母が脳腫瘍に倒れた。父は警備のアルバイトを辞めて、母の看病というか、介護に尽くすつもりらしい。がん保険にも入っておらず、両親とも大した貯蓄もない。
彼らを眺めていて気になるのは、この世代の備えるチカラの無さだ。車椅子のことすら想像していない階段だらけの家、ローンははおろか、車検代、消耗品代、ひいては燃料代さえ払えるか疑問なハイオク車。
自分の家庭だけかと思っていたが、両親が怪しくなってから注意するようになってみると、何処の家庭にもある。これらは高度経済成長期からバブル景気の頃に社会人を経験した世代の負の遺産だ。
とうぜん彼らが健康を損ねれば、それを支えるのはその子ども達だ。
彼らは、自分が未来永劫健康で、最期の瞬間まで矍鑠(かくしゃく)と生活できるものと信じている。
だから、車のローンを子供が肩代わりするだとか、通院の毎に子供が仕事を休んで階段の上り下りを補助するだとか言った将来をまったく想像していない。
彼らのような世代を生んだのは、高度経済成長、そして退職前に味わったバブル経済の雰囲気にほかならない。
当時は高卒ですら入社して一年目から賃金が支給され、驚くことに賞与まで支給される者もいたらしい。
その後も常に右肩上がりの経済を経験、かれらの両親は常に健康で、ある日突然に亡くなり、退職金だけで住宅ローンの相当量の返済が終わっていたのだ。
あなた方のような世代、つまり借金まみれで大学院を修了して、ようやく職に就き、そこから耐えること2年目頃にやっと賃金の支給が始まり、博士号がなければ賞与はなし、博士号があれば今度は職がなし、退職金など夢のまた夢の人々からすれば、団塊世代は正に黄金世代であった。
当然、このような時代を過ごした団塊世代に、将来に備えるという習慣などない。更に運の悪いことに、彼らの過ごした時代は女性の社会進出もどきが進み、企業が女性をどう扱っていいかわからないまま雇入れ、もてあそんだ時期に当たる。
企業は若い女性にどのように働かせてよいか解らず、簡素な仕事を割り当てて男性に比肩する賃金を払い続けた。しかし、女性は重責を負う立場まで昇進することなく家庭に入る。
すると彼女らは、世間の男性も自分たちと同じように、お茶くみや領収書の検算、社内郵便係をして一日過ごしていると勘違いし始める。このなまじ中途半端に働いていた団塊世代の女性は、たちが悪い。
家庭に入った元・社会人もどきの女性たちは、自分が世間並みの苦労をしてきたと勘違いしたまま、家計を握る。暴君の誕生だ。
彼女らは、夫が健康に稼ぎ続け、夫は大した苦労もなく稼いでると思い込み、65歳を超えても同じ待遇で再就職すると信じ込んで、夫の僅かな稼ぎを使い込む。
挙げ句に海外旅行、高額な(自称)無農薬・有機野菜の通販、階段だらけのうさぎ小屋、年をとったら使いこなせない分不相応な高級乗用車……次々と浪費をし続ける。
70歳で体力余裕ですよとか運転余裕ですよとかぶっこいてるのホント凄いと思う。40の俺でも運転とか計算処理間に合わない時あるし、ホント無理なんだけど