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はてなキーワード: バブル経済とは

2021-03-17

anond:20210317223706

バルブが弾けた』

バブル経済終焉の様子を回顧してた配管施工業のジジイの弁(当時ホントに聴いた)

2021-02-23

anond:20210223014327

流派だってそんなことやってないよ。バブル経済の真っ最中本石町界隈はのほほんとしていたと岡田靖が言ってた。

2021-02-14

日本経済を語れる人が生まれないのは何故か

それらしい横文字を出して何百年前の経済用語知識をひけらかす者や

ネオリベラリズム法人税といった語で語った風の者がいるだけである

誰も現在法律や具体的企業例を挙げてまでは語ろうとしない

安倍の退任時の時にまともにアベノミクス評論できた人物はいただろうか

内閣府が出したデータを示す者ばかりで何故その流れが生まれたのかは誰も知らない

バブル経済しろ給与や世相が語られるばかりでプラザ合意からの流れを具体的に知っている人がいない

西暦何年頃に起こって現在こうなってます解説できる人が生まれないのは何故なのか

経済用語を極力使わず言語化できる才能が求められていると思う

2021-02-07

anond:20210207113609

そんな対比、元増田に対する反論にはまったくなってないと思うよ。

現代少子化対立概念としていきなり戦前の6人とか7人とかの多子家庭を持ち出してくるの、ほんま謎だし。何から何まで条件違いすぎでしょ。

しか高度経済成長期まで長時間労働地獄だとdisっててむちゃくちゃだよ。

あの頃の人々は明るい未来への希望があったからこそそれを地獄とも感じずにやりがいをもって働いていたし、進んで子供を2人3人もうけていたわけよ。実際にそこで生まれ世代ちゃんバブル経済恩恵を受けているでしょ?

2021-01-23

anond:20210123105301

いわゆるバブル経済って、そう言うマージンのふっかけ合いと、払ってやるよの見栄の張り合いでデカくなっていったものだよ

国債証券取引だって存在しない金をやり取りしてるわけだし、その辺で売ってる肉や野菜だって価値を正当に評価した適正価格としての値段がついてるんじゃなくて、中間業者が自社のコスト利益分なんかを上乗せしていった結果があの値段ってだけ

ソフトウェアの開発は思ってるより大変だから思ってるより値段が高いんだよ

2020-12-06

結局、日本ドラマって日本人にしか受けてないってことでしょ?

Spotifyで2020年に海外で最も再生された日本の楽曲10曲のうち、8曲がアニメのOP

アニメが上位に来るのは外人も「アニメは見てる」ってことを意味してる。

同時に、「ドラマは見てない」ってことだよね。

日本人は洋ドラ見てるけど、外人日本ドラマ海外ドラマとして全く興味ないってわけ。

そりゃそうだよね。

俳優ネタばっかだし、最近受けてるのは「バブル時代は~」「日本はすごかった~」「最近の若者~」ばっかで日本に住んでなきゃ微塵も面白くない。

そもそも単純な話として日本の実写ってアキラクロサワ以外は海外じゃ全く評価されてないから。

オサム・テヅカ、カツヒロ・オオトモ、ハヤオ・ミヤザキとアニメ映画に関しては海外めっちゃ評価されてる。

漫画だってワンピースナルト海外でもめっちゃ売れてる。

実写は全くそレベルに達してない。

でもそりゃそうだよね。

バブル経済期の日本にいたパワハラ野郎土下座強要倍返ししたらあ」とかそんなん言われて盛り上がるの日本オッサンだけじゃん。

サウスパークシンプソンズ日本人が「は?ちょっと今のついてけんかったわ」ってなるシーンだけでドラマの全パート構成した究極の身内ネタよね。

つまる所、日本製の実写は日本人向けの蛸壺の中でしか生きられない訳よ。

そしてその実写文化日本テレビ文化寄生した日本しか受けない番組群と、アニメマンガっていう海外でも生息できるクールジャパン群があるわけ。

その差が如実に出たよね。

別に悪いとは言ってないよ。

実写で海外と真っ向勝負なんてしても、胴長短足日本人が主役で予算もろくについてないんだから返り討ちにあうだけ。

から細々と日本人向けの日本しか受けない作品を作ることで同じ物差しの上に並べられることを回避します。

それは商売として立派な戦術からね。

でもそこに自覚的にはなるべきだと思うわ。

所詮今の日本の実写は、蛸壺の中で暮らす惨めな日陰者でしかないって世界から認識されてるって事実に向き合おう

2020-07-27

anond:20200727115301

高度成長期っていうのは昭和30年から40年代くらいまでで、

バブル経済っていうのは実質として成長してないのに評価額けが膨らんでた時代だぞ。

みんなイケイケで、集団クスリでもやってたんかくらいの勢いで浮かれてたけど

普通に働いてたらなんかしらんけど給料増えてラッキーみたいな感じで

べつに優秀だったわけじゃないよ。

2020-02-18

出張先でデリヘル呼んだ話

「旅の恥はかき捨て」とは言うが、出張先でデリヘルを呼ぶときは、解放感と寂しさが同居する言うなれば旅情ともいうべき感情を覚えることがある。

その当時、私は首都圏の零細編プロに勤めるしがないライターだった。出張先が能登半島と決まった時には、久しぶりの遠征に心躍る反面、アクセスの悪さにやや辟易したことを覚えている。何を隠そう、その当時、私は素人童貞であった。肩書き解説は他の文献に譲るとして、端的に言えば、ごくありふれた、さえない彼女なしの三十路前の男であった。

