そういう時って、それを連想させる全てのコンテンツがアウトだと思うので…、個人的にはどっぷり別世界に浸れるファンタジーとか歴史もの(メディアアウトレットは何でもいいと思うけど)がオススメ。今の社会を想像させるドラマみたいな同時代物とかは連想につながりやすいので厳しいと思う
スかしてるからもっと打たれ弱いかと思ってたけど、意外としぶとくて見直してる。
結構いいパンチがクリーンヒットしてる割には、逃げ切りそうでまずいなと思ってる。
ハゲにハゲって言ってもカエルの面になんとやらだし、芸能界とか政界の恩なんてこれっぽっちもありがたがってない冷血漢でもありそうだ。
民主主義政治下でのカネにまつわるインモラルなうわさなんて勲章ぐらいに考えているフシがある。
いろいろ考えてみたんだけど、不祥事で辞任したところで元厚生大臣、元知事という肩書は残るんだよね。
これがもし抹消されることになったとしたら、そのとき初めて舛添要一という一人のタフな男を真の意味で埋葬できるように思うんだがどうなんだろう。
真面目にやることが嫌いで何事もお気楽にほどほどが一番だと思っている、ほんわか女子高生と
真面目が一番で何事も真剣に取り組んでこそ楽しいと思っている、キビキビ女子高生の幼なじみは、
常にキビキビ女子高生が引っ張って行きお世話をする関係だった、
しかし、ほんわか女子高生はある日自分の才能の有る無し関係なく、ただそれに挑戦したい、と思う「何か」を見つけ、途端に努力を始める、
ところが、そこは毎日怠惰な生活を送っていた、ほんわか女子高生がイキナリ変われるわけもなく、キビキビ女子高生に頼ってばかりいた、
ほんわか女子高生に依存してもらえている関係が続く事に、ほっとしてしまうことで、キビキビ女子高生が本当の気持ちに気付いた場合、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
思いわずらうことなく愉しく生きよを読んだ。女って怖い、結婚って地国だ、って思わせる一方で、生きていくことの困難さについて前向きに語っている小説だなって思った。
作家には独特の文体というか呼吸法みたいなのがあって、個人的に江國香織の小説はそれが顕著だと思う。漢字の開き方とか句読点の位置、文章構造とか好き嫌いがはっきり出そうなタイプ。
句読点の位置は好きな方の作家なんだけど、今作は主に序盤から中盤にかけて文章構造で首をひねる箇所があった。同じ台詞を二度三度、会話外の文章で繰り返したり、心理描写を深化させていく雰囲気を醸し出しながらも唐突に周囲の様子に視点が向かったりしてたのが気になった。もちろん二つとも狙っている効果が想像できなくはないのだけれど、流れるように読むことは難しくなるデメリットがあると思う。
内容に関して。一癖も二癖もある姉妹が描かれていて、辟易したり多少なりとも共感したりしながら読み進むことができた。個人的に三女がまだましかなって思う。依存気質じゃないビッチなんだけど、思考回路が一番理解しやすかった。次女はすっごい出来る女なんだけど、こと恋愛関係においては糞としか言いようが無い。熊木さんが本当に気の毒。この二人はどちらも手痛い失恋を経験するわけだけど、どこか清々しいラストになるのが面白いなって思った。長女は一番根はまともなのかもしれないけど、全体的に怖かった。モラハラ家庭って何もかも歪めてしまうのねって感じ。どっちもどっちなんて言葉じゃ片付けられないんだろうけど、結果的に夫婦双方でがっちり噛み合ってしまったモラルハラスメントって外部から精神構造を覗き見ると異常としか思えない状況なんだと思った。次女じゃないけど、心の底から長女と結婚相手の理屈に反吐が出そうになったもの。この作品に描かれているモラハラが全てではないんだろうけどさ。
三姉妹はそれぞれ生き方に信念のようなものを持っているんだけど、それがために生きることが難しくなっているってのが一つのキーワードとして設けられているような気がした。信念を持っていないために過酷な状況下に陥ってしまった人物として雪枝さんが描かれていたようにも読めたんだけど、信念持っていような持っていまいが、簡単にはいかないのが人生なんだって感じさせてくれる。何かしらの生きる指針を外部に求めるか内部に求めるかって話になるんだろうけど、どんなコンパスがどの方角を指していても、海原は荒れることもあるし穏やかなこともあるんだって。だからこそ、『思いわずらうことなく愉しく生きよ』なのかなって思うんだけど、そうするがために振り回される人も周囲にはいるわけで、なかなか上手くいかないもんだなあって読後感を持った。
作中では何とか順調に階段を登っている三女のカップルだけど、姉二人の失敗が表しているようにこれから先どんな未来が待っているかは不明なんだよね。そればかりか、ちょっと用意が周到すぎるような描写もあって不穏な影もちらちらしてる。それでも生きていくのだし、長女の先が見えない結婚生活も、次女の相手に甘えきった恋愛も、いろいろ変化しながら続いていくのだと思う。大変だけど、愉しく生きることができたらいいなあって、それが理想だよなあって思った。
先日セブン-イレブンで悪名高いアイスカフェラテを頼んでから、これはもーいかん。もーいかんよ。
と思って然るべく、じゃあアイスコーヒーにミルクとガムシロ大量に入れたら、これもうカフェラテ?
試してみたら大差なかった。
我々は何と愚かな時代に生きているのだろうか。
本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手や熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けのダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。
個人的にダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しかも学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである。自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったから無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。
嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である。自分の学校は進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校もダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンスの振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチな集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。
また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から足全然上がらないんです。
嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近の学校はどうだか知らないが、自分の学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」である。しかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団と運動神経神経悪い芸人の共演である。テレビだったら死ぬ程面白い絵面だろう。しかし自分は芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。
最後の嫌いな理由は「練習」である。イソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生は時間外練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間は無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強や部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しかも勉強に比べてダンスの技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。
一応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人からは特に脱出出来なかった。
因みに自分の学校は期末試験の終了数時間後に、体育祭のダンスの練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。
しかし学校はダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれるダンスの授業を嫌がっていた。
他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。
数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛の時間にしかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか
自分がダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。
実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体は楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい。
後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しかし普通の人にとっては自分の運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。
ブスは嫌いだ。
カースト上位になりたい。
カースト上位になってかわいい女の子と好きなだけセックスしてかわいい女の子にちんこ舐めてもらって幸せな気分になってカースト下位をあざ笑ってやりたい。
「ああ、お前はカースト下位でクソみたいな人生を送ってかわいそうだな。ごめんな、俺は生まれつきイケメンでコミュ力豊かに生まれてきてしまったから。お前にはできない生活をたのしんでるよ、ばーか。きも。」と心のなかで優越感を感じて生きたい。
かわいい女の子に心から愛されて、なんの劣等感もなく当然の権利のようにかわいい女の子を心から愛したい。
人権という概念は人の心は変えられない。人々の表層を取り繕わせて、疑いの心を育てる。クソ美しい行動の正答をカンニングさせるだけだ。
ときどき、もう誰とも関わりたくないと発作的に感じることがある。会社での最低限の付き合い以外誰とも交流したくないと思う。
学生時代からの友人も趣味の友達も、「ああ、もう二度と合わないのかな」と強く感じて虚無感に襲われる。
特に、自分の連絡に返事がないと居ても立っても居られなくなり。辛い気持ちでいっぱいになり「もう誰とも話さない!」と強く思う。
理性的な自分が、後々のことを考えると関係を切っちゃダメだよと諭してくるので、仕方なく関係を続けているとときどき楽しくなる。