオタによるフェミニズム概論

フェミニストからキモオタ死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミ死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。

フェミニズムとは何だろうか。

私はフェミニズム名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミ死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。

しかフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。

そこで手当たり次第に適当にフェミニズム書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズム理解の取っ掛かりになれば幸いである。

フェミニズムとは

フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラルフェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。

ラディカル・フェミニズム

現在のラディフェミ理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズム表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源ポルノであるという揺るぎない確信からポルノ法規制を推進する。

ポルノ性犯罪を誘発するという統計的証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィ性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者告発することも認められない。

ポルノには、ホモレズ二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすゲームマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノである

なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノ諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。

リベラルフェミニズム

J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義ジェンダー家族",1989,*3)であり、「女性男性重要差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。

夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。

このように家庭内賃金労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミ女性社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育重要性を訴える。

なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性創造",1965)が示すように、フェミニズム男性女性権力闘争化することに否定的立場をとる。

マルクス主義フェミニズム

出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統フェミニズムである

女性社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。

日本ではさらにそこに独自思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸君が代シンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。

その他のフェミニズムと補足

レズビアンフェミニズムブラックフェミニズムエコロジカルフェミニズムポストモダンフェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグフェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアルフェミニズムとか。

補足1:クィア理論

同性愛者とフェミニスト関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイレズビアンの視点と、ポスト構造主義理論を、政治的ひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線理論的に張ることが出来るようになった。

補足2:男性差別

リベフェミは広範な男性差別否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別肯定する。ラディフェミ男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性けが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別肯定されるのかもしれない。

フェミニズムが扱う問題

セクハラ家庭内暴力中絶女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタク関係の深い「性の商品化」について取り上げる。

「性の商品化」の法規制

マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。

リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待強姦日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府検閲に利用されると強く批判する。

一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示権利行使であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本フェミニズム6,2009)」とする。

ここから見えてくる点として、女性が「不愉快であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから表現の自由は全く関係のない話である

不愉快」による法規制正統性

リベフェミであるマーサヌスバウム嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニング妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的ポルノ市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳フェミニスト宣言",1997)としてゾーニング効果がないと批判する。

ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。

そのような不快感を根拠とした規制は恣意的運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているかである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである

なお、福島瑞穂非実在児童ポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田見解がマルフェミ共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノ法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定存在する見解であるように思われる。

日本草の根フェミニズム

初期の日本フェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロアマ距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。

こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。

「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。

理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。

これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。

おわりに

このようにフェミニズム一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本フェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニスト愛国心に苦言を呈している)。

最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場上司女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正フェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。

私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。

いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。

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