無事現地でクライアントと合流後、取材自体は滞りなく進んだ。関係者と軽い打ち上げをした後、事前に予約してもらっていた七尾市ホテルに泊まることとになった。七尾市和倉温泉という高級温泉街を有し、バブル経済華やかなりし頃は北陸有数の歓楽地であったそうだが、少なくとも駅前景色からはその面影は全く感じられなかった。

ホテル備えつけの温泉に浸かった後、外気にあたりたくなり外へ出る。能登地酒と熱い湯にあてられ、火照った身体に冬の外気が心地よい。時間はちょうど0時を回ったところ。ポケット煙草を取り出そうとしたところで、ふと、デリヘルを呼んでみようかと思い立った。

旅先の開放感と、久々の出張先で仕事を全うしたことへの安堵感がそうさせたのか。気づけば私はgoogleではじめにヒットしたお店に電話をかけていた。

すぐにボーイと思しき男性電話口に出た。七尾市ホテルにいることを伝えると、10分ほどでやってくるという。慌てて財布を取り出すと、諭吉がたったの一枚寂しそうにこちらを見ている。速やかに嬢の派遣を依頼すると同時に、最寄りのコンビニまで走る。現金調達して帰ってくると、ホテルの前には既に一台の黒いセダンが停まっていた。

近づいていくと、「〇〇さんですか?」と声をかけられ、車の中から二十代と思しき可愛らしい女性が現れた。彼女は、自分のことを『春華』と名乗った。連れ立って足早にホテルに入る。クライアント鉢合わせしたら最悪首が飛ぶなーと考えつつ、フロント男の若干の視線を感じながらそそくさとエレベーターに乗りこんだ。

無事に何事もなく部屋へ入って安堵する。春華が時間確認タイマーをセットする。素人童貞とは言え、私はどんな時にも紳士さを忘れない男だ。ホテルの一室で、互いに知らない者同士が邂逅するとき特有の気まずさのなか、精一杯何かしてあげようと彼女コートをかけようとしたが無難に断られる。間を持て余した私は、無意味自分荷物を移動したりバッグの中身を整頓したりした。そんなことをしている間に春華は速やかに全裸になりユニットバスへと消えていった。

程なくして「どうぞ~」という声が聞こえ、そこではじめて、私は思い出したように全裸になり、ユニットバスの扉を開けると、そこには全裸の春華がいた。

バスの中で体を洗ってもらう。特に、愚息の洗い方は丁寧だった。年齢を聞くと「二十歳です。」短く答える。実際には22,3だろうと思ったが、それ以上の詮索をしないのが紳士たるもの

さて、ベッドに身体を仰向けによこたえ、非常にスムースな流れで、春華は私の愚息を口に含んだ。極めてスタンダードフェラチオである。愚息がぬらぬらとしたあたたかものに包まれ、大変に心地が良い。ただ、少々打ち上げで飲みすぎてしまったようだ。それなりの硬度には至るものの、一向に射精する前兆・気配がない。春華も焦りを感じはじめたのか、次第にストロークが大きくなり、それに伴い彼女の歯が軽く当たるようになったことで、愚息はいっそう前立腺門番を奥へと押しやってしまうのであった。

体勢に限界を感じた私は、体を横に倒し、極めて紳士的な態度で自分の手のひらに春華の頭をのせてやった。そうすることで、彼女がよりリラックスした体勢で愛撫に集中することができ、私も腰を動かすことで刺激をコントロールできる、一石二鳥の策略である。これで多少はマシになったものの、射精神様はまだ一向に降りてくる気配がない。

すでに彼女が口淫をはじめてから体感でおおよそ15分が経とうとしていた。それが意味することをデリヘル経験の諸兄姉にもわかりやす説明するのも紳士たる者の務めである。今回のプレイ時間契約上60分間の予定だが、実際のプレイ時間はその半分がせいぜいといったところ。タイマーは部屋に入った瞬間からスタートし、そこから互いの身を清め、ベッドインするのにおよそ15分、終了15分前にはタイマーが鳴り延長の是非を判断するので、実際のプレイ時間は30分にも満たないことも多い。したがって、その時点ですでにプレイ時間の半分が経過しようとしてた。

このまま続けてもらって射精できる可能性は低い。おそらくはやってできないことはないのだが、万が一逝けなかったときに、嬢の自尊心を著しく棄損してしまったり、自分の心に黒部の峡谷ばりに深いわだかまりを残すことになる。そんな未来絶対に避けたかった。

