はてなキーワード: 徳治主義とは
これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う
しかしそれ(膨張・威圧・非人道主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う
理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う
胡錦濤は中華人民共和国国務院総理に指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会で問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差の是正と安定成長に努めた。胡錦濤が最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪や上海万博に代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業の民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有・公有経済の管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。
胡温体制で中国のGDP(国内総生産)は世界2位となり、2008年の世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国の高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))を断行して世界最速のV字回復で金融危機を脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界のGDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策は人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政や箱物行政のような無駄な公共投資と地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍の廃止に地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部と都市部を統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。
就任当初多くのヨーロッパやアメリカの為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道が規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道は国内外問わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。
しかし、胡はインターネットの監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年のチベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定でインターネットの遮断も起きた[77][78][79][80][81]。
なお、2010年2月21日には人民日報が運営するミニブログ「人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言もメッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またこのとき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。
2006年3月、中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉と不名誉」として知られている代わりに、良き国民が名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代の中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤のイデオロギーで解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準から、マルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。
北京オリンピックと上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。
2008年8月、ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ(中央)と
2007年、ウラジーミル・プーチン(右)と
2008年、BRICsの首脳4人。左から、マンモハン・シン、ドミートリー・メドヴェージェフ、胡錦濤、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
胡は外交政策として、後述する日本や台湾の例にある通り江の外交政策の修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。
胡はアメリカ合衆国・中国・朝鮮民主主義人民共和国の三者協議とさらに近隣諸国の韓国・日本・ロシアも加えた6カ国協議を北京で主催するなど北朝鮮核問題に積極的に従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手で経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国に仲介を要請した米国に対して江は二国間の問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日は対話を拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和的解決を基調としつつ北朝鮮への圧力の必要性も理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。
胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和と安全に寄与することを国際社会に保証するとし、世界の様々な地域に中国人民解放軍などから部隊を派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国は国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国が国連への影響力を利用して台湾(中華民国)との国交断絶をリベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア沖海賊対策では中国人民解放軍海軍の艦隊を派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国の海洋進出を推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京の中国・アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案でアディスアベバのアフリカ連合本部は中国の資金と企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国は米州ボリバル同盟や南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラやエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスのラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の設立会議で議長のベネズエラのウゴ・チャベス大統領は米国を批判して胡の祝電を読み上げている[101]。
また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高を活用してアジア・アフリカ・中南米の発展途上国(G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ・欧州・日本などの先進国(G7)にも対外投資を行う走出去を推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国が世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。
私と妹は現在運転免許取得者かつ車両を持つ側である。今現在私と妹が持っているのはそれぞれ50ccと250ccの共有しているバイクで、自転車は両親のものを除き一台もない。四輪車はゼロである。高校・大学が車・バイク通学が禁止されていて自転車で通っていたため、その反動でもある。だから10代、20代の頃は車やバイクにもっと寛容になって欲しいと切実に感じていた。当時も「自動車・バイクの駐輪駐車できる大学」はあったが、その数はわずかで、自転車や徒歩を嫌う人達で大混雑していた。
それが時が経ち、立場は逆転した。今では駐車場・駐輪場付がどこも当たり前になり、逆にわずかな「駐車場や駐輪場のない学校」が残るのみとなった。ここまではいい。だが社会人になって、私は「転向」することになる。
「運転免許証がありなおかつ金銭・身体的に余裕のある人の公共交通利用を制限すべき」と何の疑問もなく自分の正義を述べている。だがはっきり言おう。これは徳治主義であると。
私は「良心的な対応」を要求してきたのである。信頼できれば、あとは自己責任にしてもらえば結構と考えている。ところが世の中というのは流れが自分の方に寄ってきたと見るや図に乗って居丈高になる人が多いようで、今度は完全に制限をと言い始めたのだ。
外国のように日本では満員電車はお金や時間に余裕のない人や交通弱者が優先になった。もちろん車やバイクと使える人とそうでない人がいれば、譲るべきなのは前者であることは間違いない。ここで言う交通弱者とは、単なる未成年者や高齢者や免許自体ない人ではなく、鉄道が満員でグリーン車などにまで人があふれ出したら、その時は交通強者や余裕のある人に満員電車を遠慮してもらうくらいの配慮はあってもいい。
だが譲歩するのはこれくらいまででいい。ネットの書き込みを見ていると「鉄道好きは右翼」というもはや「お前が心の病気じゃないのか?」と思うほどの意味不明な意見も見られるようになった。ならば満員電車の数千倍、数万倍は害悪を撒き散らしている左翼や右翼はどうなのだ?
こうした書き込みはノンポリに多いが、政治信条のある人も満員電車は敬遠するのである。
最近の鉄道好きを見ていると昔とは違い、随分遠慮がちに鉄道を使うようになった。見てて気の毒なほどである。
前述のブログも「少なくない鉄道好きたちの自覚のなさは極めて残念です」とあるが、今時そんな人の迷惑顧みず、混雑している列車やバスに笑顔で乗り込む人などまずお目にかかれない。脳内オタクの存在はこの際消してもらいたい。
旗色の悪くなった鉄道好きにここぞとばかりに「キモイ」と文句を付けるのは、オタク・キモヲタである私や妹から見ても不愉快な光景になったのである。
鉄道の信頼率や法人税に影響されるのだから、満員電車が必要悪であることは言うまでもない。だが公共交通が商売になっている現実がある。
というものだ。
「いや、鉄道好きの暴走によって車・バイク産業やバス会社の停滞という迷惑を蒙っている」
と主張する人もいる。ならばポルノはどうなのだ?娯楽だって迷惑の元である。逆に娯楽に関心を持たない人は?
