真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
異端者アピール説が有力だが、今回はちょっと別の切り口で攻めてみよう。
物事には多少の偏りが出るが、それがあまりにもいきすぎるとバランスを保とうとするんだ。
「アナと雪の女王」は覚えているかな(忘れようと思って忘れられるものでもないが)。
私も観にいって「これは素晴らしい作品だ」と当時思ったよ。
その熱を保ったままネットでレビューや、関連動画を渡り歩いた。
そして、それがしばらくすると不安になってくるんだ。
上映から数ヶ月たっても、動画サイトでもレリゴーレリゴー、TVメディアもレリゴーレリゴー。
「もういい」と思ったね。
人は食べ物に限らず、同じことを繰り返せば繰り返すほど嫌悪感が増すからだ。
「コンテンツを消費している」という言い方があるが、その弊害がまさにこの現象だと私は考えている。
「オートバランサー」はその流れを緩やかにするわけだね。
彼らは酷評されまくる駄作に関しても出てくるので、その点で平等だ。
絶賛する人、酷評する人と同じく冷静ではない。
とはいえ、作品というものは評価の対象で、だから賞賛も批判もある。
それらを発する個々の動機だけで是非を語ることにさして意味はないが、汲み取るべき部分があるのならば耳を傾ける価値はあるさ。
まあ、そんな高尚な心構えで常に臨むのは疲れるがね。
君がそれを他者に納得させたいなら、少なくとも「なぜその結論に辿りついたか」くらいは、順序をおって説明できないとダメだね。
どのような高尚な理念で「人それぞれ」、「ケースバイケース」だと言っているのか分からないから。
「YES側」も「NO側」もやっているのだから、君だってそれくらいしなくてはな。
前の質問で私は、絶賛されたり酷評されまくる作品にたいして「それほどでもない」という人間を「オートバランサー」といったのを覚えているかな。
ただ、保たなくてもいいところでまでバランスを行使する人間を、私は「均衡の執行者」と呼んでいる。
そして、彼らは中立的な意見を「YESかNO」より尊いものだと信じているんだ。
だが、両者にとって最も邪魔なのは「YESでもNOでもないのにしゃしゃり出てくる側」だ。
でも、君はその域にすら達していないように見受けられる。
「人それぞれ」、「ケースバイケース」だなんてことは、ほとんどのことにいえるから、誰だっていえる。
大した段階もなしに、その結論にたどり着くのは何も考えていないのと一緒さ。
それを踏まえたうえで、「YESかNOか」議論する意味をもう少し君は考えるべきだな。
学ぶべき教訓はこうだ。
「賢人は必ずしも中立にいるとは限らない」