果たして私はそれを打破するイデアを持っていた。そして恥甲斐もなく、それを言葉にする軽薄さをも持ち合わせていたのだった。

「あの、、ちなみに、お金積んだら挿れさせてくれるとかってあります?」

彼女は即答した。

ゴムありなら一万でいいですよー」

「あ、それじゃ、お願いしまーす」

かくして私は令和はじめのセックス七尾デリヘル嬢と修めることとなったのである。なぜ私がコンドームを持参していたのかという点についてここでは触れないが、プレイの内容自体は、とりたてて特筆すべきことはなかったということを書き添えておく。

正常位で射精にいたり、そのままゆっくりと倒れ込む。いくばくかの満足感と虚脱感に身を委ねたのも束の間、終了のアラームが鋭く鳴り響いた。

「すごいタイミングですね。」と笑いながらユニットバスへ導かれ、再び火照った身体と愚息を丹念に洗ってもらう。ふと、春華の首元に光るネックレスが目に入った。無事に時間内に射精に至った達成感と、形だけとはいえ、挿入事後の妙な連帯感も手伝い、バスの中で少し雑談をした。以前は新宿ソープランドで働いていたこと。昨日に初めて七尾で出勤したが指名が一件も入らず店のボーイにめっちゃ謝られたこと。

そこで私には不覚にも、邪な思いが芽生えたのだった。それはすなわち、春華が七尾にきて初めてセックスした相手が私だったのはないかと。

恥を忍んで聞いてみた。

もしかして七尾にきてから初めてのセックスだったりします?」

彼女は少し言い淀み、それからしかしハッキリと

「いや、はじめてではないですね。」

と言った。

なんと。ということは本日すでに同様のケースが少なくとも1回はあったということか。内心動揺を隠せず、「そっか~。そうだよね〜」といった感じのとりあえずのリアクションを返しながら、どう繕ったものかと必死に思案していたところ、彼女は少しの沈黙の後、くしゃっと表情を崩して、こう言った。

「私、素直だから言っちゃうんですよねー。お店の人には、必ずそういう時は”はじめて”って答えた方がお客様は喜ぶからって言われてるのに。風俗嬢向いてないんだわー」

そのあけすけな笑顔に一瞬で引き込まれ、あまりの可笑しさに思わず、私はユニットバスはおろか部屋の外まで響き渡ろうかという声で大笑いしてしまった。彼女も「そんなに笑うことありますかー!?」と気恥ずかしそうに笑ってくれた。その時たしかに、彼女はどこにでもいる二十歳前後女の子の顔に戻っていた。

それからいろんな話をした。家族のこと、5人兄弟の長女であること。首のネックレスは二十歳の誕生日に弟からプレゼントされたものであること。以前は飲食店で働いていたこと。好きな音楽のこと。

彼女back numberが好きと言ったので、Spotify人気順再生した。まったく聞かない流行りの曲も、嘘をついて一緒に聞いて、いいねと言って笑った。

2回目の終了アラームが鳴り、春華を外まで送る。送迎の車がきていることを確認し、手を振った。

・・・

30になった今も素人童貞肩書きは消えないが、確かにあの瞬間彼女はどこにでもいる二十歳の女の子だったし、いち素人女性と一緒に体を洗い、身体を拭き合い、家族の話や好きな音楽の話をして一緒に笑った経験は、確かな現実のものとして記憶に刻まれている。

朝の日差しに浮き上がる能登島と、どこか瀬戸内海を思わせる穏やかな七尾湾の景色と共に。

2019-07-07

消費税増税に対する若輩者の意見

消費税が8%から10%へと増税されることについて様々な意見が飛び交っている。

その流れに乗じて、消費税率3%から5%への過渡期に生まれ20歳そこそこの若輩者の私が、消費税に対して日頃から思っていた意見をぶちまけたい。

消費税の導入が遅すぎる

まずはこれ。今行われている議論は、果たして本当に「2019年の今」行う必要があったのか?

そもそも消費税は、1953年フランスで考案されたものだという。フランスではそれ以前にも支払税や売上税という形で消費税類似した制度存在しており、1960年代から70年代にかけて、当時のEC(EU前身)諸国を中心に消費税制度の導入が進んでいった。

一方の日本ではどうだったのか。1989年竹下登内閣消費税法が施行されたものの、それに対する反発もあって首相が年内に辞任したことは広く知られているのではないだろうか。当時はこの世に生を授かっていなかった私も、教科書的な知識としては把握していた。

だが、それ以前の消費税導入の動向についてはほとんど知らなかった。せっかくなので調べてみると、1979年大平正芳内閣1987年中曽根康弘内閣で導入が検討されたものの、大きな反発に遭い断念したという。

これを知って、正直色々と落胆した。西側ヨーロッパ各国で消費税が導入されたのが1970年代から70年代末に日本でも消費税導入に関する具体的な議論が進められたのは良い按配だったのではないだろうか。しか国民の強い反対に遭い頓挫する。当時は生まれてさえもいない若輩者が、40年も前の日本社会を後出しじゃんけん批判したところでどうしようもないが、何故こんなことになってしまったのか。