こうした考え方は「健康は義務だ」と言って国民を縛ったナチスと同じ思想である。
世間の片隅で小さくなって鉄道を愛し、車やバイクを酷く憎む人にまで、地獄まで敷き詰められた「善意」によってそれを攻撃する、そんな度量の狭い人間は私と妹も大嫌いだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160814193625
ベッキー?だかの不倫騒動で週刊誌が持ち上げられるような風潮が
今年頭にあったけれど、あれも同じような気持ち悪さがあった。
作る側も見る側も、頭が腐った低俗な人間しかいないのかと思える。
まあここで、そうやって「日本人は云々」と罵倒して終わりだと、
俺も頭が腐った人間とやってることは同じになる。
そっち側に堕ちてしまわないために、システム思考をしなきゃいけない。
環境(システム)の視点で解きほぐし、定量化し、マネジメントしていく思考だ。
ただしく「環境のせいにする」。
徳治主義的な価値観が根強く残ってきた、歴史的・文化的要因が大きい。
「悪い奴」が湧けば潰し、湧けば潰しを繰り返していく。
でもこれだけ情報化が進んだ時代で、そんな前時代的なやり方を続け、
そういう意識はおそらく、誰もが持っていると思う。
やはり安易な勧善懲悪ストーリーを消費したい欲求が人々の心に隠れているからだ。
当事者意識をもって真剣に考えてやる義理を感じないから、そんなエンタメ消費ができる。
実際、真剣に考えることを職業とするジャーナリストやコラムニストなんかは
もうちょっとマトモに考えられる人もわけだし。
さあ、このへんまで印象論で外堀を埋めたところで。
日本の報道のレベルをデータで示して、レベルを引き上げるプランを誰か示してくれ。
俺も結局、当事者意識や参画意識の欠落した一介のニートにすぎなかった。
だから増田で滔々と駄文を垂れ流すくらいしか、抗議の仕方を知らないわけだ。
まあ、もう少しメタに捉えると、こういう卑屈さをみんな持っているんだろうね。
そう考えるから、発起してわざわざ「波風を立てる」ような行動を起こさない。
「和を以て貴しとなす」精神の負の側面だね。
これが腐敗の呼び水となり、結局は「異物」の排除に執着する心理につながっていく。
そういう空気を打ち破る離れ業は、一人のスーパーヒーローなんかじゃ成し得ないと思う。
そういう自己矛盾を打ち破るには、やっぱり個人の力ではなく、集団の力がないと。
シン・ゴジラもそういう事を言ってたんじゃないのかな?(金がないから見てないけどね)
ともかく若い世代にパラダイムシフトと言えるくらいの思想的転換が訪れないといけない。
その兆候は、けっこうあると思っているけど。
現実には、高い意識をもつ若者ほど精神を病んで引きこもってしまいがちで、
しかも追い打ちをかけられがちなのは、一体どうしたもんだろう?
ああ鬱々とする。
卑屈なのは、自分に対する要求が高すぎて、自分を受け入れていない状態。
自分は悪くない!みたいな、主観的で独善的な思考内におさまっているなら、こんな話し方はしない。
ほう、海外では寛容性が高い国は低い、と?
旧社会主義圏や、日本や韓国のような儒教文化圏で権威主義的思考が根強い国は自殺率が高い。
そうした国では、自由の価値が理解されずに蔑ろにされやすく、パターナリスティックな統制が多い。
もちろんアメリカでも州によっては変な規制もあるが、あくまで法であり、守らなければ罰されるという話である。
それに対して前者の統制は、徳治主義的な道徳観による決まりであって、それが正義であり、守らない人は人格すら否定される。
そういった価値観のもとでは、寛容性が低くなる。
もちろん自由主義国家でも、統制的な性格の経営者は多く、会社レベルの組織運営では、それが奏功することも多い。
しかし、健全な国ならば、労働者側もそんなブラック企業文化に依存し束縛されることは比較的少ない。
日本人全体に関していえば、どう転んでも無くなるとは思えないし、極論にすぎる。
たしかに、生活安全課と刑事課のくだりは、組織マネジメントの悪さがみてとれて、責めるべき所は有るように思う。
不正検知のアルゴリズムや、犯人の住所を、教えてもらえないと分かっているのに聞き出そうとする辺りだ。
そんなことをして、この人は何がしたいのかというと、自分が犯人を把握して、相手を懲らしめてやりたい、という所だろう。
このような思考は、幼稚なものだ。
よくネット上でも、馬鹿をやって炎上した人間の個人情報をあさって晒しあげるような「正義の代弁者」が見られるが、
やっていることはリンチ、私刑そのものだ(日本において、私刑は罪刑法定主義によって禁じられている)。
また、晒しあげる過程で諸々の法を犯し、人権を侵害している場合もある。
この人には、それと同類の気質を感じる。
個人的な報復感情による私刑は、あってはならない(日本人は徳治主義思想が強いので、この感覚が欠けている所がある)。