法案を押し切れなかった与党自民党に対しても失望するし、目先の利益を優先して財政赤字という課題解決先延ばしにした有権者にも呆れてしまう。

もっと早い段階から消費税を導入していれば、80年代後半のバブル経済と重なって税収を得られたのにと思ってしまう。将来の経済動向や最善手について分からない当時の日本人を、当時生まれてすらいなかった人間が今更批判したところで仕方がないのは十分自覚しているが……。

税率の上昇幅が緩やかすぎる

1989年4月消費税率3%→

1997年4月に5%→

2014年4月に8%→

2019年10月に10%

20年かけてやっと10%、実に牛歩

正直もっと短い期間で税率を引き上げていくことが出来たのではないか。それが無理だったとしても、1970年代消費税を導入していれば、2019年よりも前に税率10%になっていたのではないか

この上昇傾向が今後も直線的に続くとすれば、現在EU諸国一般的消費税である20%に到達するのは2040年頃。その頃の日本果たしてどうなっているのだろうか。

軽減税率について

世間的に一番合意を得られていないのが、新聞定期購読にかかる軽減税率だろう。

これに対する日本新聞協会の言い分はこうだ。

Q:なぜ新聞軽減税率必要なのか?

A:ニュース知識を得るための負担を減らすためだ。新聞界は購読料金に対して軽減税率を求めている。読者の負担を軽くすることは、活字文化の維持、普及にとって不可欠だと考えている。

なぜ新聞に軽減税率が必要なのですか?|聞いてください!新聞への消費税軽減税率適用のこと|日本新聞協会より引用

なるほど、一見もっともらしい。

20%台の消費税率を導入しているEU諸国でも、新聞10%以下の軽減税率であることが多い。だが、この条件に当てはまるのは何も新聞だけではない。書籍雑誌日本であればNHK受信料についても同様のことが言えるだろう。事実、多くのEU諸国では書籍雑誌にも軽減税率が導入されている。

何故この理屈新聞定期購読しか成立しないのか、その説明は足りていないのではないだろうか。その責任は当然政府にもあるし、外食コンビニのイートインの税率については紙面に盛んに載せるもの自身軽減税率のことになると都合の良い態度を貫く新聞業界にもある。

消費税について時間をかけて議論している割には、軽減税率に関する議論はあまりにもお粗末であるように思える。生活に最も直結する食料品軽減税率を受ける一方で、水道代や電気代、医薬品など他の生活必需品は適用であることの理由いまいち見えてこない。そんな状況で新聞定期購読だけ軽減税率が導入されるのだから違和感は尚更だろう。

軽減税率への個人的意見としては、10%まではあらゆる品目で一律に引き上げてしまっても良いのではないかと思っている。フランスドイツでは食料品医薬品などの生活に直結する品目、教育不動産などの分野で税率が10%以下に抑えられていたり非課税であったりすることを鑑みると、かなり乱暴意見であるのは重々承知しているが、今の不完全な状態で下手に軽減税率を導入するよりはマシではないか。現状では、客が商品を店内で食べるか持ち帰るかでレジ処理を変えないといけないコンビニファーストフード店負担がいたずらに大きくなるだけだろう。勿論、消費税増税先延ばしにして議論を深めてから導入するという選択肢もあるが、消費税増税先延ばしにしてきた今までの日本社会の動向をふまえると、増税自体がうやむやになるという懸念が拭えない。

税率が10%に引き上げられた後も、軽減税率適用する品目や分野に関する議論は続けていくべきで、場合によっては8%以下の税率や非課税という選択肢視野に入れて検討していくべきだろう。

結論

消費税増税に関しては今後の日本社会のことを考えると当然とは言わないまでも妥当ではある、と個人的には思っている。だが、今から数十年前の政治家有権者にはもっと消費税について真剣に考えてもらいたかったし、導入した後の税率の引き上げ方や議論については稚拙な部分がたくさんあるし、軽減税率はその最たる例である恨み節も言いたくなってしまう。

消費税増税については、今後の日本社会を築き上げていくのは若い自分であるという当事者意識を持つ大きなきっかけになったと好意的に捉えておこう。

2019-06-11

anond:20190610192136

年金ってのは始まるときアンケートとったんだよ「老後いくらあったら生活できますか?っ」て

そのときに「月5万」って答えが多数だったの、これまじの話。

それが東京オリンピックよりちょっと前の話、ちょうど大河ドラマやってるね、俺はみてないけど。

物価が違う頃とはいえ、さすがに無理じゃねえの?お前らちょっとかっこつけて回答してね??

とは思うんだが、まあ1961年頃は老後に必要な月額って5万円だったんだよね。

で、始まってから10年少したった、昭和48年夫婦5万円年金が実現して、やったー!俺がんばったよーって政府がほざいたのが高度成長期末期頃、もちろん俺の生まれる前の話。

それから5万じゃ足りないね、なんで?って問題が出たので、物価経済スライドってのが出来上がる。

が、まあそんなんじゃ全然社会情勢にはついていけてないんだよね。

日本少子化ニュースになって長いけど、実は少子化自体1980年代からわかっていて

この時点で 人口を維持できる 出生率2.08を割り込んでいるんだ。

まり賦課方式による年金の維持はできない」という事は1980年代から政府にはわかっていた。

なので基本となる5万円っていう数字をあげたくてもあげれない状態になったんだよね、むしろ下げたい。

とはいえまだ人口ボーナスの時代で、東京都では悪名高い美濃部都政が、老人医療無料化なんてぶちかましている頃でな

中枢たる政府お気楽日本気質を発揮して、出生率もあがるっしょwwwみたいなグラフ政府は毎年出すんだけど毎年あがらない

今度はそうこうしているうちに1985年円高不況から始まる、内需拡大政策が当たってしま

バブル経済が始まり日本物価上昇がはじまって

よしよし、子供が減ってもこの金額維持できるななんとかいけるじゃん?って思うんだな。

ところがどっこい、当然バブルははじけるわけだね。

めんどくさくなってきたので、ここらへんで残りの話は省略するけど

なんで今月 6万ちょっとしか国民年金がないのか?

ってのはね、はじまったとき目標値が 5万円だったのを、これでも経済スライドとか物価スライドとか見直しでひきあげて

やっと今の数字にあげてあるんだよ。

っていうそんな話でした。

2019-05-08

バブルってバブルが弾けてはじめてあれはバブル経済だったってわかるけど

当時はじける前は何経済って言ってたの?

2019-04-21

anond:20190421181421

事実やん。否定できる要素は?

貴殿は世の「結婚しない子供産まない女性」全員に

たとえば上野千鶴子を愛読していたり

フェミニズム共感しているかいたことありますか?

世の「結婚しない子供産まない女性」の圧倒的大多数は高学歴ではなく

フェミニズム? 何それ?」としか思ってませんよ

少子化非婚化は産業構造の変化が最大の要因です

第三次産業中心社会になるのと反比例して出生率は低下してきました

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5240.html

http://osan-kojo.com/osan/image/osannodata02_01.gif

昔は農家個人商店なんかの「家業」だったか

単純に「働き手」として子供が多く必要だったし、職住一帯で育児仕事が両立できた

ところが社会高学歴化が進んでサラリーマン世帯が大多数になると

その必要はなくなり、高学歴化のため子供教育コストが高騰して一人っ子が増えた

これ、左翼フェミズムと一切関係なく、先進国も今の途上国もみんな通ってきた道

特殊合計出生率過去最低の1.57を記録した1989年なんかバブル経済絶頂

で、この第三次産業中心社会化を推し進めたのは、自民党政権下の高度経済成長

この間、左翼フェミニズム本を愛読したゆえに結婚しない子供を産まないという

選択をした女性なんて、大卒女性のなかで多めに見積もっても5%もいませんよ

女性人口で大多数の高卒未満が本気で左翼フェミニズムの本を愛読するとでも)

試しに渋谷原宿路上で、「結婚相手は最低でも年収XXXX万円以上」

とか言ってる女子1000人に「上野千鶴子を愛読してますか?」と聞いてみなさい

990人以上、きっと上野名前さえ知らないよ

まり少子化非婚化は世の中全体が高度成長以前よりは豊かに底上げされたか

仮にフェミニズムだの戦後個人主義の影響が何パーセントあったとしても

それもまた高度成長以降の社会全体の富裕化の結果

実際、農業中心の後進国はいまだに子だくさんで

フェミニズム思想だけあっても現実にはちっとも広まらない

貴殿日本が今のバングラデシュみたいに戻るのが理想ですか?

日本以外の先進国新興国でも今や「豊かさ」と「非婚少子化」はトレードオフなんです

2018-11-19

anond:20181119202832

俺の時代別に結婚するのが当たり前でなかったぞ?

少なくともバブル経済と呼ばれた辺りから結婚するのが当たり前という風潮はそんなに無かった

女が経済的独立できるようになってきていたというのもあるし、戦後すぐのように結婚してたほうが生活が楽だったということもなくなっていたからな

俺の親世代では生活するために結婚したというおばちゃんは珍しくなかったがな

俺の時代恋愛至上主義的な空気感はあったが、結婚至上主義的な空気感はなかった。それがバブル期だな

若者と話してると当時の実体若者認識乖離していることは結構あるが、結婚関連は特にその傾向が強いな

あぁでも古い世代親族を説得しやすいから以前から知り合っていたけどお見合いの体で結婚への道を作ったというカップルは珍しくなかったな。今はそういうカップル居ないよな

2018-08-24

若者「金がねえんだよ」 に違和感

こいつらバブル経済とか経験してないか

まれから特に下がってるとかいうわけじゃないのに「金が無い」っていう感覚おかしくね?

 

単純に脳内デフレってるだけじゃねーの

2018-07-30

祝・韓国経済の失速決定

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180717-00053572-jbpressz-kr

これは嫌韓でも何でもなく、日本アメリカがこの30年間の間に経験してきたことを、韓国が後追いで自分から地獄に入ってきたということ。

文在寅政権は、「2020年最低賃金1万ウォン」を公約に掲げて大統領選挙に受かって当選したが、その公約を実行しようとしている。

から約30年前のバブル経済の時期の日本を思い返してみたい。

ジャパンアズナンバーワン」などと世界からもてはやされていた日本経済だけど、それは日本労働者低賃金によって支えられてきたことは、今では誰でも知っているよね。

当時のアメリカ欧州では賃金の引き上げが行われていて、欧米製造業は、低賃金日本製造業価格競争で負けてしまい次々と徹底していった。

バブル崩壊後に日本製造業賃金の引き上げを始めて、韓国中国の安い製品に勝てなくなってしまったのが2000年~2010年代日本製造業の没落の本質だった。

そして2018年の今、日本製造業を潰した韓国最低賃金を引き上げる段階に入っている。

これで韓国製造業も終わった。

今までの日本と同じように、韓国も失われた20年が始まる。

2018-07-28

GBTも認知されるのが30年遅かった

こんなこと言っても仕方が無いけど、なぜ2010年代の中盤期になってLGBTの人達人権待遇問題クローズアップされているんだろう。

今の日本経済文字通り縮小していて、GDPも税収も先細りになっていく段階に入っている。

そんな状況において、LGBTに限らずあらゆる弱者人達に対する経済的な支援なんて難しいに決まっているだろう。

GBTに限らず、健常者でさえ生活保護の減額のように、社会保障リソースは年々減っていくのだ。

結果論だけど、LGBTにしろADHDしろ、あらゆる少数弱者しろ、今のような経済が縮小している時期に声を上げたとしても無視されることになると思う。

30年前のバブル経済の時期にLGBTの問題クローズアップされていれば、また違っていたのではないか

当時は金が余りまくっていて、行政も金の使い道が無いか無駄施設道路ばかり作るはめになっていた。

もしバブル時にLGBTやADHD存在が明るみになっていれば、余った金でその人たちを救うことが出来たのに。

GBTの人達バブルの時期から声を上げ続けていたのかもしれないが、まあ間が悪かったよね。

2018-07-25

今まで一億総中流自体が実現したことが無い

1990年代前半のバブル崩壊によって日本は長期に渡って経済が停滞し続けている。

その間の期間は失われた20年とも、30年とも呼ばれていて、日本では中流ボリュームゾーン消失し、日本経済のものが縮小し続けていることになっている。

今の若者たちは皆、経済力が無いので結婚して子供を作ることができず、人口再生自体が危ぶまれている。

しかし、今までの約70年間の戦後歴史の中で、本当に一億総中流が実現したことがあったのだろうか。

1980年代バブル経済期にしても、国全体のGDPは増えているけど、実質的経済成長率はそれほど高くはなかったし、国民1人1人の所得も増えていない。

その証拠に、バブル期非婚化や少子化は進んでいたではないか

現在(2018年)の日本人の大半は、1980年代前半の時期の日本人の豊かさと大して変わっていないのではないか

格差社会化と言っても、高度経済成長期の時代から経済格差は存在していて、最近になって現れた問題ではない。

多くの日本人は昔からずっと下流のままであり、一億総中流中流世代消失自体最初から存在していなかったと思う。

2018-05-30

朝日新聞真人 経済成長永遠なのか 「この200年、むしろ例外

2017年1月4日 [脱成長論][成熟社会][定常社会]

 いつしか経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。

 アベノミクス大黒柱である日本銀行異次元緩和はお札をどんどん刷って国債買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度人生設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府財政出動を繰り返してきた結果が世界一借金大国である

 そこで疑問が浮かぶゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。

 その間、日本ミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。

 若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。

 スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能機能となると、25年前ならSF映画世界の話だった。

 ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。

 そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクス思想である

 人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。

 実は、いまのような経済成長歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。

GDP、語られぬ限界

 昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁内閣府日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。

 きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。

 数字ひとつ財政金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。

 世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代英国米国大恐慌対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDPダイアン・コイル

 一般的には1760年代英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代世界の成長を人口歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。

 その理由投資理論家で歴史研究家のウィリアムバーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度資本市場が整い、迅速で効率的通信輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデア評価する文化制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。

■もとは冷戦期の産物

 社会思想家の佐伯啓思京都大名教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」

 冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。

 1970年代初頭、世界科学者経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書成長の限界』は、経済成長謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。

 いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。

 佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。

■低成長容認社会に変化の兆し

 紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国イングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正中央銀行進化した。

 つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。

 いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。

 サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。

 日米欧の中央銀行はまるで自分存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。

 「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。

 中央銀行政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事からだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。

 経済史の泰斗である猪木武徳大阪大名教授は、成長を謳歌たこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのもの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 主要国の成長戦略金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。

 19世紀の経済思想ジョン・スチュアート・ミルゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。

 むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。

 四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。

 博報堂生活総合研究所定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さら身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。

 同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。

 いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人

元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

2018-05-21

歌に見る高度成長期経済停滞期の格差

数日前に亡くなった西城秀樹の「ヤングマン」の歌を久しぶりに聞いてみた。

「さあ立ち上がれよ

今翔びだそうぜ

もう悩む事はないんだから

ほら見えるだろう

君の行く先に

楽しめる事があるんだから

この曲がリリースされたのは1979年のことである高度経済成長も一段落して、石油ショックアクシデントから省エネ経済への転換期の日本

この10年後に発生するバブル経済に向けて、国民全体が更なるギアチェンジをふかそうとしている元気のある日本の姿がよく現れていると思う。

経済も、文化の発展・成熟右肩上がり時代であり、誰も後ろ側を振り向いていることは無かったのではないか

そして、バブル崩壊後の1996年にリリースされた近藤真彦ミッドナイト・シャッフル歌詞を読んでほしい

マイナーかもしれないが、この曲こそ低成長時代象徴していると思うので例にしています

「強そうに生きてゆくよりも

本当に強くなるために

屋上すみっこで傷ついた

その羽を震わせて見上げてる

冷たい夜空を」

バブル崩壊と低成長時代への突入という事態に対して、自信を無くしつつある日本人の心情をよく表現していると思う。

そもそもバブル自体が、日本人が世界第二位経済大国になったという幻想だったのではないか

この歌がリリースされて約20年経過したが、今の日本は当時よりも更に悪くなっている。

経済の縮小、人口の減少、過疎化高齢化東京一極集中格差の拡大などの課題先進国日本はこれからどこへ向かうのだろうか。

2018-05-11

anond:20180510235719

残念ながら高度経済成長バブル経済混同するのはゆとりあるある

なお残念なことにそれ以外の世代でもしばしば見られる

2018-01-29

仮想通貨ってもう終わりなのかな?

やったぜ☆

くだらないバブル経済回すのに電力やマンパワーが使われるのも遂に終わりか。

これでようやくGPUがまともに買えるようになるよ。

しか仮想通貨は結局誰も幸せにしなかったなあ。

仮想通貨が無ければその分の演算力は医療系のボランティアに使われていた事を考えると人類の足を引っ張るだけの面白ガジェットしかなかったよ本当。

まあウーパールーパーとかナタデココみたいなもんかねえ。

やれやれバブルってのはこれだから

結局のところ演出の糞長いパチンコしかないのにどうして皆こんな遊びに熱中してしまうのかねえ

2017-12-16

anond:20171216165500

ただし、バブル経済永久に続くとかありえないから。当時は当時で異常。だいたい当時すでに「バブル」と言ってたんだから、いつかははじけるのが前提とみんなわかってた。

バブル絶頂期の1989年には合計特殊出生率過去最低になり、将来の少子化もわかってた(景気がよくても、都市化が進めば少子化するのは先進国新興国みんな共通現象

本当は、バブル自体が起きず、1980年代前半の景気がゆるゆる続いてるぐらいが理想だったんじゃないか

2017-10-13

バブルってみんなどういう意味で使ってるの???

久米宏が「バブル当時は「金余り現象」って呼んでいた」といってたんだけど

バブル経済」って「はじけた」から名付けられた言葉で「儚いもの」が本来意味でない?

日本語では「泡」「泡沫」「うたかた」になると思うんだけど、

つの間にか好景気意味で使ってるような気がするが、そういう解釈は間違いなのかな??

バブル経験したいまだから、同時代的に好景気に沸いていることを「バブル」と呼ぶことに異論があるわけではないんだが、

どうもポジティブ意味しか聞こえない

辞書を引いてみたけど、どれも実態乖離しているさま、としか書いてない

辞書現実に追いつけないことも分かってはいるんだが、泡沫やうたかたという訳語イメージが結びつかない

金儲けといえば人聞きは悪いが、ビジネスといえばいいみたいな感じがする

2017-03-09

バブル冷戦、そしてネコ

バブル芸人

 バブル芸人とやらが人気である。80年生まれの私は、当時のことを懐かしむ思いを感じつつも、微妙な気分で眺めている。何故?バブル経済は悪だったかである。続く「失われた20年」生み出した元凶。(ちなみに「失われた20年」は英語で”lost two decade”であり、「負けた」という意味もある。)彼女なんかはあの時代を茶化してやってるんだろうからいい。でも、ここのところ、なんか素晴らしい時代だったかのような受け取られ方をされてる雰囲気を感じてしまって、イヤなのだ

 そんな雰囲気を感じてるんだろう、金融関連ではバブル史本の出版ラッシュである。どうせ当時の銀行員か何かが自己正当化文言を並べてて、こんなことが今後あってはならない、みたいなまとめられ方をしてるんだろう。読んでないから分からないけど。

 バブル経済後遺症が長引いた原因は、バブル崩壊当時、窮地に立たされた銀行を国が救ってしまったことにある。バブル期に後先考えず融資した金が焦げ付き、国全体の金の流れを止めた。いわゆる不良債権問題である。あの時、銀行をじゃんじゃん潰してしまって、焼け野原からスタートした方が良かった。20年を失ってしまったあとでは、そう思える。ちなみに私が大学卒業したのが2003年就職率がワーストを記録した年であるバブル崩壊から10年以上過ぎた当時ですら、不良債権問題はくすぶっていた。

冷戦キッズ

 今となってはバブル期という一面的な捉え方しかされないが、私が幼少の頃を過ごした80年代は、冷戦時代でもあった。幼心に最初に覚えている政治家は、中曽根レーガン、そしてゴルバチョフだ。まだ、ロシアソ連と呼ばれていた時代スポーツ国際大会なんかでは「西ドイツ代表が良く出てたのを思い出す。なんてったって核兵器の量がハンパじゃない。その当時は40何億人くらいだったと思うけど、全人類を殺しても余るくらいの核兵器があった。いわゆるオーバーキルというやつ。

 その頃、こういった状況を反映して、人類滅亡後の世界を描くようなマンガ映画が作られていた。私がいちばん思い出すのは、「北斗の拳」と「ターミネーター」だ。「ターミネーター」の方は、スカイネットというコンピューター暴走して世界を壊滅させてしまうって設定だったと思うが、今、キューバ危機なんかのことも合わせて考えてると、もの凄くリアルだ。ちょっとしたボタンの掛け違いで、全面核戦争突入してしま危険性があったのだ。

 「北斗の拳」の方は表面的には、格闘技マンガで、私もそのように楽しんでいた部分もある。しかし設定が怖かった。なんといっても「199X年」である現実に起こりうる未来世界が滅亡してしまうかもしれない未来。今となっては笑いものではあるが、こんな設定が、時代の中でリアリティーを持ったのである。そして幼い私は、そんな小さな恐怖を受け取ってしまったのである

90年代に起こったこと

 80年代から90年代にかけて、バブル経済崩壊、またソ連崩壊して冷戦終結した。この2つの重大な出来事が同時期に起きてしまったことが、日本人にとっては不幸なことだったと思う。冷戦が終わり全面核戦争危機は去ったにも関わらず、経済的な壊滅状態がやってきてしまい、安心を感じれなかった。「世界は滅亡しない」という安心を。

 そんな不安感の中、オウム真理教が登場し、信者を集め、凶行に走った。彼らが持ってた終末思想は麻原個人によるものも大きいが、多くの日本人が心のどこかで持っていた疑念共振していた。世界は何か別の形で滅亡してしまうんじゃないだろうか?と。阪神大震災ダメ押しになったのも無理はない。95年だ。

 ちょっと違うかもしれないけど、90年代末に登場したエヴァンゲリオンにも触れておきたい。エヴァンゲリオンのメインのテーマは親子関係であるとか、成長であるとか、そういったことになるのかも知れない。しかし、設定として「サードインパクト」なる壊滅的な何かが起こった後の世界舞台となっている。ここでも世界が滅ばない訳では無いのである。いずれにせよ、私達に「世界は滅ばない」と安心させてくれるものではなかった。

新たな終わりの予感、そして福音

 そして、21世紀現在、新たな「終わり」を予感させる出来事が次々と起こっている。それはやはり、2016年イギリスEU離脱、そしてトランプ大統領誕生である世界が大きく動いている。何かこれまでとは違ったことが、起きているし、これからも起きるだろう。もしかしてこれは、「終わりの始まり」なのか・・・書店に行った。「たとえ世界が終わっても」という新書が並んでいた。

 そんな中、話題の「けものフレンズ」を見た。なんでも、「疲れたオッサンを癒やしてくれる」らしい。私も36のいいオッサンで、程よく疲れている。癒やされるか。そして見てみたところ、なかなか楽しくはあるが、いまいちピンと来ない。「すごーい」や「たのしーい」で微笑ませてくれるんじゃないのか。それとも自分には合わないだけなのか。

 でも、ふとした時に気がついた。あの世界、「ジャパリパーク」は冷戦終結と、バブルの崩壊の2つを同時に表現していると。バブル期日本では、アミューズメントパークが雨後の筍の如く建設され、そしてバブル崩壊と同時に多くが破綻し、そして廃墟化していった。「ジャパリパーク」はそんな廃墟化したアミューズメントパークそのものだ。人間が出てこないし、話題になっているように人類滅亡後の世界に思えなくもないが、アミューズメントパークが倒産しただけだ。冷戦は終わった。世界は終わらない。そう思うと涙が出てきた。

 確かにオッサンを癒やす作品だ。でも、私の場合はそのほのぼのとした雰囲気にそのまま癒やされるのでは無かった。自分が幼い頃から育んできてしまった小さな恐怖、心に刺さってしまっていた小さなトゲを、取り去ってくれるという形で、癒やされた。すごーい!

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